イグチトシオがふと考えたこと、感じたことを書き留めておきます。念のために再度申し上げますが、見せたくない部分は書かず、こういう所を見てほしい、こう見られたいというところを書いています。当然真実のみが書かれているわけではありません。
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2007年月4月1日〜
6/30
府中市郷土の森博物館の「宮本常一の足跡〜旅する民俗学者の遺産〜」へ今年が生誕100年ということらしい。わたしはずっと以前に「忘れられた日本人」を読んだ程度だが、文字通りの「現場の人」でフィールドワークで歩き続け、地域をただの研究対象としてだけではなく、地域振興まで視野に入れた提言をしたりして、佐渡の「鬼太鼓座」の創設にも関わってり、渋沢敬三創設のアチック・ミュージアム(現神奈川大学日本常民文化研究所)に所属し、網野善彦とも少し関係があるし。
立川から南武線に乗り、分倍河原で下車してバスで行くルートで行った。分倍河原は初めて降りる駅だったが、駅前のロータリーに新田義貞の像があってびっくり(博物館に行ったわかったのだが、分倍河原の合戦で鎌倉幕府軍と戦ったらしい)。
宮本常一は府中市在住だったこともあり、今回の展覧会の開催となったのだが、展示の中心は直筆の原稿やら写真、パネルによる説明だった。とにかく文字通り全国津々浦々を訪れたので、どうやらわたしの郷里にも足を運んだことがあったらしい。宮本自身が撮った写真には昭和30〜40年代の佐渡に六部が出てきたり、京都では行者が歩いていたりする。その写真に登場する人々の様子を見ると、高度経済成長によって大きく民俗が変化したことが窺える。そして今は高度成長後の民俗からもまた大きな変化を遂げている時期なのだ。
府中市郷土の森博物館は「郷土の森あじさいまつり」の期間中ということで、しばらく園内の散策をすることとした。大正10年建設の旧府中町役場庁舎や昭和10年建設の旧府中尋常高等小学校校舎といった復元建築物を見学した。寝不足と湿気のためかちょっと疲労気味で、ギャラリー巡りも却下して同じルートで帰宅した。
少しうたた寝をして回復し、夜は制作。
6/27
退社後に渋谷Cassina ixc. PRIVATEでの小野憲一さんの展覧会へ。おしゃれな家具小物屋さんの壁に小野さんの作品が展示されていた。少しグレーがかった壁は、ギャラリーの白い壁よりもさらにキャンバスの縁の線を消失させ、小野さんの作品のもつインスタレーション性が一層明らかになる。キャンバス上に浮かび上がった線が、壁にも気配を及ぼしていた。他にもアクリルのINNERLINEも久々に見ることができた。一緒に行った友人は小野さんの作品を初めて見たのだが、以前の「そらいろ」や「INNERLINE」を称して「禅の世界」と言っていた。確かにそう思った。わがままを言わせていただければ、もっと壁に余白がほしかった。
6/24
床に材料を敷いてカットしているので、腰が痛くなる。ときどき腰を伸ばすために仰向けになる。ときどき眠くなる。
なんとか眠気に耐えて一段落してから、ポかリン記憶舎の演劇「息・秘そめて」を見に駒場の劇場に行く。
舞台が暗くなる前の、客がまだ入ってくる時間から、すでに劇は始まっていた。どこにでもありそうな風景とどこにでもいそうな人物たち。そんな演出のひとつなのだろう。どこかの公共機関の一室で開かれた写真の一日体験教室で、企画側、写真家、教室の参加者が特有の間合いと距離を置きながら、淡々と展開していく。それぞれの登場人物はその教室に参加したたった数時間以外の遥かに長く広い生活を持っている。舞台ではその一部があるきっかけにほんの少し垣間見られたりする。が、それは僅かな余韻を残しつつも、大きな変化を及ぼすことなく教室は進行していく。それはあたかも写真が風景の一部を切り取るが、しかしその四角い枠の中に入りきらなかったものひそやかに紛れ込んでくるようだった。対話は発せられた問いかけに対して、誇張したような間合いを取ってから静かに答えがある。その間に本人の中では多方向への動きとがありつつひとつの言葉が紡ぎだされているように。静かにゆったりと流れる劇中の時間には、わずかばかりの不穏と安らぎと輝きがちりばめられていた。
6/23
浦和の画廊で丑久保健一さんのドローイング展へ。
お亡くなりになってから5年になるのに、作品はいまだに強くメッセージを発している。立体やインスタレーションとはまた異なる密度の水彩のドローイングの色彩や図像の構成、マチエールを鑑賞した。立体作品によって周囲を巻き込んでいった作品の広がりは、ドローイングでは空間が平面に取り込まれているように思えた。そうして鑑賞している間に、自身が自問自答のような会話をしているのに気がついた。どのくらいそんな時間を過ごしていたかわからないくらいだった。まるで丑久保さんに自身を語るような、あるいは丑久保さんが触媒となって内省しているかのようだった。「ひとつの『生』を突き詰め探求していくのが美術家の表現だ」というようなことをおっしゃっていた。短い間ではあったが、師とも呼べる人に会えたことはかけがえのない財産だと思う。
神保町でさとう陽子さん、小島敏男さん、高橋國夫さんの三人展。さとうさんが会場にいらして、少しお話をした。パフォーマンス(所作)と絵画、写真といった表現方法の中で、「無作為の作為」としてどう表現していくかというようなことをお聞きした。
高円寺のGALLERY 45-8へ。運営者であるFさんは2005年の個展にお越しいただいた方で、共通の友人知人がいる。平日はお勤めをして土日にギャラリーを開くという大変な活動をされている。前回の「戦争廃墟」の展示のときのこぼれ話などをお聞きする。
帰宅後は制作。
6/22
帰りに四ッ谷駅のホームで見覚えのある顔が。Bさんだ。2月の個展でお会いして以来の再開だ。Bさんは去年、転職してこちらの方面に勤めているらしい。電車の中ではシステムまわりのことやらお役所の紙文化みたいなもので盛り上がった。また偶然に人と会っちゃいましたね。
6/17
いつもの日曜日と特に変わらず。つまり朝起きてから制作をして、夕方になって散歩をして途中スーパーで食料品を買い、帰ってからまた制作をした。
6/16
昨日行けなかったギャラリー・アート・ポイントの四人展へ。お目当ては阪本トクロウさんと後藤智さんだ。後藤智さんは一度非常に抽象に近いところに行っていたが、具象に戻ってきたという感じがある。が、以前、住居を描いていたときのような細部の描きこみへのこだわりはないように思える。水や光といったはっきりとした形状のないものを描いている。キャンバスではなくガラス絵という素材特有の表現方法があるだろう。今後どのように変化していくのか、深化していくのか、興味ある作家さんだ。
阪本トクロウさんは相変わらず余白が美しい。以下に余白を描くか、キャンバスの外にあるものをその余白の中にどのように余韻として含ませるかといったあたりが、たぶん非常に試行錯誤されているところだと思うが、そういったものを通り越してまるであるがままに描かれているように思わせるところが素晴らしい。
ところでギャラリー関係者でもなく、この四人展にあまり関係がなさそうなおばさまたちがいらして、ギャラリーの空気を支配していました。電話がかかってきたときの対応の声の大きさといったら、5m先の携帯に向かってしゃべっているような音量だし。いったい・・・。
その後、「深川いっぷく」にテルミンライブのときの音源と映像をコピーしたテープを渡しに行く。おすそ分けの寒天などいただきながら、時間が経つのも忘れるくらいの待ったりした時間を過ごす。わたしなどが日常生活で忘れていた、人間が本来持っている「濃さ」が下町には日常的に繰り広げられている。そのこぼれ話がとても面白い。
東京都現代美術館のマルレーネ・デュマス展へ。友人間ではひそかに釈然としないとか展示の仕方が問題だとか言われていた(のを又聞きしたかたち)。基本的にはポートレートを中心にした絵画だといっていい。一番最初に見るのは妙な高さに展示してあるポートレートだ。この展示位置が何かを物語っているのだろうか。油彩やインク、墨を使った、ドローイングからタブローまで、わたしとしては見ごたえのあるものだった。ただ、すぅっと見たという感じではあった。じーっと見入って奥に分け入っていくという感じではなかった。つまり描かれた人物たちはそれぞれが個性的であったが、一様にそう簡単には打ち解けてはくれないというような感じだった。そんなところをみんなは言っているのだろうか。が、デュマスの画集はアートショップで何度か見たことがあるし、去年足を運んだテート・モダンでは死体の顔をモチーフにした絵が何点か展示されていた。悪くはなかったですよ。ただ「エロスとタナトス」という切り口は、確かにそうではあるが、凡庸と言うか食傷気味のフレーズというか。
