3/30
季節柄たぶん相当な人出だろう。だが、VOCA展は今日までだから仕方がない。意を決して上野まで行った。上野駅で降りて階段を上がって出口に行こうとしたら、公園口がすごい人ごみで改札を出るまでに時間がかかるとのこと。入谷口まで行って改札を出た。公園内がすごい人出だろうとは思っていたが、よもや駅構内までもそうだったとは。そんなにみなさん桜が好きなんですか。いや、桜の下で宴会するのが好きなんですか。
なんとなく早足になって上野の森美術館に飛び込む。今年のVOCA展は最初どうも波長が合わない作品が続き、ピンと来なかったが、二階には結構ピンと来る作品があり、ホッとした。阪本トクロウさんの作品は少し離れて全景を見たいところが、反対側の壁のあたりがその距離となるような引きのない空間に展示されていて、少し残念だった。一旦全部見てからもう一度一階に戻り、重点作品を決めて見たのだが、そこに入ってきた一家には驚いた。いや一家というかお父さんだが。たぶんもう定年ぐらいの年齢だろう、デジカメでバシバシ作品を撮影しているのだ。「美術館では作品を写真撮影してはならない」という基本的なルールを知らない年齢のわけではなく、そういった分別はしっかりわきまえているような身なりもしている。スタッフのおねえちゃんもカタログを見たりして、たぶん気がついているんだろうけれども見てない振りをしているようにも見え、何も言わないし。「『写真撮影禁止』とあるから撮影してはいけない」のではない。美術作品の著作権問題なのだ。あんまり驚いたので、顔をまじまじと見てしまったが、特に悪びれている風にも見えず、楽しそうに撮っている。もしかして美術館なるものに入ったのが初めて?とちょっと疑ってしまった。あれは作家に失礼ですよ、何も注意しない美術館側が。そういえばほとんど触りそうなくらいに作品を指差しているのにも注意していなかったし。あれ?VOCA展の入場者のマナーが相当低い人たちってこと?何に興味があって入場したわけ?それはそうと、気に入った作家名を上げておきます(まあまあと、特にの両方とも)。
伊藤雅恵、岩熊力也、川上幸之介、阪本トクロウ、須藤由希子、関根直子、遠山裕崇、中西信洋、元田久治、森本恵利、横内賢太郎(以上敬称略)
美術館の横のギャラリーでは加藤泉の展覧会が開催中であった。岸田劉生の「麗子像」のように、自分の子どもがそこに存在しているという、美しくも醜くも畏れとも言える感情を父母息子の三つの存在に託しているようにも思える作品である。おねえちゃんふたりが入ってくるなり、いきなり「あー、かわいー。」と言ったのにはこけた。
上野公園の中は大変な人ごみだった。シートを敷いて宴たけなわの人々と、道をゆっくり歩く人で超渋滞状態。自分がどこに行こうとしているのかわからなくなりそうだった。人ごみを抜けて上野公園を出たところで、芸大の柵にこれでもかというくらいに「ネグリさんとデングリ対話」のチラシが貼り付けられていた。そうだった。昨日、今日と芸大では二日間にわたってイベントがあるのでした。そんなわけでふらっと芸大の構内に入ってみた。餅つきやらペインティングやらやっている。なにやらライブをやっているような音がする方へ向かった。ボーカルとDJのふたりで結構ヘビーでノイジーな音を出している。脇のテントで売っているTシャツを見て驚く。ボブ・マーレー&ザ・エイラーズのジャケを真似して現代思想家の顔を配置している。ジル・ドゥルーズ、フェリックス・ガタリ、ミシェル・フーコー、アントニオ・ネグリ、マイケル・ハート。あともう一人だれ?売り場のあんちゃんに尋ねたら、「みんなこれだれ?って聞くんですよねー。これはえっとー、マウリツィオ・ラッツァラートっていう、○○の弟子みたいな人で(○○は爆音で聞こえず)まだ日本じゃ翻訳が出てないようですよ。」
昔だったら「ものの本によると」というのが引用の常套句であっただろうが、そういう意味からすれば、いまどきは「もののサイトによれば」になるのだろうか(以下、その「もののサイト」より)。
Maurizio Lazzarato(マウリツィオ・ラッツァラート/ラザラート)
インディペンデントな社会学者であり哲学者。パリで暮らし働いている。非物質的労働、賃金格差、労働の存在論、認知資本主義そして「ポスト社会主義」運動についての研究を行っている。また同じく映画、ヴィデオ、そして映像製作のための新たなテクノロジーについても書いている。ノボティック・リサーチ・グループとともに、ヴェニスビエンナーレのために、「テンデンシーズ IO dencies /非物質的労働」のプロジェクトを企画した。1990年から、アンジェラ・メリトプロスと協力して、展覧会のカタログのためのテキストを書いている。
とあるので、芸術にも関係あるのだろう。こういう趣旨のメンツの顔入りTシャツはめったに手に入らないだろうし、売り場に貼られていたコピーのように「着る思想」ではあるので、買ってしまいました(言い訳がましいので認めましょう。はいわたしはミーハーです)。
構内をうろうろしていたら、すっかり冷え込んでしまったので、谷中経由で帰りました。谷中霊園でも道路の脇から墓地の区画までの範囲にほぼ一列に輪ができていて、こちらも宴たけなわであった。ただ場所柄(墓地ですから)と、駐在さんがいるということで、結構品よく宴を催していた。中には手拍子で歌を歌う比較的年齢の高いグループや、ギターを伴奏にすっかり気持ちよく歌うおねーちゃんなんかもいましたが。
結局、昨日今日で、砧公園、井の頭公園、上野公園、谷中霊園と、桜の名所を歩き回ったことになる。が、お花見をしたかというとそうでもない。しいて言えば「お花見」見をしたと言うべきか。わたしは「お花見をしたか?」と聞かれたら、きっと「それは宴会のことか鑑賞のことか。」と聞き返すだろう。ヤなヤツ。
 上野公園にて。お花見ってやっぱり宴会の意味ですよね |
 上野公園はどこもかしこも人ばかり |
 デングリ対話、やってました |
 客がちょっと少なめだけど、まあ盛り上がっていました。 |
 これが着る思想Tシャツだ! |
 谷中霊園もやはり宴会たけなわ |
3/29
先々週行った両国のギャラリーへ再び足を運ぶ。アートトレイスギャラリーは、両国の印刷工場を改装し、作家の共同所有形式によるギャラリーとして運営されている。今はその第3クルーのメンバー募集ということを知り、それでお話をお聞きすることになったのだ。メンバーの一人、坂光敏さんとお話をさせていただく。坂さんは昨年11月にマキイマサルファインアーツで開催された白濱さん企画のグループ展に出展されていた作家さんのお一人だった。世の中案外狭い。
ギャラリーの運営内容などいろいろとお話をお聞きし、その他作家活動やらなにやらのお話をしていたら、もう12時45分くらいになっていた。11時過ぎに到着したので、1時間半くらいは話し込んでいたのだ。なんとなく同じように静かに淡々と話すあたりが波長が合ったのだろうか。あまり長時間お話をしていたような気はしなかったのだが。
が、しかし東大安田講堂で開催される、アントニオ・ネグリが来日できなくなっても開催するシンポジウムに間に合わなくなってしまった。ネグリが来れなくなった代わりに、姜尚中、上野千鶴子、石田英敬、鵜飼哲、アントニオ・ネグリ(電話での交信予定)という豪華メンバーだったのだが。まあいいか。アートは本職(!?)、アントニオ・ネグリは興味あることだから、アートの方が重要ではあるから。
そんなことで、急遽世田谷美術館のイリヤ・カバコフ展に行くことにした。一旦入ったJR両国駅から出て、大江戸線、半蔵門線と乗り継いで用賀駅で降りると、美術館までの道が大混雑。まさかカバコフがこんなに日本で人気があるとは!のわけがなく、みなさん砧公園へお花見なのでした。
本展覧会ではカバコフの絵本の原画を見ることができるわけだが、その精緻な筆遣い、ペン遣い、色遣いなどの技術力と、本物の船乗りがありえないと怒って帰ってしまうほどの船を描いてしまうという並外れた想像力。そのすごいことは確かなのだが、それがソ連時代のもろもろの統制下で作り上げられたものであることには驚きである。そういった抑圧の中、子どもがわくわくするような絵本を描きあげているのだから。すっかり楽しめた展覧会だった。
世田谷美術館を出て、人々が押し寄せている砧公園の桜を見ようと思ったが、人の多さに即座に断念。そのまま帰路へ。帰りの井の頭線急行吉祥寺行きがお花見シーズンということで普段止まらない井の頭公園駅に停まったので、めったに降りる駅ではないから降りることにして井の頭公園を横切ろうと思った。まあ人の多いこと。何かのイベントやらでよく女子トイレの前に列ができることはあるのだが、ここでは男子トイレの前にも列ができていた(そりゃ飲むからね)。さっさと井の頭公園を出て、玉川上水沿いに三鷹駅まで歩いた。玉川上水沿いの桜はまだまだ満開とは言えず、もしかしたらまだ来週末まで残っているかもしれない。
 両国駅近くの高架には壁画が |
 砧公園には人がいっぱい |
 井の頭公園でも人がいっぱい |
3/28
はい。また例によって「若松孝二 大レトロスペクティブ」。今日は二本立てで観ることにした。
一本目は『赤軍−PFLP・世界戦争宣言』。「PFLP、赤軍と共闘し、パレスチナゲリラの「日常」を写した世界革命のためのニュースフィルム=プロパガンダ」という映画。赤軍派の幹部として登場しているのは重信房子?
