イグチトシオがふと考えたこと、感じたことを書き留めておきます。念のために再度申し上げますが、見せたくない部分は書かず、こういう所を見てほしい、こう見られたいというところを書いています。
当然真実のみが書かれているわけではありません。

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2007年月7月1日〜9月30日

9/30
 いよいよ成田空港へ近づいていく。上空は青空と厚く白い雲で、下界の天気が悪いことを予感させる。雲を切って地上が見える。そこに見えたのは雨にけむる深緑色の木々や田んぼの風景だった。それを見た途端、赤茶けた大地が広がっていたロサンゼルスとは大きな違いがあることを実感した。そしてわたしにはやはりある程度の湿気が必要なのかなと感じた。が、空港に降りてから、旅立つときよりもさらに重くなった荷物を背負って入国審査、税関を通り抜け、電車に乗るころには、やっぱりこの湿度はなんとかならんものかとも感じた。
 ま、快適なところがいいてことですわ。

9/29
 いよいよ最後の日である。今まではかなり熟睡していたのだが、ここにきてなぜか熟睡とはいかなかった。
 ホテルをチェックアウトするとき、フロントの係員がテレビのCNNを見て、ミャンマーが今大変なことになっているなと声をかけてきた。それから画面にブッシュ大統領が出てきて、この男を知っているか?と聞かれたので、知っていると答えたら、そこにいた別のスタッフからどう思うかと聞かれた。この人たちの政治的な立場がわからないので、一瞬戸惑ったが、さらにいいと思うかと聞かれたので、I thinkと言ってから親指を下にして口をヘの字にした。聞いてきた人が、オレもそう思うと言った。そこで安心して、idiotと言った。その人も「こいつは戦争ばかりしてやがる。」と言った。考えてみれば支持率が20%台なのだから、支持者にはめったに会えないはずだ。しかも南アジア系、ラティーノのお二人からすれば、支持する意味などまったくないだろう。
 いよいよ時間となり、空港まで車で送っていただいた。さすがに土曜はフリーウェイも空いていて、二人以上乗車していないと走れないカープールもすいすいと走れた。
 

カー・プールの標識は日本の横断歩道の標識と同じ

 チェックインしてから手荷物検査を待っているとき、「あなたのバッグかっこいいわね。」と話しかけてきた女性がいた。最初荷物検査のためにバックパックから外に出して手に持っていたTRADER ZENのことかと思ったら、横浜トリエンナーレで買った「ARTIST AT WORK」のバッグのことだった。あなたはアーティストなのかと聞かれたので、そうだと答えるとどんなアートかと聞かれたのでたので、インスタレーションだと答え簡単に作品の内容を説明した。
 ロサンゼルス空港を経ってサンタモニカの海岸が見えたとき、結局ロサンゼルスはつかみ所のない砂漠のような街だったなあと感じた。あるいはあそこは「街」と呼んでいいものなのかどうなのかもあやしいが。


9/28
 今日がロサンゼルス最後の日ということで、パサデナのノートン・サイモン美術館に行った。宿からは地下鉄レッドラインとゴールドラインを乗り継いでパサデナに到着。ゴールドラインはユニオンステーションからはずっと地上を走っていた。ロサンゼルスのチャイナタウンを過ぎて、だんだん谷のようなところを走っていると、平屋の一軒家が建ち並ぶ地域に出た。それらの家々は明らかに裕福ではない家族が住んでいるように見える。そういった地域からフリーウェイを過ぎ、緑が多くなって住宅もだんだんよさそうに見え始め、パサデナの中心地に到着した。
     

地下鉄ゴールドライン

パサデナへ行く途中にあった平屋の家屋

 まずは9/17にジョイス・コールの家に行ったときに寄ったスーパーマーケット、TRADER JOE'Sに行った。ハンドソープ・ゼンという商品があると聞いていたので、ぜひ購入したいと思ったからだ。店の中を探してみると、スキンケアとボディーローションがパックになっているTRADER ZENなるものを発見。早速購入した。その他に以前見つけて気になっていた「WASABI RICE CRACKERS 女」も買った。
     

TRADER ZEN

WASABI RICE CRACKERS 女

 それからパサデナの街を歩いて美術館に行った。オールドパサデナにはブティックやおしゃれな小物を売っている店があり、まるで青山あたりをウインドウショッピングしているような感覚で歩けた。地下鉄で途中でで見た家々とは全くの別世界だ。
 しばらく歩いてノートン・サイモン美術館に到着。緑に囲まれた美術館は曇り空と相まって、どことなく初秋をイメージさせるたたずまいだった。エントランスにはロダンのカレーの市民やバルザックのブロンズがあったので、やっばり手足がでかいなあとじっくり鑑賞して、そのわきに抽象彫刻があったので、ふぅんとか見ていたら、そこにいたスタッフがその奥にこんなのがあるぞ、みんな見落としているけどと、ロダンの考える人のポーズをとって教えてくれた。
 ここの収蔵品は14世紀からの絵画と印象派、20世紀ではマティス、カンディンスキー、ピカソ、ジャコメッティ、サムフランシスなどが見られる。が、売りはドガのブロンズだろう。そんなわけでこの美術館はドガファンにはきっとたまらないだろう。
 時代順に見ていって、最後にサム・フランシスを眺めていたら、東洋系のおばさんに声をかけられた。何を見ているの?(直訳)と聞かれたので、サム・フランシスの絵を見ているのだ。と答えたら、絵の中の何を見ているのか?(直訳)と聞かれたので、わたしは彼の絵の中の色使いやその形を見ているのだと答えた。ビビッドな色使いをしているけど、白いブランクがわりに残っているでしょう?そのコンビネーションを楽しんでいるんです。と言ったところ、あなたは美術を勉強しているの?と聞かれたので、まあそんなところです。実はアーティストなんです。と答えたら、ああそれはよかったわね、と納得していた。
 ノートン・サイモン美術館の地下はインドから東南アジア、チベットあたりの仏教、ヒンズー教の石像のコレクションがあり、セクシーなひねりを加えた肢体を見せるダンサーや、エロチックな女神などがあった。現在は特別展示でアレクセイ・ジャウレンスキーの展示をしていた。青騎士のグループの一員として活躍していた彼の作品には、色彩がある時期のカンディンスキーとの類似点が見受けられるなど興味深く感じた。
     

ノートン・サイモン美術館入り口

ノートン・サイモン美術館庭園

 ショップで買い物をした後、中庭で少し休んでから、庭の彫刻や花を楽しんだ。美術館を出てからはパサデナの街歩きを楽しんだ。しばらく歩いていくとショッピングモールにたどり着き、その中をぶらぶらした。パサデナは街のカラーがあり、親しみやすさを感じた。
     

オールドパサデナのブランドショップなど

パサデナのショッピングモール

 夜は今回のグループ展の事務局のようなことをして、てきぱきいろいろとこなしていたいただいて、大変お世話になった中込さんに感謝の意を表して自転車をプレゼントした。自転車のプレゼントは大橋さんの発案で、ハリウッドに買いに行ったらしい。なかなかおしゃれでかっこいい、クロモリの軽い自転車だった。
 中込さん本当にお世話になりました。
     

自転車をまたいでみる中込さん

中込さん、うれしそうでなによりです

説明書と鍵の授与式

 こうしてロサンゼルス最後の夜は特に名残惜しい気持ちにもならずに終わったのでした。


9/27
 他のメンバーはジョシュア・トゥリーを見に行くと言う。わたしは残りが後二日なので、ロサンゼルス観光をして、作品のビデオ撮影をすることにして単独行動とした。地下鉄でシビックセンターに出て、最初にロサンゼルス市立図書館リトルトーキョー分館に行ったが、開館は12時だった。なので。少し街歩きのようなことをして、11時になったところでMOCAに行った。高校生が団体で来ているような感じがした。ざっと見たところ、まあまあという感じで、まあ行かなくて損はしないという感じだった。砂漠を見に行ってもよかったかなと思った。
     

MOCA全景

MOCAエントランスのフランク・ステラの巨大立体

MOCAエントランス

 それからディズニーシンフォニーホールのショップに行ったが、お土産によさげのものはなく、ロサンゼルス市立図書館リトルトーキョー分館に向かった。図書館では無料でパソコンが使えると聞いていたので行ってみたが、なぜか登録をさせられてカードを作ったものの、図書館の所蔵を調べられるだけという感じだったので、いつもの店でメールを送った。
 中込さんからブリューリーへ行くためのバスのことを中途半端に聞いていたため、何番のバスか知らないま、何度かバス運転手に聞いてみて、教えてくれた通りがなぜかユニオンセンターの方なので、すっかりわからなくなり、ユニオンセンターに行って聞いてみることにした。しかしリディアさんはバスを使わないからわからないと言う。それでプラネイが車で乗せていってくれることになった。わたしがサンフランシスコに行く前に、プラネイはソニック・ユースとアニマル・コレクティブをコピーしてくれると言っていたが、ちゃんと渡してくれた。でもプラネイ、元のCDに印刷してあるマークや文字なんかをそのままマジックで書き写すってかなり面白いぞ。プラネイからサンフランシスコはどうだったかと聞かれて、「サンフランシスコの植生は日本に似ているし、街もコンパクトで親近感があるね。」と言ったら、「街はきれいだったでしょう?LAのように埃っぽくなくて。」プラネイ、はっきり言うね。
 ブリューリーに着いてニコレットに聞いても、彼女もバスの路線は知らないと言う。そんなわけでビデオ撮影をして4時になったら、今度はニコレットが自動車でユニオンセンターまで送ってくれることになった。ニコレットの話だとキューブの作品はひとつがニコレット、残りはロバート・ウォーカーが全部お買い上げということだそうだ。プラネイからおめでとうと言われたが、まさかそんなに買ってくれたのだとは思っていなかった。そうやって評価してくれるのは大変うれしく光栄である。が、現金なところでは、片付けるものが減ってうれしいという感じもある。
 何度も書いているのだが、インスタレーション作品は設置した場所から撤去すればその作品はもう再現できないものなので、記録は大事である。何かのヒントになるかもしれない些細な影とか重なりは、記憶に残るものと同じくらいのものを残しておく必要がある。また、ビデオでは視点が移動した場合の作品の変化を保存しておくことができる。いろいろな位置から撮影していたら、あっという間に4時になってしまった。ブリューリーからニコレットに車で送ってもらい、ユニオンセンターへ。車中でサンフランシスコとロサンゼルスの違いやら東京の気候などの話をする。東京は湿気が高いんだと言ったら、「あらいいじゃない。ここは本当に雨が降らなくて乾燥しているのよ。」とか「え?トーキョーは雪が降るの?オオ、グレイト!」とか言って、もうまったく別世界である。
 ユニオンセンターに到着してからは、リディアさんとレセプションのことなどの話をしてから、お会いするのはこれが最後かもしれないからと母の根付けをプレゼントして、写真を撮らせてもらった。
 5時になり、プラネイに車で送ってもらった。途中で雨男の話をし始めたらなかなか通じなくて困った。ロンドンではすぐに通じたので無理なく通じると思ったら、途中で切り上げたくなるほど難しかった。その後は、音楽談義で締めくくる。彼は以前はニューヨークに住んでいたらしい。彼が興味を持つものはすべて手に入れられたが、ロサンゼルスでは全く手に入らないらしい。ニューヨーク時代の話でジョン・ゾーンとか、イクエ・モリさらにはケネス・アンガーまで出てきて楽しい一時だった。日本に帰ってから、ジム・オルークのCDをコピーして送ることにして、メールを教えてもらった。
 夜は近所のサブウェイでロンドン滞在中にお世話になったベジパティを買い、セブンイレブンで野菜スティクと野菜ジュースを買った。このぐらいでもちょっと多いくらいだ。夜は砂漠から帰ってきた大橋さんから、ビデオ映像を見させてもらう。行っておけばよかった。
     