ちょうどトーキョー・ワンダーサイトの入選作品展も開催中だったので入ってみた。柳ヨシカズさんの作品があって、うれしかった。それ以外の感想というと、2,3の作品は惹かれるものがあったが、う〜ん、卒展とレベル的にあまり変わらない気がするのはなぜでしょう。
常設展では入ったすぐのところのスゥ・ドーホーの「Reflection」が圧倒的。ネットを一面に張って、それが水面のように見え、その中央に中華街の門のような立体が上下対称にある。水中楼閣のような幻のような、そんな作品。しかしそれ以上に圧倒的だったのが岡本太郎の幻の壁画「明日の神話」の展示だ。縦5.5m、横30mの大作。遠く離れないと全貌が見渡せない。その強度から少し離れなければならないようで、それはまるで岡本太郎自身の強度に対してもそのように離れないと全貌が見渡せないというような例えのようでもあった。
帰りに深川いっぷくでラムネをいただいたところ、ビー玉をブシュっと押したところ、ちょっとラムネが噴き出して指にかかってしまった。そうしたらちょうど深川いっぷくに寄っていたお隣りのお店のおばさんが、さっとやって来ていっぷくの店先にある打ち水用のひしゃくで水をかけて洗ってくれた。これぞ下町!そんな感じでまたしばらくまったりと過ごしてから失礼した。
そこから途中にあるプライベートギャラリーに寄った。職業は「花屋」といういわゆるフラワーアレンジメントの人なのだが、自身の作品を2年限定でそのスペースで発表しているということらしい。町工場かなにかの跡をそのまま白く塗ってスペースとして利用している。入ってみるとスタッフが思い入れたっぷりって感じで説明してくれる。自分の生けた植物が人から「エロスを感じる」とか言われたが、自分としてはそういったエロス云々の前にこいつら(植物)は生きているんだって思っているんだとかってことを言いたいとか。ああ、それってつまり「エロス云々は見ている人間側が勝手に思っていることで、植物自体の『生』、『在る』という強烈な事実とかエネルギーとか、それを感じているんだってなことを言いたいんでしょう?」とちょっと突っ込みを入れたくなった。「そんなわけでその植物の息吹を感じてもらうために、今回は特にモノクロで写真を撮って展示し、それぞれのパネルの横にはそれぞれの植物の息吹を感じさせる音をCDでお聞きいただけるようになっています。」と説明を受ける。植物の葉や実をアップにしたモノクロ写真は、申し訳ないが荒木経惟(それこそエロスだ)を連想してしまうし、やや腐りかけの果実など、中川幸夫を思い出してしまった。で、「音源はどこから採ったんですか?」と尋ねたら、作家の息とか声らしい。確かにCDをかけると息の音とか咳をする音とかが聞こえてきた。これって植物の息吹ではなくて作家の息吹では?とまたまた突っ込みを入れたくなる。植物の息吹と言えば、植物には微細ながら電流が流れていて、それが外界に反応して変化するんだとか、植物を愛でたり、モーツアルトを流すと電流が反応するとか、それを音楽として採取した人がいるとかそんなあたりを言ってみたくはあった。植物自身に語らせたわけではなく、植物と接している自分が語っているということなど、結局この作家の自己愛みたいな世界に乗れるかどうかなのだろうか。わたしのこんな程度の理解力だからだろう、月一回のペースで開催されるという作品のお知らせをもらっても、わたしはたぶんもう来ないと思います(と心の中でつぶやいた)。なんだかいわゆる「お花」ってお花への愛情と自分への愛情が渾然となっているように受け取れるケースが多々ある(ように思える)。特にここはプライベートギャラリーなので、その愛は独特でしかも強烈だ。他の人はどんな感想を持つんだろう。
6/15
退社後に京橋の藍画廊で開催中の田中正弘さんへ。久しぶりに田中さんとお会いすることになった。
田中さんは鉄で立体を作られる方で、今はなきアートフォーラム谷中の関係でお会いした。田中さんの重く存在感のある作品と軽くできるだけ存在を消そうとする方向のわたしとでは目指すところも異なるかもしれない。だが田中さんにはそれで否定されたり批判されたりしたことは一切ない。わたしのようなものもありだと思ってくださるのだろう。それから作家として時流とのスタンスの取り方や求道する様などは言葉からも態度からも多くを学ばせていただいている。そんなわけでお会いすると必ずやや緊張気味にお話をすることになる。
田中さんの最新作は「雲水」というシリーズで、行脚僧の周りを円が囲んでいる。この円は特にモチーフがなく、造形的にこれがいいだろうということで付け加えられたものらしい。が、その円は作品としてそこにあるべきものとして必然性を感じさせる。また鉄で作られた円はその質感を感じさせず、空気というか気配というか、そういったものを感じさせる。重いものを軽く見せる。これも作品の力だ。わたしの作品が然るべき形や位置に到達するにはまだまだだ。「自分にできる表現方法で、自分が居心地のいいものを作っていくしかない。」という田中さんの言葉をおみやげとして、失礼させていただいた。
知り合いのギャラリーのDMを置かせてもらうという「おつかい」を済ませた後、時間が7時15分くらいなのに気がついた。7時半までのギャラリーに行こうと思っていたのだが、到底無理なので、そこから帰路に向かった。
数日前、CD屋さんで偶然PIL(パブリック・イメージ・リミテッド)のメタルボックスを見てしまい、どうしてもほしくなってしまった。といって今日買ったのはメタルボックスではなく普通のCDだ。初期の三枚は傑作で、、特にFlowers of Romanceは名盤中の名盤と言っていいだろう。その三枚を買ったわけだ。緊張感のある音はなかなか。当時のジョン・ライドンはやせて真っ白な顔をしていたためか、とても鋭くシャープなイメージがある。今は?知りません。
6/11
新宿高島屋で開催されている「AMUSE ART JAM TOKYO 2007」に渡辺おさむさんが参加されていて、土日に公開制作をされたとのことなので、退社後に寄ってみた。公開制作の模様も見たかったのだが、出来上がりの方が興味があったので、制作終了後ということにした。
モデリングペーストで作ったクリームの搾り出しがメモスタンドとして売られていて、チョコなどを入れるかまぼこ型の小さな箱に入れてくれるらしい。そういった細部へのこだわりはとてもいい。でも買っても誰にプレゼントしていいのかわからなかったので、買いませんでした。すみません。
知人と一緒だったので、せっかくだからと新宿ジュンク堂で先週見つけた地獄絵の絵本を紹介した。これは「地獄へ道連れ」ってやつですか?気がついたらあまりのインパクトの強さに、作者や出版社を知ろうという気にもならなかった。
が、せっかくなので備忘録ということで。「地獄 絵本 千葉県安房郡三芳村延命寺所蔵」 宮次男/監修 白仁成昭/構成 中村真男/構成 貝原浩/構成(風涛社)。
6/10
大雨は今日だった。
大雨だし雷も鳴るが、なかなかいいペースで制作が進められる。午後一段落したら、未練がましく某量販店に行ってもう一度ビデオ一体型DVDレコーダーを買う決心でもつけようかと思っていたが、今日決めることでもないじゃんと思ってやめた。
そんなわけで今日は一日制作をして、夕方の散策をして、夜はまた制作をしてという、普通の日曜日でした。
6/9
今日は大雨が降るらしい。ニュースの天気予報ではいつも朝っぱらからオヤジギャグをかます気象予報士が大真面目に言っていた。今日は大宮での徳永雅之さんの個展と銀座のギャラリーに行くつもりだったのだが、悪天候にならないうちに大宮に行った方がいいだろうと思い、午前中に到着するように出発した。
湘南新宿ライナーだと新宿−池袋−大宮と停まるので早く到着できるのだが、隣に座った女の子(20代前半)が、隣に座ったおじさんに会話の中身が聞こえていても特に気にしない程度の声で話をしていたので、若いっていろいろと悩みがあって大変よねと思いながら読書をしていた。
