イグチトシオがふと考えたこと、感じたことを書き留めておきます。念のために再度申し上げますが、見せたくない部分は書かず、こういう所を見てほしい、こう見られたいというところを書いています。
当然真実のみが書かれているわけではありません。

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2007年月10月1日〜12月31日



12/31
 きっと大晦日の日没後から日付が変わるまでの間は、それほど人出がないだろうという勝手な予想の元、六本木の森美術館へ行った。確かに勝手な予想だった。風が冷たいにもかかわらず、結構な人手だった。まあそんなもんなんだろう。
 森美術館に入ったところでびっくり、なんと写真を撮ろうとしている人がいるのだ。そればかりか連れに話しながら写真パネルに指先を押し当てている人までいるのだ。美術展で暗黙の了解事項となっていることがある。が、来場者を限定するのではなく、展望台とセットの価格と言うことにして裾野を広げたために、展望台がメインで美術館はついでに来たという、了解事項を前提として成立させていない来場者層を取り組んだためだろう。半分ぞんざいに指先を押し当てている現場を目の当たりにしたときには、正直、愕然とした。
 どこかの評にあったが、前回の「六本木クロッシング」の詰め込みすぎで疲れた印象からすると、作品の種類や作家の世代はさまざまであったにもかかわらず、結構今回はすっきりしていたように思う。人気投票のようなことをしていたので、ここでは印象に残ったアーチストを上げておこう。一番は群を抜いて榎忠だろう。とにかく圧倒的な強度があった。それ以外では横浜美術館アートギャラリーで遭遇した、細密な銅版画の冨谷悦子や、シャープペンの芯やシャツ、タオルのほつれた糸で電信柱や鉄塔のミニチュアを作り、ジェオグラフィックな作品を作る岩崎貴宏、新聞を鉛筆画として再現する吉村芳生、ねじれた犬の吉野辰海といったあたりだろうか。
 美術館を出て駅に向かおうとしたが、宮島達男のカウンター・ヴォイドを見ようと引き返した。たどり着いてすぐくらいに、右端の数字が三つ7が並んだ。それぞれ数字が変化する速度が異なるので、一概には言えないだろうが、三つの数字が同じになるのは千分の一の確率である。めったにないことが起きてしまったのだと思い、ちょっとした高揚を持ってろうとしたら、左側の壁の数字が一瞬1が三つ並んだ。
 

ルイーズ・ブルジョアの母蜘蛛と東京タワー

展望台にはウルトラマンが

宮島達男のカウンター・ヴォイド
 たぶん3時間ほどを六本木で過ごし、帰宅してからいつもと変わらぬ夕食後に制作を再開した。例によって気がつかないうちに日付が変わっていた。

12/30
 マッチ箱を塩化ビニールシートで作っている。貼り合わせに使う瞬間接着剤の量の加減で汚くなってしまったりして、予想以上に失敗してしまい、材料が足りなくなってしまった。
 そんなわけで新宿に出て、結構な人ごみにげんなりしながらハンズで材料を買った。
 それ以外はずっと制作。

12/29
 さて、ダルマも納品したことだし、いよいよマッチ箱の制作に取りかかろう。と、いうわけで昨夜からマッチ箱の模型を紙で作って、サイズのプロポーションなどを確認している。だいたい朝、これだと思われるものに突き当たる。
 シャンテ・シネの「その名にちなんで」に行く。ジュンパ・ラヒリの原作は、三年前に読んでなかなかいい作品だと思った。しばらくたったらアメリカで映画化されるという情報が聞こえてきたので、少々不安ではあった。が、つい最近、監督が「サラーム・ボンベイ!」や「ミシシッピー・マサラ」のミーラー・ナーイルであることを知り、不安は期待に変わった。
 原作のある映画だから当然ではあるが、原作にあった印象的なエピソードが映像化されて、なんだかジーンと来てしまった。ニューヨークの凍てつく寒さとコルカタの高温多湿な空気が対比的に描かれたり、ふたつの地にあるほとんど同じ構造に見える橋が出てきたり、出自や所属する文化やコミュニティー、世代の違いなどが表現されている。親の世代、子供の世代、それぞれの視点、両方に理解と納得がいく。もちろん映画の世界ではどちらかの当事者でもないために、冷静にそうやってわかることができるのだろう。すれ違ったり絆を確かめ合ったりする家族のありようを見ることができた。

12/24
 ダルマを深川いっぷくに納品。お隣りの「いちかく」さんがお餅を焼いたからと持ってこられたとのことで、おすそ分け。さらにきなこ餅も。なかなかおいしかった。
 ダルマについては、不満足な作品の出品をお詫びする。今年は申し訳ないけれど、来年はもっとがんばるということで。今回はいい勉強をさせてもらった。
 それからワタリウムに行き、南方熊楠展の鑑賞。それからオーパに立ち寄ってから帰宅。

12/23
 「小笠原伯爵邸」という昭和初期に建てられた邸宅を改装したレストランにて、友人の結婚式が開催された。「インターナショナルな雨男」である新郎のおかげで朝は雨降りだったが、たぶん晴女の新婦のおかげでお昼には晴れて明るい日差しの下での挙式となった。
 親戚筋よりも友人を中心として150人の来客があったとのこと。久しぶりに会う人との歓談などで、あっという間に3時間が過ぎてしまった。
 実は婚姻届に必要なふたりの証人のうちの一人として、署名押印をさせていただいたのだ。末永くお幸せに。  

小笠原伯爵邸入り口

小笠原伯爵邸中庭より

新郎新婦のご挨拶
 

小笠原伯爵邸パティオより屋上へ上がる階段

ラウンジではラウンジミュージックが

ケーキカットではベストショットを狙うカメラが群がる


12/22
 来年早々から始まるというグループ展とは、「深川いっぷく」で開催される、ダルマを素材にしたグループ展だ。100人のエントリーの98人目にようやくエントリーして、今日は一日制作に没頭した。寒い雨が一日降っていたが、ほとんど外出せず、ただひたすら制作。そしてどうやら失敗作を生んでしまったような気配。

12/21
 西里さんのお店で新作が出たという連絡をはがきでいただいたので、さっそく伺ってみた。いろいろと試着させていただき、袖を通すことなどありえないだろうと思われる、トラ柄のシャツなど試着させていただいたりして、結局黒い綿に毛のアクセントがついているシャツでをいただくこととした。

12/16
 来年早々に始まる小規模なグループ展のための制作を開始した。どうやら参加するグループ展は二つになりそうだ。ひとつは年末締め切り。もうひとつは年明けの締め切り。今は年末締め切りのグループ展に向けて制作中ということだ。両方とも今までのインスタレーション作品とは異なる展開を持っている。さらにひとつはまったく手法が異なる。まあ、どうなることやら。

