イグチトシオがふと考えたこと、感じたことを書き留めておきます。念のために再度申し上げますが、見せたくない部分は書かず、こういう所を見てほしい、こう見られたいというところを書いています。
当然真実のみが書かれているわけではありません。

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2008年月4月1日〜6月30日



6/30
 Bunkamura ザ・ミュージアムの「青春のロシア・アヴァンギャルド」へ。「シャガールからマレービッチまで」というサブタイトルどおりの構成だったが、帝政ロシアから革命を経て社会主義国へ変遷する社会の中で、芸術自体もかなり先鋭化していたことがわかる。当時の、どちらかといえば文化的に辺境の地で、いかにすっとんだ表現がなされていたか、大変興味ある展覧会だった。わたしの目的はマレービッチであった。
 マレービッチは自己の表現を形態や色彩による表現まで抽象化していったのだが、スターリン時代の社会主義リアリズムにおいて、前衛主義は弾圧され、最後は一介の測量師として写実的な具象絵画でなければ筆を執ることは許されなかったという晩年は、なんとも悲劇であった。その晩年の具象の自画像の険しい表情は何を表したかったのだろう。
 マレービッチのカードを買って帰った。

6/28
 元上司からいただいたワイルドストロベリーの観察日誌。
 花が散って実がなって。

初めて実がなった。赤くなったところでいただいたら、味は酸っぱめのイチゴでした

またまた実がなり始めました


またまた赤くなり始めました

すっかり赤くなり始めました

 マルジャン・サトラビの「ペルセポリス」読了。映画は見なかったけど。

6/27
 国立新美術館のエミール・ウングワレー展に行く。これが彼女のたった8年間における画業かと思えるほどボリュームがあり、半分まで見たところですっかり体力がなくなってしまい、後半はいすに座って休み休み鑑賞した。ジャクソン・ポロックや草間彌生が精神を蝕まれながらたどり着いた地点まで、彼女はアボリジニの「ドリーミング」を描くということで簡単に到達してしまう。西洋近代主義とはどれほどのものかと疑ってしまうほどのものだった。完全にやられてしまった。もう少し精神的に余裕のあるところで見るべきだったかもしれない。


6/25
 芸大美術館のバウハウス展に行った。やはり惹かれるのは色彩論、デザイン論のあたりだろう。校長室を再現しているブースがあったが、何種類ものグレーとオレンジや黄色を使った色調はなんともすばらしいものだった。芸大コレクション展で高橋由一の「鮭」が見れた。


6/20
 森美術館に行った。
 ターナー賞受賞作品はさすがに力があった。うわさのダミアン・ハーストの牛の断面図もスキャンダラス性も含めて面白かった。本当の大人の国家というものは、やはり「文化」に理解のある政策を打ち出せるかどうか(内に対しても外に対しても)の違いだろう。

6/18
 出勤したところ、体調がかなり悪いことに気がつき、一時間後に早退。

6/15
 朝から制作。夜は映画鑑賞。「非現実の王国で ヘンリー・ダーガーの謎」。なかなか人気があるらしく、ほぼ満席。プログラムは品切れだし。ヘンリー・ダーガーの生涯はいくつかの展覧会で知っていたので、そのおさらいのようではあったが、隣人たちとささやかながらもつながりがあったのだと思えば、少しは救われるような気がする。が、やはりそれでも彼の心の奥底にある「非現実の王国」は、少年時代の不当な扱いへの裏返しの理想郷であり、想像の世界で戦い続けることによってかろうじて現実世界に踏みとどまっていられたのだろう(以前にも書いたことを再掲してます)。
 制作が計画通りに進まない週末だった。

6/14
 午後になってギャラリー巡りに出発。今日は今までにないルートとなった。
 山手線大塚駅で都電荒川線に乗り換え。本当は荒川遊園地前駅で降りるはずが、荒川車庫前止まりに乗ったため、そこからギャラリーまで余分に歩いた。本来であれば高崎線・宇都宮線の尾久駅で降りればいいのだが、DMの地図に都電荒川線が書いてあったので、いい機会だからと、都電に乗ったのだ。尾久は町工場がいたるところにあり、昼下がりのけだるい時間に「キィ〜ン」という町工場特有の音がしたり、ちょっと油っぽいにおいがした。
 ギャラリー北井で開催中のグループ展には渡辺おさむさんが参加されていて、公募で入選されたようだ。モデリングペーストで作ったクリームとイチゴが石庭や寺院の庭園のように配置されて面白かった。

都電を荒川車庫前で降りる

都電おもいで広場にて

尾久は町工場のキィ〜ンという音がして、リヤカーがオブジェのように置いてあった

 ふたたび都電荒川線に乗り、今度は三ノ輪へ。非常に混んでいる。次から乗り込んでくる乗客のために、みんな車両の後ろの方へ移動する。なんだかご近所づきあいに似ている。下町ながらの感じがする。三ノ輪から日比谷線で茅場町へ。ベイスギャラリーの伊庭靖子展。陶器やクッションの触感まで描きこんでいる。表面の持つ冷ややかさ、滑らかさ、やわらかさなどまでも感じられる。次はタグチファインアートのイングリット・ヴェーバーと森岡書店の細江英公。
 そこから隅田川に出て、隅田川沿いに歩き、清洲橋を渡る。ここらあたりではもう地図上の位置はわかっても、身体感覚的な位置関係が不鮮明になる。
 SHUGOARTSの戸谷成雄。「ミニマルバロック」と題された展覧会。バロック的な表現の快楽主義と倫理性を持ったミニマリズム。その緊張感のある関係性は見事であった。ここでF画廊にお勤めのKさんに会う。1年半ぶりくらいだ。ご挨拶をしたら、今は別のギャラリーにお勤めらしい。わたしを憶えていていただいて大変光栄であった。
 お隣のタカ・イシイ・ギャラリーでは荒木経惟展。特に今回のような写真はあまり興味ありません。着物着せて緊縛して胸をはだけたり股を広げたらエロスか?それはちと単純すぎる(そういうふうにとらえるわたしの方が単純か?)。が、プリントした写真の女性の局部を削ったような跡がいくつかの作品で見られた。その暴力はいったい誰が振るったのか?国家か?ギャラリーサイドか?荒木本人か?どちらにしても許せん。
 それから深川いっぷくで川島葉子展へ。過去作の再展示らしい。次に両国のアートトレイスギャラリーヘ。グループ展に参加しておきながら、ようやく会場に行けた。みんなそれぞれ個性があり、面白かった。そこから帰宅。やはり半日仕事だった。なんだか疲れてしまって、制作するのに集中できなくなってしまった。
 朝、岩手宮城で地震があったことは知っていた。が、帰宅してニュースを見て、その規模が想像以上であることがわかった。 
 夜はまた「ちりとてちん」のDVD鑑賞。結局二週分3時間見てしまった。いよいよ徒然亭草若の弟子が再集合、というところ。