どうやらげっそりするほど思いつめた年下の男の子に「コクラれた」らしい。別に嫌いじゃないけどそんなに大好きってわけでもないらしく、どう対応したらいいのかわからないらしい。「なんか」、「マジで」、「めっちゃ」、「ちょー」、「あり」、「なし」、「どんだけ〜」がちりばめられた会話は、おじさんには遠くを見るような目つきで聞くような甘酸っぱさだけど、まあそういうのもとことん楽しんでよ。
さて、大宮駅からギャラリーまでは氷川参道を歩くことになる。新緑の涼しげな空気を楽しみながら進んだ。氷川神社を通り過ぎ、エル・ポエタに到着。エル・ポエタのちょうど類の落ち着いた雰囲気の、その先のギャラリーで徳永雅之さんのエアブラシで描かれた絵画を拝見した。マクロコスモスのようなミクロコスモスのような、はたまたさきほどの参道の木洩れ日のような、水面に反射する光の漂いのような。静かに落ち着く反面、ずっと入り込んでいってその中で漂っているような感覚が湧いてくる。ぜひ手元に置いてじっくり鑑賞したいと思っているのだが、今回一番気になる作品にはすでに赤丸がついていた。残念。
徳永さんは午後にはいらっしゃるとのことだったが、これから悪天候になるのではないかと思い、それでも40分くらいは拝見していたと思うが、お会いせずに失礼した。
帰りの氷川参道で降り始めたが、土砂降りとまでにはならずに駅に到着した。大宮から上野に出て、そこから雨なんか全然降っていない日本橋に出て西村画廊に寄り、小林孝亘展を鑑賞。初期の潜水艦シリーズから最新作の顔までのレトロスペクティブのような展覧会で、バスのテールランプやこちらを覗き込むイヌやバンコクの屋台のプラスチックのお皿など懐かしい作品も見られた。
それから銀座に出て、art space kimura ASK? でしりあがり寿の「インスタレーション」を楽しみ、ギャラリーにいらしたKさんとしばし歓談した。帰りにKさんに勧められた「あずま」のきんつばを買って歩行者天国を歩きながら食べた(お行儀悪い)。結局大雨なんて降ってない。これだったら徳永さんの作品をもっともっとじっくりと見て、エル・ポエタのコーヒーなぞ楽しめばよかったのに。
帰りに某量販店により、ビデオ一体型DVDレコーダーを見た。もう半年以上前にビデオデッキが壊れてから、ビデオ一体型DVDレコーダーでも買おうかと思っているのだが、なかなか決められない。機種が決められないのではなくて買う決心がつかないのだ。「デジタルハイビジョンチューナー付」でないと2011年以降はテレビが見られなくなるなんて脅しやがって。ちょうどいい機会だからテレビを見なくなってやるって手もあるんだぞ。などと商品に毒づきながら、結局今日も決められずに退散した。
毒づいたのが自家中毒を起こしたのか、帰宅後はなんだか疲れてしまって少しうたた寝をした。夜は制作。
6/8
青山のガラスギャラリーで山本佳子さんが二人展をされているので、仕事帰りに寄った。途中、コムデギャルソンの手前のあたりで偶然、二年ぶりくらいにGさんと会う。ファッション関連の雑誌編集の仕事をしているGさんは、仕事中ということだった。手短に挨拶などしてお別れをして、ほんの数分後、唯玲さんとまたまたばったり。かなり久しぶりなので最初声をかけられてすぐにはわかりませんでした(すみません唯さん)。唯さんも山本さんの二人展に行った帰りらしい。少しお話をしてお別れをした。ギャラリーに着いたら、そこには山本さん以外にも岡田紅子さん、千葉祥子さん、市川洋子さん、草野千秋さんという方々がいらっしゃって、久しぶりに「偶然人に会う」体験をしてしまった。
山本さんの生命の名残のような(でもなにかの息遣いも感じられる)繊細なガラスや、下田美保子さんの箔を使った豊かな表情を持ったガラスなどかなり楽しませていただいた。
6/5
「子供の手遊びフェア」というコーナーで、深川いっぷく関連グッズが販売中ということで、新宿ジュンク堂に行った。「子供の手遊びフェア」コーナーということで勝手に絵本関係の棚の近くにでもあるのだろうと踏んで探したのだが見つからない。ふと絵本の中で眼に飛び込んできた地獄図の絵本を手にとってしまった。古刹に納められている地獄図をそのまま使っているのだが、これがまたすごい。三途の川を渡り、閻魔大王の裁きを受け、焦熱地獄、極寒地獄、阿鼻地獄、叫喚地獄と続き、賽の河原も登場する。嘘をついたものはここに落ちるとか友達を裏切ったらここに落ちるとかそんなことが書かれている。こわいよ〜。カバーには小学生の感想が書かれていた。「地獄に落ちた人を見て、かわいそうに思えた」とか「これからはきちんとまじめに生きようと思った」とか。でも何百人のうちの一人くらいは、まさにこの阿鼻叫喚の地獄図を見てうっとりしてしまう子もいるのではないか。いい素質を持っています。
で、「子供の手遊びフェア」は売り場の端の方に設置されていて、グッズは「子供の手遊び」にするにはもったいないくらいに大人がしっかり作っていました。
6/4
昨日から頭痛の兆しがあり、頭痛薬を飲んで寝たのだが、目覚めたら、そこは頭痛の世界だった。が、午前中が期限の仕事があるため出勤した。頭痛は一日続いた。やっぱりわたしにはバファリンは効かないようだ。たぶんここしばらく床に敷いた紙に下絵を描いていて、ずっと同じ姿勢でいたために血行が悪くなったのだろう。そんなために休日でも散歩を欠かさないでいたのだが。そんなわけでなかなか制作が進展しません。
6/3
引き続き下絵制作。午後3時過ぎに一段落した。時間があったら個展を拝見に行こうと思っていたのだが、かなり疲れきっていて、そういう気力も出ず、近場の散歩で済ませた。
ビョーグの新作を購入。かなり遅れたビョーグファンと言っていいだろう。確かにシュガーキューブというバンド名は知っていたし、そのボーカリスト、ビョークがソロになって・・・というのも知っていた。だが実際に音を聞いたのはずっと後だし、実際にCDを買ったのはベスト盤からだ。これだけ革新的な音作りをしていることを知っていたらもっとずっと早くから聞いていただろうが。
さて、明日からカッティング開始だ。
6/2
朝から下絵制作、午後に外出。大急ぎで京橋のギャラリー二つを回った。かねこ・あーとギャラリーの小高由里子さん。「光にむかって」の連作で、以前は木陰が連想されたりしたものが、今回は水面のような感じがした。とてもすがすがしく気持ちのよい絵画だった。それから村松画廊の前を通ったら、伊藤公象さんの展覧会をやっているのに気がつき、中に入った。粘土が乾く前に氷点下の元に晒すことにより、粘土の表面に樹木のような有機的な図像が浮かび上がる。それをそのまま陶にしているようだ。針葉樹の森のような、小川のせせらぎのようなひとつとして同じもののない図像が平然と並べられている。「あまり何も考えないでやると結構面白いものが出来上がる。」とおっしゃっていた。ここで時間切れ。本当はもうひとつ行きたいことろがあったのだが、時間が来てしまい、やむなく退散。
今日はギャラリーKINGYOにて、この夏のグループ展のミーティングがあるのだ。
3、4時間のミーティングにより、会場である東京都美術館での設置位置や受付当番の日程なども決まり、さていよいよである。
そんなわけで帰宅後も下絵制作。
5/28
5月いっぱいでNADIFFが閉店となるらしい。最後にラストセールで輸入書籍、雑貨が50%OFFだということなので、帰りに寄った。実は昨日行こうかと思っていたのだが、制作でちょっとした疲労を経過した後だと、これから渋谷を通らなければならないというのが心持ちやや厳しかったので、今日仕事帰りということになった。
で、いろいろと漁ったのだが、エドワード・ホッパーやゲルハルト・リヒターの5cm厚の画集などが気になったが買うのはやめた。ジェームズ・タレルがあったら絶対買っていただろうが。で、代わりに買ったのは徐美姫の写真集「SEX」と杉本博司の数式を立体化したやつの写真集だった。徐美姫の写真集はどこかのギャラリーで手に取ってみてからずっと気になっていていつか買いたいと思っていたものだ。が、これは国内書籍、杉本のはセール対象外。なんの割引もなし。いったい何のためにラストセールに来たわけ?まあNADIFFが閉まる前に一回行って買い物をしたってこと。
5/27
