イグチトシオがふと考えたこと、感じたことを書き留めておきます。念のために再度申し上げますが、見せたくない部分は書かず、こういう所を見てほしい、こう見られたいというところを書いています。
当然真実のみが書かれているわけではありません。

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2005年7月1日〜9月30日


9/30
 80年代、ローリー・アンダーソンはわたしにとってはスターの一人だった。だから準備で忙しくても一応展覧会には行きたかったのだ。でもすべてをじっくりと体験することはできなかった。そこら辺が非常にもどかしかった。材料の買出しをするついでにという言い訳がましい理由付けをしてICCに行ったのだが、できればもっとしっかりと理解できるように時間をかけたかった。
 おっと、今日で9月もおしまいじゃん。

9/29
 だましだまし使っていたバッグのファスナーがついに完全にいかれてしまった。ネットでカバン修理を調べてみたが、ファスナーの部分の修理でも馬鹿にならないほどのお値段になりそうだ。そのくらいだったら別のものを・・・なんて考えてしまった。この夏、ワタリウムのショップでフライターグのバッグを特集していた。売り場のあんちゃんの話を小耳に挟んだところによると、カールステン・ニコライもフライターグを愛用しているようで、来日時はフライターグのバッグひとつだけでやってくるようだ。でも「今大人気のフライターグ」なんてネット販売のサイトを見たりすると、すっかり伸ばし始めた食指も元に戻してしまう。せっかくだからサラリーマンが持たなさそうなバッグをアートショップで見つけて買い換えようか。

9/28
 朝の電車で席の隣に変なサラリーマンのおじさんが座った。ため息混じりに独り言をつぶやいている。
 「ああ、もういやだ。疲れすぎて気持ちが悪い。もうやってられないよ。だめだもう。」
 ずっとこんな感じだった。その割りに新聞をじっくり読んでいたので、そうやってネガティブな言葉を吐き出すことで逆に自身の中からネガティブさを追い出そうしているのかもしれない。でもやはりそれだけネガティブになってしまう毎日なのだろう。
 隣で本を読んでいたわたしはページを繰る自分の指先を見た。深夜まで作業をしていたときにバーントシェナーとイエローオーカーを混ぜた赤レンガのような色が爪の間にわずかに残っていた。昨日先生にもお話したように、辛くなったり不安にさいなまされたりしても、それは好きなことをしているのだから、こんな幸せことはないのだ。
 玉川上位水沿いに彼岸花が咲いている一角があった。

9/27
 ふと思い立ってお花の先生のお見舞いに行った。以前の病院から別のところに移られて以来、初めての訪問になる。先生の入居している個室でゆっくりとお話をした。一時間以上、それこそ政治経済国際情勢までお話が及んだ。
 先生の印象に残る言葉は「わたしの人生の最初の方はずっと戦争ばっかりだった。だから本当に戦争はもういや!」
 来年先生は90歳になられる。その歳月の断片が時々鮮やかにイメージされて、「生」の重みに押しつぶされそうになった。

9/26
 いつも持っているバッグのファスナー部分が壊れてしまった。こういうときどうしたらいいんだろう。愛着は特にないものの、それなりに長年使って丈夫なものだから、そこだけ壊れたからといって買い換えるのももったいない気もするし・・・。
 吉祥寺の駅を降りて井の頭公園方面に向かって歩いているとき、通りでスーツを着たあんちゃんに声をかけられた。
 「カマクラいかがっすか〜?」
 鎌倉〜?!
 いや、キャバクラの聞き間違いだった。いい国造ろうきゃばくら幕府。

9/25
 作業が一段落してから鷹の台の松明堂ギャラリーの木下晋展に出かけた。絵本「ハルばあちゃんの手」の原画の展示だ。「ハルばあちゃん」のモデルになった能登半島の曽々木海岸に住む川端きんさんの弥勒菩薩のような横顔の作品もあり、充実した個展だった。絵本「ハルばあちゃんの手」もあり、それのページを繰っていたら思わずぐっと来るものがあった。数日前に電話で母と話をしたとき、この絵本を買って送ると約束をした。
 だいぶ涼しくなった。もう夏も終わりだ。しかし制作に打ち込むとその期間中の時間の観念がすっかりなくなってしまう。今が何月なのか時々わからなくなる。個展が終わったらもう一度夏が来るような錯覚もある。

9/23
 朝から作品の組み合わせ作業をする。一段落して外出することにした。
 ギャラリーYORIに行こうとして井の頭線の池の上から歩くことにした。この間の帰り道を逆に歩くことになる。家を出る前に地図で確認したのだが、駅を降りたところではっきりと覚えていないことに気づく。いただいたDMを取り出そうと思ったら、地図で確認した際、そのままテーブルの上に置いてきてしまったことに気がついた。コンビニで地図で何度も確認し、方向を確認して歩いていったのだが、ギャラリーの住所がわからないために少しうろうろしたが、運良く角の看板を見つけ、無事に到着できた。
 城戸依子さんのブロンズはチェスの駒のような大きさであり、軽やかなフォルムのため、持ち上げるとブロンズの重さに驚いてしまうほどだった。ギャラリー内ではいろいろと話が弾んで、どこからともなく聞こえてきたチャイムで午後5時になったのに気がつき、失礼させてもらった。
 オペラシティーギャラリーの難波田龍起へ行く。観客が予想外に少ないのに驚くが、その分じっくり鑑賞できた。

9/22
 中沢新一「アース・ダイバー」読了。縄文時代の温暖期の地形を現代の東京の地図に重ね合わせることにより、その土地に太古から堆積してきたものが現れる。 23区内を自転車で走るとわかるが、東京はかなり起伏に富んだ地形を持っている。これは縄文期に海と陸地が複雑に入り組んでいた地形の名残なのだが、当時の陸地の先端は特別な場所と考えられ、その心情が今でも残り、「死」の漂う場所となっている。その地のかつての地形の持っていた力により、今現在のその地の色が 特徴づけられるという。新宿然り、浅草然り。渋谷然り。東京タワーや大学の立地場所も「死」の漂いとつながりを持つ。中沢新一特有の「地の力」による呪術的な表現には「ほんまかいな」と思いつつも、なかなか面白い都市論にページがどんどん進んだ。
   

9/20
 退社後、アートリンクのマップを追加でもらいにギャラリーKINGYOに行った。そこでやっぱり作品の量は少なくないし、追加で作ったところで、位置関係からしてどこにも置けないということが明確に把握できた。
 そんなわけでせっかく途中まで作ってはいたのだが、やめることにした。

9/19
 ずっとギャラリーの広さに比べると作品の量が少ないんではないかと悩んでいたが、今日、ついにもう一組作ろうと決心した。
 制作がひと段落してから亀有のギャラリー・バルコに行った。榊原さんはお仕事だそうでお留守だった。お義父さまがいらして、少しお話をさせていただいた(といってもこの間の選挙結果についてのお話ですが)。「亀の子だわし 西尾商店」の前掛け(昔ながらの紺色のやつ)がかっこよかったので、購入させていただいた。
 結局この連休は作品の組み合わせに悪戦苦闘して、難しい部分は今度の連休に解決するよう先延ばしすることになった。