重信房子の親友である遠山美枝子は、当時、この映画の上映運動のため若松プロに出入りしていたらしい。その遠山は連合赤軍に参加後、山岳ベースで粛清されてしまう。重信の当時特有の言葉の使い方や論理はどこかしら堂々巡りをしているようにも聞こえて、わたしにはよくわからなかった。が、当時の純粋な希望に今だからこそ感じるせつなさみたいなものが漂っていた。
二本目は『鉛の墓標』。「のしあがるためならば自らの愛する人を殺すことも厭わない一人のチンピラが、最後には同じ論理によって、その座を追われていく。当時話題となった激しい暴行シーンもさることながら、全体を貫くハードボイルドタッチの優れた演出が初期作品の実力の高さを示している。」という映画。まあそれなりに楽しめました。でもちょっとわたしとは趣味が違うと思う。
どうでもいいことではあるが、一本目の途中から入ってきてわたしの横に座った若者が、映画の上映中延々と食べ続けているのには驚いてしまった。一本目ではポテトフライ(におうからね)を食べ続けていた。満腹ですか?と思ったら、二本目は塩味の揚げかきもち(こちらもにおうから)を音を立てて食べ続け、それ以外にもなにかごそごそして食べていた。映画が終わってから「おいしかった?」と皮肉でもひとこと言いたい気分になってそちらの席を見たら、スニッカーズの包装紙があった。カロリー高すぎるぞ。きっと帰宅してからも夕食を食べるんでしょう?そらあんた、そんな体型になるわな、あんちゃん。ただしそのあんちゃんが「当時話題となった激しい暴行シーン」でちょっと吹き出していたのは気に入らないな。
3/27
帰りに「胡同の理髪師」へ。北京の実在の93歳現役の理髪師チン・クイさん本人の生活をドラマ化した映画だ。老いても一人で生活をする、なかなかかっこいいおじいさんである。チンじいさんの風貌から、80年代後半から90年代前半の侯孝賢映画におじいちゃん役で出ていた、人形芝居の国宝的名手李天祿を思い出した。淡々とした毎日ではあるが、チンじいさんの芯の通った心豊かな生活を感じた。日本の老優というと、加藤嘉、浜村純、笠智衆、宇野重吉あたりを思い出す。ちょっとテイストが異なるが、まったくの素人さんであるはずのチンじいさんがそういった老優たちと遜色なく普通に演技している。
胡同という、日本で言えば昔ながらの路地のようなコミュニティーというかつながりが、開発の波に飲まれて消えていく。当地ではチンじいさんがゆっくりと走らせるリヤカー付自転車のようには時間が流れなくなってしまったということか。
3/25
退社後、例によって「若松孝二 大レトロスペクティブ」の「天使の恍惚」へ。
「東京総攻撃を計画する革命軍のメンバーが、米軍基地襲撃を皮切りに、無差別爆破による都市ゲリラ戦を展開していく大問題作。公開直前に劇場近くの交番が実際に爆破されるなどしたため、爆弾テロを助長する映画だとして上映反対運動が巻き起こった」という内容。後半、山下洋輔トリオによる疾走する音楽とともにピース缶爆弾による都市ゲリラが、まるで映像をコラージュするように展開していく。その後半の疾走感はなかなかのものだった。なんでもジム・オルークが若松映画で初めて見た映画らしい。エンドロールでスチール写真が中平卓馬と出ていた。なかなか刺激的なメンツではないか。
3/23
福生のレ・トロワ・アヌーというギャラリーで開催中の石田泰道展へ。前回までの円環というコンセプトは基本的に変わらないものの、オブジェの形態が種子や細胞分裂の途上であるようなふたこぶの形状もある。今は室内で白いままになっているが、これがまた表面をバーナーで焼かれたり柿渋をぬられて黒くなり、屋外に設置されてカビが生えたり風化してまた白くなっていくとのこと。自然とともに作られていく泰道さんの作品のスケールの大きさにはいつも感嘆する。
しばらくコーヒーを飲みながら山梨の作家さんたちの連帯やら作家活動やら共通の知り合いの作家さんの話などをした。
 玉川上水沿いの桜はあともう少し(これは結構咲いている枝) |
夜は祖師谷大蔵のカフェでポかリン記憶舎の公演「humming2」の観劇へ。カフェを舞台に、客が入ってくることによってカフェの中の空気が微妙に変わる風景を描いている。
今まで見てきた作品に比べて、それぞれの登場人物たちの中の感情のうごめきが読み取れる作品だったが、それぞれの立ち位置(座り位置)やせりふの間合いなど、間合いや境界などが微妙に絡み合っている。なかなか面白い作品だった。終了後、しばらくポかリン記憶舎、舎長の明神さんとお話をさせていただく。「あいだ」について、お互い考えていることの近さを改めて認識する。今日はコーヒーを飲みながら人とお話をするという一日だった。
 なんでも祖師谷大蔵はウルトラな街らしい。 |
 やっぱバルタン星人はヒーローだからさ。 |
 このツーショットははずせないっしょ。 |
3/22
銀座、京橋のギャラリー巡りをした。コバヤシ画廊で岡村桂三郎さんの個展が開催中だった。しかも今日まで。やはり「etc.」がないと自分で情報収集しなければならないのできびしい。もう少しで見逃してしまうところだった。他にも重要な個展を見逃してしまっているかもしれない。
それから西荻で降りてギャラリー巡りのついでに善福寺公園を一周。桜のつぼみが色づいてきていて、一週間後には満開になりそうな気配。それから骨董通りで、渋くてしかも安価な文机とか引き出しとか木製の脚立に引きずり込まれて一軒の骨董屋さんにはいってしまった。
今日の収穫?(銀座、西荻の住人たち)↓
 ねむいー。ねむすぎるー。 |
 用がないんだったらとっとと行きな |
 おまえどこ中だ? |
夜は中野富士見町近くのplan Bへ。斎藤徹さんがパリのバンドネオン奏者オリヴィエ・マヌーリさんを迎え、ギターの今井和雄さんとトリオでピアソラの曲をメインに演奏。今まで行ったライブはみんな即興演奏だったのが、今回は譜面を見ての演奏だった。が、時には激しく超絶テクニックを駆使し、とんがったピアソラとなった。大満足なライブだった。
今日は天気がよかったためか、スギ花粉が大量に飛散しているらしく、自分も含めて来場者がそれぞれ花粉を服にくっつけてライブ会場に入ってくるので、開演を待つまで結構辛い時間となった。
3/21
通勤電車の中で今ちょうど読んでいる本の中に「スマイス」という名の人物が登場した。そこで突然Smithという姓に連想が飛び、去年、ボブさんと話をしているときに、Smithという姓についてGoldsmithとか、金属から何かを作る職業にSmihtを付けるんだという話が出たことを思い出した。日本の姓だったら何に当たるだろう。板金屋とかの「屋」かなあ、てなことを考えていたら、もうちょっとで降りそこなうところだった。いや、「屋」ではなくて「師」かも。
退社後、渋谷のシネマヴェーラで「若松孝二 大レトロスペクティブ」の「壁の中の秘事」へ。「ベルリン国際映画祭への正式出品によって、日本映画業界から国辱呼ばわりされたとこはあまりにも有名」という映画。閉ざされた空間の比喩として、団地の閉塞感の中で暴力を呼び起こす狂気を描いている。今からすればちっとも国辱じゃないけどね。1965年作品。
3/20
埼玉県立近代美術館の熊谷守一展へ。レンブラントというよりは、ジョルジュ・ド・ラ・トゥール風ともいうべき、ろうそくに灯された自画像から輪郭が克明になってフォルムが単純化して守一様式へと変化していく過程が面白い。猫やウサギ、鳥たちは線だけでその質感や重さ、軽やかさが表現されている。蝶やアリやセミ、カエルといった小さきものたちへの眼差しの優しさが感じられる。裸婦像は背景の色彩の構成からしてもロシア・アヴァンギャルドを思い出させた。輪郭線とフォルムに単純化しても、その線はこれ以上適切な位置はないというところに引かれているし、かなり饒舌な線だとも言え、まるでピカソのデッサンだと思ったら、守一はピカソが好きらしかった。「庭にゴザを敷いて寝っころがって空を見たり」というような構図の絵があったのだが、最後のコーナーで藤森守によって撮られた守一の写真とともに土門拳が守一が庭にゴザを敷いて寝っころがっている写真があって笑えた。
会場は結構賑わっていて、子どもにいいヒントを与えるおかあさんがいた。「ほらこれ見て。百日草を二年ごと描いているでしょう?でも三つとも全然違うじゃない。面白いよねー。」そうそう。守一は毎日毎日自宅の家の庭を散歩しながら細部を観察して、百日草は見るたびに違って見えたんだろうね。守一の昆虫や草花や小鳥たちに向けられる愛情が会場に満ちているようにも思われ、優しい気持ちになった。しかしその愛情は、もしかしたら幼少の頃、生母から引き離されて育ったという家庭環境やら、子どもを次々に亡くしていくという悲哀の裏づけがあったからかもしれない。またこれといった上昇志向もなく、「守一様式」が現れてくるもの56歳ごろだし(それから40年間描き続けるのだが)、まるで翁と童が同居しているような、そんな人間性が絵画を通じて沁みこんで来たのかもしれない。冬に逆戻りした寒い雨の中の帰り道は少し心地よいものだった。
帰宅してからは読書。
備忘録ということで、新聞記事を引用。
「〈帝国〉」の著者ネグリ氏、来日を延期
世界的に反響を呼んだ「〈帝国〉」の著者の一人でイタリア人哲学者のアントニオ・ネグリ氏(74)が日本政府から入国できない可能性を示され、来日を延期したことが19日、わかった。
ネグリ氏は、財団法人国際文化会館の招きで20日に来日し、約2週間の滞在中に東大など3大学で、グローバル化時代の労働問題などをテーマに講演する予定だった。
同会館によると、17日、外務省から7月の洞爺湖サミットを控えて入国管理が厳しくなっており、ビザを申請するよう説明を受けた。同氏は在住するパリの日本大使館に18日、ビザを申請したが、発給待ちの状態が続いている。
同氏は79年に反政府組織「赤い旅団」による元首相殺害事件への関与の疑いで逮捕されたあと、83年にフランスへ亡命。殺害事件は無罪となったが国家転覆罪で禁固刑が確定した。97年に帰国後、03年まで刑に服した。その後執筆のほか、各国で講演活動をしている。
