イグチトシオがふと考えたこと、感じたことを書き留めておきます。念のために再度申し上げますが、見せたくない部分は書かず、こういう所を見てほしい、こう見られたいというところを書いています。


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2005年1月1日〜3月31日


3/30
 ここ二週間ほど体調の都合やら夜遅かったりなどして、帰宅時の下車駅はずっと三鷹駅だった。今日久しぶりに吉祥寺で降りて吉祥寺通りと玉川上水沿いを歩いた。
 吉祥寺通りではコブシの花が咲いていた。玉川上水沿いもそろそろ桜が芽吹いてもう少し経てば開花しそうだった。
 確実に春は近づいている。

3/27
 今日もお昼過ぎくらいからAIM2005の会場巡りをする。いくら風が吹いても時間の移ろいが揺らぎそうもない矢切周辺の住宅地を歩いていると、小学生のころの死ぬほど退屈していた日曜の午後を思い出した。自宅でひとりで寝そべってチラシの裏に何か絵を描いていたか、よく言えばRPGにようなことを小物を使って一人でやっていたかしていただろう。今考えればもったいないくらいの退屈な時間だったが、あの時は本当に時間の進み具合が遅すぎてたまらなく嫌だった。
 大河原ハーブガーデンへ行き、そこから矢切駅に行ったところで、ガイドマップを送っておいたM+Mのおふたりに偶然遭遇。わたしの作品を見ていただくようなので、お昼がまだだったらぜひギャラリー結花でお食事をと勧めてお別れした。
 北総線の駅で展開される中崎透さんの「嫁に来いプロジェクト」。なんともちょっと緩めの笑いを誘う。次の北国分駅を出たところで参加型作品を展開されている広田美穂さんのところに行ったら、ブルーシートの切れ端に絵を描いたりしてそれを吊るすというのに誘われて、「早速だから切りましょう。」ということになって、はさみを使って切抜きを始めた。一応作り上げたが、宿題ということでもう一枚シートをいただいた。はさみで切ったものはちょっと満足できるものではなかったし、昨日のオープニングパーティーで立体の作家さん蜂谷和郎さんがわたしの手法を別の素材(たとえばブルーシートなど)を使って展開もできそうだと言っていただいたりしたので、ちょっと試してみたかったのだ。
 切抜きを終了させて、市川市立歴史博物館での展示の撤収作業のお手伝い。今回のアートフェスの最大の目玉は展示もさることながら、いくつか行われたワークショップなのだが、その記録が展示されている。なかなか面白いワークショップだったではないか。
 撤去作業終了後、松戸造形工房という共同アトリエに行く。ここも展示があり、アトリエとして借りている作家さんの制作現場も少し垣間見られてなかなか楽しい。お店番は地元シニアの会の方だ。結構楽しんでいただいているようだ。こうしたつながりは今後発展していてもらいたいものだ。
 その共同アトリエから北国分駅までガイドマップにあるお勧めコースに沿って、神社の横やら住宅地やらの脇を歩いた。駅前では広田さんがちょうど後片付けをされていて、そこでまたしばらくお話をした。こうしたフェスティバルやイベントではいろいろな作家さんと知り合えてお話ができるのがうれしい。
 また次の土日にも少し回りたいと思う。総じて今回のAIM2005は結構いい展覧会になっていると思う。  

3/26
 練馬区立美術館へ行き、そこから銀座のギャラリーへ。
 マキイマサルファインアーツは、今日が本当の最終日。しばらくしたら、今度は浅草橋にオープンするらしい。
 新橋のあのビルはなかなか他にない、いい空間だった。発泡スチロール時代と現在の紙の時代と二回お世話になった。会場にも高島さんにも感謝したい。
 さて、そこから矢切へ。一旦ギャラリー結花へ行き、ケーキセットをいただく。自家製ケーキなのだが、素材を生かしていて噛めば噛むほどじんわりと素材が本来持っている甘味が口の中に広がってくる。味覚の幸せ。
 それから別会場に行こうと思って支度を始めたら、いつも来ていただいているMさんがひょっこり登場。ふたりで松戸駅近くの戸定ヶ岡歴史公園にある松雲亭に行くことにした。歩いて15分ほどだったが、途中の風景がまさに郊外という感じで、デジャ・ヴかと思ってしまうほどだった。
 松雲亭もなかなか力作揃い。面白かった。
 その後Mさんと別れて、わたしはオープニングパーティー出席のために矢切に戻った。ここではおのてつさんによるバック・グラウンド・ライブも行われることになっており、わたしは個人的にビデオとMDによる記録係をすることにしていたため、ビデオカメラの設置とMDの設置などをしたりした。
 オープニングパーティーは自己紹介やら談笑やら盛り上がったが、おのさんたっての希望によるバック・グラウンド・ライブも、本当にBGMのように聞こえているけれども談笑の中に溶け込むような感じで、なかなかよかった。しかも2時間くらい延々と。おのさんの疲れ様でした。
 パーティー終了後、パーティー中にいただけなかったご飯をおのさんなどと一緒にいただいた。が、これがまたおいしくてこの会期中もいただけるそうなので、とてももったいないから誰か連れてきてまた食べたくなった。が、連れて来れる人いないや。残念。
 ギャラリーを出たところでほぼ満ちている月の下に飛行機雲が長く続いているのを見つけた。夜中に白い飛行機雲を見るのは初めてかもしれない。
 帰りはおのさんの車に乗せてもらって帰宅。  

3/21
 朝9時前に自宅を出て矢切へ作品の設置へ。
 市川に出てそこから京成バスで矢切駅下車。たぶん自宅からだと1時間半くらいで到着か。
 設置の方は例によって要領が悪くて、今日初対面の立体の作家さん栄登基記さんにずいぶんお世話になった。設置後に二週間持つのかどうか少々不安になったが、テグスの耐荷重を考えると、そんな重いものを担いでいったわけではないので、理論的に問題ないと落ち着く。それから設置した段階でどうも気に入らないものについては、思い切って別の展示方法をとった。実はその素材と展示方法は10月の個展の際のテストになってしまった。
 会場のギャラリー結花のコーヒーは深煎でとてもおいしい。次はケーキやらプリンやら自家製のものをいただきたいと思う。
 まあいつでもそうなのだが、100%の満足など得られない。いつでも自分の頭の中にある完成図とは違ったものになってしまう。住宅事情が許されれば、展示のリハーサルをしたいものだ。しかし作品が会場で重力やら気温・湿度といった物理的なものによって変化することもさることながら、来場いただいた方々の感想や、光の当たり具合によってなど、自分の中で作品の捉え方が変わってくることもある。それに対する期待もある。
 相変わらず会期が早く終わってほしいような羞恥心と、多くの方に見ていただいてその意見や感想から多くを学びたいという気持ちとが入り混じる。
 天井を見上げながらの設置を続けるのは本当に疲れた。  

3/20
 朝から作品の支持体取り付けと梱包作業。4時ごろ一段落したので、三鷹市芸術文化センターのアートスタジオに「木彫から立体造形へ」を見に行く。今回の展覧会二会場とも展示で気になったのは、ライティングだ。陰影を強調してドラマチックな照明効果を上げようとしている。これで本当にいいんですかねえ。
 帰りに古本屋「上々堂」に立ち寄る。デュシャンやクロソウスキーの画集などがあって、すごく惹かれたが踏ん切りがつかなくてやめておく。ここには新聞の切抜きが貼ってあったりするのだが、昨年末のスーザン・ソンタグ死去の記事やリービ英雄のソンタグ死去に関するコラム、栗原貞子死去の記事が貼ってあった。嗜好が結構近いのかもしれない。ちなみにここは絵本や児童書も充実していて、ここでひそかに探していたのは大昔に読んだ「大泥棒ホッツェンプロッツ」の続編、続々編だ。あるときそんなのがあるのを知って、それらがあるのかも、なんて期待していたのだ。
 などと、余裕のようなふりをしているが、実は今までの個展とはまた違った緊張感がある。なにせ会場を一回しか見ていないから。

3/19
 朝、まずVOCAを見に上野へ。上野駅の公園口は結構な人だかり。春休みだからか家族連れが多い。恐竜展あたりが人気なのか。
 美術館内で学芸員のSさんに会う。去年5月の個展に来られなかったことのお詫びをいただいた。いやいや、そんなお心遣いいただくだけで光栄です。一応AIM2005のチラシを送ったことと今年10月にアートリンクに参加することをお知らせした(営業マン!)。
 今年のVOCAはギャラリー巡りをして気になっていた作家や好きな作家が結構選ばれている。が、すでに大きな美術館での展覧会で展示されているような作家もいる。しばらく前に絵を燃やしていた意味はなんだったわけ?とか、ホックニーの手法とまったく同じなことをして、そこらへんどうなの?とか、まあ言いたいことはいろいろとあるけど、それなりにクオリティーは高いからいいや。今回気になったのは小川敦生さんかな。
 その後、京橋−新橋にAIM2005のチラシを置いてもらう営業がてら、画廊巡り。
 藍画廊では坂本東子さん。ご本人と初めてお話ができた。テグスを使っていたときから、3年ほどのブランクがある。NWハウスの二回目の個展からずっと見ている一ファンとして、どこに惹かれているのかをその場ではうまく言えなかった。繊細な素材を使って、呼吸をするように日常の時間を定着させていくというその作品が好きなのだ、と。
 今日も寝不足気味で疲労度もピークなのか、いつもよりも歩く速度が遅いのが自分でもわかる。まるで向かい風の中を歩いているみたいだ。帰宅してどうにも体が動かないので、少し横になったら二時間くらい寝てしまった。

3/18
 久しぶりに朝早々「顔色が悪い」と言われた。昨夜からAIM2005のチラシ発想作業をして、普段の寝不足状態からさらにマイナス1時間睡眠不足だったからだろう。
 AIM2005のチラシを置いてもらう営業がてら、画廊巡り。

