えげれす通信補遺 ex-06

えげれす通信補遺ex-06 ■えげれす旅行■ November/2001


10月某日。旅立ち。


所用のため、一ヶ月程、えげれすに行くことになった。
宿は、シェフィールドにある友人宅。
2001年10月某日。僕は関空を発った。

ここのところ、混んでる飛行機ばっかりだったので、
空いてるのは久しぶり。
金曜だってのにねぇ。
やはり、テロの影響で、キャンセルが多くなっているのだろうか。
僕は、いつものように、
日本−アムスは窓側、
アムス−ニューカッスル(イギリス)は通路側の席を取った。
然し、僕の席は窓側だったけれど、隣は二つとも空いてる。
これが一番嬉しい。
本当に久しぶりに、
三つの座席を占領して、
横になることができたので、
余り疲れなかった。

本日の大阪は快晴。
本当に良い天気だった。
離陸して、いつもは淡路島の辺りをかすめて、
鳥取の辺から日本海に抜けるので、
今日もそのつもりで下を見てたら、
なんとも早い時間に海が現れた。
そしたら、それは琵琶湖だった(笑)。
つまり、今日は、飛行コースが違ったらしい。

その後、日本アルプスの辺りを横断し、
右手に富士山まで見え、
関東平野のあたりで北に進路を取り、
結局日本海に抜けたのは、
新潟付近だと思うなぁ。
日本海側で、あんなに広い平野は他にないと思うので。

大体、いつも、日本海に抜ける辺りまでは、
下を眺めているんだけど、
今日は本当に綺麗だった。

で、適当に時間を潰し、
KLM名物「カップヌードル」もきちんと頂き、
あんまり疲労もなく、アムス着。
もう何回目か忘れたけど、
この空港は、大体把握しているので、
特にぶらぶら探索する訳でもなく、
ただ、今晩泊めてもらう家へのお土産のみを買う。
しかし、えげれすでも売ってるものは
買っても仕方ないから、
結局、Herring(鰊)の酢漬けにした。
これは、一応、オランダの名物だからね。
そして、なかなか旨い。
酒の肴にはもってこいである。

さて、オランダまでくればあと一息。
僕の気分も、漸く、日本から脱出したような感じ。
だから、わざわざ、日系航空会社は避けているのだ。
日系直行便だと、機内はほぼ「日本」で、
欧州に着いた時のギャップが激しい。
その点、欧州系乗り継ぎ便だと、
日本発着の便は、
日本人乗客も多いけど、
ガイジンも多いし、
なんていっても、アナウンスが基本的に
日本語じゃないから、気持の切り替えができる。
アムスからは1時間ちょいだけど、
これになると、ほぼ日本人はいないと見ていいし、
アナウンスでも日本語はない。
完全な外国気分になるわけで。
その為の準備運動が必要なわけだ。

さて、問題は、ニューカッスル着いてから。
空港から駅までは地下鉄で45分。
今日の宿は、シェフィールドなので、
ニューカッスルから列車で2時間半くらい。
列車の時間調べてないけど。。。
でも、まぁ、今日中には着くでしょう。

ちなみに、英国のブラックジョークで、

(本屋の店員と客の会話)
「すみません、時刻表どこですか?」
「あ、それなら、フィクションのコーナーにあります」

というのがある。
このココロ、これぞえげれす。

アムスで、次の飛行機が遅れることを知って、
予定が大幅に狂った。
大体、何の下調べもしてなかったから、
シェフィールドの友人宅に同日着できるかどうか、
結構微妙になってきたのだ。
で、良い具合に、オランダの公衆電話で最新式の奴が、
電話自体に液晶がついてて、
下の方にはキーボードがついてるのがあった。
然もそれはクレジットカードでかけられるスグレモノ。
#ちなみにこの形式のはえげれすにもある。

日本のグレ電は便利だけど、
こっちのもなかなか便利。
要は、それだけ、端末自体を持ち歩く人が、
こっちでは少ないってことなんだろうけど。

それで、その「ネットができる公衆電話。クレジットカードでいけまっせ」から、
英国の時刻表を検索できるサイトにアクセスして、
最終の乗り継ぎを「わざわざ」調べた。
この時点で、僕はまだ、
「平和ボケ」、もとい、「日本ボケ」をしていたらしい。