入管法では、国内外の法律に違反し1年以上の懲役や禁固刑を受けた外国人の入国を禁じている。政治犯に関してはこの限りでないとしているほか、事情により法相の特別許可を受けることができる。国際文化会館はその方向での入国の可能性を探っている。
しかしこの場合、現地の日本大使館にビザ申請し、過去の資料をもとに本人から話を聞くなどの審査を経る。「常識的に考えて、数日間で出る可能性はきわめて低い」(関係者)といい、今回の来日日程にあわせるのは難しそうだ。
(以上、アサヒコムより)
<来日中止にあたりネグリ氏及びパートナーのルヴェル氏から届いたメッセージ>
日本の友人たちへの手紙
皆さん、
まったく予期せぬ一連の事態が出来し、私たちは訪日をあきらめざるを得なくなりました。この訪日にどれほどの喜びを覚えていたことか! 活発な討論、知的な出会い、さまざまな交流と協働に、すでに思いをめぐらせていました。
およそ半年前、私たちは国際文化会館の多大な助力を得て、次のように知りました。EU加盟国市民は日本への入国に際し、賃金が発生しないかぎり査証を申請する必要はない、と。用心のため、私たちは在仏日本大使館にも問い合わせましたが、なんら問題はありませんでしたし、完璧でした。
ところが2日前の3月17日(月)、私たちは予期に反して査証申請を求められたのです。査証に関する規則変更があったわけではないにもかかわらずです。私たちはパリの日本大使館に急行し、書類に必要事項をすべて記入し、一式書類(招聘状、イベントプログラム、飛行機チケット)も提示しました。すると翌18日、私たちは1970年代以降のトニの政治的過去と法的地位に関する記録をそれに加えて提出するよう求められたのです。これは遠い昔に遡る膨大な量のイタリア語書類であり、もちろん私たちの手元にもありません。そして、この5年間にトニが訪れた22カ国のどこも、そんな書類を求めたことはありませんでした。
飛行機は、今朝パリを飛び立ち、私たちはパリに残りました。
大きな失望をもって私たちは訪日を断念します。
数カ月にわたり訪日を準備してくださったすべての皆さん(木幡教授、市田教授、園田氏――彼は日々の貴重な助力者でした――、翻訳者の方々、諸大学の関係者の方々、そして学生の皆さん)に対し、私たちは申し上げたい。あなたたちの友情に、遠くからですが、ずっと感謝してきました。私たちはこの友情がこれからも大きくなり続けることを強く願っています。皆さんの仕事がどれほど大変だったかよく分かります。そして皆さんがどれほど私たちに賛辞を送ってくださっているかも。
パーティは延期されただけで、まもなく皆さんの元へ伺う機会があるだろう、と信じたい気持ちです。
友情の念と残念な思いを込めて……
2008年3月19日 パリにて
ジュディット・ルヴェル
アントニオ・ネグリ
(訳 市田良彦神戸大学教授)
以上、財団法人国際文化会館のサイトより引用。
残念だ。東大では安田講堂で、姜尚中、上野千鶴子とのパネルディスカッションが予定されていた。芸大では「ネグリさんとデングリ対話」なる企画が予定されていて、ネグリ氏とデングリ氏の対談かと思ったら、「でんぐり返る」のデングリで、芸術、医療、労働というさまざまな観点からネグリ氏との議論するという、「芸術とマルチチュード」、「マルチチュードとプレカリアート」といったプログラムが計画されていたのだ。「事情により法相の特別許可を受けることができる」とあるが、あのすでに壊れてしまっているという疑いのある法相には、アントニオ・ネグリとアル・カイダの違いなどまったく理解不能だろう。
本当に残念。ネグリ氏と姜尚中、上野千鶴子のパネルディスカッションには真剣に行ってみようと思っていたから。
3/16
午後、両国へ向かう。ずっと以前、両国にアーティスト運営のギャラリーがあると人から聞いていたからだ。なんでも白くてイグチくん好みだとか。くだんのアートトレイスギャラリー、確かに白いし広いし、いい空間でした。気に入りました。
恵比寿ガーデンホールの池田亮司/Ryoji IKeda detamatics[Ver.2.0] 完全版へ。コンサートというよりはビデオ作品上映会と言った方がいいのか。Ver.1は風景映像や英文が用いられていたのに比べて、今回上映のVer.2は罫線やアルファベット数字がめくるめく変化し、パルス音とノイズの洪水がとめどなく襲ってきて、記号とノイズの粒子を全身に浴びるような体験だった。やはり池田亮司の音楽は、風景映像や英文といった意味とは親和性があまり高くないのではないか。完全版は本当によかった。DVDとか出ればいいのに。客席の一番後ろに欄干のようなスペースがあり、公演前にそこの手すりから下を見下ろしているあんちゃんが一人いた。一風変わっためがねをしてジャージを着ていたが、どこかで見た池田亮司の画像と似ていた。もしかしたら本人かもしれない。例によってプログラムがすべて終了して会場の照明がつき、おしまいとなった。目いっぱい拍手してアンコールしてもだれも出てこないことはお客さんもそこら辺は重々承知で、淡々とした拍手だった。会場には関係者風の人々もたくさん来ていた。ひとりだけわかったのは、Tシャツ一枚のアップリンクの浅井隆だった。
3/15
午後になってから御茶ノ水の御茶の水画廊/淡路町画廊に行った。淡路町画廊は以前行ったことがあったのだが、御茶ノ水画廊は初めて。隣り合っているし、中に入るとつながっているけれども、境界線があり、こちらが御茶の水画廊、こちらが淡路町画廊ということになっていた。と、そんなことを見出すために行ったわけではない。久しぶりに堀正明さんの作品を拝見することができた。そしてこれまた久しぶりに堀さんにお会いしてお話しすることができた。
階段を描いた小品が御茶の水画廊側に、ストキングや布巾、浴室のシャワー、畳、階段を描いた大作が
淡路町画廊の最上階にあった。日常空間が沈思する間にふっと人の気配が消し、そこにあるモノたちの「在ること」が静かに立ち上がり始めたときを見計らったように描いているような、空気の流れや音のたたずまいを感じる。それが大正6年の土蔵の最上階3階の気配と寄り添っているように思われる。すっかり堪能させていただいた。
堀さんには一年前の個展の作品についてお褒めの言葉をいただき、感激であった。
それから銀座にグループ展を見に行き、それから表参道で一旦下車し、渋谷まで歩いた。3/1に写真を撮り損ねた森英恵ビルのショーウィンドーと、以前腰を抜かしそうになったゴシック教会の尖塔上部をスパッと切り取って地面に置いたような結婚式場を写メールで撮った。
 森英恵ビルのショーウインドー 最近こういうのをよく見かける気がする |
 こんなものが表参道の商店・住宅地突如現れるのだ |
高円寺パル商店街で開催中の「ちょっと昔の高円寺 写真展」へ。ギャラリー45-8で以前開催された際に展示されたものに、さらに追加されての巡回展である。買い物に来た人々が気軽にふらっとはいっているようで、結構賑わっている。ご近所のお年よりも来られていて、写真に写っている昭和30年代の店の看板を読み上げて「そうそう。あったよなー。」と懐かしがっている。そのうち高円寺阿波踊りの写真の一枚を指差して、「おおこれはシンドウだ。もう死んじゃったけどな、ガンで。」と言う。もうすでにこの世にいない人も、そうやって写真を通じて記憶をよみがえらせて、記憶の中で再会をはたす。こういう企画はいいですね。
3/13
昨日帰りに薬局で、@新型立体構造(ダブルΩ加工)A銀系抗菌フィルター・超極細繊維フィルター採用B眼鏡のくもり止め機能Cソフトタイプ耳ひもという、「空気中に微粒子(0.0001mm)を99.9%カットという、それなりのマスクを買った。が、マスクをしたままくしゃみを連発して、マスクの内側がびしょぬれになり、マスクをはずして鼻をかみ、またマスクをつけ直すという、マスクをしているほうが動作が多くなるという結果にしか至らなかった。
どうやらわたしにとって一番自信を持って自己言及できるのは、「花粉症です。」ということであろう。堂々とできる自己言及が免疫学的な自己認識であるということはなかなか面白いことではないかと、ひとりトイレの個室の中で気がついて、ほくそえんだ(全体的に閉じて話だなー)。
3/12
キター!という感じで、花粉症全開である。はたして2ヶ月以上服用している薬が効いていないのか、はたまた効いているからくしゃみ鼻水が止まらず目がかゆいという程度で済んでいるのか。
職場でのこと。ある案件について、総務省で行われている業務が参考になることがわかった。そこで同僚がわたしに尋ねてきた。総務省に誰か友達はいないかと。はっはっは。わたしの友だちってほとんどがフリーランスかフリーターっすよ。やっぱり日本社会には階層みたいなものは存在するんですね。お堅いところに勤めている人の友だちはだいたいお堅いところかそれなりのところにお勤めの方ってことになるんですかねー。
3/9
再び「太宰治文学サロン」へ足を運んだ。たぶん太宰文学を愛する60〜70台の男性が太宰の原稿の複製やら写真やらを説明してくれた。きっとわたしのことを自分と同様に太宰文学の愛好家だと思って説明してくれていたのかもしれない。実は愛好家でもなんでもないんです。すみません。
根津のギャラリーJinとギャラリーKingyoに行く。しばしKingyoの扇谷さんとお話をさせていただいて失礼した。いせ辰で何枚かハンカチを買い、大黒屋で手焼煎餅を買って帰った。
この週末はかなりの花粉が飛散しているらしく、薬を飲んで点眼剤や点鼻薬をつけることによって、少しは症状を軽度に抑えられているのかもしれないが、やはりくしゃみ鼻水や目の痒みはまったく根絶できるわけではないし、今年は新たに喉がいがらっぽくなるという新たな症状まで発症した。が、この季節は「自己と他者」の関係性を免疫学的に再認識する季節である。しっかり再認識しようじゃないか(開き直り)。