3/16
 退社後に恵比寿ガーデンシネマで「ビフォア・サンセット」を観る。
 9年前の「恋人までの距離(ディスタンス)」の続編。前作でもとにかくふたりはしゃべり続けたが、自然に語り合うように見せる練りに練った台本とイーサン・ホークとジュリー・デルピーの卓越した演技力があったから、非常にクオリティーの高い映画になっていたと思う。
 本作もしゃべるしゃべる。9年ぶりにあった男女が80数分という限られた時間の中で一体どんなことを語り合うのか。9年間の空白を埋めようとする、あるいは空白に対する焦りやら悔恨やらの感情の起伏。今この年になってわたしもようやくふたりの登場人物の心情が理解できる。
 それにしても実際に9年という年月は、いくつかの可能性を想像できる甘さもあり、それらがすべて実現されなかったという残酷さもある。最後に飛行機の時間に遅れることを承知しつつ、二人でいる時間を引き延ばそうとするふたりの笑みには、ただの甘さだけではなく、むしろ苦味や辛味が感じられる。
 ボクはキミに会いたいだろうか。いや、それはないだろう。ただキミが元気で活躍していることがわかれば、それだけでいい。会いたいと思わないのは、きっとボクがまだキミのことをひきずっているからだろう。
 いや真相はこうだ。甘く苦い思い出に耽溺するためには、実物のキミは必要ないのだ。

3/15
 トレーシングペーパーも切り抜き完了。後は支持体のアクリル板を取り付けて梱包するのみ。
 弱音を吐いた割には早めに終了したものだと我ながら感心。
 どうもイグチトシオの傾向として以下のようなものが考えられる。
 ・まず思いっきり弱音を吐く。しばらく弱音を吐き続ける。
 ・弱音を吐きつつとりあえず始める。コツコツ続ける。
 ・最終的に思ったより早めに終了する。

3/13
 制作中。
 なんとなく先が見えました。後もう少し。
 が、会場でどう見えるかが少々心配だ。なんといっても一回しか会場に行ってきていないので、十分に空間を把握しきっていないのだ。
 そういえば、先週あたりから花粉がものすごく飛んでいるのだが、わたしは12月から耳鼻科に通院しているためか、例年の最悪な状態に比べたらかなり爽快な状態にいる。もちろん目は痒いし、鼻はむずむずするし、くしゃみをしたり鼻水も出たりするが、例年に比べればまったく問題なし。アレルギーの弱い人って春先こんな程度で済んでいたんだと得心が行く。道でもらうポケットティッシュをため込んでこのシーズンのために備えていたのに。何と楽なことか!

3/12
 9:20東京発の新幹線で福島へ。福島県立美術館の「ポール・デルヴォー展」へ。
 例によって美術館にだけ行って帰ってきただけの小旅行だったが、大満足。
 デルヴォーは不思議で面白い。何度見ても謎が次々に現れてきて、何度も会場を行きつ戻りつする。デルヴォーの絵はやはり夜が多いが、昼間の絵にしても、照度が微妙に普通の日中と違う気がする。数年前にあった部分日食のときの妙な明るさを思い出す。
 美術館の隣にある県立図書館の書架に惹かれて中に入って、書架の中を歩いて回った。「ベルリン天使の詩」の図書館のシーンを思い浮かべてしまった。

3/10
 退社後、東京都写真美術館へ「グローバルメディア2005/おたく:人格=空間=都市」を見に行く。森美術館の「アーキラボ」とどちらを取るかと考え、金額や所要時間、体力などを考えて、「おたく」を選んだのだ。
 が、会場に入った途端、いたたまれない感覚を覚えた。たぶん「ベネチア・ビエンナーレ国際建築展」で来場して遠いジパングの街を想像するイタリア人よりも遥かに近く、「アキバ」や「コミケ」を聖地と崇める巡礼者よりも遥かに遠い、その距離がいたたまれなさを感じさせるのだろうか。しかしわたしの理解力が足りないのか、「都市論」的観点が見えてこず、「おたくの生態」的部分が強く感じられた。世界に例を見ない、「嗜好が都市を変貌させた」実態が見えなかったのだ
 そのまま帰宅して制作をしてもよかったのだが、恵比寿から日比谷線で六本木に行けることに改めて気がついて、森美術館に行った。こちらはそれなりに楽しめ、建築と思想・哲学の強い親和性を感じることができた。しかし森美術館はいつも盛りだくさんで量が多く、とても疲れて体力を必要とする。そんなわけでじっくりと鑑賞・考察できずに帰宅したのが残念だった 。そういえば展望台で夜景を見ずに帰ってきてしまった。料金の半分は棒に振ってしまったわけだ。ったく、バカか、わたしは。と、いうのもケチか?

3/8
 床に着く前に右肩に二枚、肩甲骨の下あたりに一枚、左肩に一枚、腰に二枚と湿布薬を貼ったら、刺激が強すぎて寝つきが悪かった。こうして毎日貼り替えながら二、三日過ぎると貼ったところが無性に痒くなってくる。「敏感肌」ってこと?腕の内側なんかバンドエイドでかぶれたことあったしね。

3/7
 「原爆詩人」栗原貞子氏死去。
 15年前、広島に住んでいたとき、栗原氏の姿を見たことがあった。
 原爆投下のその夜、被爆者たちが群れ重なるビルの地下室で重症の産婆さんが立ち会った出産を唱った「生ましめんかな」。
 被爆後92歳まで生きた氏には今のこの社会はどう見えていただろうか。

3/6
 終日制作。午後3時前についに二枚目のビニールシートの作品も終了。早速、最後のトレーシングペーパーに取り掛かる。
 いつものように夕方、運動がてらの散策に出かける。井の頭公園まで行き、そこから玉川上水沿いに三鷹に戻ってくるといういつものコースだ。途中、「三鷹の森ジブリ美術館」の前を通る。美術館から帰る人々がバスを待っているところを横切る。家族連れやらカップルやらが満ち足りたような面持ちでバスを待っている。まったくの別世界を見るような気持ちがする。というか、これはもう別世界だろう。
 今日は誰とも会話をしなかった。そしてそれを当然のように思っている。

3/5
 9時6分東京発の新幹線に乗り、10時過ぎに静岡に降り立つ。そこから静岡鉄道に乗り、県立美術館前駅で下車。しばらく歩いて静岡県立美術館で「若冲と京の画家たち」を見る。数年前の京都での大回顧展を見逃してしまい、若冲は今回が初めて。例の升目画の「樹花鳥獣図屏風」など、「ああ、これが本物かあ。」と感慨深いような。何度見てもなんだかまだまだ鳥獣が潜んでいそうで、何度も行っては戻ってで見てしまった。誰もが思うとおり、200年前の作品とは思えないほど、コンテンポラリーな感覚を覚える。
 どこかで確かめたいのだが、10年以上前にメトロポリタンあたりで若冲の回顧展をやってはいないだろうか。当時わたしはまめに英会話などお勉強していたのだが、教育テレビの「英会話上級」という番組(インタビューを聞くというコース)で、メトロポリタンあたりの学芸員のインタビューがあった。そのとき「日本ではほとんど知られていない江戸期の画家の回顧展がニューヨークで開催されている」なんて話だったのだが、当然わたしも当時はその画家の名前を知らなかったのだが、しばらくたって、「伊藤若冲」という名前を知ったときに「もしかしてあのときの?」と思ったのだが、絶対的な自信があるわけではない。
 それから静岡県立美術館ご自慢のロダン館。ここまでまじまじとロダンを見たことなんて今までなかった。解説文にあったように、ロダンの中にその後の彫刻の進展などの要素やらがいろいろと見出すことができて、結構興味深かった。
 一通り見終わった後、また静岡鉄道で静岡駅まで行って、新幹線の時刻を確認したら、すぐに発車する時刻のものがあったので、階段を駆けあがり、ホームを走って飛び乗った。やれやれ今日は何もかもうまくことが運んだわいと、深々と椅子に座り、のんびり図録を開き始めたのだが、最後に落とし穴が。切符を確認に来た車掌さんに追加料金が必要だと言われたのだ。わたしが座っていたのは指定席だったのだ。そりゃそうだ。わたしが座った車両は二桁の数字だったのだ。自由席は5両目から後ろだと言われ、指定席やグリーンの車両を通り過ぎ、やっと5両目に着いたが、ほとんど満席状態。もっと先に行こうと思ったが、4両目は喫煙車両で窓から覗くともうもうと煙っている。そんなところに入り込む気にはなれなくて、デッキに座り込むことにした。
 気がついたら静岡の街をほとんど見ることなく帰ってきてしまった。元々市内を観光する予定を立てていなかったし、すぐに帰って制作をするつもりではあったが、少々さびしい気もする。でもまあ何はともあれ、静岡まで行った甲斐があったと結論付けたい。そういえば静岡は東京よりも暖かかったな
 若冲に対する感想などはまた余裕のある時にまとめて書くことにする。

3/4
 雪降りの朝なので、内心わくわく。かなり寒いので帽子とブーツを履いて出勤。でも午前中には止んでしまって、少し残念。
 わたしという人物の存在すら知らないうちから、わたしのからだの寸法などをすでに知っていたかのようなシャツやジャケットを作っていたインディーズ・ブランドLET IT COME DOWNの西里兄弟が、原宿キャットストリートにショップを3/3にオープンした(以前、同潤会アパートに店を持っていたこともあったらしい)。退社時にふと思い立って行ってみることにした。でも送られてきた地図など持ってきていなかったので、途中、OPAに立ち寄って、藤波さんにどのあたりなのか教えてもらってから行くことにした。到着するとお兄ちゃんがいつものように満面の笑みで迎えてくれた。しばらくすると弟さんも到着。弟さんには初めてお会いする。しばらく談笑しつつ、新作を試着させてもらう。う〜ん、ちょっと肩と腕がきついなーと思ったら女性ものだそうでした。やっぱりわたしはサイズが小さいんだなー。
 キャットストリートは本当にこういったファッション系の店が多い。ちょっと目普通だけれど細部にものすごいこだわりがあるというシャツ(ファスナーが付いているのにボタンが10個も付いているシャツあるいはボタンが10個も付いているのにファスナーまで付いているシャツ)など、西里兄弟のセンスには惹かれるものがある。ぜひがんばってもらいたい。そのうちホームページも立ち上げたいとのことなので、HPができたらリンクさせてもらおう。
 備忘録1:渋谷区神宮前4-25-7コーポK2階 NISHIZATO

