イグチトシオがふと考えたこと、感じたことを書き留めておきます。念のために再度申し上げますが、見せたくない部分は書かず、こういう所を見てほしい、こう見られたいというところを書いています。
当然真実のみが書かれているわけではありません。

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2008年月10月1日〜



12/31
 やつらには時間の観念がない。やつらとはネコたちのことである。朝の6時前から追いかけっこをするのである(6時前ならまだいいほうである。この間は3時台に布団の上で取っ組み合いをされた)。仕方がないのでわたしも自作のおもちゃを携えて運動会に5時半から参加である。朝からちょっとした運動をして、目覚めがいいかというと、まあ確かにそうではあるが、睡眠不足である事実は否めず、午後2時ごろになると俄然眠くなる。そういうわけでその時間には三匹が睡眠状態となるわけである。
 午前中は懲りずにCDを買いに出かけ、午後はそれを聞きながらいよいよ下絵を描き始めたわけである。
 景気のいい話の聞こえない年の瀬である。来年のことを今年のうちに始めて、ぜひとも鬼には笑ってほしいものである。いや鬼に笑ってほしいために制作を開始したわけではない。というか、鬼に笑ってもらったら何かご利益があるのか?
 ただアートに関係あるものとして、どうしても制作をしている間に年が改まるような状態でありたいだけなのかもしれない。

12/30
 読書とうたた寝とネコとの運動会で一日が終わる。ネコとの運動会に制限時間は設けていないが、わたしが飽きたらやめることにしている。「おっちゃんに本を読ませろ。」などと言って中止を提案し、強制的に終了するのである。ネコ以上に猫的か?

12/29
 作品の設置に3m以上はあると思われる脚立を使い、それを倉庫にしまおうとするのだが、この倉庫が半地下になっていて、通路から中途半端な位置に入り口があって、なかなか入れにくくて途方にくれた。という夢を見た。
 ネコも夢を見るのだろうか。西嶋くんは寝ているとき、耳を持ち上げて体を痙攣させ、荒い息をしていた。西嶋くんがなにかドキドキするような夢とは、いったいどんな夢なんだろうか。

まっすぐな東堂さんとまるまった西嶋くん。数字の「10」か?漢字の「猫」?


12/28
 年の瀬も迫ってくる中、この際だから鬼には大いに笑ってもらおうということで、来年参加する予定のグループ展の準備のため、ケントロールを買いに世界堂に行った。ついでに紀伊国屋にも寄り、本と雑誌を購入。
 あ、そうか。鬼が笑うのは来年のことを言ったらであって、準備をしても笑ってはくれないか。
 帰宅後は読書とうたた寝とネコさまたちとの運動会などを行った。

12/27
 巷房の高久千奈展へ。薄暗い照明の下でのインスタレーション作品。しばらく高久さんと作品について歓談。
 それはそうと、巷房の入っている奥野ビルの横のビルが取り壊されていた。奥野ビルは1932年竣工であるから、75年以上経っているわけであるが、当時の丸窓の意匠が観察できる。外に取り付けられた非常階段は竣工当時のものだろうか。隣のビルが取り壊されない限りお目にかかれない光景である。

隣のビルが取り壊されて初めて見られる奥野ビルの側面部


12/26
 新人画会とは、戦時下で三回ほど開かれたグループ展である。主なメンバーには麻生一郎、靉光、松本竣介、鶴岡政男、寺田政明などがいる。
 24日にTBSで放映された番組「日米開戦と東条英機」では、国民に甚大な被害を与えた対米開戦を決した重要な数日間が描かれていたが、この「新人画会展」は、その戦時下の困窮を極めた中で彼ら画家たちが絵を描き続けた足跡でもある。彼らが何を思い、少ない画材を工面しながら絵筆を取っていたのか。靉光の作品は軍部を刺激しかねないとグループ内で議論になったり、井上長三郎の作品は陸軍美術協会主催の展覧会から撤去させられたり、あるいは寺田は軍慰問のために中国に渡っていたりする。新人画会は単純に「純粋無垢なカナリアたち」というわけではないのだ。困難な状況の中で妥協をしつつもいかにして自己を貫き、時代を嗅ぎ取りどのように自己表現するのか。突きつけられる厳しい問いが立ち上がる。戦争が終わった後、鶴岡政男が描いた「重い手」も一連の流れの中でだと、一層よく理解できる気がする。
 靉光の「梢のある自画像」、松本竣介の「立てる像」といった自画像を見られるだけでも、この展覧会の価値はある。

12/25
 −きみはヒロシマで何も見なかった。何も。
 銀座ニコンサロンで開催中の写真展に行った。
 アラン・レネの「ヒロシマ・モナムール」の主演女優エマニュエル・リヴァが、広島でのロケの合間に撮ったという1958年当時の広島。基町にはまだバラックが並び、広島市民球場は建設中である。坊主頭の男の子やおかっぱ頭の女の子が屈託ない笑みを浮かべてカメラに顔を向けている。被爆13年後の広島の様子を捉えた貴重な写真である。なんと豊かな表情なのだろう。
 −私はすべてを見たの。すべてを。
  ヒ・ロ・シ・マ。それがあなたの名前よ。

12/22
 オノテツさんと吉祥寺でお茶。お互いの近況報告をした。といっても子育てとネコとの共同生活についてだが(子どもとネコを同列に扱っちゃいけません)。

12/21
 子猫は遊び盛りの子どもと同じで、同じことを何度も何度も繰り返してもまったく飽きることなく遊びまくる。今彼らのブームはわたしのお手製のおもちゃで、ひもの先に布切れをくくりつけたものを使い、ひもを持っていて布切れのほうを投げ飛ばして引っ張って戻すのを、布切れをくわえようとあっちに走っていったりこっちに飛び掛ったりするという、シンプルだが体力勝負の遊びだ。やつらはどう示し合わせているのか交代して追い掛け回し、一方が走り回っている間、もう一方は休憩を取っている。しかしこちらはひとりで対応しているのだ。いくらただの布切れであってもあっちに投げたりこっちに引っ張ったりするのを続けていれば疲れてきてしまう。まあこれだけ食いつきがいいというのであれば、おもちゃを作った甲斐があったというものだ。いや、そのあたりは心得たもので作った人の顔を立てて遊んでもらっているのかもしれない。西嶋くんはなかなか賢そうで、わたしに気を使っている気配もある。
 よくいるペット自慢の方々の「うちの子は・・・。」というように溺愛をする対象という感じはない。東堂さんにしても西嶋くんにしても、なんだかそれぞれが親密度に違いのあるルームメイトのような感じだ。さしずめ昔からの知り合いだった西嶋くんとルームシェアしようとしたら、西嶋くんの彼女の東堂さんも一緒についてきた。東堂さんとは西嶋くんほど親しくはないので、空間に漂う緊張感を和らげるために、いろいろと対話をしているというような、そんな感じがする。あー。また、妄想してますねえ。

東堂さん、高いところと狭いところが好きって気が合いますね

この後ブレイクダンスごっこをする(させられる)西嶋くん

東堂さん、寝相が悪いっていうか、それって首が痛くないですか?


12/20
 深川だるま展には二体エントリーさせてもらった。一体は昨年の作品が中途半端な出来だったのを反省して、再度同じコンセプトに基づいて作成。もう一体は新たなコンセプトによるもの。再挑戦の作品は大体のところが出来上がった。もう一体にいよいよ着手。

12/18
 ネコのシッターさんにお越しいただき、シャンプーとフロントライン(簡単に言うとノミ取りの薬品)処置、いよいよネコ部屋開放。外の世界に興味津々だった東堂さんも西嶋くんも、新しい世界を前に緊張しまくり。すっかり「借りてきた猫」状態となり、初対面のときに戻ってしまったような感じになってしまった。ねこじゃらしなどのおもちゃには以前と変わらず反応がよいので、なんとかそれでこの二週間くらいを思い出してもらって、わたしの記憶を蘇らせてもらった。寝る段になったら東堂さんは段ボール箱で作ったお手製ベッドの中に入る。西嶋くんはわたしの布団の上に当たり前のような顔をして横たわる。いよいよ本格的な共同生活となった。

12/13
 ネコたちとの共同生活も一週間を過ぎた。
 東堂さんの風邪は悪化しているわけではないが、まだくしゃみをしたり、喉が炎症を起こしているような音をさせているので、ワクチン接種は延期となり、代わりに抗生物質を打ってもらった。人間だったら「安静に」ということになるのだが、食欲もあり、元気な子たちを、安静にと寝かしつけておくわけにはいかない。放っておけばどこにでも行ってしまうだろう。よってネコ部屋の開放は、ワクチン接種が可能なまで健康になってからということになった。東堂さんも西嶋くんも好奇心旺盛で、ネコ部屋の外界に興味津々である。油断していると、さっとネコ部屋の外に出ようとする。だから襖を見て鳴いたり、窓の外を見て鳴くのはやめて、もうしばらく我慢しなさい。わたしだってリビングでの就寝に耐えているわけなんだから。

東堂さんの寝顔

西嶋くんの寝顔


12/6
 朝刊を開いてびっくり。加藤周一死去。89歳だから大往生と言えるだろう。が、先月の筑紫哲也といい、またひとつ軸となる人物が失われてしまった。
 深川だるま展参加のため、深川いっぷくへ向かう。途中にある幼稚園で餅つき大会が開催されている。お相撲取りと園児という組み合わせだ。園児たちが相撲取りに「ありがとーございましたっ」と何かの礼を言っている。
 深川いっぷくでだるまを二個いただき、失礼する。向かいのマキイマサルファインアーツ・ラボでは。くわナよしゆきさんの看板と言ったらいいのか、野外展示と言っていいのか鑑賞させていただく。
 帰りに通りがかった幼稚園では、すでに幼稚園児たちのイベントは終了し(園児たちの朝は早い)、大人の部なのか、餅つき大会は佳境を迎えていた。