3/8
二日前の朝起きたら、左目がごろごろして痛いし充血しているし目やには出るしで、万が一のことがあってはいけないと、眼科に行った。
視力やら眼圧を測ってもらったが、視力が右目は2.0あった。左目は穴あきの記号が二重に見えて判然としない。そんなわけで左目は1.2だった。ずいぶん視力いいじゃん。診てもらったら花粉症の症状が出ている(それはわかっています)ということと、どうやら目をこすりすぎたのか傷をつけてしまっているらしいとのこと。抗細菌点眼剤と眼障害・角膜障害用の点眼剤を処方してもらった。花粉症用の点眼剤もあり、全部一緒にカクテルのようにして点眼すればいいかというとそうではなく、それぞれの薬が吸収されるだけの間隔(5分ほど)を置かなければならないようだ。めぐすりをつけるだけで10分以上の時間をかけることになる。さらに今は花粉症対策で三種類の薬を服用している。なんだか大病を患った人か、お年よりかのような気分だ。
竹橋の国立近代美術館へ。「わたしいまめまいしたわ」という回文のサブタイトルがついている「現代美術にみる自己と他者」という、東京国立近代美術館と京都国立近代美術館、国立国際美術館のコレクションを中心にした展覧会だ。靉光や岸田劉生、麻生三郎らの自画像から草間彌生、日高理恵子の絵画、牛腸茂雄の写真、キム・スージャのビデオ作品まで携帯は多岐に渡り、自己と他者の関係性を読み解くという企画だ。それぞれ興味深く鑑賞した。特にキム・スージャのニードル・ウーマンはロンドンやメキシコ・シティー、カイロなどの雑踏で立ち尽くす女性の後姿をずっと撮っている作品で、2000年ごろICCかどこかで初めて見たときの衝撃を思い出した。
常設展では所蔵品ガイドのボランティアの研修会が行われていた。高松次郎の影の作品の前で、他の大勢のボランティアの方たちの前でおじさんがかなり緊張して作品の説明をしていた。「ハイレッドセンターといって高松次郎と赤瀬川原平とあとだれだったっけかなーえぇっとー。」と緊張のあまり度忘れしてしまったのだろう。その狼狽ぶりは、ちょっと離れたところにいたわたしに「中西夏之」と小声で助けてあげようと思ってしまうほどだった。
常設展では国吉康雄の特集もあり、楽しませてもらった。
そこから二子玉川の高島屋で知人が参加しているグループ展を見てから帰宅した。
3/5
そろそろ目覚ましが鳴ってもいい頃なのになーと思って時計を見たら、目覚ましが鳴ったであろう時刻からほぼ二時間が経っていた。前の日に夜更かししていたわけでもないのに。眠りの波長の問題からか、数年に一回こういったことが起きる。
3/4
川田龍平氏と堤未果氏が結婚。ちょうど堤氏の著作を続けて読んでいたので、なるほどね、というところである。ところで堤氏の「ルポ 貧困大国アメリカ」には、かの国のすさまじいまでの格差の実体が露わにされている。貧困層は医療のため、学費のために軍隊に入り、遠い砂漠の地に駆り出されている。ひるがえってよもやこの国のフリーターやらワーキングプアもそういう目的のための予備軍として生み出されているのではないだろうな。が、堤氏いわく、かの国はこの国の5年先を行っているらしい。寒々しい気持ちになってくる。
その寒々しい、荒涼とした気分を紛らわせることなく、さらに味わい続けたいような思いが生じ、帰りに紀伊国屋新宿本店に立ち寄った。若松孝二の「実録・連合赤軍」が近々公開されることもあり、連合赤軍関連を読もうと思って書棚を探した。そうしたら、一番上の棚には小林よしのりがあり、その下に新左翼、連合赤軍関連、さらにその下の棚は右翼関連だった。この並びはなんだろう。
3/2
朝起きて、まずはくしゃみを連発。やはり花粉は確実に飛散しているようだ。目も痒くなり始めている。いよいよ免疫システムにより、「自己と他者の差異の認識」という哲学的な問いを引き受ける季節になったのだ。
新日曜美術館がアウトサイダーアートの特集をやっていた。10年ほど前に資生堂ギャラリーや世田谷美術館でも開催されて、見に行って圧倒された記憶がある。番組の中でアウトサイダーアートのことを、「正規の美術教育を受けず、成功しようとか認められようという意図もないまま、ただ自分の内から沸き起こるものによって突き動かされるようにして、自分のためだけに制作をしている」というように定義していた。
それってわたしのこと?いやいや「ぜーんぜん認められなくってもいいっすよー。」とは思ってはいない。ここらへんの「ただ自分の内から沸き起こるものによって突き動かされるようにして」は、そもそもどの作家も根本的には持っている「業」のようなものだとは思う。彼らはそれに対して非常に純粋であるということだろう。ただ、その違いはかなり大きなものなのかもしれない。
新日曜美術館の後は、実験的に小品を作成。BGMは大友良英を数枚。一段落してから散策へ。井の頭公園で池の周りの一周。まだまだ梅は満開ではない。全体的に遅れ気味なのかもしれない。手袋の中の指先がジーンと暖かくなってくる感覚がうれしい。もう少しで一周のところでコントラバスの深い音色が聞こえた。それに惹かれて立ち止まったのと、屋根のない小さな軽トラックが停車したのとがほぼ同時だった。お巡りさんに先導されて、作業員さんが林の中に入っていく。大きな黒い塊をゴミ袋の中に入れた。カラスの死骸だった。コントラバスの音色はまるでレクイエムのように響いていた。
夜は飯田橋ギンレイホールへフランソワ・オゾンの「エンジェル」を見に出かける。フランソワ・オゾンの名は「まぼろし」以前から知っていたのだが、なぜか見たことがなかった。そして「まぼろし」以降も見ていなかった。回りくどい言い方をしたが、この映画が初めてということだ。予告編は4本くらい見ているんだが・・・。
たぶんにフランソワ・オゾンを見るには「エンジェル」は最適な映画ではなかったかもしれない。だが、彼の持つ毒や愛を感じ取ることはできた。そしてシャーロット・ランプリングの冷たく鋭い視線を久しぶりに見ることができた。基本的に映画は映画館で見るのがポリシーだが、過去作はどうにかして見たいものだ。
3/1
午前中はアレルギー科に行き、また4週間分花粉症対策の薬の処方箋を出してもらい、薬局によって薬をもらう。昨年末から時々中休みをしつつ、薬を飲んでいるためか、今年は今のところ症状は軽めである。これから悪化していくのだろうか。
今日から「太宰治文学サロン」がオープン。太宰が通っていたという「伊勢元酒店」がマンションに建てかわり、太宰ゆかりの地ということで、一階をこの「太宰治文学サロン」としたらしい。さっそく入り口では40代後半と見られる男性二人が記念写真を撮っていた。中に入ると業界(というか「文壇」というか)関係者だったのかもしれないじいさまがなんか大きい声で話をしている。「なんだこれはテンヨーくんじゃないか。」と言って、「太宰治賞」選考委員の顔ぶれを紹介しているパネルの加藤典洋を指差している。「テンヨーくんも最近は大変だね。彼も凝りだすとなかなかだから。」う〜ん。よくわからないコメントだ。加藤典洋の逸話には興味ないし(加藤典洋自身に興味があるかといえば疑問だし)、うるさいからまた後で来ようと立ち去った。この「伊勢元酒店」はわたしが三鷹に越してきた当初はまだ存在していた。しばらくしたら店じまいをして取り壊されてしまった。その後しばらくして、その酒屋さんが太宰治ゆかりの店だと知った。店がまだあったときに知っていればそれなりの感慨を持って見られただろうに。でも太宰って高校生のときに2、3冊読んでそれっきりだなー。
それから銀座に出てギャラリー巡り。興味を持ったのは、INAXガレリエセラミカの田中知美さん、ASK? art space kimuraの朴令順さん、GALERIE SOLの松木恵次さんというところか。それから青山に出てワタリウムのショップでちょっと面白げな建築の写真集を発見。"LOST IN TRANSITION"という、周りの風景とまったく不調和な建築物が忽然と姿を現している風景が撮られている写真集と、SARAH MORRISの絵画のように高層ビルを見上げて撮っていたり、屋内の細部をアップで撮っていたりする写真集(「らっしゃい」のあんちゃんが他のお客さんに説明しているのの受け売りだと、日本の写真家らしい)などを鑑賞。それから原宿団地のスター型団地をちょっと見てから表参道へ。森英恵ビルのショーウィンドーの装飾デザインがまるでわたしの作品みたいだと思って(カットしたパターンは違うけどね)、写メールを撮ろうとしたらちょうど電池切れとなった。残念。また次回に。
 太宰治文学サロン本日オープン |
 原宿団地のスター型とシトロエン2CV(スズキさんちでは「ドーシーボー」と呼ぶ) |
2/29
帰りにまたCDをバカ買い。だって池田亮司の新譜が二枚も出てんだもん(うち一枚は2枚組みのサントラ)。さらにジム・オルークと坂田明のユニット。それから最近改めて気になっている大友良英の昔のCD。すまん。本とCDはおじちゃんの道楽だと思って見逃してくれ。
2/24
昨日、強風が吹き続ける中、洗濯物を取り込むことで頭がいっぱいになってすっかり寄るのを忘れてしまった千空間へ。岸本真之さんの作品は、洗面所にあるような歯ブラシやシャンプーのボトルなんかを一回転させてリング状になったものを石膏で作成したというユニークな作品。断面があればそれが何を一回転させたのかわかるだろうが、答えを教えてもらってようやく納得という感じ。それからハンズで材料を買い、紀伊国屋書店でダムや工場や戦争廃墟の写真集を楽しんでから高島屋経由で新宿駅へ。先月見たデコレーションが緑色のパネルを付け加えることで春バージョンに変身している。なるほどね。
次は浅草橋のマキイマサルファインアーツで開催中のグループ展へ。高橋由香、田畑義継、馬場晋作、柳ヨシカズの4人それぞれ興味ある作品であった。高橋由香、馬場晋作両氏は初めてだが、なかなか面白かった。で、せっかく浅草橋まで来たので、「ストーン」で焼きカレーを食べようと思ったら、閉まってました。残念!