3/3
 今日は有給休暇を取って、午前中は行政上の手続きをする。お昼から制作に入り、6時ごろに体を伸ばすことも兼ねて、三鷹市美術ギャラリーの「木彫から立体造形へ」へ行く。ここは夜8時まで開いているのがうれしい。 三鷹駅前の美術ギャラリーと芸術文化センターのアートスタジオの二会場で開催されていて、今日は美術ギャラリーの方へ。こちらは江口週、田中栄作の二氏による展示。とくに田中栄作氏の作品はなかなか見ごたえがあった。

3/2
 帰りに渋谷で「スーパーサイズ・ミー」を観る。
 毎日三食マックで売っているもののみを食べて一ヶ月過ごしてみるというドキュメンタリーだ。結構面白かった。でも全然身につまされない。というのもわたしはカフェには入ってもファーストフード店に入らないから。年に数回(片腕で足りる程度)モスに入るくらい。マックに入ったのは一体いつのことだ?もしかしたら10年前にモスクワのアルバート通りにあるマクドナルド・ロシア二号店に入ったきりか?
 でもチョコレートとか飴とか甘いものにも中毒症状があることは心得ておかなければ。
 と、まあそれよりも驚いたのは映画を見終えての帰りのスペイン坂(だっけ?)にあるカフェバーの名前を見たときだった。
 「Cafe Bar 人間関係」。
 『人間関係』かよ〜!例によって頭の中を「人間関係」というフレーズがこだまして、ときどき「人間関係」と口に出して、その響きを味わってしまった。  

2/28
 「天使の記憶」読了。50年代末から60年代末のパリが舞台となっている。ブルジョアのフルート奏者とメイドとして現れたドイツ女性の結婚。その女性と楽器修理屋のハンガリー人との恋愛。はっきり言って三角関係の物語だが、まだ第二次大戦の記憶が残り、ハンガリー動乱、アルジェリア独立戦争など当時の世界情勢に翻弄される三人以外の名もなき人々が主人公とも言える。
 印象的な文章があった。

 たったひとつの惑星に、これだけ多くの人々がどうやって共存しているのだろう。この人間たちのなかで、もっとも重要で、もっとも正しく、そしてかけがえのないのは誰なのだろう。人間たちは複雑なやり方で各々の位置を占めているが、決して混乱状態にあるわけではない。各人が前に進んだり、旋回したり、衝突したり、手を組んで行動することによって、原因が結果を生み、果てしない因果関係を永遠に繰り返している・・・・・・。
 しかし、この永遠の関係性には、全体としてやや暗い影が射していると言わざるを得ない。


 登場人物たちが歩いたパリの通りを歩きたくなった。

2/27
 例によって朝から制作をし、夕方少し外出して30分くらい歩き、それでもって夜も制作。
 こうして日曜一日を制作に当てると、月曜の朝はまるでえら呼吸から肺呼吸に変わるような感覚を憶える。時間がはっきりと線で引かれるような社会生活を送っていて、しかもそれが制作とまったく関係のないような生活だと、みんなどんなふうに感じているんだろう。

2/26
 みなとみらい線一日乗車券を買って横浜へ。
 まずは横浜美術館のマルセル・デュシャン。確かなにかが「20世紀美術で一番衝撃的だった作家は?」という質問をして、それに対して一番だったのはピカソではなくてデュシャンだったとというのを新聞で読んだ気がする。確かにそれは言えていると思う。ピカソは「美術」という枠組みの中で衝撃的だったが、デュシャンはその枠組みに衝撃を与えたのだから。たぶんイガイガがありすぎて、世はデュシャンをまだ口の中に入れている段階で、飲み込めていないのではないかと思う。そしていまだに世はデュシャンの遺産を消費しているとも言える。お勉強レベルでも結構楽しめました。
それから横浜市民ギャラリーの「今日の作家展2005 私をひらく美術」へ。天利道子、内海信彦、川田祐子、山本直彰各氏の力作で見ごたえのある展覧会だった。もちろん川田祐子さんが目当てではあるが。今回は以前静岡県立美術館で行われたワークショップ(参加者に思い出の写真をコラージュしてもらい、それにアクリルを塗り重ね、スクラッチして写真を浮かび上がらせたもの)の作品と三島で行われた展覧会の際の作品が一緒に展示されていた。三島で展示した作品にはサブタイトルが「呼び水」となっている。キャプションによると三島では湿気が多いせいか、雨が降る前にコンクリートの亀裂などに水分がにじみ出てくるらしく、それを雨が「呼ばれる」というらしい。そんなふうに静岡の人々の記憶と三島の風土が横浜のギャラリーで邂逅しているのだ。静岡のワークショップで作成された作品を見ると、スクラッチして色彩を出していく行為は、記憶を掘り起こしていく行為と重なって見えるところも出てくる。そのようにいつもの作品とはまたひとつ違った意味を含んだ作品群も鑑賞できた。来場者があまり多くなく、かなり広いスペースでゆっくりと行きつ戻りつしつつ鑑賞できたのはうれしかった。
 山本直彰氏は昨年練馬区美術館で日本画の企画展の時に拝見していた。天利道子氏のコーナーでは記憶に残っている「緑」をカラーチャートの中から選び、なぜそれを選んだのかというアンケートに答え、その色をキャンバスに貼り付けるという作品だった。わたしは番号は忘れたが、一番濃い深緑を選んだ。夜の帰路に見る井の頭公園や玉川上水沿いの木々の色ということで。内海信彦氏は今年早々のギャラリーKでの個展を逃しているようだ。10mはあるだろう横長の大作には圧倒された。などと、一度じっくりと各氏の作品を一通り鑑賞してから、再び川田ワールドに浸っていると、そこに何とご本人が登場。なんてラッキーなの!静岡でのワークショップのお話やら、今回のワークショップのお話やら聞けて、とても有意義であった。
 今日はデュシャンも含めた形で横浜に行ったが、この市民ギャラリーの展覧会だけでも横浜に来た甲斐があるように思えるほど、充実した展覧会だった。

2/25
 帰宅時に雨に降られる。玉川上水沿いの道では枯葉に硬い音をさせて雨粒が落ちてきた。
 深夜に窓の外を覗いたら、大粒の雪が舞い、予想外に積もっていた。

2/23
 昨夜、テーブルにかがみこむような姿勢でしばらく制作を続け、姿勢を元に戻したら、腰に少し違和感を感じた。長時間正座をした後に足が痺れるような、あんな感覚だった。
 そんなわけで朝から腰が痛い。疲れがたまっているみたいで、日中は職場で休憩を取っているような感じだ。でも、おかげさまで5m×1mのケント紙は完成しました。

2/20
 朝から制作。なんとなく先が見え始めたような気がする。一番手ごわいと予想していたケント紙があともう少しで終了する。その後はビニールシートとトレーシングペーパー。
 夕方になり、吉祥寺に買い物に出た。家族連れやカップルの多いこと。なんか場違いっぽくて、すんずれいしました。
 ああ、静岡県立美術館の「若沖と京の画家たち」にも行きたい。

2/19
 三週間ぶりの耳鼻科。今日は9時過ぎに行ったので、わりあい空いていた。今日の絵本はママが音読するウサギのノンノンがブランコに乗るお話と、女の子が自分で読み上げた小さな熊のチビクマちゃんがママのお留守にケーキを作るお話でした。やはり薬が効いているからではなくて、花粉飛散量が比較的少ないからだったのだろう。最近はさすがに鼻がむずむずし始めている。が、もしかしたら薬が効いているから鼻がむずむずしているだけなのかもしれない。
 それから東京都現代美術館でMOTアニュアル「愛と孤独、そして笑い」と榎倉康二展。
 たぶん「愛と孤独、そして笑い」は今までのMOTアニュアルの中で、最高のレベルではないかと思う。今までは(わたしの個人的な印象としては)「関東近県で活躍する新進作家を紹介するショーケース」的な印象だったが、今回は地域を限定してせず、キャリアの有無で分類せず、「現代日本女性の<今>」というひとつのテーマに沿った人選をしている。今までいまいち曖昧だったテーマに比べて、今回は非常にはっきりしている。それが成功しているように思える。
 イケムラレイコはいつも人物像がぼやけているのに、ひとつだけ表情が認められる作品があって、それが気になった。それから嶋田美子の「箪笥の中の骨」は来場者に「家族の秘密」を書いてもらい、それを改めて編集しなおして箪笥の引き出しの中に入れるという作品だ。「家族の秘密」はスキャンダルであり、隠匿すべきもの。引き出しを開けると、家族の性、死、差別(出自等の)が静かな強度を持って現れる。衝撃的だった。その一室を重い気分で出ると、そこは綿引展子のあっけらかんとした平面に迎えられる。と、まあ本当にこの展覧会には今までのMOTアニュアルにはなかった一貫した展覧会を企画した意志を感じられた。これは方針の転換なのかキュレーターの力量なのか。
 榎倉康二は大作に囲まれたときの気分のよさと言ったら!黒と白のコントラストとその境界の滲みが美しかった。
 企画展ふたつと常設展(やはりサム・フランシスは見なきゃ)を見てからそのまま美術館を立ち去り、京橋に向かった。さすがに疲れがピークに達したが、休憩を取らずに少々無理をしてギャラリーに入って、受容できずにすごすごと立ち去ろうとしたとき、白髪でメガネをかけた男性が、30〜40代の男性に付き添われて少しずつ歩を進めてきたのとすれ違った。どう見ても山口昌男氏だった。そのギャラリーで展覧会をしている作家さんはそれなりの実績があり、装画などの実績もかなりある方なので、何かのつながりがあるのだろう。山口昌男もそれなりに年を重ねたのだなと思った。
 BASE GALLERYがあったところが村松画廊に変わっていた。村松画廊は以前より入りやすくなったし、室内も雰囲気が明るくなり、作品も映えるようになったと思う。が、BASE GALLERYはいずこへ?最近美術系の雑誌を見ていないので、そこらへん知りません。
 今日は本当に疲れたので、帰りも吉祥寺で降りてのいつもの散策コースを取らず、三鷹まで電車で座らせてもらいました。

