えげれす通信 vol.40
「好敵手」。 うーむ、いい言葉である。 「ライバル」と英訳するよりも、漢字で書いた方がいい。 何となく、「敵もさるもの」というそこはかとない尊敬が 垣間見えて、オトコとオトコの勝負を感じさせる。 斗いは真剣に、然し斗いの後には、 美酒を酌み交わそうではないかという、美しさが感じられる。 普段の生活で、こういう役割を自らが果たすことは そんなにないでしょう。せいぜい、たかが知れてる。 「いやぁ、オレと隣の長屋の八っつぁんは、いい碁仲間なんだ」 等という場合には、当人たちの自己満足で終わるのがオチである。 せいぜい、波平と伊佐坂先生のような関係においては、 煩わせるのは、舟かサザエくらいのもんであり、 問題は、彼女たちのつくる昼食をどうするか、 なんてことに関わるのみなので、 それほど大きな社会現象にはなりえない。 ところで、実際戦う当事者ではなく、 単にそれを観戦し、応援する者の場合はどうなるか。 この場合も、規模が小さいと、大した問題にはならない。 然し、応援集団とその背景が大きくなるにつれ、 問題は複雑になる。 例えば、うちの母校、仙台二高は、伝統的に、仙台一高と、 「定期戦」なるものを開催し、 両校共に、100年近くの歴史があるので、 対戦成績もそれなりにカッコがつくようなものになっている。 これは、スポーツ全般に及ぶのだが、 メインイベントは矢張り硬式野球。 一年生(ここから僕は或る一年生として書きましょう)は、 4月に入学式を済ませ、 希望に胸膨らまして、来るべき高校生活を夢見るのであるが、 4月の某日に行われる「対面式」が曲者である。 この日、一年生は、入学式に引き続き、 上級生に暖かい心のこもった歓迎を受ける。 「よく来たねー(笑)。これからよろしくねー(笑)」 と、絵に描いたような演出で以って、 校庭で二年三年生と対面するのである。 逆光でよく顔が見えないが、 二年三年生が笑顔なのは言うまでもない。 彼らは、新入生が来たのが嬉しくて溜まらないのである。 そりゃ、そうだ、歓迎式典なんだから。 僕らの頃は(今は知らない)、対面式は、午前中に執り行われた。 一年生は、上級生の暖かい歓迎に心を打たれて これまでの受験勉強が報われてよかったと、 まだ大して友達もいないクラスの中で ぼちぼち会話が始まる。 中学を卒業後、男子校とは聞いていたけど、 そんなに怖いとこじゃないんじゃん。 先輩たちも優しいし、やっていけそうだなー。 うちの担任は、必要伝達事項を言い終わると、 一言付け加えた。 「あ、まだ帰らないように。これからあと一つ、 行事があるからな。ま、頑張れ ニヤリ」 言っておくけれども、この学校、 先生たちも、かなりの割合で、 この高校出身なのである。 ふと見る黒板の予定表にこんなことが書いてある。 「午前:対面式。午後:入団式」 入団式とはなんだ? 皆が首を傾げてると、 隣の席の奴が気になることを言う。 「オレ、にぃちゃんがこの高校にいるんだけどさ、 昨日、にぃちゃんが、オレを見て、何だかニヤっと笑うんだよな」 なんなんだ。 わけわかんねぇけど、 入団式って言うからには、どっかに所属する通過儀礼みたいなもんか? みんなで、ああだこうだ言ってると、 ふと聞こえてくる何かの音。 ピタピタピタ 何あれ? 何か聞こえるよね? ピタピタピタピタ 誰か来んのかな? ピタピタピタピタ ガラッ (教室のドアが開く) 「お前ら、外に出ろ早くしろ」 僕らは一遍に凍るのである。 今でこそ「ロン毛」とかいうボキャブラがあるが、 その当時は仕方ないから、 彼のことを「鬼太郎」と読んでいたことからも分かるように、 彼の髪は、殆ど顔を覆っている。 靴は履かず、はだしである。 手には竹刀。 学ランはボロボロ。 そして、目つきが、凶悪犯系である。 僕ら(15歳と16歳のガキ)は、 しばし恐ろしさの余り固まってると、 「おめぇら、何してんだ。早くしろ、このやろ」 きゃーーーー。 こわいよーーーー。 何が始まるのぉ? 鬼太郎が竹刀。妙に怖い。 でも、このときは、冗談抜きで怖い。 