焼きカレーをいただくために空けておいたスペースには、ギャラリーKINGYOに行く途中で寄った「芋甚」の田舎しるこを入れることとした。さて、ギャラリーKINGYOの泉啓司さんである。大変ユニークで面白い木彫であるが、非常に細部まで神経を行き届かせていて、彩色も繊細なものであった。しばらくギャラリーの扇谷さんや泉さん、泉さんのお友達で以前展覧会を拝見したこともある鄙里沙織さん、栗本浩二さんとお話をしているうちに、すっかり長居をしてしまった。帰りに大黒屋さんでしょうゆとゴマの煎餅を買って帰った。
2/23
ピーター・グリーナウェイの「レンブラントの夜警」へ。「枕草子」を見てどうしたものかと思い、その次の「81/2の女たち」はパスしてしまった。「レンブラントの夜警」は新聞の映画評などを読んでも、まあ見て損はないだろうと思い、行くことになった。なのでピーター・グリーナウェイの映画はほとんど10年ぶりくらいだろうか。
いわゆる「レンブラント・ライト」も随所に見られ、演劇的な演出方法も最後のオチがあったりする。総じてグリーナウェイ特有の、美しくスキャンダラスでエロチックで猥雑な要素は健在であった。音楽もなんとなく「マイケル・ナイマン風バロック音楽」っぽかったしな。
それからワンダーウォール本郷に行き、銀座へ向かった。
繁田直美さんの一年ぶりの個展。前回よりより一層、核になるものに確信を得られたような、そんな作品で、とても気持ちよく拝見させていただいた。が、お聞きするところによると、結構厳しいご意見をいただいたとか。それがどういう意味なのかをわたしも考えてしまった。でも作品を一番理解しているのは作家本人のはずだから、ときとしてまったく見当違いな意見を言う人もいるし、他人の意見はいいことだけを聞いておけばいいのだ。と、ずっと以前、先輩の作家さんに言われたこともある。自分の速度で自分で考える方向に進むしかないのだ。多少おこがましくもいくつか意見を言ってしまったが、それこそ見当違いでお恥ずかしいところである。小品で筆のタッチがはっきりとしていないものがあった。そちらの可能性が面白そうに思えた。
すっかり長居をしてしまい、外に出たら、強風で看板などが倒れたりしているではないか。洗濯物を干したままであることに気がつき、大急ぎで帰宅した。
それから西荻窪のライブハウスに行く。強風で電車が一時期動かなかったりしてダイヤが乱れていて、メンバーが時間通りに来れなかったりでライブの開始時間も遅れ気味で開始。最初の「海猫ソワレ」はわたしには「ユニークな歌詞のブルースを一人歌う」というイメージだった金色夜叉が、ドラムやバイオリンを中心としたバンドとともにミニマルで静謐な音を出していて、それがまたとてもよかったりする。それから「わがままな月」は久しぶりのライブ。最近ユニットを組んでいるというベースとで、相変わらず歌詞もメロディーも秀逸。三番目の「銀塩つばめ」はお初だったがなかなかの掘り出し物。ささやきボイスにいろいろな要素がかぶさってきて、そこが妙に面白かった。最後の迷宮怪は相変わらずの飄々としたオノテツさんとマヒマヒの妙な掛け合いのMCとちょっとロマン派系のメロディアスな音。それぞれ楽しませていただきました。帰り道は冷たい強風に小走りで帰宅。
2/20
ほとんど幼少の頃行った盲腸やら扁桃腺の切除という手術以来だろうか、口の中を切開して骨に穴を開けてそこに金属をねじ込むという手術を行った。口だけ穴の開いたシーツをかぶせられて目隠しをされているし、麻酔をしているし、どうやら出血してもすばやく吸引しているであろうために、舌が血の味を感知することもないので、実際のところは何をされているのかはっきりとはわからないが、まるでご近所から伝わってくるような感触により、だいたいのことが想像できる。手術自体は数十分で終わったが、その工程はなかなか終わりが見えない不安をずっと抱いたままの状態だった。が、麻酔を打ってから軽くうがいをしたときが、なぜか一番鼓動が早まっていた。
手術を行ったのは小作。羽村市だ。羽村市と言うとなぜかハ(ン)ムラビ法典という言葉が頭の中を駆け巡る。それはいいとして、手術をしたので、そのまま帰宅して養生すればいいものを、貧乏性であと半日あるからもったいないと思ってしまい、立川から南武線−京王線で府中市美術館へ行き、「府中千年−心のかたち」を鑑賞することとした。これは縄文土器から現代美術まで、「月火水木金土日」の要素で分けて展示するというもの。白髪一雄や今井俊満の絵画を火の要素に入れたりしてちょっと苦労してはいるが、大竹敦人のピンホールカメラの原理を応用して多摩川を撮影した球体の作品と魚を釣る道具である「ドウ」や釣竿が一緒のコーナーに展示してあったり、吉原治良の「黒字に赤い円」やオノサトトシノブの「一ツの円」が江戸時代の蓬莱図柄鏡とがペアで展示されていたりして結構面白い。また鎌倉時代制作の大国魂神社の狛犬
(重要文化財)もなかなかいい造形であった。ほらやっぱりすぐ帰宅しなくてよかったでしょ?
2/17
午後になってから三鷹駅の北側(武蔵野市)にある現代建築(社屋二つと個人住宅三つ)を見学。
その後西荻窪のギャラリーへ向かう。途中の古本屋で、今は絶版の三角寛「サンカの社会」(?)があった。わたしも20年位前に図書館で借りて読んだ本であり、挿入されているサンカ(とされる)人々の写真も記憶にあるものと同じだった。迷った。迷った挙句買わなかった。ま、三角寛のサンカ研究は捏造であるという評判が高いし。というように古書巡りをするために西荻に行ったわけではない。知人に教えてもらった民家を改造したというギャラリー&カフェに興味を持ったからだ。四角い池なんかもあり、なかなか造りは面白かった。展示中の銅版画の阿部真弓さんの作品は青が基調の、冬の青空のような清清しい作品だった。その帰り道、ブリキ星で古い器やら、陶芸作家のシンプルで美しい器を鑑賞して帰った。
スーパーに立ち寄る前、ギャラリー由芽で開催中の堀尾貞治展に再び立ち寄った。ギャラリーの窓ガラスにドローイングがあり、床にはパフォーマンスのような形で石に墨を塗りたくって転がしたような形跡のドローイングが。常に変化していく堀尾ワールドを垣間見たような感じだった。
 ギャラリー&カフェみずのそら |
 「堀尾貞治展中間報告」? |
2/16
朝起きてからもやはりまだ胃が痛い。
午後になり、川田祐子展へ再度足を運んだ。作品が二点増え、展示位置も変えられたらしい。全体的に前回拝見したときに比べて印象が変わったように思える。川田さんの作品は、鑑賞する際の作品からの距離と作品に対する視点の角度、作品同士の位置関係で、作品自体が違って見える。何度足を運んでも、その都度新鮮に見える。それだけ作品に諸相が含まれ、鑑賞する際にそれぞれ異なる層を見出すのかもしれない。一通り鑑賞して一周したときでも、最初の作品に戻ってきた視点には新しい色彩が加味された別の表情が立ち現れる。近づいたり遠く離れたり、角度をつけて見たりと変化する表情を楽しんだ。また長い時間を邪魔して、じっくりと鑑賞させていただいた。すでに豊穣な空間が創りだされていたのに、毛羽立った立体的な印象により、さらに一層豊かな世界が潜むようになった。微分して豊かな世界を切り開く方向性には、わたしも共感するところがある。さらにさらに進んでゆく川田さんの姿勢には学ぶところ大だ。
ギャラリーを出てから気がついた。胃痛がなくなっていたのだ。やはり美しいものを拝見すると胃痛は治ってしまったのか?(一応これがオチ)
その後、永原トミヒロ展へ。日中なのか夜なのか、夏なのか冬なのか判然とせず、光と影の明確なコントラストがなんの限定もしない。それでいてその風景の中に漂う気配を豊かに示している。個展のたびにその「気配」に引きずり込まれるように作品を鑑賞している。
やはりわたしは気配や漂うものが表現されている作品に惹かれるし、自身もそこを目指しているということだから。
2/15
すっきりした頭でもう一度数字合わせしたら、二重計上していたことに気がつき、昨日のもやもやは解決。が、追加業務で昨日より1時間早いだけの退社となった。そのとき、なんとなく胃のあたりに刺すような痛みを感じた。数字は合って気に止むことはないのに。もしかして夜遅くなってからのカレーがいけなかったのか(これは翌日のための前ふり)。
2/14
できれば12時間以上職場にいることだけは避けたいと思っているのだが、今日はお金の管理上、どうしても数字が合わなくて、頭を抱え込んでいるうちに12時間を過ぎてしまった。明日すっきりした頭でやり直そうと思って帰宅することにした。日頃夕食は納豆、冷奴という食生活を送っているのだが、今日は納豆を切らしている。ちょっと寄り道して納豆を買うのが面倒くさくなり、ジンクス破りとしては激しく破りたいと思い、コンビニでレトルトのカレーを買って食べた(これは翌日のための前ふり)。
2/13
仕事で東京ビッグサイトに行った。そこではたと気がついた。LAで感じたヒューマンスケールを無視した巨大な建造物が構成する空虚な風景を日本で探すとすれば、ここお台場ではないか、と。どちらも人工的な街づくりをして、基本的に「生活感」というものはない。が、オルデンバーグの巨大オブジェはこういった空虚な場所に似合う。
2/11
府中市美術館に行こうかどうか迷った末、東京都写真美術館の土田ヒロミ展へ。