2/15
 久しぶりに「朝起きたらそこは頭痛の世界だった」状態になった。昨夜就寝するときに頭痛のかけらみたいなものは感じていたのだが。出勤前に某有名市販頭痛薬を飲んだが、それはその薬が効かないことの再確認という意味以上のものではなかった。そんなわけで一日中頭痛と同伴状態だった。肩から首にかけてかなりこっていたので、最近、制作に根をつめた結果だろう。
 が!帰りの電車で居眠りをしたら頭痛は治り、また制作にいそしみましたとさ。

2/14
 昨日の石川雷太ショックを引きずっているわけではないだろうが、定期を忘れてしまって往復580円の出費。それから「今日のお昼休みに歯医者の予約を入れてあったと勘違いしていたが、予約を入れたのは明日のお昼だった」という勘違いをして、本当は今日予約を入れていたのだった。
I paid off Cupid to point the arrow straight at your heart on Valentine's Day.
 って文章を数年前に英字新聞で見たことがあったってだけのことです。他意はありません。

2/13
 午後3時近くまで制作。一旦休止して府中市美術館の「第2回府中ビエンナーレ 来るべき世界に」に行く。今日は石川雷太のノイズ&ボディ・パフォーマンスがあるので、せっかくだから見に行こうというわけだ。と、思ったら日にちを間違えてしまっていた。パフォーマンスがあるのは昨日12日だったのだ。それに気がついたのは、5時で閉館だと急かされてパフォーマンスの会場であるはずの美術館のエントランスにある椅子でしばらく休憩していたときだった。昨日は「あ、ちょうどいいや。パフォーマンスのある明日行こう。」なんて決めたのに、そのときすでにパフォーマンスは行われていたのだ。
 まあ帰りの都立府中の森公園で、本当に真っ赤な夕日が見られたから、それでいいとしようか(ちっともよくない)。
 あと、東京都現代美術館の「愛と孤独、そして笑い」、「榎倉康二」、横浜美術館のデュシャン、三鷹市美術ギャラリーの「木彫から立体造形へ」に行きたい。それからできれば福島県立美術館のデルヴォーも行きたいのだが・・・。

2/12
 マキイマサルファインアーツで、 草蝸T子さんのアニメーション。粘土を層のように敷いて、それをえぐって線を作り、下から虹色のライトを当てて輪郭を浮かび上がらせるという手法。3分弱のアニメーションだが、何回見ても見飽きない。
 きっとCGできれいにチャッチャッとやったものだとこんなに面白くはないだろう。手作りのものとデジタルなのとどうしてこんなに違うのだろう。だぶんコンピューターでは「行間」を作れないのだろう。 

2/11
 朝から制作。そして夕方になって散歩。本日で下絵は終了。いよいよ切り抜き開始。冬はカッティングマットのゴムが硬くなるので、カッターの走りが暖かい時期よりも鈍くなる。

2/9
 朝日新聞に「中央線の詩 沿線風景 第1部ともしび・西荻窪」という連載がある。そこにギャラリーブリキ星のオーナーのことが書かれてあった。
 時々伺うとお茶を出していただいた後、すぅっと奥の方に退かれて、鑑賞の邪魔にならないようにと、ほとんど存在を消されるような所為をなさっている。あのオーナーさんにもこんな過去があったのかと感心してしまう記事だった。人に歴史あり。人ひとりにそれぞれの思いあり。

2/8
 ユベール・マンガレリの「おわりの雪」読了。
 雪の中、老犬と一緒にどこまでも歩いていくシーン。雪に一面覆われた視界を風がなでるように吹き抜け、雪を踏む足音がする。冷気が微小に頬を刺し、息が白く流れていく。
 わたしはこの心象風景を見たことがある。凍てつく孤独と蜃気楼のように漂う死の影。ひとりになるといつも「死」を思っていたあのときの少年は、まだまだ迷い、続けている。

2/6
 一日中制作。ようやく一枚分下絵が終わり、それを二枚分トレースしなければならない。それからいよいよ切抜きが始まるのだ。間に合うのか?
 この分だと京都旅行は無理っぽい。  

  2/5
 OPAで「ネコの手手ぬぐい」を購入。
 それからマキイマサルファインアーツに行って、いよいよ堀正明さんの作品と交換のために作成した作品を納品。しかしとても中途半端で未熟な作品なので、堀さんの作品との「交換」にはなっていなくて、まだ負債を抱えているような気もする。
 かねこあーとで渡辺有智子さん。今までと少し作風が変わったけれど、でも印象は変わらないものを感じる。作風の変化にはとてもとても大変な心理状況などあるらしい。彼女の世界観や制作に取り組む姿勢など、わたしと重なる部分も異なる部分もある。自己表現の愉悦と苦悩が、今後どういったものを生み出していくのか。彼女の作品が好きなだけに、とても楽しみだ。でも体だけは気をつけてください。
 ギャラリー二葉で大森澪さんの作品用の額縁をもらい、作品代を支払う。近藤さんと近藤さんのお友だちと雑談。それからまたネコの話になり、近藤家のじゃじゃまるを抱かせてもらった。ネコを飼っているU氏を見るとじゃじゃまるはさっと逃げてしまうらしいのだが、わたしには大人しく抱いてもらっている。そのうちにやはり鼻がむずむずし始めてじゃじゃまるをお返しした。たぶんわたしのネコアレルギーも軽度のものなのだろう。今日はじっくり肉球をいじらせてもらったし。
 なんて書くと誤解されるだろう。わたしはあくまでも、「ほら、○△さんでちゅよ〜。ごあいさつちまちょうね〜。」と抱いたネコに話しかけるほどネコを溺愛しているわけではない。元々動物大好きってわけではなかった。まあ去年いろいろとあったので、ネコ関連で少しざわつくのもそれにやや関連するところもなきにもあらず。詳細は別途お伝えします。そこらへんよろしくお願いします。
 今日、仕入れた最高のネタ。
 【ある調布市民の推測】
 調布市と狛江市が合併するという話が出ているらしい。ある調布市民がこう推測しているらしい。
 「チョウフとコマエが合併したら、新しい市の名前は『チョマエ』になるんじゃないかとわたしは踏んでいるんですよ(まちがいない!)。」
 チョウフの将来は明るい!(かもしれない)

2/4
 友人から借りたCDを最近は愛聴している。クープランの曲をGERARD LESNEというカウンター・テナーが歌っているのだが、本当に美しいのだ。

2/3
 今日は節分らしい。ウニは外、フグは内。
 その人は「かなりデキル人」ということで職場では通用している。その人がある時こんな話をした。
「いくつかの例外を除けば、基本的に世の商売ってものは不安をあおって買わせるものです。」
 これに備えておかないと競争に負けてしまうとか、これを持っていないといざという時に損害をきたすという「不安」に加えて、今これを聞かないと、見ないと遅れているとみんなにおいていかれてしまうとか、持っていないことで劣っているように見られるという「不安」もある。
 その人の話に、恐怖と消費の一大キャンペーンを作り上げるアメリカ・メディア社会をあぶり出した、マイケル・ムーアの「ボウリング・フォー・コロンバイン」を思い出した。
 だからなのか。現代美術が特に日本の市場で十分通用しないのは。
 この際、不安をあおって作品を買わせるのはどうだろう。
「今年の夏はイグッチのキューブが絶対来るから、持ってないとマジやばいって。」  

2/2
 しかし、「ネコの手手ぬぐい」もほしいということで、急遽OPA藤波さんにメールで取り置きしてもらうことをお願いした。
 ところで「血液型性格判断」っていったいなんなんだろう。「科学的根拠はない」と言われているが、ここまでみんなが信じ込み、話のネタのひとつとしてどこに行っても話題となる。話の脈絡とは関係なく突然「血液型なんですか?」と聞かれたりする。
 そういえばわたしはどの血液型がどういう性格だとか、誰は何型なのかなど、全く知らないし、興味もない。むしろ人をたった4タイプに分けるなんて、なんと乱暴で貧しいものかと思ったりもする。そもそも性格とは何なのだ。気質だとか性向だとかとの関係はどうなのだ。元来人の性格というものはいろいろな要素の集合体であり、一概にひとつの言葉に集約できるものではない。その性格も生来のものもあるし、環境によって変わる部分もある。それが血液型性格判断だと、一生変わらないし変われない血液型というものによって定義されるということになる。実際、同じ血液型でもずいぶん性格が異なる人もいるだろう。その人ががさつだったり神経質だったりおっとりしているのは、あくまでも脳によってそれぞれの判断が下されるときの傾向であるから、その判断時に血液型が重要な役割を演じることになるわけだが、はたしてこの血液型を区別する物質のみが重要な役割を担っているのだろうか。
 60数億人いる人間をたったの4タイプに分類するのはとても乱暴だし、その判断基準も人によって受け止め方が異なる。何をしてその人をガサツだの神経質だのいいかげんだのと言い切れるのか。血液型4タイプで分類する以前にまず、血液型性格判断を信じる人と信じない人と二つに分けておいたほうがいいのかしれない。などとわたしがこだわるのは、たぶんそうやって自分を類型化されたくないからだろう。「おまえはこれだ。これ以外の何者でもない。」と押しつけられることに拒否反応を示しているのだろう。しかし単なる遊びなのだから目くじらを立てるなんて心が狭いと言われるかもしれない。「そんなことを言うのは○×型の典型だ。」とも言われるだろう。「血液型性格判断」の流布する背景は、「人の性格」という明瞭化できない領域であるからこそだし、やはりその分類が4タイプのみという数の少なさに寄ると思う。二桁種類があったらきっとここまではやらなかっただろう。それに「自分が何者なのかなんて悩まなくてもいいんだよ。そんなことは生まれたときから決まっていたんだ。」「いくら君ががさつであろうが、神経質であろうが、気にしなくてもいいんだ。君は一生ここにいていいんだよ。」と居場所を提供されて安心できるのかもしれない。
 でも世のオトコの顔がすべてSMAPのメンバーの顔しかなかったらそれはおぞましいでしょう?たとえV6や嵐を加えて二桁にしたところで、その気味悪さは変わらない。
 ところでジョン・ヴァーリイの「バービーはなぜ殺される」というSF小説がある。その信者になると男性女性関係なく全員バービー人形のように顔も体も整形しなければならないというある新興宗教のコミューンでの殺人事件がストーリーとなっている。世界のすべての人々を4つのタイプに類型化しようとする風潮には、そんな状況設定を思い浮かべてしまう。
 話は変わるが、ジョン・ヴァーリイってこの「バービーはなぜ殺される」にしても、人体でもクローン技術が発展し、いくら死んでも直近のバックアップクローンによって何度でも復活してしまうという世界を描いた「へびつかい座ホットライン」も全体的なストーリーの持って行き方なんかはまったくつまらないけれども、状況設定がすごく面白いんだなー。なーんて、たかだか職場の飲み会でいきなり「イグチさん、血液型なんですか?」と聞かれたくらいで、こんなに長々と文章を書いた上に、まったく関連性のない話を脈絡もなく書けるってのはやっぱり○×型の典型以外の何者でもないってところか。