9/18
 今日が満月だということは知っていた。
 夕方ハンズと世界堂に材料の買出しに行った帰り道、満月を見ながら歩いた。
 夜、「アイスクリームと葡萄でお月見をした」というメールをいただいてから、ベランダに出て頭上にある満月をしばらく眺めた。しばらくしたら「ウ〜ン」と蚊がやってきたのでボーとするのをやめて室内に逃げ込んだ。

9/17
 朝からシートの組み合わせをしているのだが、なかなか悪戦苦闘している。この連休中、組み合わせの作業の次の作業まで考えていたが、はたして組み合わせの作業自体終了できるかどうか・・・。いつもこんなふうにして最終段階で大変な思いをする。なかなか学習できないものだ。
 夜ETV特集で木下晋氏の特集が放映された。この夏は能登の曽々木海岸に住むおばあちゃんをモデルに鉛筆画の制作していたらしい。今日から松明堂ギャラリーで個展が開催されるようだ。忙しい時期にあたってしまったが、ぜひ行かねば。
 それにしても老いて皺だらけになった表情のなんと豊かなこと。以前知人の写真家の写真展で、老いた手の表情の豊かさについてその写真家と語り合ったことがあった。彼は大野一雄氏の手のアップだけの写真集を出したいと語っていた。出版されたらわたしは絶対買うだろう。その後「今度飲みに行きましょう。」とお葉書をいただいた。いろいろと面白いお話が聞けるだろうが、なにせ飲まないので・・・。飲める友人を誘って、「飲み」担当を任せ、わたしはもっぱら話を聞くってところで手を打とうかな。

9/16
 今日は夏休み。火曜にDMが納品されてからずっとDMとアートリンクのマップの発送作業。今日の午後三時ごろになってようやく一段落。これだけの方に自分の作品をご覧いただいているということは、貴重な財産だ。
 その後、DMを置かせていただくお願いをしつつギャラリー巡りをする。
 ギャラリーGANの大西久さんはシンプルな図像を淡い色彩で描いていてとても好印象を持った。 かねこ・あーとギャラリーの梶田孝史さんは以前は針金を用いたインスタレーションをされていた方で、前回から金網を前面に置いた平面作品を発表されるようになった。キャンバスの色彩と金網のたるみと色彩の重なり合いがホログラムでも見ているかのような効果を上げている。前回よりもさらに大きな作品となり、その目眩を起こすような印象がより一層効果を上げている。非常に面白い作品だ。
 帰宅後はカッティングし終えたシートを組み合わせて搬入まで置いておくための制作場所と保管場所を確保するために、部屋の中を整理(ただモノを移動させただけか)。

9/15
 たとえば60歳で自己表現の活動を始めたとして、80歳で20年のキャリアを持つことになる。しかし明らかに一般的な80歳を越えた表現者とは異なる瑞々しさを持っている。そんな方がいらっしゃるのだ。
 帰りの玉川上水沿いの道で小動物がのっそりと顔を出して道路を横切っていった。イタチ?テン?驚いて立ち止まったわたしとゆったりとにらめっこをして、それから道路を横切って反対側の歩道にたどり着き、そちら側でもチャリンコに乗るあんちゃんを驚かせ、まったくなんの気負いもなくどこかにのんびりと小走りで去っていった。ペットが逃げたのか、捨てられたのか。それにしてはごく自然に生きているような、妙に切迫感のない印象だった。

9/14
 この世を80年以上見られてきた方には、今の世は60数年前と同じ空気を感じるらしい。「心のノート」に、あの時代に手渡された「修身」を想起させられるのだそうだ。いやいや、「心のノート」は「修身」を踏襲したものだから、そう思ってしまうのも当たり前なのだ。

9/12
 夏休みを取って制作。
 午後制作が一段落したところでようやく念願の大沢地区に自転車で行くことにした。水田にイネが育っているところを写真に撮ろうと思っていたのだが、すでに稲刈りも 終わり干されていました!一番最初に行こうと思ったときに行ってりゃよかった!そんなわけでざっと自転車で野川のほとりを走って戻ってきた。
 選挙結果に対する感想ですか?ものすごい恐ろしいことになってしまった。2/3という数字を聞いてすぐに「改憲」という言葉が浮かんでしまった。
 シングル・イッシューでこれだけ議席を取ったんだから、郵貯や簡保の340兆円を神の手に委ねて外国(っていうか米国)資本にさんざん食い荒らされて赤字国債の補填ができなくなって消費税率を上げて穴埋めをする羽目になってもいいから、そのシングル・イッシューだけに専念してくれ(ここまでくるとシングル・イッシューじゃないか。さすが「いっぱい波及効果があるんです。」って言ってただけある)いやいや野党側が「あたかもひとつのことだけが争点のようなこと言って、それじゃあ他のことは白紙委任なのかってそんな虫のいいことできませんよね、みなさん。」とさんざん言っていたのに、これだけの議席を取ったんだから、国民のみなさんは他のすべても白紙委任したってことなのかもしれない。南無。
 カッティングは本日にて終了。

9/11
 制作が一段落して大沢地区にでも自転車で行こうと思ったら、強風が部屋の中に入り込んできた。空を見ると暗い雲が見える。きっと雨が降るんだろうと思ったら、案の定、しばらくしたら雨が降り始めた。それで自転車旅行は取りやめた。
 傘を差して投票所に行って投票を済ませ、その足で井の頭公園まで行き、池の周りを一周して戻ってきた。
 選挙特番は事前予想に愕然としていたので、一切見ないことにして制作に打ち込んだ。
 ところでわたしは最高裁裁判官国民審査も経歴や主な裁判を参照して、わたしの信条に違う方には×をつけさせていただいている。今回は6人のうち4人に×をつけた。

9/10
終日制作。

9/9
 退社後、銀座−京橋のギャラリー巡り。
 大塚ゆかこさんの平面に登場するキャラクター、まちこちゃんが架空の街を散歩するようになって、背景がサンドも混ぜて重層になった。それから銅箔を使った新しい方向の作品も出てきて、なかなか今後が楽しみだ。今回初めて知ったのは、まちこちゃんは「街子」と書いて、お酒も飲む大人なのだということだ。
 それからもうおひとり、結構ファンである作家さんの個展会場に入ってみてびっくり。描く対象がすっかり変わっているように思えたのだ。改めてファイルを拝見すると、過去にも同様な空気を持つ作品があったことはあったものの、展示した作品すべてがこうなっているという個展は今までになかったように思える。しかし今までに描いていた人物なりモノなりの背景などにあった「気配」の方にどんどん比重が移ってきたと考えていいのかもしれない。勝手なことを書いているのでお名前は控えますが。

9/6
 こっそりと退社して駅に向かう途中に空を見てハッとした。まだ青さの残る夕暮れの空の、西の方の雲が赤く染まり、そこに三日月がかかり、その右上に金星が見えた。ほとんど狂気を呼び起こす手前のような美しさのように思えた。最寄り駅には向かわず、しばらく西に向かって歩いて、空の彩りを楽しんだ。

