えげれす通信 vol.57

えげれす通信vol.57 ■ヤサガシ&ヒッコシ第二弾■ 4th/Nov/2003

いやあ、暫くぶりの更新で恐れ入ります。
日本に滞在中はいかんねえ。
ネタはあっても意欲が起きん。
やはりある程度のネット中毒になるには、
外国暮らしが必要なんですかね。

しかし、まあ、わたくしのイコククラシを具に見守ってくれていた、
我が愛機「Think Pad」も随分と古めかしくなりました。
それで、日本滞在中に、
WIN95からWIN98へのアップグレードなぞを、
こっそりひっそりやってたりなんかするんですが(笑)。
しかし、こいつにはまだあと一年、
稼動してもらわないと困る。
なんとか頑張らないと、ね。
さて、わたくし玲は、
5月中旬に無事フィジーから帰国。
その後9月初頭まで日本におりました。
えげれす生活は、残すところ、あと一年ちょいの予定です。
とりあえず、こちらの新学期に間に合うようにと、
日本を出立したのは、2003年9月15日のことでした・・・。

ニューカッスル空港に降り立った僕は、
とりあえず、今晩から二週間の宿である、
大学の学生寮に向かった。
この時期、大学の学生寮はどこも満室で、
僕は、仕方ないから、B&Bにでも泊まるつもりでいた。
然し、僕の指導教官が親切にもあちこち聞いてみてくれたらしく、
二週間の限定付で寮に入れることになったのだった。

僕には住む家がない。
よって、毎度の如く「ヤサガシ」からしなければならない。
とりあえずその二週間のうちに、
なんとかして新居を見つけねばならんのだ。
しかし、例年の「ヒッコシ」と違い、
今回は、「それまで住んでいた部屋」というものがない。
つまり、持ち物は全てその都度持って歩かなきゃならないわけだ。
しかも、僕は、日本から到着したばかりである。

日本から・・・?
そう。
僕のトランクにはこいつらが控えている(笑)。
僕は「必殺運び人」のまま、
ヤサガシをしなければならない。
ううむ、これは流石に初めての経験やぞ。

悪いことに、
長年に渡り、この「運び人」を影で支えてくれていたトランクが、
ニューカッスルの駅にて寿命を迎えてしまった。
4つある車輪の1つが壊れてしまい、
トランクは転がして運ぶことが不可能になってしまった。
「運び人」のトランクは重量が35kgある。
これを片手に持って運ばねばならない。

35kgといったら、ちょっと奥さん、
小学生一人を片手でひょいと持ち上げて運ぶみたいなもんですぜ。

でけるかい!

僕はフラフラになりながら、
漸く寮に辿り着いたのであった。

しかし。
トラブルの多さではとどまることを知らないえげれす。
今度は、これは半ば予想されたことではあるが、
寮の受付にて、

「貴方の名前は予約リストにありません」

攻撃が襲ってきた。

98年の9月もそうだった。
寮といえば、
先ずはこの事態は容易に予想される。
僕は全く動じず、至極落ち着いて、
これまでの経緯を説明した。

すると、
これがまた、何ともえげれすちっくな応対なのだが、
受付のおっちゃんも堂々と曰く、

「まあ、ほんなら、今晩はこの部屋を使ったらええ」

余裕の返しをしてきた。
明らかに他人が予約していたと思われる部屋の鍵を渡してくれた。
僕は、宛名のところに「John」と書かれた鍵入りの袋を破ると、

「ごめんよ ジョン」

そう、心で呟きながら、
トシちゃんの歌を口ずさみつつ目的の部屋を探した。

あくる日、
このままではなんぼなんでもジョンさんに悪いと思ったので、
受付に行くと、
受付のおねえちゃんは、部屋を替わるように言った。
まあ、それはそうやろと思ったので、
別棟の部屋に行ってみると、
そこは随分と古い部屋なのであった。
僕はがっかりしたが、
とにかくも、これで、二週間だけは居場所ができた。
これで落ち着いてヤサガシ作業に入れる。

ヤサガシには、
大学の「ヤサガシオフィス」を使う。
然し、うちの大学も近年、IT化が進み、
嘗ては物件リストの印刷をくれていたのに、
今ではリストはネットで見ることになっている。
僕は、パソコンは持っているが、電話回線がないので、
自分のパソコンでネットに繋ぐことはできない。
それで、大学のパソコンを使うべく、図書館に行った。

むう。
図書館にもIT化の波が襲っていると見え、
嘗ては存在しなかったゲートが入り口に聳え立ち、
学生は、なんや、見慣れぬバーコード付きのカードを、
ゲートに通しているではないか。