乗ろうとしていたのは、20:33ニューカッスル発の列車。
空港着いて、地下鉄乗って、
駅に着いたのが20:25くらい。
僕は、学割で、然も特殊な往復切符で、さらにカードだから、
なんとしても乗車前に切符は買いたい。
しかし、開いてる窓口は僅かに一つ。
前には5人くらい並んでる。
微妙な感じ。
間に合うのか?!
#やっぱりまだ「平和ボケ」してるらしい。

結局、20:31分30秒くらいに買い終わって、ホームへダッシュ。
このあたりが「日本ボケ」なんですな。
秒針を睨みながら、自分の時計が合ってるかどうかを、
結構真剣に考えていた。
完璧に、ここがえげれすだってことを忘れてる。

ホームに行き、案内板を見ると、
果たして、列車は遅れていた(笑)。
さくっと「只今22分遅れであります。すまんのぉ」と表示されている。
結局ホームに進入してきたのは、20:47。
ロンドン行きインターシティ(都市間急行)だったから、
10分くらいは遅れてくるのは当然なのに、
それを、秒針見ながら焦っていたんだから(笑)。
日本なら、ダイヤは15秒単位で組まれてるけど、
こっちでは、そんなことは、しようともしないし、
しようとしても、できない(笑)。

何はともあれ、無事、シェフィールドに着いた。
この街は、通過したことは何度もあるけど、
降りるのは初めて。
友人夫妻の家は、非常に立派であった。
斯くして、以後3週間に及ぶ、
珍妙な3人の共同生活が始まったのである。





10月某日。日本三昧。


昼から買い物に付き合いつつ、街を散歩してきた。
奥さんの方が、米を買いに行くというんで、
「荷方人足」としてついて行くことに。

シェフィールドは、そこそこに大きい町だけど、
「中華街」と言える中華街はない。
ただ、中華系の店が若干並んでいるエリアはあるらしく、
そこに行ってきた。

この、雑多な店の感じもまた、
イギリスなんだよなぁ。
中華屋とはいえ、
日本のものも若干おいてあるし、
韓国や泰なんかのものもある。
大体は小さい店で、雑然としてる感じ。
この店もそうだった。

結局、夕飯は鍋にすることになり、
白菜やらチンゲン菜やら豆腐やらを買って、
あとは普通のスーパーで、
鱈、鶏肉、を買う。
椎茸がなかったのは残念。

その他、生姜焼き用とトンカツ用に豚肉を買い、
酒の摘み系の一品用の材料も買って、
ものすごい荷物を二人で抱えながら戻ってきた。

トンカツは揚げてしまって冷凍し、
生姜焼きは漬け込んでおいて冷蔵庫へ、
そして、そこまで終わったとき、
流れで、そのまま僕が鍋まで作ってしまうことに。
結局、その後の晩飯は、僕が全部やることになる。

僕は元々、料理は好きで、
然も、久々の「えげれす食材」だったので、
この仕事は、なかなか楽しかった。
然も、この家には、地球上のありとあらゆるものが揃っている。
「ゴーヤちゃんぷるの素」なんて、
日本でも、所蔵している家ってそないにないと思うぞ(笑)。
(2002年9月補筆:そしてこの伝統は再び繰り返された。つまり、この家に行く時、
客人は自らをもてなさなければならないのだ(笑)。この「極悪おかみ」の家はこちら。)

そんなわけで、
思いっきり日本語トークを楽しみ、
鍋をつつきながら、日本酒を飲み、
食後は、フォークソングを流しながら、
旦那さんの方が、ギターを弾き、それに合わせて歌い、
まるで「歌声喫茶状態」になりながら、
さっぱり、「えげれす感」を感じられない夜は更けていった。





10月某日。バスに乗る。


久しぶりの青空。
あまりに気持良いので
買い物がてら散歩に出ることにした。
初の単独行である。

シェフィールドは坂が多い。
この家は、坂の上にあるので、
行きは楽だけど、
帰りはめっちゃしんどいから、
バスに乗ろうと思って、
最寄のバス停の名前を覚えてから歩き始めた。

えげれすのバスは、
乗る時に料金を払わなきゃならない。
ロンドンとかなら均一でわかりやすいんだけど、
こっちの方は、バス停を言わなきゃならない。
そんなもん、初めて乗んねんから、
名前なんて知らんやろ。
そう思うけど、言わんと買えない。