お相撲取りと幼稚園児のなにやら楽しげな催し物が

マキイマサルファインアーツLABのくわナよしゆき作品


12/4
 佐倉の某寺院へ雑事で行く。お庭が素晴らしい。今日の用事とは関係なく、じっくりと拝見させていただきたいと思うくらいだった。
 今日の用事とはその寺院で餌をあげているというネコの集団から6ヶ月の姉弟の子ネコ2匹を譲り受けるという目的だった。なかなか2匹とも容姿端麗で、おとなしく用事もすんなり終わった。途中で診療所により、簡単な健康チェックを受ける。メスの方が元々風邪気味であるほかはいたって健康。便から回虫が見つかり、虫下しの薬を処方してもらい帰宅する。
 当初からメスとオスを譲り受けたいと思っていた。それは伊坂幸太郎の「砂漠」の登場人物、東堂と西嶋の名前を猫たちにつけたいと思っていたからだ。これで晴れて二匹を「東堂さん」と「西嶋くん」と呼んで共同生活に入ることができる。ただし、ノラの状態から室内飼いという初めての環境に、いきなり飛び込むわけなので、和室一室をネコ部屋として閉鎖空間として、そこで新しい環境に慣れてもらうことにした。おかげでわたしはフローリングのリビングに布団を敷いて寝ることになったのだ。

お姉さんの東堂さん

弟の西嶋くん

手作りのキャットタワーにはご満足いただけたようで


12/3
 フェルメール、ピカソ。入場者数の多さがあらかじめ予想される展覧会である。休日に行っても平日に行っても、人垣の間から作品を見ることになって、精神的にかなり消耗してしまいそうだと、行く前から諦め半分になってしまう。が、ピカソには行くことにした。
 でも予想にたがわない混雑ぶり。見る気が半減してしまう。なので本当にピカソが好きだったり興味がある人だけにしてほしいと思う。「なんだ描こうと思えば上手に描けるんじゃん。」なんて、「新しい観光スポット的な美術館でやっている有名な画家の展覧会」なのでデートコースに組み入れて、彼女と手をつないで見に来るようなまねはしないでいただきたい。
 国立新美術館の無様なくらいに広いスペースだからこそ混んでいてもゆっくり見れたのだろうか。サントリー美術館の方が混み様に圧倒されて、さっと見てしまったが、国立新美術館はそれなりに鑑賞できたように思える。展示方法もサントリー美術館はところどころに作品自体に説明書きが添付されていて、そこで人の流れがたまったりして、熱心さがアダになっているような感じがした。
 やはりピカソは偉大だ。

12/1
 新聞を見て昨日で横浜トリエンナーレが終了したことを知った。行かなかったなー。積極的に行こうとも思わなかったし、行かないと強く決めていたわけでもなかった。ただなんとなく行きそびれてしまった。

11/30
 シアタートラムにてポかリン記憶舎の「鳥のまなざし」の観劇。
 行く先々が閉まっていて行き先を失った女と、帰る場所がなくなってしまった男。それぞれが記憶の中にしまいこんでいた物事や人々の中に迷い込んでいく。他の出演者が時には風景となり、風となり、内の声や記憶となって触れ合う。中央に丘のように作られた舞台以外になにもないシンプルな構成で、息遣いやせりふの間や戸惑いの表情などが行きかう。結局どこにも辿り着けないし、どこにも戻れないまま舞台は終わった。あまりの緊張感のため、わたしは膝下がすっかり冷え切ってしまった。
 さすがに千秋楽だったので、明神さんとはお話をすることができず、挨拶をした程度だった。音楽の木並さんとは少し舞台の感想を話した。
 つくづく明神さんとは何かの形でコラボレーションできたらな、と思った。  

11/29
 半年振りに渋谷から青山通りを歩いた。以前工事中だったビルは外観がほぼ出来上がっていた。
 阪本トクロウさんの展覧会を拝見。鉄棒や滑り台などの公園の遊具が白い背景の中にぽつんと浮かび上がっている。真夏の照り返しの中なのか、雪の降り積もる中なのか、そうしたうっすらとした記憶の中の情景なのか、懐かしいような寂しげなような。
 その足でオーパギャラリーへ向かった。藤波さんとお会いするのも半年振りであった。
 帰りには渋谷駅で岡本太郎の壁画を鑑賞。東京都現代美術館で展示されていたときに比べてかなり小さく見える。そしてこれは鑑賞という行為を要求しているのではなく、壁画との共生を狙ったのだなと感じた。壁画設置を他に立候補していた広島や吹田ではなく渋谷を選んだのは、第一に一日にそこを通る人の数だという。「ヒロシマ」が持つ意味ではなく、吹田の太陽の塔と対でのモニュメント化ではなく、どれだけ多くの人間に見てもらうかということで選んだようだ。そこに岡本太郎が持つ(よく言って)大衆性、(悪く言って)通俗性があるのだろう。まあ、その昔岡本太郎デザインの都バスが走っていたし、青山こどもの城の前や数寄屋橋には岡本太郎の塔があることだし。まあいいんじゃないですかー。井の頭線渋谷駅を降りたところで、小学校低学年の女の子が手をつないで歩いている父親に向かって「ねえ、岡本太郎を見るの?」と言っていたし、そこらへんが狙いなんだろうな。

青山通りに建築中のビル

雑踏の中で適度に爆発している岡本太郎の壁画


11/27
 ここでモーリス・ルイスについて記したい。
 アクリル絵具を薄めて幾層にも重ねられることにより、深い色彩が浮かぶ。それは遠い光彩のようでもあり、深淵のようでもある。その融合された色彩が次第に分離し、コンビネーションとして色彩それぞれが輝きを放ち始める。モーリス・ルイスが試行しようとした色彩同士の関係性は非常に納得できるものである。が、川村記念美術館に再現されたモーリス・ルイスのアトリエは、自宅の小さなダイニングルームを利用したとのこともあり、それまでに鑑賞した作品のスケール感から非常に狭く感じられる。物理的に言っても作品の全景を確認できるだけの幅もないし、引きもない。
 とすると、彼は作品を極めて近くから確認していたのだろうか。いや、たぶん作品の最終的な到達点は、彼の眼前にではなく。彼の想像の中にあったのだろう。そして最終的には作品の全景を確認するために必要な引き(距離)が、傑作には必ず加味される「他者性」として彼の作品に付加されたのだろう。
 ほとんどが49歳の若さで死去する生前には展示されたことがなかったらしい。本当の意味での彼の「作品」は、彼の死とともに永遠に謎のままになってしまったのかもしれない。

11/24
 東京に戻ってきたら雨降りである。
 日がな一日新聞を読んだり本を読んだり、うたた寝をしたり、制作ではない工作をして過ごした。

11/23
 今日はお昼に五平餅を食べたのである。五平餅の謂れとしては、五平さんというきこりが囲炉裏で焼いた餅に木の実などを入れた味噌をつけて食べたからというのと、形が神社の御幣に似ているからというのとあるらしい。どちらにしてもおいしかった。

これが五平餅だ

間一髪。わたしら一家の次のお客で五平餅は完売
 

11/22
 帰省中である。まったくもって雲ひとつないいい天気なのである。ロサンゼルスに一年ぶりに雨を降らせたという雨男のわたしとしては、とても心外なのである。
 両親と一緒にスーパー銭湯と温泉が一緒になったようなところに出かけるという親孝行などという、がらにもない行為に及んだおかげで晴れてしまったのかもしれない。

木曽駒ケ岳

大田切川と遠方の仙丈ケ岳



11/19
 毎週水曜日は1000円均一で映画が見られるのである。そういうわけで、ブライアン・デ・パルマの「リダクテッド」を見た。
 「この映画はフィクションだが、すべて事実に基づいている」という字幕で始まる。その事実とは−
 イラク駐留のアメリカ兵が夜になって基地を抜け出して、イラク女子中学生宅を襲い、両親と5歳の妹を射殺、女子中学生を輪姦し、証拠隠滅のために突撃銃で彼女の頭を粉砕し、体に油をまいて火を放った。そしてその報復としてアメリカ兵が誘拐されて断首された遺体として発見された。事件の首謀者であるアメリカ兵はすでに除隊していたが、本国で逮捕され死刑を求刑されている。という事件である。
 デ・パルマはその事件に基づいて、その前後のアメリカ兵の心理や生活をフィクションで描き出したということである。それは兵士自身によるプライベートビデオ、軍の監視カメラ、海外のテレビ局のニュースやドキュメンタリー、YouTube、ネット上の映像、兵士と家族のチャットといったさまざまなフォーマットの映像の引用という形で構成されている。
 映画のラストではイラクでの惨状として、現実のイラク人被害者たちの画像がシークエンスで登場する。その映像では彼らの目の部分が黒く塗りつぶされているのだ。それは映画会社が訴訟を回避するためにデ・パルマに強要したものらしい。作品自体がリダクト(削除編集)されているというメタ構造を持っているわけだ。その中には映画のフィクション部分である、検問所での停止命令を無視したとして射殺された妊婦や輪姦後に殺害された少女の映像も挿入されているが、これはひとつひとつの画像の背後には計り知れぬほどの憤怒と絶望があるのだということを示すための引用としての効果を狙っているのだろう。
 この映画はひとつの事件に基づいている。しかしイラクで起きているのは、これ以外にも無数の残忍な事件があり、その背景には家族や親族たちの底知れぬ悲しみや怒りが広がっているのだ。それを思うとあまりにも重い気持ちになる。
 ミロシェビッチやカラジッチは拘束されたのに、なぜブッシュやチェイニー、ラムズフェルド、ウォルフォウィッツなどは訴追されないのか。オバマは大統領就任後、グアンダナモを閉鎖する予定らしいが。
 あまりの気持ちの重さに、昨日オープンされた岡本太郎の壁画を見ようという気にもならずに、すぐに帰宅してしまった。