リトルトーキョーにもあった、日本で一番ポピュラーな銅像

ブリューリーのスタッフ、ニコレット

リディアさんとプラネイ


9/26
 午前中はボブさんの車でバークレー界隈を回った。ボブさんが昔勤めていたというバークレー・ラボのあたりの高台からバークレーやオークランドの市街やサンフランシスコ湾を見下ろし、それからバークレー市 街地を走り、ウォーターフロントのレストランで昼食をとった。その後はまた車に乗って市街地を回ってバークレー様式の建物を見てから、ガソリンスタンドで他のアーティストと落ち合った。ボブさんとはここでお別れ。短い間でしたが、大変お世話になりました。
     

ボブさんの部屋からはこんな景色が見えます

バークレーとオークランドの街並み。その先にサンフランシスコ

バークレー様式の家
     

ボブさんとお別れの前のツーショット

トラック野郎たちの休息のひと時

ルート5の荒野に日が沈む

 それからロサンゼルスへひたすら車で移動。道中、なんとベートーベンの第5運命を聞きながら、ブッシュの続く荒れ野や、リンゴ、綿花が広がる土地を進んだ。7時を過ぎたあたりで満月がみえた。
 ロサンゼルスに戻ってみると、やはりなんとなくピンと来ないものを感じる。サンフランシスコは植生も日本と似ていて、街自体がコンパクトで、街並みもどことなく東京と同じようで、サンフランシスコの方が親近感を抱ける。
 夕食はリトルトーキョーのスエヒロという店で野菜うどんを食べた。おつゆは甘く、豆腐や白菜、もやし、ほうれん草が入っていた。不思議な感じがした。      

ロサンゼルスに戻ってきました

リトルトーキョーのおみやげもの屋

野菜うどん


9/25
 朝、まずはオークランドにある、再建されたビクトリア様式の建物が集まったところに行った。さしずめ明治村といったところか。ただしここは観光地ではなく、建築事務所やデザイン事務所、クリニックとして現在も使われているのだが。
 それからサンフランシスコに行き、ビクトリア様式の建物を見て回った。が、サンフランシスコにはビクトリア様式の建物は至るところにたくさんあって、とてもすべてを見て回るわけにもいかない。ハース・リリエンタール・ハウスなど主なものを見ておしまいにした。新築の家も高層ビルさえもビクトリア様式の特色を取り入れて建てたりして、街のカラーを作り上げようとしているように思える。これは余談だが、一軒の家は星条旗が掲げられ、Impeach BUSHと書いてある紙を窓から外に向けて貼ってある家があった。
 市街を回ってからSFMOMAに行った。ちょうどオラファー・エリアソン展を開催中で、エリアソンは原美術館で見て感動したものだったので、期待していったのだ。期待したとおりのいい展覧会だった。エレベーターから降りると、そこは影がない、一面黄色の世界。しばらくそこにいると、お互いがモノクロの世界にでも入り込んだように、モノトーンに見えてくる。霧に虹がかかる作品は原美術館でも見られたものだが、やはり何度見てもいい。さらに波紋がスクリーンに映し出される作品はずっと見ていたくなるようなものだった。それ以外にも万華鏡のように外界が見える装置のような作品やら、渡り廊下が鮮明な色彩の世界になるようなじゃばらを展開したような作品などもある。あるいはマケットのような小品も展示されている部屋もあり、彼の製作過程をうかがい知れるようになっていた。
 別の作家による暗い展示の中で、「あれ?イグチくん?」と声をかける人がいて、それは中込さんだった。それから他の作家さんみんなにも会う。なんという奇遇。
 一旦外のカフェに行って休憩を取り、それから今度は常設展に行った。マーク・ロスコなどの抽象表現主義の絵画があり、しばらくじっくり鑑賞した。SFMOMAは企画も常設もかなりクオリティーが高いと思った。そのせいだろうか、ミュージアムショップではお土産を大量に買ってしまい、おかげで荷物がさらに重くなってしまった。
     

オークランド市内にあるヴィクトリアン様式の建物

ハース・リリエンタール・ハウス

サンフランシスコの街並み
     

「ジュークボックス」と呼ばれているビル

SFMOMA

SFMOMAエントランスホールで扇風機が振れている(オラファー・エリアソンの作品)

 それからゴールデン・ゲート・パークを通り、海岸線に出て太平洋を見て、さらにゴールデン・ゲート・ブリッジに近づいて写真撮影。その後フォート・メイソン・センターのベジタリアン料理屋さんでタイカレーを食べた。レストランからは夕日がゴールデン・ゲート・ブリッジの方向に沈むのが見えた。
     

アルカトラス島

フォート・メイソン・センターよりゴールデン・ゲート・ブリッジを臨む。

フォート・メイソン・センター
     

フォート・メイソン・センターより夕日が沈むゴールデン・ゲート・ブリッジを臨む。

フォート・メイソン・センターより夕日が沈むゴールデン・ゲート・ブリッジを臨む。

フォート・メイソン・センターより夕日が沈むゴールデン・ゲート・ブリッジを臨む。

 帰りはほぼ満月が水面に光を反射させて、工場群の光とマッチしてとてもきれいだった。どこかの広告でMake Cocktail, No Warとあった。ボブさんの家にたどり着いてから、ベランダでボブさんからヨットで航海中に体験した美しい出来事の話を聞いた。ウミホタルに囲まれた航海やら、静かな夜にオットセイに囲まれ、うとうとしているとオットセイの声で目覚めた話とか。わたしの部屋からは決して見渡せないほどに広い夜空と星々を見ながら、ボブさんの話してくれる、イマジネーションが発光するような話に耳を傾けた。

9/24
 朝、団野さんを空港で見送ってから、サンフランシスコに向けて出発。アメリカ人の誰からも風光明媚なルート1を勧められたが、今回は走行時間が短くて早く到着するルート5を選んだ。こちらのルート5は退屈だぞとアメリカ人は言うが、実際に走ってみると、砂漠のような一帯があったり、ブッシュが広がる地帯があったりで、そういった風景を見慣れていない日本人にとってはこちらのルートも、なかなか面白いものがあった。途中、ほとんど砂州に囲まれているように思えるくらいに大規模な蜃気楼が見えるところがあった。蜃気楼といっても夏のアスファルト道路で逃げ水を見たことがある程度なので、この規模は驚きだった。それ以外にも見渡す限りの土地に牛を放牧しているところがあったり、風力発電の風車が たくさん続いていたりしているところがあったりして、それなりに面白かった。また、オークランドに入ったあたりだろうか、一台の乗用車が車の間を縫うように猛スピードで走りぬけ、それを追う2台のパトカーとのカーチェイスが見られた。結局2台のパトカーでその車を挟み撃ちするようにクラッシュして停まらせて、警官が銃を運転席に突きつけているのが見えた。まるでハリウッド映画じゃん。ていうか、これがこの地の日常なのか?
     

ルート5の風景1

ルート5の風景2

ルート5の風景3
     

石油を採掘しているところ

乾燥地帯に灌漑してワイン用のぶどうを栽培しているところ

蜃気楼で砂州のように見える
     

牛ばかり

風力発電用の風車

風力発電用の風車
     

カーチェイス後。警官が銃を突きつけている腕がかろうじて見える

工場萌えにはたまらない「キリン」

つり橋を渡ってサンフランシスコへ

 サンフランシスコに到着して、地下鉄BARTに乗ってオークランドのボブさん宅へ。自宅には日本の箪笥やら中国の絵画などのほか、馬車で往診に行っていたおじいさんの写真が飾ってあった。そして窓からはサンフランシスコ湾に通じるウォーターフロントのヨットバーバーが見えた。ちょうどカリフォルニア大バークレー校のカヌー部が練習していた。なんとも眺めのいい部屋。「この景色のためにこのコンドミニアムを買ったんだ。」というボブさんの言葉にもうなずける。夕飯は近所のレストランへ。レストラン自体がヴィクトリアン・スタイルの建物を改装したもの。結構おいしい魚料理をいただきました。

9/23
 今日はオープニング・レセプション。アーティストトークでは英語で自分の作品を説明できるようにと、東京会場でのオープニングで中込さんから宿題が出されていた。そんなわけでこちらに来る前に用意しておいた英文を、朝食後に練習などをした。この期に及んで、まだ追加したり修正したり。
 最初の会場、ブリューリーにみんなで行ってレセプションの時間を待つ。
 じわじわと人が集まり始め、来場者と話し始める。カルロ・マックーチとギャラリー巡りをしたときに同行していたモーラや、イヴァ、その他お名前を存じないけれど、レセプションに来られた方々も、わたしの作品を評価くれた。ロバート・ウォーカーがキューブの作品をお買い上げとのこと。大変光栄である。ロバート・ウォーカーはキューブを見て、親指を立てて「GOOD!」と言ってくれた。
 ビル・モースが来ていたのでお礼をもう一度言った。彼の話では、結局リディアさんは中込さんから照明について電話を受けてから、ビル・モースに電話をして、照明の調整を依頼したらしい。彼は「喜んで。」と引き受けてくれて、そのときリディアさんに、「蛍光灯では作品を殺してしまう。」と答えたらしい。それから照明の調整に来て会場に入っときにわたしの作品を見て、半透明の素材であることを知り、照明の当て方が難しくて最初どうしようかと思ってしまったとのことだった。プロでも難しいのなら、わたしが毎回照明で四苦八苦するのは当たり前だということにしてほしい。彼は以前、同じような網目状の素材で照明をしたことがあったので、それが参考になったとのこと。そしていつかコラボレーションをしようと言ってくれた。本当に身に余る光栄である。
 リディアさんも芸術至上主義というか、作品をよりよく見せるためには努力を怠らないということだろう。いろいろと動いてくれたリディアさんにも感謝したい。
 そんな感じでみんなでおしゃべりをして時間が過ぎていくので、もうアーティストトークもないのかなと思って油断していたら、終わりの30分でアーティストトークをすることになり、しかもわたしが一番最初にやることになった。想像していたよりもはるかに緊張した。フレーズを忘れてメモを取り出して見てから話したりしたが、結局、2センテンスほど言うのを忘れ、ウケ狙いのI LOVE ARTのTシャツも見せずに終わった。でもそのわりに、使っているカッターがアメリカ製のX-ACTOだと言ってウケを期待したりしたが。
 ブリューリーが終わってから、ユニオンセンターに移動。こちらでも同じようにアーティストトークを行った。一通り終わってからはのんびりと歓談。ラモン・ムノスから今日ははロバート・ウォーカーが食べさせせるからあまり食べるなと言われた。会場で給仕役として働いている女性は、自分のことをバーテンダーだと言っていたが、ハンチングをかぶって全身黒のファッションでかっこよかった。
     

ブリューリーでのレセプション風景

ブリューリーでのレセプション風景

大橋さんの実演を交えたアーティストトーク

     

ユニオンセンターでのレセプション風景

窪譲二さん父娘によるアーティストトーク(父娘漫才ではない)

