えげれす通信 vol.61

えげれす通信vol.61 ■病院に行く(2)■ 11th/Dec/2003

昼飯と夕飯の用意をしようと、
僕はその時、いつもと変わらず、キッチンにいた。

茄子がくたびれてきていたので、
挽肉とトマトソースで炒めてチーズでも乗っけるか。
これは夕飯にするとして、
昼飯には、米を炊いて、豚の生姜焼きでも焼くか。

時間は13:00過ぎ。
大体いつも、僕はこの時間にメシの仕度を一気にする。

その時、戸棚の奥に随分前から眠っている南瓜のことを思い出した。

スーパーのSainsbury'sは、
行く度に新たな発見を与えてくれる。
奴らがみるみるパワーアップしていく様は、
全てが100年単位でしか変化しないこのえげれすにあっては、
一寸した驚きですらある。
Sainsbury'sの「エキゾチック」部門には、
今では、エノキやマイタケなんかもあるのだ。
そこで見つけた南瓜。
「pumpkin」とか「squash」とかではない。
れっきとした「kabocha」である。
これを発見した僕は、
言うまでもなくコーフンして衝動買いをした。

然し。
南瓜丸ごと一個食べ切るのは至難の業である。
そもそも、料理にバリエーションがない。
てんぷら。煮かぼちゃ。パンプキンサラダ。

・・・そんだけやん。

そんなわけで、
この南瓜は、随分長いこと、戸棚に寝ていたのだ。
これを今日、思い出した。
何ぼなんでも、ぼちぼち使わないとまずいやろ。

炊飯器をセットし、
生姜焼きをホットプレートで焼き、
茄子を下ごしらえしながら、
僕は、南瓜に取り掛かった。
実を言うと僕の人生で、
南瓜を扱うのは、ほぼ初めてに近い。
だから、いまいち、「南瓜標準」が分からない。

僕には、随分と、
皮が硬く感じた。

「随分かったいなぁ、これ。日本の南瓜もこんなに硬いんかな?」

ブツブツ言っていたその時、
包丁は南瓜の上を外れて僕の左手人差し指の指先に落ちて来た。

余りに包丁が鋭利過ぎたのか、
その瞬間は全然痛さを感じなかった。
然し、あっという間に、
周りが血の海に染まっていく。
次の瞬間、「やってもぉた・・・」という思いが頭を過ぎった。

尋常じゃない量の出血。
いや、まあ、それは言い過ぎかもしれんけど、
少し押さえた位では到底収まりそうにない。
一寸の位の傷なら、何とかなりそうだけど、
何とかならなさそうな傷っぽい。
洗って見て見ると、結構ザックリいってる。

「止血?どうすれば良い??」

パニクってるわけじゃないけど、
何分、出血が酷く、
然も指先なので、
何をするにしても片手のみ、というのが困る。
この時、家には誰もいなかった。

さしあたり、キッチンペーパーで指先を押さえ、
鍋の火を全て止めてから、部屋に戻る。
然し、数分で、紙は真っ赤。

ティッシュをとっかえひっかえしながら、
とりあえず、消毒液と化膿止めクリームと包帯と紙テープを探した。
然し、ティッシュもさっぱり役に立たない。

瞬く間に、僕の部屋は、
血染めのブツが散乱する、

「なんじゃこりゃーーー!状態」byジーパン

に変貌してしまった。

指先切った位で失血死はせんやろ。
そんなん言うたら、「指詰」とか「切腹」とかする人大変やがな。

・・・そら大変やろ。切腹は。
痛いし<そっちかい。

そんなことをあれこれ考えつつ、
僕の心は漸くまとまった。

「よし。しょーがない。病院に行くか」

この国では、NHSと言って、
登録さえすれば、誰でも彼でも無料の医療が受けられる。
然し、この悪名高きNHS。
「ゆりかごから墓場まで」のえげれすの誇りであったこの制度は、
今や、現状に合わなくなってきている。
スタッフが足りないので、
旧植民地各国から看護婦を連れてきているのは有名な事実。
ベッド数も足りず、設備も足りず、
もはやこの体制には限界がきている。
救急病棟に担がれたとしても、
恐ろしく長い待ち時間のため、
床で苦しみ、悶え、唸り声を上げている患者が多いらしい。
病院は文字通り、「ゆりかごとか墓場とか」状態であるらしい。

それは事前に知ってたし、
また、実際にはそれほどまでは酷くはないにしても、
NHSの病院での具体的実例は実際にいくつも耳にしていたので、
僕は登録をしていなかった。
もし何かあれば、
プライベートの病院に行って、保険で治療をしてもらおう。
待つことなく、悠々と、治療をしてもらおう。
そう思っていたのである。

