イグチトシオがふと考えたこと、感じたことを書き留めておきます。念のために再度申し上げますが、見せたくない部分は書かず、こういう所を見てほしい、こう見られたいというところを書いています。
当然真実のみが書かれているわけではありません。

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2006年1月1日〜3月31日

3/28
 お花の先生が25日にお亡くなりになった。前日まではとてもとてもお元気だったようだが、深夜に突然苦しくなられて、25日未明に亡くなられたとのことだった。89歳と半年の生涯だった。お花のお稽古ではとてもかわいがってくれて、美術家として作品を発表してからもよくお花を持って会場にお越しいただいていた。最近はわたしがなかなか微熱が治まらずにお会いできないでいた。体調も快復し、そろそろお会いしようとも思っていた矢先だった。半年近くお会いできなくて、本当に心残りだった。
 今日はかなり早く(と言っても定時まで勤め上げてのことだが)退社させてもらい、お通夜に行った。遺影はおしゃれでかわいらしいおばあちゃまの先生がにこやかに笑っている写真だった。もうお年がお年なので、こういう日はやってくるものとは思っていたが、こんなに突然やってくるとは思ってもいなかった。わたしの作品がやっとあるレベルに達したここ最近をご覧いただけていないのが少々残念でもあった。
 しかしなによりもひとつ忘れかけていたプロジェクトがあった。それは先生の生涯のそのときどきを過ごした街の地図の切抜きで、一冊の本の作品を作ることだった。そのためにはまず先生にインタビューをすることになっていた。いつだったか先生にもそんなお話をしたことがあった。タイトルはThe Book of Lifeとなる予定だった。今となってははたしてThe Book of Life(「命の書」;新約聖書に頻出する概念で、救われるべき人間の名が記されている)というタイトルでよかったのかと自問する(先生がお寺の娘であることは別としても)。が、その書は完成したら波乱に富んだしかし情緒豊かな一冊になっていただろう。
 ときどき溢れそうになる感情の潮に伸びをしたりして留めおくように努めた。今はまだ暴力的に穿たれた空虚にまだ近づけないでいる状態だ。きっとその空虚にたどり着き、底の見えない空虚さに慄然とするだろう。
 ご冥福をお祈りします。

3/26
 ふと新聞のテレビ欄を見たらテレビ東京で10:30から「森達也の”ドキュメンタリーは嘘をつく”映像って?」と書いてある。急遽ビデオ録画のセットをしつつ 見ることとした。森達也がギャラ目当てであることも含めてこの仕事を引き受けたものの、多忙を極めてついに降りてしまい助手にすべてを任せてしまってということがドキュメンタリーで撮影されている。が、最後にはそれらすべてがフィクションとして森達也によって撮影されていることが判明する。日曜の朝の時間帯ではあるが、こんな番組を放映してしまうテレビ東京はすごい。
 午後になって花見がてら玉川上水、井の頭公園。神田川のあたりを歩き、また井の頭公園に戻り、ソフトクリームをいただいた。井の頭公園に戻ってきたあたりで放送大学助教授の高橋和夫と遭遇。スーツ姿でリュックを背負い、手にはテニスラケットのバッグ。高橋和夫はテニスをしているのか。来週あたり桜が満開になったら、楳図かずおに遭遇するかも。

3/25
 岩波ホールの「死者の書」。春休みだからか、人形劇だからかやけに親子連れが多く、結構混んでいる。確かに岡本喜八郎は「三国記」や「平家物語」の人形を担当したけれど、今回は折口信夫の「死者の書」ですから。お子様には大丈夫なのでしょうか?岩波ホールのようなさほど傾斜のないホールでは、前の方に座った人はできるだけ頭を低く見るのがエチケットだと思う。が、まったくそんなことは意に介せずにしっかりと背筋を伸ばして座り、さらに舟までこいでいた人がいた。そんなだったら最後尾の席で居眠りをしていてほしいものだ。で、鑑賞後の感想は「まあまあ」ってところかな。
 その後、上野に出て上野の森美術館でVOCA2006を鑑賞。いまさらこの人が?とか、無理やり平面作品と定義したというような作品もあったが、知っている作家もそれなりのクオリティーだったり、知らない作家も鑑賞できたりと、まあまあ収穫はあった(かもしれない)。気になった作家の名前を記す。兼未希恵、河アまゆ子、鬼頭健吾、佐伯洋江、妻木良三、豊泉綾乃、永原トミヒロ、中山徳幸、流麻二果、橋爪彩、長谷川冬香、浜田涼。VOCA対象を受賞した小西真奈は何度も見ているが残念ながら一番最初に見たときからは感慨が薄れてきてしまっている。初めて見る作家として、河アまゆ子、佐伯洋江の繊細な作品が特に印象に残った。もちろん永原トミヒロはファンとして大満足。
 上野公園はまだ桜も咲き始めたばかりだったが、すでに何組かお花見(という名称の宴会)をしていた。他にも多くの人たちがベンチに座ったりして桜の花を眺めていた。そのまま芸大の前を横切り谷中に出ようとして旧東京音楽学校奏楽堂の前に出ると、「警視庁」という腕章をした私服の人々がやたらと目に付く。野次馬みたいな一団を一角に集めている。鋭い目つきのスーツ姿の何人かが奏楽堂の入り口に待ち構えている。催し物の案内には「星の王子さまの会」とある。もしかしたら「星の王子さま」の警護か?いやいや政府関係者、このややミーハーっぽく待っている人々の表情からすると、やんごとなき家系の方?まあどうでもいいのでそのまま進んだ。
 SCAI THE BATHHOUSEの宮島達男展へ。新作「Counter Fragile」はどころのないフラジャイルなフォームを出現させ、「まるで空間にそのまま浮かんでいるかのように微妙なバランスのもとに形づくられております。それぞれの数字はほのかな赤い光を放ちながら全体として眺めればまるで宇宙の中の星雲のようにオーガニックで柔らかな存在感をたたえています。」らしいのだが、どうも作品自体に「宇宙の星雲」ほどの広がりが感じなかった。う〜ん、その意図がつかみきれません。すみません。
 谷中霊園に入る途中で「江戸指物展」を発見。ひさしぶりにその高度な技を堪能した。谷中霊園もやはり桜が咲き始めていたが、ここもお花見(という名称の宴会)をしている数組を発見。上野、谷中は来週末はかなり混雑するだろう。
 それから浅草橋のマキイマサルファインアーツへ。ちょうど個展を開催中の清水春吾さんは新橋時代のマキイマサルファインアーツで作品を拝見したり少々お話をさせていただいたことがあった。アクリルやミクストメディアの作品は結構気に入った。で、マキイマサルファインアーツに行った理由は、2007年2月の個展の申し込みをするためだった。さていよいよ胎動だ。
 いったん自宅に戻り、それから高円寺円盤でのライブへ。金色夜叉(というギターの弾き語りミュージシャン)企画のライブで、まずはご当人金色夜叉の登場。ディープなブルースがベースにされているのだが、どうしてもどこかに笑い(失笑も含む)があり、笑いに包まれたライブ。その後、わがままな月。今年はCDも作るとのこと。本当は4組登場するのだが、こんなところで失礼させてもらった。