12/15
 佐倉市立美術館の「さびしさに向き合って」へ行った。
 石田徹也、正木隆、菊池伶司、田畑あきら子といった若くして世を去った作家たちと、現在も心の病に立ち向かっている成瀬麻紀子の作品からなる展覧会。
 近隣の中学生による「展覧会ガイド」なるものがあった。正木隆の右下隅にベッドと照明スタンドが描かれている作品には、「これを見たときは、さみしく見えました。右下にポツンとあり、暗いからです。すぎに誰かが入ってきて電気をつけてほしいと思いました。」という感想が述べられていた。正木はこの暗闇の余白にあるものを描こうとしていた。阪本トクロウさんの余白との類似点やら相違点などを感じながら鑑賞した。一通り見てから再度鑑賞し始めたとき、無意識に割合距離を置いて鑑賞しているのに気がついた。正木がダイブした深淵の深さと同じくらいの距離を必要としていたのだろうか。
 それぞれの作家の持っていた(持っている)痛みや葛藤に向き合った時間を過ごした。
 銀座で個展を二つ。かねこ・アートギャラリー井崎聖子さん。横に何度も筆を走らせてできた「溜まり」である線が、前回に比べて淡くなっているように思える。そのひそやかなグラデーションが豊穣な差異を見せているようにも思えた。

12/10
 アレルゲンの検査結果を聞いた。
 ハウスダスト、ヤケヒョウダニ、スギ、ヒノキ、オオアワガエリ、カモガヤであった。ヨモギ、ブタクサはアレルゲンではないらしい。ネコ皮屑もアレルゲンではないという結果だ。あれだけネコと遊ぶとくしゃみ鼻水が出たのに。じゃあ飼っていいってことか?いやその前に今の住まいはペット厳禁のマンションなのだ。 

12/9
 朝から雨がポツリポツリ。そんな中、金沢と言えば、と「兼六園」へ向かった。兼六園を散策していると雨が強くなった。寒いし雨は強くなるしで、もう大体のところを見たからいいやと思い、兼六園を出て観光物産館へ入った。
 

金沢駅東口はこんなことになっていた

金沢駅西口はこんなことになっていた
 

兼六園といえば、この石灯籠

兼六園といえば、この雪吊り

 温かい飲み物を飲んでしばらく休んで外に出ると、なんと雨が止んで空が見えているではないか。それではということでひがし茶屋街へ行った。金沢にある茶屋街の中では一番格式があるということであり、国の重要伝統的建築保存地区に選ばれたということで、ひとつの通りは電信柱も立っていない。その中で室内を見学できる「志摩」に入り、茶屋の粋な造りを楽しんだ。外に出て通りを歩き始めると、さらに雨脚が強くなり、たまらずに茶屋の造りをそのまま生かした喫茶店に入る。「加賀棒茶」で体を温めてから、少し雨が小降りになったので外に出た。茶屋街の風景を満喫してから「百万石通り」を歩いて武蔵ヶ辻に出て、近江町市場へ行った。途中、町屋造りの古い店や昭和前半のビルなどがまったく普通に街並みに溶け込んでいて驚いた。近江町市場は日曜日で閉まっている店もあって薄暗かった。「近江町食堂」に入り、ぶり大根を定食にしてもらって食べた。いやあーおいしかった。
 

ひがし茶屋街

ひがし茶屋街

ひがし茶屋街

ひがし茶屋街
 

百万石通りの建物

百万石通りの三階建て木造建築

百万石通りの「町民文化館

近江町市場内

   帰りは行きと同様に直江津からほくほく線に入った。すでに日が沈んでいたので、真っ暗でどこを通っているのかわからなかった。越後湯沢に出ると雪が降っていた。
 そうして帰ってきました。  

  12/8
 昨夜、持ってきた松浦理英子の「犬身」を読み終えた。さすがにマイノリティーを描く作家の久しぶりの長編小説だけあって、読みごたえがあり、性愛、関係性、家族といったところを考えさせられた。その夜(つまり昨夜)は「犬身」にちなんだとしか思えないような夢を見た。それは母親と思しき女性(わたしの実際の母ではない)と兄と思しき男性(わたしの実際の兄ではない)との間で繰りひろげられる愛憎と生と死の物語だった。
 そんな夢にも関わらず(いや関わってか?)今日も曇り空である。バスで香林坊近辺まで行き、旧制四高のレンガ造りの石川近代文学館を眺め、尾山神社へ向かった。ギヤマンを窓にステンドグラスのように使って和洋折衷の不思議な印象を持つ神門を見る。この神社には何年か前に大河ドラマで前田利家とその妻まつのドラマ放映が決まった時に建てられた利家とまつの像があった。きっと放映中に観光客が来た際、立ち寄るようにと準備したのだろう。
 それから尾崎神社を経由し、アドレナリン、タカジアスターゼの創製で有名な高峰譲吉の旧宅にたどり着き、そこから金沢城へ行った。金沢城は明治に陸軍が使用していたが、戦後は金沢大学があり、移転後、公園として整備しているところらしい。金沢城にたどり着くまでは雨が降ったり止んだりで、湿気のある寒さは結構体に応える。骨の中にまで冷気が染み込んでくるような寒さは初めての体験で、すっかり冷えきってしまったのだ。自販機で暖かい飲み物を買って飲み、ようやく生き返った感じになった。
    

石川近代文学館

尾山神社神門

高峰譲吉旧宅
    

金沢城の石垣とお堀

金沢城石川門

金沢城の石垣

 それから金沢21世紀美術館へ向かった。妹島和世と西沢立衛が設計した、白い壁面をガラスで円形に包んだような、威圧感のまったく感じられない背の低い建物だった。ちょうど粟津潔展を開催中で、グラフィックアートや映像やシルクスクリーンポスターなど多岐に渡り見ごたえのある展覧会だった。
 デザインギャラリーではのLiminal Airが開催中であった。去年、竹中工務店で展示した作品のコンパクト版であったが、作品のもつインパクトは変わらなかった。
 コレクション展では、アーニッシュ・カプーア、金沢21世紀美術館というと必ず登場するレアンドロ・エルリッヒのスイミング・プール、そしてもちろんジェームス・タレルのブルー・プラネット・スカイがよかった。タレルの部屋は天井が四角く切り取られ、曇り空が見えた。やはりこの作品は光が大きく変化する夕暮れに見るべきである。そんなわけで一旦館外に出て金沢市内の散策をした。おしゃれな堅町商店街などを歩き、再び4時ごろ美術館に戻り、4時ごろからタレルの部屋に行き、日没に向けて次第に光が変化していくのを待った。
    

金沢21世紀美術館

金沢21世紀美術館

レアンドロ・エルリッヒ「スイミング・プール」地上部から覗き込む
    

レアンドロ・エルリッヒ「スイミング・プール」地下から見上げる

ヤン・ファーブル「雲を測る男

フローリアン・クラール「アリーナのためのクランクフェルト・ナンバー3(手前)とフェルナンド・ロメロ「ラッピング」

 部屋の中に照明がつき、四角く切り取られた空は青みがどんどん増し、室内はオレンジ色が濃くなっていった。室内はオレンジ色がピークを過ぎると今度は白くなり、空はすっかり濃紺が深くなっていった。たぶん日没から30分後くらいとなり、部屋を出た。タレルの作品を光と色彩の変化の中で十分に堪能した。そしてすっかり冷えきってしまった(だって戸外ですから)。香林坊のカフェに寄って暖かい飲み物を飲み、精気を取り戻してから帰った。タレルの作品をこうして堪能して、わたしの金沢への旅行の目的はほぼ終了した。
      
 
 
 