然し、

「南瓜切ってて指詰してもうた」

等という事態は流石に想定してなかった。

大阪の電車には、
賑やかな車内広告の中にあっていっそう不気味な色彩を放つ、

「ゆびづめ注意」

のマークが扉のところに貼ってある。
他地域から来た人は、先ず、

「大阪では列車内でも指をつめる人間がいるのか?!」

と驚愕し、

「『注意せよ』とは『ユビヅメされないように注意せよ』という意味なのか、
 それとも、『指をつめた人を見たらせいぜい用心せよ』という意味なのか??」

と混乱する。
その電車が南海本線だったりしようものなら、
周りが皆、「ユビヅメしそうな人たち」ばかりなので、
もう生きた心地がしないというが、
それでもその注意書のおかげで、
年間数百人の人たちが「ユビヅメ被害」を免れているという。
南瓜にも「ゆびづめ注意」シールを貼っておくべきである。

さあ、どうするか?
この時真っ先に思いついたのが、
フィジーで病院に行った時のこと。
あの時とは、多少、状況は違うが、

「保険屋は素晴らしい・・・」

としみじみ感動したあの時のことを思い出し、
早速電話してみた。
電話番号は、イギリスの項を見ると、
国内用フリーダイヤルの番号「0800」で始まっている。
とはいえ、誰が何処から話すのか、さっぱりわからん。
矢張りロンドンに繋がるのか?

「もしもし」
「はい。もしもし」
「ええと、一寸ユビヅメしてしまったんですが」
「南瓜ですか?」
「へ?よく分かりますねぇ」
「ユビヅメって言ったら電車か南瓜と相場は決まってますからねぇ」
「成程ねえ・・・」
「では詳細をお知らせください」

・・・話の分かるネエチャンやないか。

そう思った時、
そういやさっきの呼び出し音が、
えげれすのではなく日本のものだったことに気づいた。

「ええと、これは何処に繋がっているのでしょう?」
「はい。こちらは東京でございます」

0800から直で日本に繋がるのか?!
凄いな、それは。

感心しつつ、段取りを決めた。
ネエチャン曰く、
ヨーロッパの案件はパリで統括している。
折り返し、パリから電話が来るのでそれを待つように、とのこと。

暫くすると、パリから電話がきた。
今度のネエチャンは、
アクセントからすると、日本語が話せる現地スタッフらしい。
そして、1時間ほど手配にかかるので待つように、とのこと。

この頃には、僕も随分と落ち着いた。
それで、テレビでも見ながら電話を待つことにした。

然し。
電話が来ない。
時間は既に16:30をまわっている。
血はまだ完全には止まらない。
流石に不安になって、また件の「0800」へ電話する。
すると、またさっきのネエチャンが出た。

「ええと、こちらはイギリスですが。ユビヅメした者です」
「あ、先ほどの、南瓜の方ですね」
「はあ。それでパリからの電話を待っているんですが、全然来ないんです」
「では、少々お待ちください。担当者にお繋ぎいたしますので」

保留音の後、少々アクセントの違う、聞き覚えのある声がした。

「お待たせして申し訳ありません。もう一寸ですので」
「わかりました。待ってます」

言いながら、僕は驚いてしまった。
「一寸待ってね」とか言いながら、
電話を東京からパリにまわせるんかい!
凄いな。

そうこうしているうちに、
漸く手配が完了した。
近場の病院を紹介してもらい、
その何処の部署に行ったら良いかを聞き、
先方に予め状況を知らせておいてもらう。
実は、多分そこまでする必要は無く、
ただ行きさえすれば良いのだろうとは思っていたけど、
僕は、ハツモノには慎重な人間である。
然もここはえげれすなのだ。

病院は、僕がよく知っている場所にあった。
言われたとおり、「A&E」セクションの受付に行く。
A&E。Accident & Emergency。
僕がこの単語を覚えたのは、
数年前にあったテレビドラマがA&Eを描くものだったから。
尤もそのタイトルが「Always & Everyone」だったので、
長らく「A&E」とはそういう意味だと勘違いしていた。
#言い得て妙だと思う。

フィジーの時は、
同じく「緊急」の受付に行ったものの、
その後「一般外来」に回された(笑)。
さて、ここでは如何に?