今日から新しい作品の下絵を書き始める。いつも出だしがペースに乗らず、のらくらとして時間が過ぎてしまう。結局夕方になっても長く時間を置くこともできず、遠出をするのは無理だと思い、例のよってご近所を散策することにした。玉川上水沿いの道は、玉川上水の反対側の街路樹のヤマボウシが満開になっていた。その下をずっと見上げて歩いていたのだが、なんだかしっくりこない。玉川上水側を歩かないとなんだか落ち着かない感じなのだ。どうやら頭上をすっかり緑に覆われないと気分がよくないみたいなのだ。それは暗くなってからでも同じみたいだ。なぜなんだろう。もう夕方であれば、フィトンチッドも空中にそれほど漂ってはいないはずなのに。
帰りに古本屋「上々堂」に寄ったら、店頭に岸田劉生、青木繁、黒田清輝、藤島武二、富岡鉄斎なんて人たちの画集(シリーズもの)が置かれていた。各300円!藤田嗣治はおもわず手にとってしまった。でも去年の回顧展の図録があるからいいやと思いなおしてそれは買わずに店内に入った。じっくりと見て回った最後に、ラリィ・マキャフリィの「アヴァン・ポップ」発見。もう絶版らしい。この間読んだ「現代思想3月号 特集・・・笙野頼子」で、巽孝之が笙野頼子を「アヴァン・ポップ」的解釈をし、マキャフリィと笙野の95年の対談を紹介していた。「アヴァン・ポップ」とは単に「前衛文化」と「通俗文化」の境界解体という論理だけではなく、グローバリズムの名の下に蔓延し文化を侵食しさえする「ポップ」を内部から批判しているのだ(らしい)。ってなわけでまた買ってしまいました。
結局今日一日で下絵をかなり完成に近づけることはできませんでした。
5/26
知り合いの作家さんから聞いた話だ。多くのアメリカのアーティストはとても広いスタジオを持っていて、ギャラリーでどう展示するか、まずは自分のギャラリーで確かめることができるんだそうだ。へたをするとギャラリーよりもスタジオのの方が広かったりするらしい。
それに対して日本のアーティストはどうか。「日本のアーティストの作品の一番の特色は何か。それは分解できるということだ。」ってなことを言っていた人がいるらしい。つまり自分の部屋で分解して制作をして、ギャラリーで組み立てるということだ。
わたしもインスタレーションという、「場のアート作品」を作っているため、自室で作品の全体像を見ることはできない。今回制作している作品も、自室から比較するととても大きなものなので全部を見ることはできない。でもこれが会場に持っていくと小さくなるんだよなー。
と、いうわけで午後3時過ぎくらいまで制作をしていて、それから大急ぎでギャラリー千空間に行って、本当にあっという間に拝見させていただき(あまりの短い時間ですみません)、その後、SAN-AI GALLERYで丸橋正幸さんの個展へ向かった。ちょうど一年前に千空間で拝見させていただいたのだが、そのあたりまでの作品とその後の作品で、少し作品に変化が見られるように思えた。以前は広がりを感じたのだが、その後の作品は奥行きを感じた。丸橋さんにお聞きしたところ、あまり意識しないで制作されたとのことだったが、たぶん色の置き方などに変化があるのではないかと思う。
ところで駅からギャラリーまでの途中に不思議な名前のレストランを発見。「Tax Payer」である。コーヒー・レストラン「納税者」。なぜ?
それはいいとして、本日は「深川いっぷく」でオノテツさんのピアノとゆうゆうさんのテルミンのライブ。深川のおじさんおばさんも参加して、いい感じのライブとなった。みなさん、テルミンなるものを見るのが初めての方が多く、不思議がっている。テルミンという楽器そのものもテルミンから発せられる音も初体験のおじさんが、「ほんと不思議だよなー。あんなんで音が出んだものなー。ほんとこいつぁあすげぇや。うちのかあちゃん連れてこなきゃ。」と言って席を立っていった。その言葉にはしびれました。やはりみなさん、テルミンが不思議で仕方がないので、演奏中のMCもテルミン博士の紹介のようなレクチャーとなり、演奏後もワークショップ的に質疑応答や「テルミン演奏体験」という感じで盛り上がった。
「深川いっぷく」。しっかり地域に根ざしています。これからの活動がとても楽しみです。
ところで「深川いっぷく」で母特製の小銭入れ、根付、楊枝入れを販売中です。よろしかったらどうぞ。
5/23
オノテツさんに紹介いただいた西荻の季節料理のおいしい店で、ついにオノテツさんと南村さんと三人でのお食事会が実現。豆腐やわかさぎのから揚げやら、本当においしいものばかり。南村さんもおいしい日本料理で幸せそう。
南村さんとは多治見のCandoCoの公演で会って以来。まずは近況報告から。南村さんがスティーナと一緒に1月にロンドンで行ったダンスは高く評価され、今年後半にもアートカウンシルに招聘されて作品作りを行うことになったらしい。4ヶ月の滞在中の生活費と創作に必要な経費はアートカウンシルからサポートがあるらしい。そうやってアーティスト仲間が評価され、創作の場が広がっていくのはとてもうれしい限りだ。しかしイギリスではそうやってアーティストとして生活が可能であるのに引き換え、日本ではアルバイトが必要だ。「うちゅくちい国」ってこんなところだ。
今回の話の重大なテーマは「音楽とは何か」、「音楽と振動の違いは何か」だった。単なる音と音楽との違いは音の連なりが音楽になるとのその場で思いついた仮説のもと、記号と記号の連なりとで生じる言葉・意味との連関で説明しようとしたが、音楽は一音でも音楽になるし、なかなか難しいところだ。脳科学あたりにもヒントがあるかもしれない。
「振動と音響」。なんだかアートと音楽とダンスのコラボレーションのいいテーマになるかもしれない。「光の束と音響の波動」ジル・ドゥルーズの「記号と事件」に出てきた一節だ。あまりの美しいフレーズにそこで意味されていた対象はすっかり脇に置いて(ミシェル・フーコーの「汚辱に塗れた人々の生」の書評に出てくる一節だもの)、このタイトルで何かをしたいと思っていた。このコラボレーションにはうってつけかもしれない。でもそれだけのことをする企画力や運営能力がわたしにはありません。
5/22
知人たちの間で話題になっている国立公文書館「再建日本の出発−1947年5月日本国憲法の施行」が今日の午後5時半までなので、職場を早退して見に行くことにした。
当初は「調査してお茶を濁す」程度に考えていた憲法問題調査委員会の大日本帝国憲法とほとんど変わらない案と、マッカーサー草案に影響を与えたという民間有識者の集まり「憲法研究会」による「憲法草案要綱」などから、改正案について審議する「帝国憲法改正案委員会」の議事録などが展示されている。また、憲法公布後、新憲法普及徹底のために中央官庁の職員を対象とした「憲法普及特別講習会」の開催要項、新憲法公布に伴う各種法律(民法、刑法、労働基準法)や諸制度(教育、行政改革、地方自治)の刷新を図っていく様が法改正案で見ることができる。それらは(こういう言い方はまったくありきたりではあるが)新しい国づくりをしていこうとしている熱気のようなものを感じさせる。赤入れをされた憲法原本では、意味をより明確にしようとする意図がうかがえる。そうして赤入れがされた憲法前文などは、感動的ですらあり、読んでいて何かこみ上げてくるようなものを感じた。きっと当時の人々も澄明な空気を味わっただろう。
一時はまるでピカソやゴッホやマティスなんかの展覧会に匹敵するほどの混みようだった。時節柄非常に関心が高いのだろう。
きっと「独立行政法人国立公文書館」としては日本国憲法施行60年にちなんで企画したものでしかないだろう。が、公布までの立案・検討・審議の熱を帯びた過程を公文書として公開することによって、ある種の政治性を帯びてきてしまう。それは「押し付け憲法」という論理で変更しようとしている勢力を真っ向から否定してしまうからだ。さらに基本的なことだが、「憲法」とは暴力装置である「国家」に縛りをつけるものであり、決して国民に対してにらみを効かせるものではないのだ。興味深いことに第十章「最高法規」の第99条には「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」とある。国民とはここには書かれていない。国民としての権利や保障を読んだ当時の人々の爽快さはいかほどだっただろう。