9/5
 artLink上野谷中2005のマップができあがり、プレス発送をするので、もし同封してもらいたいものがあったら届けてほしいということで、上野の森美術館にDMの原稿をプリントアウトして持っていくことにした。プレス発送の作業のお手伝いは制作もあることだから、失礼させてもらおうと思って、マップをもらって帰ろうとしたら、そこにOさんとが登場し、観念して作業をすることになった。と、いっても原稿やマップを発送数分人間ソーターで仕分けて封筒詰めするということを何人か人手で作業するだけなのだが。
 そんなわけで意外に遅く帰宅して、滞っていた英語のお勉強も二日分こなし、あまり制作もせずに本日は終了。

9/4
 昼過ぎ、吉祥寺でプリンタのインクカートリッジを買ったついでにリサイクルショップに立ち寄った。なんと店じまいセールをしていた。この間買った黒い椅子が3脚あったので、ひとつ買った。1,250円也。カラーのインクカートリッジより安いじゃん。今回は裸のまま持ち帰った。
 玉川上水沿いの街路樹「ヤバボウシ」が赤い実を付けているのに気がつく。を赤い表皮にイボイボが見える。白い大きな花びらを付ける木にこんな実がなるなんて驚き。
 作品は5分の4が終了。

  9/3
 午後に入り、巷房の千葉祥子さんの個展へ向かう。
 イエローマンをさらに発展させて、今度の仮面ではより具体的に諧謔性を投げつけてくるってところ。お友達もたくさんご来場のことで、しばらく鑑賞して次の目的地へ。と、言ってもギャラリーKINGYOなのだが。この間「昼間また見たい」と思った石田泰道さんの作品を見るのも兼ねて、照明用フィルタの再確認をするためだ。
 やはり昼間見るとこの間抱いた印象がより鮮明に見えてきた。やはり見に来てよかった。フィルタの方もだいたいどれがいいのかわかった。
 外出時に疲れ気味でいたのが、帰宅したらなんとなく復活していた。残念ながらどの個展会場でも元気になれたわけではないとすると、帰りに自販機で買って飲んだ久しぶりのカルピスソーダが元気になった素?

9/2
 午後夏休みを取らせてもらって、ギャラリー巡りをしてから帰宅後に制作に取りかかろうという計画だった。
 横井山泰さんはたぶん、b.TOKYOで拝見したときに、妙なブラックさに惹かれたのだろう。ふふんと笑うような、印象の強い平面と、今回はまた不思議な立体を展示していた。
 3年ぶりに拝見することになった浮田要三さんは実は私の父よりも年上であることがわかったが、大きな作品をとても鮮やかな色彩で描いていた。しかもコラージュやらいろいろと試していたし。若々しさと熟達の共存といったところか。相変わらず来場者に「どれが一番印象に残りましたか?」と問いかけられていた。
 山本まり子さんは絹雲のような微妙な空色を描いていて、とても印象的だった。
 金涎鉉さん。画廊内を裸足になって作品の位置を少しずつずらしていたけど、なんだったんでしょう。白い陶土が球体と皺々のホースみたいな形状のもので構成されていて、ところどころ三葉虫の化石のようにも見える。面白かったんだけれどでも裸足になって位置をずらしていたのは不思議だった。
 帰りに三鷹駅前再開発地区に真っ先に戻ってきたという喫茶店「しもうれ」でカキ氷を食べる。本当は「抹茶宇治金時」が好きなんだけど、なんかそんなゴージャスな気分でもなく、「抹茶」にしておいた。たぶん今シーズン最初で最後のカキ氷だろう。でもここ数年かき氷食べてなかったなー。あまりに久しぶりだったためか、最初の数口で頭が痛くなってしまった。
 今週はどうも疲れがどっと出てしまっているためか、制作に集中できず、予定していたほどには進捗せず、だらだら。

8/31
 照明用のフィルタを試すために、退社後ギャラリーkingyoに伺った。
 現在は石田泰道さんの個展をしている。長さ3メートル、直径130センチの紡錘体オブジェを野外展示して、風化のプロセスを刻印した表情を見せるというものだ。湿度のある朝霧地帯と強い日照りを受ける大磯の砂浜地帯を巡ってギャラリーに到着し、会期後はさらに円環の半分を巡って結びにたどり着く。腐植し乾燥して白ずんだ、柿渋でどす黒くなった、表面をバーナーで焼いた三つの紡錘体は、存在感そのものがギャラリーに収まりきらずに、根津の路地の風景に溶け込みながらも強烈に違和感を発していた。しかしそれは表面に纏った自然の時間経過のため、巨石のような親近感を持つ違和だ。昼間また見たいと思った。
 フィルタの方は予想以上に青色を発してしまい、もう少しケルビン数の小さいもので再試行することになった。何度も何度もすみません、扇谷さん。
 一日中からだがだるいのだが、夜12時を過ぎたあたりでだるいのが抜ける。すっかり夜型になった体をだましだまし昼間も使っているって感じか?

8/29
 夜、新宿のライブハウス紅布(Red Cloth)へハーピーのライブに行く。
 初めて入るライブハウスだ。カウンターと客席というか小さなホールというかはあるのだが、ステージらしきものが見あたらない。目の前にはシャッターがある。もしやこのシャッターは緞帳のかわり?と思ったらおもむろにシャッターが上がり、ステージが現れ、そこには日比谷カタンが座ってギターを弾いていた。カタンはMCをRPGのキャラクター風にやっていたのだが、ゲームをする習慣のないわたしにはその面白さは想像するしかない。そこでふと思ったのだが、ゲームをしてどこどこのステージまでクリアできたとかいっている人々とわたしとの時間の使い方はどう違っているのだろう。その人たちがゲームをしている時間に、わたしは何をしているのだろう。読書?制作?テレビ?就寝?人前では決して言えない恥ずかしいこと?謎だ。
 で、次はハーピー。ほぼ一年ぶりだ(しかもそのときには遅刻して最後の1.5曲を聞けただけだった)。懐かしいおなじみの変拍子の魅力たっぷりの曲とキョウコさんのなんともいえない間合いのMC。満喫したところであと二組あったが、そこで帰らせてもらった。
 帰宅してからは当然制作。しかし最近お疲れ気味でダラダラ作業。

8/28
 本当は午後制作の区切りがついたところで大沢地区に行って、水田の写真でも撮りたかったのだが、ちょっと中途半端に遅い時間になってしまい、やめました。結局一日家で制作三昧。水田はジンバブエに住む娘、ネリア・ンコモに送りたかったのだ。

8/27
 お昼頃まで制作をして、一段落つけたところで船橋市民ギャラリーの「ふなばし現代美術交流展'05 物語が生まれる所」へ。チラシをお送りいただいた橋本トモコさんの作品以外にも結構いい平面作品が見られるんじゃないかと思って、ちょっと遠出した。それで、遠出してよかったという気持ちになった。会場でもらった資料には素材・技法の説明があり、それが鑑賞上いろいろと参考になった。橋本トモコさんの筆跡を消して、「在ること」の図像となったオレンジやアサガオのすがすがしさや、野嶋奈央子さんの不定形な生のままの感情の塊をゴロンと出したような絵画が印象に残った。
 帰りに浅草橋で下車してマキイマサルファインアーツに寄った。浅草橋に移ってから初めて顔を出した。新橋にあったときとはまったく違った空間ではあるが、また不思議なL字型ではあった。
 それから御茶ノ水のギャライーf分の1に伺った。ほとんど5年ぶりくらいだと思うのだが、ギャラリーの方が私のことを覚えていてくださったのには驚いた。恐縮しながらその後素材と作風が変わったことをご説明した。