6/8
 今日も朝から制作。
 ケント紙が足りなくなりそうだったので、お昼前に新宿世界堂に買い物に。帰ってきて三鷹駅の垂れ幕にある三鷹市美術ギャラリーで開催中の「幕末浮世絵展」が今日でおしまいなのに気がつく。
 午後、制作が一段落したところで、「幕末浮世絵展」へ。やはり着物や風景が意匠的に素晴らしいと思った。
 夜は歩いて5分くらいのところにあるお蕎麦屋さんへ。おつゆが甘からず辛からず、ちょうどいい感じだった。

三鷹駅前のアジサイ


6/7
 4月早々に元上司の家に遊びに行った時にいただいてきたワイルドストロベリーが小さな花をつけているのを発見。

どうやら今まで気がつかなかったが、すでに散った花もあるみたい
 朝から制作。
 「庭園ギャラリー櫻守」でのグループ展に行った時に購入した徳永雅之さんの作品が届く。ギャラリーで拝見したときと、違った表情が見れて、とてもうれしい。
 午後になって美術館によってから現在参加中のグループ展のオープニングに行こうと思っていたのだが、なかなか制作が一段落できずに、結構手が離せなくなってしまったので、急遽不参加とさせていただいた。申し訳ございません。
 夜になって昨日買ってきた「ちりとてちん」を見始めたら、なかなかやめられなくなり、第3週まで見てしまった。午前4時で外が白じんでいた。

6/6
 帰りに東京都写真美術館の森山大道展に寄った。レトロスペクティブの作品はやはり力強く、非常に惹きつけられた。また最新作ハワイは、特大サイズで、レトロスペクティブと一気に会場の雰囲気を変えるものだった。素晴らしかった。
 帰りに「ちりとてちん」DVDボックスを購入。放映中は土曜の一回しか見れていなかったので、全部そろえてしっかり見ようと思ったのだ。朝日新聞の文化欄で大西若人がほとんど絶賛していたくらいに台本もいいし。ボックスはこれから7月にかけて3セット発売となる。楽しみ楽しみ。

6/4
 いよいよ「いせや」がリニューアルオープンしたらしい。結構な賑わいだった。

いせやリニューアルオープン。一階も二階もたいそうな客入り


6/1
 朝から昨日に引き続き小品の仕上げをして、昼すぎを目指して、両国のART TRACE GALLERYへ。作品の展示方法などを一通り説明させていただいて失礼した。
 それから飯田橋で下車して、日中友好会館の上海美術館コレクション展へ。ファン・リジュン(方 力鈞)、ジャン・シャオガン(張暁剛)、ジョウ・ティエハイ(周鉄海)といった名の知れた作家はやはり力強く、それ以外の作家の作品も、制作した年齢や時代背景なども考えながら鑑賞し、なかなか興味ある展覧会だった。
 それから高円寺のGALLERY 45-8に立ち寄った。帰り道で偶然オーナーの藤高さんにばったり出会い、立ち話で近況などお話をした。
 今週平日はART TRACE GALLERY用小品作りをしていたので、一週間ぶりに大作の制作に戻る。

飯田橋の首都高高架線に映る神田川川面の照り返し

大江戸線飯田橋駅入り口がこんなことになっているとは


5/31
 昼間は両国のART TRACE GALLERYで開催されるグループ展に出品する小品の仕上げをした。
 夕方になってから新宿のハンズでカッターやらプラスチックのねじを買い、渋谷から表参道まで歩き、オーパ・ギャラリーに行った。もしかしたらマッチ箱展以来?ご無沙汰してすみません、藤波さん。グループ展のチラシを置いていただくようお願いをして、近況報告をした。
 それから久しぶりに「青い部屋」でライブ鑑賞。SOZORO、銀塩つばめ、細胞文学、迷宮怪という、独自の美意識で世界を織りなす 4バンドの共演である。妙に喫煙者の多く、あまり音のよくない会場のライブではあったが、それぞれ堪能した。

5/29
 再び今日も帰りに吉祥寺駅井の頭公園口から出て裏道を歩き、吉祥寺通りに出た。が、なんと「いせや」は閉まっているではないか。昨日は内覧会みたいなものだったということか?

5/28
 帰りに吉祥寺駅井の頭公園口から出て裏道を歩き、吉祥寺通りに出たところで歓声が聞こえた。その方向を見ると、改築した「いせや」に明かりがつき、一階も二階も人がいっぱいいる。リニューアル・オープンの日なのか乾杯の音頭でもしたのだろうか。通りの反対側(つまりわたしのいる方)にいる人たちが写メールなんぞ撮って、「こんな時に居合わせるなんてすごくな〜い?」とか言っている。わたしも一応備忘録(これのことね)に載せようと携帯を出したのだが、残念ながら電池切れでした。

5/25
 朝から終日制作。午後6時過ぎになって、雲間から夕日が強烈に輝いていた。西側の窓からの光が、オレンジ色に部屋を染め、まるでオラファー・エリアソンの作品の中にいるかのようだった。
 ずっと同じ姿勢(立ってテーブルの上にかがみこんでカットする)でいたので、30分くらい早足で散歩をする。今日は世の中こうなっていたのねと納得したようなしないようなで帰宅。
 今日の新日曜美術館は辺見庸が、マリオ・ジャコメッリの写真について語っていた。ジャコメッリ、行っときゃよかった。そして辺見庸も元気そうでなによりだった。
 夜11:30ごろ3枚目のカットが終了。これで全体の3/7まで進んだことになる。まあいいペースではある。