以前、テレビで愛敬浩二が、「今、イラクなど世界では大変ひどい状況があります。それを我が痛みとして共有しようという意図であれば、改憲することには賛成です。」というようなことを言った。「押し付けた」張本人である超大国に今以上に付き従うために変えるのではなく、世界の惨状に寄り添うために憲法という「国のあり方」を変えるというのもいいかもしれない。
日曜以来、ブリュノ・デュモン映画のことをチョコチョコ考えている。スタイリッシュに暴力を描くタランティーノと比較すれば、ブリュノ・デュモンの暴力に対する思想のようなものが明確になってくる。まさにデュモンは暴力を冷静に写実して見せ、そうした暴力について問うているのだろう。
5/20
朝から制作。
夕方、ユーロスペースに、ブリュノ・デュモン監督の「フランドル」を見に行く。ブリュノ・デュモンは過去、「ジーザスの日々」、「ユマニテ」を見て、どうもその性と暴力に対する描き方がしっくりこなかった。今回もいまいち見に行こうという気にはなれずにいたのだが、ざらついて荒れた作風にどうしても無視するわけにもいかなくなり。ということで行ったわけだ。
前半は農業以外にこれといって何もない(が、美しい田園風景の)フランドルで退屈に時間を過ごす若者たちが描かれ、中盤からは彼らが軽い気持ちで入隊した軍隊が向かった土ぼこり舞う戦場と女性が残ったフランドルとが対比される。少年兵の殺害、女性兵士の強姦とその報復としての局部の切断、農民の惨殺というように暴力がエスカレートしていく戦場の狂気と、フランドルで何人もの男たちに体を預けていくという女性の内向する狂気がシンクロするようになる。でもそこから生還した幼馴染の二人が、赦しあうように抱擁しておしまいというラストは、あまりにも単純すぎて、「本当にこれでいいの?」と意図を素直に受け止められなかったりもする。が、これが「人が持つ暴力への欲望そのものを検証するための映画」であり、この映画を通して、人間の醜い面を徹底的に見つめ、写実することで人間の醜さを拒絶する勇気を持ちうる。という意図であれば、ブリュノ・デュモンの映画を見たときの居心地の悪さや不快感は至極正当なものと言っていいのだろう。しかしブリュノ・デュモン映画はもうしばらく見続けないとすっかり理解できないような気がする。ミヒャエル・ハネケは暴力的シーンではなく、暴力そのものを映像化していたが、ブリュノ・デュモンにはもろむき出しの暴力的シーンだし。
ところでこの映画をシノヤマキシンも見に来ていた。変わった髪形のちっちゃなおじ(い)さんって感じだった。
5/19
東京国立近代美術館の靉光展へ。予想外の人出に、こんなに靉光は人気があったのかと思ってしまった。
ライオンの連作から代表作「眼のある風景」のあたりから、靉光は「在る」ということを描こうとしていたのではないかと思えてきた。溶かしたクレヨンで描いた「ロウ画」にしても、日本画用の極細の筆で描いた細密画でも、それらは幻想的であっても、シュルレアリスム的であっても、「在る」ということを精緻に、圧倒的に描こうとしていたのではないだろうか。最後の三点の自画像は鑑賞者を射ようとするような「眼のある風景」とは対照的に、ほとんど閉じているような、遠くを見るような眼差しとなっている。それは時代に対する絶望やそれに抗おうとする強い意志やかすかな希望など、多くのものを抱えたまま遠くを見ているように思えた。
生誕100年を迎えての靉光の大回顧展。彼の生きた時代と今とではどこかしら似通った匂いがするのではないか。来館者はいったい何を感じながら彼の作品を通して彼が向き合った時代を思っただろうか。
銀座のギャラリーを巡ってから、東高円寺の新しくオープンした西里さんのお店に足を運んだ。去年は裏原宿にあったが、土地柄、子供(中学高校生程度)相手をしなければならず、とても疲れてしまい、もっとゆっくりと地道に服作りをしていこうということになって、店舗を探していて、5月3日からオープンになったとのこと。
例によって音楽関連などの話をして、ゆったりしたひと時を過ごさせてもらった。そしてまた、まるでわたしが来るのを待っていたような、ぴったりサイズのジャケットを買ってしまいました。
<<備忘録>>
NISHIZATO
杉並区和田3-56-15 東高円寺MY1号室
03-5306-1801
水曜休
以下、西里さんからのお知らせより転載
地下鉄丸の内線東高円寺駅下車青梅街道新宿方面
オリジン弁当、モスバーガー、ファミリーマート、ラーメン屋、八百屋、路地右折
(案内には地図とかはなくて、本当に上記のように書いてあった。でも歩いていくと本当にこの順序)
路地に入ると右手にお店があり、左隣は美容室。
夜、「現代思想3月号 特集・・・笙野頼子 ネオリベラリズムを越える想像力」読了。通常、青土社の雑誌で文学を取り上げるとしたら、「現代思想」ではなくて「ユリイカ」が妥当な線であるが、笙野頼子をわざわざ「現代思想」で取り上げたのはなぜなのだろう。と、思って読み終えたところで、それなりの回答が得られる。副題にあるようにネオリベラリズム言説が席巻しつつある日本社会への、あるいは市場原理主義に侵食されつつある文学界に対する異議申し立て。古事記、日本書紀まで遡る歴史的文脈の読み直し、宗教的、フェミニズム的な視点からの日本社会の読み直し(あるいは裏返し的構築)。といったところが笙野の世界には満ち満ちている。特に日本文学、純文学に対する、市場主義的、ネオリベラル的な批判(文学終末論)に対する論争以来、笙野の作品は日本社会を「にっほん」、「おんたこ」、「ウラミズモ」といったデストピアとして登場させ、批判的に解明していく。
この数ヶ月は笙野頼子強化月間として、5冊ほど読んで(あるいは読み直して)みたが、「ウラミズモ」という舞台設定をもっと理解するために、「硝子生命論」、「水晶内制度」といったあたりも読み直す必要があるだろう。
いやはや笙野頼子の作品世界のスケールの大きさには驚くばかりだ。
5/13
朝から制作。
夕方になり、先週延期した映画を見に外出。岩波ホールの「約束の旅路」だ。
神保町で地下鉄を降りて地上に出たら、ちょうど交差点の真ん中に三社祭のお神輿があった。
さて、映画の話だ。ソロモン王とシバの女王の末裔としてエチオピアで暮らしてきたユダヤの民「ファラシャ」を、1984年と1991年にスーダンの難民キャンプから秘密裏に空路イスラエルに移送させるという「モーセ作戦」というのがあったらしい。難民キャンプで暮らしていた母子が、母の機転でユダヤ人と偽ってイスラエルにたどり着き、偏見や望郷にの中で悩み成長していく少年の物語だ。イスラエルで肌の黒いユダヤ人と偽って生きる少年のアイデンティティー探しとも言える。やがて成長して医師となり、「国境なき医師団」のメンバーとして難民キャンプを訪れた主人公は、かつて「行け。生きて何かになれ。」(原題)と送り出した実の母に再会する。イスラエルで主人公が探していたアイデンティティーとは、息子を送り出して難民キャンプに残った実の母、イスラエルに入国する際に息子であると証言した偽りの母、気高く慈愛に満ちた養母、結ばれることを10年待ち続けた妻といった「母」たちと、新しく生まれた自身の息子らとの関係性にあるのだろう。また主人公には宗教指導者や養家の祖父などといった知恵を語る賢者もいる。そういった関係の中で主人公は「生きて何かになった」のだ。
主人公が去ってから20数年経ってもまったく変わらないままで存在する難民キャンプに、依然として暮らしていた母。救うために敢えて息子を強く送り出した母が、20数年ぶりに成長した息子に抱擁され、歓喜とも慟哭とも取れる叫びを上げる。そしてズームアウトすると延々と広がってフレームに収まりきれない難民キャンプが映し出される。現実はあまりにも無残だが、まだ希望を信じてもいいと思える映画だった。ああ、これは母の日にぴったりの映画ではないか。
帰宅後、ETV特集「灰谷健次郎×柳美里・いのちを知る旅」を見る。灰谷健次郎を「滑稽で異様なほど"観念論的"」と批判したその急先鋒だった柳美里が、「子供が生まれ、再び灰谷作品が気になりだした。そして訃報(ふほう)に触れ、彼に自分が12歳の時のことを伝えなかったことを後悔したという。灰谷さんにゆかりのある人や場所を訪ね、子供が生きるために大人に求められているものを問う」という内容だった。