8/24
 お花の先生のお見舞いに行く。
 先月の地震の話から、先生が小学一年生のときに体験した関東大震災の話になり、それから東京大空襲の話になった。そのときある種の既視感にとらわれた。それは先月読んだ清沢洌の「暗黒日記」だった。そこに大空襲のことが書かれていた。「そうだ。先生はあの時代を、ふたつの大惨事をくぐり抜けてこられたのだ。」と改めて思い、「小さくかわいらしいおばあちゃま」の、凝縮したような存在の重さに圧倒されそうになった。
 早く良くなろうとコツコツとリハビリに励み、「回復が早いですねえ。」とリハビリ治療師にさえ驚かれてしまう先生のことだから、入院生活にすっかり退屈してしまい、自分と同じかあるいはもっと年下の患者さんとも話が合わなくて困ってるんじゃないかな。わたしはともかく20代の女性とも普通に会話しているくらいだし。

8/22
 制作の方は15分の9が終了。ここに来て少し先が見え始めた気がする。しかし最近は「通勤電車が書斎」から「通勤電車が寝室」になり始めている。とにかく椅子に座れたらしばらく本を読んでいられても気がつくと眠っている。立っていても眠ってしまって、ガクッガクッとなってしまう。 

8/21
 昨日、今日と制作三昧。午後、一段落したところで、久しぶりに亀有のギャラリー・バルコに行く。タナカコウシ。宮本千瑞々2人展で、宮本さんは今年三月のAIM2005で同じ場所で展示をした作家さんだ。この2人展はなんとお二人が結婚されるというお祝いも兼ねての展覧会なのだ。が、今日はご当人たちは本当の披露宴を開催中でいらっしゃらず。しかもほんの数分の違いで、ここしばらくお会いしていなかった作家さんお二人とも入れ違いになってしまったらしい。なんとも残念な。
 が、榊原さんは相変わらずアイデアをほとばしらせてくれて、元気にさせてくれた。いつもながらありがとうございます。9/1から2005年のKame+3展を開催とのことで、今年は亀の子タワシの「亀の子束子西尾商店」との協賛とのこと。榊原さん、さすがです。
 三鷹に着いたら三鷹南口駅前商店街では「三鷹阿波踊り」が開催されていた。高円寺は知っていたが(見たことはない)、三鷹にもあったとは。しかも今年は第38回。こんな全国津々浦々(なのか中央線沿線だけなのか)で行なわれる阿波踊りっていったいなんなわけ?6時過ぎくらいに商店街を通ったのだが、阿波踊りは9時まで行なわれるらしい。途中でもらったうちわによると昨日も行なわれたらしい。たくさんのグループ(「連」と呼ぶらしい)が商店街の南側から駅前まで踊り進むようだ。車道を踊りが進み、歩道に見物人やら焼きそばやカキ氷の出店が並んでいる。う〜ん。まあ見物はこんな程度でいいとするかと、そのまま立ち止まらずに進んだ。
 途中の道沿いのマンションの脇に「ご自由にお持ちください」と、椅子が置いてあった。ので、自由に持ってきました。すこし腰をかける部分が使ったなりの汚れを染み込ませているが、それ以外は何の遜色もない。この「お持ち帰り」もリサイクルと呼べるだろう。

8/19
 帰りの電車でわたしが立った前の座席に座っていた男性が、駅で降りようとしていきなり倒れた。体が痙攣を起こしている。こういうときにどうしたらいいのだ。そのままにしておくべきなのか、上体を起こしてもいいものか。触ることすらできないで、ただおろおろその場に立ち尽くしているだけだった。誰かが駅員さんを呼びに行ったのだが、なかなかやって来ない。そのうちに心得のある乗客がやってきて、肩のあたりを叩いて「わたしの声が聞こえますか?意識はありますか?」と尋ね、ちょっと戻しているため、右を横にした。一応それは手伝ったけど。結局駅員さんたちがやってきて、担架で運んでいった。
 こういうときに何をしたらいいのか、まったくわからない。応急措置くらいの心得は持っていたほうがいいのだろう。こういうときにとっさにいろいろと行動が起こせるような人間にはなりたいのだが。

8/17
 青山のベルコモンズのあたりでこの風貌は川俣正以外の何者でもないであろうという人物とすれ違った。柔道でもやっていたようなガタイのいい印象のわりに、上背がそれほどでもなかった。もしかしたら人違いかもしれない。
 ワタリウムのショップで渋谷慶一郎主宰のレーベルATAKのTシャツが売られていて、とても気になったのだが、わたしにはサイズが大きすぎた。残念。ジャケットと同じくらいのこだわりを見せていて、生地もとても肌触りがよかったのに。

8/16
 女子棒高跳びのエレーナ・イシンバエワ選手はダケスタン共和国出身で現在ボルゴグラード在住らしい。ウラジミール君にメールで確認したらそうだとのこと。当然だが、地元ではスーパースターらしい。

8/14
 またまたギャラリーKINGYOにお邪魔して、今度は照明について確認させていただいた。ギャラリーで使用しているハロゲンランプはわたしのイメージからすると暖色系なので、これをわたしが必要とする昼光色にするために何をするべきなのかということだ。ハロゲンは3500ケルビンで昼光色は5000〜6000ケルビンなので、照明補正用のブルーのシートを用意すればいいとのこと。それが一番コストがかからないだろう。ハンズで確認することにしよう。
 帰りにはJR御茶ノ水駅のホームから聖橋の橋げたの曲面に、お堀の水面の反射が写るのをしばらく眺めた。電車の中では立っていたものの、疲労困憊なのか単なる寝不足なのか夏バテなのか、目を開けていられないくらいだった。

8/13
 朝から制作をしていたのだが、少し必要なものができて、吉祥寺に行った。いくつか買い物をして、ふと久しぶりにリサイクルショップに立ち寄った。椅子を見ていたら、「座ってみてもいいですよ。」と言われ、試しに座ってみた。だが、それは足が細い鉄製で、できれば木製がほしかったので、「木製の椅子はありますか?」と聞いたら、ひとつ出してくれた。黒くて結構丈夫そうだ。座り心地も悪くはない。それにお値段は1,800円。今は20%引きなのでお勉強して1,400円也。これを買わずしてどうする。と、いうことでこの日エアパッキンに包まれた黒い椅子を抱えて吉祥寺の町を歩き、井の頭公園の横の道を歩いていたのは、このわたしです。
 夜にはお願いしていた白倉美奈子さんのガラスの椅子が届く。今日は「椅子の日」?
 「戦争が遺したもの 鶴見俊輔に戦後世代が聞く」読了。上野千鶴子、小熊英二が戦前戦後に鶴見俊輔が居合わせたあらゆること(少年時代の放蕩、アメリカ留学、戦時下のジャワでの軍属としての生活、60年安保、ベ平連など鶴見俊輔の生き方とその時代状況。丸山眞男、吉川隆明、小田実らとの交流など)を問い、この時代を検証していくものだ。読むことの愉楽。明日からはいよいよ二年越しの念願だった小熊英二の著作に進む。