5/24
 朝起きて数十秒後に愕然とする。目が覚めた瞬間は出勤する日だと勘違いをしていたのだ。休日を平日だと勘違いすることなど今までなかったはずなのに。これはいったい・・・。
 朝から制作をして、午後3時から銀座のギャラリーへ向かい、それから水天宮へ。地下鉄を降りて地上に出たら雨が降っていた。
 丸橋正幸さんの作品はまたまたいい感じだったが、意外に目を引いたのが、小振りで細長いキャンバスを少し間隔を置いて三つ並べた作品だった。間の壁の白さが思いのほか強く現れて、それが作品を一層面白く見せていた。
 ちょうど来場者が重なるタイミングとなり、お話できずに失礼してしまった。雨が強くなってきたので、そこから茅場町のギャラリーに行くのは延期することにして帰宅した。
 夜は制作。

どういうつもりなのだろうか、このネーミングは。


5/23
 両国のアートトレースギャラリーへ。ギャラリーの当番の方がどなたかなんとなくわかったが、オフィス内で作業をされているせいか気づかれずに入ってしまったので、どこまで気づかれずに済むかチャレンジしたくなり、結局まったく気づかれずにギャラリーを出ることができた。内心、してやったりの気分になったが、まったく大人気ないというか。これからはきちんと挨拶のできる大人になります。

5/21
 昨日は出勤した途端、体調がものすごく悪いということに気がついたのだが、早退することなしになんとか一日持ちこたえた。つもりだった。が、今日になって、昨日行ったことがだいたいミスを犯していることに気がつき、今日もまだ思考回路のどこかに欠落部分があるらしく、うまく機能していなかった。
 まあ、そうこうありましたが、夜はオノテツさん、千葉祥子さんと西荻の焼き鳥屋で会食。近況報告と将来設計について語り合う。ええ、まあわたしも近々とか年内とかいろいろと計画がありまして。終了が11:30.盛り上がりました。

5/18
 ずっと制作をして、気分転換に玉川上水沿いに歩いて吉祥寺まで出る。室内着と化したジーンズの膝がほつれかけてきたので、ユザワヤでその補修用にアップリケを購入。
 夜は制作。

玉川上水沿いはウツギが満開

ウツギの木はまるで逆さに雪が積もったよう

ヤマボウシも満開


5/17
 渋谷区立松涛美術館の中西夏之展へ。
 弧を描いているシリーズもよかったが、今回のドットや色彩の塊のシリーズもいい。連作となっているためか、なにかの状態をCTスキャンしたみたいに形状が変化していく様を観察しているかのようだ。じっくり時間をかけて鑑賞しても、さらにその先に何かがあるように思える。ゆったりした空間で堪能させてもらった。
 せっかく近くに来たのでとギャラリーTOMに寄る。澁澤龍彦と堀内誠一の往復書簡の展示だった。それから鍋島松涛公園を経由して渋谷駅に出て、銀座のギャラリーへ行った。それぞれ楽しませてもらって帰宅。
 今日はとても近くにあるお蕎麦屋さんで「鴨つけ蕎麦」をいただく。おいしかった。
 夜は制作。

鍋島松涛公園

松涛公園から渋谷までの道にあた「Mr.Deiku」という像


5/16
 歯医者でとても大きな声を出すお元気なおばちゃまが、治療を受ける前に医師にお話をしていた。
「先生、先日六本木の国立新美術館にほら、あれですわ、そう、モジリアーニ、見に行ったんですのよ。わたくし大好きですの。あの方はあれなんですってね、本当は彫刻家になりたかったんですってね。」
「モジリアーニですか、よかったですか?そういえば昔、モジリアーニの映画がありましたよね。」
(えー?アンディー・ガルシア主演の映画か?)
「そうそう、ジェラール・フィリップっていう二枚目の俳優がモジリアーニの役をやった、ええっと、『モンパルナスの灯』って映画ですよ。」
「わたくしは最近映画を見ませんもので。フランスの俳優さんですと、アラン・ドロンくらいしか存じ上げませんわ。でも昔の映画はよござんしたわね。」
(中略)
「わたしはどちらかと言うと上野の方に行きますね。そういえば近代美術館で東山魁夷をやっていますよね、今。」
「ああ、あの方もよろしゅうございますわよね。」
と、すっかり芸術的な歯科医院を楽しませていただきました。
 昨日の新聞でロバート・ラウシェンバーグの訃報を読む。「平和に尽くした芸術作家に贈られる「ヒロシマ賞」を93年に受賞した。」とあった。あれからもう15年が経つのか。気がつけばその間に一現代美術ファンが作家なんぞになってしまっている。

5/11
 朝から制作をして、午後に一段落。一枚のカットを終了。といっても全体の約1/7なのだが。
 ギャラリー千空間の兼藤忍さんと谷口雅邦さんの二人展へ。前回の巷房でも使用したコーヒーの麻袋をウコンで染色している。麻袋はブラジル、ペルー、エチオペア、イエメンからの輸入であると書かれてあり、それらが代々木で邂逅するという、土着同士の出会い。
 結局3時間くらい長居して、兼藤忍さん、谷口雅邦さん、草野千秋さんとお話をして、声が枯れるくらいに笑った。