11/18
 神奈川県立近代美術館鎌倉館の岡村桂三郎展。板に岩絵具で描き、板の表面を削ったりして制作した大作が美術館の空間を狭く感じさせるほどの迫力で迫ってくる。コバヤシ画廊で拝見してから追うようになった。モチーフとなっているのは鳥や象、龍、迦楼羅に及ぶ。龍や迦楼羅に至っては、正確にはわからないが、たとえば一回の羽ばたきや一蹴りで数千里の空を飛んだりするだろう。そのスケール感たるや、宇宙まで誘ってくれるようなものである。象にしても鳥にしても魚にしても、幾多の目が鑑賞者を射抜こうと向けられている。その目の力はまさに「生」の貪欲さのようなものだ。
 岡村桂三郎の作品の力強さに圧倒され、美術館を出たら他にはどこにも寄らずにそのまま駅に向かった。そして帰りの電車は鎌倉駅から隣の北鎌倉駅までは記憶があるものの、気がつくと西大井駅だった。そこまで圧倒された、というよりは単にうたた寝をしたということでしょうが。往きには恵比寿駅からうたた寝に入り、次にはっきりと目が覚めたのは鎌倉駅だったし。

11/15
 最近行っていた大掛かりな整理は、ようやく今日の午後終了した。本当のところは手をつけずに整理できなかった本棚などもあるが、まあ床が見えるようになったのは画期的なことだと、この際自分を許してあげることにする。

11/12
 最近、大掛かりな部屋の整理をしている。
 とにかく本とCDが多い。それから今まで制作した作品が残っている(発泡スチロールの作品は捨ててしまいました。今頃は夢の島で惰眠をむさぼっていることでしょう)。発表した作品も試作品もある。それから残った材料や手をつけていない材料もある。さらに紙袋や包装紙もある。包装紙はきれいにセロテープをはがしてきれいにたたみ、後で何かに使うかもしれないと取っておく家系に生まれて、しっかりその血統を受け継いでいるもので(でもかあさん、それをこれっぽっちも恥じたことはないよ)そんなこんながたまりにたまっている。それらをこういう機会に一気に捨てていくのだ。
 4年前の引越しから手をつけていない段ボール箱なんかを暴いてみると、過去の生き証人たちが発掘される。発泡スチロールから紙に素材を変えた時の移行期の試作品や、初期のころの個展の芳名帳なども出てくる。それらによって当時のことを思い出して、なんだか初心に帰ろうとするような気持ちになったりする。
 今日、先日逝去された筑紫哲也氏の追悼特別番組があり、その時代とともに感慨深く見た。なにか音楽を聴きたくなって、テール・スープのCDをかけてみた。寒川さんが亡くなられて3年が経ち、ようやく聞けるようになった。部屋の整理をしていて、思いがけず寒川さんと一緒に西新宿に行って撮った古アパートなんかの写真で、寒川さんからもらったものが出てきたこともあるのだろうか。追悼番組を見た後というタイミングもあるのだろうか。今日になってようやく寒川さんの歌声を聞けるようになった。3年前は突然のことで言葉を失った。今日になって改めて寒川さんに向けて「ありがとう。さようなら。」とようやく言えるような気がする。

11/9
 作品の素材の参考にとホームセンターに行っていろいろと物色し制作の構想を練ろう(妄想を膨らまそう)と思っていたら、あまりの寒さに取りやめ。変わりにドローイングなどをして制作の構想を練った(妄想を膨らました)。
 それ以外では読書三昧、うたた寝三昧の日曜であった。読んだのは寺島実郎氏の著作だ。企業人として会社の業務をこなし、経済、外交政策、国際情勢などについて発言を続け、しかも一貫してぶれのないスタンス。トヨタなど特定の企業に関してなど、企業経営についての否定的な発言はないが、まあそちら側の人だからだろう。

11/8
 例のネコちゃんには餌をやっている方がいるようだ。以前見かけた小さなお鍋がこっそり置かれているのを見つけたからだ。久しぶりにネコちゃんを見たら、元気そうで毛並みもよさそうだった。まずは何よりである。

え?なになに?餌持ってきたの?

なーんだ持ってないの。じゃあいい。



11/7
 筑紫哲也氏死去。なんとも残念なニュースだ。まだまだ冷戦構造真っ只中での「日曜夕刊!こちらデスク」のキャスターとしてテレビで見たのが初めてだった。週刊誌ではあまりお世話にならなかったが、テレビ界に転じた後、「NEWS23」ではベルリンの壁崩壊、湾岸戦争(第一次イラク戦争)、ソ連崩壊、ユーゴ内戦、9.11、アフガン戦争、イラク戦争といった幾多の世界情勢を、彼の発言とともに考察した。これから世界の構造が大きく変わっていくであろうという時期に、彼の発言を聞いてみたかった。そして今後変化していく局面でも彼の発言や予想を聞いてみたかった。彼はオバマ当選を知ったのだろうか。彼の発言には時として違和感を抱いたことがなかったとは言えない。ぶれはあったのか。それもなんとも言えない。が、ほぼどんなときでもわたし自身の考えをまとめるときには後ろ盾となっていたように思う。
 今となっては、3年前にオペラシティーのエスカレーターですれ違ったのは、ただすれ違いざまに目が合っただけだったのだが、貴重な体験だったと思う。重ね重ね残念である。冥福を祈る。
 翻って今日の朝刊のオバマ新大統領誕生に関する鼎談に登場した岡本行夫氏である。曰く「残酷だが、後世の歴史家は、ブッシュ大統領に、ブキャナンなどの過去の数人と並ぶ史上最悪の大統領という評価を下すのではないか。やらなくていい戦争で兵士4千人を死なせた。(後略)」岡本氏の今の肩書きは何であろう。紙面上は「元首相補佐官」である。そう、彼は小泉政権の時代に首相補佐官という外交上のブレーンという役割を担っていたのだ。そしてアメリカのイラクへの攻撃を肯定し、自衛隊派遣を推し進めたではないか。それこそ攻撃も派遣も反対する寺島実郎氏などと真っ向から討論していたではないか。岡本氏がいつ過去の自分の発言を猛省し撤回したのか寡聞にして知らない。今になって何を言うんですかと、開いた口が塞がらなくなってしまった。「外交評論家」なんて肩書きをつけていたら噴飯物だ。「追米評論家」?。評論家という肩書きすら疑問符をつけたい。そう考えると、筑紫氏はほとんどぶれはなかったのではないか。誰かの発言で、「座標軸のような人で、自分の考えが彼の言葉と比べてどの位置にあるかで、自分のスタンスがわかった。」というとおりの人であった。つくづく惜しい人間をなくしたものだと思う。

11/5
 アメリカ大統領選。地すべり的勝利で、バラク・オバマ候補の圧勝。
 先月のグループ展に来れなかったイヴァは、以前のメールで「オバマが勝てば世の中よくなる」みたいな事を書いていた。きっと喜んでいるだろうと思っていたら、「わたしたちアメリカ人がこんな歴史的な夜を迎えられるなんて!未来に希望を持って今日は眠れるわ。」みたいなメールをくれた。
 以前イヴァには「日本にはObama City(小浜市)ってのがあるんだぞ。」と教えてあげた。そうしたら、「オバマが当選しなかったら、わたしは小浜市に移住しなきゃ。」なんてことを書いていた。イヴァは小浜市に移住しなくてもよさそうだ。でも古都小浜市には興味を持ったらしく、ぜひ訪れてみたいとも言っていた。さて、今度はオバマそっくのりさんというふれこみのお笑い芸人、デンジャラスの ノッチを教えてあげないと。ウケるだろうか。
 わたし自身の感想ですか?そうですねえ。まずはあのアメリカ史上最悪の大統領の8年についての総括が必要でしょう。いろいろと不問にされた、あるいは隠蔽された事柄が数え切れないほどあります。それをひとつずつ解明しないといけません。それからさらに数多くの罪に対する確固たる責任追及が必要でしょう。そんなわけでアメリカという国にとっても世界にとっても、現在アメリカの抱える累積赤字のように、まずはそれを0(ゼロ)まで戻す必要があるでしょう。今回選ばれた若く有能で魅力のある人物は、そこからさらにプラスに転じなければならない非常に重い課題を背負っていると言えましょう。アメリカ国民は彼にはそれができると期待したのでしょう。人種や年齢、キャリアに対する偏見や不安を乗り越えて彼を選んだアメリカ国民には、この8年間に抱いてしまったネガティブな印象を払拭され、それ以前の「いろいろと問題はあるけれども、まあまあ好印象」というイメージを持てるようになった。まあそんなところです。
 突然ですが、ここからは上高地について、ご紹介したいと思います。上高地は長野県松本市の松本駅から松本電鉄という私鉄に乗り、「新島々(しんしましま)」という、地名にこだわりのある人には軽くヒットするかもしれない名前の駅で降り、そこからバスに乗り継いで行きます。


梓川の向こう側の穂高連峰

その反対側には梓川の向こうに焼岳が


梓川には水草が生え、水質がきれいであることがうかがえる

まるでタルコフスキーの「鏡」にでもあったような風景

 大正池下車で上高地バスターミナルまでの一時間コース(田代池−田代橋・穂高橋−河童橋)と上高地バスターミナル下車で明神池までを往復する二時間コース(河童橋−梓川岸−明神池−梓川岸−河童橋)という二つのおすすめ散策コースがあります。

11/4
 読み終えた「憲法ってこういうものだったのか!」の目次に[本文テープ起こしのうち、姜尚中氏の発言についての文責はユビキタ・スタジオ 堀切和雅にあります。]という一文があった。「堀切和雅」という名をどこかで見たことがあるような気がしたので、ネットで調べてみた。そうすると、15年ほど前に読んだ「三〇代が読んだ「わだつみ」」の著者であることがわかった。現在は「ユビキタ・スタジオ」という出版社を設立、代表となっているのだった。
 本当にその「三〇代が読んだ「わだつみ」」だけで名前を覚えていたのかどうかは、たぶんそうではなく、なんとなく聞いたことがあるような名前であるような錯覚を抱いていただけだろうが。