8/12
 トキ・アートスペースの岡部昌生展へ。広島の旧宇品駅プラットホームのフロッタージュ作品。1894-1945という年号がある。1894は日清戦争の始まった年。このとき、広島には日清戦争のために大本営や国会が移転してきた。この年が戦前の「軍都・広島」が生まれた年だ。1945は原爆の落とされた年。「平和都市ヒロシマ」に生まれ変わった年だ。フロッタージュは表面の表情を写し取るが、しかしその地面の下に埋もれている記憶までも写し取るかのようだ。9月から広島の旧日銀広島支店(被爆建造物)で展覧会が行われると聞いた。ぜひ行きたいと思う。

8/8
 夏休み中で何も会場にないギャラリーKINGYOを拝見させてもらう。思いっきり「ない」方向に持っていくのはどうかという感触を得られた。

8/6
 4時まで制作をしていたため、なかなか目が覚めず、布団の中で広島平和記念式典の中継を見ることになった。
 午後、銀座で松木恵次さんの個展を拝見。ギャラリーにタコ糸を張って構造物を作り上げる作品だ。今回は丸いお椀形の構造物となっていた。しばらくお話をさせていただいた。

8/5
 月曜日に2時まで制作をしてしまったため、その後もずっと夜2時まで制作する日々を続けている。おかげで朝の電車では半分は寝ているし、お昼休みにも30分は寝ている。これこそが非常事態宣言というわけだ。

8/1
 非常事態宣言発令。平日も制作中心の生活を送ろう。と、思ったのに、仕事上障害が発生し、それの対応のために11:30pmごろまで職場にいるはめになった。帰宅したら日付が変わっていた。が、1時から2時まで制作。

7/31
 暑い。
 が、制作三昧。とにかく作らなければ。

7/30
 藍画廊の多田布美子さん。昨年2月に藍画廊で拝見して以来。テトロンとその下に透けて見える綿布の二重の絵という方法は同じだが、前回とどこか違って見えた。もちろん今回の方がより一層いい感じになっている。帰宅後前回以前の個展の作品を藍画廊のHPで確認した。今回は今までに比べてモノトーンになり、より余白を生かしているように思えた。これまでのような明るくきれいな部分は見受けられなくなったが、一層深い絵となったように思える。二重にして見せると言う方法からすれば、この色彩は成功しているように思える。
 巷房の田口賢治さん。相変わらずできるだけより少ないもので、独特の空間を作り上げている。空間を完璧に把握してあるべき位置に作品と照明があるという感じだ。彼の余白の持たせ方はとても参考になる。勉強させていただいた。
 思いがけずアートポイントに高木俊宏さんの名前を見つけ、ギャラリーに入った。相変わらずのミニマルな図像。すがすがしかった。Oギャラリーの森章さん、花田伸さん。お二方ともクオリティーが高い。満喫させていただいた。
 最後にオーパに寄ったところ、ショップがネコ関連グッズ満載なのにやっと気がついた。7月一杯の特集らしい。Tシャツ、カード、バッジ等々。ネコ好きには抜け出せなくなってしまうとってもやばい空間になってしまっていた。なぜわたしが抜け出せたのか?そんなにネコ好きってわけじゃないってことさ。
 それにしても今日の蒸し暑かったこと。歩いて頬を汗が伝わるほどで、半袖シャツの袖のところに汗がにじむほどだった。
 ところで今日はある個展会場で芳名帳に名前を書いていたら、作家の方から「あ、ホームページ拝見しました。どうもありがとうございます。」と声をかけられた。芳名帳には知り合いの作家さんでない限り本名を書いている。なので、このHPの主催者と一アートファンとしてギャラリー巡りをするわたしとはあまり一致させることはできないはずと勝手に思い込んでいた。なので、今日そんな風に声をかけられてとても狼狽して、ほとんど返事にならないような音を発しただけで、お声をかけられたのをすっかり無視したような形になってしまった。もしその作家さんがこのHPをご覧になっていたら、ご無礼をお詫び申し上げます。
 藍画廊でまたまた偶然にMMさんに出会う。とある雑誌の編集をしているMMさんのところにアートリンクのプレスリリースが届いているらしく、「イグチさん、またアートリンクに参加されるんですね。」と言われた。いやいや本当にがんばって作らないと結構やばそうな感じだ。

7/24
 11時からギャラリーKINGYOでプレゼン兼打ち合わせ。展示風景の俯瞰図と戸外からの視点と室内からの視点のスケッチを用いて説明。小さな作品サンプルを持ち出して、実際に窓に貼り付けたり、壁に浮かせて取り付けて影ができる様を見ていただき、結構喜んでいただいた。後は作品をきっちり作成することだ。今年の夏は制作三昧。でもそれはそれで幸せな夏ということになるだろう。ギャラリーから根津駅までの帰り道は裏通りを歩いた。鉢植えがお花屋さん以上に充実している普通の家とか、角のよろずやさんとか、野の花とか、散策がとても楽しくなる路地だ。今度のわたしの個展に来ていただいた方にはぜひ、この路地散策を楽しんでいただきたいものだ。
 帰宅途上、例によってJA三鷹前で農家の方が売っている野菜に目をつける。露地栽培のトマトだ。これは買わねば。露地栽培のトマトの甘いことと言ったら!買ってからの帰り道、わくわくしている自分に気がついた。だから食に興味がないわけじゃないのでね。よろしく。
 帰宅後は制作を続け、6時ごろになってから自転車でアートスペース遊工房の石原美和子展へ行く。どうも愛車のMTBに乗るとスピード狂になってしまい、ぐんぐんこいでしまうため、ギャラリーに着いたときには汗が止まらなくなってしまった。石原美和子さんの前回の個展で、ブロンズで作られた「もみじばふう」の実がとても気に入って、そのとき、手に入れたいと思った。今回は特に「もみじばふう」の実が主になって展開されているインスタレーションでもあるので、買えばよかったのに、なぜか「また次回にしよう」と思ってしまった。われながら謎。


