えげれす通信 vol.30
大阪は帝塚山という、高級住宅地にある、 「白い家」という喫茶店。 僕は、わざわざ「その目的」のためだけに 行ったことがあります。 また、これも大阪は東住吉区にある、 駒川公園。 滑り台に行かねばと思って、 これはまだ行ってない。 またまた、心斎橋にある、 「ウィリアムス」という喫茶店。 これは、わかりやすいところにあるんで、 正しくそこで、ウィンナーコーヒーを飲むことが出来た。 大和川高校。 僕の、大阪のマンションの徒歩圏内にあるこの高校は 残念ながら、入ったことはない。 これらは全て、 僕が、これまで何十回となく聞かれた質問、 「何で、東京じゃなく、大阪の大学に行ったのか?」 に対する、一つの答えに関係していることは 間違いないでしょう。 これまで、聞かれたときに、 大抵、答えとして用意している、 「京都に近いから」 というのは、確かに間違いではない。 ただ、もう一つのコアがあるのも事実であります。 ここまで書けば、わかる人はわかると思うけど、 関西は、僕の「人生の師匠」のルーツである街であります。 「白い家」は、彼が嘗て、帝塚山の高校の、 軽音楽部の顧問をしていたときに よく通った喫茶店。 「駒川公園」の「滑り台」は、 彼が、星空を見ながら、「昴」の構想を練った場所。 「ウィリアムス」は、まだ鳴かず飛ばずだったアリスが、 大阪時代、よく行っていたという喫茶店。 そこで彼は、ウィンナーコーヒーを飲んでいたそうな。 「大和川高校」は、勿論、卒業した高校。 そう。 「たにむらしんじ」であります。 僕が大阪にやってきた理由の一つは、 確固たるものとして、僕の中で位置付けられている事由の一つは、 紛れもなく、我が師匠の考え方やフィーリングを育てた この特異な文化をもつ関西地区に、身を置いてみたかったからに 他なりません。 だから、人から、 「どうしてわざわざ関西の大学を選んだの?」 と言われるたびに、 「京都」という隠れ蓑(実際これも本当だけど)の下に 実はもう一つの理由があることを 言いたくて溜まらなかった瞬間は 沢山あるわけです(笑)。 僕の夢の一つに、 「死ぬまでに、タニムラに会って、色々聞いてみたい」 というのがあるんだけど、 悲しいかな、未だに実現してません。 色々と、聞きたいことは、用意してあるんだけど。 **************** 何故えげれすに来たか? これまた、よく聞かれる質問です。 更に、 「何故、この大学を選んだのか?」 これまた、物凄く沢山聞かれた項目です。 ここでは、僕は、隠れ蓑抜きで 本当の事由を言うことにしている。 つまり、 「人類学は、この国で始まったから」 というのが、第1の質問に対する答えであり、 「Firthがこの大学出身だから」 というのが、2番目の答えである。 Sir Raymond Firth(1901-)は、 イギリスを、いや世界を代表する人類学者の一人である。 僕の院における研究は、 ほぼ、彼の理論についてのことでありました。 先日、著作の収集をほぼ終え、 Bibliography作りに、一区切りがついたところであります。 Firthは、97歳という高齢にも関わらず 不定期に、大学に顔を出しているということ。 僕は、セミナーの自己紹介の度に、 「僕は、Firthと握手するがために、この大学に来た」 と言ってきたけど、 これは、偽りのない気持ちであることは間違いないです。 長年研究してると、愛着が湧いてくるのも当然の成り行き。 これが、まだ生きていて、しかも、自分の大学にいる、となれば、 タニムラ同様、「会うこと」が一つの夢になってしまう。 何度か、ニアミスはあった。 然し、「その日」は、今日やってきました。 今日は、その前のレクチャーで告知あり、 僕は、他のNoticeを見ていなかったので、 今日初めて知ったのですが、 今日の18時から、 「ファースを囲む会」みたいなものがあるという。 18時少し前に、会場である「セリグマンLibrary」 (セリグマンというのも、高名な人類学者)に行くと、 ほどなく、じいさんが入ってきた。 