イグチトシオがふと考えたこと、感じたことを書き留めておきます。念のために再度申し上げますが、見せたくない部分は書かず、こういう所を見てほしい、こう見られたいというところを書いています。
当然真実のみが書かれているわけではありません。

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2008年月7月1日〜9月30日



9/30
 いよいよ清里でのグループ展も終了し、休館日である本日、撤去作業となった。
 10:30ごろミュージアムに到着。早速学芸員の田村さんのお手を借りて撤去作業を始める。設置のときと同様に、地上11mの高さのところをゴンドラに乗り、作品を撤去していく。次は昇降機に乗って地上5mのところの作品を撤去する。それぞれの作品をトレペと一緒に巻いて紙筒に仕舞い込んで、作業終了。ほぼ2時間の作業であった。
 その後、田村さんと昼食をご一緒させていただき、13:00にはすべて完了。せっかく午後があいたので、隣駅の甲斐大泉駅から徒歩3分の「パノラマの湯」に行こうかと思ったら、なんと第2、第4火曜日はお休み。残念!来年に持ち越しとなった。
 今回は展示はインスピレーションを湧き立てる空間で、その空間の中で自分の作品に最適の場所を見出してそこに展示できたということは、非常にうれしいことでもあり、自信にもなったと思う。ご協力いただいた皆さんに厚くお礼を申し上げたい。

撤去時にゴンドラから見た作品

 帰りの電車の中で、日本に来て1年だというアメリカ女性が、京都から団体旅行できているおば様とお話をしているのが聞こえた。そのアメリカ女性が小淵沢駅で小海線から中央本線に乗り換えるとき、長坂に行くのはこちらでいいのかと尋ねてきた。あーん、土地勘のない人間に聞かんでくれ。長坂という地名は聞いたことがあっても、中央本線の小淵沢から見て上り側なのか下り側なのかわからないわけよ、あたしは。で、どうやら長坂は小淵沢の上り側の隣駅で、中央本線ホームに停まっている高尾行き各駅電車に乗れば到着できることがわかり、ようやく「これに乗ればOKだ。」と言ってあげることができた。と、いうか、自分の住んでいるご近所のことはきちんと把握しておきましょうよ、ベイベェ。
 電車の中は安堵感のためかすっかり寝てしまい、本がまったく読めなかった。帰宅後、自分へのご褒美ということで、近所のコンビニでドラ焼きと月餅を買った。明日の朝食べるんだもん。

9/29
 阪本順治監督作品「闇の子供たち」鑑賞。
 登場人物すべてが自身の正義というか規範を持ち、そこから漏れる一筋縄では解決できない広大で荒涼とした世界については黙している。直情的に自身の正義を信じたり、自身の使命と言い訳をして。しかし人一人の力は、荒涼とつながっていく世界を前にしてはまったくの非力となってしまう。非力である自身を直視し、真実を目に焼き付けておくということが、ひとつの偽らざる「良心」なのかもしれない。
 当初は見るつもりはなかった。だが、新聞で原作者の梁石日氏が「5回も見た。いい映画になっている。」と語っていたから、見るつもりになった。
 見終わってからの帰りのエレベーターの中で、女性がその友人に向かって言っていた。
 「終わり方がさー。原作と全然違うからさー。ああいう終わり方もあるんだなーって思った。」
 映画ではタイの少年少女を性の食い物にする需要側(米英人、フランス人、ドイツ人、日本人)と供給側(タイ人ブローカー)の一斉摘発が終わり、それの情報を提供したNGOのメンバーが逮捕者に向かって「タイをなめるんじゃないわよ!」と叫ぶシーンがあった。それはある種「救い」のような様相でもあった。
 「原作は全然救いがないって言うかさー、そんな終わり方だから。」
 そう。それでこそ梁石日。映画を見終わってからで申し訳ないですが、原作はきちんと読みます。   

9/25
 ケン・ローチ監督作品「この自由な世界で」鑑賞。
 市場原理主義の中でたくましく生きる若い母親。と、言うときれい事に聞こえる。モラルを失った弱肉強食の市場世界で、たったひとりで生き抜くためには、より弱い立場の者を獲っていかなければ生きていけないのだ。
 主人公アンジーは、最初職業紹介会社に勤め、EUの境界の内辺であるポーランドから安い人材をイギリスへと調達している。その会社を解雇されて、自身で最初職業紹介会社を立ち上げ、事業を拡大して生き残りを図る中で酷薄な行為に手を出していく。最後は人材を求めて境界の外辺ウクライナへと向かう。この世界では市場のためにはあらゆる行為が自由であり、人件費がより下方へと、圏外へ圏外へと自由に食指を伸ばしていく。ケン・ローチの映画の主人公はほとんどが権力や環境に押しつぶされる側(主に労働者)を描いている。この映画の主人公アンジーは個人事業主として生きているが、暴力的なまでのマネーゲームに加担させられて、やはり押しつぶされる側の者なのだ。ただ、貧しい暮らしはしたくない、幸せになりたい、自分の息子に貧しい暮らしはさせたくない、幸せにさせたいという単純な願いから。
 おりしもこの国に市場原理主義を導入した劇場型宰相が、次の選挙では立候補しないと表明した。たぶん他人にはうかがい知れない彼独自の美学のなせる業ではあろう。しかし彼が強引に推し進めた政策が、今猛烈に国民から異論を唱えられ、見直しが要求されている。なんだか散らかすだけ散らかして、ひとり悦に入って退場していくような様にも見える。できれば辞めてほしくはない。それは彼の政治力、行動力を評価してのことではない。わたしは彼は政局を読むのがうまいだけのただの政治屋だと思う。現に後継者として自分の次男を指名する、ただの世襲政治屋ではないか(その点については改革などこれっぽちも考えていない)。ただこれだけ無責任に散らかしたままにしておくのではなく、このとんでもない状況をきちんと立て直すまで責任を持って全うしろと言いたいのだ。たとえば「後期高齢者」などと指名された方たちが、みんな納得できるような形に変更するまで、ずっと厚生労働大臣をやり続ければいい。
 同様に唯一の超大国の現大統領は、任期終了後、治安がよくなるまでイラク駐在大使をずっとやり続けるべし。