12/7
 上越新幹線に乗り、まずは越後湯沢へ向かった。トンネルを抜けるとあたり一面すっかりの雪景色である。豪雪地帯のこの地域からするとまだまだほんの少し積もっただけだろうが、あたり一面が真っ白に見える世界には驚いてしまった。そこから「はくたか」に乗り換えてほくほく線に入る。六日市などを通過して、十日町市の「越後妻有交流館・キナーレ」が見え、懐かしい風景が雪に覆われて見える。いくつかトンネルを過ぎて、その合間に。田中信太郎の「○△□の塔と赤とんぼ」が見える。松代農舞台が見えたところでは、その先にカバコフの作品が見えるはずなのだが見つけることができなかった。そのかわり草間彌生の「花咲ける妻有」が確認できた。白い雪の中で草間の鮮やかな色は映えて見えるのだろうか。
 またいくつかトンネルをいくつか過ぎると、また異なった風景が見えてきた。すっかり雪がなくなり、雨で地面が湿っているのだった。糸魚川に出るとなかなかいい感じの工場が見えた。糸魚川から親不知のあたりは海岸線を線路が走り、日本海を堪能できた。
    

越後湯沢からほくほく線に入ったあたりの景色

ほくほく線の松代を過ぎたあたりの風景

糸魚川〜親不知の日本海

 魚津、富山、富岡と停車し、終点金沢に到着。金沢は曇り空で、午後3時過ぎには見えなかった。さっそくバスで武家屋敷のある長町方面へ行った。雨が降り始めた中、鞍月用水、大野荘用水に沿って歩き、足軽資料館などを巡る。長屋で足軽が生活をしていた他の藩に比べて加賀藩は待遇がよかったらしく、「足軽屋敷」で一戸建てなのである。今で言えば3LDKである。結構よさそうな住まいである。そのうち、雨が激しくなり気温が10℃ということもあり、すっかり冷えきってしまい、香林坊のカフェでコーヒーを飲んで暖を取り、ようやく生き返った。それからホテルにチェックイン。どうやらこちらにいる間中雨にたたられる予感。  

金沢市足軽資料館



12/2
 北鎌倉のポラリス☆ジ・アートステージへ。紅葉の季節で天候のいい日曜日の午後。予想以上に多くの行楽客で北鎌倉は賑わっていた。
 ギャラリーも紅葉に囲まれて、落ち着いた美しい場所になっていた。佐藤忠さんの鉄の立体も錆色の円環がギャラリーにマッチしていた。季節と空間を堪能した。

    

 ギャラリーから北鎌倉駅に戻り、円覚寺入り口の紅葉の美しさを堪能し、人の多さに圧倒されてそのまま通り過ぎ、あじさい寺の明月院へ続く道でも人の多さに、そのまま通り過ぎ、鶴岡八幡宮でも人の多さに圧倒された。
 どこの寺院へも寄らずに、そのまま鶴岡八幡宮へ行った。もちろんそこも人でいっぱい。裏から入ったので、本殿を過ぎて石段を降りたところで、その先にある舞殿で結婚式を挙げているのに遭遇。こんな行楽客の目の前で結婚式を挙げるなんて、すごい度胸だと思ったが、きっと結婚式とは衆目を浴びてお披露目をするのが目的なのだろう。表参道のアニヴェルセルで挙式をして、ちょうど出くわした人々から祝福されるのと同じで、鶴岡八幡宮で行楽客にお披露目するわけだ。その後、そのカップルは舞殿前で記念撮影をして(行楽客から向けられたカメラにも笑顔で応え)、鳥居まで歩き(行楽客も一部同行し)、鳥居前で再び記念写真。今度はおよそ関係者とは思えない人々(イヌを抱きかかえた人もいる)も混じってカメラに収まる。それから待たせてあった人力車に乗り、男性(新郎でしたっけ?)が小さめの番傘をさして、参道を走り、参道沿いにある披露宴会場のホテルへ向かった。いやはやこんなことが鶴岡八幡宮で繰り広げられていたなんて。 まあわたしたちがよく海外旅行をして行った先で、結婚式を挙げているカップルに出くわすのと同じことと考えていいのか。行楽客はみんな喜んで写真を撮っていたりしたし、まあ行楽にこんな遭遇も話のタネになっていいのかもしれない。        

行楽客ばかりの円覚寺へ続く踏切

行楽客ばかりの明月院へ続く道

行楽客ばかりの鶴岡八幡宮の石段

鶴岡八幡宮舞殿で挙式したカップルが行楽客にまぎれる
 

  12/1
 10月あたりからずっとくしゃみ鼻水が治らないので、ついに今日、アレルギー科の医者に行った。とりあえずアレルギー検査をして何のアレルギーを持っているか調べることになり、血液を採った。来週になったら結果がわかる。自覚症状があるものは少なくとも4〜5はある。はたしてどのくらいのものに反応しているのか、我ながら結構楽しみでもある。
 午後になって、オーパに寄り、藤波さんにマッチ箱アートのサンプルを見てもらった。サイズ、色などいろいろとアドバイスをもらった。マッチ箱アート展はデザイナーやイラストレーターがたくさん参加する。そういった方々の作品は概してしっかり作り上げてきているので、それらに対して見劣りしない程度のクオリティーはほしい。そんなわけでギャラリーオーナーである藤波さんに感想をお聞きするのである。
 それから深川いっぷくで丸山友紀さんの個展。お互い作品は見ていてもご本人とは初めてお会いする。いつもしっかりと描いているので、とても楽しく拝見できる。いつものギャラリー空間とは異なるために、少し異なった印象を持って見える。カエル、コウモリ、バク、クジャクといった動物から、草花まで楽しく拝見できた。
 それから銀座に出て、柴田有子さんの個展へ。相変わらずのほんわかした感じの絵画が、どことなくすっきり見える。楽しい少女の夢の中がだんだんクリアになってきたような感じもする。それからいくつかギャラリーを回って、築地のワダ・ファイン・アーツの大橋博さんの個展。東京都美術館のときの少女の立体とともに、アヒルや異様に首の長い白鳥の木彫作品、髪が情念の流れを表しているような女性の頭部の彫刻もある。しっかりした技術に裏付けられて、非常に興味ある作品だった。
 帰りに東急ハンズでマッチ箱アート作品の材料を購入した。

11/29
 お昼時で混んでいて、何人かと相席になっている食堂のテーブルで、なにかのキャッチコピーを考えていた。時局がらみで政治についても少し言葉を入れてみようと思った。そこで、小沢一郎がよく言う「〜っちゅうことで」というフレーズを入れてみようと思い、ちょうど秘書と一緒に隣の椅子に座っていた小沢一郎に「こんなんでいいでしょうかねえ。」と尋ねてみた。そういたら小沢一郎は「うん。いいんじゃないの?」と答えた。
 もちろん夢の話である。

11/28
 帰りに映画に寄った。日曜日に延期した青山真治の「ユリイカ」である。「過去の精神的痛手から逃れられない人々の心の再生のストーリー」とは言い切れないほど、心のうちの混沌としたところを垣間見せる3時間半強の映画だった。当時17歳くらいだった宮崎将はランボーの少年時代のような風貌だった。