5/10
 いよいよ念願の「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」を観ることとなった。全席予約制ということで、自由席だったら最前列に行くだろうところを、お勧めのE列中央の予約を入れておいた。そういうわけでいつもよりスクリーンが小さく見えた。
 190分の映画である。腰とか背中とか痛くなるのではないかと心配したが、あっという間の190分で、60分くらいにしか感じなかった。見終わって映画館を出たら妙に足が重かった。いや、何かとても比重の重い液体が体内に浸透してしまったような感覚だった。この映画をすでに見たという知人からは「がんばってください」と言われた。確かにその比重の重い液体を体内に抱えて、それに対峙するのはがんばらなければならないだろう。連合赤軍関連の本を探したくなり、本屋に向かうため、伊勢丹の食品売り場を横切った。映画の舞台とはまったく対照的なきらびやかさがまぶしくて戸惑いを感じた。
 『赤軍−PFLP・世界戦争宣言』の上映運動に協力した遠山美枝子の鎮魂のためだろうか、若松監督は遠山を丁寧に描いていた。遠山役の坂井真紀も壮絶な演技だった(わたしはテレビドラマに出てくる俳優さんが映画できちんと演技しているのを見てよく見直したりするのだ)。実際に連合赤軍の中の赤軍派と革命左派との間の主導権争いの道具として虐待と粛清の対称になっていった遠山の心境など到底理解などできないだろう。が、理解を超えたことを要求されて何もすがるものもなく、どんな思いで最期を迎えたのか、その先の見えない恐怖はどんなに重いものだったのか、そんなことを考えた。もちろん遠山一人だけではない。「総括」と称して同志たちからの暴力で命を落としていった20歳そこそこの若者たちすべてについてだ。
 新聞の映画評でもあのリンチ殺人の原因を森恒夫と永田洋子のふたりにせいしているような描き方をしているというものがあった。確かにそういう感じがしないでもなかった。が、しかし永田(役の女優)の表情は時には戸惑い、内に沸き起こった感情の噴出で時には醜かった。そして坂口と別れて森と一緒になることを告げたときの表情は、不安そうでもあり、迷いも見えた。複雑な表情をしていた。エピローグで、森恒夫の最期の言葉とともに森の姿がアップで映った。白地の背景に黒い服を着てうつむいている姿だった。そのモノクロのコントラストがあまりにも美しく、まるでスタイリッシュなCMのようにも思えた。これはどういう意図だったのだろう。山岳ペースを恐怖で支配した怪物ではなく、むしろ過去に逃亡したことの後ろめたさの中で常に孤独であり、留置場の中で自覚した罪の重さに耐えられなかったひとりの小さな男の姿なのだろうか。
 物理的な根拠もなしに精神論で物事に当たろうとしたり、言葉の言い換えで現実と直視せず、失敗の原因を整理せずに責任回避する、組織防衛を目的化した組織といった、ほとんど伝統的な日本の「軍」の類型にも思える。最後にあさま山荘の中で少年が「おれもあんたも勇気がなかったんだよ!」と叫んだように、一度進み始めたものを途中で止めて引き返すことはできなかったのだ。愚かだったのだろうか、純粋だったからだろうか。
 ジム・オルークの音楽が予想外に叙情的だったのも少し意外だった。
 帰ったらノイズを聞きたいと思っていた。たぶんノイズを聞くだろうと思った。が、しかし体内に浸透している比重の重い液体はもう少し静かなものを欲していた。聞いたのは大友良英ニュー・ジャズ・クインテッドの「ライブ・イン・リスボン」から「ユリイカ」(ジム・オルーク作曲)だった。
 夜は制作。

5/6
 午後3時ごろまで制作。
 その後ポレポレ東中野にて青山真治の「サッド・バケーション」を観る。『Helpless』、『EUREKA ユリイカ』に続く「北九州サーガ」三作目。「運命に抗い、運命に翻弄される男たちと、すべてを包み込みながら美しく生きる、“ゆるぎない女たち”」のコピーには頷けた。そういう映画だったからだ。ここには「母親」として、絶対的な存在感を見せる石田えりと主人公浅野忠信の子どもを宿す 板谷由夏と二人出てくるが、ある意味、もう一人母親が出てくると言っていいのかもしれない。借金取りにおびえるオダギリジョーをやわらかく包み込む宮アあおいだ。一方、浅野忠信は自分を捨てた母親に対する復讐したつもりだったのが、ことの始まりは自分の側にいた父がすべて生み出したものであり、復讐の矛先はすべて自分に戻ってきてしまう。「母」という名の「生」というか「生」という名の「母」の物語なのかもしれない。
 そんなわけで4連休終了。この連休中に読もうと「モリのアサガオ」を購入したのだが、どうもマンガよりも小説を読んでしまう方で、結局1ページも進まなかった。読もうと思ってシリーズ全巻をそろえて買ったままなのが、もう一つ増えてしまった。もうひとつとは「ハチミツとクローバー」である。まあ、寝る前にコツコツ読み進めます(そういって小説の方を読んじゃったりするんだよな)。

5/5
 当初は明日行くつもりだったが、帰りのバスが連休のUターンラッシュに巻き込まれるだろうと思い、今日のうちに水戸芸術館に行くこととした。9時半発のバスは連休ということで、通常ダイヤよりも10分早い臨時便に乗った。
 バスを降りて角を曲がりタワーが見えてきたら、ついでになんだか緑色の巨大なものも見えてきた。第1回横浜トリエンナーレでインターコンチネンタル ホテルに設置されていた、椿昇+室井尚の巨大バッタである。横浜では逆さ吊りだったが、水戸では地面に横たわっている。子どもが大喜びでバッタの足にアタックしたりして楽しんでいる。大人たちも記念写真を撮ったりして大喜びである。わたしも7年ぶりの再会にとてもうれしかった(しかも触れるし)。
 さて、水戸芸術館の宮島達男である。まずは"Death of Time"。ヒロシマの世と死。カウンターが列の中央に空虚な暗闇がある。それはあの日のことを示すのだが、しばらく赤く明滅するカウンターの列を見ていると、空虚な暗闇に補色残像で青いような線が見える。それはまるでその瞬間の閃光が見えたようにも感じた。
 それから本展の目玉作品、"HOTO"である。「宝塔」は地球の約半分の大きさで、すべてを七宝という宝石で飾られ、その姿は光り輝いており、その常識はずれの大きさと絢爛豪華さは人間一人一人の命を意味するのだとか。わたしとしてはその絢爛豪華さというか華麗な散漫さというか整然とした猥雑さというか、やや苦笑しながらも見入っていた。もともと薬師寺の三重塔であれ、日光月光であれ、設立当初は絢爛豪華であり、猥雑さと紙一重であっただろう。カウンターを人の生とすれば、カウンターの大きさも形も色も異なるためか、カウントダウンしていく過程に見入ることができずに、全体的に散漫に感じてしまった。
 2年前の個展の際に感じた散漫さを再度感じてしまった。15年前に広島市現代美術館の委嘱によって作成した"Death of Time"の方がはるかにぴったり来るのだ。わたしももっと闇を必要とする作品を作りたいようだ。
 エントランスホールではパイプオルガンの演奏が。「きらきらぼし」や「スーパーマリオ」のメドレーなど、とっつきやすい曲をやったり、音の種類や高低、大小を実演してみたりと、なかなか努力していた。