9/23
 清里でのグループ展も会期が残り一週間ほど。いまだ青空を背景にした自分の作品を見たことがないために、一番降水確率の低い(0%)日時を選んで、清里に写真撮影に行った。
 甲府駅で団野雅子さんにピックアップしてもらう。そこから団野さんお勧めの山の上にあるというお蕎麦屋さんへ行く。そのお蕎麦屋さんのある集落、菖蒲沢地区は、火の見櫓や土壁の土蔵があったり、小さな川が道沿いに流れていたりと、意図的に景観保存をしているかのようなひなびた集落。それぞれの農家は、軽自動車がかろうじてすれ違えるような細い道から少し勾配をつけて引き込んだ入り口と、それに続く、農作業をするための広い庭、引き戸の玄関や縁側など、農村地帯でよく見かける家の造りになっている。とても懐かしい空気だ。お蕎麦屋さんはそんな集落から軽自動車しか通れなさそうな急勾配で極端に折れ曲がるような農道を上った先にあった。「手打ち蕎麦処 甲斐」はほとんど山荘と言える店で、玄関を入って靴を脱いで上がってテラスに出ると、そこには見事な景観が広がっていた。眼下の集落や田畑。遠くの市街地。その先の山々。そして雲間から見える富士山のシルエット。なんとも言えぬ爽快感がある。

ほとんど山荘のような「手打ち蕎麦処 甲斐」

お蕎麦屋さんのテラスからは見事な景観が

雲間から見える富士山のシルエット

 お蕎麦もこしがあってとてもおいしかった。デザートのプリンやババロアも手作りで、大変おいしく、売られていた手作りのくわの実ジャムも買った。
 そこから近くにあるという団野さんのアトリエを訪問。テラスもあり、その先にある緑がすがすがしい。今度ぜひ、お蕎麦屋さんと団野さんのアトリエ訪問というツアーを組みたいところである。
 そこから清里へ向かった。清里に向かうにつれ、甲府では頭上にあった雲がだんだんと開けてきて、さすが晴れ女の団野さんの力であると感心した。清里フォトアートミュージアムに到着すると、作品は青空を背景にくっきりと浮かび上がり、我ながら爽快な気分となった。早速写真撮影をして会場をうろうろと動き回り、その後はビデオ撮影をして会場をうろうろ動き回った。
 現在開催中の写真展「井津建郎 ブータン 内なる聖地」を少々急いで鑑賞した。ブータンは前国王が、「GNP(Gross National Product=国民総生産」ではなく「GNH(Gross National Happiness=国民総幸福)」を提唱し、物質的発展のために心の安らぎが損なわれてはならないことを信念に、独自の国作りが実践され、GNHの世界観において、環境や精神的、社会的な財産が重視されているとのこと。ブータンの静謐な景観や人々の深い眼差しが、とても印象的だった。
 物質的にはどの国よりも豊かであろうこの地では、毎年3万もの人々が自死していく。20代、30代の死亡原因のトップが自殺だという。GNP、GDPが世界でもトップクラスの国と、敬虔な仏教国で自然とともに生活をする澄んだ瞳の人々と、いったいどちらが幸福なのだろうか。
 写真撮影後、「萌木の村」という観光スポットに立ち寄り、ソフトクリームを食べる。トッピングは何度でもOKという。アーモンド、ピーナッツ、そばの実、きなこなどが瓶に入れられて並んでいる。わたしはピーナッツとそばの実を試させていただきました。おみやげ物コーナーでは自分のために(!)牛乳プリンセットなるものを購入。

観光スポット「萌木の村」

まずはピーナッツをトッピングしてみました。

 帰りの道では直線に伸びる農道を走った。道の両側には黄金色に実る稲。まん前には裾野まで姿を現した富士山。最高な景観であった。団野さんに甲府駅まで送ってもらってお別れ。団野さん、天気から(?)お勧めのお蕎麦屋さんやら車の運転やら、本当にいろいろとお世話になりました。ありがとうございました。
 駅に到着後、10分後のスーパーあずさの指定が取れて乗車。車中にはシートを回転させてお見合い席にして座っているおじさんグループがいて、お酒が入って「ぅわっはっはっは。」と笑っているが、まあ遠くの方だったのでさほど気にもせず、8時前には帰宅できた。


9/22
 是枝裕和監督作品「歩いても歩いても」を鑑賞。
 どうやらスタジオジブリの鈴木プロデューサーらしき男性が来ている。
 やさしくて、残酷で、恐ろしい、妻・母・祖母・姑を樹木希林が好演している。夫・父・息子は微笑ましいくらいに小さいことにこだわり、息子はいつも父や母に畏怖と敬慕による距離を縮められない。
 お盆に一家が集まって昼食をとる。自分の居場所が定まらない緊張感や家族それぞれの間のあやふやな距離感。ほぐれたころにやってくる別れの時の安堵と喪失感。夏の日の暑さや騒々しさと午後の倦怠感。強い日差しの中の草木のにおいから室内の日陰の空気の溜まり、夜の窓から流れ入る風の感触まで伝わってくる映画だった。
 海で溺れている少年を助けて、代わりに自身が溺死してしまったという長男の部屋にはJOY DIVISIONのポスターが貼られていた。JOY DIVISIONと言えばイアン・カーティスの自殺。長男の不在と何か関係があるのか?などど勘ぐってしまった。

9/21
 オノテツさんと実験的な音楽のデモテープを作った。わたしの作った曲よりもオノテツさんの作った曲の方がポップであるのには、少々驚いたが、やっぱりと納得もした。どなたかのご子息も同じような音楽活動をされているという話を聞いたので、それらをまとめたコンピレーション・アルバムなどできるかもなと思った。そんなことを考えながらみんなで歩いていると、向こうの方からボールが飛んできたので、ウケ狙いでバレーのレシーブのようなことをして横を見たら、訳知り顔でにんまりするサルコジ仏大統領がいた。という夢を見た。