3/22
 職場で開催された「有志による送別会」というのに1時間ほど遅れて出席した。韓国料理屋さんで石焼ビビンバなどおいしくいただいた。話題は「水星マイナス」だの「火星プラス」だのとか「前世がどうだ」とかという、最近テレビに出ているふくよかで恰幅のいい、いわゆる「占い師」(男性、女性)らのことらしい。そんな話題が繰り広げられるその席は、わたしの住まう世界とはまったくの別世界だった。

3/21
 今日の御茶ノ水駅から見る聖橋に映る波紋の揺らぎは水面があわただしく揺れているからか輪の形を作っていなかった。
 東京都現代美術館に「転換期の作法」という東ヨーロッパの現代美術とMOTアニュアルを見に行った。
 まずはポーランド、チェコ、スロバキア、ハンガリーの現代美術「転換期の作法」。自由化後、EU加盟後の「後発ヨーロッパ」としての東ヨーロッパ。というような先入観よりは、極めて作家個々のレベルの特異性を感じさせられた気がする。ビデオ作品も多いため、鑑賞するためにはそれなりに時間がかかった(退屈はしなかったけれど)。それにしても観客の中にかなり強烈なおばあさん二人組みがいた。鑑賞ガイドや作品のキャプションには一切目を向けず、ただただ作品に向かうのみ。「先入観なしに鑑賞している」という姿勢ではなく、たぶん鑑賞のコツを得ていないのではないだろうか。「これぜんぜんわからないわよねえ」とか言いつつ、すべてをじっくりと鑑賞して回っていた。
 次はMOTアニュアル、No Border「日本画」から「日本画」へ。会場に入って2作家ほど鑑賞したところで、なんだかむずむずしてきた。なんだろうこの感覚は。なんだか「よいこがきれいに収納しました」というような感覚を覚えるのだ。もちろんそれぞれの作家の技術はレベルがとても高い。が、しかしどうも「よいこの作品」のようにしか思えないのだ。長沢明、天明屋尚の作品でようやく落ち着いた。東ヨーロッパの作品に比べて、MOTアニュアルの方はどうしても「きっちり収めた」感が否めなかった。これが混迷を経過した社会と、すべてが飽和した後の社会の違いなんだろうか。
 最近は東京都現代美術館の常設展でサム・フランシスを見るのが楽しみだった。部屋んも4面に余白の白が美しい大きな作品が設置され、とても気持ちのよい空間となっていた。が、今日行ってみたら今まで戦前の美術があったコーナーにいきなりアレックス・カッツがあったので、おやおや大規模な展示替えでもしたのかと思いながら1階部分を鑑賞し終え、階段を上ってサム・フランシスの部屋へ向かった。が、白く広々と気持ちよかったサム・フランシスの部屋が暗い。あれどうしたの?と思って入ってみたらクリスチャン・ボルタンスキーの部屋となっていた。でもボルタンスキーの部屋でもぜんぜんかまいません。と、じっくり堪能した。
 せっかくの深川商店街なので、そのまま帰るのももったいないので、アサリの佃煮を買う。「とちの実飴」というのを見つけ、ついでに購入。
 それから銀座へ。資生堂ギャラリーの須田悦弘展。木彫の椿は素晴らしく満足なのだが、「さて、今回はどこに設置されているのかな?」というような宝探しゲームをしているような自分に気がつき、ちょっとばかり気分に翳りができてしまった。それが須田の意図しているところではないだろうから。木彫りの椿が一輪置くことで空間を変えてしまうというインスタレーション作品であるから、「さあ、今回はどこに設置されているのかな?」というような鑑賞態度は少し違うだろうから。でも本当にそんな意図ないっすよね。

3/19
 強風で世の中が灰黄色に染まって見える。昼ごろ少し外出したのだが、あまりにも強い風に目にごみが入りそうで、どこにも寄り道したくなくなってしまった。
 あとは『迷宮怪』のCDを聞きながらメールを出したりホームページの更新をしたり。