1/31
 「ネコの手スタンプ」は職場のネコ好きに大好評。そんなわけで追加で買うために、退社後いそいそとOPAに行った。「ネコの手」に加えて「ネコ顔スタンプ」も購入。「ネコの手手ぬぐい」にも食指を動かされたが、まあそこまで面倒見なくていいだろうと思って購入しなかった。

1/30
 一日中家にいて制作。夕方になってちょっと買い物に外出。日中はとても天気がよく、室内も暖かかったので、戸外は予想外に寒くて、小走りになってしまった。
 帰りに「ああそういえば、もうクリスマスも終わっているし年末年始も終わっているんだよな。」と改めて考えてしまった。どうも一人で何の催し物もしない生活は、時間が真っ平らになってしまう。いたるところで特にチョコレートのセールをしているのはなぜなのか、しばらくその理由がわからなかった。
 今日はハンガリー、ブルガリアあたりの民族音楽やアイリッシュ・トラッドを聞いた。

1/29
 午前中また耳鼻科医へ。待合室は親子連れで一杯。みんな二歳から五歳くらい。パパに連れられて来ている子が結構目立つ。よそのパパに妙になついてしまって、一緒に絵本を読んでもらっている子や、体をくねらせてパパに抱きつこうとしている子がいる。「しっかり座ってて。」とママに叱られる子がいる。
 長いすの隣に座ったパパと娘を横目で観察。「絵本読んで。」と娘にねだられたパパは、蕎麦屋特集の週刊誌を読み続けたくて、「ほらほらここにお蕎麦があるよ。」とカラー写真を見せながら、「お蕎麦食べごっこ」を始め、見事に引っかかった娘はそれをちゅるちゅる吸い込む真似をして、「ほらパパ、おちょば。」と言って、写真からパパの口へ蕎麦を運ぶ真似をする。パパは「おちょば」をちゅるちゅる吸い上げる音を出す。無事、蕎麦屋特集を終えたパパは、娘の持ってきた「アンパンマン」を読み上げる。「パパこのちろいケーキは何?」「チーズケーキ。」アンパンマンはよそに配達に行っているので、チーズケーキちゃんがその仕事をしなければならず、そのすきにバイキンマンが出て来て・・・。別の絵本で「これはなにかな?」「チンカンテン」「し・ん・か・ん・せ・ん」「チ・ン・カ・ン・テ・ン」。後からやって来たママのところに行って「せっせっせーのっ」と声を上げる。「静かにしなさい。」と言われて少し大人しくなる。でも「せっせっせーのよいよいよい」はまだ諦めきれないらしい。「静かにできる?静かにできるならやってもいいわよ。」とママに言われて、小さい声で「できない。」と答える。う〜ん。正直な子じゃ。
 考えてみればこれだけ幼児に囲まれる環境にはほとんど出くわしたことがなかった。子どもをあやすにも、たしなめるにも、愛想をこぼすにも、それでいいのかどうかまったくわからない。それらの行為にはなにか基本的な文法があり、その構造が把握できていない。実社会の中で自分の立っている位置がどこらなのか、改めて感じずに入られなかった。そんなわけで耳鼻科にまめに通い続けて薬を服用しているせいか、今のところ目だった花粉症の症状は出ていない。ピーク時にどうなるか興味津々。
 午後には表参道から銀座にかけてギャラリー巡りをする。
 どうも自分でも気がつかなかったスイートスポットがあり、今日は見事にそこにはまってしまったものがあった。NADIFFで見つけた写真集(なのか作品集なのか)。Marylene NegroのEux/Themというすべてマネキンの顔写真の写真集だ。セール品で500円ということもあったが、ふと見てから戻せなくなってしまって買ってしまいました。何と個性のあるマネキンたち。もうひとつはopaのアートグッズショーで見つけた大野隆司さんの「ネコの手スタンプ」。これも買ってしまいました。わたしは肉球にめっぽう弱い。
 そんなわけで藍画廊で偶然お会いしたKさんにも何の脈絡もなくネコの話をして「ネコの手スタンプ」を見せてしまった。
 再び川田祐子さんの個展へ。今回もじっくり拝見させていただいた。この間拝見したときには、ストロークの色合いが見る角度によって変化するのを鑑賞しているうちに、その細部から抜け出せなくなってしまったという感じだった。今回はじっくり見ていくうちに全体的な色彩のコンビネーションとか配置とかが見えるようになってきた。細部を見ても全体を見ても、何度見ても新しい色彩を見出せるような気がする。見方によっていくつでも答えを出してくれるような深い絵だと思った。今度は横浜市民ギャラリーでグループ展があるようだ。そちらも大きな作品を展示するらしい。楽しみだー。
 その後、伊東屋で厚手(二枚重ね)のトレーシングペーパーのロールを取り寄せてもらうことにして(こちらは作品用の)、次には世界堂に寄って、こちらは本来のトレース用のトレーシングペーパーのロールを買った。矢切の喫茶店に展示する作品の制作をいよいよ開始しないといけない。
  ところで、土日の銀座中央通りの歩行者天国は道の真ん中を歩いて空を見上げられるのがうれしい。ときどき空の色や雲の濃淡、雲間から射す光の帯やらが人知れず視線が及ぶのを待っているのだ。今日は空と雲のブルーからグレーにかけてのグラデーションが見事だった。まるで絵画のような色彩だった。さすがに銀座の歩行者天国で道の真ん中を空を見上げて歩いているやつはあまりいなさそうだけれど。 

1/27
 島田雅彦と浅田彰の対談集「天使が通る」に「ベルリン天使の詩」について論じられているところがある。どちらかというと「ベルリン天使の詩」というよりは、それがベースとしているヴァルター・ベンヤミンの「パサージュ論」、「新しい天使」に関しての議論の方がわたしには印象が強い。その中の「ベルリン天使の詩」の図書館のシーンで、人々が黙読しているのがささやきのポリフォニーになるシーンの音響についてのちょっとした記述がある。そんなあたりを読んで、「ベルリン天使の詩」をレンタルビデオで借りて、カセットテープに音のみ録音し、何度か聞いていたことがある。「ベルリン天使の詩」はまさに音響によって成立している映画と言える。天使が人間に恋をするなんていう全体のストーリーはもはやどうでもよく、そこで多くの登場人物がつぶやいたり頭の中でつむぎだす言葉やそれらが重なった音韻こそがこの映画そのものと言える。天使が視点となり人々に寄り添っているモノクロのシーンは圧倒的に、そして切ないまでも美くしい。まさにベンヤミンの「新しい天使」のように、羽を風にあおられ、後ろ向きに飛ばされながら歴史に寄り添ってすべてのものを目撃し、記憶していくかようだ。
 なぜ今「ベルリン天使の詩」なのかというと、知人とのメールにふと自分でこの映画のことを書きだしたからだ。そんなわけでカセットテープに落としてあるその図書館のシーンを聴き直してみた。あのシーンはこの映画の中でも好きなシーンのひとつだ。
 そして、なぜかカセットテープがデッキから出なくなってしまった。デッキが壊れてしまったらしい。でもそのテープを聞くことには何の障害もない。「ベルリン天使の詩」専用のカセットデッキになってしまった。
 人からもらったものではあるが、「チェブラーシュカ」のシールを持っていた。ロシア、ボルゴグラード在住のウラジミール君はきっと「チェブラーシュカ」をテレビで見て育った世代だろうからと、シールを11月末に郵送した。メールで「郵送したよ」と知らせたのだが、まだ届いていないみたいだ。もう一度送ろうか。でも「チェブラーシュカ」のシールってどこにあるのよ。

1/26
 突然、無性にクロノス・カルテットの「紫のけむり」が聞きたくなって、CDを探しているうちに、何枚かの民族音楽のCDを発掘した。そういえばこれ買ってたっけ、というもの。イランの古典音楽なんかは買ったことすら忘れていた。ずいぶん昔収集した民族音楽のCDを聞き直してみることになった。一応クロノス・カルテットの「紫のけむり」は聞いたけれどその一回で終了し、探索はどちらかというと民族音楽を聞き直すためのものになった感じだ。楽器としての人間の声がいかに魅力的かを、それらのCDは教えてくれた。しばらく過去に収集した民俗音楽のCDのおさらいでもしよう。