9/17
 ほぼ5ヶ月ぶりであろうか、オノテツさんと吉祥寺で歓談。お互いの近況報告をし合う。翌々年あたりに開催予定の個展の概要を説明し、そこでのライブ演奏の依頼をする。
 オノテツさんとは何回か共演をしたことがある。最初は今はなきアートフォーラムでのライブ。あの時はまだ発泡スチロールを使った展示をしていた。二回目は本格的な二人展。こちらもまだ発泡スチロールを使っていた。そのときは決まったテーマに基づいて作品を提供しあうという感じだった。2005年にはオープニングのイベントで、会場にわたしの作品があって、そこでオノさんが演奏をしたというかたちでの共演だった。このときは紙を使った現在のスタイルになっていた。
 今度お願いするのは、お互いの作品がもっと関与し合うとようなかたちでのコラボレーションを考えている。
 来年のことを言うと鬼が笑うが、再来年のことを言うと鬼はどうするのだろう。あるいは鬼以外の誰かが笑うのだろうか。まあ誰も笑わないんだったら、わたしが笑っておこう。トイレの個室に入って「フフッ。」と。

9/16
 この連休中などに清里のグループ展に行っていただいた方が何人かいらして、そういった方々からご感想をいただいた。皆さん、ご満足いただけたようだ。わざわざ葉書で感想をお送りいただいた方もいらした。遠方まで足を運んでいただき、さらに感想をわざわざお伝えいただくのはとてもうれしい。いろいろと苦労した甲斐があったと思う。また、みなさん、清里の高原の空気や景観などを楽しまれたようだ。それはなによりなことである。

9/14
 根津のギャラリーKINGYOへ。
 お決まりのコースで、途中、「芋甚」のアイス最中を食し、帰りには「大黒屋」で手焼き煎餅を購入。
 高円寺で途中下車して、GALLERY 45-8へ。「ちょっと昔の高円寺 高円寺阿波おどり編」という、高円寺阿波踊りの写真展を鑑賞。ふとテーブルの上にあった「鞆の浦」のパンフレットに目が行く。会場にいらした佐野さんにそれについて尋ねると、以前テレビニュースで取り上げられていた鞆の浦の埋め立て架橋計画の反対署名だった。
 ずっと以前広島に住んでいたとき、鞆の浦に行ったことがあり、その町並みや港の景観などとても印象深かった。鞆の浦は朝鮮通信使の寄港地であったなど潮待ち港としての歴史を持ち、潮の干満に対応した雁木と呼ばれる護岸、常夜燈などの文化財など大変貴重なものが残っている。そういった景観と一体化して保存しなければならない文化財が、その架橋工事によってすっかり失われてしまうということは知っていた。が、反対運動などに手を出していたりはしなかった。そこで反対署名をさせていただいた。佐野さんからは、実際に鞆の浦に行かれた際の画像などを拝見し、「鞆の浦 支援の会」の活動などについても説明いただいた。
 構造改革などと銘打った弱者切捨て(ひいては地方切捨て)の影響を受けて不況にあえぐ一地域としては、ずっと以前からちらつかされていたであろう公共工事によって、少しでも地元経済が潤うことを望んではいるであろうが、そういう短期でしかも局所的な利益誘導の公共事業では、将来発展へは結びつかないのではないかと思う。鞆の浦は宮崎駿監督作品『崖の上のポニョ』の舞台になったらしいし、隣国との友好の歴史ももっと誇っていいものだし、そういった過去とも結びつきながら将来へもつないでいける、身の丈にあった観光地として活性化していこうということにはならないのだろうか。

高円寺palには「ちょっと昔の高円寺 高円寺阿波おどり編」の大きな垂れ幕が。

三鷹では八幡様のお祭りが。


9/12
 ギャラリーYORIの大森澪展へ。
 いつもながらの精緻で静謐な大森作品を堪能し、オーナーのヨリさんともうお一方いらした作家さんとお話をした。みんな年齢不詳。「きっとアートに関わっている人間は何かを止めちゃったのよね。」とみんなで納得。

ギャラリーYORIのワンちゃん


9/11
 西荻の音羽館に立ち寄った。ここや三鷹の上々堂は品揃えがなかなかよく、立ち寄るのは大変に危険なのであるが、やはりなにかに引き寄せられるようにして入ってしまったのだ。ざっと見ていくうちに、やまだないとの絶版本を含めて5冊、近藤ようこの絶版本1冊を見つけ、両手がいっぱいになってしまった。それらを両手にかかえて、それ以上文庫本、単行本を漁ることも難しくなり、レジへと向かった。
 昔はこんなに漫画ばっかり買ってるような子じゃなかったんです。

9/8
 わたしの恩師の傑作と称される作品が、実はわたしの友人の作品の贋作であった。それに気がついたわたしは、それを公表すべきかどうか非常に悩んだ。そして今後の保身のため、それに気がつかなかったということにした。
 勤め先に非常に影響力があり、世間的にも大変に有能であると認められる事務所のトップの男性が、実は幼児性愛の持ち主であり、ほとんど犯罪であるような行為を繰り返しているという事実が、勤め先では周知のことであり、初めて知ってしまったわたしは、それに愕然とした。それは告発すべきなのだろうか。わたしは立ちつくした。
 と、いうようなふたつの夢を立て続けに見た。寝る前より起きたときの方がぐったり疲れていた。

9/3
 先週の豪雨から一転して、今週の初めは残暑が厳しくなっている。寝付けない夜にはやまだないとの漫画を読んでいる。やまだないとの漫画には2001年秋には接近遭遇したのだが、なぜか素通りしてしまった。最近、駅からの帰路にある古本屋で見つけて、思わず買ってしまった。
 興味ある漫画のコミックを全巻一気に買ってしまったくせに、ほとんど手がつけられていないという漫画と、やまだないとのまんがの違いは何かと思うに、それは余白かなと思う。たぶん行間にいくつもの思いを仕掛けておく小説のように、やまだないとの余白には読者に応じて、秘められた思いが浮かび上がってくるのだろう。時にはざらついた、時には切ない。違ってたらすみません。