水戸芸術館前には椿昇+室井尚の巨大バッタ出現

巨大バッタに大人も子どもの大騒ぎ

水戸芸術館エントランスホールではパイプオルガンの演奏会開催
 バスで東京駅に戻ったら、5時近くになっていた。

5/4
 連休二日目。終日下絵制作。夕方になり、散策に出かける。
 ものすごい近くではないが歩いていける距離のお蕎麦屋さんに行ったら、祖父母、父母、兄妹(2、3歳)の6人家族が入ってきて、お父ちゃんは息子とおしぼりの投げ合いはするは、娘はお座敷のテーブルの下にもぐり込むはで、大人のお店の雰囲気だったそのお蕎麦屋さんがすっかりざわついた雰囲気になってしまった。これからはおとなしくしていない子どもと子どもじみた大人は出入り禁止にしてほしい。

5/3
 連休初日。終日下絵制作。夕方になり、散策に出かける。

4/29
 午前中は下絵を作成。
 午後になって深川商店街の「花みずき街角誰でもアーティスト」へ行った。店先や寺の境内などに展示されている作品を堪能。商店街事務所では2002年に「過剰系の語り部たち」でギャラリー二葉の「奥の院」の天井画として展示されていた梅本和之さんの作品を、当時は四畳半の密室での展示だったのを、5年ぶりに開放的な雰囲気で鑑賞した。それ以外にも案外違和感なくスポーツ品店に展示されていたふんどしなんかもなかなか面白かった。ちょうど「深川いっぷく」の正面にある店での展示で、いっぷくの中から人々の反応を観察できて楽しかった。街歩きの人々が立ち止まって店を覗き込んだり、振り返って戻ってきて見たりして、でもなんとなく街の雰囲気にすんなり溶け込んでいるのには笑えた。黄色の褌に「あまがみ」と書いてあったのが、やけに後に引きそうな感じだった。


川上和歌子さんの「むくむく」

東京電気大 郷田研究室の「ベンチ」

深川商店街事務所に設置された梅本和之さんの天井画


加藤哲さんの綿棒をつなぎ合わせた作品

褌アーティスト IZUMI♀+UGYAUのふんどし

 そこから高円寺のGALLERY45-8へ。去年戦争廃墟の写真を展示していた石本馨さんが、今度は「団地巡礼」として団地の写真展示をしていた。やはり案の定、団地マニアが結構訪れたらしい。彼らが石本さんと呼ばずに「団地巡礼さん」と呼んでいたと聞いて、これまた後に引きそうなフレーズ。写真には団地を取り壊している現場やら、廃墟となっているところなどもあり、団地マニアからするとちょっと外れているみたいではあったが、そこらへんはわたしにはヒットであった。

4/27
 終日制作。といってもあまり進まず。いつものことだが下絵の最初の出だしはいつも遅々としている感じがある。
 夕方、散歩に出かけ、井の頭公園を早歩きで一周した。
 夜はETV特集の済州島の4.3事件を追った番組を見て、その後、姜尚中が少年の頃を語った番組を見た。

4/26
 午前中は制作のための部屋の片付け。
 午後になってから銀座の千葉祥子さんの個展へ。会場に行くと、谷口雅邦さんがいらっしゃり、しばらくしたらクマイ商店の熊井千代子さん、千葉さんのお友だちで2005年の個展には設置をお手伝いいただいた三浦さんも来られた。またしばらくしたら三宅光春さんまでいらっしゃって、懐かしい方たちとの再会となった。
 千葉さんの作品はハート型に編まれたオブジェで、今までのイエローマンや顔の立体に比較して、その形状が持つ意味が非常にシンプルでかつパワーがあり、赤い色と相まって作品の持つ存在感が強力であった。照明によってもいろいろと表情が変わるであろうし、今後の展開がとても面白そうであった。

4/22
 帰りに広河隆一の「パレスチナ1948 NAKBA」へ。イスラエル国家が成立し70万人以上と言われるパレスチナ難民が発生したという出来事をパレスチナ人はナクバ(大惨事)と呼ぶらしい。ユダヤ人歴史学者の言葉に「1948年3月までにユダヤ人指導者は将来のユダヤ国家のため、体系的で総合的な民族浄化のための計画を準備したと思われる。」 とあった。"民族浄化=ethnic cleansing"。これはたぶん一般的にはユダヤ人を被害者として用いられてきた言葉であろう。ユーゴ内戦時のボスニアのアメリカ国内での広報戦略上"ethnic cleansing"という言葉を用いることにより、第二次大戦中のユダヤ人に対するホロコーストを連想させて、アメリカ国内でのセルビアのイメージを極度にダウンさせたということもあった、その"ethnic cleansing"である。しかもユダヤ人側が自国の過去の方針についてそう表現しているのである。これには驚いた。また、1968年という世界的に反戦運動が吹き荒れた時代に、イスラエルにも「マツベン」という占領に反対する平和運動があったということも、感慨を持って知った。