神戸連続児童殺傷事件を受けて、ニュース23が若者たちと灰谷健次郎、柳美里を交えて討論をしたときがあった。ふたりの一度限りの直接の対話の場であったその番組をわたしも見ていたのだ。新潮社が写真週刊誌で犯人の少年の顔写真を掲載したことに抗議して灰谷が新潮から著作の版権を引き上げたことを、当時、柳は批判していて、その日も柳はとても居心地が悪そうな不愉快そうな表情をして、討論の流れを無視してまで灰谷を批判していた(思えばあの時「なぜ人を殺してはいけないんですか」という自明でありながら大変に重く衝撃的な問いかけがなされていた)。が、実は柳は灰谷の作品を全部読んでいて、12歳のころ「兎の眼」に出てくる少年と同じように「バイキン」と呼ばれて大変ないじめにあっていたらしい。そのころ灰谷の小説に出合ったが、小説の中の大人と子供の関係に激しく嫉妬したとのこと。わたしもあのときの柳の発言の内容から、少し柳に対してわだかまりのようなものをずっと抱いていた。だが今日のこの番組でようやく柳を見直すことができるようになった。そうです。わたしは料簡の狭い人間です。
もう一度灰谷の「太陽の子」、「兎の眼」を読みたくなった。そういえばわたしが持っているのは版権を引き上げられた新潮文庫だ。
5/12
昨日の午後に引き続き、朝から外勤。
仕事とは研修会の聴講というわけだが、その内容は仮の姿の業界からはややずれていて、本来の姿の業界からはまったくかけ離れている。別世界を垣間見ているような感じもする。その研修会に参加しているのは業種からしてほとんどが女性で、男性は講師か業者さんくらいか。男性の純粋な聴講はわたし以外ではあまり見受けられない。これを稀有な体験として歓迎すべきなのかどうなのか。昨日席が横になった女性は名刺入れがスター・ウォーズのグッズで、クリアファイルがチャーリーズ・エンジェルだった。たぶんご自分のことを映画好きだというだろう。そしてわたしも映画好きといってもかまわないと思う。しかしふたりの映画についての会話はきっと成立しないだろう。そんなようにして自分の居場所がいまいち不明なまま研修会は終了。「公共の福祉」なるものに熱意を注ぐ業種の充実ぶりを実感できるものの、年二回開催されるこの研修会にわたしが聴講する次の機会はあるのだろうか(こういう反語的表現の回答は、通常「ない」であるが)。
銀座のギャラリーへ兼藤忍、田中哲也両氏による陶の二人展に出かける。兼藤さんは有機的な造作であり、田中さんは陶と金属を組み合わせた作品で、工場のような建築物にも見えてとても面白い。陶にボルトが入っていてインダストリアルな雰囲気だ。お茶をいただいて歓談の輪に入らせていただいた。なんとなく研修会聴講の疲れからか、それでなくてもあまり会話に参加しない性質が、より一層増長されたような感じで、今から思えばもう少しお話をしておけばよかったと少々後悔している。
5/11
午後、外勤でそのまま「直帰」となったため、比較的早めの退社となる。そのまま代官山のギャラリーで開催されている渡辺おさむさんの個展へ向かった。
一歩会場に足を入れると、バロック音楽のチェンバロと甘いにおいがする。作品はモデリングペーストと食品サンプルで作ったイチゴのケーキで満ち満ちた空間。半立体のタブローやケーキの壁掛け時計、ケーキのシャンデリアまで展示され、音楽といいアロマキャンドルといい、それらすべてで甘い空間を構成する。ある種インスタレーションとも言えるだろう。作品は細部までしっかりと神経を行き届かせているし、音楽や香りがなかったらまったく違ったものになっていただろう。すべてにこだわりを持ったとても楽しい展覧会になっていると思った。
渡辺さんとしばし歓談してから失礼させてもらった。
5/9
昨日夜三鷹駅からの帰り道、すれ違ったふた固まりのグループの中に小川洋子に見える人と加藤典洋に見える人がいた。と、知人に報告したところ、さっそくネット検索をして、筑摩書房と三鷹市の共同主催の太宰治賞の選考委員に両氏の名前が出ていることを突き止めてくれた。太宰治賞は5月8日夜に三鷹市内で決定したらしい。選考委員には二人のほかに、高井有一、柴田翔がいるとのことだが、柴田翔は遥か昔に「されど われらが日々――」を読んだ記憶があるが、高井有一に至っては名前を知っていたかどうかの記憶すら定かではない。そんなわけでそのふたりもきっとあのグループの中にいただろうが、顔を見分けることはできなかった。
選考が終わってからきっと関係者みんなでどこかで飲食をしたのだろう。小川洋子も加藤典洋もいい顔色をしていた。それにしてもふたりともちっちゃかったなー。
5/6
今日も結局朝から制作を始めた。
夕方、映画を見に行こうかと思ったが、雨も降っていてなんだか面倒になり、外出せずにそのまま制作を続けた。こうしてただ黙々と制作を続けられる休日を過ごせたのはとても幸せなことなのだろう。
映画には行かないことにしたが、毎日立ったままだったり座ったままで過ごすのは体に悪いなどと、ほとんど常識ある一般人の考えに基づき、雨の中を例によって40分ほどの散策に出かけた。特に特筆するほどのことには遭遇せず。
夜はNHK教育のETV特集「焼け跡から生まれた憲法草案」を見た。これは2月に放映されたものが、アンコール放映となったものだ。2月に放映された当時は個展開催中で、自宅のテレビをギャラリーにもって行っていたので見られなかったのだ。見られてよかった。
5/5
制作が一段落した午後5時ごろから外出。ずっと座ったままで制作をしているために足腰が弱くなりそうなので、徒歩で遊工房アートスペースまで行くことにした。片道50分ほどかけて到着。スタジオB(2F)では先月ギャラリー現での個展で興味を持ったダニエル・ゴティンの作品。ギャラリー内にあるものを利用して、黒と透明の粘着テープを交差させてグリッドをつくるインスタレーション。非常にシンプルで、かつその「場」を活かした作品としている。
スタジオA(1F)ではレオ・ファンダークレイがレジデンシーで東京のあらゆる場面を写真で撮り、当初はそれまで撮影していたハーグの写真を、東京の写真へと毎日入れ替えていくという展覧会だ。本人が会場にいて話しかけてきたので、しばし会話をさせていただく(英語だ!)。写真も再生紙にプリントアウトしたもので、オープンスペースで湿度や気温などの環境による影響をそのまま受けるような意図があり、展覧会がどんどん様相を変えていくあたり、川俣正のwork in progressっぽいなーと思ったら、なんと彼は川俣と友達らしく、川俣の作品の写真を撮ったりしていろいろと協力関係にあるらしい。「おまえはアーティストか?」と尋ねられたので、紙などを使ってインスタレーションをしていると話した。そうしたら「紙は薄く繊細だが、とても強い。」と坂茂の紙筒を使った建築など引用したり、常にいろいろと変わりながら写真を撮りたいが「アラキやスギモトはいつも同じ写真だ。」と言うあたり、かなりの知日家だった。
今日は手ぶらで徒歩で行ったので、いつもの商売道具(「カード型名刺」など)持っておらず、自分の作品を見せることができなかった。ホームページを持っているとは言ったものの、URLがすぐには出てこなかった。「メールアドレスを書いてくれれば、オランダに帰ってから君にメールを出すから、返信でURLを教えてくれ。」と言われて、メールアドレスを芳名帳に記入した。本当にメールを出してくれるとうれしいが。
帰りも同じだけ距離を歩いて帰ったので、最後は暑くなり、コンビニでアイスクリームを買って食べた。
5/4
引き続き朝から制作。
一段落したところでまずは高円寺にこの連休からオープンしたというGALLERY 45-8へ。石本馨氏の「戦争廃墟」の写真展だ。いい感じの小さいギャラリーだ。戦争という生々しい記憶が60年という時間をまとって、穏やかな表情を帯びているかのようにも思えるが、依然として圧倒的な存在感を感じる。また、その背景などを考えると、時には滑稽さすら感じさせたりすることもあれば、作り上げた職人気質のようなものも見出せる。このギャラリーは、平日は勤めのある方が土日祝日のみオープンしているらしい。作家であるよりはアートを発信したりオーガナイズしたりする方が、はるかに高い意識と労力を必要とするだろう。オープニングに「戦争廃墟」の写真展を持ってくるあたりも、社会とのかかわりを考えられてのことだろう。純粋に敬意を表したい。
それから新宿でトレーシングペーパーなど、材料を購入。
5/3
朝から制作。