「廊下に並べ」 廊下に並ぶ。 「歩け」 歩く。 こうなったら、言われたことを素直にするしかない。 「踊れ」と言われたら踊るしかない。 ちょっとでも遅れたり乱れたりすると、 竹刀が飛びかかる。 僕らは、講堂へと導かれた。 ここは、あの晴れやかな入学式が執り行われた 我々にとっては、数少ない思い出深い場所の一つである。 これで、体育館倉庫裏とかに連行されたら 恐怖も数倍、泣き出す奴もいたかもしれん。 いや、真面目な話、まだ入学したてで、 右も左もわからない、新一年生。 まだしもほっとして、講堂に一歩足を踏み入れた瞬間 僕らは再び固まった。 そこは、既に、講堂ではなかった。 暗幕が下ろされ、 周囲には机と椅子でバリケードが張られ、 そのバリケードの外側には、 夥しい数の二年、三年生。 講堂というのは、言うまでもなく、 広い部屋なのであるが、 その入り口は一つ。 然も、そこは、バリケードの始まりと終わりになってるため、 バリケード間の幅が極端に狭まってるのである。 僕らはそこを通り抜けなければならない。 そのすぐ外側には、狂気に満ちた上級生が 十重二重に待ち構えている。 ま、イメージとしては、プロレスの入場口、 あるいは相撲の花道。 然し、いくらプロレスラーや力士に ぺたぺた触る奴がいたとしても、 本気で殴る奴はいないでしょう。 戦ったら負けるし。 然しながら、この「花道」はちと違う。 上級生は、狂喜乱舞しつつ、殴る気満々である。 勿論、怨恨だとか復讐だとか、 そういう湿っぽい話ではないんだが。 僕らは、ボコボコにされながら、その関門を抜けた。 このギャップが、また僕らをビビらせる。 午前中の、あの笑顔と、午後のこの狂気。 そして、暗幕で暗く、壇上しか見えない状況。 周りは、バリケードで、その背後には、 恐ろしい数の上級生。 ドン・ドン・ドン。。。という 不気味な太鼓の音。 実際泣きそうな奴もいるのである。 そのうち、わけわからんままに、 皆が応援歌を歌い始める。 うちの高校は、応援歌が10曲以上あるんだけど、 それを順番に歌い始める。 その間、言うまでもなく、我々は正座。 法事の正座より辛い。 そして、理不尽にも、周りから 「歌え」 との声がかかる。 「何で歌わねぇんだ、こらぁ」 「す、すみません」 「謝ってんじゃねー。歌えー」 「し、知らないです」 「何で知らねぇんだ、このやろー」 「まだ入学したばかりなんで。。。」 「うるせー。言い訳すんなー。踊れー」 理不尽を絵に描いたような、この入団式。 歌詞もメロディも知らないんで、 歌えるわけはないんだけど、 理屈ではないのだ。 「黙ってんじゃねー。おめぇ、立てー」 立つ。 「何立ってんだ。座れー」 座る。 「座ってんじゃねー。立って踊れー」 踊る。 「踊ってんじゃねー。廻れー」 廻る。 「廻ってんじゃねー。拝めー」 拝む。 言われるがまま、ってこのことね。 怖い、怖いよー。 この辺になると、泣き出す奴も出てくる。 そして、入団式も佳境に。 実際、応援歌を最後まで歌うまで 結構な時間がかかるのであるが、 正座の身には、数倍長く感じるのである。 然も、全貌を知らないんで、 どこが終わりかさえ知らない。 大体、この「入団式」の意味さえわからない。 勝ったときにしか歌えない「勝利の歌」、 そして「凱歌」に続き、校歌を歌い終わって 些かcalm downした上級生は、 何やら静粛かつ厳粛な態度に豹変した。 今まで散々叫び歌いわめきたおしていた彼らが、 何故か、しぃんとなった。 改めて壇上を見ると(既に意識は朦朧)、 何やら一人の、髭をはやした人が、ゆっくりゆっくりと 歩いてくる。この牛歩の如きゆっくり歩きにも 誰も茶々を入れることなく、見守ってるのがわかる。 髭の人は、数分かけて、壇の中心に到達すると、 ゆっくりと、威厳を持って、全体を見回した。 その間、この夥しい群集は、 水を打ったように静かである。 しばしの呼吸の後、彼は高らかに宣言した。 「これを以って、一年生の、二高応援団への入団を許可する」 上級生「よぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉし!!!」 (註;うちの高校では、返事は全て「よーし!」という) さて、翌日から、朝7:30からの応援練習が始まるのである。 各クラス担当の、応援団員がいて、 彼らが、一年生を指導する。 我々は、生徒手帳の後ろに載ってる応援歌の歌詞を メロディも知らないのにも関わらず、 丸暗記してこなければならない。 数日で一曲、約一月で全曲をマスターする。 暗記してこない奴には、容赦なく鉄拳が下り、 ボコボコにされるので、 僕も泣きながら必死で覚えたものである(笑)。 応援団にとって、応援歌をマスターさせることと共に、 重要なことは、この意味合いを説くことである。 はっきり言って、僕らには、この時点では、 なんのことやらさっぱりわかっていないのだ。 然し、 「(仙台)一高は、えて公である」 「えて公生はサルである」 「我々はサルを撃破しなければならない」 という至って単純かつ明快な論理に、 僕らは次第に洗脳されていく。 そうだ、そうだ、エテ公は倒さなきゃならないんだー! それと共に、些か神秘的な行事&風聞が、 我々のやる気をそそる。 先ず初めに、各クラス担当の応援団員とは、 最初こそ戦々恐々といった感じであるけれども、 徐々に打ち解けてくるので、 後半になると、バカっ話もするようになる。 然しながら、最後の最後まで神秘性を保ってるのは 件の「応援団長@髭オトコ」である。 僕らは何回となく、担当の先輩に聞いた。 「団長さんって、どんな人なんですか?」 「いや。我々もよくは知らないのだ」 「どこに住んでるんですか?」 「滅多に姿は現さないからな」 「応援にも出てこないですよね?」 (何か学校の行事があったりすると、応援団は、エールを 行うために、壇上に立つことが多い。然し団長は、定期戦の日まで 公の場には姿を現さない。) 「そうだな。でも出てこないけど、ちゃんと全て知ってるのだ」 「どうしてですか?」 「団長は、今、富士山の麓で、来るべき対一高定期戦に備えて、 修行を積んでいるんだ。でも、下界のことは、水晶玉を通して ちゃんと見ている」 団長とは言え、普通の高校三年生。 ジャージを着て校庭も走れば、 白衣を着て、理科実験をしたりもする。 コンビニでエロ本見たりもする。 しかーし、我々にとって、団長の姿を拝んだのは、 意識も朦朧とした、あの暗がりの中での一瞬だけ。 ほんとに存在してるのかさえ、わからなくなってくる。 僕らはますます神秘的な香りにやられていくのである。 更に、定期戦が近づくと、「檄」という文が配られる。 これは、漢文体のいかつい文章で、 曰く、 「広瀬の川に居をなす我ら二高北稜男児は、 茶畑に棲息せる猿軍団を撃破せんとする云々・・・」 これは、本文とは全く違ってて、 ホンモノは、もっといかつく、もっと格調が高い。 裏話をすると、この檄文の考案は、 毎年、団長と漢文の教師の悩みの種だそうで(笑)。 兎に角、いやが上でも、気分は高揚する。 もうその頃には、エテ公ぶっつぶせー気運が めちゃめちゃ高まってるのである。 PR行進という、まぁ一種の示威行動が行われ、 一高二高の応援団員が、仙台の街を練り歩く。 錦町公園(今は違うかも)に到達し、 お互いがエール交換をし、 勝利の歌を歌って、勝利を期す。 この「勝利の歌」は、練習ではなんぼでも歌えるが、 実戦になると、勝たない限り歌えない。 そういう勝利の象徴であり、かつ、 「紅蓮の旗は地に伏しぬ」というオリジナル歌詞を 対戦高によって毎回変えるという趣向があって、 然も、その変更箇所を絶叫するという 非常に胸がすっきりする歌なので、 思い入れが強いのだ(そして、一高の「勝利の歌」も同じである)。 例えば、対一の場合は、 「えーてこーのはーたーは、地ーにふーしぬ。 そーれ、たたかーい勝てり、美酒をー、 汲みてー、称えん・・・」 と、この「えーてこー」の部分を絶叫するのね。 これの、予行演習を、このPR行進でするわけですな。 