3/18
 映画、ギャラリー巡りの一日。
 電車が御茶ノ水駅で停まったら、聖橋のカーブ面にお堀の水の波紋の揺らぎが光の輪になって映っていた。電車がホームに停車している間ずっとその移ろいを眺めていた。
 映画は念願の「白バラの祈り ゾフィー・ショル、最期の日々」。「ミュンヒェンの白バラ」の一員、ゾフィー・ショルが反ナチスのビラを作成し大学構内でばら撒き逮捕され、尋問を受け死刑宣告を受けて斬首されるまでの6日間を描いている。映画の圧巻はゲシュタポの尋問官とゾフィーの対峙だ。いつのまにか尋問官の方がゾフィーによって良心や信念に対して問いただされているようになっていく。が、毅然とした受け答えとは裏腹の、まだ21歳のゾフィーの弱さや不安の揺れ動きも同時に表現されもいた。
 80年代後半から90年代前半くらいにかけて、ゾフィー・ショルはわたしにとってはある種のイコンであった。あのころはある種リベラルな時代だったのかもしれない。今またゾフィーのイコンが立ち現れたのは、時代がどの方向に向かおうとしているのだろうか。映画のエンドロールに使用された、「ミュンヒェンの白バラ」のメンバー、ゾフィー・ショル、兄ハンス・ショル、クリストフ・プロープスト、アレクサンダー・シュモレル、ヴィリ・グラーフの写真は、「白バラ」にそれなりに思い入れがあったあのころのことを思い出させた。
 その後、銀座、神保町、表参道と久しぶりにギャラリー巡りをした。神保町の言水制作室の川ア美智代さんの展示は、木造モルタルの言水制作室に、あたたかでやさしい色彩があふれ出し、とても気持ちがよかった。その他の平面作品も十分に堪能できる作品だちだった。やはり作品鑑賞はわたしにとっては欠かせない重要な生活の要素なのだろう。

3/17
 8時半前に申し訳なさそうに、「すみませんがこれでわたしは帰らせていただきます。」と断り、ささっと職場を後にした。そして向かったのは渋谷のUPLINK。オノテツさん主宰の「奇譚文学的な耽美さと軽妙さを兼ねそなえた空中室内楽バンド」『迷宮怪』のライブを見るためだ。これまでに何度も『迷宮怪』のライブを見逃しているので、今回がようやく初めてだ。会場のUPLINKはオフィスが移転してから初めて行った。UPLINKに到着すると、オノテツさんが入り口でお友達と雑談していた。どうやら間に合ったらしい。一つ前のバンドが数曲演奏してから、いよいよ『迷宮怪』の登場。ピアノ、サックス、ギター、テルミンという楽器構成のバンドだ。まさに「奇譚文学的な耽美さと軽妙さ」という表現がしっくりくる演奏を満喫した。ライブ終了後に出演者によって「愛について語るトークショー」があったのだが、演奏のみで失礼させてもらった。『迷宮怪』のCDが発売されていたので購入した。
 金曜夜の渋谷は久しぶり。当然大急ぎで渋谷から逃げるようにして井の頭線に乗った。
 帰り道にふらっと入った三鷹のちょっとした繁華街で、ニューハーフ・バーの前に立っているおねいさんにこぼれるような笑顔で手を振られた。なんだかとってもうれしくなって笑い返した。

3/16
 帰りの電車の、車両の端(優先席の横の壁)にある広告のケースの中にチラシを差し込まれていた。
 舞台のチラシらしい。『皆に伝えよ!ソイレント・グリーンは人肉だと』
 「ソイレント・グリーン」。わたしの中ではなかば伝説と化している映画のタイトルだ。ほとんど40字以内に収まるあらすじくらいしか知らないが。う〜ん、気になる〜。

3/15
 昨夜、体温を測ろうとして体温計を手に取ったらなぜかポロッと床に落としてしまった。バリン!わたしは今となっては珍しい水銀体温計を使っていたのだ。床にはステンレスの小玉のような水銀がいくつもころがっていた。ああ、もったいない。結構貴重品だったんじゃないかな。でもまあ後生大事にしまっておくよりは、白洲正子よろしく実生活で使っていなくては。ってわけでもなかったのだが。
 そんなわけで、電子体温計を買うことにした。しかし電子体温計のつまんないこと。あのピピピ音は体温を測るときの微妙な心理状態を常に裏側から突付くようないやぁーな音だ。熱が出れば踏ん切りがついて仕事を休めるのにと思っているときに、ピピピ。熱が下がればいいのにと思っているときに、ピピピ。

3/12
 休日はじっくりと養生しても微熱は下がらないので、そうこうしているうちに季節の移ろいを愛でずに終わってしまうのはもったいないので、今日は玉川上水沿いを散策し、井の頭通りに出て神代植物公園に行くことにした。玉川上水沿いはいくつか梅が咲き、桜も蕾が大きくなっていた。暖かい日だったからか亀も三匹ほど確認できた。
 神代植物公園は梅が満開。とてもとても美しい花々に囲まれてうっとりとした時間を過ごした。その後、やはりここまで来たのだからとお蕎麦屋さんに入り、深大寺蕎麦をいただいた。コシのある細麺でとてもとてもおいしかった。
 でも熱は相変わらず。今度の週末こそは映画やら画廊巡りやらに行きたいものだ。

3/11
 まだ体調は本調子ではなく、画廊巡りはおろか、大きな展覧会を見に行くだけの体力がない。3月に入ってからまだどこにも行っていないではないか。今日は書店とCDショップでおしまい。それでも結構しんどかった。体温計で平熱を見られたのは先週の土曜日の朝一瞬だけで、それ以外はずっと平熱よりは1℃以上高い状態が続いている。仮の姿で体力を使い果たしてしまっているのか。
 さるサイトからpan sonicのライブ音源をダウンロード。なかなかいいノイズだ。

3/9
 なんとわたしが一日中説明会の講師ということで、人前でしゃべり続けるという荒行をしてしまった。おかげで治まりかけていた喉の痛みやら咳やらがぶり返してしまった。