僕は、さも、

「別に当たり前のことさ ふ」

みたいな涼しげな顔でSUICAを使っている東京人を見たときと同じくらい、
衝撃を受けた。
そして、自分の旧式カードを急いで隠すと、
図書館の受付に行った。

「カード新しくなってますね。僕はこれしかないんで替えてもらえます?」
「去年、いなかったんですか?」
「一年間、調査で外国にいたもので」
「それでは、先ず、ITヘルプに行ってください」

ITヘルプで聞くと、
又してもトラブルー♪がやってきた。

「貴方の学籍は去年で切れてますね」
「へ?てことは、今、僕は、この大学に籍がないってこと?」
「そうなりますね」

ええ加減にええや、えげれす。
急速にIT化なぞ進めるからこういうことになるんや。
身の丈に合った近代化を進めんかい。
全ての学生の情報をデジタル化するなんぞ、100年早いんじゃ、どアホ。

僕はとりあえずその場は撤退し、
学部に行って聞いて見ることにした。

学部の郵便受けには、
僕宛の手紙が2通あり、
そのうちの1通は「ちょっとやな感じ」の公式文書。
開けて見ると・・・、


 最後通告
 再三の催促にも関わらず、貴方は授業料を払っていないので、
 この最終期日までに払わない場合は、然るべき手段を取らせて戴きます。
 おい、こら、ナメとったらあかんで、兄ちゃん。
 ゼニ、払わんかい。
 この世はな、ゼニや。ゼニでできとんのや。

 2003年2月18日
 Yours sincerely,
 大学授業料取立て屋オフィス



これが「えげれす素人」だった98年当時の僕ならば、
恐らく血相変えて不安に慄いていたことでしょう。
然し僕は、こんなトラブリュー♪にはビクともしない。
落ち着いたもんである。

「ふ。どうせ、またおたくらの手違いやろ。事務仕事には相変わらず能無しやな、ったく」

大学一年目。
授業料請求書は、
向こうのミスで僕の住所が間違っており、
その郵便物は方々を彷徨った挙句、
払込期限から4ヶ月を過ぎて漸く手元に届いた。

二年目。
前年度のことがあるから、
何度も何度も住所の確認をして、
念を押したのに、これだ。
請求書が来たのは2003年3月。
つまり、この「最後通牒」の日付よりも後に、
請求書の第一便が届いたのである。

初めの請求書もよこさずに、
いきなり最初から取り立て屋。
ぼったくりバーよりなお悪いがな。

次々と降りかかる問題。
然し、どれも結局は解決することはわかっているので、
僕はあまり心配ではなかった。
とは言え、さしあたり、大学のパソコンが使えないのは困る。
ヤサガシオフィスのサイトから、物件リストを持ってこられないやないか。

ふ。
実はこちらは、そこまで最初から予想済やねん。
この「先手先手」がなければ、
えげれす暮らしは勤まらん。

僕は、こういうこともあろうかと、
日本にいるときに、
最新のリストをプリントしてファイリングしていたのである。
完璧♪

僕は余裕こきながら、
リストに次々と電話していった。

僕に一点の余裕もなくなったのは、
電話をかけ始めて15分ほどした頃。

僕は、その時既に、
全50件ほどある物件のうちの35件くらいに電話をかけ終わっていた。
然し、全て「契約済」。
こんだけ電話して、一つも空いてないのである。
少なくとも前回のヤサガシでは、
複数の物件から「選ぶ」という状況だったのに、
今回は、選択どころか、全滅かもしれなくなってきた。
ううむ。

40件に近づいた頃、
漸く「天使の声」に回り逢えた。

「まだ空いてますか?」
「ええ。空いてるわよ(^^)」

嗚呼。
漸く一つ取れた。
この時点で僕は、
場所は何処が良いとか、同居人数は何人が良いとか、家賃はいくらまでだとか、
そういう各種条件のことはすっかり失念していた。
少々難があろうとも、
もう、ここに決めてしまおう。

ダーラムは小さな町である。
然し、えげれすでも有数の規模の大学があるため、
学生数が異様に多い。
この町で、然も新学期が始まるこの時期に、
ヤサガシするのは非常に難しいことなのである。

翌日、物件を見に行った。
大家さんは、40代のおばちゃんでJeanという。
彼女には4人の息子がおり、
現在、その家には三男のAndrew(19)が暮らす。
ジーンはとってもいい人で、
家も申し分なく、
環境も素晴らしかったので、
僕は即決した。
ベッドルームは4つあり、
僕と、あともう一人(ギリシア人女性のFenia)の学生が間借りすることになる。
僕が入居できるのは、然し、10月6日からだということだった。

ふう。
とりあえず、新居が決まると心理的に安定するもんやね。
僕は、ほっとして、寮に戻った。

(二週間経過)

寮を出る日である。
然し、新居に入れるのはさらに一週間後
その間、僕は、再び「運び人」スタイルでいることを強いられる。
いかんいかん、
なんとか定住地を決めなくては。