11/25
 お昼過ぎまでマッチ箱アートのサンプル制作。一応出来上がったので、後日ちょっとご意見でも伺おうかと思う。
 青山真治特集を早稲田松竹でやっていて、いまだ青山真治を見たことがないわたしとしては、いいチャンスだと思っていたのだが、Helplessとユリイカの二本立てで、ユリイカは3時間半の大作なので、二本続け見ようと思っていたものの、朝起きた時点でめんどくさくなってしまった。そんなわけで今日はHelplessだけ見ることとした。
 浅野忠信初主演映画らしいが、彼独特の「普通の演技」で、夏の日の虚無感から一瞬にして暴力的になり、また元に戻っていく様(すっかり元には戻れない様)を淡々と演じていた。言うなれば、親殺し(親を超えるということ)をするにも、すでに親は死んでいて(父親不在の現代性?)、宙ぶらりんになった衝動は自らを止めるか(自死)、あるいは得体の知れないそれを常に脇に抱えて、緩やかに破滅していくかしかないのかもしれない。というようなことを感じながら見た。

11/24
 夕べ、映画から帰って、構想を練った形を試してみようと、朝から少し作りかけてひと段落着いたところでギャラリー巡りに行った。
 マキイマサルファインアーツの一階で開催中の高久千奈さんは、最近、CG作品を発表し続けている。今回は「サイレント・アミューズメントパーク」というタイトル。モノクロの映像で、人が誰もいない遊園地で、観覧車やメリーゴーランドやその他ブランコがぐるぐる回るやつとか飛行機のような乗り物がぐるぐる回るやつとか(遊園地はまったくもって知らないので)が動いているだけなのだが、その空虚さに惹きつけられてずっと見入ってしまった。
 二階は白濱雅也さん企画のグループ展「ROLL PLAY」。打って変わって非常に濃厚な世界。今日はそのグループ展「ROLL PLAY」展ツアーで、浅草橋−深川ー日本橋と歩いた。
 地下鉄に乗ろうとして銀座に出た。またいくつか建築物を見学。日の光が道を挟んだ向かいのビルに反射して、それがシャネルのビルに不思議な模様を描き出していた。レントゲン写真の関節部分をいくつも継ぎ足したようなパターンに見えた。面白いので写メールで撮った。でもこういうのがとても気になるのはやっぱりわたしひとりだけだった。その道を有楽町の方へ歩いていくと不思議な造形のビルが。デビアスのビルらしいが、この曲線はどうやって生み出したのだろう。さらに最近オープンしたという「有楽町イトシア」へ。せっかくだから入ってみようと思ったもので、トイレに。すごい混雑しているエスカレーターで三階まで行って用を足して、それで帰ってきました。一般的に給料は変わらないか下がる方向なのに、こんなにどんどん新しいビルなんぞが建って、でそれらがみんなブランドショップやらばかり。「買え買え」とばかりに急き立てられているみたいだ。なんだかすっかり違和感を感じる場所だった。
     

 その後、六本木の阪本トクロウ展。十分に取られた余白に気配やら余韻やらが限りなく描きこまれている。同時代的な「日本画」的なものなのではないかと思う。
 それから恵比寿に出て、先週に引き続き東京都写真美術館。「昭和 写真の1945〜1989 第4部 オイルショックからバブルへ」という写真美術館の収蔵展だ。なにやら懐かしいような時代もあり、雑賀雄二の軍艦島や畠山直哉の建築物の取り壊し現場やライムワークスやらがあって、結構楽しめた。
 夜は高松在住の友人から夏に送ってもらった讃岐うどんを釜揚げにしてようやく食す。おつゆにミョウガ、ショウガ、海苔、鰹節を入れて、非常に豊かな味になる。おいしかった。
 夜は朝の続きでマッチ箱アートのサンプル制作。

11/23
 来年早々、マッチ箱アート展というグループ展に参加する。そのためにサンプル的なものを作ろうと、朝からせっせと制作をしていた。最終的な作品は年末年始の休み中に作ればいいのだが、そのまえにだいたいのところを見極められればと思ってのことだ。で、第一作は「これはだめですね。」ということが理解できたというところ。
 そうこうするうちに、スティーヴン・オカザキ監督の「マッシュルーム・クラブ」が今日までだと気がつき、最終回に行った。
 この35分のドキュメンタリーは「ヒロシマナガサキ」の原点とも言うべき作品である。「マッシュルーム・クラブ」とは胎内被爆した原爆小頭症患者とその家族の会「きのこ会」のことである。そのきのこ会の父娘や、あの日亡くなった人々のボタンを河原で拾い続ける女性、「はだしのゲン」(オカザキ監督が原爆に関わるようになったきっかけらしい)の作者、中沢啓治、あの日亡くなった母の形見の木製の糸巻きを持って、お隣同士で暮らす姉弟などが登場する。
 ちょうど今、東琢磨の「ヒロシマ独立論」を読んでいるのだが、そこの「ヒロシマ平和映画祭」の段に、この「マッシュルーム・クラブ」が登場する。それによれば当初タイトルは"Shrinking Hiroshima"だったそうだ。「縮みゆくヒロシマ」。平和のシンボルとして希望を託されているヒロシマが、年々その存在を小さくさせているのではないかという、オカザキからの問いかけと見ていいだろう。ドキュメンタリーに登場する人々の個々の物語と、実際の広島市の様子にはあまりのギャップがあり、極論からすると「平和を希求する(という)この国家によるアリバイ作り」としてそのイメージを利用されているだけのようにさえも思える。オカザキ自身の静かなナレーションで、記憶が風化していくこの国の現状に対する違和感が語られる。
 かなり以前、広島に住んでいたとき、河原でボタンを拾っている佐伯敏子氏を見たことがあった。金属は軍への供出で品不足となり、戦争末期には学生服のボタンなどは陶製となったらしい。陶製のボタンは7000℃の高熱でも溶けることなくそこに残った、あるいは川に飛び込んで死んでいった学生たちのボタンが流れに留まったり戻ったりして河原にうち上がったのか。
 カリフォルニア州ベニス生まれで現在バークレーに住んでいるという日系三世のスティーヴン・オカザキ。この間のLA旅行で、その地名がとても近く感じられる。

11/22
 まさに「青天の霹靂」。12/1付けで人事異動となるらしい。今の部署に異動して8ヶ月。いよいよこれから大変という業務をふたつ抱えて、最大の山が12月に到来するというのに、ここで異動ですか?結局わたしは今の部署で何を求められていたのか、わからずじまいだった。それとも「LAでのグループ展も済んだことだし、もういいでしょ?」ってこと?

11/19
 職場の華道部による華道展という催し物に参加するために、勤務時間後に生けこみを行う。6時ごろ開始して間、お弁当を食べ、後片付けまで含めて9時に終了というスケジュールなのだが、打ち合わせが7時まで長引く。
 今回は紙筒のみを使って、できれば國安孝昌の竜神シリーズのように、すり鉢型に紙筒を放射状に設置しようと思っていた。が、紙筒は軽くて円筒である。それを國安孝昌のように設置するには非常に困難である。しかも何の準備もしておらず、ただイメージを持っているだけなのだ。そういった設置が無理であることを納得するのに、7時から始めて30分かかった。それから30分でお弁当を食べて、8時過ぎからふと浮かんだアイデアを試してみる。剣山に筒を縦にどんどん突き刺していく。それで竹の皮を干したものを筒に入れてみる。で、たぶん40分くらいで大体のところが終了。9時までには片づけをしておしまい。
 まったくの失敗作である。しいて言えば、まったくなにもない状態から40分くらいで少しは形のあるものができたということは、まあまあと言っていいのかもしれない。お花の先生も「デッサンも何もない状態から、よくここまで造形ができたものよ。」と言っていた。今回はこんなところで勘弁してください。
     