「俗神」シリーズで見られる、当地の案外おおらかな人々や、「砂を数える」シリーズの群集をなす人々の気味悪さや滑稽さ。「ヒロシマ三部作」の原爆遺跡や原爆資料の写真、「原爆の子」のその後のポートレートなど、「続・俗神」の「日本のまつりを記号化」したという、地域地域の祭祀から見た日本文化の多様性など、大変興味深い写真ばかりであった。
一方、同時開催の「文学の触覚」は文学作家とメディアアーティストのコラボレーションとなっているのだが、川上弘美、松浦寿輝、平野啓一郎、舞城王三郎とか森村泰昌といったそうそうたる面々であるのに、作品としてはなんだか表面的過ぎる感じもあり、「ふ〜ん、それで?」というところどまりに感じた。メディアアートは仕掛けを想像・理解してそこで満足してしまうときがある。そこを越えて惹きつけられるものがないと、メディアアートをすんなり見ることはできない。今回はわたしだったらここをこういうような表現にする、とか、さらにここに付け加えるとか思いながら鑑賞することになった。その後は恵比寿には用がないのですぐに帰った(一応恵比寿ガーデンプレイスを見上げたが)。

今日は久しぶりに太宰ゆかりの陸橋(三鷹電車庫跨線橋)に行った。夕焼けに富士山がシルエットで見えた。
2/10
朝にはもう雪も止んでいた。掃除などしてから、また井の頭公園に見回りに行った。
道路の雪はあらかた融けていた。公園も土が見えていたし、朝早くに作ったのか、雪だるまもあったが、土色がまだらについていた。池の周りもいつもの休日の公園でしかなく、期待したほどの面白そうなものは見られなかった。帰りの玉川上水沿いの道を歩いていたら、山本有三記念館の前のスペースで「三鷹市民駅伝 第2中継所」を発見。そういえば朝遠く市役所の方から「三鷹市民駅伝は雪のため中止いたします。」という放送が聞こえてきた。中止を決定してから、いろいろなところへの対応で、片づけまで手が回らなかったのだろうか。
 子供嫌いで犬好きな人には挑発的な看板 |
 まったく人の気配のない中継所 |
ギャラリー由芽で昨日から開催した、堀尾貞治展に立ち寄った。堀尾さんはいらっしゃらなかったが、色画用紙やはさみ、糊が置いてあり、制作中であったことが伺える。ギャラリーの床の低い位置に紐が張ってあって何度も足をとられる。今日見た会場内はデフォルト値であろいうことで、これから会期中にどれだけ変わっていくのだろう。会期中何度か足を運んでみたい。
2/9
年明け早々の「深川いっぷく」でのだるま展で試みた、表面に網目状に這わせた回路をもう少し展開してみようと、モデリングペーストのレギュラーとライト、それからパテを使って、テストをしてみた。乾燥までにかかる時間や扱いやすさ、乾燥時のヤセなどを試してみたのだ。結果はどうやら一番しっくり来るのはパテかなと思った。
それから厚さ3mmのビニールシートを網目状にカットして、設置が問題なくできるか、照明でどのくらい表情が変わるかを試そうとカットを始めた。3mm厚のビニールシートはカットするのがなかなか大変だ。
そんな感じで今日は一日終了。
夜になって雪が降り始めた。明日どうなっているか楽しみ。
2/3
未明から雪が降るという天気予報だった。朝起きてカーテンを開けると、予報どおり積もっているしまだまだ降る雪の勢いは止まらなさそうだ。二年ぶりの大雪とのこと。これはのんびりしていられない。朝食の菓子パン二つとチョコ数個を紅茶で流し込み、さっそく井の頭公園に見回りに行った。
少なからぬ雪が降っているのだが、他にも見回りの人もいる。早々に小さな雪だるまが置かれている。広い公園では家族ぐるみで作っている人々もいるし、雪だるまを撮っている人もいた。
 雪だるまを撮る人々 |
 雪だるま制作家族 |
 広場はすっかり雪だるま制作&展示会場に |
 見回りの人々 |
 噴水の水が外気より温かいために湯気が出た? |
 東京とは思えない雪景色です |
 休憩中の渡り鳥? |
 イヌは伝承どおり喜び庭駆け回っていた |
池の周りを一周して、玉川上水沿いに三鷹に戻った。いつもとは違う足の出し方をするためか、ちょっと疲れた。
午後はテストサンプル制作。
2/2
スギ花粉が去年の2倍から3倍の量が飛散するらしい。今週くしゃみをしたり鼻をかんだ回数が以前より増えたという実感がある。受診をキャンセルしたままになっていたアレルギー科の医者に通い始めることにした。前回と同じ薬を一ヶ月分処方してもらった。
午後になって川田祐子展へ。その前に銀座のシャネル・ビル内のホールで開催されている松井守男展へ行った。こんなことでもない限りあそこに入り込むことはないだろう。エレベーターのボタンや階の表示など、細部にわたってデザインにこだわりがあり、そこらへんが興味を引いた。階段の床も黒い石を使っており、それがこまめに掃除されている。掃除をする人も黒い服を着ている。シャネルというブランドに対するあ、そうでした。松井守男でした。まあまあでした。
と、いうことで川田祐子さんである。ギャラリーに行ったら、すでに4〜5人の方たちがいらっしゃる。やはりファンは多いのだろう。作品は去年の夏に新作で拝見した作品の延長上にあり、作品自体が布の表面のような毛羽立った立体的な印象を与える。川田さんのお話では、どうやらスクラッチとハッチングの線の位置や色彩の関係などで、そういった印象を与えるケースがあり、すべてがそうなるとは限らないとのことであった。微細に入り込んでいく方向と、広がっていく方向とが共存していてすっかり見入ってしまう。川田さんが作品の位置を変えてみると、ギャラリー内の照明の具合で作品の表情がガラリと変わってしまい、元の位置では明らかになっていなかった色が、新たに見えてきたりした。スクラッチした深さとハッチングして加えられた厚みの、ほんの僅かな堆積の中に、豊かな色彩の世界が潜んでいる。その色彩が照明の具合や鑑賞者の位置によってたち現れてくる。その色彩との出会いがどこまでも続く気がして、なかなか立ち去れない。深く豊かな気持ちになれた。スケジュールの関係上、これからまだ三作が展示される予定とのこと。もう一度伺うことにして失礼した。
携帯を持って、写メールで画像を切り取る行為は、やはり採取という行為に近い。きっとスケッチブックと同じようなものなのだろう。ただ、わたしの場合は銀座を歩いていても、工事現場に目が行く。たとえば・・・。
また、手ぶれや明度により、こんな画像も得られる。
1/27
テスト版制作を開始。
午後にギャラリーKINGYOへ。島田忠幸さんの作品はストーリーがあるようでないような作品で面白かった。
扇谷さん、大野さんを交えて去年のLAでやサンフランシスコでわたしが撮った写真の鑑賞会。今となっては懐かしい。すっかり長居をしてしまった。
1/26
午後になって吉祥寺美術館の土門拳へ。後期には別作品が展示されているし、入場料は100円なので。「女優と文化財」シリーズと傑作選のいくつか。「女優と文化財」シリーズは婦人公論の表紙を飾ったもので、たとえば広隆寺弥勒菩薩の横に岡田茉莉子がいたり、竜安寺の石庭をバックに三田佳子が座っていたりという写真で、60年代半ばの作品だ。こどもたち傑作選は50年代半ば、その他傑作選は戦前の沖縄や浄瑠璃の人形の写真がある。こどもたちは笑い声が聞こえてきそうだ。沖縄の女性や浄瑠璃の人形の顔は、とても70年近く前の写真とは思えないほど、照明の当て方が現代的だ。大変興味深かった。
しかしおじさん三人組がいっぱいひっかけた後なのか、まあうるさいうるさい。写真仲間なのか、アングルや照明などいろいろと批評する。イサム・ノグチを「こりゃ岸恵子の元だんなだろ?」と言う。いやいや山口淑子でしょう?あんまり声がでかいので、気が散ってしまいました。
1/23
東京都心で2年ぶりの積雪。備忘録として書いておきます。
1/21
ハンズで材料を買いたいと思い、高島屋を素通りしようとしたら、ショー・ウィンドーに面白いもの発見。似ている。きっとわたしの作品をインダストリアルデザイン的にアレンジしたらこんな感じになるのかもなと思った。店の中にも同じパターンでの展示があった。どういう意図で板に穴を開けたのか。穴の大きさと板の残りの部分の面積の比率はどうしてこうなったのか。そんなあたりに興味がある。
喜んで携帯で写真を撮ったはいいものの、そういえば板の方に気をとられていて、なんの商品の宣伝なのか、全然記憶がない。まあだいたい銀座でも表参道でも店の中を見ていても商品よりもむしろその引き立て役のようなデコレーションの方に目が行くのだから。
ハンズでは厚さ3mmのビニールシート1mを購入。いろいろと考えをめぐらせているうちに、興味あるアイデアが浮かんだ。多分ひとつの完成型になりうるような。思ったよりビニールシートって厚くなると重い。
1/20
午後になってオリジナル燐寸ラベル&マッチ箱アート展 へ。搬入以来、きっちりと展示されてから初めて行くことになった。やはり参加された方はデザイナーやイラストレーターが多く、特にインダストル・デザインのようにきっちりとデザインして仕上げていて見ごたえがある。今日は友人を連れて行ったのだが、どうしてわたしがマッチ箱制作で細かいところまで気を使って自分なりにきっちり仕上げようとしていたのか、理解してもらえたと思う。雑な仕上げではとても恥ずかしくて同じ場所に展示できないではないか。しかもいい値段で出しているわけだし。