11/3
 最近の読書歴からいくつか感想を。
 −「イラク崩壊」−
 朝日新聞元中東アフリカ総局員による、2003年イラク開戦から現在までの現地取材等による現状報告と将来への提言である。以前、書評に「『イラクの恐るべき悪循環を断ち切るには米軍が撤退するしかない』と悲痛な声で結論づけている」と書かれていたのが気になったのだ。根拠のない侵攻、占領により、15万人のイラク人の命が奪われてしまったのである。その責任を放棄して撤退してしまっていいのか、その政策責任者を不問にしたままでいいのかという疑問を抱いたため、その回答を得たくて即座に購入して読んだのである。
 貧困層からの詐欺まがいの徴兵とまったく無駄な若者の死。不条理なまでに暴力の連鎖に巻き込まれて命を落としていくイラクの一般市民。その暴力の連鎖の一端が米軍の占領にある。それを根拠としてイスラム過激派の増加や海外からのテロリストの侵入があると著者は考える。尊い人命が失われるのを防ぐために、政治信条は不問として一定の秩序を保つためには、まず暴力の連鎖の起点である米軍がいなくなることが必要だと言うのである。わたしがこの本を手にする前に抱いていた疑問は、人命救助という緊急の課題の前にはむしろ新たな怒りとなって暴力の連鎖に巻き込まれるものであろう。
 まずは理不尽な死を止めることが必要なのであろう。唯一の超大国である(であった?)国の無能な大統領と、それを操っていた輩たちは、それこそミロシェビッチのように国際法廷に引き渡せばいい。自国民、他国民に対して、人道に対する罪で起訴されればいい。だが、それはまだ悲劇をくい止めてから先でもいい。
 −「在日一世の記憶」−
 新書なのに1600円って、普通の値段の倍はするじゃんと思って本屋に行って驚いた。780ページあまり。通常の新書の三倍くらいの厚さだ。小熊英二、姜尚中が中心となって編集されたもので、在日一世52人にその半生をインタビューして編集したものである。中にはすでに逝去された方も何人かいるし、対象者は詩人金時鐘などの著名人から市井の人々まで多岐にわたる。当然のことだが、同じ時代を歩んだとしても52人それぞれに固有の歴史があり、このインタビュー集は、オーラルヒストリーとして、非常に貴重な資料となっている。また、インタビューを受けた人々は年齢からしても両親に連れられて海峡を渡ったり、あるいはすでに移住していた肉親を頼って渡ってきたわけである。インタビューを受けた彼らの肉声から、間接的にその家族の声も漏れ聞こえてくる。また彼らの子どもや孫といった彼らが築き上げた生活を引き継ぐ人々もいる。そういった方々の戦中、戦後/解放後の生き様はなんとも多様である。一人一人の「生」は重く、かけがえのないものである。
 午後になって外出した。おとといのネコちゃんの状態が気になる。ネコちゃんと会える駐車場に行ってみた。この間よりもはるかに元気そうである。心なしか少し肉もついたようにさえ思える。おねだりをしてくるので、早速持ってきた煮干しを差し出してみた。そうしたらなんと臭いをかいだだけで横を向いてしまった。煮干しだめなの?近くを見たら煮干しを吐き出したような跡がある。すみません、お口に合わないようで。きっとどなたかが十分に餌を与えたのだろう。とりあえずは安心していいようだ。万が一の場合は煮干しではなく何か別のものをあげることとしよう。

煮干しはお好きではないらしく、そっぽを向くネコちゃん

 外出の目的は実はネコではなく、池袋東武で開催中の丸山友紀さんの展覧会を見るためであった。今回は残念ながらワオキツネザルはなかったが、いつものカエルやらフラミンゴ、ペリカン、インコなどがそれぞれの性格を表しながら描かれていた。会場にいらした丸山さんに新たな題材に「ハシビロコウ」はどうかと提案してみた。どうも他の方にも言われたらしく、次回挑戦いただけるようである。が、やはり蛙男商会のアニメ「部長ハシビロ耕作」の話をしたら、丸山さんがちょっと後ずさり、ハシビロ部長が部下の肺魚の青山君を食べちゃうという話にはすっかり引いてしまった。やっぱりハシビロ部長の話はちょっとマニアックすぎるのかもしれないと反省。
 三鷹駅に帰ってくると、「JA東京むさし三鷹地区青壮年部」が「三鷹市農業祭」のPRのために作ったというジャンボキャベツで作ったピラミッドを発見。一応証拠写真を撮らせていただきました。

三鷹駅前広場のジャンボキャベツで作られたピラミッド



11/2
 眠い。細切れにうたた寝を続けて、午後の4時ごろになってしまった。3日まで森美術館で開催のアネット・メサジェ展を見に行かねばと思い、六本木に向かった。
 チケットカウンターには長蛇の列。やっぱり会期終了も近いしなーと、杉本博司展以来に遭遇するうねうね曲がる列におとなしく並んだ。エレベーターを降りて美術館に向かおうとすると、そこにも長蛇の列。アネット・メサジェってこんなに人気あったの?と驚いてその列に並ぼうとしたら・・・。そのうねうねと曲がる列の先は、美術館に行くためのエスカレーターには向かっていない。どうやら展望台へ行くのを待っている列だった。不肖わたくしが推測するには、連休の中日であることと、ちょうど日没後であたりが暗くなっているころであることで、展望台から夜景を見てから夕食でも食べようという魂胆の方たちが押し寄せたのではないか。少しほっとして美術館へ向かった。
 アネット・メサジェは大掛かりなインスタレーションが多く、現代社会で失われてしまった「生(なま)」の存在、身体性を再獲得し、改めて生と死を見つめなおそうとしているような作品であると感じた。
 美術館を出ると、展望台へ行くための列はまだまだうねうねとそこにあった。わたしも展望台から風景を眺めるのが好きですが、それは夜景がきれいだとか遠くまで景色が見えるからとか、そういうことではありません。足元の景色を見たり、遠いところまで見えたりすることで、自身の身体性が喪失されていくような、そんな感覚をおぼえるからです。でも長い列の一番ケツに並んでまでその感覚を味わいたいとは思いません。ってなわけで、そのままエレベーターに乗って帰りました。
 あ、そうだ。気がついたことがひとつあります。美術館の中で携帯をかけるのはやめましょうよ。

11/1
 午前中に本を買いに駅前まで出かけた。途中の駐車場で、いつもいるネコちゃんがぐたっりと横になっている。立ち止まりちょっと物音を立てて招きよせた。そうしたらけだるそうに起き上がり、ゆっくりと近づいてくるのだが、その毛並みの悪さとやせ細った体に驚いてしまった。

ぐったり気味のネコちゃん

 午後になってから再びそのネコちゃんのところに行った。最悪の場合、そのネコちゃんを救出し、自宅で飼うことまで考えて、とりあえず食料を与えようと煮干しを数本持っていったのだ。その駐車場に到着したら、昼寝をしているネコちゃんの横には小さなお鍋が置いてあった。どうやらどなたかが餌をあげたらしい。それにとりあえずはほっとした。わたしを見つけたネコちゃんはすくっと起き上がり、餌をねだり始めた。煮干しを5本、そのお鍋に入れてあげると堅いものを一生懸命に噛んで食べている。頭を残してわたしの方に向かってきて、しゃがんでいる膝下に頭をこすり付けてきた。感謝の意を表しているのか?喉元をたくさん撫でてあげた。そして残りの煮干しを食べることに集中するように、その場を立ち去った。あのネコちゃんは地域ネコだろうか、ずっとあの駐車場にいる。もしかしたら餌を与えている方の都合でしばらく餌が与えられていない状態だったのかもしれない。なにかの対処がなされているのかもしれないと思い、下手なことはしないようにしようと餌を与えることは控えていた。だが、今日はあまりの痩せ細った体を見て餌をあげることにしたのだ。今後も様子を見て、おなかをすかしているようだったら餌をあげるような対応をしていこう。
 さて、ネコちゃんとのひと時を楽しんだ後、ギャラリーKINGYOで開催中の嶋津晴美さんの個展へ向かった。画像で展示会場の様子を拝見していたので、期待して行ったのだが、期待通り、今までの彼女の個展では最高のクオリティーであると感じた。お話をお聞きして、金魚というモチーフと出会えたことによってワンステップ先に進むことができたような感じらしい。色彩のリズムと躍動感からして、最初に目が行った作品が、ずっと引っかかっていたので、それを購入させていただくことにした。思えば嶋津さんの初個展でご一緒させていただいて以来、ずっと三回の個展を拝見させていただいているが、一人の作家が着々と前に進んでいる様を目の当たりにできることはとてもうれしいことである。いろいろとお話をお聞きして、すっかり長居をさせていただいた。帰りには恒例の大黒屋さんのお煎餅を買って帰ることとなった。

10/29
 いろいろな意味(時間とか気持ちとか)で奮発して、三島のギャラリーへ行った。
 新宿から湘南新宿ライナーで小田原に出て、小田原から熱海まで東海道線に乗り、熱海から三島に行く。熱海まではJR東日本で、その先はJR東海だったのだ。知らなかった。
 三島は湧き水の街ということで、駅前からいたるところに小川が流れている。そんな道を歩いてGallery エクリュの森へ。井上まさじさんの個展が行われているのだ。
 陽光を取り込んだ広いギャラリースペースに、土日画廊と比べて色彩が淡い作品が展示されていた。作品の持つ表情をひとつずつ確認するように鑑賞し、芳名帳に記入し終わったところで、ギャラリーの方に「熱心にご覧になってらっしゃって、もしかしたら・・・。」と、わたしが土日画廊で井上さんの作品を購入した人間ではないかと尋ねられた。どうやらわたしが購入した作品はこちらのギャラリーのオーナーさんもお気に召していらして、それで土日画廊から連絡が入っていたらしいのだ。ギャラリー・オーナー田村さんのおっしゃるには、井上さんはわたしの作品を高く評価していて、わたしが井上さんの作品を購入したことをとても喜んでいらしたらしい。「やっぱり作品というものは持つべき人のところに渡るんだって井上さんもおっしゃってましたから。」と。それはまた光栄なことである。二つのギャラリーで井上さんの作品を拝見し、やはりわたしは自分が一番気に入った作品を購入したということを改めて感じた。
 田村さんがわたしの作品を見たいとおっしゃるので、日ごろ持ち歩いている営業道具一式(過去作品のカード)から何枚かカードをお渡しし、ここのところずっとバッグの中に入れていた清里の展示の写真もお見せする。一つ一つ丹念にご覧になって興味をお持ちいただいた。これもまたうれしいことであった。
 ギャラリーを辞してから、近くにある三嶋神社に寄って、水辺の文学碑という通りを歩いて、井上さんお勧めの楽寿園に行った。途中の商店街がほとんどシャッターが閉まっているのが印象的だった。三島の中心地はどこなんだろう。さて、楽寿園であるが、井上さんはその中にある溶岩が固まって波状になりそこにコケが生え、さらに木の根が走っているようなところを見て、わたしの作品を思い浮かべたのだそうだ。それをぜひ見てきなさいと言われたのだ。
 楽寿園には焼く14000年前の富士山の噴火の際の溶岩(三島溶岩流)の上にコケが生え、さらに樹木が生息しているところである。