ジプシーのような感覚で、
僕はB&Bに電話をかけた。
然し。
ダーラムはちっこい町の癖に超有名観光地である。
超有名観光地の癖に、B&Bの数が極端に少なく、
町はいつも、慢性的な宿不足なのである。

結局僕は、中心部からほど近いB&Bを予約できたものの、
週末の二日、10/4(土)と10/5(日)は、予約が取れず、
さらにまたどこかの「定住地」を探さなければならない状態だった。

35kg超の壊れたトランクを抱え、
手には4kgのパソコンバッグ、
当てもなく彷徨い、
「移動」すること、はや3度。

・・・精神的に参りました。

然し、ゴールは目の前なのである。
この苦難を乗り越えれば、
10/6(月)の朝には、晴れて、新居に入れる。
あと少しの努力や。

僕は、結局、レンタカーを借りて車中泊を決行することにした。
なぁに、二泊くらい・・・。
いや、日本ならね、問題ないです、はい。
然し、外国で困るのは「入浴」もしくは「シャワー」。
なにせ、「日帰り入浴施設」とか「立ち寄り温泉」なんぞ有り得ない国。
長時間運転で、唯一と言っても良いリフレッシュポイントである「お湯にザッバー♪」は、
外国では難易度が高いのだ。

然し。
えげれすに於いての経験値が集積している僕は、
一つの試案を思いついた。
M道路(高速道路)のパーキングには、
「ところどころ」シャワールームがあった筈や。
シャワーさえ浴びられればこっちのもの。
とりあえず、今回は、
行き先よりも、パーキングチェックに時間を費やそう。

そう思って、パーキングチェックを律儀に一つ一つしたところ、
「案の定」の結果が出た。

・都心に近いPAでは基本的にシャワーはある。
・PA運営会社によって、「あるところ」と「ないところ」とが分かれる。

そして、最も重要かつ最もえげれすちっくなのが、

・何処も適度に「壊れて」いる。

設置個所のパターンは大体わかってきたが、
それらは最終的に、
この「えげれす的」篩(ふるい)にかけられる。
これこそが、まさに、真のえげれす。
「やっとあったー・・・」とドアを開けたせつな、

「すんませんな。Out of service ですねん」

張り紙に非情な宣告を受けることになる。

しかし、とりあえず、
シャワーは「どこかでは」浴びられるということを確認した僕は、
ニューカッスルから遥か1000km、デボン方面に向かったのだった。

(三日後)

今回のドライブは、全く以って、観光要素は皆無だった。
ただ、走って。
ただ、休んで。
ただ、シャワー浴びて。
唯一の戦利品は、
たまたま寄ったロンドンにて、
オリエンタルシティ(欧州最大の日本食材が手に入るスーパー)で、
相当な金額の品物をまとめ買いできたこと。

僕は、新居に入った。
車から運び出す荷物は、

・35kgのトランク(中身は勿論アレ)
・4kgのパソコンバッグ
・オリエンタルシティで買った日系食材の数々(ウン万円分)
・近所のSaisbury'sで買った日用食材の数々(ウン万円分)
・大学に預けていた本

僕の部屋は、瞬く間に、足の踏み場もなくなってしまった。
然し、僕にとって、
漸くに辿り着いた定住の地に今いるという感慨は、
何ものにも替えがたいのであった。

思えば、
学籍がありまへんで、問題も、
アンタカネ払いやぁ、問題も、
こちらの予想通りに、この時までには「さくっと」解決していた。
僕は、上機嫌で、鼻歌を口ずさみたくなるほどだった。

「なんでもないようなことが〜♪」

全ての荷物を片付け終えた僕は、
片付け最終段階である、パソコンセッティングにかかった。

・・・今から思うに、
苦渋を耐えて漸く訪れた、この平安な瞬間、
僕はなんだか「ウキウキ」としていたのでしょうな。

居場所ができた嬉しさ。
仕事に集中できる喜び。
問題が解決した安堵。

なんだか、僕は「調子に乗って」いた。

ふと見ると、
部屋の隅に転がっている「Win 98 SE」のCDROMがあった。
長年WIN95でやってきた僕にとって、
98以降のバージョンは全く未知の世界。
然し、先般、95→98というOSのアップグレードを、
初めて独力でやって難無く成功した僕は、
恐らく僕が持っている最も進んだヴァージョンのOSに、
またも、アップグレードしてしまいたくなった。

あんだけ簡単にできたんやし、大丈夫やろ。
今、オレは、新生活を始めるねん。パソコンも新しくせな。
・・・

(一時間後)

Windowsが立ち上がらん!!!

斯くして、
98年9月より、
僕のイコククラシを具に見守ってくれていた僕の愛機、「Think Pad 385XD」は、
6年の寿命をまっとうしたのでした。

  なんでもないようなミスが〜
  命取りだったと思う〜(字余り)

ううみゅ。。。


 



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