9/2
 突然の首相の辞任の翌日にはG8下院議長会議が広島で開催される。職務を投げ出した内閣総理大臣と、G8下院議長会議は「平和と軍縮」をテーマにと広島で開催することを提案した衆議院議長。単純に比較はできないが、しかしかなりの違いを感じる。
 それでもって辞任表明の記者会見の最後の質疑応答において「まるで他人事の様な発言だ。」に対する回答、「わたしは自分のことを客観的に見ることができるんです。あなたとは違うんです。」の「あなたとは違うんです。」がネットで流行の気配とか。最後の最後の言葉で盛り上がる首長っていったい・・・。

8/31
 昨夜、夕飯のデザートと称して、味見して甘いことを確認したスイカを本格的にいただく。それから信玄餅もいただく。はい。昨日甲府駅で買った信玄餅は自分のために買ったんです。それがなにか。

8/30
 ここのところ、大雨続きである。昨日は午前中あずさやかいじなど山梨方面へ向かう特急が運休したし、昨夜も二晩目の豪雨で、清里のグループ展の二回目のアーティストトークと交流会が、開催されるのかどうか気が気ではなく、かなり早起きをしてしまった。天気予報では甲信地方はこれから明日の朝にかけて150mmの降雨予想が出されているし、途中で中央線が止まったりしたら困るし。メールで予定通り開催されることを確認して、立川からあずさに乗る。立川までの中央線の電車のドアの上の画面では、小海線が大雨のため全線遅延しているという案内が出ていて、不安をあおってくれる。あずさに乗ると、途中、多摩川やその他河川が濁流になっているのがわかる。小淵沢で降りると雨が降っていたが、どうやら小海線はダイヤの乱れが回復したらしい(まあ1時間に1本くらいだったら回復も早いだろうけど・・・失礼)。
 清里駅から石田泰道さんにピックアップしてもらい、清里フォトアートミュージアムへ。昨夜などは清里の方は東京ほどの豪雨ではなかったようだ。やはり天候の状態からしてトークなどに参加されるお客さんもおらず、作家たちの交流会となった。地元の皆さんが自家製の抹茶ケーキやらクッキーやらレーズンとナッツ入りのパンなど持ってきていただいて、おいしくいただきながら談笑する。わたしはなんだか来年も参加することになりそうな気配だ。だが、東京都美術館と清里フォトアートミュージアムとどちらを選ぶかといわれれば、絶対後者だろう。

雨上がりの清里は涼しげ

参加作家による交流会

 一通り今後のことなどのお話をしてから会は解散。石田さんの車に乗せていただいて甲府駅まで出る途中の道の両側が、シーズンたけなわのブドウ畑で、たわわに房が実った木々が続いていた。そんなわけで電車の待ち時間の間に甲府駅の駅ビルのお土産屋さんのフロアで本場のブドウが売られていないかと探したのだが、そういった果物類は売られていなかった。仕方がないので信玄餅を買うことにした。
 三鷹に到着してから今日一日のご褒美に、スーパーでスイカの1/8カットを買って帰った。今シーズン、なんとスイカはお初である。しかし、ブドウはまだいただいていない。山梨のブドウ、山梨のブドウ・・・。

8/29
 上野の東京都美術館で開催されている現代アーチストセンター展に、団野さんが参加されているということで行ってみた。会場に団野さんがいらして、ロサンゼルスの空港でお別れして以来の再会であった。団野さんとお話をしながら会場を一周して鑑賞。ここには一年前の自分たちのグループ展以来、久しぶりに足を運んだのだが、本当にこの会場は作品を生かさない、むしろ瀕死にさせてしまう空間だと改めて感じた。特に平面作品には致命的だ。唯一この空間の無意味な圧力をはね退けている作品は、西村のんきさんの作品だった。それは会場の中にテントのようにしてもうひとつの空間を作り、そのさらに内部にある闇の空間にたどり着くまでの経路に描かれている色彩の記憶と、中心にある闇の空間にかすかに入り込む光によって、鑑賞者の中に新たな像を結ばせようとしている作品だった。つまりあの空間を物理的に完全に拒否する作品だったのだ。なんとまあ悲しい展示空間。
 それから団野さんの作品が非常にかわいそうな場所に展示されていた。消火栓とドアの間に展示するようになっていたのだ。その作品はまるで霧や霞が山の木々をなでるように上昇していくような情景を描いていて、大変美しかった。ぜひもっと作品を生かすような空間で拝見したいものだ。
 一周してから椅子に座って、お互いの近況や制作に対する姿勢、美術家としての生き方などについて話し合った。いつのまにか閉館時間となり、失礼させていただいた。
 それから両国のART TRACEへ。第三期のグループ展だが、なかなかいい平面作品揃いだと感じた。店番をしていたMさんに挨拶をして、お互いの作品や経歴などについて歓談。作品の展示方法について話をしていたりしたら、こちらもあっという間に時間が過ぎてしまった。

8/28
 日本のNGO「ペシャワール会」で農業技術の普及のためにアフガニスタンで活動されていた伊藤和也さんが拉致され、遺体が発見された。最悪の結果となってしまった。なんとも残念なことだ。
 一度伊藤さんのお母様がテレビのインタビューに答えている中で、「お騒がせし、ご迷惑をおかけして大変申し訳ない。」とおっしゃっていた。いったいどこのだれが迷惑などかけられただろう。こんなように被害を受けている側の家族に、「お詫びの言葉」を口にしなければならなくさせる社会は、本当に悲しい。
 ご冥福を祈る。