4/20
 朝、世界堂に行き、ケント紙の10mロールを2ロール購入。10mを2ロールというのは重いのである。すっかり疲れてしまった。が、いよいよ制作へ向けて活動開始ということである。
 午後になってギャラリー巡りをした。ギャラリーkingyoのグループ展では、伝説のアーティスト秋山祐徳太子を初めて生で見る。なんといってもある時期都知事選に立候補したり、「ダリコ」だったりしたお人である。恐れ多いし、ご本人の話がどんどん飛ぶしで、まともにお話もできずであった。そうこうするうちに、なんと真島直子さんまでいらしたのである。もちろん生で見るのは初めてである。名古屋でやられるという個展のDMをありがたく頂戴して失礼させていただいた。グループ展の中に特別出品で7歳の西山珠生ちゃんの作品があった。秋山祐徳太子が「思わず天才!と叫んでしまった。もう言葉も出ない。」と絶賛しただけのことはある、繊細かつ大胆な作品であった。
 ギャラリーkingyoの扇谷さんとお話をしていて、清里フォトアートミュージアムでのグループ展のお話をしたら、なんとご主人の大野さんの設計だということらしい。なんという奇遇。
 kingyoを失礼した後、ツツジ祭りということで根津神社に立ち寄ってみた。数年前にツツジが満開だった頃に行ったら、その狂いそうなほどの色合いに圧倒されたが、今回はまだまだ満開とまではいかない状態だったので、落ち着いて遠巻きに見ることができた。


根津神社は大賑わい

まだ満開とまではいかないツツジ

 少し神田で時間をつぶしてから両国のアートトレースギャラリーへ。ギャラリーを運営するメンバーとして参加させていただくので、会議に出席させていただいた。
 夜、明神さんと昨日のコンテストの結果について電話で話をした。最終選考には残れなかったらしい。だが、わたしには満足できる内容だった。できればどこかでフルバージョンでやりたいものだ。

4/19
 どうやら眠りが浅かったようで、朝日に目が覚めてしまった。気がついたら頭の中で作品の取り付けと撤去のシミュレーションをしていたりするのだ。
 午後になって森下スタジオへ。森下駅で音楽担当の木並さん、モップ係担当の松本さんと出会う。森下スタジオに入り、出番を待っていると、妙に緊張し始めてしまった。喉も渇いてきて、お茶を買って飲んだりそわそわしていたためか、明神さんに「作品でも持ってみますか。落ち着くかもしれませんよ。」と言われ、手にしたら確かに落ち着いた。他のカンパニーはピンクの花をちりばめた明るく元気な女子学生風だったり、活発そうな体操着スタイルだったり、なんだかコスプレっぽかったり、楽屋の中はさまざまである。緊張の中でも異業種の方々を観察して結構楽しんだりした。
 いよいよスタンバイということで、会場のスタジオの入り口で待っていたら、やはり緊張のせいで指先が冷えてきてしまった。スタジオ内に入ってさて設置という段になり、割合落ち着いて設置をすることができた。パフォーマンス作品はリハーサルのときと少し違った構成がされていた。いい感じだった。他のカンパニーの作品を見ることができないので比較はできないが、女子学生や体操着の作品とはかなり異質のものだったのではないだろうか。肉体の動きというよりは肉体の流れと言っていいような作品であったから。撤去も無事終わり、ホッと一息。わりあいポかリン記憶舎のみなさんにはわたしの作品は好評のようであった。わたしもパフォーマンス作品として相乗効果があったのであれば、非常にうれしい次第である。今回の作品「夜想」は本来は45分の作品であるらしいが、それをこのコンペのために15分に縮めたらしい。わたしの作品も4枚一組であるものを1枚のみ展示した。それぞれ本来の作品の四分の一なのである。できればお互いがフルバージョンの状態で、もう一度どこかでやりたいものである。
 今回は演劇のみならず、舞台美術や衣装などいろいろな方々とお知り合いになれた。貴重な体験であり、今後の財産ともなるであろう。

4/18
 「トヨタ コレオグラフィーアワード」のリハーサルが森下スタジオ10時開始。わたしは作品を入れた紙筒を肩にかけてたどり着かなければならない。あいにく朝から雨と強風である。傘が風にあおられて歩くのが難儀である。こうなったら傘を閉じて歩いていこうと数メートル進んだが、駅まで歩いてびしょ濡れってのもどうかと思い、引き返してバスに乗ることにした。バス停の前の道路の脇には風で翼をやられたのか、一羽の鳩がうまく飛び立てないでいる。かわいそうだが助けてあげる時間がない。そのまま満員のバスに乗り込んだ。駅前でバスを降り、階段を上がってペディストリアンデッキに上がったところで、強風で飛ばされそうになり、手すりにつかまってかろうじて姿勢を保った(いやマジで)。駅構内の手前ではビニール傘の残骸がごろごろと転がっていた。総武線−東西線−都営新宿線と乗り継いで森下へ。
 しばらく待ってからスタジオ入り。スタジオのキャットウォークからワイヤを下げて、それに引っ掛けて吊り下げるという方式で、割合簡単に作品が展示できた。一回、設置と撤去の練習をしてから、全体を通してのリハーサルとなる。この間のcafe公園で「読書をする男」役を演じた日下部そうさんとわたしが作品を設置して、吊り上げてもらい、会場が暗転。演者が入場して一通りパフォーマンスをして退場。それからふたりで作品を撤去しておしまい。その後控え室に行ってから自己紹介やらちょっとした打ち合わせをしてから解散。12時前くらいだった。作品自体は15分とは思えないくらい(それ以上の時間を感じた)、密度の高いものだった。わたしの作品も、最初はっきり見えないところから照明ではっきり見えるようになってから、空間に奥行きを出す効果を生み、作品に一役買うことができそうで、まあ満足であった。
 舞台の方々はその場その場で臨機応変に対応していく。その応用力には感嘆した。なにか不足しているものがあれば、その場でなんとかやりくりして作り上げる。舞台美術の寅川さんは、「設置に5分しかないから」とリハーサルの時点からすでに焦り気味で指先が少々震えるわたしに、「5分もあるんです。時間はたっぷりありますから安心して。」と言ってくれた。まさに異業種交流。勉強になることばかりだ。この体験は結構貴重なものになるだろう。本番も焦らないようにしないと。
 それからポかリン記憶舎のみなさんは別スタジオでの稽古に向かった。わたしは途中で皆さんとお別れをして、映画を見ようと渋谷へ向かった。朝の強風との格闘やら、リハーサルでの緊張からか、かなり疲労してしまって、時間つぶしに寄った本屋で立ち読みすらできない状態だった。それでカフェでラージサイズでコーヒーを飲んでしばし休息。復活してから「≒草間彌生 わたし大好き」へ。草間彌生が広く一般的に認知されるようになったのは、やはり90年代にはいってくらいのところだろう。本人としてはここが頂点であるとは一切考えておらず、ようやくこれからいろいろとやることができる、「これからが戦争よ。」と言うくらいにまだまだやりたいことがありすぎるというところだろう。高松宮記念世界文化賞の受賞記者会見で、「登山にたとえるなら、今は何合目くらいか。」と問われ、「まだまだ始めたばかり。山は高い。もっと高くしたい。」というようなことを言ってのけたこの大作家は、わたしの父と同い年である。自分の作品をこよなく愛し、自分の才能を信じぬき、でもスタッフに対して感謝し細やかな心遣いをするところは、わたしを叱咤激励するようでもあった。
 それにしても疲れた。ただ作品を設置するだけの役目なのに、こんなに緊張して疲れるなんて。