楽寿園の小浜池。でも今は渇水中

「縄状溶岩」こんなあたりを見て井上さんはわたしの作品を思い出したのだろうか

溶岩の上に根を走らせているのも井上さんにはたまらないらしい

 翌日から「菊まつり」が開催されるようで、平等院をかたどった大掛かりな造りを準備しているところだった。それ以外はほとんど静かなたたずまいの庭園で、平日の午後で来場者もあまりいず、のんびりした雰囲気を楽しんだ。
 帰りは再び三島から熱海、熱海から小田原へと東海道線を乗り継ぎ、小田原から新宿湘南ライナーで帰った。電車の中では読書三昧かと思って、読みかけの本プラス3冊ほど持っていったのだが、実際にはうたた寝三昧で、読みかけの本すら余り先に進まなかった。

10/28
 西荻駅でオノテツさんと待ち合わせをして少し話をした後、ギャラリーブリキ星の川ア美智代展へ。DMの画像だけではわからない、生(なま)の感触がある。川アさんと作品との関係が、また少し変化をしているようにも感じる。その変化は過去の作品の変遷からずっとつながっているように思えて、とてもしっくりと納得する変わり方のように思える。柔らかい陽光のような中にもしっかりとした立脚点を見出せるような気がする。作品の中に深く広がる空間と時間があるような、そんな味わい深さを楽しませていただいた。さてこれから彼女の作品はどのようになっていくのだろうか。
 せっかく西荻に来たのだからと、帰りに音羽館へ向かったら、本日定休日であった。残念。でもあり、危険回避でもある。寄ってみれば興味のある書物が何冊も並び、時によってはあれもこれもと手にしたくなる。そして散財してしまう。得をしたような、ああまた本が増えてしまったと反省するような、古書店の魅力は複雑なものである。

10/26
 昼過ぎにマキイマサルファインアーツへ。設置後、ライティングとか完全な状態で見るのは、オープニングで人がごった返していたときだったので、改めて鑑賞。今回来日できなかったイヴァの作品は、落ち葉とPCのマザーボードといった自然と人工の素材を用いて、生態系のもろさを表現したものだが、それが妙に人工物の成れの果ての廃墟とそれを侵食して覆い尽くそうとする自然の強さを表現しているように感じ、とても興味を持った。狙いをつけていた二つのうちどちらかをほしいと思って実際に今回出展されたいくつかの作品をじっくり見ているうちに、狙ったものではない別の作品が強く印象に残ったので、そちらを購入することにした。
 それから土日画廊へ。井上まさじさんがいらっしゃる日を選んで、今日行くことにしたのだ。表現者としての心構えやそれを作品へと結びつける過程などについてお話をお聞きする。そして大変光栄なことだが、わたしの作品を面白く、可能性があるとおっしゃっていただく。井上さんの、何層も色彩を重ねて表面とキャンバスの間を微分化していく行為と、わたしの「あいだ」を微分化していこうとする行為は近いものだと感じる。
 キャンバスに麻紐やジェッソを置き、そのに何層も色彩を重ね、それをサンドペーパーで処理することにより浮かび上がる色彩の、自身の意図を超えた輝きや配置のリズム。それらは井上さんが暮らす北海道の自然やわたしたち自身の肉体を構成する細胞の紡ぐリズムに通じていくのだろうか。わたしが描き切り取っているフォルムも細胞をモチーフのひとつとしている。そういった微細な構造から宇宙の広がりへ通じていくのだろうか。
 ぜひにと、奮発して一番気に入った作品を購入させていただいた。土日画廊のオーナー板橋さんによると、わたしの選んだ作品はギャラリー関係者にも人気の高い作品らしい。また、わたしがまだ北海道に行ったことがないと知ると、ぜひ行ってみれば井上さんの作品の元になる風景も見られると勧めてくだすった。もし北海道に行く機会があれば、ぜひ井上さんのアトリエも訪問させてもらいたいとお願いした。いろいろとお話しが聞けて、大変有意義なひと時であった。
 今日は作品を二つも買ってしまった。総額はPCを一台買ったくらいの額となり、今までの生活の中で一二を争うほどの高額な支払いをした日となった。

10/24
 なんと、NHK連続テレビ小説「ちりとてちん」のDVDの応募券による「徒然亭家紋入りオリジナル扇子プレゼント」に当選である。
 これで運が上向いてくれたらなー、などとよくある発言をしてしまった。あるいはこれで運を使い切っちゃったか?と、これもよくある発言である。まあ、いずれにしても確率の問題であり、これはたまたま放映時にはあまり見ずに、DVDを購入したひとりのおじさんが選ばれたということに過ぎないのである。実際に扇子なんて使わないし。

プレゼント当選の通知

これが「徒然亭家紋入りオリジナル扇子」だ

徒然亭の家紋である「ひぐらし」



10/21
 N氏らグループ展でご一緒した方々と、北京のギャラリー巡りをした。宿は国民宿舎みたいな、トイレ、風呂は共同のところだった。トイレに行ってみると、スリッパが妙にでかい。それでもって白い。これじゃあ和式の便器みたいじゃないかなんて思いながら、それをはいて用を足した。
 それからみんなでロサンゼルスの家電量販店に行って、エスカレーターに乗りながら、洗濯機なんかの家電を見下ろして、「なんだ日本とおんなじだよなー。」とか思った。
 それからひとり帰省したのだが、実家には帰らずにどこか旅館に泊まった。そこから自転車に乗って地元の美術館と歴史博物館に行った。途中の交差点で信号が変わるのを待っていたら、どうやら同郷で知り合いらしいセレブたちがオープンカーで乗り付けてきて、「ひでえところだよなー、ここは。なんだよお前の泊まっている旅館もすっげー、ひでーところだなー。」と、信号が変わって走り出したわたしに付きまとってきて、まあ鬱陶しいことといったらなかった。
 という夢を見た。なんともインターナショナルではあったが、最後に帰省してしまうのがしょぼいではないか。それにしても北京で用を足したときによくオネショしなかったものだ。してたらこんなところに書くわけないか。

10/19
 やはり昨夜も目がさえてしまい、いつのまにか2時を過ぎていた。布団に入って本を読んで、そろそろ眠れるかなと思って寝たのが3時前だったか。
 で、起きたのが5時40分ごろか。夜明けとともに起きるおじさん。っていうか、もうじいさんですな、こうなったら。
 例によって新聞を読みながらだらだら朝食を摂り、昨日プラネイと約束したジム・オルークのCDから、彼がLAでは決して手に入らないだろうと思われる日本国内でのみ発売したようなものを見繕いながら、CDをボーっと聴くことにした。その他、彼が昨夜口にしていたキーワード、「アンビエント」、「ハウス」といったあたりを参考に、イグチトシオCDコレクションの中からいろいろと探してみた。いやー、気が早いっす。だって彼は今日の午後に日本を発つんだもの。
 午後になってギャラリーKINGYOの小品展の撤去へ。出展しておいて、最終日の撤去直前にようやくお邪魔してしまいまして、申し訳ありません。村元さんがいらして、アトリエや自宅などの住宅事情やら、制作に対する日常的な姿勢などについて話し合う。村元さんのセロテープなどを切るギザギザの金具(なんていう名前なんでしょう。テープカッター?)を円形につないだ作品「爪飾り」が、まるでインダストリアルデザインみたいで秀逸だった。
 撤去にやってきたサトウアキコさんに、ご自身の作品「ハシビロさん」は蛙男商会のアニメ「部長ハシビロ耕作」由来なのか聞くなどという、やや暴走気味な行為に走ってしまったことは反省いたします。ここ二日ほど英語漬けで疲れているんでしょうきっと。いつもはこんなんじゃないんですよぉ。
 猫の街、谷中である。帰る途中で見かけた一匹には嫌われ、もう一匹には猫業務の事務的な対応で、喉などを撫でさせてもらった。おなかを撫でたら、軽い猫パンチを食らった。女の子だったから、迷惑行為防止条例に反してしまったのかもしれない。申し訳ございませんでした。