1/25
 同居人がいたり、彼・彼女がいたりすると、少し体に変調を感じたりしたとき、相談したりすることができたりするらしい(「たり」過剰な文章だったりする)。

1/24
 たぶん誰でもよかったのだろう。偶然わたしが隣にいたから、わたしに話しかけただけなのだと思う。そういう意味では、帰りの電車で酔っぱらいから話しかけられてしまったようなものに近いのかもしれない。
 昼食後にコーヒーを飲んでいる席でのことだ。まあまあ時々仕事を一緒にしたりする男性なのだが、急にパチンコの話をしだしたのだ。と、いうか最初のところはよく聞き取れなかったのが、その身振りでパチンコだろうと想像したのだが。
 「宇宙戦艦ヤマト」とか「エヴァンゲリオン」が今は人気があるそうで、「夏物語」にも匹敵するのだそうだ。なんのことやらぜんぜんわかりません。ただパチンコ専門雑誌の電車の吊り広告を何の気なしに眺めていたり、パチンコ屋の前を通り過ぎるとき目にするポスターや幟などで、どうやらヤマトとエヴァがパチンコになにがしか関係がありそうなのは知っている。しかしそれがどういうようにしてパチンコのルールと結びつくのかだろう。パチンコは玉をなにがしかの穴に入れることにより成立するゲームだと思っていたが、そこにどういうようにしてなのか、ストーリーが絡んでくるらしい。
 って言うくらいにパチンコとは無縁なわたしにでも話を聞いてもらいたかったのだろう。どうやら彼は土日で計8時間パチンコ台の前に座っていたらしい。日曜日どこかに行った帰りに日ごろ通っているパチンコ屋の前を通りがかったら、土曜日に自分がやった台で玉がじゃらじゃら出ているのを見て、火がついてしまったらしい。で、二日で合計数万円分マイナスなのだそうだ。
 もちろん反対にパチンコに何時間もかける人にギャラリーや美術館で素晴らしい作品に出会ったときの高揚感をうまく伝えられるかは心もとない。
 わたしは「話を聞いてもらえるいい人」の役割を担う時がある。ただ聞くだけで答えは出さない。出せるわけがない。

1/23
 友人が絡んでいるアートフェスへの参加を打診され、会場の矢切に下見に行った。考えてみたら、千葉市美術館や川村記念美術館に行く程度で、常磐線は亀有止まりで、それ以上先に行ったことはなかった。千葉県全体の位置関係がわからないわたしにはよもや松戸市と市川市が隣接しているなどとは思いもしなかった。なので、矢切(えっと「矢切のたわし」?す、すみません)がどのあたりなのかもまったく不案内だった。
 友人が打診してくれた会場は、元は土蔵で、現在では一階を喫茶店として、二階をギャラリーとして使っている建物で、その一階の喫茶店の方だ。会場を見る前から天井部分に設置するのがいいのではないかと思っていたが、実際に会場を見て、やはりそれがいいだろうと確信した。
 昨年からの作品の傾向からすると少し違う方向で、どちらかというと2年前のハンモックっぽい展示方法になりそうだが、喫茶店に来た人には少し「あれ?」と思われるようなものにしたいと思う。この場合に大事なのは「あれ?」が少しであるということなのだ。いつもの空間が少しだけ変わるところを目指したいと思う。今のところコンセプト的には、大晦日の夜に見た「雪のやんだ月夜に雲は蒼く流れて星を瞬かせていた」様を表現できればと思う。
 それにしてもつくづく敬服するのはこういったアートによって人をつなげようというイベントを考える友人の企画力と実行力だ。わたしに話を持ちかけてくれたことには感謝したい。小品を片付けてからいよいよ本格的な制作に着手しようと思う。  

1/22
 御茶ノ水で乗り換えのついでに聖橋から電車が通るのをしばらく眺めた。丸の内線が地上に現れて堀を渡っていく。中央線が神田の方から緩やかにカーブしながら御茶ノ水駅に入ってくる。そして総武線が駅を出ると緩やかに上りながらカーブしていく。なんとも美しい。特に電車マニアではないけれど、この風景はなかなかいい感じだ。
 あるギャラリーで、
「イグチさんはどちら出身ですか?絵画ですか?」
と、問われて
「いや、実は全然違う方で。」
と、答え、そこで会話が少し途絶えてしまった。でもたぶんそれは自分からもっと追加説明もせずに、いつもと同じように自分から会話を組み立てようとしなかったからだろう。
 ある個展会場で、来場者が作家に話しかけていた。その作家の作風にまったく関係なく、奈良美智の名前を出した。どうやら80年代の奈良の絵を買ったらしい。「80年代の奈良の作品は今じゃ少ないらしいね。」となんだか特に奈良が好きだとかいうことでもないらしい。と、いうのもどういう絵なのか尋ねられて、人形やら犬やらをノートに殴り描きしただけのようなものだと、つまらないものっぽく答えていたから。なので奈良の知名度やら作品の希少価値が購入の理由なのだろう。いわば「投資」だ。しかし購入しても閉まっておくだけで、壁にかけて毎日鑑賞するわけではないだろう。もしかしたらずっと人目に触れられないでそのまま放置されてしまうかもしれない。
 そういう作品の購入の仕方に違和感を抱いたが、ある意味、「現代美術」が市場経済に「価値」を持って流通しているのだということの証左だとして、好意的に受け止めるべきなのかもしれないとも思った。その作家も「今は絵では食べていけないのでバイトをしているけれど、あと2、3年で食べるようになりたい。」などとも言っていたから、わたしのようにただ見に来ている者よりも、自分の絵を商品として見て、もしかしたら買う可能性もあるその来場者の方が大切だと思っているのかもしれない。
 Oギャラリーに伺い、与那覇大智さんと川城夏未さんの絵を受け取る。もちろんそのまま閉まっておくわけではなく、当初の計画通りの位置にすぐに壁に飾った。それらの絵を毎日見られることは本当に幸福だ。

1/21
 朝、出勤途上の市ヶ谷の坂に車に轢かれた小動物の死体があった。灰色の毛と赤い血。頭上ではカラスが数羽一定のトーンで鳴いていた。その小動物が何だったのか聞かないで下さい。それを見つけてた瞬間から動悸がして、そちらを見ることができなくなってしまったのだから。
 夜、吉祥寺のライブハウスでの「わがままな月」のライブに行った。
 なんとそのライブハウスにはスーツ姿の司会者がいるのだ。ちょっとした違和感を抱きつつ、わがままな月の順番となる。今回はギターとパーカッション。これがまたなかなかいい感じのアンサンブルで、とてもとても満足。
 で、その次に出てきたのはさっきまではピンクのミニのツーピースで司会をしていた女の子。今度はグリーンのミニのワンピースにハート型のギターを持って登場。観客席にいた不思議な雰囲気(トレーナーにジーンズ姿かおじさん層)のお客さんたちがいっせいに盛り上がり始めるわ、写真を撮り始めるわ。昔のアイドルの親衛隊よろしく掛け声をかける。曲も昔のアイドル路線。保健室がどうとかっていう歌詞が聞こえる。ありゃりゃ〜。一曲目は耐えた。二曲目の途中でトイレに行き、そこから出口に一直線。違和感がピークに達してしまった。すみません。わたしはそんなに心は広くないし、ミュージック・シーンの動向を幅広く調査しているわけでもないので。
 会場を抜け出すときにめぐろゆかさんがわたしに気がついて、一緒に会場を出ることになり、外で少しお話をする。パーカッションを入れたアレンジがなかなかよかったことを伝えると、やはりそのパーカッションをバンドに誘おうとしているとのこと。それはアンサンブル的にまったく正解だと思う。ぜひいい方向に進んでほしいものだ。でもってレコーディングをして次のCDを出してください。
 帰り道は満足感で鼻歌など歌いつつ。「冬の大六角形」の中に月が入り込んでいるのを見上げながら、冷たい風に急ぎ足で帰った。

1/20
 Mさんと高円寺の小さなフランス料理屋さんで会食。Mさんと会うのは3年ぶり。Mさんは年末年始パリでフラヌールしてきたばかりだという。パリの街を歩き、自分のメモ帳に歩いた道を描きこんでいく。なんて素敵な旅。うらやましい限りだ。
 話はパリの街歩きの話(パリには一人暮らしのおばあさんが結構いて、一人でビストロで食事していたりする姿をよく見かけたらしい)や、映画のこと(「戦争のはじめかた」や「ベルリンフィルと子どもたち」など)や共通の知人の近況などから最近注目のアーティストなど、話題は最近のことだけでも盛りだくさん。料理の方もオードブルとスープで結構おなか一杯になったのに、メインディッシュの鯛がこれまたおいしかったので、すんなり入ってしまった。
 で、お別れするときにMさんのベトナム旅行の大冒険譚を聞きそびれていたことを思い出した。それはまた次の機会ということで。しゃべりすぎて声が枯れてしまった。

1/19
 職場のおじさんたち(といってもそれほど年は違わないのだが)とコーヒーを飲んでいたときのこと。
 話題が「オレが行った定食屋の量の多さ」自慢でひとしきり。
 どこどこの店に行くとどんぶりもののご飯の量が普通の1.2倍の上に、さらにそれにざるそばが普通の1.2倍付いてくるだの、学生時代に行ったところのアジフライ定食のアジの大きさがどうだったとか枚数がどうだったとか。でもどこどこの定食を注文してそれと比較して多かったら、そこで初めて量が多いと認めてやるだの。
   あ〜あ。おとこってなんてつまらないイキモノなんだろう。

1/17
 なんだか気分的にゆるい感じがしたのだが、職場のトイレに入って気がついた。ベルトをするのを忘れてスーツを着てきてしまっていたのだ。社会人になってこんなの初めてだ。いったいなんで?
 夕刊にヒロシマの原爆投下3時間後の写真を撮った松重美人さんの死亡記事。92歳だった。よく生きていてくれたものだ。彼の写真によって初めて世界は原爆投下直後の街の、人々の惨状を見ることができたのだ。ご冥福を祈りたい。
 10年前のこの日、「なんだか関西の方で大きな地震があったらしい。やっぱり関西は地震があんまりなくて慣れていないから、それで大騒ぎしてるんだろう。」くらいの話を午前中はしていた。が、昼時になって犠牲者の桁違いの多さに耳を疑った。
  この日は毎年やってくる。今年は10進法の世界でちょうど切れのいい年でしかない。だからメディアが「節目の日」だのなんだのと言うべきではない。それは当事者のみがその数字に関わりなくそう感じたときに言っていいものだ。6433人分のストーリーがあるのではなく、6433人の個々の人々の記憶を持つ人の分、ストーリーがあるのだと改めて気がつく。