11/18
 朝から恵比寿へ。映画と写真展鑑賞。
 まずは東松照明の「TOKYO曼荼羅」。東松の東京を中心にした写真で、50年代から90年代末あたりまでのものが展示されていた。50年代の人々の顔つきがごつごつしていて、深川小学校の女の子の表情が、まるで野良猫のようにスキのなさそうな目つきをしていたりして、どことなくつるんとしてスキだらけの今の人々とまるで違って見えたのが印象的だった。なにやら東松のカメラを向けた眼差しとともに、その時代の風俗なども窺えて、すっかり楽しんでしまった。
 映画鑑賞は「カルラのリスト」である。ハーグにある旧ユーゴ国際刑事法廷の国連検察官カルラ・デル・ポンテを追ったドキュメンタリーだ。ユーゴ内戦では他民族に対して多くの残虐行為が行われた。特にこのドキュメンタリーでも登場するスレブレニツァでは、国連保護軍のオランダ軍が派遣されていたにもかかわらず、その目の前で8000人と言われるボスニア系住民が連れ出され、惨殺された。しかしその残虐行為を指揮した人物は、自国民にとっては英雄である。警察力を持たない国際刑事法廷は調査と交渉によってしか戦犯の身柄を確保できない。セルビアやクロアチア、EU諸国、アメリカといった当事国との交渉やメディア、国連安保理などを通しての訴えなど、カルラとそのスタッフの行動を追っている。アメリカからの経済援助やEU加盟交渉などといった関係国間の思惑、当事国内の政治的スタンスなどにより行き詰ったり、他国に潜伏中を身柄確保したりと、なかなかスリリングだった。はたしていまだ潜伏中のカラジッチ、ムラジッチは検挙できるのだろうか。改めて10年前の「民族問題」とその前でいろいろな思惑とともに立ち尽くす国際社会のあり方を、その後ほとんどなにも変わってはいない現在の状況とともに考えざるを得なかった。
 いつも具だくさんの味噌汁(別名、味噌味の野菜スープ)を食べているのだが、今日初めてゴボウを入れてみた。かなりおいしい。冬は根菜が常食。

11/17
 昨日からくしゃみ鼻水がなかなか止まらない。何かの花粉かアレルギー源がそこらじゅうを飛んでいるのか。
 でもまあそれ以外はいたって健康なので、先週取りやめにした神奈川県民ホールギャラリーの塩田千春展に、最終日にようやく行くこととなった。入場券を支払ってさあ行こうとしたところで、なんと大橋博さんにお会いした。ロサンジェルスでお別れして一ヶ月半ぶりに、横浜の展覧会場前でお会いするのもまた不思議なものである。大橋さんと近況報告を簡単にし合いお別れした。ロサンジェルスにいるときにすでにお話はお聞きしてはいたが、近々に個展があるとのこと。楽しみである。
 さて塩田千春展は張り巡らされた黒い糸で構成されているインスタレーションと旧東ドイツの廃屋から集めた窓を組み合わせたインスタレーション、過去のパフォーマンスの写真で大きく三つに構成されていた。一番大きな展示室では天井と焼けたピアノや椅子がおびただしい黒い糸で結ばれていて、照明を真上から当てているために、黒い糸があたかも光の滝のようにも見えた。弾けなくなったピアノと座れなくなった椅子が深い沈黙によって結ばれて、「そこにはない演奏会」(あるいはかつてそこにあった演奏会)のような重さを感じた。また窓枠によって構成された作品は、緩やかなカーブを描いて壁となり、それに従うように歩くにつれ、本来壁(あるいは家屋)に付随していた窓が、「光が差し込んでくる位置」、「外界を確認する場所」という意味だけが抽出されて、新たな境界として設置されたようにも感じた。
 塩田作品を鑑賞したことにより、なにか自分の中に文脈のようなものが生じた。それを整理するためにも少しの散策が必要となった。ホールを出てから赤レンガ倉庫まで遊歩道で歩いた。なにやらイベントが開催されているようだし、なんといっても観光地となって喧騒が常態化したその場所は、今の気分には似合わなく感じた。そこでまた歩き始め、馬車道を経由してみなとみらいまで歩いた。
 今朝はせっかく横浜まで来たのだから、ついでに横浜美術館にも足を運ぼうと思っていた。が、塩田千春展を見て、もう満腹状態となりこのまま帰ってもいいかとさえ思えたほどだった。が、いざ横浜美術館までたどり着いたら、デ・キリコ、クレー、デュシャン、ミロ、ダリ、マグリットなどからボルタンスキーあたりまで見られるのなら、まあ行ってみようかという気になった。
 会場に入ったら、さっき塩田千春展で見た男性が来場者に何か説明している。「うちの学芸員が・・・。」なんて言っている。横浜美術館館長?
 まあ展覧会としてはいろいろ有名な作家をシュルレアリスムとの関係・影響の中で読み解くという趣旨のものでした。はい。
 横浜美術館アートギャラリーでやっていた若手作家三人展がそれぞれ力作ぞろいで面白かった。
 帰宅してから調べてみたら、確かにあの男性は横浜美術館館長の雪山行二氏だった。

11/15
 知人の数学者と一緒に神社の石段を登っていた。その数学者は神社に呼び出されたのだが、それに同行するようわたしは依頼を受けていたのだ。神社の境内には数学者を呼び出した人物がいた。数学好きの相撲取りだった。数学者がやってきたのを見て相撲取りは口元に笑みを浮かべた。すでに数学者に対して優位な位置に立っているかのようだった。そして一言、自身が到達した定理を口に出す。
「数学とはロイスである。」

 郷里から東京に帰ろうとしていた。今回は自転車に乗って帰ろうと思っているのだ。まず腹ごしらえをしようと、近所のコンビニで買ってきたおにぎりを食べた。東京までは自転車で6時間程度かかる。が、それから仕事に出るにはあまりにもきつい。だから2、3日余裕を持って休暇を取っておこう。そうすれば道中休み休み行けるだろう。なんだ無謀なことを計画するけれど、でも結構確実なところを持ってくるよな。われながらイグチくんらしい。

これらはあくまでも夢の中の話。

11/11
 本当は少し遠出をする予定だったのだが、朝起きたときから気力が出ず、だらだら過ごすことになってしまった。昨日よりはまだまだ調子はいいものの、長時間電車に乗ったり、映画館でじっと座っているのもなかなか厳しそうだった。
 で、えーっと、何をしてたのか忘れてしまった。

11/10
 ギャラリー砂翁の栗本佳典展へ。植物の図像から民俗学的なモチーフ、系統進化の一段階のような、象形文字の一歩のようなモチーフへ緩やかに変化してきたものが、今度はプランクトンのような微生物へと姿を変えた。色も黄色や緑もあり、とても興味のある作品だった。
 それから歩いて京橋−銀座とギャラリー巡りをした。雨の中を歩いていて、もう一枚上着を着てくるべきだったと悔やんだ。くしゃみ、鼻水が止まらなくなり、帰宅して後はかなり疲労困憊で、何もする気にならず、早めに就寝した。