8/25
 オリンピックが終わった。基本的にはそれほど興味はないが、スポーツをしている人間の体の美しさは素直に認めよう。特に走っている姿や跳躍して空中を飛んでいる姿だ。
 今日の朝刊に各国のメダル取得数が一覧表になっていた。アフガニスタン銅1、スーダン銀1。それぞれ「破綻国家」というような印象のある国である。アフガニスタンは男子テコンドー58キロ級で銅、スーダンは男子800メートルで銀。それぞれの国でこれらのメダルの持つ意味はどんなものなのかを考えるのも面白いかもしれない。偶然、女子100メートル予選でアフガニスタンの選手が出場したのをテレビで見る機会があった。黒のベールをかぶり、ユニフォームは長袖と長いパンツで走っていた。
 直前に参加、不参加でもめていたイラクの選手はメダル獲得ができなかったようだ。

8/19
 三鷹市水道部からのお知らせというので、不在時でも水道メータのパイロットが回転しており、どこかで漏水している恐れがあるのでお調べくださいという通知が来ていた。いろいろと調べてみたら、どうやらトイレの水が止まらずにチロチロ流れているように見える。水洗トイレの水の元栓を締めると、そのパイロットの回転が止まる。貯水槽の中をいろいろいじってみると、水を流すところのゴムパッキンがなんだか腐食しているのではないかと思われ、自分で直すこともできないので、水道工事の業者さんに調べてもらうことにした。
 やって来た業者さんはいろいろと調べたが、わたしが想像していたゴムパッキンの腐食ではないようだった。なんといってもその部位はパッキンではなく、「弁」なのだそうだ。さらに素材はゴムではなく、「ぷらっちっく」なので、腐食はありえないとのこと。結局水道水を一定の量で止めるために働く「浮き」の動きがうまく伝わっていなかったために、微量の水が常に流れているのだということであった。
 いや、なんでこんな話を書いたかというと、テレビでしか聞いたことのなかった「ぷらっちっく」という言葉を生で聞くことができたからだ。まあ、そういうオチなんです。この話は。

8/15
 両国のグループ展も昨日で終了。今日は撤去作業を行った。だいたいお昼ぐらいには終了し、作品を持って電車で帰宅。帰宅後はささやかに三ツ矢サイダー500ml缶で、とりあえず終わったことでひとりでささやかに打ち上げ。

8/10
 今日は両国のギャラリーのお当番の日である。
 途中、浅草橋で途中下車してマキイマサルファインアーツへ。馬場晋作さんの作品が、ステンレスに油彩という作品で、大変興味深かった。
 ギャラリーでは読書をしながらお店番。8人ほどの方がいらっしゃいました。
 三鷹に帰ると、中央通りが大賑わい。昨日、今日と三鷹阿波踊りであった。今年が41回目。どうやらこちらは雨が降ったらしく、地面が濡れている。が、そんなことはお構いなしに「連」と呼ばれるチームがそれぞれ踊っている。わたしは去年40回といううちわをもらったので、せっかくだから今年は41回といううちわをもらおうと思い、人ごみの中をかき分けて歩いていった。しかしうちわを手渡してくれそうな人はどこにも見当たらない。あと1ブロックというところでようやく発見して、うちわをもらいました。
 そうなると来年は42回といううちわをもらわないといけなくなるなー。

三鷹阿波踊りその1

三鷹阿波踊りその2

三鷹阿波踊りその3

 聞くところによると小金井にも阿波踊りがあるらしく、今年が30回目だったらしい。高円寺、大塚、三鷹、小金井・・・東京にはいったいいくつ阿波踊りがあるんだ!

8/9
 最近話題になっている小林多喜二の「蟹工船」を、遅ればせながら読んだ。雨宮処凛らが、1700万人を超える非正規雇用者の問題について論じている中で、今まさに非正規雇用者は「蟹工船」の時代を生きている、非正規雇用者は「『カニコウ』にはおれたちのことが書かれている」と改めて読み直されていると述べられていた(最近の若者はやっぱり「蟹工船」じゃなくて「カニコウ」って短縮化するんだなー)。
 確かに「蟹工船」に書かれている最底辺の労働者たちの置かれている状況は、現在の非正規雇用者の不安定さや搾取のされ方に非常に似ている。いや新自由主義や市場原理主義によって「構造改革」された日本の現在は、時代をさかのぼって、小林多喜二が生きていた時代に戻ってしまったと言っていいのかもしれない。しかし、「格差社会」で有名な山田昌弘教授によれば、「蟹工船」には団結する仲間がいたが、今の非正規雇用者には仲間を見つけることが難しい。さらに「蟹工船」における搾取の図式は明快であったが、今は非常にわかりにくくなっている。ただ「蟹工船」を読んだ若者たちにはその中にわずかに見える明かりが今後の頼りになるのではないかと思う。
 昨日買ってきたリービ英雄の「仮の水」を読み終えてしまった。久しぶりに古書「上々堂」に立ち寄って物色した。そうしたらル=グィンの「ゲド戦記」が6巻そろって2700円だった。「一冊帯がないのでお安くしてあります。」とのことだが、帯といってもスタジオジブリが映画化したことが書かれてあるようなもので、そんなものは必要ない。掘り出し物だと思い、早速購入した。

8/8
 北京オリンピック開催式。張芸謀演出なので気にはなったが、まあハイライトシーンを後からダイジェストで見ればそれでいいやと思って、特にテレビを見ることもせずにいた。そろそろ寝ようと思ってふとテレビをつけてみたら、選手団の入場行進が続いていた。もはやオリンピックを「平和の祭典」だなどと信じきっている人はどこにもいないだろう。だが、開催式に唯一意味を見出せたのは、この入場行進だった。一般的にはあまり知られていない国も参加して入場行進をしている。セルビア、モンテネグロ、モルドバ、レバノン、シエラレオネ、ミャンマーなど、軍事独裁を続けている国、内戦が現在続いているところや数年前に和平合意をした国など、それぞれに思いをはせる。また自分たちの民族衣装を着て堂々と行進している国もある。あるいはイスラムの国でも女性が髪の毛を隠している国や隠していない国があるなと、国際情勢やそれぞれの国内事情をうかがい知ることもできる。国威発揚の演出などいらない。入場行進で国際事情がわかればそれで十分ではないか。
 同じ日にグルジアが南オセチア自治州を攻撃し、さらにロシアがグルジアを攻撃。オリンピック開催式の数カ国の選手団と同じ人数がすでに命を落としている。一方では高揚に満ちた笑顔があり、一方では恐怖と不安に沈む顔がある。なんともやりきれない。が、グルジアはニュース映像として出てきたから認識できただけで、世界の他の地域でもオリンピックだからといって戦闘や殺戮が中断しているわけではない。