村元さんのアーティストトーク

 レセプションが終わり、ロバート・ウォーカーの家に行く人、帰る人と三々五々別れる中で、プラネイと音楽談義。ポップやテクノやインダストリアルのあたりの話をしたが微妙にすれ違う。ファクトリー・レコードという名が出てきたので、ポップなのが好きだという彼のために、デペッシュ・モードの名を上げたが、あまりインダストリアルなのは好きではないと言う。わたしにとってインダストリアルというとノイバウテンで、その音源をサンプリング/コラージュしてポップ界に提示したのがデペッシュ・モードだと把握していた。なので、ちょっとうまくかみ合わないようなもどかしさがあったが、彼が知っているという日本のバンドの中で、ボアダムスと言ったあたりから絡まり始める。わたしがアメリカのバンドではソニック・ユースが最高だと言ったところでようやく意気投合してハイタッチした。今度会うときにお勧めのCDをコピーして渡してくれると言ってくれた。
 ロバート・ウォーカー宅には彼自身の作品や自分の生徒の作品が展示されていて、今まで見てきたスタジオに比べれば、それほど広いとは言えないまでも、すっきりとしていい空間だった。料理のソフトタコスがおいしかった。ジョイス・コールが「あなたは肉を食べないんでしょう?これはわたしがいただくわ。彼にはお豆だけにしてちょうだい。」とお肉の入った具の盛り付けられたお皿を自分で引き取り、新しいお皿を出してくれた。いろいろと気遣ってくれて、本当にうれしい。
 お皿を持ってベランダに出て、エジャ・カンやエジャ・カンのご主人などと話をしながらいただくことにする。おしゃべりを楽しんで、結局タコスは一皿しかいただかなかった。
 みんなに母の根付けをプレゼントとして渡す。結構評判がいい。      

ロバート・ウォーカー宅入り口で扇谷さんとエジャ・カン

ロバート・ウォーカーの自宅兼スタジオ内

手前左側よりジョイス・コール、ジョージ・カルマー、ロバート・ウォーカー



9/22
 団野さんの指のこと、今日の作品の写真撮影、オークランドから今日ボブさんがやってくることなど、気になることがいろいろとあったためか、あまり快適な眠りとは言えない状態で目が覚めた。
 みんなでリトルトーキョーにあるスーパーマーケットに立ち寄った。ここは以前はヤオハンが入っていたとのことで、在住日本人や日系人をメインの顧客としたスーパーマーケットである。ここに立ち寄った主な理由は、アメリカの化粧水がマニキュア落としみたいに刺激があると女性たちが言っていて、日本のメーカーのものがほしいということで来たのだ。
 ここはほとんど日本のスーパーマーケットがそのままこちらに来たようなもので、焼きそばの実演販売もしていたし、豆腐や味噌もあればめかぶや刺身も売っていたし、日本の大きなスーパーでよく見かける、どんなメニューもあるレストランというか食堂のようなものまであった。
     

リトルトーキョーのスーパーマーケット

お豆腐が売られています。大きいです。

めかぶも売られていました

 そこからユニオンセンターに行ったところ、リディアさんからもプラネイからも、ビル・モースが照明を見事に設置したと言ってくれた。二人とも口をそろえてとてもよくなったと言っている。しかも蛍光灯は点けるなとビル・モースが言ってくれたらしい。 文字通り期待に胸をふくらませてブリューリーに行ってドアを開けると、影がさっと入り口のあたりまで伸びてきているのがわかった。ビル・モースがわたしの作品を十分理解していて、さらに期待以上に影を出すように設置してくれたのだ。泣きたくなるくらいにありがたかった。
     

アートコア・ユニオンセンターの展示風景

アートコア・ユニオンセンターの展示風景

アートコア・ユニオンセンターの展示風景

 今日はビデオカメラを持ってくるのをすっかり忘れてしまったため、写真撮影のみに専念した。ブリューリーのスタッフのニコレットと少し話をしたのだが、彼女はわたしの作品を気に入ってくれていて、キューブの作品がほしいとのことらしい。電話でリディアさんに話をして買うことにしたらしい。
 何度も言うが、インスタレーションは作品を撤去するともう二度と見られないことになる。そのため設置している間にできるだけ記録をとっておく必要がある。そのため、いろいろな角度や方向から写真撮影をして、デジカメのメモリーをかなり使うことになった。
 そうこうするうちにタクシーがやって来て、ボブさんが到着した。オークランドから飛行機でやってきて、ホテルにチェックインした後、すぐにタクシーに乗って駆けつけてくれたようだ。さっそく記念写真を撮ってから、わたしの作品や他の参加者の作品を説明してまわった。ボブさんはわたしの作品をとても気に入ってくれたようだ。4時となりブリューリーからユニオンセンターへはニコレットに送ってもらった。そちらでも作品を紹介したところ、ボブさんは団野さんの作品をいたく気に入ったようだった。村元さんの作品にも興味を持ったようだった。リディアさんにボブさんを紹介して、ボブさんと知り合ってからのいままでのいきさつの話をした。
   

アートコア・ブリューリーの展示風景

アートコア・ブリューリーの展示風景
   

アートコア・ブリューリーの展示風景(団野さんのコーナー)

ボブさんと作品の前で

 今日はラモン・ムノスの自宅兼スタジオで夕食会。ボブさんを連れてリディアさんに乗せていってもらった。ボブさんはリディアさんといろいろと話をする。地球温暖化のことや、自分のおじいさんが馬車に乗って往診に行くお医者さんだったこと。その馬が道を知っていて、帰るときは「さあ行くぞ。」と馬車に乗り、あとは居眠りをしても起きれば家についていたことなど、ボブさんってこんなにおしゃべりだったかしらと思うほど。後部座席から楽しく話を聞かせてもらっている間にラモン・ムノスの自宅兼スタジオに到着。以前は紡績工場だったというラモン・ムノスのスタジオは、とにかく広くて大きい。うわさどおり犬が走り回っている。リディアさんにうらやましいでしょうと言われた。
 後からやって来たロバート・ウォーカーに、彼の東京での二回の個展を見たことを話した。しばらくたってからジョージ・カルマーが来たので、今回の照明の件の話をしたら、わたしの作品にとって影は重要な役割を果たしていることを理解してくれていた。
 その後、他のアーティストのスタジオを見学していた日本の作家メンバーやジョイス・コールとビル・モースが到着。ビル・モースには心からお礼申し上げた。ビル・モースはなんということはないというようなことを言っていたが、彼と話をしていると、彼がいかにわたしの作品を理解してくれているかがわかって感激した。
 料理はニューオーリンズのケイジャン料理のガンボ。なかなかおいしかった。それからデザートはメキシカン・ケーキ。ジューシーでとてもおいしかった。ふたつもらってしまった。
   

ラモン・ムノスの自宅兼スタジオ

ラモン・ムノスのスタジオ
   

ラモン・ムノスのスタジオ

ラモン・ムノスのスタジオを走り回っているわんちゃんたち

 ボブさんには中込さんや団野さん、神崎さん、ラモン・ムノス、ジョージ・カルマー、ビル・モースを紹介して、いろいろと話をして楽しんだようだった。まあ、ここはアメリカであり、アメリカ社会で生まれ育ったボブさんだから、こういったパーティーで多種多様な人々と出会って話を楽しむのは、彼の方が慣れ親しんでいるのだろう。

9/21
 今日はバガモン・ステーション・アーツ・センターという30以上のギャラリーが集まったところに行った。入り口から覗き込んで興味のある作品があれば入るというように、片っ端からギャラリー巡りをした。面白いのも中にはあったが、まあまあというのも。中にはセバスチャン・サルガドの風景写真ともいうべきものもあった。
 そこから少し車に乗って、カルヴァー・シティの画廊街へ。最初に入ったギャラリーに、カルロ・マックーチとジョイス・コール、カルロが連れてきたモーラという平面作家がいた。カルロが親切にもお手製のギャラリーマップを作ってくれていて、大変助かった。
 最初のギャラリーには中込さんの知り合いのキュレーターがいて、わたしたちのグループ展のカタログを見て、わたしの作品が誰々のに似ていると言った。それに対してカルロがもっとデリケートな作品だと説明してくれた。
 ジョイス・コールがわたしに話しかけてきて、ご主人のビル・モースが今日照明の設置にブリューリーに行っていると言ってくれた。ありがたかった。彼ならわたしの意図など踏んでくれるだろう。いくつかあるギャラリーの中で、ジョイス・コールの教え子の個展があった。アクリルであろう、キャンバスへ染み込ませる極小のパターンが、ミニマル的でもあり有機的でもありなかなか面白かった。それ以外にもいろいろとあったが、こちらも面白いもの、まあまあなもの、きわどいものがあった。
     

バガモン・ステーション・アーツ・センターのギャラリー配置図

バガモン・ステーション・アーツ・センターのギャラリー群

カルヴァー・シティーのギャラリー

 カルロの家に行く前にTRADER JOE'Sで買い物をした。本来の目的はカルロ宅でのホームパーティーに持っていくワインを買うためなのだが、なぜかみんな自分の買い物を始める。わたしはショッピングバッグとカルロおすすめのブラックチョコレートを買った。
 カルロの家もまた美しくておしゃれ。二つのベッドルームのある母屋と彼のアトリエ、それから庭には東屋のようなものまである。
 しばらくするとラモン・ムノスと一緒にロサンゼルス建築物見学ツアーに行った大野さんたちが合流。普段なら見ることもできないような私邸まで見ることができたとのこと。わたしは建築に興味はあるものの、本職はアーティストだからとギャラリー巡りをしたのだが、パッとしないギャラリー巡りより、そちらの方がよかったかもしれないと悔やむ。でもビル・モースが照明の設置をしたことを知ることができてよかったとしようか。
     

カルロ・マックーチ宅

カルロ・マックーチのスタジオ

     

カルロ・マックーチのスタジオ内部

みんなで記念撮影。このときは「マックーチー!」と言って撮ったときか、「コニーィー」(奥さん)と言って撮ったときか

 カルロ宅から帰るとき、車のドアで団野さんの指を挟んだまま閉めてしまった。骨に異常はないようだったが、しばらく気がつかずにドアを閉めたままでいた。本当に申し訳ないことをした。
 ギャラリーKINGYOのブログ用に昨日の日誌を書くことを扇谷さんに約束したので、さっそく宿に帰ってから、扇谷さんのPCを使わせてもらって昨日の出来事を書き上げた。

9/20
 サンタモニカのラディ・ジョン・ディルの工房へ行く。まさにカリフォルニアの青い空という感じのまぶしい光の下、町工場のような広い工房で、アシスタントを何人も雇い、パブリック・アートのプロジェクトを複数手掛けている。アルミニウムやガラス、粘土のように柔らかいコンクリートを使って制作する過程を説明してもらう。帰りには作品の着色テストのサンプルをみんなひとつずつサインしてプレゼントとしてもらった。
     

ラディ・ジョン・ディルの工房

ラディ・ジョン・ディルの工房で働くスタッフ

ラディ・ジョン・ディルの工房

 それからゲティ・センターへ行く。途中、双眼鏡のような建築物やフランク・ゲーリーを一躍有名にしたという金網付き駐車場などを車中見学して、フリーウェイでゲティ・センターへ。赤茶けた山の上にクリーム色の大きな建物が見える。フリーウェイから降りていくとゲティ・センターの駐車場に入り込むようになっている。駐車代として8ドルを支払う必要があるが、あとはただ。駐車場からはトラムに乗って山の頂上にある美術館に行く。東館西館南館北館の四つのパビリオンで展示があるが、時間の都合上、全部は見切れないので、興味の持てそうなものからにした。が、それにしても、あまりの量の多さにちょっとげんなりする。こんな砂漠の真ん中にイタリアから大理石を大量に持ち込み、そこに石油で稼いだ金にものを言わせて美術品を集めて展示する。外にはサボテン園があり、サングラスをしてもまぶしいくらいの日差しなのに、室内にはギリシャローマ時代から中世、近代に至るまでの美術品が展示され、椅子や鏡などの調度品がヨーロッパの歴史的な考証に基づいて再現された室内に展示されている。そのギャップがあまりにも大きい。ア メリカ人の自分探しというかルーツ探しというか、やや滑稽でせつなくもある欲求を感じてしまった。「アメリカには歴史がないからよそからその記憶を収奪する。」というようなことをゴダールの映画で言っていたように思える。そんなことを思い出してしまった。
     

フリーウェイからゲティ・センターを見る(山の頂上)