目印言えば教えてくれるけど、
住宅地だから、目印もないし、
結局、自分で何とかするしかないのだ。
この国は、「自分で何とかする術」を持たない人たちにとっては、
なかなか住むのが難しい国である。

バス停にある通りの表示を見ると、「Crookes Rd」と書いてある。
その下にももう一つ、通りの名前があるけど、
まぁいっこだけでええやろと思い、
「クルックスロード、クルックスロード・・・」
とぶつぶつ呟きながら坂を下りた。

大体、英語で「通りの名前」とか「人の名前」とか
覚えるのってすごくしんどいのよ。
大体単純な名前だけど、
連想が広がらないので頭に残らない。
ドカベン見て「山田太郎」って見ると、
その名前は苦もなくすっと頭に残るのに、
こっちのドラマ見てて、
ジョンだのキースだのアンだのエミリーだの出てきても
全然覚えられん。

この日は本当に気持良く、歩くのも心地良い。
途中の大学のあたりには学生が沢山いる。
僕は風景を愉しみつつ、坂を延々と下りていった。
目指すは街の中心部のスーパー。
ここでないと売ってないもの(ベーコン)を
買いに行こうと思っていたのだ。

歩くこと30分くらい、
中心部もついでにぶらぶらし、
帰ろうと、バス停に行く。

「ええと・・・、あ、何やったかな?通りの名前」

軽度の度忘れである。

「ええと、確か、『一人ぼっちになるとちょっぴり悲しい』みたいな名前やったな・・・」
「『気にしない』もんやったな・・・」
「キャンディキャンディが気にせんもの・・・、あ。ソバカスか」
「ソバカス。ソバッカス。・・・クルックスか!」

遠い。

乗るべき51番のバスの経路図を見た時、
僕は固まってしまった。

「クルックスロード、めっちゃ長いやん。。。」

バス停の命名は大抵、
交叉する通りの名前でつけられる。
例えば、御堂筋を走っていくバス路線の場合、
御堂筋と長堀通の交差点付近のバス停は「長堀通」、
御堂筋と土佐堀通の交差点付近のバス停は「土佐堀通」ってな感じ。

しかし、良く考えると、
僕がさっき見たバス停には、
クルックスロードの下にもう一つ道の名前があった。

ということは、ここでは、バス停の命名方は若干異なり、
「御堂筋長堀通」「御堂筋土佐堀通」というふうに、
京都ちっくな命名法やったんか!

つまり、運ちゃんに、

「クルックスロードまで下さい」
「ん?クルックスロードのどの辺や?」
「・・・げ!」

となる図が浮かんだ。
クルックスロードを進むバスだから、
あの、覚えなかった、下にある道の名前も覚える必要があったのね。

僕は、坂を40分かけて戻ってきた。
自分で何とかできない時は、
自分で自分のケツを拭かんとあかん国、それがえげれす。





10月某日。難関食材。


「生ハム&メロンが食いたい」

そう思った僕はいてもたってもいられなくなり、
デリカテッセンのありそうなスーパーを目指した。
先日行った店にはなかったので、
残るもう一つの大手スーパーを探索しようと思った。

奥さんに言うと、買い物があるそうで、
一緒に町まで行くことに。
今度は確り、行きから乗って、往復でバス料金を払う。

この日も気持良い晴天。
町には、少し早いクリスマスの飾りつけができつつあり、
移動遊園地(日本の感覚だとちゃっちい遊具)があったり、
ハロウィンのかぼちゃが売ってたりと、
なんとなく、年末に向けて、
町全体がはしゃいでる様子がわかる。

目指すスーパーはセンズベリーという名で、
4大スーパーの一つ。
ここは、在英邦人の中での総合評価がかなり高い。
然し、デリカテッセンは残念ながらなかった。
あきらめて帰ろうとすると、奥さんの方が何か叫んだ。

「・・・!」
「え?何ですか?」
「これ・・・」
「・・・!!」

なんと、そこには3種類の色の袋があり、

「KONBU」
「WAKAME」
「HIJIKI」

と書いてある。

こっちにおいて食材の入手難易度には、
色々なジャンルがあって、
例えば、

1.日本食材屋にはあるもの
2.アジア系食材屋にはあるもの
3.こっちのスーパーでもあるもの

なんかに分かれる。
椎茸とかオクラとか白菜なんかは、
ジャンルは3。
その中での難易度は、

オクラ・椎茸・白菜(難しいもの順)