8/6
 広島の平和祈念式典の模様を見ようと夜9時からのNHKニュースを見たら、まず、一番最初のニュースが北京オリンピックまであと二日でどうだこうだというニュース。次が数日前の都内の豪雨での被害について。三番目にようやく広島の平和祈念式典や今日一日の広島の表情を簡単に紹介。結局秋葉市長の平和宣言をテレビで見ることはできなかった。こんなもんなのか。  

8/4
 おととい、昨日と大変有意義な日々を過ごさせていただいたが、多くの方々にお会いして人疲れしたのか、今日はかなりきつかった。

8/3
 両国のグループ展の会場当番。開廊より前に到着し、写真撮影をした。その後、気になっていた照明を結局変更させてもらうことにした。作品に対して光量が多くて、全体的に散漫でごちゃごちゃした印象になっているように感じていたからだ。思い切って照明を減らして、作品のあるスペースを暗くしてみることにした。完璧に満足という状態ではないが、よりすっきりとした印象になったと思う。
 暑かったせいか、最初あまり来場者がなかったが、夕方近くになって割合多くの方たちがいらした。三宅光春さんは丸刈りで無精ひげのようなひげを蓄えてTシャツに短パンにゴム草履。本当にその格好で八王子からいらしたんだろうか。いつもどおりなんだか不穏そうな気配とともに来場(三宅さんすみません)。
 いつもいらしていただいているMさん、去年の「日米国際作家交流展」でご一緒させていただいた大竹秀明さんがいらして(去年、ロサンゼルスでお別れして以来ですね)、オープニングパーティーに参加いただき、いろいろとお話をさせていただいた。
 パーティーはギャラリー参加作家さんを中心に盛り上がり、9時に終了。パーティーに参加された来場者の方に、表現活動をしていることがいかにすばらしいことであり、貴重なことであるか、そして今後もずっと続けていってほしいと励ましていただき、たいへん勇気付けられた。

8/2
 清里のグループ展の作品解説ツアーと交流会に出席。
 往きのあずさと小海線は夏休みの親子連れなどで満員。清里駅から徒歩10分の清里現代美術館へ行った。ここは伊藤さんという個人の方が収集した現代美術作品を展示するために建てた美術館で、ヨーゼフ・ボイス、アーノルフ・ライナー、ジョン・ケージ、マルセル・デュシャン、ロバート・ラウシェンバーグ、菅木志雄、高松次郎、川俣正あたりを収蔵していて、なかなか見ごたえがあった。

清里のとある牧場の子ウシちゃん

清里現代美術館

 それから清里フォトアートミュージアムへ。
 出展作家がそれぞれ自分の作品について解説をして歩くツアーを行った(緊張した!)後、交流会へ。
 作家さんやその後家族の方たちが、手作りのクッキーやらお菓子を持ってこられて、楽しい交流会となった。みなさん本当にいい方たちばかりで、とても安心してくつろぐことができた。それぞれのみなさんの作品のクオリティーは高いし、みなさんがわたしの作品を面白がっていただけたのは本当にうれしかった。驚いたことにこのグループ展の事務局もされている上田快さんの奥さんが、去年参加した「日米国際作家交流展」でご一緒させていただいたかとうかずみさんの教え子さんらしい。世の中は本当に狭いものだ。
 それぞれの作家さんの作品についてはこちらのページをご参照に。  同時開催のブータンの写真展にちなんだイベント「ブータン・デー」で、ブータンの民族衣装「キラ」(女性)や「ゴ」(男性)が試着できるということで、こういう機会はもう二度とないだろうと試着させていただいた。

「キラ」の鮮やかな配色は面白い

「ゴ」を着せていただいて、すっかりブータン人に

 小海線から小淵沢に出て、あずさを待っている間に、同じ清里から乗り継いできた、2歳くらいの男の子を連れた外国人の若いお母さんに話しかけられた。最初は日本語で尋ねられたが、「電車が混んでいるか」と聞きたいところが難しいようだったので、英語で答えてあげて、しばらく英語での会話となった。が、あずさは混んでいるかとか、小海線は一時間に何本出ているのかなど、知らないことばかり聞かれるので、「申し訳ないが、ここの人間ではないので知らないのです。あずさは平日だったら座れるかもしれないけど、今日は土曜だからもしかしたら混んでいるかもしれないですよ。」と答えることとなった。が、男の子(マクシリミアン君というらしい)が、おかあさんのパーカーの紐をいじってオイタをしたのを叱ったのがロシア語でだったので、「あなたはロシア人ですか?」と尋ねたら、そうだと言う。今は横浜に住んでいて、日本に来て二年で、清里に子供をつれて遊びに来てとても面白かったと言うことだった。あずさが到着し、わたしもそのおかあさんも心配していた座れるかどうかは、どうやら座れそうだとわかり、それぞれ別の席に座った。
 立川で降りるときにそのおかあさんと手を振り合ってお別れをした。

8/1
 一日中ダウン。

7/31
 両国のART TRACE GALLERYのグループ展の設置。
 9時半前にトラックに荷物を入れ、同乗させてもらい、境澤さん、坂さんの足立区のアトリエ見学を兼ねて、搬入のお手伝い。そこから途中で藤谷さんをピックアップして、12時半ごろギャラリー到着。すでに到着していた佐々木さんと4人で作品の展示位置などを決めてから設置開始。
 わたしは蛍光灯を取り外したり、天井にネジを入れたりをお願いして、それから設置。相変わらず照明がうまくいかず、光量が弱いのかもということで秋葉原にランプを買いに行き、ランプを代えて、それでよしとする。その後、照明の電源ケーブルをきれいにまとめる作業を行い、ほぼ終電に乗って帰宅。
 やはり神経を使った作業の後は、それを鎮静化する機能が不全状態にあるためか、なかなか寝付けず、朝5時になってようやく就寝。