迷い人で、どこぞのじいさんが、 こんなところまで入ってくるわけはないので、 彼が、Firthだということは、明かである。 --歩いてる。。。 最初、彼は、世話人の学生と談笑していたが、 18時過ぎ、レクチャーが始まった。 大学の先生連中は、嘗て、 僕が、Firthの話をすると、こう言っていた。 「時々来るセミナーでも、眠ってるような感じで、 然し、時々かぁっと覚醒し、鋭いことを言う」 然し、今日が違ったのか、 はたまた僕が贔屓目だったのかはわからないけど、 今日のレクチャーは、到底97歳とは思えない話ぶりで、 特に、発音、内容、組み立て、反応、 どれをとっても、相当鋭い。 晩年のG.馬場と戦わせたら、 多分勝つんじゃなかろうかという程の雰囲気である。 世の中の97歳は、こんな筈じゃない。 きんさんぎんさんは、流石に凄いけど、 きんさんぎんさんと戦わせても、 充分に勝ちそうな感じだ。 #何で戦うねん 彼は、最初、随想録を紐解く、といった感じで 70年前の大学の状況について、語り始めた。 「私がここに来た時は、人類学はやるつもりじゃなく、 経済学を修めるつもりだった。」 --うん。本で読んだ通りや。 「Tikopia(彼がフィールドワークに行った、ソロモン諸島の島)では、 私が、生産活動について、妻が主に消費生活について、調べた」 別な先生曰く、 「Firthは、高齢なのにも関わらず、未だによく、セミナーに 出席したりして、まだ健在である。ただ、彼の奥さんは 彼よりずっと若いのだ。うん、確か80歳くらいだった(笑)」 と言っていたけど、僕は最近、奥さんの本もGETして、 非常に嬉しいのである。 「Tikopiaは、全くの孤島で、行くのに、船で、ニ三ヶ月かかる。 行ってしまうと、数ヶ月は、一切船は来なかった。あるのは 海と、空と、水平線だけ」 --さもありなん。僕もそこの記述を読んで、 --Tikopiaに行きたいと思ったものだ。 そこから彼は、かなりの明晰さで、人類学の系譜と現状について 彼自身の洞察を披瀝し、その後、質問タイムになった。 僕は、タニムラの場合と共に、 一種の「夢」であるこの現実に、 最初は、相当ドキドキしていたのだが、 落ち着きを取り戻して、一番最初に思ったことは、 --今日あるってわかってたら、本を持ってきて、サイン貰うのにな という、何とも、ミーハーなこと。 実際は、学術的な質問は、相当あったんだけど、 何分、大勢の人がいたのと、 その中で英語を話す自信がなかったこと、 また次の機会もすぐにありそうな感じがしたことで、 今回はパスした。 とある女子学生が言った。 「今、この状況で、再びフィールドワークをするとしたら どこをやりますか?」 Firthは、97歳とは、本当に信じられない機敏さで、 今の、人類学が置かれている状況を述べ始めた。 「技術的な進歩のおかげで、手段が高度化している反面、 対象もまた、複雑化している。単純に、70年前とは 比較できないだろうね」 こう述べたFirthは、現役の先生の思考速度と 何ら変わりがなく思えた。 きっと、きんさんぎんさんと戦っても、 相手が複数だというハンデがあっても、 あのツインズを、マットに沈めるんではなかろうかしらん。 件の女子学生が、更に続けた。 「で、どこでしょうか?」 Sir Raymond Firthは、少し、考える面持ちで、 それからおもむろに答えた。 「もし、、、神様が、私に、『まだフィールドワークをやりなさい』 と告げたならば、、、」 更に、少し、考えた後、 「I would say it is Tikopia.」 かっこいいー。 ******************* これで、夢は一つ片付いた。 あ、まだ、握手はしてないけど(笑)。 してしまったら、大学を去らなきゃならなくなるし(笑)。 残るは谷村。 |
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