3/5
 そんなわけで「ハチミツとクローバー」を楽しみにしていたのだが、朝起きたらまた元の状態に戻ってしまっていた。マンガを読みながらだらだらしてもよかったのだが、しっかりと寝てしまいました。

3/4
 昨日の朝はまだ熱が下がらず、休暇をとらせてもらった。薬のせいなのか、やはり高熱のためか一日中眠り続けた。
 おかげで今朝になって、数週間ぶりに本来の平熱である35℃台の数値を見ることができた。だが、大事をとって遠出は控えた。本当はいくつか見たい個展があったのだが、快復しては外出してまたふりだしに戻るというようなパターンだったので、残念ながら今回は見送らせてもらった。この週末を自宅でおとなしくじっとしているために、軽い読み物以上に軽いものを、と考えてコミックを買った。以前深夜に放映していて少し興味を持ったものだ。「ハチミツとクローバー」1〜8巻。帯には「このマンガがすごい!2006・オンナ版第1位」と書いてある。う〜ん。おじさんが読んでもいいんでしょうか・・・。

3/2
 もちろんこれは後になって書いた日誌(備忘録)である。
 先週処方してもらった薬もなくなったし、もともと効かない薬ではあったので、定時後に職場の近くのクリニックに行ってもっと効く薬を処方してもらうことにした。窓口で体温計を出されたので、まあ36℃台後半くらいかな、平熱が低いのでこれでもしんどいんですよとでも言えばいいかなんて思っていたら、37.7℃だった。ここでもインフルエンザのテストを行い(陰性)、肺炎の恐れもあるのでと胸部レントゲンを撮ってもらい(異常なし)、12月に出たばかりの「一番キレのいい」抗生物質を処方してもらった。それで一度職場に戻り、それから一時間ほど仕事をしたのだが、ちょっとしんどくなったので、そこで帰らせてもらった。職場を出たところで、急に体が震えだした。振幅幅のかなり大きな震えで、両腕で体を抱え込まないと止まりそうもないような震えだった。「胴震い」というやつか。ようやく駅までたどり着き、電車の中で本を読んでも文章が脳まで届かないような感覚だった。なんとか帰宅して熱を測ったら38℃台後半。数年前にインフルエンザに罹ったとき時以来の高熱だ。とりあえず体力をつけるためにも「もうこれ以上食べられませ〜ん」というくらいに食べて、すぐさま横になった。体力をつけることによって重症にならなくても、ウシになってしまうのではないか?
 もちろんこれは後になって書いた日誌(備忘録)であるため、こんなことを書けるだけの余裕があるのだ。

2/26
 おとなしく過ごしているわりには、朝からまた声が少しおかしい。日中はずっと読書でもして過ごし、夜、吉祥寺のライブハウスへ「わがままな月」を見に行こうと思っていたのだが、そのうち熱っぽくもなり、冷たい雨も降っていることだし、ここで悪化してもこれ以上職場も休むことは許されないだろうから、ライブは断念して一日寝床で過ごすことにした。しかしなぜこんなに治りにくいのだろう。薬局でも「今度の風邪は長引く。」と言ってはいたが。

2/25
 やっと念願のオラファー・エリアソン展を見に原美術館へ行った。
 光と色彩の圧倒的な存在感に息を呑んで見入る。光、影、色彩が緩やかに形を変えながら移ろいゆく様に、なかなか会場を立ち去ることのできないものがあった。確かに彼の作品は鑑賞者の完成を研ぎ澄ますための装置なのかもしれない。エリアソンの作品を体験しながら、わたしは次回作のイメージがさらに膨らんでいくのを感じた。
 一応病み上がりなので、今日はこれひとつのみで、途中、本屋で最近気になる本を数冊購入し、そのまま帰宅しておとなしく過ごしました。

2/24
 もちろんこれは後になって書いた日誌(備忘録)である。
 今日はこの間の日曜日以降で一番調子がよかった。定時まで仮の姿でいられることができた。

2/23
 もちろんこれは後になって書いた日誌(備忘録)である。
 たとえ仮の姿であったとしてもさすがに3日続けて休んだので、今日は出勤しないとまずいだろうと思い、熱が下がりきっていないにもかかわらず出勤した。しかし半日でギブアップ。早退して再び布団の中へ。

2/22
 もちろんこれは後になって書いた日誌(備忘録)である。
 おととい医者に行って薬をもらい、ずっと寝込んでいるのだが熱はひかない。声は発せられるようになったのだが、今度は頭痛がしてきた。それで再度医者に行った。最近は熱が38℃までいかなくてもインフルエンザのケースがあるとのことで、一応テストをしてもらった。陰性だった。

2/20
 もちろんこれは後になって書いた日誌(備忘録)である。
 昨日結構ぐったりしていたのだが、今朝は喉が痛く、声が(発することができれば)ほとんど別人のものになっていた。熱もある。そんなわけで仕事を休んで寝込んだ。