7/27
 午後、渋谷東急本店美術画廊で開催中の丸山友紀日本画展へ行く。カエル、インコ、バク、フラミンゴ、コウモリ、トラなど動物の絵画が並んでいる。金箔を貼った日本画だが、モチーフやタッチに現代的な批評性が織り込まれているように思える。丸山さんがいらしたので、少しお話をした。今回の絵画の中にマダガスカル島のワオキツネザルが描かれているのだが、わたしが会場に入ってきたとたん、丸山さんはわたしがそのワオキツネザルに似ていると思ったらしい。何かを企んでいるような、ちょっとブラックな雰囲気が似ているとのこと。「企んでいる」あたりが、それはそれで光栄である。
 一緒に行った友人と、その後ワオキツネザルで盛り上がった。
 三鷹に戻ったら、一瞬雷かと思うような音。よく聞いてみると和太鼓である。夜になってスーパーに買い物に行ったら、中央通りが26、27の土日に歩行者天国になって「夏祭り」が開催されていたらしい。何も気がつかなかった。

7/25
 昨日の作業は思いのほか神経を使ったためか、また、あまり寝付けなかったためか、一日中ダウン状態。ほとんど起き上がれず夕食すらとる気にならなかった。

7/24
 清里へ設置作業に向かう。7:54のあずさに立川で乗車。すでに自由席は満席。指定席も完売だそうだ。これから清里に向かうには座席指定をするほうがよさそうだ。仕方がないのでデッキに座って読書を始める。秋山祐徳太子せんせーの「天然老人」。帯はせんせーが「ダリコ」になったお姿。あと数年で後期高齢者となるせんせー。だが、じゅうぶんにご健在である。今度お会いしたときには「『天然老人』読みました!」とご報告ができ、そこから会話が弾むかもしれない。
 さて、小淵沢に到着し、小海線に乗り換える。小海線には夏休みの親子となぜか中高年の大グループ。高原のハイキングか?それはまあ「やかましゅう言うて参ります、その道中の陽気なこと!」である。清里駅で降りてから、タクシーで清里フォトアートミュージアムへ。途中、牛がいたり馬がいたり、ガラス工房があったり、ペンションがあったり、高原の観光地である。

小海線のディーゼル車

清里駅は標高1274メートル

清里駅はおされなたたずまい

 清里フォトアートミュージアムに到着し、いよいよ設置開始。学芸員さんにご協力いただき、ゴンドラに乗って、床から11メートルの高さのところ2箇所で作品を設置する。天井がガラス窓になっている。今日は快晴で高原の直射日光は痛いくらいに強い。熱せられた空気の中での作業は体力を消耗させる。作品を吊るしている棒は物干し竿である。下から見てその棒が気になるかどうか心配だったが、それはまったく気にならないが、それ以前に作品がよく見えないらしい(ちょっとショックだが、まあ日の差し方でいろいろと違って見えるだろう)。4mの作品を設置し終えてから、今度は場所を変えて再度ゴンドラに乗って6mの作品を設置する。

手前の天井の低い部分で6m弱の高さ(設置前)

中央のガラスの天窓は一階床から11mほどの高さ(設置前)

 吊るし終えて作品を見上げると、天窓のサッシが作品に十字の影を作っていたり、日よけのスクリーンの隙間から日が差し込んで、作品の一部だけが明るく見えたりした。たぶん一日そこにいるといろいろな表情を見せてくれるんではないかと思う。
 お昼休みを取ってから、今度は中央部分の天井高6m弱のところに、タコ糸を通して作品を吊るす作業。昇降機に乗って地上5m程度のところで作業を行う。2箇所に合計4枚の作品(3m)を吊るして作業終了。
 結局一日がかりであった。ご協力いただいた田村学芸員さん。本当に感謝です。それからわたし自身、高所恐怖症じゃなくてよかった(むしろ高いところ好きだし)。
 今回のグループ展「清里現代彫刻展 feel−空間とこころをつなぐかたち」は「清里フォトアートミュージアムの建築空間に触発された作品展」とあるが、この建物の特徴はなんと言っても中央に伸びる高さ11mの回廊のような空間だろう。ここを生かし、一層際立たせるような作品(「彫刻展」だけどわたしの作品はインスタレーションなんでね)になっていることを願う。
 田村学芸員さんに駅まで送っていただき(重ね重ね田村さん、ありがとうございます)、清里から小淵沢に出て、あずさに乗って帰った(帰りは座れた)。あまり疲れていたのか、それとも設置が終了したことでひそやかな興奮状態にいるためか、あまり寝られなかった。

7/23
 二つのグループ展のDM、チラシをメール便で発送依頼。これでみなさんに通知が行ってしまうので、急に不参加とかにするわけにはいきません。

7/21
 作品を清里へ発送。物干し竿は170cmで、どうやら宅急便のサービスのサイズを超えるようで、いろいろと面倒なことになるので、自分で持っていくことにした。手元から作品が消えてしまったので、もう修正などできません。気になるところなどあっても、我慢してください。

7/20
 代官山に阪本トクロウさんの個展を見に行く。今回の公園の遊具は新しいモチーフではないか?
 それから地下鉄を乗り継いで根津のギャラリーKINGYOへ。「KINGYOのきんぎょ展」なる、みんなキンギョをモチーフとしたグループ展である。
 立体、平面、陶、ガラスなど形態はいろいろ。それぞれ力作揃いである。嶋津晴美さんがいらして、いろいろな情景が浮かぶ作品だと感想を申し上げた。またロサンゼルスのグループ展のとき以来、久しぶりにお会いする村元崇洋さんとは、お互いのその後の近況などをお話した。
 帰りには恒例、大黒屋でおせんべいを買いました。