夜7時過ぎに一段落ついたので、例によって玉川上水と井の頭公園の端を散策して戻る。だいたい40分くらいかけてかなりの早足で一周。
夕食後も制作。きっとこうして過ぎていく休日は至福のときと言っていいのだろう。
テレビ欄のニュース23に「特集″憲法はどこへ′憲・改憲を超えて若手論客と語る憲法の今と未来」とあったので、「護憲・改憲を超えた若手論客」とは、きっと小熊英二か萱野稔人あたりだろうと思って期待して見たら、的中率50%で萱野が登場した。以前ある雑誌で見たときは、少々とんがったルックスとファッションだったので、どんな雰囲気でしゃべるのだろうと思ったら、第一声がやや大きめな声で「えーっとですねえー。」だった。雰囲気そのまんまの声のトーン。もうひとりの愛敬浩二もたぶん新聞の論評あたりで見たことのある名前だった。実は5月1日にどうしても買いたくて本屋巡りをした単行本とは、萱野稔人の「カネと暴力の系譜学」だった。萱野はもう一冊「国家とはなにか」という著作もあり、これは途中まで読んだところで一時休憩中だ。小熊英二といい、萱野稔人といい、およそ大学教員のイメージからはちょっと外れたルックスでなかなかとんがっている(愛敬浩二は普通の従来の大学教員ぽかったが)。
わたしも読む速度が早くて読解力がもっとあれば、彼らの著作を十分楽しめるのに。わたしの読書タイムは行き帰りの通勤電車内なのだが、最近は朝は必ず半分くらいは寝ている。行きの半分と帰りということで、つまり本来の3/4の読書量となっているわけだ。だから読書量が落ちているという言い訳ではないが。
5/2
西荻でオノさんと韓国料理を食す。最近石焼ビビンパが食べたくして仕方がなかったのが、ついに実現。オノさんが以前から気になっていたという韓国料理屋さんに入ったのだが、思いもよらず料理が辛くなくマイルド。
辛い料理といえば、ある年齢を過ぎてから、辛いものを食べると頭から吹き出るように汗が出るようになってしまった。どうやらオノさんもそうらしい。わたしの場合、それはある日突然訪れたのだ。それまでは辛いもの好きだったのが、その日はまあまあの辛さのものを食べたとき、突然頭から汗が流れてきたのに驚いて、落ち着きがなくなってしまった。それ以降は辛いものを食べるのを躊躇してしまうほど、それは劇的な変化だったので、わたしはその日のことを鮮明に憶えているのだ。こんな経験をした人はほかにいるだろうか。年をとって新陳代謝がよくなったわけではないだろうから、体内に悪いものが満ち満ちていて、辛いものを食べることによって代謝を刺激されて、それが一気に吹き出るんではないか、などとふたりで話をする。
実はもう一人とで三人の「お食事会」だったのだが、もう一人が日にちを間違えていたらしく合流できず、仕切り直しとなった。
5/1
帰宅途中に新宿のジュンク堂で「etc.」購入。店内改装後、何度雑誌売り場に行っても「芸術」のコーナーをすんなりに見つけられない。どうしてなんだろう。ついでに文庫本と新書を購入。単行本で買いたい物があったのだが、見つけられず、見つからないと一層ほしくなり、紀伊国屋に立ち寄って購入。ついでにもう一冊購入。しまった、また本を増やしてしまった。
4/30
朝から制作を続け、夕方一段落ついたところで、今度は吉祥寺パルコにある「ヴィレッジ・ヴァンガード」に再挑戦。やはりこちらの店も「遊べる本屋」というよりは「本も置いてある雑貨屋」となっており、「etc.」は見つけられなかった。
4/29
「etc.」の5月号が出ているらしいので、吉祥寺で販売しているところということで、「ヴィレッジ・ヴァンガード吉祥寺」というところに出向いた。「遊べる本屋」ということらしいが、どちらかというと「本も置いてある雑貨屋」で、雑貨にしてもだいたい無秩序に配置されていて、ところどころ本が置かれているように思える。買いたい物が決まっている人向けではなくて、店内をぶらぶらして惹かれたものを買わせてしまうという、ドンキホーテ型の商品配置だ(といってもドンキホーテに入ったことないから正確なところはわからないが)。ざっと店内を探してみてそれらしきものが見つからず、店を後にしたが、吉祥寺の通りはものすごい人出で、すっかり完膚なきまでに打ちのめされ、そそくさと逃げるようにわき道に逃げ込んだ。
帰りに久しぶりにギャラリー惺に立ち寄り、「線に着目した企画展」を静かに楽しんだ。
夜はずっと制作。少し空が明るくなりつつある4時過ぎに就寝。
4/28
連休初日でなかなかエンジンがかからず、だましだまし制作を開始。午後にはギャラリー巡りをしようと思っていたら、急に大雨になり外出を断念したのだが、かわりに以前買ってなかなか読み進んでいない「伊平次とわらわ」を読んでいるうちにうたた寝をしていた。
夜はまあそれなりに制作。
4/27
帰りに寄り道をして神田のカレー屋に行く。今回は季節限定のひよこ豆となにか(なにかは忘れた)のカレーにした。以前の辛さだけしか感じられなかったカレーよりもおいしかった。帰り際に入ってきた常連客らしき男性が、わたしの3〜4倍の量の料理を注文していて驚いた。たくさん食べられるのは幸せだろう。
4/22
東京都写真美術館ホールで「パラダイス・ナウ」を鑑賞。ヨルダン川西岸地区の街ナブルスの幼馴染みの二人の若者が自爆攻撃に向かう48時間を描く。道路封鎖やコンクリートの壁、有刺鉄線により囲まれた街で、閉塞感とフラストレーション、未来も希望もない普通のパレスチナ人の若者が、自由と尊厳のために自爆攻撃を選ぶ。二つの丘にはさまれた貧民街ばかりで、中古車が砂埃を立てて走るナブルスと、高層ビルが立ち並び、カラフルで巨大な広告の間を高級車が走り抜けるテルアビブ。一度は子供がいたためにバスをやり過ごした主人公は、銃を構えたイスラエル兵で混みあうバスに乗り込む。主人公の決意した目を大写しになり、最後はホワイトアウトする。
主人公たちに寄り添いながら、声高に主張せず、囁くように主張する。この映画を見たイスラエル兵も主人公たちに感情移入してしまったとのこと。そこにはエリア・スレイマンの「D.I.」の諧謔性もない。
母の小銭入れ作り用のスナップボタンを買うためにユザワヤへ。きっと母はユザワヤに足を踏み入れた途端、目が輝き始めるだろう。まるでわたしがハンズやら世界堂で材料探しをしているときのように。
4/21
朝から制作を続け、午後になってから、母特製の小銭入れ、根付、楊枝入れを「深川いっぷく」に納品がてら、深川商店街の「花みずき街角誰でもアーティスト作品展」へ。
ハナミズキが満開の商店街はちょっとのんびりしていて、「深川いっぷく」ではイベントに参加した子どもたちが遊んでいる。下町ののどかな風景だった。帰りにおみやげでアサリの佃煮などを購入。
それから一転、代官山へ。アートフロントギャラリーの田中栄子展。鑑賞後はとっとと帰りました。代官山にはたぶん20分もいなかったはず。だってほかに用事がないんだもの。
4/19
昨年、カオリさんが「『トンマッコルへようこそ』はすごくいい映画なので、ぜひ見るように。」と勧められた。ロードショー公開当時はそれなりに話題になり、見たいと思っていたのだが、見逃していた。それが職場の近くの名画座で上映中であることに気がついた。この4月からは最終回には間に合う程度には退社できるようになったので、行くことにした。
やられた!という感じだった。笑いあり涙あり。エンターテイメントの要素も盛り込みながらメッセージを明確に示している秀作と言える。朝鮮半島全体で10人にひとり以上の死者が出たという朝鮮戦争の最中、社会から隔絶されたように自給自足の生活をしていたトンマッコルという山村に、アメリカ兵、韓国軍兵士、朝鮮人民軍兵士が迷い込み、やがて打ち解けあい、最後はこのトンマッコルという理想郷を連合軍の爆撃から守ろうと力を合わせるというストーリーだ。