4/13
 世界的なアーティスト、川俣正の展覧会の最終日である。きっと混雑するだろうから、午前中には会場に入ろうと思って行ってみたのだが、予想に反して割合淡々とした雰囲気。まるでベニヤ板の展覧会みたいでもあるし。わたしも淡々と鑑賞しておしまいとなった。
 MOTアニュアルも彦坂敏昭さんが結構面白かったが、それぞれの作家さんにちょっとずつ興味を引くところがあった程度で、全体的にはちょっと低調な印象を持った。
 帰りに深川いっぷくに寄って、白濱万亀さんとしばし談笑。「よみがえる」の話からエサシトモコさんの猫のペンダントの話へ。深川では猫がアサリのペンダントをしていて、「櫻守では桜だったのでは?」と言われ、そこは全然見ていなかったことに愕然とした。そんなことが「アロウカナ」(一応こんな感じに使うのがよろしいかと)。そのほかいろいろとお話をして、ひときわのどかなオーラを放っている「深川いっぷく」のまったりしたひとときを過ごした。かなり長いことお話をさせていただいたような気がする。


深川商店街のハナミズキその1

深川商店街のハナミズキその2
 

4/12
 大宮にある「庭園ギャラリー櫻守」へ。徳永雅之さんが参加しているグループ展で、以前から「庭園ギャラリー櫻守」のうわさは聞いていたので、念願かなってというところだ。
 徳永さんの作品は今までほとんど和紙で制作されていたのが、今回はかなり久しぶりにキャンバスで制作されたとのことで、色彩の定着など素材によっての表情の変化も楽しめた。遠目では違いはないが、近づいてみると、特に白の表情に違いが見られる。色の定着具合でしばらくキャンバスから離れていたとのことで、これを機会にまたキャンバスでの制作も続けるかも、とのこと。作品がどのように変化していくのか興味あるところだ。
 徳永さんの説明だと、「庭園ギャラリー櫻守」のオーナーは造園関連の方らしく、庭がとても美しく、天気もよかったので、敷石の上を歩いていくととても気持ちがよかった。会期がちょうど桜が咲いて若葉が色づいて濃くなっていく季節でもあったとの徳永さんのお話は、とてもうらやましく感じた。また建物もかなりこだわりを持っているものだとのことで、壁やら柱やらへの思いいれの強さは感嘆ものだった。で、ついに徳永さんの作品を購入させていただくことになった。ギャラリーとは違った日の光の下、徳永さんの作品がどのような表情を見せるのか、とても楽しみである。
 ところで徳永さんのお話の中で、今回のグループ展の参加者はみんな「よみがえる」というバンドのメンバーであり、「今度、『深川いっぷく』というところでライブをやるんですよ。」と言われて、ようやく気がついた。グループ展の他の参加者の方にはエサシトモコさん、高木佳代子さんの作品は深川いっぷくで見た記憶がよみがえってきたのだ。(アートの)世界は狭い。
 それからエル・ポエタまで歩いて行き、エサシトモコさんの個展を鑑賞後、手作りケーキセットをいただいた。失礼するとき、ママさんから大宮公園の中の動物園が面白いと勧められ、ちょっと足を伸ばしてみた。
 たぶんエル・ポエタに初めて来たときにも、徳永さんにお勧めいただいて、行ってみた記憶があるのだが、それほどの印象はなかった。が、今回は結構楽しめました。寄居町で捕まえられた熊の「ヨリー」とかツキノワグマのクマ吉とかヤマネコ(なんとアムールヤマネコもベンガルヤマネコもツシマヤマネコも同種なのだそうだ)とかブチハイエナ(思ったより大きい)とか、「アロウカナ」という古文の助詞の現代語訳みたいな名前のチリ原産の鶏とかツッコミどころ満載の動物園だった。
 動物園を楽しんだ後、特段氷川神社にお参りして頼みごとをすることもないので、ふーんと眺めた後、ケヤキ並木の気持ちいい参道を歩いた。途中にあるお煎餅屋さん手作りの「岩せんべい」を購入して、大宮駅に出た。


大宮公園のしだれ桜

大宮氷川神社の参道

大宮氷川神社の参道沿いにあるおせんべいやさん

 それから銀座に出て、Oギャラリーの与那覇大智展へ。ちょうど一年前、アメリカから帰ってきて作風がガラリと変わった個展だったが、これまたそこからガラリと変わったものとなった。もともと力のある作家さんなので、クオリティーが高いのだが、ちょっとその変化には戸惑いを感じた。お隣のUP・Sの保坂智昭さんもなかなか面白い作品だったのは収穫であった。