10/18
 結局昨夜は2時過ぎまで寝られなかった。が、朝は5時前に目が覚めてしまった。その後新聞を読んだりしてだらだら過ごして朝食を摂り、洗濯やら布団干しなどが一段落してから、横になりながら本でも読んで体を休めようと思って、横になったと思ったらいつの間にかうたた寝をしていた。ハッと目が覚めてまた本の続きを読んでいたつもりが、いつの間にかうたた寝をしていた。そんな繰り返しをしていたら12時ごろとなり、小腹もすいていたのでお昼を食べた。それからまた本の続きを読んでいたつもりがいつの間にかうたた寝をしていた。そんな感じで細切れにうたた寝をしていて、なかなか昨日の疲れが快復できないでいたが、3時過ぎになったところで、ようやくなんとか浮上することができた。それから浅草橋のマキイマサルファインアーツのオープニングに出かけた。
 ギャラリーの前でタバコをすっていたヤングを見つけたので、設置は終わったのか尋ねたら、どうやら午後4時に終了したらしい。えぇ〜っと、今、5時10分前なんですけど。コウに夕べのことを尋ねたら、結構ディープなトーキョーを楽しんだらしい。が、Go Crazy Tonight!とか言っていたプラネイとマイクの姿が見当たらない。まだ来ていないみたいだ。はたして彼らはどこまでクレージーになってしまったのか。
 知り合いの作家さんも何人かいらっしゃって、いろいろと話をする。中には懐かしいお顔も見える。LAでお別れして以来の再会となったかとうかずみさん、高島史於さんにいたっては、わたしがマキイマサルファインアーツで個展をした2007年2月からほぼ1年半ぶりにお会いできた。あまりオープニングパーティーをしないわたしだが、こうして再会を喜ぶことができるのはいいことかもしれないとも思った。
 さてさて外も暗くなってきて、パーティーの準備も始まる。そのうちに外でタバコをすっている集団の中にプラネイとマイクを発見。夕べの事を聞いてみたら、どうやら彼らは例のなんとかというクラブを満喫し、朝6時に渋谷を出たらしい。iPhoneでクラブの中の様子やら、朝のがら空きの電車にぐったりと座っているマイクや眠そうなプラネイの顔を見せてくれる。電車の窓から見える朝焼けなんかの写真も撮っている。「いい体験ができたじゃないか。トーキョーの夜明けが見れたなんて。」とからかってあげる。
 さて、オープニングパーティーも始まり、中込さんの音頭で乾杯をする。しばらくの歓談の後、アーティスト・トークが始まる。みんなそれぞれ現代の消費社会の中でアーティストとしての自分というフィルターを通して社会を捉えなおすという意識で制作を行っているようで、それぞれ興味深い話を聞けた。

言葉を選びながら自身の作品の解説をするコウ

プラネイの解説を通訳する中込さん

自分の作品を解説するヤング

 アーティスト・トークが終わって、いろいろな場所で会話の輪が作られる。わたしは大竹さんや団野さん、大橋さん、村元さんといった去年のグループ展のメンバーと近況を話したり、知り合いの作家さんをギャラリースタッフやらコウやヤングやプラネイやマイクに紹介して会話を取り持ってあげたりする。マイクからは「君はmatchmakerだな。」と言われる。ああ、考えてみれば日常的にそんなことあまりしたことないのになあ、英語が絡んできたりすると、妙に人格がちょっと変わるかもしれないなあと思った。その後も日本の作家さんや、ヤングの友人のボラと話をしてカードを渡したりしたり、紹介をしたりして自分でも信じられないくらいにパーティーの中に混ざりこんでいた。さて、宴もたけなわというところで、二次会へ行くことになった。わたしもがんばって二次会に行くことにした。いつもはこんなに付き合いのいい子じゃないんですのよ〜。
 マイク、プラネイ、コウ、繁田直美さん、嶋津晴美さんなんかと同じテーブルになり、マイクが俳優をやっているということもあり、好きな俳優や映画、映画監督の名前を言い合って、場が盛り上がる。コウは日本の映画も見ているらしいので、話をしたいところだが、日本の映画の英語のタイトルがわからないので、ストーリーを説明して理解してもらおうとしているあたりが、なかなかもどかしいところである。彼は黒澤明の映画を見ていたり、わたしも知らない最近の日本映画を知っていたりする。タルコフスキーだとか、キェシロフスキだとかのあたりも見ているようだ。韓国映画としては、「トンマッコル」や「ペパーミントキャンディー」(タイトルだけではコウはピンと来なかったらしい)などや、10年前に見た、パンソリを歌う少女の映画を見ただとか話し、金大中大統領の文化支援政策により、韓国映画は本当に隆盛を極めているというような話で盛り上がった。

熱燗を楽しむマイクとプラネイ

コウとは映画の話で盛り上がる

 偶然隣り合わせになったのがICUに留学しているガス君で、彼は国際関係学と日本語を勉強しているらしい。「せつない」を英語に翻訳するとどういう意味なのか確認されたり、「そう」という相槌のような答えのような応答が持つバリエーションの豊かさや、「重い」と「強い」の使い分けなど質問された。ガス君には「二足のわらじ」という言葉を教えてあげた。どうもガス君は去年わたしがLAで展示したブルーリーの近くで育ったらしく、それだけでも「なんて偶然」なのだが、ガス君の両親が住んでいるところとマイクの友達が住んでいるところが、どうやらほとんど同じブロックというくらいの近さらしい。もちろんふたりはその場が初対面。いやいや世界は狭いものだ。世界は狭いと言えば、とまた話がつながっていく。
 さてさてそんなわけで宴たけなわではございますがとお開きとなり、みんなともお別れ。プラネイとマイクをCD屋に連れて行くにはもう閉まってしまっている時間だし、お互いに情報やらCDを交換しようということになった。プラネイもLAに落ち着き、案外LAのミュージック・シーンも面白いことになっていることがわかってきたらしい。それをわたしに送ってくれるとのこと。わたしもジム・オルークの最近の活動を示すようなCDを送るよう約束をした。他のみんなとも再会を誓ってお別れをした。
 昨年のグループ展の参加者は正直なところ、年上だし、すでにエスタブリッシュされた作家さんばかりだったが、今回は比較的年齢も近く、スタンスも近いところの作家さんたちなので、親近感もわき、今後もコンタクトを取り続けていきたいと思った。
 まあそんなところで今日も少々ハイな状態で、備忘録を書き上げたと言うところです。はい。

10/17
 LA作家展の設置のお手伝いに、浅草橋のマキイマサルファインアーツへ。まずは中込さんが車で作品を持って来られ、中込さんの作品の設置のお手伝いをする。しばらくすると、プラネイとマイクが登場。京都旅行に話を向けると、二条城や金閣寺、竜安寺などに行ったとか、京都御所は閉まっていて残念だったとか、いろいろと話をしてくれる。わたしも竜安寺の石庭が好きだなどと話をする。やはり新幹線も早くてエキサイティングだったらしい。しかし二泊三日の京都旅行は短すぎたとも言っていた。プラネイは東京はエキサイティングで気に入ったらしいが、どうやら今回の旅行はあまりにも短すぎたためか(19日の午後には発つらしい)、また来るつもりなのだろう、行くとしたらどの街がいいか、きみはどこが好きかとも聞かれた。
 さて、マイクとプラネイのふたりには、プラネイ自身の作品と、今回来日しなかったカルロとイヴァの作品の設置をしてもらう。さらにしばらくすると、今回来日したコウとヤングの二人が登場。コウは作品の研磨を発注して、その納品が午後4時ごろになるらしい。さらにヤングはまさにワーク・オン・プログレス、展示位置を決めてから、その場で制作を開始する(ように見える。おいおい!)。中込さんがコウを乗せて、車で作品を受け取りに行く間、わたしは中込さんの小品の設置を行うことになった。人の作品の設置をするのはなかなか難しくもあり、また勉強にもなった。
 しばらくして中込さんとコウが、コウの32kgのステンレスの作品を車に乗せて戻ってくる。ヤングは作家友だちのボラ(女性)の協力を得ていまだ制作中。でもしばらくしたら、後は明日やるからとか言って、三人で夕食に行っちゃいました(おいおい!)。
 マイク、プラネイに新宿のタワレコに連れて行ってやろうと思っていたが、それどころではないくらいの疲労感に押しつぶされそうなわたし。反対に若者ふたりは、Go Crazy Tonight!とか言って、テクノでもハウスでもロックでもDJがなにかやっている、いいクラブはないかと聞いてくる。う〜ん、おじさんはユーロ・スペースの近所にあるクラブ(あれってクラブってんですよね)ぐらいしかわかりませんが、ときどきゴスロリの女の子やらなんか普通の格好した若人らが入場を待っていたり、だらだらしているのを見たことがあるだけで、その若人らが中でどんなことをしているのか知りません。そこに彼らに年齢が近いギャラリースタッフのKさんが助け舟を出してくれる。プラネイのコラージュ作品に、レディオヘッドのジャケが使われているのを見て、そっち系(どっちだ?)のクラブを案内する。アマテラスなんたらかんたら?天照大神か?知らんぞそんな恐れ多い倶楽部なんぞ。なんでもレディオヘッドのボーカリストも参拝じゃなかった行ったらしい。元気な若者たちは終電と深夜バスの時間や始発の時間を教えてもらい、荷物をギャラリーに置いてお財布だけという身軽な格好でいそいそと出かけてしまった。
 すっかり疲労困憊のわたしは、最終的なチェックは中込さんやギャラリーのスタッフさんたちにお任せして、先に帰らせてもらった。帰りに寄ったスーパーで、自分へのご褒美に山梨産ブドウ「甲斐路」を購入。明日食べましょう。
 今日は主に小品の設置をしただけなのに、なんでこんなに疲れたのか。それは自分以外の作家さんの作品を設置するということで、結構神経を使ったのかもしれないし、英語でいろいろと話をしたために(実際には会話の半分以下だったかもしれないが)、言語野のいつもは使わない部分を使ったからかもしれない(帰りの電車の中で友人に携帯でメールを打とうと思ったとき、まだ頭の中が英語モードだった)。
 そういえば、月曜日の待ち合わせのときにプラネイを発見したときのいきさつを話したら、プラネイは「あー。ぼくはなんて言ったらいいわけ?」とか言っていたなあ。英語だとなぜかジョークを言いたくなる。某在日外国人タレントが日本語でだじゃれを言っているのと同じことか?
 これはある種の備忘録です。少しハイな状態で今日一日をまとめてみたので、ちょっと混乱気味です。そしていつも寝る時間なのに目がさえてしまっているので、仕方なくこの備忘録を書いているというわけです。はい。