7/23
 日本橋からギャラリー巡りを開始。川城夏未さんが二人展をしているのだが、お相手の及川伸一さんが会場にいらしてお話をする。モノトーンの平面を描かれているのだが、色彩に対する意識に比較的近いものを感じた。
 exhibit Liveで菊池卓さんの個展を拝見。彼がアートフォーラム谷中で個展をやったときに出会ってから4年が経っている。制作の話やら、設置の話やらいろいろと失敗談を語って盛り上がる。今後のことなども話題に上がり、結構長い時間そこで話をしていた。
 千葉祥子さんの展示会に行くため、代々木上原のGallery YORIへ向かって歩く途上、閉じられたシャッターが激しく音を発するのに気がついた。風が吹いているのかと思い、あたりを見渡すと、頭上の電線が大きく揺れているし、カーブミラーも頭を振っている。地震かと思い、立ち止まると地面が揺れているのがわかった。ギャラリーにたどり着くと、かなり大きな地震だったと聞かされる。やはり歩いているとあまり気がつかないものらしい。しばらくすると千葉さんが待ち合わせをするはずだったご友人が、地下鉄が止まっているために銀座で足止めされているらしいことが判明。どうやらJRも地下鉄も止まっているとのこと。帰りの足が心配になってしまった。
 その後、井の頭線が動いているとか、だんだん電車も動き始めたらしいことがわかり、帰ってからやらなければならないことがあるために、失礼させてもらった。
 その場では帰りの電車のことを考えてばかりいたが、後になって気がついたのは、代々木上原まで乗った小田急の電車がもう2〜3本遅いのに乗っていたら、地震が発生した瞬間には確実に車中にいただろうということだ。そうしたらきっと大変な思いをしたであろう。まあラッキーだったと思うことにしよう。
 それにしても個展の搬入にも搬出にも影響大だ。たとえば作品などの荷物は赤帽さんにお願いし、本人は電車で会場に到着なんて計画の人たち(わたしもよくそうする)は大混乱だっただろう。どうしたのだろう。

7/22
 吉祥寺のライブハウスでわがままな月のライブ。対バンは省略させてもらい、外でしばしめぐろゆかさんとお話をする。そういえばハイラインの「夏への扉」からインスピレーションを得たという曲についてお話を聞かせてもらえばよかった。しかしハイラインの「夏への扉」は題名を知っていたが、読んだことがなかった。

7/21
 帰りに裏原宿のNISIZATOに寄って、西里にいちゃんと音楽談義をして、で、シャツを一枚購入。どうやら女性用にデザインされたシャツらしい。「これはいくらイグチさんでも入らないでしょう。」と言われたシャツもすんなり着れてしまった。それほどやせてはいないはずだけど。

7/18
 時間として昨日の夜の倍近く寝たのだが、症状がよくなっているのか悪くなっているのかわからない。とにかく 今日から材料のカットを始めた。
昨日から相変わらずくしゃみ鼻水。鼻をかみすぎて赤鼻トナカイのルドルフ状態。体温は36.7℃。何度も言いますが、平熱は35.5〜35.8℃なので、通常より1℃高いんです。
 ところでどうやら梅雨明けらしいですな。言うまでもないことですが、イグチトシオが夏が好きなわけないでしょう。

7/17
 うたた寝をすれば、その分夜眠れず夜更かしをする。そんなわけで4時くらいまで制作をして8時に起きて、休日出勤に出かけた(ただアメリカとリアルタイムでメールのやり取りをするためだけなんだけどね)。最近のどが痛かったのだが、仕事をしている間にくしゃみ鼻水が止まらなくなり、少し熱っぽいことに気がついた。外はかなり暑いのだが、人気がないオフィスはいつも以上に冷房が効いて、少し肌寒かった。
 帰宅後熱を測ると37℃。何度も言いますが平熱が35.5〜35.8℃のわたしとしてはかなりいい数字が出てしまいました。くしゃみ鼻水で集中力が持続できず、制作も区切りのいいところでやめて寝ることにした。それでも12時は過ぎていたが。

7/16
 朝から暑い。歩く速度が極端に遅くなる。
 文京アートで綿引展子さんの作品を拝見。和紙にパステルで描く、細長い目の中の小さな瞳や横に大きく広げた歯を食いしばった口といった、少し滑稽なモチーフにはその色彩の中に深みが湛えられている。まず墨を塗ってそれからオイルパステルで描いていくという手法によるものだが、それによる色彩の深さとオイルパステルによって生じた和紙の表面の毛羽立ち。どこまでも文脈が続きそうな絵だ。しばらくじっと拝見させていただいたが、たぶん最後の読点まで読みきれなかっただろう。
 資生堂ギャラリーのmini-max展。作家の一人、おびただしいグリッドを描く佐藤勲さんにはずいぶん前に三度くらいお話しをさせていただいたことがある。まだ立川に「スタジオ食堂」があった時代で、わたしが作品を発表しようと思い始めたころのことだ。彼の発言は「要は美術を学んだかどうかではない。ずっと続けていくことが肝要なのだ。」ということだった。そして「続けてください。続けてください。」と念を押された。多分彼はもうわたしのことは憶えていないだろう。わたしもあの当時から素材も作風も変わり、考えていることもまとまったのか落ち着いてしまったのかわからないが、とにかく何がしかの方向は見ているつもりだ。そしてわたしは続けている。
 彼のグリッドが平面の上に無限の空間を作り出しているのを見て、わたし自身とは立つ位置が異なっていても同じ方向を見ているような気が少しした。
 帰宅後すっかり体力を消耗して、集中力が持続できず、制作を中断して横になった。そうしたら3時間ぐらいうたた寝をしてしまったみたいだった。

7/15
 通勤電車の中で、ベビーカーに乗せられた女の子が歌っていた。「笹の葉サーラサラー。のーきーばーに揺れるー。おー星さーまキーラキラー。きんぎーんすなーごー。」駅を降りるときには「トンボのメガネは水色メガネ、あーおいお空を飛んだからー。とーんだからー。」その後、「あーおいあーおあおあおあーおー。」とラップのようになっていった。子どもの声には何か特別な周波数などあるのかもしれない。和んだりやさしい気持ちにさせるようななにかが。チンパンジーにも見られる、敵意を失わせて保護意識を持たせる「子どもの笑み」のような、生命の戦略的なものなのかもしれない。
 帰りにOギャラリーに寄って与那覇大智さんの個展を拝見。またまた変化が見られる。湿潤な色彩に白い粒子が浮かんで見える。どうしてこういうものが出てきたのだろう。すごい不思議でかつすごい面白い。以前考えられていた「具象と抽象の要素が入り混じるあたり」はたぶんすぐには回答は出てこないのだろう。こうしていろいろな要素が出てくることによって、その先に何か新しいものが立ち上がってくるに違いない。与那覇さんにお話でもお聞きしようと思ったのだが、後から入ってきたおじさんが「星が出た、星が出た。やっぱり星が出てくると売れるの?」と妙に「星」にこだわり、与那覇さんを少し刺激してしまったみたいで、お話しするタイミングを失ってしまった。でも今年秋から一年間文化庁の奨学金をもらってフィラデルフィアに行くらしい。それが今後どのように現れてくるのか、とても興味がある。

7/14
 仕事の関係でビッグサイトで開催されている大規模な医療関係の見本市(介護器具や検査器具、情報提供まで)に行った。名だたる企業がたくさん出展して、例によってコンパニオンの女性が「アンケートにお答えいただけると素敵な記念品を差し上げます。」と笑顔を向けてくる。驚いたことにナース姿の女性が至る所で見られる。ほんものの看護師さんではなく、これもコンパニオンのユニフォーム。ナースと入院患者(コンパニオンの女性)のショート・コントが繰り広げられているのだ。舞台の上ではパジャマ姿のコンパニオンの女性が何かにおびえたような仕草をしていて、MCの女性が「女の子たち何かに怖がっていますね、何に怖がっているのか女の子たちに聞いてみましょう。女の子たち何がそんなに怖いの?」なんてコントもやっていれば、昨今の女子大生の卒業式のような袴姿の女性MCの「さて時代は下って・・・。」という言葉に合わせて黒子姿の女性が何か小道具を出してくる。すべてイメージだ。しかもあくまでも稚拙な。ここで何か商談が成立するのか?多分それが狙いではなく、来場者に企業イメージを植え付けていくだけの戦略なのだろう。それにしてもそんなショート・コントで表現できる企業イメージなのか。それを与えられて喜ぶなんてなんとも幼稚な。いや、わたしたちはある意味子どものままなのかもしれない。いいか悪いかは別として。