時刻は17:30を過ぎ。
外は真っ暗だというのに、
「A&E」にはそこそこの人数の患者が待っていた。
然し、フィジーの時のように、
気の遠くなるような人数ではないのでひとまずほっとする。

受付のおばちゃんに話す。

「ええと、指を切りまして。多分保険会社から事情説明の電話があった筈なんですが」
「多分その電話はオフィスで受けてるわね」
「はあ」

まあ、そんなことだろうとは思った。
最初から信用してないのでショックも小さい。
おばちゃんとの、適確で無駄の無い質疑応答が始まる。

「名前は?」
「玲です」
「名字は?」
「似非紳士です」
「学生さん?」
「はい」
「じゃ、住所をここに書いて」

えげれすの良いところは、
こういう場合、
決してぞんざいに扱われないということである。
事務的ではあるが、礼は決して失さない。
笑顔も絶やさない。
相手に決して悪感情を与えないような、
そういう態度を常にもっている。
おばちゃんの説明も、的を得た、分かりやすいものだった。

「少ししたら、問診があるから。それまでそこで座って待っててね」

ゆりかごと墓場をさくさくとプロデュースし慣れているだけあって、
流石にシステマティックである。
徐々に理解してきたのだが、
先ずは受付で事情説明とデータの登録をする。
その後、ベテランの専任看護婦による問診が個別の部屋で行われる。
この問診によって、患者の「ランク分け」が為されるらしい。

「ほほう。なかなかテキパキしとるやんけ」

感心しながら待合室を見渡すと、
厭なものが目に入った。

そこにはホワイトボードがあり、

Immediate
Very Urgent
Urgent
Standard
Not Urgent

という5項目のプレートが貼ってある。
そして、それぞれの横に、

no wait
no wait
2 hours
3 hours
4 hours

という「手書きの文字」がある。

「手書きってことは、刻一刻と変化する状況に対応した待ち時間なんやな」
「然し、『ナンキンユビヅメ』のオレは果たして如何に??」

まあ、実際のところ、
本当の「緊急」ではないので、
僕としても心の余裕がある。
初めての「えげれす病院」内部を見回していると、
僕の名前が呼ばれた。

「ライオー」
またかい!

問診室に呼ばれると、
そこには「如何にも経験豊富そうな見てくれの」熟練看護婦のデボラがいた。

「私はTriage(治療優先順位の区分け)職のデボラです。では見せて」

この時、僕は、
随分久しぶりに患部を見たのだ。
それまではティッシュを当て続けていたから。

患部は・・・相当痛々しかった。
僕はデボラに切に訴えた。
「Immediate」は流石に無理でも、
「Urgent」くらいにはならんかな?
だって、ズキズキするんやでー。

デボラはニヤリとしながら、

「はい。貴方は『Standard』です。あと3時間待ちね」
「さ、3時間?! それまでひたすら待つんですか?」
「そうよ。痛み止めは欲しい?必要ならあげます」
「何とかなりませんか?家にはお腹を空かせた子供が待っているんです・・・」
「多分今ごろ生南瓜を齧ってるから大丈夫よ」
「この傷の深さは十分『Urgent』だと思うんですがねえ」
「残念だけど無理ね。ほら、この紙に書いてあるでしょ?」

実際のところ、この「緊急」の待合室では、
捻挫をしたらしい女の子は半べそをかいては母親に励まされ、
骨折したらしい女性は患部を深刻そうにさすり、
足に怪我を負ったらしきお婆さんは杖をついてフラフラと頼りなく歩いている。
しかし、
キューを作らせたら世界一、
待つことなんて何とも思っていないえげれす人の彼らは、
明らかに「Standard」と分類されて、じいっとひたすら辛抱強く待っている。
デボラから渡された紙切れには、
実にえげれすらしい、事細かな説明が載っていた。
以下抄訳。

Immediate−人命に関わる。
Very Urgent−人命に関わる「かもしれん」。
Urgent−人命には関わらんが然し即刻の治療が必要。
Standard−マイナーな切り傷、捻挫など。
Not Urgent−古傷とか長患いとか。

*尚、長い待ち時間がどれだけ貴方方に苦痛を強いることになるのかは、
 我々は心底理解をしております。然し、我々としては、出来る限りベストを尽くしています。
 つきましては、貴方方の協力が必要です。然し、もし何か問題が起きましたら、
 速やかにお知らせください。善処致します。

これを「意訳」すると、こうなる。

 とりあえず、ガタガタ言わんと待ったらんかい。
 こっちかて、切れそうな血管ピチピチしごいて、青筋立てもって働いとんのや。
 わかるやろ、それくらい。見とったらな。
 ・・・でも、まあ、紅茶飲む時間だけは取らせてもらうで
 人間、どんな時でも、茶ァくらいしばかんとな。やってられんし。