1/16
 朝から小品の制作をした。結構じっくりと制作をしたのだが、最後に組み立てたところで失敗だったことがわかった。しっかりと計算して細心の注意を払って組み立てるか、融通が利くような形にして最後に補修できるようにするかどちらかにしなければならないのを、中途半端に計算して作成したからまずかったのだ。まあ5時間程度の作業だったが、しかし一日が短く感じられてしまった。
 今年に入ってから固めで厚めの雑誌を読んでいた。確かに現在の社会状況は惨憺たるものではあるが、それに関する内容の雑誌を読んでいるうちに頭がかなり乾いて固くなってしまっているような気分になってしまった。少し潤いがほしくなって、しばらくは小説を読もうと思い始めた。

1/15
 徒歩10分程度の耳鼻科医に10時ごろ行ったら、待合室が子ども連ればかりだった。子どもはエネルギーのセーブの仕方を知らない。親はそれにときどき反応するかすっかり放っておくかだ。そんな中で小学校一、二年生くらいの女の子がしっかりと背筋を伸ばして絵本を読んでいた。その姿は美しくさえあった。後ろから覗いたら、その絵本は「ポーリーヌ」という少女が主人公だった。
 午後になってからギャラリー巡りをする。
 今日のメインのひとつはSpace Kobo & Tomoの小谷野夏木さん。何年前だったか、タイトルが外国の女性の名前だったりする絵画を発表しているときから見ている。彼の色使いが好きだ。
 が、今日の本当のメインは川田祐子さんの個展だ。今日は冷たい雨なので、あまり来場者がいなくてじっくり拝見できるか、反対にみんながそう思ってかなりコアな川田ファンがじっくりと滞在時間の長い鑑賞をするかのどちらかだろうと思った。で、どうやら後者のようだった。会場には川田さんがいらして、一通り挨拶をして、鑑賞させていただく。前回に比べて色彩がさらに融合していて、一層素晴らしい作品になっている。立つ位置を変えると浮かび上がってくる色が変化する。奥の白銀箔が瞬く。何度見てもそのつど新しい色の変化を感じる。どうやら韓国の筆との出会いがこの進展を生み出したらしい。色彩の全容を見極めることがなかなかできず、このまま鑑賞終了というわけにはいかなくなってしまった。日を改めてみればまた違った色彩に出会えるかもしれないと思い、再度伺うことを約束してギャラリーを出た。色彩の組み合わせの発見にわたしはとても高揚し、ときめいた。
 帰りに寄ったギャラリーで偶然であったK君にも川田さんの個展を勧めたし、帰宅してから何人かにメールで見ることを勧めた。最近川田さんのHPを紹介したところ、カタログ「一雨潤千山」が欲しいと言っていた知人がいた。月曜日には彼女にカタログはもちろんいいが、実物をまずは見に行きなさいと言おう。
 

1/14
 二日続けて同じ夢を見た。なんとも黙示録的な夢だった。たぶん核兵器が使われたのだろう。地上は焦土と化し、空には核兵器を投下した巨大な物体が浮いていた。わたしは漂いながら、煌々と燻り続けて熱風を吹き上げる地上を見下ろし、赤く底を照らされている巨大な物体を見上げていた。しばらくすると空中の物体も爆発して消滅した。
 退社後、Gallery ART SPACEで内海聖史×田尻幸子展を見る。壁一面の絵画と麻の細い繊維を部屋一杯に張り巡らした作品のコラボレーション。それぞれの作品が相乗効果により、実に素晴らしい空間に仕上がっている。後から後から来場者が増えてきて、じっと作品を見ていることができなかったのが少々残念だが。
 Gallery ART SPACEから出たところにあるアート系書籍を扱う小さな店の店頭に、セール品でポール・ボウルズの写真集が840円で売られていて、思わず手に取ってしまった。ボウルズが撮ったモロッコの写真や奥さんのポートレートなどさぁっと見て、写真集を閉じようとしたときにふと気がついた。閉じようとした写真集の表紙にかかっているビニールカバーが扉の裏側に光を反射させて、不定形な光の輪をいくつも作り出しているのだった。表紙の角度を変えてみてその光の輪の形が変化する様を観察した。
 昨年の3月に神奈川県立近代美術館で池の水面の反射が天井に不定形な輪のようなパターンを作っているのを見たときと同じような感覚を味わった。同じ効果を活かせるような気がして、帰り道、いろいろと練ってみた。

1/10
 ユーロスペースで「キス・オブ・ライフ」を見る。この映画は元々リストに載っていなかった。だってコピーが「あなたが最後にキスしたい人は誰ですか」なんだもの。それにコメントが「江原啓之(スピリチュアル・カウンセラー)」(何者?)なんだもの。ユーロスペースご乱心か?とか思ってしまっていた。だが、内容や監督の経歴、出演者などを知り、見たくなったのだ。
 エミリー・ヤング監督はキェシロフスキも学んだポーランドの映画学院で学んだということで、やはり映像はイギリス映画というよりはキェシロフスキやザヌーシなど東欧系の肌合いが感じられた。
 一人の女性が交通事故で生と死の狭間を漂い、その夫である男性はUNHCRの難民救済の仕事をしているボスニアからロンドンの自宅へ帰ろうとして、ボスニア、クロアチアという生と死の狭間が日常化した地をくぐり抜けようとしている。女性のいる生と死の狭間と現実世界と過去の記憶が入り乱れ、過去のささやかな記憶の風景が、生と死の狭間からはとてもかけがえのないものだったことが思い返さる。そしてお互いの感情のすれ違いを悔恨する。最後はふたりの魂は出会い、抱擁し、お互いの思いが交感され、女性は死へと赴くという映画だ。またわたしは泣いてしまいました。ボスニア、クロアチアの破壊された廃墟の、秋の物悲しい風景がなんとも美しかった。
 その後、オーパに行き、藤波さんとまるで試験勉強のようにetc.を見て情報交換をする。ギャラリー巡りの間にでもと、「皮むき不要の天津甘栗 そのままぱっくりりん」をいただく。ちょうどおなかがすいていたので、いただきました。おいしかったです。藤波さんどうもありがとうございます。
 その後Oギャラリーの小品展へ。なかなかの力作揃いでとても充実していた。川城夏未さんの作品は、去年の二月に拝見して、とてもとても気に入ったので、次に拝見したときにはぜひ購入したいと思っていた。今回はアクリルとパステルで、去年見た油彩と蜜蝋とはやや違っていたが、しばらくは個展をする予定はないそうなので、その場にかかっていた二点と後から出していただいた二点から選ばせてもらった。とても悩んだが、一番最初に惹かれた壁にかかっていた作品を選ぶことにした。大野さんに拍手されたので、いいチョイスだったのかも。それから去年の個展の時に悩んだ与那覇大智さんの作品も一緒に購入。でもそれぞれ5,000円なので、いい買い物だと思うけれど。会期が終わってから作品をいただくことにした。どこの壁に飾るかはもう決まっている(川城さんの作品は買う前から決まっていたけど)が、飾ってからがとても楽しみだ。

1/9
 10時ごろから小品制作。午後2時ごろ一旦休止して、三鷹リサイクル市民工房へ再び徒歩で40分かけて行く。そこでは月に一回、粗大ごみとして出されたものをリサイクルで低価格で売っているのだ。そしてわたしは椅子がほしいのだ。戸棚とか鏡台とか並んでいる中に発見。テーブルと椅子二脚のセットで2,000円。驚くほどの価格。なんだけど、今回もテーブルとセットなのだ。しかもテーブルは折り畳み式ではないので閉まっておくわけにもいかない。まあこれから何度か足を運んで、条件に合うものがあったらということにしよう。そういうわけでまた徒歩40分の帰り道。いつも散歩しなから思索を重ねたのはカントだったっけか?せっかく40も分歩くのだから、HPのプロフィールをもう少しコンセプトをはっきりさせて書こうと文案でも考えようとと思ったら、ほとんど何も考えていなかった。かなり足早に歩いていたからか。
 帰りに古書店「上々堂(しゃんしゃんどう)」に立ち寄る。エゴン・シーレのちょっとした画集があって気になったが、買うのはやめた。昔の現代思想やユリイカ、エピステーメーなんかもあり、なかなか楽しく時間を使わせてもらった。この古書店は絵本もなかなか充実していて、遊びに来ると結構時間をかけてしまう。今回はも時間をかけてしまった。そして何もかわずに帰った。
 ところで本屋って好きだけど、やはり陳列はとても大事だと思う。池袋リブロはなかなかよろしい。新宿南口の紀伊国屋の陳列は下手だと思う。上々堂はなかなかいいです。ときどき変えているみたいだし。