ゲティ・センターへ行くトラム

トラムからゲティ・センターを見る

     

ゲティ・センターの外観

ゲティ・センターの外観

ゲティ・センターの外観

 集合時間ぎりぎりまで見てからお昼がわりのクッキーを食べて集合場所へ。ゲティ・センターの外でジョージ・カルマーと落ち合い、途中で「メディテーション・センター」なるあらゆる宗教をミクスチュアしたという宗教のテーマパークのような庭に連れてこられた。そこでわたしたちの疲れた心身を休ませようというのがジョージ・カルマーの計らいなのであろうが、わたしにとってはほとんどお笑いで、ある意味元気が出た。
 

宗教のテーマパークではなくてメディテーションセンター

 それからジョージ・カルマー宅にお邪魔した。何度も日本に滞在しているためか、彼の家は日本風に靴を脱いで上がるようになっていて、ほうじ茶やベビースターラーメンやわさび風味のアーモンドがある。
 ジョージ・カルマーの提案で彼の最近の作品の素材である発泡ウレタンを使ってみんなで作品を作ろうということになった。出来上がった作品はと言うと、う〜ん。 それからブラジル料理屋さんに行き、会食。だいたいがブュッフェ形式で料理を自分でもらってくるのだが、肉料理は串で焼いたのをテーブルに何度も持ってくる。鳥・豚・牛・ソーセージと毎回断った。また村元さんと同行してきた山崎さんの手品の時間になり、コインを使った手品にジョージ・カルマーの息子のジョナは大喜び。しかしトランプの手品で自分が選んだカードが言い当てられると、悔しいからか泣き出してしまった。ジョイス・コールの家でも手品の種がわからずに泣いてしまったらしい。泣いてしまったジョナをジョージ・カルマーは膝に乗せて優しく諭してあげていた。泣き止んだジョナは今度はカメラを持たせてもらい、ミニカメラマンとして写真を取りまくっていた。
 そんなわけで今日一日が終了。      

ジョージ・カルマー宅

ジョージ・カルマー宅では下足厳禁

ペットのカメくん
     

ジョージ・カルマーのスタジオ

では記念にみんなで共同制作しましょう

最初の方は思い切ってできますが
     

どうまとめましょうか(どうまとめればいいんでしょうか)・・・・

一応出来上がってサインも入れて

カンセーイ!

     

ブラジル料理屋さんに行きました

お肉はこんな感じで串焼きで回ってきます(モデルは扇谷さん)

ジョナくん、カードマジックに再挑戦
     

ジョナくん、悔しくてやっぱり泣いちゃいました

おとうさんがジョナくんを優しく諭しています

手ぬぐいでなにか遊ぼうか
     

じゃあ手ぬぐいでマジックなぞ

えっへっへ、ほめられちゃった

ボクが撮るんだもーん



9/19
 この数日間のうちに、路上のコインパークに駐車していたところ、そのメーターが壊れていて、それが駐車違反だということになったらしい。そんなわけで今朝は駐車違反の罰金の払いに行くのと、コインランドリーと郵便局に行くのとに付き合った。
     

駐車違反の「切符」が入れられた封筒

ロサンゼルス市駐車違反局(?)に出頭した大橋さん

コインランドリー内部

 それからダウンタウンへバスで出ることにした。しかし当初考えていたところに行く路線とは異なった終点に到着したため、予想外のところでバスを降ろされることになった。降りてから自分のいる位置がわかるまで結構時間がかかった。そこからずっと歩いてディズニー・シンフォニーホールを間近で見たものの、MOCAが閉まっていたため、ショップのみ行った。それからもうひとつ、ランドマークになっている建築物カルトランス第7地区本社を見てから、アートコアへのユニオンセンターに行った。
     

フランク・ゲーリー設計のディズニー・シンフォニー・ホール

ディズニー・シンフォニー・ホール

ディズニー・シンフォニー・ホール
     

ディズニー・シンフォニー・ホール(部分)

ディズニー・シンフォニー・ホール(部分)

ディズニー・シンフォニー・ホール(内部)
     

カルトランス第7地区本社

カルトランス第7地区本社エントランス

カルトランス第7地区本社エントランス

 参加している作家さんのツテで日本領事や地元の日系人向けテレビの取材クルーがやってきていたりして、結構前評判はよさそうだ。その後、ブリューリーでの団野さんの展示に必要な畳を、リトルトーキョーに近いお寺さんからお借りして設置する手伝いをした。
 作品を設置して照明が当てられてから初めて作品を見ることになる。照明がひとつ作品にとても近いところにあるのが気になって、リディアさんに言って直してもらうことにした。が、それよりもはるかに深刻なことがわかった。どうやら照明としては蛍光灯が使われるらしいのだ。しかもレセプションでは蛍光灯とスボットライトの両方をつけ、通常は蛍光灯だけなのだそうだ。スボットライトに蛍光灯が付け加わるとと影がはっきり見えなくなり、蛍光灯だけだと影はまったく消えて、ポリプロピレンという素材の物質感だけがはっきり見えてくる。それではわたしの作品が成立しなくなってしまう。リディアさんに、影はわたしの作品の重要な要素だからスポットライトは点けておいてほしいとお願いしたのだが、安全性とコストとグループ展全体のことを指摘されて、通常時のスボットライトは却下された。がっかりした。
 その後、ブリューリーの中にあるスタジオで、以前中込さんがシェアしていたという部屋を訪問した。ここには他のメンバーはわたしが作品設置をしていたときに見学しに来ていたらしいが、わたしや団野さんは初めて。チェコ出身のイヴァが現在使用しているというスタジオは天井も高く広く快適そうだった。カメラを車の中に忘れてしまったのが残念だった。
 そんなようにして楽しい一時を過ごしたが、いったん宿に戻ってみると、どうしても照明のことで気が晴れない。遠くロサンゼルスまで作品を展示しに来ておいて、設置はうまくいったのに、照明が思い通りにならなくて、自分の作品の趣旨を提示できないというのは、まったく不本意であり、来た意味がなくなってしまう。そのくらいだったら展示しないのも同じだと思った。そこで中込さんと相談して、蛍光灯は点けるとしても(それも本意ではないが)、わたしのところだけでもスボットライトを残してくれるよう中込さんからリディアさんにお願いしてもらった。「やれるだけやってみる」というのがリディアさんの回答だった。
 夕食は韓国料理屋さんに行った。どうやらアシアナ航空のフライトアテンダントが来るというお店らしい。店の中にはそれふうの女性客がいた。それはそれとしてわたしは石焼きビビンバをいただいた。とてもおいしかった。その後ロサンゼルスで日本文化を英語で紹介している「カルチュラル・ニュース」の編集をしている東さんがご近所にお住まいとのことで、東さんを訪問して少し歓談して帰った。
 照明はどうなるのだろう。

9/18
 まだ設置が未完了の作家さんは設置作業を継続するということになり、二手に分かれて、一方はファーマーズマーケットへ、もう一方はギャラリーへ向かった。わたしはギャラリー組に便乗してメールのチェックをしに行った。22日にボブさんと会うことに対する提案やら確認をしたかったのだ。ユニオンセントラルのすぐ近所にグラフィックデザインをしたり、ネットカフェをしている店があるとリディアさんに教えてもらって、その店に行くと、日本語とハングルが使えることが判明。さっそくボブさんへのメールや日本へのメールなどを送った。
 

アートコア・ユニオンステーションのお隣の日本食料理屋さんのメニュー「EGG FOO YOUNG」 あんかけお好み焼き定食?天津丼?

 それからロサンゼルス・カウンティ・ミュージアム(LACMA)に行く。なにしろ西海岸最大の収蔵を誇る美術館故、全部を見たかどうか疑わしい。古代エジプトやアッシリアから中世、ルネサンスあたりもカバーしているし、印象派、バルビゾン派といった美術の流れだけでなく、イームズやフランク・ロイド・ライトあたりのデザインもあるし、ロサンゼルス絵画の歴史も押さえている。
 別棟で展示されている、地元ロサンゼルス近郊で現在活躍中の作家のコーナーで一息ついた。やはりコンテンボラリーだけあって理解しやすいのだと思う。同じ会場にあったジェームズ・タレルの部屋の角に立体的な光を当てる作品や、ダグ・ウィーラーの白いネオンの作品が印象に残った。その会場にいた監視スタッフに日本館が素晴らしいわよと言われて行ってみた。その言葉どおりかなり充実していて、書、絵、仏像、埴輪、甲冑といったあたりもクオリティの高いものだった。はるか昔にエジンバラで見た日本文化の展示はあまりにもクオリティーが低く、こんなのを見せられたエジンバラの人はかわいそうだと思ったのに比べれば、まったく次元が違うくらいだった。また、根付の展示もあり、とても楽しませてくれた。
     

ロサンゼルス・カウンティ・ミュージアム(LACMA)外観

ロサンゼルス・カウンティ・ミュージアム(LACMA)エントランス

 それから今回のグループ展の参加者のひとりで、タイの国民的作家のカモール・サンタンチャリーさんの紹介でタイ料理屋さんに行った。と言ってもLACMAから一時間も車を走らせて到着する店である。当地の人々の時間感覚というか距離感というか、東京ではまったく考えられないものだ。しかしカモールさんが考えていた店と彼が描いて示した地図にある店は、名前も番地も違っていて、日本人グループの方が早く着いてしまった。ただし、その店は店長さんがカモールさんの友人だったり、タイからの留学生の絵をカモールさんが選んで壁に展示させていたりして、まんざら大間違いというわけでもない。店員さんはきれいだし、料理はおいしいし、とても充実していた夕食であった。
 カモールさんが国民的作家であるため、一緒にいるわたしたちもその恩恵に与ることになる。美術館では彼の知り合いの学芸員に自分の生徒だと言って無料になったし、タイ料理屋さんも結局料金はお店もちということになった。ありがたいことだ。
     

タイレストランの外観

みなさんタイ料理を堪能しています

ほぼ中央の黒いシャツがカモールさん、右端の白いポロシャツがレストランオーナー

 その店でself taught artistであるということが、当地でどのように認識されているのか垣間見る機会があった。店長さんの息子(結構いい男)がやってきて、今回のグループ展のカタログを見て、「アートには興味あるけど勉強していないし。今からやってもなあ。」と言ったのに対して、中込さんが今からやっても何も問題ないよ、イグチトシオという作家はself taught artistなんだよと答えてわたしを紹介した。店長の息子さんの感嘆は「きちんとした技術を必要とするアートを誰からも学ばないで独学で身につけたのは、尊敬に値する」といったような意味合いがあったようだ。日本ではどちらかというと正規の教育を受けていない美術家はプラスのイメージでは捉えられていないとうに思うが、アメリカでは表現者に対する態度がやっぱり違っているのだと実感した。


9/17
 朝からもうひとつの会場、ブリューリーのギャラリーでインスタレーション作品の作家が設置作業を行う。他の作家さんは早々に設置作業を終え、同じ敷地内のスタジオ見学などに行ってしまった。
 わたしはそのまま残り、その場で設置方法をリディアさんとのアシスタントのプラネイと相談して、天井にネジをさしてその間にヒモを通し、そこから作品を吊るすことにした。プラネイにドリルで天井に穴を開けてネジをさしてもらい、そこにわたしがひもを通してそこからS字フックを使って作品を吊り下げた。屏風の作品を設置するために残っていた団野さんにも手伝っていただいて、設置作業を進めた。
 一段落したところで、残っていたリディアさん、プラネイの三人で同じ敷地内の店へお昼を食べに行った。メニューの中からベジタリアン向けのハンバーガーを選んだところ、結構いけた。お昼から帰ってから、作品近辺の床の掃き掃除をして、小品を置くための棚を取り付けてもらい、10個の小品を設置。ふたりからいたく評価してもらう。設置が一段落したところで中込さんがピックアップに来て、いい空間になったと言ってくれた。それからユニオンセンターに立ち寄った。こちらもほぼ完成。今日は一日設置に集中していたためか、時差ぼけもなく過ごせたが、設置が終わった途端に一気に疲れが現れて、なんだか眠くなってしまった。
     