11/8
 ユーロスペースの「ミリキタニの猫」を鑑賞。
 ニューヨークで路上生活を送りながら自らを巨匠と名乗り絵画制作をしている80代の男性、ジミー・ミリキタニを巡るドキュメンタリー。サクラメントに生まれ、両親の故郷であるヒロシマに一旦戻った後、再度オークランドで生活を送っている最中、第二次大戦でトゥール・レイクの強制収容所に送られ、そこで自ら市民権を放棄した後、ニュー・ジャージーやニューヨークで暮らしている。
 彼の描く猫の絵は強制収容所での悲しいできことに結びつき、路上生活を厭わないことは自由の国アメリカから受けた仕打ちへの反逆でもある。彼の優しさや明るさはそういったものを踏まえた上での強さなのだろう。
 路上で彼と知り合った、このドキュメンタリーの監督であるリンダ・ハッテンドーフとともに、鑑賞者は彼の半生を振り返り、いとこの娘である詩人ジャニス・ミリキタニとの偶然の邂逅や強制収容所で生き別れたお姉さんとの再会に立ち会う。またトゥール・レイクの強制収容所跡地へのツアーに同行する。
 いい映画だった。結構お年寄りと言える年齢層の方々も見に来られていた。

11/4
 西荻窪界隈で開催される「西荻まちメディア 野外アート展」に出かけた。
 まずは遊工房アートスペースの中瀬康志展。大地の器シリーズの大きな作品。
 その後、善福寺公園の池の周りを一周しながら作品鑑賞。作家ご本人のパフォーマンスが絡んでくる作品は、作家不在により鑑賞できなかったが、全体的に楽しめる作品ばかりだった。散策に来ているご近所の方々の興味を手繰り寄せるような、なかなか面白い作品だったと思う。高島亮三さんの相変わらず人を食ったような、それでいて社会的なメッセージをはらんだ作品にはやられた。
 途中で写真撮影に来ていた柳場大さんと遭遇した。ここのところ偶然人に会うということがなくなっていたが、ここに来てまた始まったようだ(なぜか安心したりして)。
 どうも今日はくしゃみが止まらない。天気がよくて屋外を散策したものだから、なにか飛散しているアレルゲンを思いっきり浴びたようだ。
 そんなわけで夜、高円寺のライブハウスにオノテツさんのライブを見に行ったときには途中のコンビニでマスクを買った。おかげでライブの最中はくしゃみをせずにすんだ。  

11/3
 ギャラリー巡りがてら、銀座中央通をメインに改めて建築物見学ツアーを行った。オペーク銀座、ルイ・ヴィトン銀座(って松屋と別ってこと?)、メゾン・エルメス、ディオール、フェラガモ、ザ・ギンザ、資生堂と見ていくと、知らないビルがある。考えてみればこのあたりは今年の3月くらいから来ていないところだ。ほとんどガラス張りで、あまり柱は見かけない。シースルーで吊っていない(ということは油圧式で押し上げている)エレベーターが丸いのと四角いのとがあり、エレベーターの中は腕時計や宝石のショールームも兼ねている。きっと有名な建築家の設計なのだろうと思い、ビルの名前を憶えた。「ニコラス・G・ハイエックセンター」。
 帰ってから調べたら、板茂設計だった。
 なんだかわたしにはエレベーターの中で展示されていた腕時計(SWATCH)も宝石類も縁のない世界だ。
 資生堂ギャラリーの北原愛展は境界線をモチーフにした作品。その中に境界でもあり、通路にもなる扉の作品があり、わたしのコンセプトである「間」との関連で、なかなか興味深い作品だった。

10/28
 午後になってから深川いっぷくに行った。田畑義継さんの作品を購入するためだ。イヌ好きの友人がテリアの絵を購入し、わたしがトンボの絵を買った。何色も重ねた作品は一日の光の当たり方でいろいろな表情を見せてくれるだろう。これから毎日鑑賞できるのはとても幸せだ。
 その後、清澄庭園に行った。
 背景に高層ビルが見えるものの、泉水や名石、築山など、木々と池がきれいな庭園であった。石の前にある立て札に書かれている「伊豆式根島石」を「イズ式・ネジマ石」と勝手に読んで楽しんでいるうちはよかったものの、人々が鯉のえさである麩を池にめがけて放り投げているところをぼんやり眺めていたら、えさの麩に集まってくる巨大な鯉たち(1mくらいはあるように思えるのが何匹もいた)を見た瞬間から、なぜか気分が悪くなり、ベンチでぐったりしてしまった。
 最初、エネルギー切れかと思ったが、帰り道に暖かくて甘い飲み物を買って飲んだり、帰宅後にお菓子を食べて糖分を補給したが、効果は上がらなかった。もしかしたらえさの麩に群がってきた巨大な鯉たちに、えさもろとも精気まで食い散らかされてしまったのか?しかもわたしだけ?
 少し横になってから夕食を摂ったが、それでもまだ清澄庭園で巨大な鯉を見る前の状態には戻らなかった。やつらはいったい何ものなんでしょう。どなたかご存知でしたら教えてください。それよりも清澄庭園の鯉を見て精気を失ってしまったわたしが何者かを知る方が先か?  

10/27
 台風が近づいているというのに、青山で豆腐・湯葉三昧の昼食をいただき、高円寺のギャラリーに寄って、いろいろとお話をさせていただいた。元々服飾の永井環さんは、キヌガサタケというキノコに触発されたとのこと。なんとなくパターンがわたしの作品に似ている。そういえば2月の個展の際にもいらした方になんとかというキノコに似ていると言われた(その方が帰られた瞬間忘れてしまった)。もしかしたらそのキノコかもしれない。
 ギャラリーの佐野さんから企画案をお聞きして楽しませていただいた。

10/26
 帰りにICCに寄った。坂本龍一+高谷史郎のLIFEは会期中1回に限り再入場でき、金曜の夜は会場時間が延長されるからだ。
 で、例によって吊り下げられている9つの水槽の下はすべて埋まっていて、前回と違う場所を見てみたかったのだが、前回しばらく脇にいた水槽がお一人様ご相席スペースが空いていたので、そこで見ることにした。見た記憶があるような映像もあったが、初めて見るような気がする映像もあり、ただただその映像を浴びて終了時間まで過ごした。
 帰りにタワレコでThurston Mooreがフリージャズのカルテットで出したというCDを買った。近くにThrobbing Gristleの24年ぶりスタジオ録音盤というのが出ていて買ってしまった。ついこの間、RASTER-NOTON関連のCDなどを買ったばっかりなのに(さらにその前はESPLENDOR GEOMETRICOの新譜を買ったばかりなのに)。