2/19
 またまた喉が痛い。少し寒気もしてだるい。今日はおとなしく部屋でメールや手紙を書いたり、新しい素材に挑戦してみたりした。

2/18
 東京都写真美術館で「ベトナム そこは戦場だった」と「写真展 岡本太郎の視線」の二つの展覧会を鑑賞。ベトナムの方は今までなじみのある、南側、アメリカ側から撮られていた写真に加えて、北側からの写真も交えた形での展覧会だ。途中、沢田教一や石川文洋などの写真も見られたり、ピュリッツァー賞を受賞した有名な写真も見受けられる。心なしか鑑賞者の年齢層が高かったようにも思える。今から思えばまだまだ牧歌的な戦争の時代だったし、あの時代にまだ生き延びていたジャーナリズムも今ではフリーの身分の中でしか生息できなくなっている。
 岡本太郎の写真は本当に痛快という感じだった。いかに岡本太郎が被写体に向かって憑りつかれたように迫っていってシャッターを切っていたかを物語っている。水平面が斜めになっているのもお構いなし。しかしそれだからこそ躍動感も出てくる。岡本太郎というエネルギーの塊が共鳴した瞬間さえもそれらの写真には写りこんでいた。
 千葉市美術館の「スイス現代美術展 リアルワールド」へ。スイスはフライターグの製造地。結構いいセンスしている。中でもウーゴ・ロンディノーネの作品が興味深かった。風が吹く浜辺をさまよう男女の写真。しかし二人は決して同じフレーム内には収まらず、その関係や距離が不鮮明だ。その色調と構図からなかなかデザイン的でコマーシャルっぽくもあった。
 銀座のギャラリーゴトウの阪本トクロウ展へ。日常のプレーンな、だからこそかけがえのない一瞬を表したような作品を満喫し、ギャラリーを失礼し、エレベーターを待ったいたところで、後から出てきた阪本さんに呼び止められた。わざわざお礼をしに来られたのかと思ったら、なんと阪本さんはわたしの発泡スチロール時代の作品を何度かご覧になっているらしい。芳名帳に書いた漢字の名前から、わたしに気づかれたらしい(ということでわたしにDMを送っていただいていたらしい)。あんまり驚いてしまったので、阪本さんの作品の感想も述べることができなかった。阪本さんの経歴を見て、何度も個展をやっていらっしゃるのにことごとく見逃しているのがとても残念に思っていたのだが、こんなつながりを持っていたなんて。つくづく作家活動を続けていくものだなと思ってしまった。少なくとも何人かの方にはわずかばかりでも何がしかの印象を残せられるものなのだから。サラリーマンの基本を知らなくてもいいでしょ?

2/17
 「退社時には『わたしはこれで失礼しますが、何かお手伝いできることはありますか?』と上司に尋ねるのがサラリーマンの基本だ。」と言われた。そこでふと、わたしはサラリーマンなのか?と自問してしまった。そんなわけなのかわからないが、ここのところしばらくは12時間未満だった仮の姿が、今日は13時間を越えた。

2/14
 職場の近くに小さな八百屋さんがあった。木造モルタルの二階建てで、4畳半くらいのスペースが店舗になっていて、40〜50代のご夫婦で営まれていた。それが改築され、今日からフレッシュネスバーガーに変わっていた。あのご夫婦はどこに行ったんだろう。今後の人生設計の参考にもと考えていたのだが。

2/12
 富士見市民文化会館キラリ☆ふじみマルチホールというところで上演される明神慈作・演出"Pictures"を見に、東武東上線ふじみ野で下車。会場へ行くための循環バスを待っている間、風が強くてまあ寒いこと。循環バスの中から見える富士見市の田園風景は、風で撒き散らされる土ぼこりでとてもとてものどかとは見えなかった。そんなところに富士見市役所に隣接して立派なホールがあるのだ。
 「キラリ☆ふじみ」というホールは平田オリザ氏が総合プロデューサーとして、ヨーロッパ型の舞台でじっくりと演劇を練り上げていけるような環境を作っているらしい。今回は作・演出の明神慈さん(ポかリン記憶舎舎長)からご案内をいただいて、拝見させていただくこととなったのだ。音楽は木並和彦さん。2004年にopaで個展をさせていただいたおかげでお知り合いになれた方々だ。
 一人の女性が突然死んで、仮通夜の中、その女性のパートナーとその弟、女性の妹、弟の彼女といった人々が、その死をどう受け止めていくかという芝居だった。「失ったもの」に包まれる胸を締め付けるような切ない安らぎが漂う、なかなかいい芝居だった。演出のみならず、舞台美術、照明、音響がとてもクオリティーが高く、緊張感あふれる舞台だった。携帯の電源を切らせるばかりでなく、チラシ、アンケート用紙なども足元に置くよう依頼するほど、静寂を前提としているのも頷けた。
 公演終了後、明神さんと舞台美術の杉山至氏、演劇舞踊ジャーナリストの堤広志氏によるアフタートークもなかなか興味あるものだった。ひとつの舞台をどれだけ妥協せずに作り上げるのか以下に大変か。出演者や舞台効果すべてに満足できるものにするためにどれだけの労力が費やされるのか、想像もできない。
 明神さんの舞台は「間」が重要な要素となっていて、わたしの作品にも通じるところや参考になるようなところがかなりあった。また拝見したいものだ。そういえばこういった演劇鑑賞はほとんど初めてに近いんじゃないのか?
 それにしても舞台終了後に駅までの循環バスを待っているときの風の冷たかったこと。帰宅後しばらくしてニュースを見たら、東武東上線沿線の住宅街で火事があり、その影響で東武東上線が一時不通になったらしい。わたしが乗った電車が通過してしばらく経ってのことらしかった。ラッキーといっていいのかな、きっと。

2/11
 耳鼻科に行った。が、今日は祝日でお休みだった。
 お昼ごろ銀座のギャラリーへ向かって自宅を出た。ギャラリィKの羽鳥賢二さんは前回の個展を見逃していたので、今回鑑賞することができて満足。墨の微細な粒子が水面に織り成す現象を紙の上に転写して出来上がった作品だが、顕微鏡レベルの現象から、遥か遠くの天文学的な現象まで想起させる。とても興味深い作品によって空間が覆われていた。
 高久千奈さんの作品はパルプをところどころ焦がして円筒にしたものが並べられている。骨壷を連想させたが、高久さんのお話ではそれは正解であるようだった。前面に針金が張り巡らされ、偶然による「選別」により、彼岸に逝ってしまった人たちの列と、何かの偶然によりいまだこちらにいるわたしが対面しているかのようだった。
 それから広尾の工房・親の日下芝さんへ。ギャラリーに近づいていくと、中に押鐘まどかさんがいるのが見えた。また会ってしまいました。そろそろ誰かに会うんじゃないかと思っていた矢先だった。本当にわたしは人に会うものだ。日下さんご本人にもようやくお会いすることができた。一時期モノトーンの作品を発表されていたのがここ数年以前のように色彩を帯びてきたあたりのことをお聞きでした。
 そんなわけで耳鼻科以外はなかなか有意義な一日だった。