よく見ると、訂正箇所がある。

Standardマイナーな切り傷、捻挫南瓜など

デボラは、「捻挫」の箇所に×を入れ、
新たに「南瓜」と書いたのだ。
ううみゅ。
流石に「経験豊富な」Triage専任、ツワモノである。
説明せんでも、ユビヅメを見て、一発で南瓜を言い当てるとは。

1時間半ほど経った頃、
僕の名前が呼ばれた。

「雷雄?」
「またかい」

医者にまみえたのは19:00。
南瓜ショックから実に5時間以上が経過していた。
医者は、まだ若いネエチャン先生。
何がそんなにご機嫌なのか、鼻歌を歌いながら部屋に入ってくる。

「どうしたの?」
「ユビヅメしてしまいました」
「南瓜ね」
「わかりますか?」
「やっぱりユビヅメは、ナンカイ電車かナンキンよね」
「うまい」

彼女は傷口を見ると、
いくつかの試問をした。

「ここは?触ると感じる?」
「あ。声が出そうです・・・」
「いいわよ、いくらでも・・・って、こら」
「すんません」
「関節を曲げてみて」
「はあ。こうですか?」
「逆に曲げてみて」
「普段からお酢を飲んでるんで・・・って、オレは中国雑技団かい」
「じゃ、ここを押してみて」
「こうですか」
「じゃ、ここを擦ってみて」
「こうですか?」
「あ、声が出そう・・・」
「じゃ、次はこっちを・・・って、おい!」
「まあ、大丈夫そうだわね」

ふうむ。
なるほど、医者らしいことをするもんだ。
僕は真っ先に、消毒→化膿止め、という発想をしたが、
流石にプロは違う。
関節に異常が無いか、感覚器の異常は無いか、
そこまで考えているのだ。

彼女、できる。

僕がそう感心したのは、然し、僅かな間のみであった。
彼女は、鼻歌を歌いながら、患部の清浄と消毒をした。

「ははははーん♪」
「痛っ」

「ふふふふーん♪♪」
「そこ、痛い!」

「ほほほほーん♪♪♪」
「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁーーーーー!!!」

どうやったって、痛いもんは痛いさ。
それならば、一気にやった方がいいさ。
しかし・・・パックリ割れているオレの人差し指を、
鼻歌歌いながらゴシゴシ拭きやがった

悶える僕を尻目に、彼女は言った。

「南瓜とヤクザには気をつけないとね♪」

彼女は、医療用テープを細かく切り始めた。
そして、それを使って、患部の「パックリ」を、
まるで縫合するかの如く閉じて固定した。

・・・成程ね。
それも、まあ、適切な処置やろ。

その後、彼女は、「一寸待ってね」と言い残して部屋を出て行き、
一分後、なにやら妙な形をした器具を手にして、鼻歌を歌いながら戻ってきた。

そのけったいな形をした器具は、
実は、魔法のような、
タネも仕掛けも結局わからない、
然し恐ろしく能率的な「指先包帯巻き器」だった。
僕の人差し指は、
あっという間に包帯で覆われた。

「これでOK」

ニコニコしながらそういうネエチャン先生。
僕はここで「はっ」と我に返った。

「終わり?!」
「そう。終わり」
「化膿止めとかの飲み薬は?」
「大丈夫よ」
「塗り薬は?」
「大丈夫。このまま、水に濡らさずに、清潔にしておいてね」
「それで・・・終わり??(´・ω・`) 」
「これで終わり!(・∀・)」
「撤収していいの?」
「勿論」

il||li _| ̄|○ il||li

彼女がやったことと言えば、
清浄、消毒、テーピング、そして包帯巻き。
確か、薬は塗っていない筈。

・・・終わりかい!

僕は、些か混乱しながら、聞いた。

「それで・・・御代の方は?」
「タダよ」
「NHS登録してないんだけど・・・」
「それでもタダ。この国では、病院はタダなの」

そら、そうやろ。
薬、使わんかったら。
矢張り、NHSは墓場プロデュースのプロかもしれん。

妙に感心しながら家に帰ると、
オオヤさんのジーンが心配して聞いてきた。

「どうしたのよ?!」
「ユビヅメしてしまって・・・病院に行ってきましたよ」
「ああ、南瓜ね」
「わかりますか?」
「そりゃあね。それにしても血だらけのティッシュが一杯あって驚いたわ」
「凄い出血だったんですよ」
「網走にいるみたいだと思ったわ。ユビヅメと言えば、ヤクザか南瓜でしょ?」

流石にジーン。
日本ツウのところを見せた。

というわけで、こうなりました↓


   とりあえず旨かった


 



Copyright(C) (Ryo)1998-2006