4/10
 「トヨタ コレオグラフィーアワード」というコンペティションのセカンドステージに明神慈さんが「夜奏」という作品で参加される。明神さんからお声がかかり、わたしがLAで展示した作品の一部をそのパフォーマンスに使ってもらうことになった。4/5の打ち合わせとはそんなあたりのことなのであった。
 今日は夜に会場となる森下スタジオの見学。ギャラリーとか一般の居住空間とは異なる、ダンススタジオなので、大道具小道具の設置がなかなか大変。実際のコンペティションには16カンパニーが出演。しかも実演が15分で設置・撤去が前後5分ずつというハードスケジュールである。コンペ当日は無理らしいが、前日のリハーサルのときにポかリン記憶舎の舞台美術をよく担当している寅川さんという方が来られて、設置の仕込をしてくれるようだ。アワード側の舞台監督とも知り合いらしく、まあ何とかなりそうな感じだ。少し安心して帰宅。

4/10
 通勤ラッシュ時間に中央線でポイント故障発生。火災が起きたとか。かなり大きな影響があった。よもやオノテツさんがライブで歌を歌ったために、いつもどおり雨男現象が発生せずに雨が降らなかったからポイント故障が起きたとか?

4/9
 高円寺円盤でライブ。「自分にとってはじめての試みをするという企画」ということで、オノテツさんはいったい何をするのか、非常に興味もあり、行ってみました。なんとオノテツさんは歌を歌いました。元々オノテツさんとはカラオケはやらないとか、歌を口ずさむことがあまりないとかそんな話をし合っていたので、少しハラハラしながらだった。
 オノさんが「音痴でリズム感もないし。」と自分でも言っていたように、くぐもってたどたどしく上手でもないし、歌に気を取られてピアノもなめらかではなくなってしまったが、メロディーの美しさや、歌詞として選んだ言葉の響きが、なんともいえず残った。昨日一日けっこう真剣に曲を作ったとのことだったが、一日でできたわりには、ずっと頭の中を響き続けるような曲だったし、いい歌詞だった。
 きっともうオノさんは歌わないかもしれない。とても貴重な夜だったのだろう。オノさんのライブなのに雨も降らず風も吹かないのは歌を歌ったからなのかも。なんてことを、帰りに市川洋子さんと話した。

4/6
 午後、山梨へ。甲府まで中央本線に乗る。途中、塩山でSLが停まっていて、ホームにはマニアが押し寄せていた。電車からから見える風景には、桃の花のピンクと菜の花の黄色がとてもきれいに混ざり合い、気候のいい春の日であることが改めて感じられた。
 甲府で待ち合わて石田泰道さんに車に乗せていただき、清里のフォトアートミュージアムへ。7月から会場を借りて展示するグループ展の打ち合わせを行った。ミュージアムはコンクリート打ちっぱなしのなかなかいい空間で、展示場所をいろいろと物色したが、中央の回廊に天井から吊るすアイデアがいいだろうと考えた。
 他の作家さんは野外に展示したりなかなか面白そうなものになりそうだ。会期は夏休みの2ヶ月強あるし、はたしてどんな感じになるか楽しみである。
 清里は「おしゃれな避暑地でペンションなんかに泊まってテニスでもやるところ」程度にしか考えていなかったが、近所にはいい温泉もあるらしいし、おいしいお蕎麦屋さんもあるらしい。それらも楽しみである。
 一応メモ程度に書き留めておく。

塩山駅ではSLがマニアに取り囲まれていた

清里フォトアートミュージアム


4/5
 中央線がポイント故障だとかで、遅れ気味の電車に乗って銀座に出た。先々週も行った、岩田荘平さん、阪本トクロウさんの二人展へ。改めてお二人の作品に感嘆。その後、ゴトウギャラリーの団野雅子さんの個展へ。が、時間になってもギャラリーが開いていない。30分くらい待ったところで、ようやく開場。どうやら中央線は二度目のポイント故障があって、大幅にダイヤが乱れているらしい。団野さんも乗っている電車が途中で止まってしまっているようだとのこと。その後の用事があるので、残念ながらお会いできずに失礼させていただいた。その用事とは今は定年退職した昔の上司のご自宅に遊びに行くことだった。東洋高速鉄道で八千代まで行き、駅で待ち合わせをしていた数人と一緒にご自宅を訪問した。なかなか楽しい語らいであった。帰りにワイルド・ストロベリーを株分けしていただいた。そこから1時間かけて中野に到着。
 ポかリン記憶舎明神慈さんと打ち合わせ。何の打ち合わせかの詳細はまた後日。

4/4
 年度末の決算を終え、ようやく一段落したので、午後はお休みをとることにした。川城夏未さんの個展へ行ったら、そこには繁田直美さんがいらした。川城さんの作品は大きな作品も小さな作品もそれぞれやわらかい赤が輝き、心地よい空間であった。繁田さんとはその後コーヒーを飲みながらしばらくお話をした(いや本等にわたしばかりお話をしてしまいました。すみません)。それから森美術館へ行って、USBコレクション展を見た。テート・モダンにもUSBコレクションの常設があり、なかなか素晴らしいチョイスであった。今回もリヒター(3点)やらバスキア、ウォーホール、畠山直哉、杉本博司、バルゲンホール、クレメンテ、サラ・モリスなどなど、とても見ごたえのある作品ばかりだった。杉本博司の蝋人形の写真と森村泰昌のベラスケスの作品に入り込んだやつとシンディー・シャーマンの中世の女性になった作品が並び、この展示を考えた学芸員は誰だろうと、とても興味を持った。
 展望台からはまだ明るい風景を眺めることができ、東京のいたるところに桜が咲いているのが確認できて、少々気持ち悪かった。

昼間のcounter voidは初めて見たのかも

  

4/1
 なんやかやと忙しくて嘘をついている暇もなかった。


タイトルは「マトリックス」の中で出て来るセリフらしいですね。実はわたしはこの映画をテレビでチ ラチラとしか見ていないので、どこで出てくるのかよくわかりません。わたしはスラヴォイ・ジジェクによる テロとその後の戦争について論じた文章のタイトルとして知ったのでした(現代思想臨時増刊「これは戦争か」より)。
なお、画像は島田雅彦の「ミス・サハラを探して」(KKベストセラーズ) の中のチュニジアの砂漠の写真(撮影;中島誠)を無断借用しました。