7/19
 DMを置いてもらうお願いを兼ねてギャラリー巡り。
 マキイマサルファインアーツの花田伸さんは新しい展開が垣間見られて面白かった。
 ART TRACE GALLERYはグループ展第1期開催中。それぞれ当番で管理をするので、管理方法を教えてもらう。
 それから深川いっぷくへ。ゴム版画の野見山響子さんはオーパのマッチ箱アートなどで実は何度かご一緒したこともあるらしく、でもマッチ箱は100人参加するのであまり憶えがない。が、ファイル中のヤギやバク、ウサギなどのキャラクターが店先や室内にいるという作品を見て思い出しました。確かに拝見しております。面白い作品です。今回は深川やその他地域の街角を版画にされていて、なんとも味わい深かった。
 少し体力を消耗したのか、帰りの電車は電池切れで凍えてしまった。

7/14
 角材はたわむ。そこが不安材料だ。そうだ。物干し竿があるじゃないか。そんな思いつきで、中野の島忠で物干し竿2本購入。だめでも他に使い道(というか本来の使い道)があるし。
 昨日のETV特集に出てきたトルコのノーベル賞作家、オルハン・パムクの著作に今になって興味を惹かれるようになった。彼が大江健三郎との対談で発言していた「ポリフォニー」が特に顕著に語り手として現れる著作「わたしの名は紅(あか)」が特に。人間以外に、生き物以外に語り手が設定されている。なにしろ一番最初の出だしが「いまや死体だ、わたしは。屍だ、この井戸の底で。最後に息を吐いてからかなりになる。」と続くのだ。そんなわけで購入したのである。
 世の中、まだまだ読むべき本が山のようにある。残りの人生のすべての時間を費やしても読みきれないだろう。残念だが。

7/12
 昨日買ってきた角材を必要な長さに切り、白く塗った。二度塗りのため乾くまで待っている間に何度もうたた寝をしてしまった。

7/11
 有楽町スバル座にて「休暇」鑑賞。西島秀俊、小林薫、大杉漣といった名優揃いで、しかも死刑囚と看守という設定(原作は吉村昭の短編)である。
 森達也の「死刑」を読んだり、クシシュトフ・キェシロフスキの「殺人に関する短いフィルム」なんかでも死刑執行の描写はあったりして、概要は知っていたが、やはり死刑囚役の西島の演技は圧巻だった。見ているこちらも鼓動が早まった。
 昨今のヒステリックなまでの世論や、記録的なペースで執行命令書に押印する現法相やら、人の命を考えさせられるものだった。その場では明らかに人の命を暴力的に遮断する行為が行われているのだ。
 独房や刑場で生かされる一匹のアリが、旅館の客室では躊躇なく潰されるのが象徴的だった。
 帰りに清里の展示で使用する角材を購入した。

7/10
 延暦寺の大阿闍梨で「千日回峰行」を2回も行っている(歴史上3人だけらしい)という酒井雄哉大阿闍梨は、以前、三鷹に住んでいて、荻窪のラーメン屋を辞めたとき、家族にそれを言わずにいて、毎日、朝家を出て玉川上水沿いに歩いて築地まで行き、また帰ってくるということをしていたらしい。酒井大阿闍梨にちなんでではないが、玉川上水を暗渠になるところまで行ってみようということにした。
 いつもは杉並区に入るところで引き返してくるのだが、今日はその先まで行き、中央自動車道の高架線のところまで行った。今日はそこまで。ここからさらに築地まで行き、戻ってくるということを毎日やっていたという酒井雄哉大阿闍梨にはとてもではないがかなうわけがない。というか、そんなお方と比較なんかすな!

大きなアマリリス(手前の葉の上に小さなトカゲがいるはずですが写した本人もわかりません)

野生のねむの木

ここから玉川上水は暗渠になります



7/5
 東京都現代美術館で「大岩オスカール展」と「屋上庭園」。
 大岩オスカールは大作なのに細やかな描写が施されている。大きく見ても小さく見ても、じっくり鑑賞できるものだった。ひとつ疑問だったのが、会場の導線というか会場の広さだった。作品の大きさと数に比べて明らかに会場が狭く、人が詰まってしまうところがあった。あれは失敗なのか意図的なのか。
 屋上庭園では、最初のニコラ・ビュフのところで小学生の女の子が会場のスタッフに作者が日本のことをよく知っている人なのかどうか尋ねていた。切れ切れに聞こえてくるのは、ニコラ・ビュフの絵の中に書かれている「ドカン」という日本語がなにか「モーニング娘。」に関係あるらしい。これをコアな質問といっていいのかどうかわからない。その他作家には戦前の作品もあれば最近の作品もある。内海聖史は色彩の構成を大きなキャンバスと小さなキャンバスで示す。相変わらずとても気持ちのいい作品である。須田悦弘はガーベラが一品なのだが、床や壁のどこかに作品が隠れていないか探してしまう。どうやらなさそうだった。
 帰りに深川いっぷくに寄って白濱さんと談笑。なんだか清澄白河にどんどん新しいギャラリーができたり、移転してきたりしてきているようだ。なかなか面白そうな展開だ。

7/3
 岩波ホールにて「花はどこに行った」鑑賞。
 枯葉剤の影響と思われる先天異常児の告発。家族は貧しいながらも限りない愛情を注ぎ育てている。遺伝子に及ぼす影響はダイオキシンも放射能も違いはない。ヒロシマ・ナガサキとベトナムはつながっている。
 戦争はまだまだ終わっていない。


タイトルは「マトリックス」の中で出て来るセリフらしいですね。実はわたしはこの映画をテレビでチ ラチラとしか見ていないので、どこで出てくるのかよくわかりません。わたしはスラヴォイ・ジジェクによる テロとその後の戦争について論じた文章のタイトルとして知ったのでした(現代思想臨時増刊「これは戦争か」より)。
なお、画像は島田雅彦の「ミス・サハラを探して」(KKベストセラーズ) の中のチュニジアの砂漠の写真(撮影;中島誠)を無断借用しました。