10/21
 荻窪にある、杉並区立大田黒公園に出かけた。日本に初めてドビュッシーやストラビンスキーを紹介した音楽評論家、大田黒元雄の屋敷跡を日本庭園として整備して開園したという、小さいがなかなか雰囲気のある公園である。ちょうど日が照っていて、小川や池の水面の照り返しが草や石や木の葉に映り、それがまたきれいだった。
 帰るときにご老人のカップルが椅子に座って話をしているのが少し聞こえた。
「本当に世の中不思議なものよね、あんたが手紙をよこして、こうして会うことができたんだから。それであんた終戦の時にはいくつだったんだっけ?兵隊には行かなかったんでしょう?」
「小学四年生でしたねえ。」
 そんな話から、きっと男性は今は72歳くらいで、女性の方は年上で80歳を越えているかもしれない。ふたりは60年以上前、大田黒公園近くで家族づきあいをするくらいのご近所として暮らしていたが、お互い戦争で疎開したり焼け出されたりして、それきり会うこともなかったのが、ふとしたきっかけで、男性の方が女性がまだご存命だと知り、女性に手紙を出してこうして大田黒公園で再会した。なんてストーリーを考え出してしまった。
大田黒公園から善福寺川を目指して歩いていたら、ふと廃墟のような建物が目に付いたので、それを目指していたら、大きな団地に出くわした。あまり入居者もいなくて閑散としているその団地群の中を歩くと、スター型と言われている団地などがあり、一方では柵をして改築を予定して、誰も住んでいない一角があり、なんともいえない不思議な雰囲気があった。看板を見てそこが「荻窪団地」であることがわかった。以前「団地マニア」と言う人々がいることを知って、いろいろと調べているときに「荻窪団地」に突き当たったことがあったように記憶していた。かなり広い団地だったが、大体その半分くらいが改築で人が住んでいない状態になっているようだった。善福寺川に出たところで後ろを振り返ると荻窪団地の給水塔が見えた。どうやら団地マニアだけでなく、廃墟マニアにもアピールしそうなものである。
 そんなわけで今日は大田黒公園で「60数年ぶりに再会したご近所さんたち」(勝手な推測)と荻窪団地の給水塔と、思わぬ収穫(?)をあげた散歩だった。

10/20
 深川いっぷくの田畑義継展へ。
 ちょうど東京理科大の建築の学生が町づくりについて深川商店街で調査をしているとのことで、アンケートへの回答を依頼される。選択肢から回答を選ぶ設問はすんなり書けていったが、最後の「あなたにとってこの場所に来ることの意味は何か?」みたいな設問に一瞬ペンを置く。「濃厚な人間関係を拝聴する楽しみを得る」と書いてから線を引いて訂正する。「人間関係、地域、社会のあり方について再考することができる」と書いておいた。
 田畑さんがそのうちいらして、いろいろとお話をする。正面の大きな作品は10年前のロンドン在住中の作品だそうで、田端さんの近作の、地を何度も塗り重ねて空気感の素地を作り出している作品とは少し異なる感じでもある。が、地の柄とモチーフの間の距離感も興味深いものだ。今回は深川商店街ということで、少しファンシーなモチーフが出てきたとのことで、作品に広がる空気感は柔らかなものだ。しかしモチーフを描く線はシャープで確かなため、絵画自体にはしっかりと緊張感が残っている。モチーフによって醸し出される空気感や気配といった、田畑さんが描こうとしているものは、非常に親近感を感じる。
 しばらく田畑さんとお話をしていたら、2時間ほどお邪魔していたことに気がついた。
 深川商店街の石材店でこんなの見つけたんですが、これって福助?
 なかなか手ごわそうなお方とお見受けしました。
 それから久しぶりに銀座のギャラリー巡りをして帰宅した。

10/17
 この間ICCに行った時にATAK(渋谷慶一郎主宰レーベル)のライブDVDを見つけた。その中にあったPAN SONICのライブがことのほかノイジーでインダストリアルであり、とても満足であった。今日、タワレコに寄ったところ、ESPLENDOR GEOMETRICOの久方ぶりの新作が出ているのを見つけた。しかもライブDVD付である。ライブではおじさんたちノリノリでノイズをぶちかましている。年をとっても頑なにノイズを発しているところは、わたしも見習いたいものである。

10/14
 artLink上野谷中2007のために、根津に行った。結構artLinkのマップを持って街歩きをしている人たちがいる。始めてから10年が経って、すっかり季節の行事になったようだ。まずはギャラリーKINGYOに行った。9月にグループ展でLAに行った際、建築の見学をされた大野さんに画像を見せていただくためだ。LAのモダニズム建築を見て回られたときの画像は、フランク・ロイド・ライト、ルドルフ・シンドラー、リチャード・ノイトラといったあたりを中心に、普通では見られないような私邸内部(それこそベッドルームまで)にまで至り、画像を見ただけでも、建築には詳しくないわたしにもかなりの感激ものだった。それからサンフランシスコの建築についても拝見した。殊にデ・ヤング・ミュージアムは、わたしが目と鼻の先に行ったのに、建築にも収蔵品にも注意を怠ってしまい、結局入らなかったところだが、詳しいお話をお聞きして、入らなかったことがとても残念に思えた。できれば再挑戦したいところだ。大野さん、お忙しいところ、貴重なお時間を割いていただいて、本当にありがとうございました。
 ギャラリーKINGYOの嶋津晴美さんは、制作がとても苦しかったというお話しをお聞きしていたからか、苦しそうに見えた作品は少し見るのが辛いところもあった。が、しばらく時間をおいて再度拝見したときには、そのいろいろな試行を行った軌跡とその先にあるものに対する期待が感じられた。今回苦しんで得たものは必ず次回にはっきりとした形になって結実するだろう。次回がどうなるのか楽しみである。
 その後、千駄木空間に行き、部屋のリフォームの仕方に興味を持ち、いせ辰で母へのプレゼント用にハンカチを買い、谷中霊園をうろうろ散策し、クマイ商店へ行った。熊井さんとしばしお話をさせていただいた後、ジム・ハッサウェイの時夢草庵とアラン・ウエストのスタジオをのぞいてから帰った。

10/13
 いいということはわかっていたが、後になってこんなにも大きく残っているとは。というのが、ICCの坂本龍一+高谷史郎のLIFEだった。
 いた。水槽では水中にドライアイスが吹き込まれて、霧が水面上に漂い、そこに映像が上から映し出され、霧の上に結んだ映像を下から見上げることになる。また、その映像は床の上にも結び、ドライアイスを噴出した波紋が光の波となって床の上を流れていく。
 会場に入ったときには、水槽全部の下に観客が寝そべって鑑賞しており、そこに入り込むことはできないと思い、横の方から見ることにした。映像は9つの水槽でそれぞれ異なり、地図や雲や海の映像や過去のニュース映像のコラージュなどによって構成されている。戦闘機や爆撃シーン。原爆のきのこ雲やナチと強制収容所の映像がコラージュされ、そこにロバート・オッペンハイマーがトリニティー実験についての回想を語った言葉、「僅かの者が笑い、僅かの者が涙を流したが、ほとんどの者は沈黙した」や、古代インドの聖典の一節から、ヴィシュヌ神が「我は死なり、多くの世界の破壊者なり」と語った部分を引用しているところの映像のコラージュや、ピナ・バウシュの語りやサルマン・ラシュディの朗読(自作?)、ローリー・アンダーソンがヴァルター・ベンヤミンの「新しい天使」(たぶん)を朗読している映像が流れる。また、映像の上にはアドルノの「アウシュビッツの後で詩を書くのは野蛮である」という一節やアラン・レネ監督、マルグリット・デュラス脚本の「ヒロシマ・モナムール」の「君はヒロシマを見ていない」という一節のスーパーが流れていく。
 坂本龍一の音楽は鐘の音が続いたり、時にはスティーブ・ライヒを想起させるようなポリリズムで構成されていた。高谷史郎の映像もダムタイプや池田亮司のビデオ映像と同様の手法の部分もあった。たぶんにコンセプトやら実際の映像や音響も99年のオペラLIFEからの引用もあるかもしれない。が、誰もいなくなった水槽の下に、しばらくしてようやく意を決して寝そべって鑑賞した映像と音響は圧倒的だった。どうしてもトイレが我慢できなくなって会場を出たが、それがなかったらもっと長くいただろう。帰るきっかけがつかめないまま。たぶん二時間くらいはいたのではないだろうか。