アートコア・ユニオンステーションの外観

アートコア・ユニオンステーションの掲示板には「CROSS CURRENT」の案内が

アートコア・ブリューリーの外観

 それからみんなをピックアップしてパサディナにあるジョイス・コールの家へパーティーに行く。パサデナの街中で途中にあったTRADER JOE'Sというスーパーに寄ってお土産用のワインなど購入したのだが、みんな一斉に買い物を楽しんでしまい、時間オーバーになってしまう。
     

日本風に言えばTRADER JOE'Sパサデナ店

TRADER JOE'Sの青果売り場

 ジョイス・コールの家はかなりの山の上の方にある。まずはアトリエを見せてもらう。作品が錆びた色の鉄を素材として使っていて、そういった作品がいろいろと並んでいるアトリエは、とても面白く感じた。今、彼女はある通りにあるビルの壁面に設置する作品を制作中で、制作方法やコンセプトを説明してもらう。アトリエから坂を登り、自宅へ。ご主人のビル・モースが肉を焼いている。他にはジョージ・カルマーと奥さんのジュリー、息子のジョナがいて、さながらホームパーティーのよう。食事もおいしく楽しい時間を過ごさせていただいた。ジョイス家は調度品も古くて、おじいさんお手製の椅子とかを大事に使い、とても落ち着きがあって居心地もいい。かわいい小物や世界各地から集めたような仮面も飾ってある。それから家の中のちょっとしたツアーに参加して、プールやホットタブ、ビル・モースの仕事部屋や息子のドラムセットが置いてある部屋などを回った。いやはやうらやましい限りの環境である。
     

ジョイス・コールのスタジオ外観

ジョイス・コールのスタジオの内部
        

ジョイス・コール、ビル・モース宅でのパーティーはベランダでも

ジョイス・コール、ビル・モース宅でのパーティーは室内でも

ジョイス・コール、ビル・モース宅の調度品
       

ジョイス・コール、ビル・モース宅の調度品

ジョイス・コール、ビル・モース宅のわんちゃん1

ジョイス・コール、ビル・モース宅のわんちゃん2

 こちらでの展示の照明も彼がやってくれるものとずっと思っていたのだが、ビル・モースが言っていたが、どうやら今回は彼は手を出さないようだ。わたしの作品を理解してくれている彼が照明を手がけてくれるものと思っていただけに、ちょっと残念な感じだ。

9/16
 午後になっていよいよ成田空港に出発。ユナイテッド航空はチェックインがタッチパネルになり、顧客にそのぶん負担をかけることになり、余計に時間がかかることになり、チェックインで長蛇の列ができてしまった。二時間前に到着したのにチェックインがが完了したのは30分前という感じだった。
 席は最後尾で、スクリーンは前方にひとつ。食事はBeef or Chicken?ときたもんだから驚いた。ずっと以前乗ったときにはBeef or Fish?だった気がするぞ。chickenを選んだが、ついこの間トリのから揚げを食べてお腹が張ってしまったことがあったので、鶏肉をすべて避けてから食べた。結局ロサンゼルスまでは一睡もせず、ずっと読書。
 約10時間ほどのフライトの後、ロサンゼルスに到着。二回目の16日が始まる。空港では入国審査で長い列ができていた。両人差し指の指紋の採取と顔写真の撮影のために時間がかかるのだろう。苦虫を噛み潰したような顔をしてもよくないが、愛想をよくする必要もないし(愛想よくしていた人もいたが)。入口にはアメリカに敬意を表せとかいうA4サイズ程度のポスターがあり、向かいの壁には例の薄笑いを浮かべた大統領の顔写真がある。
 空港からはフライアウェイというバス路線でダウンタウンに出ようとしてバス停に行った。そこのベンチには人のよさそうな若者が座っていたので少し話をした。オーストラリアから来たという若者がサーフボードを持ってバスを待っていた。どこから来たのだとか何をしているのだとかそんな話をしているうちにバスが来たので乗り込んだ。ロサンゼルスの印象は埃っぽい感じといっていいだろうか。空港も滑走路の合間に工事中の箇所が目立ったし。なんとなく全体的に赤茶けたような色で覆われていて、空港を出たばかりのあたりは高層ビルもなく、栃木のあたりの高速を走っているような錯覚もあった。バスがだんだんと中心地に近づき、高層ビルも見えるようになってきて、終点のユニオンステーションで降りた。植生が南国風だ。街に出ると、結構ラティーノの人々が目立つ。それもインディオの末裔というような風貌の人々が結構目に付く。そこから10分程度でギャラリー、アートコア・ユニオンセンターまで歩いていった。ギャラリーに着いたらすでに作業を始めているほかの作家さんから驚かれる。どうやら連絡不徹底で、中込さんが空港までわたしを迎えに行ってしまったらしい。中込さんが戻ってきてみんなが集まったところでチャイナタウンに昼食をとりに行った。ここはアメリカだ。中華と言えども量は多い(昔、ワシントンDCではいった中華料理屋さんで出てきた焼きそばの日本の三倍くらいの量に驚いたことがあったっけ)。わたしはお粥と青菜を中心に食べた。
     

ユニオンステーションの外観

ユニオンステーションの内部

駅構内は広いため、こんな乗り物で移動が可能

 一旦ホテルに行き、ディナーに行く前に、中込さんのお友達の作家さんが参加しているというグループ展のオープニングが開催されているというギャラリーに立ち寄った。岡の上にある市民ギャラリーのようなもので、普通に市民がオープニングに入り込んで楽しんでいた。庭でのんびりくつろいたオープニングはうらやましい感じであった。
 ディナーは日本の作家さんたちとアメリカの作家さんが勢ぞろいして開かれた。会場はイタリア料理屋さんで、たいへんおいしかった。テーブルに向かい合ったカルロ・マックーチやジョイス・コールと話をした。大竹さんがアメリカの環境問題と保険制度問題で二人に質問を浴びせまくった。大竹さん初日からなかなか厳しいです。
 レストランにはカルロの作品が飾ってあり、作風や手法ががそれぞれ異なっており、クオリティの高さを感じた。それから帰宅して一日目終了。      

ディナーパーティーが行われたイタリアンレストラン「スパーク」

ディナーパーティーはテーブルがいくつか分かれて

レストラン内に展示されているカルロ・マックーチの作品


9/15
 朝から渡米の準備に忙しい。
 わたしはバックパッカーの手荷物用のバッグしかないので、参加者がそれぞれもって行くことになっている今回の展覧会のカタログ25冊分や衣類や三脚やらをぎゅうぎゅうに詰めて、バッグがパンパンになる。重さは15kg。おじさんが背負う重さじゃありません。
 午後は外貨両替に行き、窓口でこちらの希望の小額のお札中心のパックだと、お札の枚数が多くなってしまうと半分脅されるようにして、大きな金額のお札をはいるパックにしてもらうこととなった。
 新宿駅は大変な人だかりだった。そうそう、今日から三連休でした。

9/13
 新宿高島屋の美術画廊で阪本トクロウさんが参加する三人展があるとのことで、帰りに立ち寄った。阪本トクロウさんは相変わらず余白が美しい。その潔さは気持ちがいい。鑑賞していると店員さんが後ろでずっと控えている。とても気になってしまったので、阪本トクロウさんの作品だけ拝見して帰ることにした。

9/12
 ワタリウムに寄って、「I LOVE ART」Tシャツを買う。青地にピンクの文字のものと、コーヒーカラー地にブルーの文字のものとあり、青もたまにはいいかと思ったが、同行者と店員さんがコーヒーカラー地の方がいいと言う。そんなわけでコーヒーカラー地にブルーの文字で「I LOVE ART」のTシャツを買うこととなった。

9/9
 台風が通り過ぎてから夏が逆戻りしてしまったようで暑い。昨日、作品を配送したので、今度は自分の荷物の番だったが、暑くてだらだらやっているうちに午後になり、ギャラリー巡りに出かけた。三鷹駅にたどり着くまでにお神輿や大太鼓に出くわす。片方の車線はお祭りの「ハレ」の場で、そこをバスが「ケ」の気配を撒き散らして通り過ぎてゆく。
        
 まずはギャラリーKINGYOの中込靖成さん。抽象と具象の狭間の上で、その色彩の漂いが一層の想像をかき立てる。中込さんとしばしLAでのグループ展のことでお話をさせていただく。それにしてもグループ展、ご自分の個展と立て続けでお疲れ様でした。
 上野に出ようとしたら、芸大で学園祭をしていた。グループ展のときに「GEISAI」というポスターを見かけたのだが、ずっと村上隆関連だと思っていたら、本当に芸大の学園祭だったのだ。うわさに聞くお神輿を初めて見ることができた。         
 それから銀座のKobo & Tomoの谷口雅邦さんの個展へ。唐辛子が部屋一面に満ちているインスタレーション。真っ赤な床で視覚を刺激し、唐辛子を敷き詰めることで、嗅覚とそれに派生した味覚や、触覚や聴覚さえも刺激して、五感すべてで感じるような、すべてにおいて鮮やかな展覧会。雅邦さんのパワーがストレートに出た作品と言えよう。雅邦さんもいらっしゃって、この間のグループ展についての感想をいただく。いろいろと気にかけていただき、本当にうれしい限りである。
 それからギャラリー45-8のウミウシの写真展。こちらもなかなか美しくかわいらしく、とても楽しませていただいた。
 三鷹には7時過ぎに帰宅したのだが、まだお神輿が通りを練り歩いていた。昨日から二日連続でお祭りをして、体力的に大丈夫なんだろうか。

9/8
 東急ハンズから紙筒が入荷したという連絡が入ったのが9/6で、台風が関東を直撃して、とても大きな荷物を抱えて帰れない日であった。
 でもって昨日9/7は11時過ぎまで仕事をしていて、立ち寄ることなどできなかった。
 今日は梱包を12時までにしないといけない。というのも、荷物の集荷を12時〜15時と予約しておいたからだ。そんなわけで、今朝開店早々に行って紙筒3つを入手して、帰宅してから梱包作業を大急ぎで行った。作品1シートずつをそれぞれ筒の中に入れ、出来上がった4本の筒をひとつにまとめて緩衝材で包む。終了したのが12時前。ぎりぎりセーフだった。ほっと一息していると、1時近くになって集荷して行ってくれた。
 今日はどこからともなく太鼓や歓声が聞こえる。下連雀の八幡様のお祭りらしい。夕方吉祥寺に買い物に行ったら、吉祥寺でもはっぴ姿の人たちがいた。どこもお祭りらしい。

9/2
 昨日に続き、午前中に最後の一枚を作り上げる。
 郵送用の紙筒を東急ハンズに買いに行く。2本あったので、3本を取り寄せることにして帰った。
 来週末は自分の旅行の準備ができそうだ。