10/15
 やまだないとの漫画を読んでいた。いつの間にかうたた寝をしてしまったらしい。気がついたら兄が部屋に入ってきていた。自宅の屋根が雨漏りをするらしい。修理するには費用がかかり、それを支払う余裕がなく、わたし以外に頼る人がいないのだと言う。うたた寝をしているわたしを起こそうと、声を掛けたり体を触ってきたりしてくる。起きたくないわたしは、わたしが目を覚まさないと兄が諦めてくれるように、わざと大きい寝息をした。
 という夢を見た。確かにうたた寝の前にはやまだないとの漫画を読んでいた。そして自分の寝息が聞こえていた。あまり愉快な夢ではないが、まあいいか。ずっと昔、自分が源平か南北朝か戦国の合戦に参加していて、ざっくり切り殺される夢を見たことがあったっけ。それに比べればはるかにましだ。

10/14
 オノテツさんとまたお茶をしながら歓談。井の頭公園近くの喫茶店には、ネコが何匹かいる。席の近くまでやってくるので、撫でようと思うと、もうちょっとのところを通り過ぎる。店を出ようとするときに、棚の上にいるネコに触ろうとしたら、注意書きが書いてあった。
 「さわらないでください。そっとしておいてください。」
 はい。その子たちには触らずにそっとしておいて、帰宅してから愛すべきネコちゃんたちの画像を見て我慢しておきます。
 中でも一番のお気に入りネコはこの男の子。(上記サイトより無断拝借)↓

曰く「いろいろな意味で見る人を笑わせてくれるという『大将』(仮称)」

どなかた心優しい方にもらわれたようでなにより


10/13
 昼過ぎくらいに、突然中込さんから電話がかかってきた。今週末から始まる、LA作家展に参加するプラネイとその10年来の友人マイクと新宿で会食するから来ないかとのお誘いである。迷うことなくお誘いをお受けする。プラネイとも中込さんとも一年振りである。
 待ち合わせ場所の新宿南口に行くと、なんとなく三人ぐらいの塊の中で、ひときわ前後に大きくうなずいている姿を発見する。おお、あの体の揺れは懐かしいプラネイではないかと思い、そのグループに近づくと大当たり。中込さん、プラネイと再会を喜び、マイクには自己紹介をする。中込さんがプラネイに言う。「ほーら、7時ぴったりだ。日本人は時間に正確だろう?」どうやらわたしは7時ぴったりに到着したらしい。いやいやみんなに会う前にちょっと買い物をしてたんだけどね。「ぼくは生粋の日本人だからさー。」とジョークを言ってみる。
 プラネイは日本は初めて。マークに至っては海外旅行が初めてらしい。彼らは今日は明治神宮に行ってきたらしいが、神社の持つ厳かな雰囲気に感銘したらしい。それから新宿の人ごみやらストリートミュージシャンたちなどの賑わいやネオンサインのきらびやかさに興奮気味だ。新宿の街をうろうろ歩きながら、映画「ブレードランナー」の話をする。マイクはまだ見ていなくて、「みんなにはあれにそっくりだと言われたから見なきゃいけないと思っている。」と言うし、プラネイは見たことがあるらしいが、「でもこっち(東京?)の方がハッピーだ。」と言う。
 中込さんの提案でデパートの地下食へ行ってみる。ここはデパートメントストアだと言って伊勢丹の一階に入ると、化粧品売り場に「アハーン。」とにやついて、「おいおい、僕たちに何を買わせるつもりだよ。」と言って来る。地下階に降りて、まずはチョコレート売り場だ。プラネイは目を丸くして「ほんとに日本は至るところでデザイン化されてるよ。チョコレートがまるでダイアモンドみたいに陳列されている。」と感嘆の声を上げる。いろいろなコーナーを歩き回り、肉まん(?)やパンの試食にカナダ産のワインの試飲と地下食を堪能し、和菓子コーナーでさらに「ワオッ!なんてデリケートな作りなんだ!」と驚嘆する。「これはちょっと値段が高いけど、写真撮るのはタダだよ。」と言うと早速写真を撮ってお互いに見せ合いっこをする。「陳列の仕方もきちんとデザイン化されていて、まるで高級品だ。」と言うので、「食べられるダイアモンドってところかな?」と言ったら「冗談抜きに本当にそうだ。」と真顔で答える。
 中込さんが言うには女性のアーティストを連れてくるとみんな喜んで見て回るということだが、「主婦の目」ということではなく、「アーティストの目」からデパートの陳列方法などを楽しんでいるのかもしれない。
 それから新宿駅近くの居酒屋に入ったのだが、案内されたテーブルは窓に面していてマイシティーが見える。そこでふたりはまた感嘆の声を上げて外の風景を眺める。

伊勢丹の地下食で、きれいな和菓子の写真を撮って見せ合うプラネイとマイク

新宿の居酒屋の窓から駅前の賑わいに見とれるプラネイとマイク

 最初はひとしきり日米の社会構造や文化の違いについて論じ合う。やはり彼らの目には、アメリカは個人主義が利己的な行動に走る傾向にあるのに比べて、日本はまとまって調和があり、そこを見習うべきだと感じたらしい。しかしその調和こそが日本人の個性を縛り付けて動きが取れなくなることもあると、中込さんが言い、お互いに学びあう必要があるなと結論付ける。
 彼らは明日から京都に行くらしい。マイクは新幹線に乗るのをとても楽しみにしている。「右手に富士山が見えるけど、時速260kmくらいだから気をつけていないとあっという間に見失っちゃうぞ。」と中込さんが冗談を言うと、「ワーォ!もう明日が待ちきれないよ!」と目を輝かせる。可愛いやつら。
 プラネイが今日撮ってきたという原宿から明治神宮あたりの写真をiPhoneで見せてもらう。わたしたち日本人にはなんということもない日常的な風景だが、やはり初めての土地だからだろう。なんでも物珍しげに画像に収めている。まあ、わたしなんかがピカデリーサーカスで雑踏の写真を撮ったりするのと同じことだ。再び彼らは明治神宮の厳かな雰囲気についてよかったよかったと言う。「京都はここよりもっともっともっともっといいよ。」と言うと、目を丸くして 「本当?ワーォ、もっともっともっともっといいだなんて、もう京都に行くのがほんとに楽しみだ。」と言う。中込さんが「アメリカはせいぜい100年か200年前だろ?京都は8世紀からあるんだからな。」というと、ふたりとものけぞって「ワーォ!」と目を輝かせる。なんて可愛いやつらだ。それにしても隣の席の女の子たちの声が大きくて英語がうまく聞き取れなかった。きっと日本語はすんなり入ってくるのに、英語は別のセンサーを働かせなければならないからだろう。
 それから中込さんの提案で西新宿の住友ビルの展望台へ行ってみることにした。
 新宿副都心の高層ビル群もまた彼らには新鮮らしい。特にプラネイはニューヨークにも住んでいたことがあるので、ニューヨークとかの方がもっとビルは高いと思うのだけれど、どうやらニューヨークはひしめき合うようにビルが建てられていて、見上げてもただ上の方しか見えないが、こちらはビルの全体像が見えるのが、とても興味深いらしい。都庁には「高さについてはもっと高いビルは見たことがあるけれど、大きさについてはこんなの初めて見た。」と驚いている。住友ビルは中が空洞である。下から上を見上げたり、上から下を見ると、なかなか珍しい景観ではある。プラネイは盛んにweirdとかsuper-crazyとか言って、しまいにはridiculousとまで口にする。おいおいそんなにかよ。
 しかし十何年前にはもっと視界が広かったと思うのに、今では都庁しか見えないではないか。それでも見渡す限り街灯が続く景観には彼らは本当に驚いていた。本当だったら東京タワーとか六本木ヒルズとかの方がいいんだろうけどね。
 すっかりクレージーなトーキョーを堪能した彼らの大満足な笑顔と新宿駅でお別れをした。
 帰りの電車ではひとり反省会。ああ、英語、わたしの英語・・・。時制とかもうめちゃくちゃ。そういえば去年LAから帰ってから英語をしゃべったってのは小淵沢駅で小海線の本数とか隣駅に向かう電車のこととか尋ねられたときぐらいじゃないか。設置の手伝いをするときにはもう少ししゃべれるようにしておかなきゃって、特に勉強とかしないんだけどさ。

10/10
 ここ数ヶ月、伊坂幸太郎作品を読み続けた。数年前に話題になった「魔王」を読んで以来、ずっと手にしていなかったのだが、なんとなくここに来て古書店で文庫など買い揃えて読み通したのである。ストーリーの構成力はあるし、読み応えのある文章を書く力も持っている。物語の構築も玄人筋からのウケもよさそうな形を持っている。「いいキャラ」の登場人物も散りばめられている。文庫本になった作品を読んだ限りにおける、伊坂作品に対する感想を書きたい。きっと多くの伊坂論が出回っていて、わたしの感想などは陳腐であったり、的外れなのかもしれないが。
 たぶん多くの支持を受けているのは、それなりに読後にカタルシスが得られるところがあるのではないかと思う。残酷極まる、陰惨で理不尽な事件も起きることは起きるが、ストーリー展開の外郭で起きていて、それが伝聞の形で導入される程度である。また、極悪非情な登場人物には、分相応の報いが大抵用意されている。登場人物たちはストーリーの終わりではだいたい因果応報と思われる結末を迎える。途上ではハラハラしたり、ちょっといやな思いはするが、最終的には納得して本を閉じることになる。それこそ真っ赤に染まった肉塊を投げつけられたり、汚物に顔を突っ込ませられるような結末を迎えることはない。
 今の状態でもかなりのクオリティーを持った作品だと思う。しかし梁石日の「血と骨」の父親のように強烈な存在は出てこないのだろうか。もしかしたら伊坂本人がそれを欲しておらず、今の作風が一番彼には納得できるものなのかもしれないし、そうでなくなったら伊坂作品ではなくなってしまうのかもしれない。まだまだ先は長いから、彼が今後どういう作風を獲得していくのか、それもまた楽しみである。
 彼の作品は「ミステリー」というジャンルに入れられることが多い。しかし今回通して読んでみて、「ミステリーですか?」という疑問が浮かんでしまった。小学生時代「少年探偵団シリーズ」などで推理小説漬けの日々を送ったことのあるわたしとしては、伊坂作品をミステリーとカテゴライズすることに疑問がある。普通に文学(純文学でもいい)としていいではないか。この程度の「謎」だったら、それこそ堀江敏幸の「彼岸忘日抄」にも出てくるぞ。エンターテイメント性の高いものとしてカテゴライズするとしたら、その先鋭性も考えれば、「アヴァン・ポップ」としてもいいのかもしれない。まあ「ミステリー」とジャンル分けすれば、販売戦略上いいのかもしれないですわな。