ところでわたしのマッチ箱は白5つ、黒5つ出展していたのだが、そのうちの黒がひとつなくなっていた。つまりご購入いただいたってことか?並み居るきっちりと仕上げたマッチ箱の中からわたしの作品を選んだ方がいらっしゃるのだ。大変光栄である。
寒いので建築物見学ツアー表参道編はキャンセルし、そのまま帰宅しました。
1/19
埼玉県立近代美術館の「ニュー・ヴィジョン・サイタマV」というグループ展へ。出展している志水児王さんから招待券をいただいているのだ。埼玉県立近代美術館のある常盤公園の池は薄く氷がはっていた。古川勝紀、岡村桂三郎、宮本純夫といったあたりの作家は、オーソドックスに絵画を見る楽しさを味わった。志水児王さんは蒸留用フラスコにレーザーを当て、そレによる光の反射・拡散を用いた作品で、フラスコの形状により、驚くほど豊かな光の反射・拡散の移ろいを見ることができた。織咲誠さんの作品は、本来デザイン性にも優れつつメッセージ性が強い作品なのだが、そのデザインとして穴を開ける行為を行っている。それはエコロジー的にマイナスの思考をするあたりを狙っているようだ。また、宮本純夫さんの染色と漂白を組み合わせる作品に寄せるご本人の言葉として、「漂白はひいていくのではなくて、時間という新たな色をたしていくのだ」というフレーズがあった。こういった言葉もわたしにひっかかるものがあった。その他作品もいろいろと楽しめるものもあった。ひとつ、面白い発見をした。志水児王さんの作品で、サウンドアートと言えるものであるが、美術館の外の音を拾い、10秒、0.5秒、0.1秒、0.01秒に細切れにして、音と無音を繰り返す作品があった。わたしがよく聞く音楽で慣れ親しんでいるのは、0.1秒、0.01秒あたりのパルスであることが判明。その他、有意義な展覧会だった、招待券をお送りいただいた志水児王さん、ありがとうございます。
常設展で面白い企画があった。名画を学からはずしてみるとどう見えるかというものだった。確かに戦前の名画はかなりごつい額に収まっていて、その彫刻と言ってもいいくらいのこってりな額が絵画の印象の一部となっている感がある。ルノアールが額装なしで展示されていた。なんと額がルノアールの筆のタッチを隠していたとでもいうような、そんな印象を持ってしまった。新鮮な驚きであった。
北浦和から延々有楽町まで電車に乗り、京橋・銀座のギャラリー巡りをした。
Oギャラリーの長尾圭さんはほぼ二年ぶり近くの東京での展覧会。前回はいろいろとお話をさせていただき、空間というか気配というか、そういったものを作品化することについての共通意識などを感じたので、今回もとても楽しみにしていた。ギャラリーに着いたら、中に結構な人がいて、少しびっくりした。長尾さんから「すぐにはお帰りにはならないですよね。まだいらっしゃいますよね。ちょっと待っていただけますか?」と言われた。もしかしてイグチトシオだとわかったのか?それとも他の誰かと勘違いしているのか?ほぼ2年前にたった一回お話をしただけで顔を憶えていただけたのか?わたしの顔って「一回見たら忘れられない片桐仁と何度見ても憶えられない小林賢太郎(ラーメンズ)」の中間だと思うのだが。どうやら混んでいたのはギャラリー巡りのグループがいたらしく、そのご一行がお帰りになって、ようやく長尾さんとお話しすることができた。やはり余白で時間とか気配を表現するというあたりの話をした。しばらくお話をしていて、ふと目をやった作品のモチーフが明らかになり、すっと入ってきたりして、長く見ていることで線と線の関係性から余白の奥行きが見えてくる味わい深い作品だと感じた。長尾さんの言葉で「引くことが削ることを意味せず、加えるという方向にある」というようなフレーズが印象に残った。
その後かねこ・あーとギャラリーの桑原盛行さんへ。ちょうど来場者に対して制作方法とか意図などをご説明されていて、それを一緒に聞いた。新しい方向性をつかんだという作品はやはりとても強くしかも静かなたたずまいをしていた。それからいろいろとギャラリー巡りをして、ついでに建築物見学ツアーもした。以前、シネパトスの向こう側にひねったような形のビルが建築中であったのを見つけたのだが、それがかなり進行中(まだ作業中)。中央通りの板茂の「ニコラス・G・ハイエックセンター」、中村拓志の「Lanvin Boutique Ginza」などを見てから有楽町交通会館で秋田県人も結構お茶目なのを発見。
 あー、ただの飛行機雲です |
 ねじれたビル |
 板茂の「ニコラス・G・ハイエックセンター」 |
 中村拓志の「Lanvin Boutique Ginza」 |
 秋田県人も案外お茶目 |
今日は偶然なのかはたまた何かの啓示なのか、「引くことが加えることになる」というような言葉に繰り返し出会った。最近新しい素材を試してみようという気持ちになっていたが、それが最終的にどのような形になっていくのか皆目見当がつかなかった。それはそれでその素材と戯れてその素材の持ち味を確かめていけばいいだろう。が、今まで取り組んできた素材やら手法は、まだまだ到達点にまでは達していないだろう。つまり、今までの手法でもまだまだ引ける部分はあるのではないか。微分でどんどん値が小さくなっていてもまだまだ0(ゼロ)に到達するまでにはだいぶあまりがあるのではないか。そんなことを考えるうちにやり残したテーマや、深川いっぷくに出展しただるまで取り組んだ手法など、むしろそっちの方に気がかりなところがあるんではないかと思い始めた。新素材はプラスにしていく方向にあり、今まで取り組んできたマイナスにしていく方向からすると、大きなパラダイム・チェンジ(なんていう大掛かりなものではないが)が起こることになる。そんなあたりにずっと引っかかりを感じていた。今日いくつかの作品を見て、長尾さんなどとお話をして、その引っ掛かりとは、今はそういう変化をする必然性が感じられないでいるのだということだとわかった。そんなところがなんだかすっきりと整理できた気がした。みなさんに感謝だ。
久しぶりに美術館やらギャラリーやらをたくさん回り、とても有意義な一日だった。
1/18
朝の駅のホームで駅員さんに怒鳴り散らすサラリーマンの男性がいた。どうやら駅員さんのアナウンスが気に入らなかったらしい。「当駅で駆け込み乗車をしたお客様がいらして、そのために電車の安全確認を行い、その影響で電車のダイヤが乱れました。」というくだりが頭にきたらしい。わたしは「ああ、それはあるだろうな。」くらいにしか思わなかったのに。
その電車に乗らないと(3分後発電車では)遅れると思う人がいて、それにより5分程度ダイヤが乱れることを障害と思わせる社会があって。そろそろそんなことから降りないといけないんではないだろうか。朝からそんなんじゃ一日中不愉快な日になっちゃうぜ。っていうか、みんな自分自身そんなにきっちりしてないじゃん。
1/17
終業後、大急ぎで東京都写真美術館ホールの「マグナム・フォト 世界を変える写真家たち」へ。上映前の時間つぶしにショップに行ったら、ヴォルフガンク・ティルマンスのカードを見つけて何枚か買った。
映画のほうは、写真は世界を変えられるか、長く続く組織の変化・進化。などなど、写真というジャンルに留まらない、普遍的なテーマが見られて面白かった。
1/14
吉祥寺ユザワヤで、少し試してみたい材料を購入する。しばらくはこれでいろいろと実験をしてみることになるだろう。
その後、現代建築見学ツアーに高円寺に出かけた。個人住宅の「FLAMINGO」、「杉並第四小学校」と見学した。それぞれ斬新で面白かった。小学校から南口にあるギャラリー45-8に向かった。
 個人住宅「FLAMINGO」 |
 FLAMINGOの前にある給水塔 |
 杉並第四小学校 |
すっかり勘違いして中央線の北側にある杉並第四小学校からそのまま西に向かえば高円寺PALがあるなどど信じ込み、どんどん歩いていったのだが、まったくそれらしきものに突き当たらなかった。が、それは別として、高円寺にいくつもある商店街を散策できて、それはそれでとても楽しかった。高円寺って結構住みやすそうじゃん。そうこうするうちに行けども行けども住宅街ばかりで、もしかしたら阿佐ヶ谷に近づいているんじゃなくて?と思い、中央線沿いにUターンしてまた歩いたら高架線下の商店街に出くわして、そこからようやくPALにたどり着いた。
ギャラリー45-8では昔の高円寺の写真展を開催している。昨年10月に伺ったときにその企画についていろいろとお話をお聞きしていたので、とても楽しみにしていたのだ。区役所から借りたという大正時代の写真から、写真展を開いていた早川さんという方が撮った昭和30年代の高円寺の街並み、商店街の重鎮で高円寺阿波踊りを初回から企画運営されていたという森田さんの阿波踊りの写真など、とてもとても見ごたえのある写真展だった。早川さんの写真には昭和30年代前期の街並みや商店街が見られ、看板や人々の服装など、風俗史としても大変貴重な資料となるものだ。当時を知る人々との対話など、とても楽しいお話をお聞かせいただいた。佐野さんありがとうございました。
それから地下鉄を乗り継いで深川へ。深川いっぷくのだるま展が今日で終了し、だるまの撤去に行ったのだ。が、わたしのだるまがない。なんと田畑義継さんがご購入になったのだとか。光栄であるとともに恐縮でもある。
1/13