9/1
 朝からロサンジェルス用の作品の組み立てを行う。切り抜いたポリプロピレンのシートをつなぎ合わせて一枚のスクリーンとする。
 今日のところは3枚まで作成。

8/31
 退社後、映画へ。新藤兼人原作脚本の「陸に上がった軍艦」。
 戦況の悪化で社会では働き盛りの30歳を過ぎた男性にまで召集令状が届き、10歳も年下の上官からの理不尽なまでの「しごき」、懲罰のような訓練や制裁を受けて人格を否定され破壊されていく。その部隊を構成しているのは、シナリオライターだった新藤本人と大阪河内の洋服屋、大阪の理髪師、岡山の旋盤工、大阪の八百屋、広島の山奥の農家といったところから出てきたその家庭にはなくてはならない「男手」なのだ。そして戦争とは新藤が語るように、「本当にかけがえのない人が前線に借り出されて戦争をしている。残された人の人生も何もかも破壊されるような大きなことが個人には起きているのだが、大局的に見れば、戦略的にひとりの兵士が死んだということにしかならない」ものなのだ。
 いよいよ末期になると本土決戦ということで、アメリカの戦車に爆弾を投げつける訓練を、兵隊が縄で引っ張る木で作った戦車の模型に、木や竹片を爆弾に見立てて投げつける訓練をしたり、靴を反対に履いて、敵陣に向かって前進しているのに足跡が退却しているように見えるというあまりに滑稽で愚かしい作戦の訓練までもする。そして終戦の日、緊張から開放された兵士たちが、今までと打って変わったようにすっかりくつろいでいるあまりに静かな兵舎。
 滑稽さと異様さとそしてとてつもなく大きな虚しさと愚かさ。

8/30
 いよいよ撤去の日。午前中出勤して、午後美術館へ直行。
 上野駅を降りて、文化会館と西洋美術館の間を通り過ぎたところで、川田祐子さんにばったり会う。ちょうどグループ展をご覧いただいて、ギャラリーKINGYOへ行こうとしているところらしい。東京都美術館からの徒歩ルートをお教えしてお別れした。美術館で着替えをして時間が来たところで撤去開始。最終的な作品がどんな風に撤去されるかが、特に立体なんか見るとおもしろい。他の作家さんの作業に手を貸しながら、それの写真を撮ってしまう。わたしの作品も協力いただいて天井からはずして床に置いたところで記念写真を。こんなかたちではもう二度と見られないから。
 作家のひとり、ジョイス・コール氏はわたしの作品が好きだといい、以前にも「ロサンジェルスにはこの作品を持っていくの?」と尋ねられ、「別の作品を持っていくのだ。」と答えていたのだが、今日再度「もう一度聞くけど、ロサンジェルスにはこの作品を持っていかないの?」と聞かれた。「残念ねー。わたし、この作品とても好きなのよ。」と言われた。おみやげの追加でブルーベリーとブラックベリーの自家製ジャムをいただいた。
 撤去もだいたいが終わりかけているところで、照明を元通りに戻せと美術館からの「ご指導」。ビル・モース氏が再び脚立を上り下りして調整したが、どうやらライトは左右交互に角度をつけて設置してあったらしく、その通りに戻せと言われた。美術館側は毎日確認しているのだから、たぶんそういうように設置されていたのだろうが、本当にそういう設置だったのか、全然記憶にない。4メートル近い高さの脚立の上り下りはたいへんだからと、美術館側からキャスター付きのリフトみたいな装置を使ってよいと言われ、ビル・モース氏がリフトに乗り、奥さんのジョイス・コール氏がそれを下で移動させて、最後は全部「元通り」にした。ビル・モース氏は本当に忍耐強い。わたしなんかだと頭に来て何か当たり散らそうだが、彼は最後までやり遂げ、美術館側スタッフに「Thank you, Sir.」と言って握手を求めていた。
 美術館の撤去を終えて、ギャラリーKINGYOへ向かい。こちら側の撤去作業を手伝った。アメリカ側作家とは「ロサンジェルスで会おう。」と言ってお別れをした。
 帰りはこれから山梨に運んで帰るという中込さん運転のトラックに乗せてもらって帰った。
 それにしても中込さん、明日は自分の個展の設置をして、9日個展終了で、15日からはアメリカに行って、1年間文化庁の在外研修なんですけど、お体大丈夫なんでしょうか
        
        
        


8/29
 グループ展のお別れパーティーに退社後、銀座へ向かった。
 アメリカ側の作家たちは、オープニングパーティー以降、水上温泉、強羅、飛騨高山に行っていたりしたらしい。
 オープニングパーティーでも設置中の会場でもお話しをしなかった作家さんと少し話ができた。自作の栞もなかなか評判もよかった。作品や手法がシンプルだから、見てすぐわかるというのが、こういうときにはいい方向に現れるということとしよう。アメリカ側の作家さんたちからもおみやげをもらう。これってたぶんアメリカから持ってきたんだろう。ありがたく頂戴いたしました。


 パーティーもお開きになり、会場を出たのだが、そこでまた立ち話が続く。アメリカ人は立ち話を延々としても全然苦にならないんだとか。
 ところでオープニングの二時間で聞いた「アメリカではまったく目にしないが、日本のイタリア料理には必ず入っているシーフード」はイカでした。squidがsquearに聞こえたもんだったからずっと謎だったのだが、スペルを言ってもらってようやくわかりました。でもイカって日本だけじゃないみたいだぞ。
 携帯で写真を撮ったのですが、照明が暗かったのか、みんなぼけてしまいました。

8/26
 本日は午後から東京都美術館へ。
 休日の午後なのだが、思ったより来場者が少ない。再び写真とビデオの撮影会となった。
 そんな合間に他の作家さんと作品のテーマや制作における意図や作家活動の方針など、いろいろとお話ができてよかった。
 東京都美術館閉館後にギャラリーKINGYOへ向かい、そこでも他の作家さんと歓談。
 帰宅してから栞の制作。小さくて見栄えのいいサイズということで、4cm×8cmとした。これならだいたい30分〜40分で1枚できあがる。

8/25
 東京都美術館で終日お当番。午前中特に来場者もあまりいないため、写真撮影とビデオ撮影をした。
 閉館時となり、バスハウスとギャラリーJinに寄ってからギャラリーKINGYOに行った。ギャラリーJinの麻生知子さんは夏にちなんだ油彩画とモノタイプ。キャンバス全体がうな重だったり、バーベキューの金網の上に野菜やら肉やらが置いてあったり。特にプールで目を洗うために蛇口が上を向いているところに目を当てようとしている作品には笑えた。「ああ、こんなことあった」と懐かしい思いになれる作品だった。途中、「芋甚」でアイスもなかを買って食べた。
 ギャラリーKINGYOで作家さんやオーナーの扇谷さんとのお話の中で、お別れパーティーにプレゼントを渡すという話になり、わたしの場合は自作の栞とかいいのではないかと言われ、俄然やる気になってしまった。帰宅してから栞制作の準備開始。

8/22
 会社を早退し、東京都美術館に立ち寄り作品の展示状態を確認。湿気やら引っ張る方向やらでしわしわになった部分があり、そこが不満となっているが、それ以外は作品の意図をそれなりに表現できていると思われるのでよしとする。
 5時閉館後に徒歩でギャラリーKINGYOに行く。しばらくしてオープニングレセプション始まった。日本側だけで参加作家が10人。ギャラリーの関係者やらその他の来場者を含めて、結構な人数である。こういう場ではなんだか気後れして、座から少し離れて身を置いてしまう性癖ゆえ、壁を背にしてたたずんでいた。ときどきアメリカ側作家と話をしたが、アメリカ人はまず人を褒めるということを差し引いても、わたしの作品はまあまあ好意的に受け取られていると思われた。
 それでもあまり話をしなかったので二次会に出席して他の作家さんとも話しをしようと思った。で、行った先で正面にアメリカ人作家が座り、延々とその作家さんと話をすることになった。
 アメリカではまったく目にしないが、日本のイタリア料理には必ず入っているシーフード。なんでしょう。会話の中で出てきたものの、その単語がよくわからなかった。         


8/21
 さすがに作品の筒(130cm長をふたつ)と工具箱と紙袋を持って通勤電車には乗れないので、タクシーで上野の東京都美術館へ向かった。新宿までの道が渋滞で、そこを通り抜けたら後はスムーズ。結局8時に出発して9時半に到着した。
 設置場所をいろいろと悩みながら、お手伝いをお願いした市川洋子さん、千葉祥子さんにアドバイスを受けて設置を完了したのが12時過ぎ。
 普通のギャラリーだったら当たり前だと思うことが、東京都美術館にはいろいろと規制があるようだ(一説には企画展で使うスペースは美術館だが、公募展で使うのは都民のための貸しスペースみたいなもので、美術館ではないようだが)。まず、壁に粘着テープを貼ってはいけない。硬い作品を床にじかに置いてはいけない(紙を敷いたりすればよし)。天井高の高い部屋の照明は一切触ってはならない。どうしても必要な場合には事務局に掛け合ってスタッフに変えてもらう。などといろいろとあるようだ。照明のレールにフックを差し込んでそこから吊るすということは普通によくやることだが、わたしがそうして照明レールを使って作品を吊るしたのが問題となった。そのレールは照明用のレールであって、設置のためにあるのではないというのだ。作品は紙でどれだけ軽いものか、悪意を持って作品を引っ張らない限り作品は切れないし、子供が作品にぶら下がろうとしても作品が切れてしまうだけだと説明をして、結局OKとなる。が、そういうチェックが人を代えて三回行われた。わたしの作品が照明のレールに付けたフックから吊り下げられているのを見て「ああ、このことかあ。」なんて言って見て回っている。
 照明の変更に至っては、今まで何も手をつけてなかったとしたら、スポットの照明は今まで作品に当てられず、まったく無意味に点けられていたことになりはしないか?今回のグループ展のために来日したアメリカ人の作家のご主人が舞台照明のプロで、照明を調整するために来たのに、それがまかりならんということになったのだ。で、グループ展の中心になっている中込靖成さんが「作品をよりよく見せるために照明に手を加えるのは、どうしても必要なことだ」と事務局に掛け合って、結局はこちら側で調整できることになった。彼らも自分の職務として規則を守らせないといけないのは重々わかる(事務局はどうであれ、実際に技術スタッフは「作品をよく見せたいと言うのは重々わかりますが、なにぶんわたしたち下の者は、事務局の判断の元でしか動けないので、ご希望でしたら事務局に掛け合ってください。事務局の指示が出れば、わたしたちは動くことになる」見たいなことを言っていた)が、それにしてもまったくのお役所仕事。いやはや。
 で、わたしは照明担当のビル・モース氏につき従って脚立を持って照明の調整のお手伝いをした。照明はわたしの作品の命であり、お手伝いをすることで勉強をしようと考えたからだ。結局5時ギリギリで全体の設置が終了し、それからギャラリーKINGYOで小品の設置と照明の調整をした。
 暑くて疲れたのでオクラ納豆を食べて、ご褒美に「ガリガリ君ソーダ」を食べた(60円の氷菓がご褒美かよ!)。         


8/19
 アーティストファイルやらの整理のため、朝からPCでの作業を行っていたのだが、どうにも暑くてたまらなくて、だらだらと過ごしてしまう。こんなことならと、先月に続いてもう一度相模原市民ギャラリーに川田祐子さんの作品を見に行く。何度見ても前回見たときとは異なった色が浮かび上がってくるような印象を持つ。そして作品の持つ奥行きや深さに改めて感嘆する。グループ展の直前ではあったが、再度見に行って本当によかった。
 三鷹に帰ってきたのは6時過ぎだった。三鷹阿波踊りも宴たけなわという感じで、三鷹駅前のペディストリアンデッキにも、中央通の阿波踊りを眺める人々でいっぱいになっていた。
 結局阿波踊りも少しは見ることになった。

8/18
 PCはメモリに不良があり、前回の修理時に発見できなかったとかで、無償での修理となり、ようやくPCが戻ってきた。今、このご時世、PCのない生活は考えられない。
 来週火曜日の搬入に備えていろいろと買い物をするために三鷹中央通に行った。なんとなく通り全体が落ち着きがなくそわそわとしている。今日は三鷹阿波踊りの初日なのだ。今年で40回らしいが、そんなにやっていてもあまり有名でないこともなかなかできないことだ。
 例年、阿波踊りが行われている時間に中央通りを偶然歩くことになり、阿波踊りに遭遇しているのだが、今年はその時間帯に外出はしていなかったので、阿波踊りを何も見ることはなかった。いやいやまだもう一日あるからわかりませんよ。