操縦不能になった偵察機が墜落する際、ふと蝶が優雅に舞うのを見たり、不発だと思われた手榴弾が爆発し、蔵に貯蔵していたトウモロコシがはじけてポップコーンの雪となって、長時間対峙していた韓国軍と朝鮮人民軍の兵士の上に降り注いだりというファンタジーの文脈もあれば、マレビトを歓待する秘境の地の住民、収穫の祝祭の中に招かれざる客(連合軍落下傘部隊)が訪れた後の純真無垢な少女の悲しい結末など、文化人類学的な要素すら見える。さらに温厚な長老が、その指導力の源は何かと問われて「たくさん食べさせることだ」と答えたり、善意の平和主義も、村人を人民軍の手先だと決めつけている連合軍兵士たちを激昂させてより残酷な態度にさせるだけという現実的な視点もある。戦況の悪化を懸念し、民間人の犠牲も厭わないという連合軍側の残忍さ、冷徹さ(純朴に挨拶をした村人に対して暴力で答える落下傘部隊のアメリカ兵や、長老の顔を木の切り株に何度も打ち付ける同じく落下傘部隊の韓国兵士など)に対して、トンマッコルに迷い込んだアメリカ兵、韓国軍兵士、朝鮮人民軍兵士それぞれをひとりひとり丁寧に描き、最後は「おれたちは南北連合軍なんだろ?」と叫ばせたりしているところは、いわゆる「386世代」の思想信条なのかもしれない。雪上で絨毯爆撃の閃光を背景にして韓国軍兵士、朝鮮人民軍兵士がお互いに微笑みあう最後のシーンは美しくもあり、胸がよじられるようだった。
4/18
まったく想像もしなかった事件。市長選途中に現職候補が射殺されるとは。昨日17日は朝のニュースでは海の向こうの大学構内での銃乱射事件が報道され、夜には長崎市長銃撃により心肺停止との報道に衝撃を受けた。
昭和天皇の戦争責任発言で銃撃された本島前市長との選挙戦中、伊藤市長(当時は新人候補)は「平和問題は国家の政策であり、自治体の扱う問題ではない。」といったような発言をしていたが、いざ市長になってからは広島市とともに核兵器廃絶運動を推進し、95年ハーグの国際司法裁判所では、日本政府が核兵器にあいまいな態度の陳述に終始したのに対して、「核兵器の使用は国際法に違反していることは明らか」と発言した。核兵器廃絶、平和運動には大きな痛手だろうし、社会全体としてまたよくない方向に流れていきそうにも思えてしまう。ご冥福を祈る。
4/15
終日制作。
坂田靖子の「伊平次とわらわ」が長らく品切れ状態だったのが、ふと思い立って調べたところ、第三刷が昨年出たらしいということで、購入した。が、制作をしていてなかかな読む時間が取れない。
そんなわけで今日は買い物に行ったくらいで散歩にも行かずに終了。
今週末の三鷹の食べ物屋さんは「餃子のハルピン」と北口(つまり武蔵野市)の自家製生スパゲティ店「多夢羅」。「ハルピン」は餃子はおいしかったんですが、ご飯がちょっとべとべとしてて残念。「多夢羅」では「当店人気ナンバーワン」のカルボナーラをいただきました。「自家製生スパゲティ」はもちもちしていておいしかった。
三鷹では市長選と市議選が本日公示で次の日曜日には投票。三鷹駅前のペディストリアンデッキでは5人ほどの立候補者が演説をしていた。ほとんど誰がなにを言っているのかわかりませんでした。
4/14
オーパの松本典子さんの「うさぎじま」の写真展。瀬戸内海の大久野島と八重山諸島のカヤマ島のウサギたちの写真集。ウサギの体温や心臓の鼓動。風も波も聞こえないほどの静けさの中でウサギが藪の中を動くカサカサッという音。そんなもろもろが感じられるような写真の数々。すっかり暖かい気分になった。
銀座一丁目に移転したOギャラリーの与那覇大智さんの久々の個展。昨年一年間文化庁助成でフィラデルフィアに滞在したことにより作風が大きく変わった。コンセプトを要約すると「異国の街並みにふと感じた郷愁と、故郷の目まぐるしい変貌による疎外感。この二つのあいだに立つ自分の場所を地図や航空写真を素材として掘り下げてみる」(Oギャラリー展覧会紹介ページより)とのこと。与那覇さんはわたしを憶えていてくれて、そこらへんのいきさつや心情やら作業方法やらを説明していただいた。筆で表すことができないと感じた「異国の地と故郷の街並みの間の戸惑い」を、地図や航空写真に穴を開けて型紙を作り、孔版画の要領で絵の具を押し出し、転写された点々を水、絵の具で押し流すという新たな手法で絵画として作成していく。そこには現在の像も写されているが、過去の記憶も不連続に重ねられていく。
以前から鑑賞していた層からは賛否両論あるらしいが、わたしは今後の展開がとても楽しみに思う。自分の中にある抱えてしまったものが従来の方法では描くなったときに、別の手法で表現してみる。その悪戦苦闘こそが表現でもあると思う。今回の表現方法が次回の個展までにどのように展開されていくかとても興味あるところだ。
昨日までに下絵を完成していたので、それをトレースしてもう一枚に転写しようと思っていたが、今日の与那覇さんのお話からいろいろと考えるところがあり、まずは一枚をカットして行こうと思い直し、夜からカットを始める。
4/8
本当ならば夜はライブに行くつもりだったのだが、制作を続けようと思って、ずっと下絵を描き続けた。
夕方になって投票がてら散歩に。さすがに井の頭公園の桜も散り始めて、一週間前よりは人出が少なくなってはいるものの、まだまだ「お花見」という名の宴会は盛大に繰り広げられていて、やっぱり今日も途中で引き返して帰ってきてしまった。
開票結果に対する寸評?わたしはもともと下品な人は嫌いなんでね。それにいろいろと美術関連の事業に手を出していても、漏れ聞こえてくる発言からすると、本当に美術に対する理解があるのかどうかはなはだ疑問である。それにオリンピックが招聘できるなんて、本人も含めて(たぶん)だれも思ってはいないだろう。でもその広告費に莫大な予算がつぎ込まれるわけだ。
12時ごろまで下絵作成。
4/7
本当ならば一時間半かけて、あるグループ展を見に行く予定だった。が、そろそろ制作に着手しなければならないと思い、急遽予定を変更し、作業場となるべき居間を片付けることとした。朝起きたときは行くつもりだった、本当に申し訳ありません。作業スペースを作ることができたのはよかったが、片づけが終わったらすっかり疲れてしまい、勢いのいいスタートダッシュを切ることができなかった。まずはカット前の下絵から。
4/6
いわゆる「外勤−直帰」というので、6時過ぎの帰宅ラッシュに大手町、日本橋の地下鉄駅で遭遇した。いつもは帰宅ラッシュの峠が越えたあたりの時間帯のJRを利用しているので、新鮮な感覚を味わった。ギャラリー砂翁の大古瀬和美展。光を取り囲んだような油彩画。水中で月の輝きに包まれたような作品や夕刻の紅色一色の世界(あるいはろうそくの炎を拡大したような)作品にじっくりと対して鑑賞した。光の静寂に包まれて、居心地のよいひと時だった。
4/1
昨日買った本棚を組み立てて、本を入れてみる。本の量が変わらないので、ただ本の位置が変わっただけのような印象ではあるが、少しは床が見えるようになった。本の絶対量を減らさない限り、抜本的な対策にはなっていないだろう。買う量を減らすとかあるいは買わないとかして、もう読まないだろうものやがっかりしたようなものはどんどん処分しなければならない。本はデータの集積物であるから、どこかに流して流通させるべきだろう(つまりほとんどただでも中古として流した方がいいのだろう)。
たぶん次回のグループ展の材料を置くだけの場所は確保できたかもしれない。だが、相変わらず「この部屋の中では生活できない」状態ではある。2〜3時間の作業でようやくそこまでたどり着いた。
そこでちょっとしたスケベ根性が出て、今日が桜見物の最後の日だろうと思い、のこのこと玉川上水沿いから井の頭公園に行ってしまったのである。案の定、井の頭公園に桜ではなく人を見に行ってしまったようなもんで、途中まで我慢して歩いていたが、すっかり人の流れが渋滞している状態に出くわして、さっと引き返してしまった。公園の窪地から出てきたときには潜水して水面に出てきて呼吸をしたような気分になってしまった。
夜は近所にできたインド・ネパール料理屋さんへ。ダルカレーを頼んだ。辛かったが野菜やら豆やらが旨味を出していた。ナンもモチモチしていた。及第点でしょう。腹ごなしのために少し玉川上水沿いを歩くことにした。どうやら通常の街灯以外に桜を照らすための照明装置が取り付けられているようだ。しかもただ蛍光灯を追加したのではなく、別に暖色系の照明をつけていた。誰の発案なんだろう。
夜は小品の制作。
タイトルは「マトリックス」の中で出て来るセリフらしいですね。実はわたしはこの映画をテレビでチ
ラチラとしか見ていないので、どこで出てくるのかよくわかりません。わたしはスラヴォイ・ジジェクによる
テロとその後の戦争について論じた文章のタイトルとして知ったのでした(現代思想臨時増刊「これは戦争か」より)。
なお、画像は島田雅彦の「ミス・サハラを探して」(KKベストセラーズ)
の中のチュニジアの砂漠の写真(撮影;中島誠)を無断借用しました。