2/5
 寒いけれどもとてもいい天気。そんなわけで1時前に自宅を出て、まずは中央線にかかる陸橋に行って富士山を確認し、それから玉川上水沿いに井の頭公園に出て、池の周りを一周し、それから善福寺公園へ行って池の周りを一周して戻ってきた。計4時間ほどの散策。なかなかいい運動になりました。

2/4
 朝、9時前に自宅を出て渋谷へ。旧ユーロスペースのシアターNへ。話題の映画「ホテル・ルワンダ」。1階の入り口に長蛇の列が。もうこんなに並んでいるのかと思ったら、1Fのアニメショップへの入場の列でした。どうりで客層が若すぎる(ていうか子ども中心だ)。開演45分前に到着したのだが、すでに30人くらい並んでいる。待つこと30分。入場開始時には歩道をずっと上るような列になっている。で、入場してわたしは最前列に座ることにした。
 「民族」というややフィクションめいた概念が絡む紛争は、なかなか簡単な図式には当てはまらない。あくまでもエンターテイメントのメディアである映画は、ここらへんの図式を単純にしないとストーリーが流れない。だからこの映画はやや一方的な見方をしているとも言える。以下、参照サイト。
http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20060114
http://www.peacebuilders.jp/symp11.html
 もちろん感動しなかったわけではない。あからさまな人種差別。ルワンダというアフリカの小国の紛争に関与して引きずり込まれることの懸念。そんな当時も抱いた怒りや悲しみ、自身の感情を偽善的とも感じるやましさを抱いたのも思い出した。国連平和維持軍の大佐が主人公ポール・ルセサバキナに言った言葉が印象的だった。「君はホテルの支配人になれても社長にはなれん。それは君が黒人だからだ。いや、君はニガーですらない。アフリカンだ。」
 友人知人間で最近かなり話題になり、しかも一人は映画館でテレビカメラに映される井筒監督を見たらしい。なのでそれが放映されて今以上に話題になる前に行こうとしたのだった。
 それから世田谷美術館の堂本尚郎展へ行った。世田谷美術館も久しぶりだなーと思ったら、1年半前の宮本隆司展以来だった。たぶん美術館というところに行くという習慣のない人からすると、1年半ぶりというのは久しぶりとは言わないのだろう。画風を変化させ、老いてもなお創造的な堂本には憧れを持ってしまう。じっくりと鑑賞して美術館を出たら2時間以上滞在していたことに気がついた。

1/30
 ここの所ずっとのどが痛くて咳が出ていたのだが、ついにダウン。低体温なりに熱も出た。朝起きたとき、これから半日以上仮の姿を自身に強いることができるかと自問し、否という答えが返ってきた。そんなわけで一日中療養。
 ナム・ジュンパイク死去。合掌。

1/29
 現代美術「こうふ展」−描くということ−(甲府市総合市民会館)に行くため、立川からあずさに乗って甲府へ。
 甲府駅を降りたところ、全国的な陽気なのか、思ったほど寒くない。まずは山梨県立美術館へ行く。「新収蔵品展」で中込靖成、阪本トクロウ両氏の作品が見られるし、甲府まで来ておいてミレーの「種まく人」を見ずに帰るわけには行くまいということからだ。バルビゾン派の絵画に描かれた人々の当時の生活やら思いやらを考えながら見た。山梨県立美術館の「売り」はバルビゾン派なのだが、まあまあ面白かったというところだった。常設展は後半疲れた。
 甲府に来たのだから、せっかくなので「ホウトウ」を食べなきゃということで、美術館前の店で「かぼちゃホウトウ」をいただきました。味噌けんちんにきしめんの太いのを入れた鍋焼き?だなんて言いません。アツアツで量もあり、わたしの食事量からすればほとんど夕飯のレベル。
 で、今回の小旅行のメインイベントである、現代美術「こうふ展」−描くということ−(甲府市総合市民会館)へ。日野之彦、前川知美、阪本トクロウ、中込靖成各氏の作品を一堂に見られたのはかなりの特典だったが、さらに金子靖之、八代美紀といった未知の作家さんの作品に触れられたのも収穫であった。
 帰りは甲府駅に到着したら、あと20分弱であずさがあり、それに乗って帰宅。

1/28
 午前中は掃除やら洗濯やらを終えてから、少し制作。3ヶ月前に注文を受けたまま手をつけていなかった小品の制作だ。
 午後になって京橋−銀座のギャラリー巡り。
 あるギャラリーで「能記」と「所記」という懐かしい言葉に再会。えーっとなんだっけ、これって。なんの訳語だっけとすぐに思い出せず、数時間後にようやく シニフィエとシニフィアンであることを思い出す。ご無沙汰しておりましたソシュールさん。

1/22
 午前中は結構日も出て暖かかった。なのでちょっと散歩に出ようと思って、先週とは逆方向に玉川上水を歩こうと思い、三鷹駅北口から小平のほうに向かおうと思ったのだが、三鷹市側の玉川上水沿いの道の整備状態に比べて武蔵野市側の道は上水の状態もあまりいいとは言えず、面白くなかったので途中で引き返してしまった。その割りに一時間半くらいは歩いていたな。