8/17
 退社して市ヶ谷駅から中野行きの総武線に乗った。四ッ谷駅で中央線に乗り換えようと思ったが、ホームには総武線に乗り込もうという人がいっぱいいて、何かあったのではないかと思った。案の定、中央線が人身事故でストップしているらしい。そのまま総武線に乗って中野まで行くことにした。中野駅で降りて次の三鷹行きを待ったが、中央線はまだ動き始めていないため、総武線三鷹行きは非常に込んでいた。次発の東西線三鷹行きに乗ることにして、別ホームで総武線三鷹行きの発車を待っている東西線の電車に乗り込んだ。二車両ほど歩いて、空いている席があったので座ろうと思ったら斜め前にオノテツさんがいた。いくつかの偶然により、また人と会うことになった。

8/12
 今日はいろいろと作業を済ませてから、散策ということで西荻から骨董街を通って、善福寺公園まで往復した。

8/11
 PCはディスプレイの液晶とマザーボードの不良で、両方とも交換したら、特に液晶の値段が結構なものだった。
 戻ってきてしばらく使っていたら、また起動しない状態となり、再度修理依頼を出す。
 猛暑の中、玉川上水沿いに杉並区との境まで往復した。8km弱はありそうだった。あんまり暑いので、井の頭公園の売店でかき氷を食べた。

8/5
 午後、大久保の職安通りにある通称「軍艦マンション」を見学に行った。
 いやあ、すごかった。1970年に旧日本海軍出身の渡邊洋治氏によって設計されたものということらしい。外観はメタリカルで屋上部分の給水タンクを魚雷のように横置きにしたりして、まさに軍艦である。普通の風景の中に突如登場する異様な建築物。
        
        


8/4
 今度の展覧会用の作品の支持体としてアクリル板を両側に取り付け、ちょっと試しに部屋の中で吊ってみた。結構いい感じに展示できるかもしれないと思いほっとした。
 が、作品自体は10m以上の大きなもので、広げたものを、トレペと一緒に巻いて円筒にするのはとても骨の折れる作業で、すっかりぐったりしてしまった。

8/2
 これは後から書いている日誌である。PCの電源スイッチを押してもディスプレイに何も映らない。そんなわけで今日午前中に引渡しをするために午前中休暇を取ったのだが、引き取りに来るのが午後になってしまったので、一日休暇を取ることとした。引き取ってもらってから、目黒区美術館の「線の迷宮<ラビリンス>U−鉛筆と黒鉛の旋律」に行った。
 とても充実した展覧会だった。木下晋の最後の瞽女、小林ハルさんや、ハンセン病患者の詩人桜井哲夫さんをモデルにした鉛筆画はいつ見ても圧倒される。ご本人が背負っている(いた)生の重みに、ただ静かにたたずむように鑑賞した。齋鹿逸郎氏は会期直前に亡くなられたらしい。三つの壁面全体を覆う鉛筆画は、まさに呼吸するように描かれたもので、鳥瞰図のようにも、曼荼羅のようにも見える。享年79歳とは思えぬほど、集中力を持続させた作品だった。機会があればもっと作品を見たいと思った。


8/1
 爆音ゴダールの最終回で「アワー・ミュージック」を観る。チケットのもぎりのタイミングで、中央の席を逃す。が、ちょうどスピーカーの手前の最前列に座ったので、ある意味、爆音を十二分に楽しめたのかもしれない。
 【王国1 地獄】戦場と殺戮と。【王国2 煉獄】サラエボで「書」を語り、対話と理解と赦し合い?【王国3 天国】せせらぎ。救済?


7/29
 朝9時からアクリル板に穴を開ける作業。透明アクリル板をロールの両端にはさんでねじでとめて、それによって作品を横にピンとさせる算段なのだ。全部の穴を開けて、それから掃除に突入。
 お昼過ぎてから投票がてら、買出しに行った。受付に列ができていて、結構混んでいる。投票率が高くなるのか?
 スーパーで買い物をしているとき、プツンっという感じでエネルギー切れ。脱水症状?なんとか帰ったら急に雨が降り出した。いやいやそんなにしてまで水分補給するつもりはないので。
 で、開票速報が大変なことになっていて、ずっと見入ってしまった。与党側の退潮は予想がついたものの、これほどまでとは思わなかった。アベちゃんやナカガワ幹事長やオオタ代表の顔から生気がなくなり、顔色も悪いし、すっかりいつもとは別の顔になってしまっていた。
 今後どうなるのだろう。

7/28
 足の踏み場もない部屋の本棚の足元に「愛の世紀」のプログラムが落ちていたのを見つけた。
 そんなわけで今夜「爆音 デジタル・ゴダール」の第二段、「愛の世紀」を見に行った。また最前列中央に座った。
 「愛の世紀」はモノクロの美しい映像と、デジダル画像のデジタルではありえない色彩のにじみや、映像のつまづきのような停止状態。美と破壊とでも言えそうなコントラスト。
 そしてスピルバーグとアメリカへの批判(アメリカ人には過去がない。だから人のを買う)、そしてもしかしたら裏返しのヨーロッパ批判(大人はあいまいだ。大人が描かれていない)。
 大人になることは容易なことではない。

7/25
 帰りにカウリスマキの「街のあかり」を見た。
 カウリスマキの「浮き雲」、「過去のない男」に続く、「敗者三部作」の最終章ということだ。
 主人公は一人ぼっちの生活で自分を見つめるソーセージ屋の女性に気がつかず、反対に「イヌのように従順でロマンチックな馬鹿」と性格を見透かされて、マフィアに犯罪の片棒を担がされる。それを黙して受け入れて服役し、出所後も最後にはマフィアにぼこぼこにされるが、助けにやってきたソーセージ屋の女性にかすかな希望を語って終わる。
 ヘルシンキの最新のショッピングモールが舞台になっていたりして、カウリスマキにしてはモダンな舞台設定だが、ノキアの故郷にもかかわらず、登場人物の誰一人として携帯を小道具として使っていない。主人公の部屋の壁の色と彼のシャツの色など、色彩や明かりには細部まで神経が行き届いた映像だった。そして登場人物はあいかわらずみんな無表情。
 カウリスマキは弱き者、小さき者の側から世界を見ようとしている。「敗者三部作」の主人公たちはみな不器用なほどに誠実、実直。そして痛々しいほどに慈愛に満ちている。

7/22
 「爆音 デジタル・ゴダール」鑑賞のため、以前普通の状態(爆音ではない状態)で見たときのプログラムを探したのだが、「愛の世紀」のプログラムがどうしても発掘できず。いったいどこに行ってしまったのだろう。どんな形状だったのかも思い出せない。
 午後に相模原市民ギャラリーの「大谷有花×川田祐子 2人展」へ。自宅から八王子経由でほぼ1時間で到着。案外近いぞ相模原。
 入り口すぐのところの4作品は、制作年代からして、すでに拝見したことのある作品だと思うのだが、それぞれがとても新鮮に感じられ、すっかり入り込んでしまった。2000〜2002年の作品も展示されていて、スクラッチのストロークの変遷が見て取れた。以前はかなり大きなストロークだが、今年に入ってからの作品はかなり小さいストロークになっている。そのためか、作品自体が布の表面のような毛羽立った印象を見せていた。これがまた新たな展開を見せてくれるのだろうか。
 2006年の作品「硯海」も過去作との比較から、明と暗の間がとても深くなっていることが理解できた。一通りの鑑賞ではなんだか全部を見極めたようには思えず、大谷有花さんの作品を鑑賞してから、戻って満足するまでじっくりと拝見した。
 川田さんの作品は、作品からの距離や見る角度によってさまざまな表情を見せる。一回だけではその表情のうちの、ほんの僅かしか確認できないような気がして、なにか引っかかりを残してしまう。今回ももう一度来てみたいと思った。グループ展が近いけれど、相模原までは一時間だから銀座の画廊へ行くのと同じ時間だし。
 川田さんにもお会いできて、お話ができた。

7/21
 小品の作成をしていたら、いつの間にか夕方になってしまっていた。
 夕食後、吉祥寺バウスシアターの「爆音 デジタル・ゴダール」へ。「通常の映画用音響ではなく、ライヴ音響システムを使用した迫力のライヴ・サウンド上映 」ということで、ゴダールの最近の3作を上映する。初回は「フォーエバー・モーツアルト」。映画館には20分前に着いたのだが、すでに50人くらいの列ができていた。ゴダール通常の映画館での客層よりも若い。20代と思われる若者の方が多い。昔ながらのゴダールファンは午後9時開始は遅すぎるのか?
 バウスシアターはステージの奥にスクリーンがあるので、最前列でも十分鑑賞できる。ちょうど最前列の真ん中が空いていたので、そこに座った。
 爆音というよりは通常よりも大きな音で映画鑑賞をした。という感じだったが、ゴダールのよく使う手法で複数の状況のせりふが重なるというシーンの三次元的な効果とか、音楽の見事なまでのぶった切りなど、改めて斬新というか乱暴というかゴダール的な表現を音響から再体験したという感じだった。
 極めて哲学的なせりふを追って、理解する寸前に逃がしてしまうという、わたしのゴダール映画鑑賞法は相変わらずだった。ゴダール映画は映像とせりふの響きと字幕スーパー(フランス語わかんないから)と音響に振り回されたり突き放されたり。
「爆音 デジタル・ゴダール」の以後のラインナップは「愛の世紀」と「アワー・ミュージック」。わたしとしてはこれらの方がわかりやすいし、爆音に期待している。

7/20
 帰りにギャラリー現のロバート・ウォーカー展へ。8月に参加するグループ展に彼も参加するのだ。2004年にもギャラリー現で個展を開催されていて、ふらっと入った。素材(アクリル?ゴム?)を重ねたりその上に描いたりという技法は、ご本人がいらっしゃれば、説明いただけただろうが、ご不在であったので。たぶんグループ展のときにご説明いただけるだろう。

7/16
 10時過ぎ、制作しているところで少しめまいのような感覚があった。地震かと思いテレビをつけるとしばらくして地震情報が流れた。そのときはこんなに大変なことになっているとは思わなかった。
 午後に「深川いっぷく」に行って、母の小銭入れを納品。その帰りに深川江戸資料館を見学。
 帰りに表参道に出て、「日本茶ソムリエがいる和カフェ 茶茶の間」というところに行って、日本茶をいただく。渋くてとてもおいしかった。三番茶が一番おいしいお茶とか、香りを楽しむためにむしろ熱湯の方がいい茶葉とかいろいろとあって面白かった。
 夜、帰宅して地震の被害を知って驚いた。