7/13
 今日はお昼に職場の近くのお蕎麦屋さんに行った。ここは去年、内視鏡検査をした当日に誘われて行ったのだが、何も味がわからなかった。今日は味がわかった。おいしかった。

7/10
 昨夜帰宅後から制作に取り掛かっている。制作といってもカットまでは到達していない。まだカットの下絵を描いているところだ。
 133p×203pを一枚仕上げたが、どうも満足いかない。
 午後6時半ごろになり、少し日が翳ってきたので、散歩がてら食料品の買出しに行く。井の頭公園の林の中でアフリカン・パーカッションを高音でカンカン響かせている人がいる。なかなかいいリズムだ。薄暗くてはっきりとはわからないが、もしかしたらアフリカン(ネイティブ?アメリカン?ヨーロピアン?)のパーカッショニストだったのかもしれない。
 本当は今日最終日の展覧会に行ったり、さるカフェで納豆カレーを食べたかったのだけれど、ちょっとお尻に火がついてしまったので、行かずじまいでした。すみません。  

7/9
 今度の個展で使用する材料、プラスチック系樹脂板を受け取る。素材を確定して注文するまでにずいぶん時間をかけてしまい、その間、作業を何も進展させていなかった。かなりがんばらないと厳しいことになりそうだ。
 ミハルちゃんちがちょっと遠いところにお引越しになるということで、ミハルちゃんのママとおのさんとOPAで待ち合わせ。ミハルちゃんに会うのは一年半ぶりくらい。前回はなかなかなついてくれなかったので、少々心配。
 OPAに行くと、ママとミハルちゃんは手前の公園に座っていて、近づくと少し恥ずかしそうにママの陰に隠れたけれど、ママに「『こんにちは』は?」と言われ、はにかんだ笑みとともに「こんにちは。」とご挨拶。また一段と大きくなったミハルちゃんに会えました。その笑みの口元は初めて会った時の赤ちゃん時代の笑みの口元の面影がある。前よりもいっぱいお話をしてくれるし、一緒に遊んでくれるようになりました。
 一緒にギャラリーの中に入り、ママと手をつないで、しばしイラストの鑑賞。絵の高さまで抱っこされて「ミハルはこれ。」と指差したイラストはネコが元気よく二本足で立って胸を張っている「子どもは風の子」というイラストだ。藤波さんに差し出されたおかきをひとつ食べて、さらにもうひとつに手を出す。
 おのさんも登場し、お昼は近くのファミレスに行くことにした。ミハルちゃんはお子様用の椅子にちょこんと座って、注文したドリアの付き合わせのフライドポテトとママの分のお豆を食べる。お豆をフォークで上手にすくい上げて、ママとおのさんにほめられて、もっと食べようとがんばる。「ミハル。赤いお豆ちゃんも『ボクも食べて〜。』って言ってるよ。」とママに言われて赤いお豆にも手を出す。「ほら青いお豆ふたつもあるよ。」とフォークに緑色のお豆さんが乗っかったのをうれしそうにママに見せる。
 しばらくすると飽きちゃったのか、お子様用の椅子から降りて、持っているゴムチューブを椅子の肘掛の間にかけて、おのさんととうせんぼごっこを延々と続ける。「ほらここ通れないよ。」と椅子と椅子の間にゴムチューブをかけて指差す。おのさんも「ほんとだ。通れないねえ。」と相槌を打つ。相変わらず、おのさん、子どもと遊ぶのがうまい。あんまりとうせんぼごっこに熱中したためにドリアのエビがお口の中に入れっぱなしなのを、ママに言われるまで忘れちゃってた。
 お食事が済んでコンビニでソフトクリームを買う。今日はミハルちゃんはママに「表参道でアイスクリームを食べよう。」と誘われて出てきたらしい。ついに目的を果たしたわけだね。「ねえ、表参道ってどこ?」としきりにママに聞いていたというミハルちゃん。ここが表参道だってわかったかな?手に持ったソフトクリームを一生懸命に食べならが、でもおじさんたちが食べているソフトクリームが自分のと色が違っているのに気がついて、興味津々。「それなに?」「これはね、(コーヒーとバニラの)ミックス。」「ミハルのはね、バニラだよ。」
 OPAでママが買い物をするので、戻ってきて、手前の公園の椅子に座って4人でソフトを食べる。ミハルちゃんは十分満足したのかソフトクリームをママに渡して、ママの肩を叩いてあげる。口元には満面の笑み。
 ママの買い物が終わり、そろそろ帰る時間。帰りはずっとミハルちゃんと手をつないで歩く。一年半前よりは確実に大きくなって、いろいろなものに触れてきた、そしてこれからもいろいろなものをつかんだり離したりしていくだろう小さくて少し汗ばんだ手のひら。ママとおじさんに両手をつながれて、ときどき高く持ち上げられて宙に浮く。とても気持ちよくなって、空中で足をばたつかせながら「ママ、ママ見て!」。「ママ見てって言ったって、ママがやってあげてるのよ!」とママに突っ込みを入れられる。
 おのさんとは地下鉄の入り口で握手をしてお別れ。階段を下りて改札へ向かう地下道は少し暗くてちょっぴり不安。その握る力がちょっと強くなり、表情も硬くなる。でもママとおじさんに両手を握ってもらって階段では最後にピョンと一段抜かしをする。ママが切符を買っている間、おじさんと手をつないで待っている。おじさんはミハルちゃんと同じ目の高さになろうとしゃがんだら、何かのお遊戯と思ったのか、ミハルちゃんもにこにこしながら一緒にしゃがむ。「これ、ミハルの赤ちゃん指。」と小さな小指を見せてくれる。「おじさんにも赤ちゃん指があるよ。ほら。でも大きいねえ。」「ミハルの赤ちゃん指は小さいよ。」
 電車が来ると「ママ、ここが空いてるよ。」とママを引っ張って席まで行き、「ママが座って。」とママに座らせて、自分はママの膝の上に乗る。おとなりのご婦人が、かわいい女の子を連れた家族だと思ったのか、他の空いている席に移動して、席を譲ってくれる。大変恐縮して隣に座らせてもらった。
 ミハルちゃんとミハルちゃんのママとは渋谷でお別れ。電車がホームを出るまでずっとミハルちゃんと手を振り合っていた。またしばらくお別れだね。数年後、また会ったときには今日のことを憶えていてくれるかな、ミハルちゃん。
 電車が出た後もミハルちゃんの笑みをたたえた口元の可愛らしさがずっと残った。デジカメを持っていたのだが、たったの400万画素では笑みの口元の可愛らしさや小さな手の感触を保存しておくことなどできないと、写真は撮らなかった。ほんの数時間を一緒に過ごしただけでこんなになってしまうのだから、毎日一緒に過ごしていればどんなだか。おとうさんが娘にメロメロになるのがわかったような気がする。
 夜は高円寺「円盤」でライブ。出雲麻紀子、日比谷カタン、わがままな月、テール・スープというメンバーで充実した(ちょっと濃厚な)夜となった。