1/21
 天気予報どおり、朝から雪降り。でも外出しました。
 まずはOPAに寄ってマッチ箱展を再度鑑賞。雪降りなのに結構な人の入りでした。昔の日本のマッチ箱ラベルのシートを購入。それから上野へ。どんどん落ちてくる雪の粒も量も増してくるというのに、上野公園も結構人がいて記念写真など撮っている。そのわりには噴水の手前で「東京せともの市」というテントが張られていたが、中には出展者しか見えなかった。芸大美術館陳列館で芸大彫刻科関係者を中心にした「スキノデリック 彫刻の表層」という展示を鑑賞。それから旧平櫛田中邸で開催されているという「アトリエの末裔あるいは未来」という展示にも行こうとしたのだが、もう終了時刻となっていて断念。そのままバスハウスへ行き、それからほとんど水墨画のような風景となった日没時間の谷中霊園を通り抜けて日暮里駅に向かい、そこから神田へ出て、神田−日本橋のギャラリー巡りをした。さすがにこんな雪の中、ギャラリー巡りをする人間はめったにいないらしく、どこでも歓迎された。
 ところでさる個展会場で、それなりに年上でそれなりの地位にある作家さんから「どこ(学校)を出たの?」と会話の割と早い段階で聞かれた。ちょっと(というかかなりというか)がっくりとした。そんなことを気にしている人間が作家サイドにまだいるのかと思って愕然としてた。わたしの答えは「いえ、どこも出ていません。」だった。

1/20
 職場の同僚たちに定時後の食事に誘われた。だが、ここのところ10時くらいの退社なので、とてもそんな確約はできないので断ろうとしたら、今日は仕事も切りがいいだろうし、是非にもということで、みんなから少し遅れて行った。職場の近くの刀彫麺屋さんだ。まあ会話の中身は・・・。わかりますよね、会社員だったら。

1/18
 まあ芥川賞だの直木賞だの、注目しているわけではない。なので今回の受賞作が何なのかニュースで見たから知っていたが、候補作が何なのか見落としていた。 最近読み終えた姫野カオルコの「ハルカ・エイティ」が候補作だとは知らなかった。今日の夕刊で選考委員講評が載っていて知ったのだ。で、「小説の時代を生で知っている選考委員もいて、許容しがたい違いがある」との声が出た。というのが落選した理由らしい。でもそれはちょっとフィクションとしての小説の前提を否定しかねない発言ではないのか?では阿部和重の「シンセミア」は山形の神町が舞台だが、「小説の舞台を生で知っている選考委員もいて、許容しがたい違いがある」という声が出てもいいのか?
 姫野カオルコの近隣者にこの小説の主人公ハルカのモデルになった人物がいたらしい。「小説の時代を生で知ってはいない」読者としては、大正生まれで戦前、戦中、戦後を伸びやかに生きた(そして今も生きている)一人の女性の姿がとてもとてもすがすがしく、気持ちのよい読後感があった。でも直木賞に注目しているわけではないので、わたしの読後感には何も影響は与えない。姫野カオルコの「ハルカ・エイティ」は結構いいですよ。

1/15
 昼ごろまでだらだら寝床から出られなかった。
 あまりの日差しのよさと風の温かさに釣られて、久々に玉川上水沿いの散策に出た。井の頭公園から久我山近辺まで行き、それから戻ってきた。気温はどのくらいあったのだろう。まるで3月中盤から後半のような風を感じながらの散策だった。木々の中に小さい芽吹きを見つけることができた。三鷹に戻ってから「カフェ・マグノリア」というカフェに入った。玉川上水沿いの道にプレーリー・ドッグの看板があり、以前から気になっていたカフェだ。地階にあるのだが、中庭にプレーリードッグがいて、ちょこちょこ動いていた。コーヒーは熟成させたオールドビーンズのブレンドコーヒーがまろやかでおいしかった。
 この週末はいろいろとやりたいことがあったのだが、結局できずじまいだった。「仮の姿」に侵食されて本来の「生業」ができなくなってしまっている。まったく・・・。

1/14
 そんなわけで12時前に起床したのだが、やはりまだまだ睡眠不足で頭が働かない。土曜日を丸一日無駄にするのも癪なので、掃除やら選択を済ませて結構雨が強く降ってきたが3時過ぎごろから外出することにした。
 昨日から今日にかけての20時間勤務がなかったら、原美術館に行こうと思っていたのだが、とてもそんな気力もない。いくつか行きたい個展もあったのだが、来週まで開催しているなら来週に回そうと思い、まずは自分が参加しているオーパ・ギャラリーの「オリジナル燐寸ラベル&マッチ箱アート展」に行った。総勢100人以上の参加のため、とてもにぎやかな展示になっていた。で、わたしの作品は「想定の範囲」以上に存在感をなくしていた。版画やイラスト、立体などの中でまったく地味なものになっていた。ほかの作品に比べて、もしかしたら完成度が低いんじゃないのかとさえ思ってしまった。いわゆる「現代美術」は「工芸」系に比べて、細部の完成度に対する詰めが甘いのか。
 マキイマサルファインアーツの吉田朗さん。社会性を持つテーマをやや諧謔気味に提示する。なかなか面白かった。

1/13
 隣の席の同僚に「朝、駅を降りたとき、ああ、これから12時間職場にいなければならないんだと思うと、本当にいやな気分になるんですよね。」と言ったのだが、12時間なんてものじゃなく、この日は20時間以上いるはめになってしまった。それで退社したのが14日の5時半。職場を出て広い通りに出たら新聞配達のあんちゃんたちとすれ違った。そんなわけで、あたりまえのことだがこれは後日書いている日誌である。帰宅したのが6時過ぎ。それから13日分の夕食として、コンビニで買ったサラダ類を食べて7時過ぎに寝た。こんなにまでしてもその分の金銭的な保障があるわけでもない。
 去年10月にギャラリーKINGYOでご一緒させていただいた平面作家の嶋津晴美さんのお言葉をお借りして、職場でのわたしのことを「仮の姿」と称しているが、本当にその言葉は的を得ていると思う。わたしはもう職場にいる自分を本来の自分から切り離してしまった。それでないと感性やら創造性やらまったく無駄に使い果たし干からびてささくれだってしまうからだ。そうでもしない限り、世のためになるとは思えないことのために、お金ももらえないのに(いわゆるサービスなんとかというやつ)一日の大半の時間を使っていることの意味を自問できない。
 しかし「仮の姿」と言って別の姿を持っているわたしはまだまだ幸福なのだろう。