10/8
 午後になり、北鎌倉のポラリス☆ジ・アートステージへ。

 十倉さんと建築と環境、アートと寛容性についてお話をして、ふと気がつくと1時間半ほど過ぎているのに気がついた。
 鳥の声や風の音が聞こえ、雲が低く流れて居心地がよく、すっかり長居をしてしまった。
 失礼するときに、野村俊幸さんとお会いすることになり、8月の東京都美術館でのグループ展でお世話になったことのお礼を申し上げた。
 北鎌倉から鶴岡八幡宮、鎌倉まで歩いた。
 今日は大船観音、北鎌倉で廃墟や坂道、横浜付近で地下の基礎工事等、たぶんマニアにはたまらないであろう風景を堪能できた(わたしがこれらすべてのマニアであるわけではない)。

10/7
 さすがに毎日三食、いつもの夕食よりも多い量の食事を取らさせるので、朝食は何も食べられなくなってしまった。
 昼近くになり、お土産の買い物がてら、名勝「光前寺」に行った。連休中のためか、かなりの観光客が訪れていて、観光バスやら乗用車で駐車場は満杯状態である。
 幼少の頃は時々遊びに行っていたお寺だが、改めて行ってみると、丈が高く幹が太い松などの木々や苔むした地面や石の豊かな緑の中を歩き、なんとも言えない深いたたずまいを感じた。平安末期に開祖された古刹だけあって、とても気持ちが休まる地であった。
 

 この「光前寺」には「早太郎伝説」というものがある。詳細はこちら。この早太郎伝説、駒ヶ根市民はほとんど誰でも知っていて、ストーリーはだいたいそらんじられるが、一歩駒ヶ根市を出るとほとんど誰も知らなくなるという、かなり地域的な伝説である。
 光前寺の近くにお蕎麦屋さんがあり、そこでお蕎麦をいただき、市街地のお菓子屋さんに行ってお土産を買った。高原の観光地はたくさんの観光客がいるのに、市街地は本当に閑散としていて、シャッター街とも見えた。
 帰りのバスは中央道が渋滞で、途中、車がまったく動かなくなるときが何度もあった。持ってきた本も読み終えてしまい、何もすることがなくなり、ノート型ではあるものの決してモバイル用ではないPCを引っ張り出して、LAでお世話になった方々へのメールの下書きなどをした。
 小仏トンネルだろうか、東京に入る最後のトンネルのあたりで渋滞は解消し、結局は2時間遅れの到着となった。

10/6
 両親と叔父の車に乗せてもらって木曽に行った。
 以前は塩尻や飯田の方へ大回りして行くか、細く急勾配の「権兵衛(ごんべえ)峠」を越えないとたどり着けなかったのだが(間に中央アルプスがそびえているため)、数年前その「権兵衛峠」にトンネルが開通して、あっという間に到着できるようになったらしい。木曽にはおいしいお蕎麦屋さんがあると聞いていたので、ぜひ行きたいと思っていたのだが、今日は天気もいいことだし、ついに行くこととなったのだ。
 でもですねえ、いくらお蕎麦屋さんが混むからといって、11時前にお蕎麦屋さんに入ってもおなかがすいていなくておいしくいただけません。
 その後、長野県出身者、長野県在住者はたぶん知っているであろう、天下の奇勝「寝覚之床」に行った。この「寝覚之床」には浦島太郎後日譚伝説が残っている。以下Wikipediaより引用。

浦島太郎は竜宮城から地上へ帰るが、まわりの風景は変わっており、知人もおらず、旅に出ることにした。旅の途中、木曽川の風景の美しい里にたどり着き、竜宮の美しさを思い出し、乙姫にもらった玉手箱をあけた。玉手箱からは白煙が出て、白髪の翁になってしまう。浦島太郎には、今までの出来事がまるで「夢」であったかのように思われ、目が覚めたかのように思われた。このことから、この里を「寝覚め」、岩が床のようであったことから「床」、すなわち「寝覚の床」と呼ぶようになったという。

 両親や叔父は坂道がきついからと、展望台から見るだけにしたので、わたしも同様に上の方から見るだけにした。「宝物館」というものがあったのだが、普通に言えば民俗資料館でした。足踏みミシンや林業の伐採用のこぎりなどの民具やら、戦前のおもちゃなどある意味これは宝物と言っていいであろう。が、「浦島太郎の釣竿」なんてのも展示されていて、これがもしすべて浦島太郎グッズだったら、それはそれでかなりしびれる「宝物館」になっただったろうにとちょっと残念に思った。


 それから開田高原というところの木曽馬を飼育しているところに行った。さすがに農耕馬という血筋のため、サラブレッドに比べれば頑丈な体つきをしていた。目がくりくりしていてかわいらしく、結構人懐っこくて近寄ってきた。
 

 家族が寝静まった後、深夜までHPの更新作業をした。 

10/5
 帰省した。
 ロサンゼルスで撮った写真を見せるために、PCを持ってきた。ついでにHPの更新などもやろうと思い、ダイニングテーブルに出してカタカタやることにした。どうやら両親は仕事でもしているように思っているようだ。ある意味仕事ではあるけれど。

10/2
 本当に久しぶりの出勤。まだわたしの席はあった。
 昨日あんなにきつい時差ぼけを味わったのに、今日はまったく何事もなく(むしろ以前のように眠くなることもなく)一日が終了した。
 職場へのおみやげは、昨日吉祥寺ロンロンで買った、紀ノ国屋の「相国最中(大納言)」。牛皮が入っているボリューム満点の、でも餡はとってもさっぱりしているおいしい最中です。結局イグチ君は紀ノ国屋の本社がある武蔵村山にでも行ったということになった(訳はなく、謎は深まるばかり)。 

10/1
 時差ぼけ解消用の日。できれば明るい日差しの下で体を動かしたかったのだが、天気が悪いこともあり、映画を見ることにした(というより日程上、今日くらいしか見る時間がなかったので)。岩波ホールの「ヒロシマナガサキ」。日系2世のスティーブン・オカザキ監督による、被爆者や原爆を落とした側の元兵士、技術者へのインタビューを基にしたドキュメンタリーだ。
 被爆者にはすでに証言を見たり聞いたことのある方が5人ほどいらして、特に新事実などが提示されているわけではない。が、被爆者の証言は常に衝撃的であり、常に圧倒的だ。  帰りに吉祥寺から玉川上水沿いに歩いてみた。夢の中なのか現実の世界なのか、どちらか判別ができないような感覚に襲われた。時差ぼけは結構きつい。


タイトルは「マトリックス」の中で出て来るセリフらしいですね。実はわたしはこの映画をテレビでチ ラチラとしか見ていないので、どこで出てくるのかよくわかりません。わたしはスラヴォイ・ジジェクによる テロとその後の戦争について論じた文章のタイトルとして知ったのでした(現代思想臨時増刊「これは戦争か」より)。
なお、画像は島田雅彦の「ミス・サハラを探して」(KKベストセラーズ) の中のチュニジアの砂漠の写真(撮影;中島誠)を無断借用しました。