10/9
 ミシェル・ゴンドリー、レオス・カラックス、ポン・ジュノという3監督によるオムニバス映画「TOKYO!」を、今日ようやく鑑賞。
 ミシェル・ゴンドリー、ポン・ジュノの描くトーキョーは世田谷や杉並あたりの住宅地の木造モルタルアパートの臭いをさせ、ノスタルジーも少し加わった親近感のあるファンタジーとも感じる。それに比べてレオス・カラックスの描くトーキョーは、まるでまだ湯気が立っている、あたりを真っ赤に染めるようなトーキョーの「臓物」を、悪意に満ち満ちて投げつけられたようなインパクトがあった。
 下水道の怪人「メルド!」(糞)が銀座中央通りや渋谷駅前の歩道橋に出没して、通行人に危害を加えて大混乱に陥れる。その怪人メルドは花びらと札束を食し、トーキョーの地下に暮らす。その地下には戦車の残骸が残り、岩に旭日旗が掛けられて、その奥の岩壁には「南京に於ける我々の英雄・・・」と読める文字が大きく書かれている。そこに置かれていた兵士用の厚手のコートをはおり、木箱の中から手榴弾を持ち出し、渋谷の歩道橋から四方に投げつけて多くの犠牲を生み出す。まるで騒々しいまでにきらびやかなトーキョーの地下に巣くっているものがまさに怪人「メルド!」であり、日本人を不潔であるとか、目の形が女性器を連想させる汚らわしい種族だと糾弾する「人種差別主義者」でもあるのだ。その反対に彼を裁く法廷の裁判官や検事、傍聴人にはマスクを口にした日本人が多く見られる。これこそまるで防菌(≒ゼノフォビア?)を露骨に示しているように思える。つまり両者は同じコインの表裏のようなものだ。彼メルドは絞首刑となり絶命するが、すぐによみがえって姿を消し、決して消滅することはない(次回はニューヨークに出没するという予告があったが)。
 この映画のキャスティングはなかなか渋い。ミシェル・ゴンドリー作品には、加瀬亮、妻夫木聡以外にも、大森南朋、ほんのちょい役で光石研、石丸謙二郎が出ている。カラックス作品には石橋蓮司、嶋田久作、その昔テレビフランス語会話に出ていたジュリー・ドレフェスなんかも出ている。ポン・ジュノ作品では主役の香川照之は別としても、竹中直人や、ほんのちょい役で荒川良々、松重豊の顔も見える(彼らの姿が見えるたびに「おお!」と、身を乗り出したりして)。
 カラックスは9年前の前作「ポーラX」において、ヨーロッパの影の部分を、かさぶたを無理矢理はがしてみせるようなストーリーを見せつけた。「ミゾグチとゴジラの街で何か撮ってみないか」という誘いを受け入れたカラックスの撮った「メルド」は、かさぶたをいつまでも乾かせないぞという鋭く発せられた宣言なのかもしれない。いつまでも「アンファン・テリブル」であり続けているカラックスには元気付けられるようでもある。わたしもこれからも一層「落ち着きのないおじさん」でいたいものだ。できればそのままで楳図かずお先生のように「落ち着きのないおじいさん」となりたいものだ。
 それにしてもその昔は今で言えば「キモかわいい」風なドニ・ラヴァンも、すっかりちっこくて醜い塊りのようになり、まさにカラックス映画の結晶(あるいは分身)のように思えた。全裸のドニ・ラヴァンの男性器にぼかしが入っていなかったのは、20年前と隔世の感がある。

10/5
 朝早々から昨日準備したカウチ(と、いうか大きなクッション)制作の作業である。
 ファスナーが壊れ、生地自体ところどころ穴の開いている敷き布団のカバーを使い、ジュヌヴィエーヴの内臓(詰めものの綿)と夏布団の綿や何十年も使い込んでカバーが擦り切れた座布団の綿を包み込み、昨日買ってきたウレタンのスポンジでサンドイッチのように挟み込み、カウチのカバーの中に入れる。後は使い込んでそれぞれの詰め物に、中でなじんでもらいましょう。これで65×65×43cmのカウチ(と、いうか大きなクッション)の出来上がり。これで本を読んだりボーっとしたりするときに使える。気につけなければならないのは、うたた寝をしたときによだれをたらさないことだろうか。
 と、いつのまにかうたた寝をしてしまった。よだれ以外に気をつけるべきことが判明した。うたた寝をするときの姿勢だ。きっと枕に使うには65×65×43cmのカウチ(と、いうか大きなクッション)は大きすぎるということが、うたた寝直前の頭ではわからなかったのだろう。変な曲げ方をして寝ていたのか首が痛いのだ。しかし、うたた寝に突入する直前の、「細かいことは気にするな。もうどうとでもなれ。」というような気持ちを、冷静に考え直すことは至難の業だろう。そのくらいだったらうたた寝をせずになにか別のことを始めるだろう。

10/4
 ギャラリーKINGYOで開催される小品展に出展する作品を納品するために、ギャラリーKINGYOへ向かった。いい天気で、art-Linkで谷中の街歩きにはいい日ではあるが、今日のところは納品のみとして街歩きはやめておいて、例によって大黒屋で手焼き煎餅を買って帰ることにした。
 その昔、転勤するときのお餞別ということで、体長80cmくらいの亀のぬいぐるみをもらったことがある。その亀のぬいぐるみを「ジュヌヴィエーヴ」と名づけた。それから10年くらいジュヌヴィエーヴとは連れ添ったが、ある日、甲羅の部分の布が裂けて、内臓(詰めものの綿)があらわになってしまった。長年連れ添ったからそのままお別れするのも辛かったので、中のクッションなんかを何か作品に使えるかもしれないと、圧縮して(押しつぶして)押入れの奥の方にしまっておいた。
 今年の夏、長年使っていた夏布団のカバーが裂けて、中の綿が見えるようになってしまった。それらの綿を使って何ができるかを考えたのだが、今のわたしの制作過程は、紙などを切り抜いていく、引き算の工程である。その工程に綿という素材はどうもなじみにくい。
 そんなわけで作品作りではなく、ごくごく普通に生活面での利用へと考えをシフトした。スーパーバイザーの提案もあり、ジュヌヴィエーヴの内臓(詰めものの綿)と夏布団の綿を利用して、カウチ(と、いうか大きなクッション)を作ることにした。カバーだけを買ってきて、ジュヌヴィエーヴの内臓(詰めものの綿)と夏布団の綿を詰め込んだが、少し詰め物が足りないので、スポンジのような詰め物を買おうと、吉祥寺のユザワヤに行った。
 エスカレーターに乗って目的の階に行こうとして、ふと前方に、ジーンズに黒のジャージのジャケットを着て眼鏡をかけた男性が、下の段にいる女性に話しかけようと後ろを振り向いたのが見えた。その顔を見た0.5秒くらい後にはっとした。その男性は田口トモロヲだったのである。
 本日の収穫はそんなところです。はい。

三鷹在住ねこちゃん「なんかくれるの?その袋の中になんかあるわけ?」

「なんだなにもないのかよ。煮干くらい持ち歩けよなー。あー、期待して損した。」


10/3
 数ヶ月前に知ったニュースではあるが、明確な数字を確認できたので、備忘録ということで改めてここに記しておく。
 昨年の15歳未満の日本の人口は1747万人。犬飼育頭数1208万9千頭、猫飼育頭数1245万7千頭。合計2454万6千頭。つまり犬、猫の飼育頭数のほうが15歳未満の人口よりも多いということになる。一方で年間の犬猫の殺処分頭数は40万。当然この数はペットとして飼育していたものの、途中で飼育放棄などで捨てられ、その後に子どもを産んだりして増えた犬猫のうち、保健所などで捕獲され、貰い手がなかったりして処分された数である。
 そういえば辺見庸の著作にそういった処分場の記述があった。処分を待つ彼らのうめきのような鳴き声と「処分」を表す煙突から出る煙、それらとの奇妙なコントラストを示す、施設の周りの手の行き届いた花壇(あるいは生垣だったか)。
 ペットは愛情を注ぎ、生活を共にする家族の一員である。子どものころの可愛らしさから大人の落ち着き、老後に向かう時間の流れの変化など、いろいろと見つめ共有すべきものがあるであろう。また、ほとんどの人間が病院で最期を迎えるのに比べると、ペットこそ隠蔽され、「ポルノグラフィー化された死」(10年以上前の表現ですが今も賞味期限内でしょうか)を現前するものなのかもしれない。あるいはこれだけの頭数になった現在、毎年多くの新しい生命が誕生し、商品化され、処分されていくという工程から漏れ出して野生化しつつも人間社会に寄生して生きている彼らの姿は、「生の政治化」からいかにずれつつ生きていくのかを示してくれている、大いなる先達なのかもしれない。


タイトルは「マトリックス」の中で出て来るセリフらしいですね。実はわたしはこの映画をテレビでチ ラチラとしか見ていないので、どこで出てくるのかよくわかりません。わたしはスラヴォイ・ジジェクによる テロとその後の戦争について論じた文章のタイトルとして知ったのでした(現代思想臨時増刊「これは戦争か」より)。
なお、画像は島田雅彦の「ミス・サハラを探して」(KKベストセラーズ) の中のチュニジアの砂漠の写真(撮影;中島誠)を無断借用しました。