朝起きて甘い炭酸飲料を飲んでのどの渇きを癒し、菓子パンを紅茶とともに食べる。それを3回繰り返して、ようやくそれが夢だと気がついた。どうしたものがぐっすりと寝てしまい、ほとんどお昼近くになって、4度目の炭酸飲料と菓子パンと紅茶を現実世界で味わった。
その後、去年のグループ展のカードの発送作業を行い、夕方になってから吉祥寺美術館の土門拳写真展を見に行く。「古寺巡礼」や「筑豊の子どもたち」という有名なシリーズや「こどもたち」傑作選で「紙芝居」とか「近藤勇と鞍馬天狗」といったよく知られている写真もあったが、とても見ごたえがあり、楽しめた。また、吉祥寺美術館にある浜口陽三記念室には、作品以外に原版の銅板も展示されており、大変興味深かった。
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岩波ホールの「サラエボの花」へ行く。
ボスニア内戦の深い傷痕を背負った女性と、その傷の結果生まれた娘。当時の戦闘シーンなど一切出てこないが、それがどれだけむごくおぞましいものだったのかがわかる。自分に残る父親の面影が髪の毛の色だと言われて、はにかむように髪の毛を指に絡ませていた娘は、シャヒード(殉教者)だと信じていた自分の父親が、母親を強姦したチェトニック(セルビア人民族主義者)であったことを知り、丸刈りにしてしまう。その行為は母への反抗とか紛争への抗議とかではないだろう(そんなことがプログラムに書かれていたが)。それは傷痕を自身に引き受けることの意思表示ではないかと思うのだ。
修学旅行のバスから見送りに来た母親に、表情が硬いまま手を振る娘と、それに安堵するように微笑む母。そこには思いをひとつにした二人の人間のつながりがあるのだろう。
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帰りにギャラリー・オーパにマッチ箱の納品に立ち寄る。
総勢100人の色も形状もそれぞれ鮮やかなマッチ箱の数々。わたしの作品は白と黒の箱である。なんとも地味である。まあそんなところでしょう。
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マッチ箱を納品するために、作品の汚れを取ったり、写真撮影や資料作りをして夕方になった。それから吉祥寺のユザワヤにミシンを見に行った。もしかしたら今後はミシンを使った作品作りになるかもしれないので、ちょっと偵察がてらということで。
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東京都現代美術館のSPACE FOR YOUR FUTURE展へ。長谷川祐子が東京都現代美術館の学芸員に招かれて初めて企画した展覧会だし、昨年末にNHKの「プロフェッショナル」という番組で長谷川祐子とこの展覧会のことが紹介されていたので混むことが予想され、とにかく午前中には会場に入ろうとしたのだった。それなりの人の入りだったが、混んでいて、体験型作品に順番ができて体験できないということもなく、いろいろと楽しめた。六本木クロッシングの半券で安くなるのに気がついたのは、隣の窓口で入場券を買っている人の言葉が聞こえたからだが、もちろんそれを憶えていたらもって来ていたさあ。
オラファー・エリアソン、カールステン・ニコライ、エルンスト・ネトといったよく知る作家から、数人の建築家まで、SPACE FOR YOUR FUTUREというタイトルを気にする必要もなく、十分に楽しめた。カールステン・ニコライの暗闇の中で、部屋の中を歩き回ってから壁に寄りかかるようにして立っていたわたしの顔を覗き込んだ人がいた。わたしが少し顔を動かしたら、その人は「すみません」と言った。わたしのことを装置だと思ったのか?もし装置だとしたらちょっと中途半端な作りをしていると思わなかったのだろうか。ほかに100ERIKASといって、沢尻エリカがCGを使わずにメークだけで性や種、老いを超越して、半分動物のだったり、ゲリラだったり、ガングロだったりになりきっている。その中にしっかりと皺メークをした老女があった。ヒロインの老いた年齢を演じたとしても、簡単なもの以外の老けメークを受け付けない女優の多い中、沢尻エリカはしっかりと老女になりきった。それだけでもわたしは沢尻エリカを許す(って別にエリカ様、わたしに許されても)。ところでわたしは今までずっと沢尻エリカのことを沼尻エリカだと思っていた(ってことでエリカ様を許す以前の問題だった)。常設展を見終えたら、入場してから3時間以上経っていたのに気がついた。発券窓口には列ができていた。やっぱり早めに来ておいてよかった。
深川いっぷくでは「深川100人100色だるま展」を開催中である。結構な人入りだった。だるまも人それぞれ。確かに100色である。やっぱり自分の作品は恥ずかしい。調剤室ギャラリーでは「おふだの文化史展」開催中で、こちらもかなり興味ある展示だった。
 「深川いっぷく」はだるま展で大賑わい |
それから清澄庭園に立ち寄り、巨大鯉の再確認を行った。もしかしたら年末年始の休み中に庭園が閉まっていて来場者からもらっていた焼き麩が食べられなくて、少し脂肪を消費したのか、最初に見て気分が悪くなったときの記憶よりは少しシェイプアップしたように見える。が、それでも池を泳ぐカモの大きさからすれば、まだまだでかすぎる。池のほとりに行くと、えさをくれる人間がやってきたと思いこんで、巨大鯉はいくつも押し寄せてきて、大きな口をパクパクと開いてみせる。やっぱでかくて気持ち悪かった。で、池の周りを一周して帰りました。
 清澄庭園の巨大鯉たち。えさをくれると思って近づいてきます |
 口をあけてえさを待ちます |
 カモとの比較でその大きさがお分かりでは |
 えさの焼き麩を投げると池は大騒ぎに |
夜は昨日のお蕎麦のリベンジということで、西荻のお蕎麦屋さんで天せいろをいただいた。これが蕎麦ですと納得のいくおいしいお蕎麦だった。
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仕事始め。といってとても静かに一日が終わった。社食がお休みなので、お昼休みは郵便局に切手を買いに行った帰りに某お蕎麦チェーン店に入って食べることとした。最近は味わうこともなくなった「蕎麦の色をしたうどん」と言いたくなるような、小麦粉の味の蕎麦だった。新年早々これかよ!
仕事帰りに本屋に寄ったが、お目当ての本が見つからず、えらく時間がかかってしまった。笙野頼子の「だいにっほん、ろんちくおげれつ記」を見つけたが発行日が2007年10月。去年の10月に笙野の本を買った憶えも読んだ憶えもない。まさか出版されたのにわたしが気がつかなかったわけがなく、もしかしたら買ったのを忘れているのかもしれない。なにぶん笙野頼子である。間違えて二冊買ったから誰かに渡すには、ちょっとカラーが強すぎる。そんなわけで買わずに帰って、本棚を確認した。購入していませんでした。それでは別途買わせていただきます。
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マッチ箱制作で一日つぶれてしまった。一歩も外に出ていなかった。
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マッチ箱制作で失敗が重なり、材料が足りなくなってしまった。そこで夕方近く、新宿の世界堂と東急ハンズに出かけることにした。今日が初売りで、まあ人の多いこと。ひとつのデパートで福袋を買い、さらに別のデパートに向かっていく人たちをどうにか避けながら、二店で買い物をした。
夜はテレビで「爆笑問題のニッポンの教養スペシャル」と「知るを楽しむ・こだわり人物伝スペシャル」が時間帯が重なり、どちらも録画しておきたかったが、「知るを楽しむ・こだわり人物伝スペシャル」を録っておき、「爆笑問題のニッポンの教養スペシャル」は見て楽しむこととした。
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元旦は1日なので、映画の日でもあるのだ。しかもほとんどの店は元旦は閉まっており、繁華街でもそれほどの人通りはない。もし2日にでも外出しようものなら、それぞれのデパートの初売りセールに巻き込まれて大変なことになってしまう。そんなわけで1日には映画を見るべきなのだ。と、いうことで、マッチ箱の制作が一段落してからイメージフォーラムに「いのちの食べかた」を見に出かけた。
この映画はオーストリアの監督が撮ったドキュメンタリーで、牛、豚、鶏、魚、野菜、果物がどのように生産されて加工されていく過程を見せてくれる。ヨーロッパ内で撮ったのだろうが、その現場はまさに食品生産工場であり、いかに均質にシステマチックに処理するかに細心の注意を払って作り上げられたプロセスを見ることができる。その意図は「グローバル化時代の食品生産の現状を描くこと」であり、問題告発のような手法をとらず、「自分の映像はアーカイブだと思っている」という監督の言葉どおり、むしろ教材に近い映像で、ときどき意図的にか映像がシンメトリーであり、美しくもある。
それぞれのシーンでの細部のシーンに感じた疑問はカタログに解説が載っている。わたしたちの「日々の糧(原題:Our Daily Bread)」がどのようにもたらされるのかを認識できるいい映画だと思った。
渋谷もあまり人が歩いていなくて、スクランブル交差点も気持ちよく渡れた。