さらに、二高の新聞には「街の声」が載り、 下馬評として、 「どうやら今年は一高の打撃陣が強力らしい(パン屋の親父)」 「今年こそ二高でしょう(コンビニのおばはん)」 等が紹介されてるうちに、「その日」が来るのだ。 一応、これは、TV中継もあるくらいの 仙台の伝統行事である。 我々一年生は、県営宮城休場に集結し、 倒れるまで応援をする姿は、 全く、Nationalistに近いものがある。 そう、Nationalist。これです、今回の主題は! ながーい前振り(笑)。 ここまでが前振りだとは、誰も気がつかなかったやろ(笑)。 と、突然関西弁になる僕。 今までは、我が青春の仙台ネタだったんで、 言葉もそれなりだったというわけさ、いや、わけや。 実際戦う当事者ではなく、 単にそれを観戦し、応援する者の場合はどうなるか。 応援集団とその背景が大きくなるにつれ、 問題は複雑になる。 たかがローカル、一高二高定期戦の場合ですら、 我々二高生(勿論一高生も)は、燃えるのである。 尤もこの場合、忠実な意味での「好敵手」なので、 例えば、甲子園予選県大会で、 二高が敗れ、一高がまだ残っており、 一高が三高と当たったりすると、 言うまでもなく、我々は一高を応援するのである。 そして、時には、一高の応援歌を歌い(知ってるのだ、実は)、 時には、一高のために「勝利の歌」を歌う。 これぞ、まさに、美しい「好敵手」だと思うのだが、 これが単に「美しい」とか言ってられない事態、 時には死人さえでたりする事態、 そう、それが、footballである。 明日、2000年6月10日は、 欧州においては、ワールドカップと同等あるいはそれ以上かも、 といわれるくらいウェイトが高い選手権の、 「Euro2000」が開幕する日。 最近、BBCの特集番組で、イングランドチームの 歴史を振り返っていて、 実は顔は知っていたが、栄光のスタープレイヤーだったことは 知らなかったGary Linekerや、 現イングランド監督Kevin Keeganが現役時代、 最盛期の鶴瓶にも負けないくらいのアフロだったことなど、 かなり有益な情報を得たのだが、 矢張り印象的だったのは、 1990年のワールドカップと1996年のEuro1996における、 二度のPK負け(対ドイツ)。 本当に、この対ドイツってのは、よく当たり、よく戦い、 然しどうにもえげれすが勝てないところの一つなんですな。 然も、両国は、フーリガンの先進国でもいらっしゃる。 そして、今度のEURO2000。 くじを引いて、当ててしまったとき、 ケビンキーガン監督は、 「あーあ、やってもぉた」 と思ったという。 そう、また当たるのだ。 然も、決勝リーグではなく、予選で。 フットボールで喧嘩が起きる国えげれす、 フットボールで殺人も起こる国えげれす、 普段はgentleでも、フットボールになると、 途端に凶暴になる国えげれす。 何が彼らをそこまでさせるのか。 単純に、「発祥の地」というだけでは 片付かない問題のような気がする。 勿論、「フットボールなんて野蛮だわ」と言って 見向きもしない紳士淑女が多いのもまた事実であるが、 フットボールがこの国の文化地図に占める役割は 相当重要なものであることは間違いないでしょう。 歴史は繰り返す。 独逸軍がえげれすに襲い掛かろうとした時、 かのチャーチルは、国民に向けて演説し、 大いに勇気を奮い立たせたという。 ドイツチームと対戦すること数度、 確かにフットボールの分は弱い。 再び、St.George's Crossは地に伏すのか? 美酒を汲み交わすことはできないのか? それとも、Three Lionが凱歌を歌うのか。 決戦は6月17日(土)である。 -------------- 4月某日、僕は校庭にいた。 太陽を浴びて、きらきらと輝く顔たち。 そして、午後、暗幕の中で、 狂喜乱舞が始まった。 「こらぁ、おめぇだ、おめぇ。立てー。踊れー。廻れーー!」 歴史は繰り返す。 うーむ、いい言葉である。 |
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