7/8
 南村さんから返信あり。とりあえず無事は確認できた。
 帰りにギャラリィKの横谷研二さんの個展に立ち寄る。数年前に初めて拝見して以来、欠かさず見させていただいている。段ボール内部の波形の紙を表面に出した柱が床から天井に伸びる空間。その波形の紙から透けて向こう側が見える。「呼吸する木や枝のイメージを表現」したとのことで、確かに植物細胞の顕微鏡写真を連想させる。林立する柱の周りを何回もまわった。静寂な森を通過する空気や光を感じた。
 エミリー・シモンというフランス女性アーティストのCDを買う。日本版が発売される前から、それなりに評判が高かった。視聴盤を聞いて思わずニヤニヤする。ロリータ・ボイスらしいことは知っていたが、ロリータの上にささやき系なのだ。当然のように買ってしまいました。しかも初回限定でDVD付の日本盤を。

7/7
 セラミック・アートのSAKOさんがメキシコに一年間滞在するということで、その壮行パーティー(?)に行った。結構いろいろなジャンルの方たちがいらっしゃって、SAKOさんの交友範囲の広さを感じた。その中で知り合いのお二人の間に入らせてもらって、しばし歓談。多くのお友達との会話に引っ張りだこのSAKOさんとはあまりお話ができなかったのが残念だったけれど、2年ぶりくらいにお会いするテキスタイル作家の押鐘まどかさんと1歳になるお子さんの話で盛り上がった。
 帰りの井の頭線で隣に立っている女子高生が中間試験の勉強なのか、ノートを読んでいた。「倫理」らしい。カント、ガンジー、バートランド・ラッセルについてまとめられていた。
 ロンドンで爆弾テロ。「邦人に犠牲者はいない模様」とテレビで入っているが、一応南村さんに無事かどうか確認のメールを入れる。

7/5
 オンラインショッピングで注文した、AZAM ALI、VASのCDが届いた。早速、AZAM ALIのPortals of Graceを聞いた。だいたい12世紀から14世紀のヨーロッパの音楽を引用している。DEAD CAN DANCEのAIONをもっとエスニック風にした感じとでも言おうか。

7/3
 本格的に制作に着手するために部屋の模様替えをする。なんとなくそれで昼間の時間は終了っぽくなってしまった。夕方に近い午後、投票がてら散歩をした。例によって玉川上水沿いを歩いていると、小さな白い花(マメ科の植物でしょう)の中にミツバチが入り込んでいた。花とそれの蜜を取ろうとするミツバチ。こんな光景を路上で見るのは久しぶりだ。少し歩いていると雨が降り出したので、すぐに戻った。
 ガラス好きの友人たちに渡そうと思い、4月に深川商店街で行われたアートイベント「花みずき街角誰でもアーティスト」で、佃煮屋さんに白倉美奈子さんが出品したガラスの椅子を注文していたのだが、それが今夜届いた。かわいいったらありゃしない。きっとみんな喜んでくれるだろう。
 そんな感じで今日は終わってしまった。

7/2
 昼間は今度の個展用のデッサンと言うかドローイングというか、ギャラリーへのプレゼン用の説明図というか、そんなものを描いていた。
 午後しばらくたってからICCに行った。結構入場者があったが、かなり平均年齢は若い。わたしは引き上げている側の人間だな。メディア・アートは作品を一通り鑑賞するためにすべての人々に、ある定まった時間をかけさせる。あるいは鑑賞するためのツールへのアクセス制限がある。そしてそれが時にはメディア・アートを鑑賞するための障害にもなりうる。すべての人が映像をずっと見ていなければならなかったり、たとえば鑑賞するためにヘッドフォンが必要でその個数に制限があれば、場合によってはその場でパスしてしまうこともありうる。
 そんなわけで空きのヘッドフォンがない作品はパスしたし、PCのキーボードを操作する参加型ではPCが空いていなかったりしてパスした。
 まあカールステン・ニコライの映像と音響を体験できたのでいいとする。「床に広がった漆黒の構造体」に横になり、首から背中にかけて、音響の響きを体験しながら映像を見るというものだった。4回ぐらいずっと通して見てしまった。まだいてもよかったけど。ところどころあまりに体に響くノイズが心地よくてまぶたが重くなってしまったから。
 帰りに新宿タワーレコードに寄ってアバンギャルドとおフランスとワールドミュージックを物色し、くだりのエレベーターに乗り込んだところでびっくり。そこにはKKカップルがいたのだ。三人で「うそ〜。何でこんなに会うの?」と笑い出すくらいに驚いた。この半年でどちらかとすでに3回会っていて、そのうちの2回は偶然。今回で偶然の出会いは3回目だ。たとえば今日、ICCで参加型アートにいくつか取り組んだり、タワーレコードで試聴をもう一曲多く聞いたり、クレモンティーヌでもう少し悩んでいたり、違うレジの列に並んでいたら、きっと二人には会わなかっただろう。不思議な引き合わせだ。世界は数え切れないif・・・,then・・・によって成り立っている。

7/1
 金曜日はカジュアル・フライデーなので、好きなものを着ていく。今日はシャツの前をはだけて見せていたTシャツのことを職場の女性に尋ねられた。それでカールステン・ニコライがデザインしたTシャツだと説明したのだが、まずはカールステン・ニコライが何者で、Tシャツを買ったのがワタリウム美術館のショップだということなどを説明することになった。初めて聞く名前なので、機会があったら一度聞いてみたいと言われた。う〜んとってもまじめな社交辞令。そこで「じゃあお貸ししましょうか。」などと答えてはいけない。そういう人たちにとって、カールステン・ニコライも彼が別名のアルヴァ・ノトも、池田亮司もシクロも、きっとわたしがパチンコ台の名前や競馬の馬の名前を聞いたときと同じ意味しか持たないだろう。別にそれでいいんだけど。
 帰りに21+葉の尾形純さんの平面を見る。黒やエンジや紺、深緑といった深い単色の背景に、にじんだようなかすれたような軌跡が描かれている。その軌跡には金や銀を含ませて、背景の色とコントラストが一瞬際立つようにしている。なかなかいいです。もうしばらく鑑賞していてもよかったかも。まだ気がつかない色彩が埋もれていたかもしれない。


タイトルは「マトリックス」の中で出て来るセリフらしいですね。実はわたしはこの映画をテレビでチ ラチラとしか見ていないので、どこで出てくるのかよくわかりません。わたしはスラヴォイ・ジジェクによる テロとその後の戦争について論じた文章のタイトルとして知ったのでした(現代思想臨時増刊「これは戦争か」より)。
なお、画像は島田雅彦の「ミス・サハラを探して」(KKベストセラーズ) の中のチュニジアの砂漠の写真(撮影;中島誠)を無断借用しました。