1/9
 寝ぼけていたわけではないだろうが、朝食の時に入れた紅茶がいつもと違う味がして、よく見たら、レギュラーコーヒーの粉をティーポットに入れて呑んでいたのだ。それだからだろうか、どうも午前中はなんだか調子が悪かった。
 府中市美術館の「絵画の行方」展へ。東府中駅から美術館に到着するまでにすっかり冷え切ってしまったからか、あまり頭が動かない。作品を見てもいつもよ り入ってくる量が少ない気がする。そのうちにクラクラし始め、いすに座っては少し休みつつ鑑賞した。途中で一回会場を出てカフェでコーヒーでも飲んで血の巡りをよくしてから再入場しようかとも思った。でもだいたいそれぞれの絵画の良さは確認できたと思う。帰りに自販機でココアを買って体に入れてから少し回復した。体調をよくしてから見るべきだった。少々もったないことをしてしまった。それでもじっくりと鑑賞できない状態であることを踏まえて、できるだけ情報量は獲得しようとそれぞれの作品を何度も見ておいた。記憶だけは残しておけるようにと。
 府中芸術の森ホールで府中市の成人式が開催されるようで、多くの着物姿の女性とすれ違った。
 帰宅してからマッチ箱アートの最後の制作をして、梱包して発送。はたしてどんな反応があるか。でも100人を超える参加作家の作品の中にうまく透明にたたずんでくれるだろう。

1/8
 終日制作。
 夜はなんと銀座のイタリアン。

1/7
 昼間は「マッチ箱アート」の制作。暗くなってから外出した、六本木の森美術館の杉本博司展へ。
 チケットカウンターに列ができていて、「しまった!来る時間帯を間違えてしまった!」と反省してしまった。まさかそんなに杉本博司が人気あるのか?いや、きっと土曜に夜景を見たい人たちなんでしょう。
 ここでもまた友人知人に会ってしまいました。川ア美智代さん。しばらくお話をして、お互いの鑑賞のテンポを尊重してお別れしました。
 杉本はもともとそれなりに興味ある作家ではあったが、こうして改めてその作品を通してみると、それぞれのシリーズごとの完成度の高さがわかる。特に「海景」シリーズでは池田亮司のサウンド・インスタレーションともあいまって静謐な空間を楽しめた。この海景シリーズは確か直島でも見たはずだったが、ここでようやく理解できたような気がする。この展覧会全体の展示デザインも彼本人が手がけているようだが、照明の方法などかなり気になるところがあった。チケットカウンターで感じた危惧ほどには会場内は混んではいなかった。
 それにしても森美術館に来るたびに思うのは、会場が広すぎてじっくり見ると疲れてしまうということだ。今回も2時間ぐらいは費やしているように思える。帰りに広尾の中華料理屋さんに寄って、がっしり食事をする。おなかが苦しい。

1/3
 お昼ぐらいまでうだうだ布団の中にいた。こんなことここ数年なかったな〜。
 午後はホームページの整理をして終了。

1/2
 川村記念美術館のゲルハルト・リヒターへ。まるで年始参りのようにロスコとリヒターを鑑賞することとなった。寒い雨の中、予想外に来場者がいた。まあ、佐倉までリヒターを見に来る人には、天候は意志を曲げるほどの要因ではないのだろう。
通常はマレービッチやカンディンスキーなどが展示されている部屋から始まり、途中ロスコルームを交えて、二階が展示会場となっていた。特に二階は空間を広く有効に使用して、とても気持ちよくその緊張感の中に漂えた。行っては戻りと何度か繰り返し、作品を鑑賞し、会場全体を把握したりして、結局美術館には二時間くらいいたことになる。今回の展覧会はリヒターの回顧展ではなく、他にも数ある有名な作品はなかったのだが、見るものをずんずん引き込んでいくクオリティーの高さには圧倒された。新年早々リヒターを鑑賞できたということは今年一年いい年になるのかな〜。なってほしいな〜。わたしにとってのいい年というのは、わたし自身の作家生活が充実しているってことですが。
 帰宅途中にタワーレコードに寄って早々にCDを買ってしまった。それにしても新宿の人の多さ。それぞれのデパートで初売りをやっているからか、通常の休日よりは人出があったように思える。カレンダー上、あまりうまみのない年末年始だったために、人があまり遠出しなかっただろうか。

1/1
 年も改まりましたが、特に代わり映えもなく、制作に没頭。夕方になってから散策に出かける。昨日のルートにさらに井の頭公園の池一周を追加し、1時間くらいの散策とした。
 夜、ほぼ完成。が、少し作りの甘さが気になる。


タイトルは「マトリックス」の中で出て来るセリフらしいですね。実はわたしはこの映画をテレビでチ ラチラとしか見ていないので、どこで出てくるのかよくわかりません。わたしはスラヴォイ・ジジェクによる テロとその後の戦争について論じた文章のタイトルとして知ったのでした(現代思想臨時増刊「これは戦争か」より)。
なお、画像は島田雅彦の「ミス・サハラを探して」(KKベストセラーズ) の中のチュニジアの砂漠の写真(撮影;中島誠)を無断借用しました。