1/8
 恵比寿ガーデンシネマで「イブラヒムおじさんとコーランの花たち」を見た。
 パリの下町のユダヤ系、アラブ系、アフリカ系の人々が行きかいすれ違う下町が舞台で、ユダヤ系の少年とトルコ系のおじさんの交流の話。60年代のパリ下町の生活も描写されているし、後半、おじさんと少年が車でトルコに行くとき、イスタンブールでカトリック教会と正教会とモスクを匂いで描写していたり(カトリックはロウソク、正教会は香辛料、モスクは靴を脱いで入るから足の匂い)、スーフィーの旋回舞踏も見られる。他者との交流、寛容を想起させるいい映画だった。
 映画館から出るとき、ちょうど知り合いの彫刻家のT氏とすれ違った。大きな声で人を呼び止めることをしないわたしは、相手がこちらに気が付いてくれないとその人とは出会ったことにならない。T氏はまったくわたしに気づかずに映画館の中に入っていってしまった。きっと「モーターサイクル・ダイヤリーズ」を見に来たのだろう。全共闘世代で、闘士だったころの話を聞かせてもらったことがある。彼はゲバラと同時代を生きた人間として、この映画に興味を持ったのだろう。「熱い人」だからゲバラのことも映画のこともそれなりに語ってくれるだろう。今日、出会ったことになっていたらの話だが。
 開演前にまた「ビフォア・サンセット」の予告編を見る。ああ、思い出した。わたしのひげは(しいて言えば)イーサン・ホークをまねしてたんだっけ。予告編の中でのイーサン・ホークはちょっと渋い、いい感じになってきた。
 東京都写真美術館で日本の新進作家のグループ展と19世紀末から20世紀前半にアメリカ社会の問題摘発のために写真を用いた、ソーシャル・ドキュメンタリーの展覧会があった。ソーシャル・ドキュメンタリーの方は、たかだか100年前のニューヨークの貧民街や移民の悲惨な生活環境、児童労働を告発ドキュメンタリー写真だ。4、5歳の子どもが母親と一緒に紡績工場で働いていたり、11歳くらいの男の子が旋盤工として働き、誤って指を切断してしまっていたり。それらの写真を見た人たちの心を動かし、結果的に社会を変えていく力となった(のだそうだ)。まるでセバスチャン・サルガドの中南米やアフリカで撮影した写真が横軸(地理的な広がり)であれば、これらの写真は縦軸(時間的な広がり)となり、現在のたった数パーセントの豊かな生活をしている人々の影を映し出しているようにも思えた。
 隣で同じテンポで見ている人をふと見たら、ピーター・バラカンだった。こういうのにも興味があって見に来ていたのかと思ったら、その後にトークショーが催される予定らしかった。でも時間潰し以上の熱意を持って、確かに彼はしっかりと見ていましたよ。
 土日にはJA三鷹(駅前商店街の一角)の前で近郊の農家が屋台のようにして野菜を売っているのだが、今日は帰宅途中、そこでブロッコリーとほうれん草を買った。そのとき、売っているおじさんに「だんなさん」と呼ばれた。そんな呼ばれ方されるの初めてだ。その後しばらく「だんなさん」という言葉にオートリピートがかかってずっと頭の中で繰り返された。だんなさん、だんなさん、だんなさん。だんなさんってなんだ?    

1/7
 お昼は職場の近くのお店で。わたしはアコウ鯛焼きで、一緒に行った人はサバ味噌煮。食に興味がないということで知られているわたしだが、このお店のお魚はとてもおいしくていつも満足。アコウ鯛を以前食べたのは今年度前半のあまり体調のよくなかったときで、今回は体調もよくおなかもすいていたので、味覚の幸福を思う存分味わった。
 退社後に江戸東京博物館で「大(Oh!)水木しげる展」へ。「土日は混雑するので平日にお越しください。特に木金は夜8時まで開場しています。」なんていう言葉がHPに載っていたものだから、それに釣られて行ったら、やっぱり混んでました。水木しげるの半生を漫画で辿っていて、その時代時代の作品(ドローイングや絵本などもあり)も見られるという展示。まあ、水木しげるファンには、水木しげるの人となりとか半生と作品の関連性など理解できるようになっているわけだ。ではわたしは水木しげるのファンか?大ファンではないが、文庫本化した彼の漫画を結構持っているので、少しはファンということになるのだろうか。妖怪は昔の日本の社会にはいたるところにあった「アイダ」の住人だしね。図録は買わなかったが、なにか記念になるものが買いたくなって、鬼太郎のキャラクターがクリップになっているものを購入。でもこれはここでなければ買えないものではなさそうだけど。  

1/3
 朝から小品制作。一段落してから簡単な掃除。
 夕方、映画『戦争のはじめかた」を見に有楽町に出る。
 ベルリンの壁崩壊直前の西ドイツの米陸軍基地内の荒廃ぶりをブラックに描き、「平和な時、戦争は自ら戦争をする」(ニーチェ)さまを描いている。物資の横流しや麻薬密造、ドラッグでハイになった状態で戦車を市街地に乗り出すなんてことはほとんど実話だったらしい。この映画はいわくつきで、アメリカの映画配給会社が配給権を買った翌日が9.11だった。それでアメリカでの公開が5回延期されたらしい。比較的リベラル(だとわたしが勝手に思っている)サンダンス映画際で2003年1月に上映されたときにも、監督にペットボトルが投げつけられたらしい。その二ヶ月後イラク戦争が開始。2003年7月にアメリカで公開されたときにも数都市に限定されたものになったらしい。「自由と平等の国」での話。原作のロバート・オコナー「バッファロー・ソルジャーズ」を読んでみたくなった。
 さて、これで年末年始もおしまい。今年は週末とちゃっかり重なってしまったため、「おいしい日程」にはならなかったのが惜しい。
 結局休み中、意味のある会話をしたのは、電話で二回母と話をしたぐらいだった。静かな休みだった。

1/2
 午前中ゆっくり寝てしまったので、朝食を摂って早々に制作を始める。お昼過ぎに少し買い物がてら散歩に出かける。昨日行った陸橋(三鷹電車庫跨線橋)へと向かった。陸橋の階段を登りきると、雪をかぶった富士山が見えた。空色の朧気な陰影をまとった姿が遠く見え、秩父の山々も広く見渡せた。陸橋の線路のちょうど上あたりに立ってみると、電車が走って行く時、足元を通り抜けるようで結構迫力があった。今日は親子連れなど三組が陸橋の上で電車が通り過ぎるのを眺めていた。
 映画でも見に出かけようかと思っていたが、そのまま制作を続ける。夕方、再度散策に出かける。星はすでに出ていて、オリオン座とともに、最近ようやく見分けられるようになった「冬の大三角形」を探した。冬は星空がきれいだ。しかし星空に星座を求めて眺めるなんてこと、今までにあまりなかった。星座が読めるようになったら、夜空に対する理解がずっと進むだろう。以前友人が木々に囲まれた中で「もし花や木の名前がわかっていたら、今よりもずっと世界が広がるはずだ。」と言っていたが、それと同様だろう。わたしたちは言葉で考える。名前をつけることで世界を把握しようとするのだ。
 夜も制作をして、一段落して再びベランダに出て南の夜空を眺める。  

1/1
 日付が変わったあたりで電気を消してロウソクに火を灯した。夏至の日と冬至の日に行われた「キャンドル・ナイト」を個人的にやってみたかったのだ。窓の外から除夜の鐘の音が聞こえる。どちらからなのか確かめるために窓を開けようと、カーテンを開けてみた。星の輝きがいつもに増して明るくなっている。いや夜空自体も明るいのだ。窓を開けてベランダに出てみる。昨日の雪で大気がすっかりきれいになったためか、満月でもないのに月が明るく夜空を照らしている。空に浮かぶ白い雲が流れていくのが見える。ちょうど南の方角、オリオン座の横あたりに大きく輝く星が見える。早速ネットで調べると、それこそがシリウスだった。シリウス、オリオン座のベテルギウス、こいぬ座のプロキオンをつなげてできる「冬の大三角形」も見える。心地よい冷気にあたりながらしばらく夜空を見上げていた。白く厚い雲が横切り、何度か星は姿を消しては再び現した。除夜の鐘は二ヶ所から近くからと遠くからと響いて聞こえてきていた。キャンドル・ナイトを一時間くらいで切りやめて就寝。
 起床後、朝食をとりながら新聞を読んだりして、一段落してから小品の制作に入る。午後4時を過ぎてそろそろ日も翳ってきたところで、散歩に出る。井の頭公園まで行き、池の周りを少し歩き、それから玉川上水沿いに三鷹駅まで出る。そこから線路にかかる陸橋(三鷹電車庫跨線橋)に行く。ここは太宰治が弟子に「いい所がある」といって連れて行っていたところらしい。電車が通るのが見えるし、太宰が生きていたころは今ほどビルも建っておらず見晴らしもよかっただろう。
 もう日も沈んでしまい、星が見えていた。夜空を見るにはいい場所かもしれない。今度は明るいときに来よう思って陸橋を降りようとした。階段のところまで来て、夕日にシルエットで富士山が見えた。ここの陸橋からは電車が少し近くに見えすぎるし、線路もほぼ直線だ。わたしとしてはそこらへんが少し物足りない。東急ハンズ新宿店の前のサザンテラスの陸橋や御茶ノ水橋はなかなかいい。適度な高さから電車が見えるし、線路が緩やかにカーブしていて、電車がなんともセンシュアルに曲がっていく。「列車はエロチックだ」と言ったのは誰だったけか。「存在の耐えられない軽さ」のサビーネだった。なんて元旦からこんなことを考えながら1時間強の散歩を終えた。
 夜もまた小品の制作。制作中、買ってから1〜2回程度しか聞いていないCDを重点的に聞いた。そうしたら同じCDを二枚買っていることが発覚。しかも並べておいてあった。まったく気づかすに置いたのか、自身、注意喚起のために並べて置いたことを忘れてしまったのか、その点は不明だ。
 今頃になってようやく気がついたことがある。コミュニケーションの中で情報伝達は多くがノン・ヴァーバルな部分で伝わっている。メールで使う絵文字や記号の組み合わせ(たとえば「レゝ」で「い」を表すとか)は、このノン・ヴァーバルな部分を作り上げようとしているのではないか。わかりきったことにようやくたどり着きました。元旦早々ですが、新聞の野村萬斎と宮部みゆきの対談を読んで理解できるようになったわけです。


タイトルは「マトリックス」の中で出て来るセリフらしいですね。実はわたしはこの映画をテレビでチ ラチラとしか見ていないので、どこで出てくるのかよくわかりません。わたしはスラヴォイ・ジジェクによる テロとその後の戦争について論じた文章のタイトルとして知ったのでした(現代思想臨時増刊「これは戦争か」より)。
なお、画像は島田雅彦の「ミス・サハラを探して」(KKベストセラーズ) の中のチュニジアの砂漠の写真(撮影;中島誠)を無断借用しました。