7/15
 ああ、今日は一日どこにも外出せずに、ずっと制作してました。台風は東京を直撃しなかったものの、ずっと雨降りだったし。

7/14
 台風が近づきつつある。やや雨脚が強まっているが、午後になってからかねこ・あーとギャラリーの浜田浄展へ。
 版画絵具や油彩で重ねた色彩を削り、断面から層が現れるという作品で表現されてきた浜田さんが、今回は逆に色を置き重ねていくという技法で表現されている。綿棒などで微妙に異なる白色を置くときに粘着力で僅かな隆起となり、それが複数の白色にかすかな影を作るとのこと。断層から立ち現れる色彩の豊穣さが今までとは反対に表面に重なっている。その技法の変化は個人的な事情によるとのことであった。また過去作で彫ったり削ったりしたものは他の表現に使えるのではないかとすべて残しているとおっしゃっていた。表現していくということはリタイアのない、生きている限り、呼吸をするように続けていくものなのだなあと思った。
 ガレリア・グラフィカの日野之彦展。一年のインド滞在中に当地で日常的に見られた死の光景の影響で、人の描き方も変わった新聞で語っていた。放心したような人物像は、首を切られ、羽をむしりとられたニワトリと同じような肉の塊のように見え、また皮を剥がれたヤギの首は日野の眼をむき出しにした人物像と同じような表情をしていた。確かに今までは不安や狂気が漂っていた人物画に、死の影が差し込んでいるようにも思えた。
 こんな天気ならそんなに人はいないだろうと思い、森美術館のル・コルビュジエ展へ。が、甘かった。連休の初日であり、台風が東京にやってくるのにまだ一日の猶予があったのだった。当然ながら来場者の皆さんからは建築に関係したことなどが聞かれ、業界関係者の皆さんのご来場が多いことが伺えた。ル・コルビュジエの建築、都市設計ばかりではなく、絵画や立体作品も取り混ぜ、さらに二部屋分余計だと思わせるほど広い森美術館ならではの、パリのアトリエの一室、マルセイユのユニテの二階建て一戸分、南仏の小さな休暇小屋の原寸大の再現があった。建築、都市設計はそれが1920年代から30年代に発表されたものであることを考えると、50年から60年は早すぎたのではないかと思わせるほどのモダニズムに満ち溢れていた。絵画と立体は、「ああ、20〜30年代の美術ですよね。」という印象はあった。原寸大の再現はなかなか面白く、アトリエには、ル・コルビュジエの持ち物が展示されていて、「愛犬の毛皮を利用したブックカバー」なんてのもあった。それを愛情と呼んでいいものか判断しかね、それこそ「どんだけ〜!」と言いたくなるほどインパクトの強いものだった。ル・コルビュジエ展の感想を聞かれて、「愛犬の毛皮を利用したブックカバー」を真っ先に言い出しそうなくらいに。それから雨に濡れたこともあるだろうが、会場が恐ろしいくらいに冷房が効いていて、最後の休暇小屋鑑賞のために列になって待っている間、冷え切ってやばそうになりかけた。スタッフの皆さんもいくら上着を着ているからといって、体に悪いんじゃございません?会場を出たときにはほっとするくらいだった。
 せっかくなので、展望台で外の景色を見ながら温かい飲み物を飲んだ。雲がかかって東京タワーの上の方が見えなかったり、雲が足元を風に吹かれて横切って行ったりして、晴れた日中の景観よりはかなり面白かった。暗くなって明かりが見え始めてからも面白いだろうと思ったが、展望台も冷房が効いていて、そこでもすっかり冷えてしまったので、暗くなるまでは待てずに帰りました。

7/8
 朝9時から制作を始めたのだが、思ったより進まない。いつも帰宅後2時間くらいでひとつ制作している一辺3cmのキューブと比較すると一辺5cmのキューブは表面積で2.7倍ある。ってことは・・・まあこんなところか。
 夕方になり、散歩がてら吉祥寺タワーレコードに行ったら、今度三越跡にできたヨドバシカメラの上に移転していた。今までは比較的人ごみを避けて行くことができたのに、これからはそう手軽に行けそうにもなくなった。しかも今はヨドバシのオープンセールで大賑わいだし。で、何を買いたかったかというと、6月にリリースされたpan sonicの新譜なのである。ROCK & POPのところで全然見当たらないので、店員さんに尋ねたら、PCで在庫状況を調べてくれて、「6月に発売されたものなら一枚あります」と、なんと!ヒーリングのコーナーに連れられていった。そこには新宿タワレコではアバンギャルド・コーナーで「エレクトロニカ」として売られているものもあった。ヒーリングのコーナーでも店員さんも見つけられない。「どちらの方ですか?」と聞かれたので、地域?だったらフィンランドだけど、と思いながら、「ジャンルですか?」と確認し、「テクノ系のエクスペリメンタル・ミュージックです。」と答えた(あってますよね)。「ちょっとわたしにはわからないので、他の者に確認してきます。」と言われて、それなりに待たされた。でも結局在庫の一枚が見つからなかったようだった。
 まあ、明日新宿のタワレコによってみますよ。やっぱり販売担当者の趣味というか知識というか、そういう個人レベルに寄るところが大なんですね。

7/7
 午後、Kさんと一緒に原美術館のヘンリー・ダーガー展へ。そろそろ会期が終了に近いせいか、かなりの人手である。
 19歳ごろから11年以上かけて創作した物語に、その後81歳までの生涯をかけて描いた膨大な絵画。色調の淡さと人物たちののどかな印象とは裏腹に、息が詰まりそうになるほどの世界が描かれていた。15,145ページにも及ぶ物語とその舞台の地図、登場人物たちの名前と容姿の素描、少女たちを守る怪獣たちの名前と描写。彼の孤独な生涯を費やした止むに止まれぬ表現、物語の構築への欲求があまりに重く、息苦しいほどだった。2003年にワタリウムで開催された際には、拷問や殺戮といった残酷な描写もあったが、今回は楽園のイメージを中心に構成されたとのこと。その明るさが一層重さを引き立たせているようにも思えた。ワタリウムの時には、わたし自身どちらかというとアウトサイダー・アートのひとつとして、止むに止まれぬ表現への欲求といったところを見ていたように思う。今回は彼の中に渦巻いていた長大な物語の執筆や、それを図解するために用いようとして新聞、雑誌を切抜いて収集していったエネルギーの源泉の重みを改めて認識した。アパートの室内の写真が展示されていたり、アパートの大家でダーガーを世に知らしめようと尽力したラーナー夫妻の文章があったからだろうか、それともワタリウムのときはイントロダクションであり、今回はそれで知識を得た上で、さらに考察できるようになったから、一層の認識へとたどり着けるようになったからだろうか。
 わたしも少年時代に挿絵付きの小説らしきものを書いたり(友人の母親がそれを見て、字が汚くて何も読めないけど絵はうまいと評したらしい)、チラシ広告の裏側に陰惨な合戦図を描いたりして遊んでいた。そういった内に抱える世界の表出については、相通じるところもある。
 アパートの一室からつなげられていた広大な王国。それが果たして想像力によってもたらさせた沃野だったのか、少年時代の不当な扱いへの裏返しの理想郷だったのか、あるいは想像の世界で戦い続けることによってかろうじて現実世界に踏みとどまっていられたのか。単純なストーリーを遥かに凌駕するダーガーの心象風景を考えながら、その重みを抱えながら絵画を鑑賞していった。絵のマチエールや図像的な意味づけではなく、絵の表出させたダーガーの心の内を考えての鑑賞だった。だから絵の一部を指差して友達と談笑したり、「思ったより上手だよね。」などと語り合う人たちの感覚が信じられなかった。
 といってものすごく重い気持ちで帰ったわけではなく、カフェでチーズケーキをベースにしたイメージケーキ(ヴィヴィアン・ガールズ)を注文し、出てきたケーキをデジカメで撮ったり(そのために持って行ったのだから)、ダーガーの作品について感想をKさんと話し合ったり、わたしの作品のコンセプトの説明などして、しばらく Kさんと談笑した。

 品川から銀座に出て、移転後のギャラリィKで横谷研二展。宇留野さんとお話をしていたら、外出していた横谷さんが帰ってこられたので、素材や制作方法についてお話を伺った。横谷さんは実はユリ農家で、梱包用の段ボール箱を材料としていることを初めて知った。横谷さんは朴訥な雰囲気で、質問にも戸惑い気味にとても生真面目にお答えいただいた。
 それからギャラリー小柳の須田悦弘展へ。今回は「宝探しゲーム」的な印象はあまりなく、はっきりとそこにあることが見てとれる作品ばかりだった。作品が適切な位置に設置されていることを今回改めて認識し、作品を鑑賞するまでの経路あるいはプロセスに対する意図を感じたことで、「宝探しゲーム」的な要素について、再考することとなった。木彫の精巧さを鑑賞してもらうということではなく、その作品が置かれることによってその空間を変えるという意図は、鑑賞者側からすると、まずはその作品が「ない」ことを十分に認識した状態にするために、簡単に作品が見つかられないようにするのではないか。「ない」状態に鑑賞者が十分に身をおいてから、作品の存在が「ある」ことをふと気づかせることで、劇的にその空間に対する認識が変化する。そんな意図があるのではないか。作品を通して見ることによって、日常の風景が少し変わるというコンセプトであるわたしの作品としても参考にしたいところだが、やはり作品のタイプが違うから、同じようなことは難しくてできない。
 まあそんなことを考えながら、スタッフのいるカウンターに置いてある紙を手にしてみる。厚めのトレペに白インクで印字されたDMだった。しかも「須田悦弘」は裏から透かして見るように裏返しに印刷されている。やられた!

7/6
 退社後にOギャラリーを経由して田中画廊へ。
 なんと画廊から出てくるC&B夫妻に出会う。なんだか最近人に出会う波が来ている気がする。白濱雅也さんの作品は「ソラマメになったわたし」と「トマトになったわたし」。「過剰系の語り部たち」のときのように背景となるストーリーがあるのだろうか。平面作品も久しぶりに見たくなった。

7/1
 朝から制作をして、夕方になったところで外出。ポレポレ東中野で「ひめゆり」鑑賞。BOX東中野からポレポレ東中野になってから初めて。
 アイドルが出演するドラマではなく、実際の生存者にインタビューしたドキュメンタリーだから見に行ったのだ。内容からしてなみだなみだの鑑賞となると思ったが、インタビューに出てくる当時15〜19歳の少女たちが置かれた凄惨な状況があまりに重く、涙どころではなかった。戦場動員された少女たちは赤十字の元で働いた従軍看護婦ではなく、文字通り戦場に借り出され、看護や水汲み、食料運搬、伝令、死体処理などを行っていた。またアメリカ軍に包囲されてからの突然の「解散命令」により、戦場に放り出され、それまでの3ヶ月で死者が19名だったのに対して、その後の数日で100名以上が犠牲となっている。美談などなく、ひとりひとりの過酷で凄惨な記憶の語りなのだ。
 その昔、ザ・ブームの「島唄」が沖縄で大ヒットしているという時期に沖縄に行き、「ひめゆり平和祈念資料館」を訪れたことがある。そこでひめゆりの生存者の方から説明をいただいたのだが、あまりの重さに持ちこたえられなくなったことがあった。きっとそのとき説明いただいた方は、このドキュメンタリーに登場しているだろう。13年にわたり取材と撮影をした監督スタッフ、忘れたいことを語ってくれた生存者の方々には感謝したい。
 最後に「ひめゆり平和祈念資料館」の一人一人の写真の前で「いつかの日か、あの世に行くときには、たくさんお土産、平和な時代のお話のお土産を、平和な時代を味わえなかったお友達に、こんなこともあった、あんなこともあったといっぱいお土産を持って行きたい。それまでは元気に若い世代に語り継いでいきたい」と語った女性がいた。
 たぶんゼミの課題か何かだろう。グループで見に来ていた若者たちがいた。開場前には少しはしゃぎ気味だったのだが、映画が終わったら、まるで椅子の中で沈み込んでいるようだった。彼らはそれからきっと議論するだろう。戦争とは何かとか軍隊とは何かとかを。
 わたしも駅までの僅かな距離を歩くのが重かった。当時沖縄はアメリカ軍本土上陸を遅らせるための捨石だった。現在もまだ捨石の状態に変わりはないのではないか。


タイトルは「マトリックス」の中で出て来るセリフらしいですね。実はわたしはこの映画をテレビでチ ラチラとしか見ていないので、どこで出てくるのかよくわかりません。わたしはスラヴォイ・ジジェクによる テロとその後の戦争について論じた文章のタイトルとして知ったのでした(現代思想臨時増刊「これは戦争か」より)。
なお、画像は島田雅彦の「ミス・サハラを探して」(KKベストセラーズ) の中のチュニジアの砂漠の写真(撮影;中島誠)を無断借用しました。