ってな感じ。
豆腐とか大根とか味醂なんかは、
ジャンルが2。
で、

味醂・大根・豆腐(難しいもの順)

最後に、牛蒡とか海苔とかかつおぶしとかは、
ジャンルは最難関の1になる。
ジャンル1の中のものは、
行けば買えるけど、店自体がそうそうないので、
ジャンル内部の難易度ってものは存在しない。
行って、なかったら、ないのだ。

昆布とか若布とかひじきとか海苔とか、
そういうシロモノ(seaweed)は、
牛蒡と並んで、西欧人が絶対食べないものの双璧。
だから、これが、ジャンル3の、
普通のスーパーに並んでるってことは、
まさに画期的な出来事なのだ。

英語で言う「seaweed」。
これは、ニュアンス的には、

「けっ。seaweedなんて食えるかい」

という感じ。

「牛蒡を食うなんて、ゲ●みたいなもんじゃを食うようなもんや」

という雰囲気である。

だから、スーパーに並んでいた、
HIJIKI・WAKAME・KONBUの説明には、
「seaweed」という言葉を使わずに、
「sea vegetable」と書いてあった。

さらに余談だけど、
「食べ方」の説明。HIJIKIを見ると、

「戻して、ナッツと炒める」

ちゃうやろ、それ(笑)。





10月某日。リングにハマる。


昨日は結局外には出かけず。

この家は、食材だけでなく、本も豊富で、
昨日は、本棚に『らせん』を見つけて、
一日中読み耽ってしまった。

僕は、日本で、例の「鈴木光司モノ」が刊行された頃は知らず、
映画になってブームが起きた時にはえげれすにいたから、
噂ではなんとなく知っていたけど、
内容は全然知らなかったし、興味もあんまりなかった。
ホラーって、好きじゃないってのもあって。

日本映画は、こっちでも時々、
黒沢作品とか、たけしの作品とかが、
テレビで放映されたり、映画館に来たりする。
僕は、ロンドンで、「菊次郎の夏(英題 KIKUJIRO)」を見たことがある。
でも、それはロンドンだから来るんやな、と思っていたところ、
ダーラムの近くのニューカッスルの映画館に、
「RING」が来たのだった。

新聞で「RING」上映を見つけた僕は、
早速見に行った。
英語の字幕で日本語そのままだから、
気分はまさに日本の映画館。

ストーリーは兎も角として、
かなりナメてた僕は、見終わって、かなりやられた(笑)。
映像としてかなり怖かったってのもあるけど、
予想とかなり違う話だったので、
とても面白かった。
ていうか、あれは、いわゆるホラーじゃないな、と。

だから、昨日、続編の『らせん』を読んだとき、
その映画のこととかが思い出されて、
いやはや熱中したねぇ。
映画の方も見てみたいなぁ。
帰ったらビデオ借りてこよう。
#でも、「リング」とか「らせん」とか「ループ」とかを
ビデオで見るのはかなり怖いかも(苦笑)。

それにしても、遺伝学とウィルス学を巧みに組み合わせ、
貞子の復活をフィクショナルな科学的説明で説いたところは、
素晴らしいとしか言いようがない。
念によってウィルスを発生させるという、
第一次的な部分がフィクションであるけど、
それ以降の説明は辻褄があっている(ように見える)からねぇ。
リングとの関連もうまく行ってるし。

そんな訳で。読書の秋。





10月某日。読書にハマる。


読書の秋。ワインの秋。食欲の秋。

『らせん』を読み終わり、
『ループ』に移りたいところだけど、
残念ながらここにはないので、
次は、池波正太郎の『堀部安兵衛』を読んでいる。

歴史モノはおしなべて好きなんだけど、
どうじても、ジャンル的に、
戦国、江戸期、維新の三つがメジャーになるのが時代小説。
オトコノコとしては(笑)、矢張り血が騒ぐのが戦国。
しかし、一方で、現在の日本の文化的基盤が
事実上確立したとされる江戸期の話ってのもまた
なかなか面白い。

戦闘行為のプロとして平安期に生れた武士が、
専業である戦闘行為を必要とされなくなった江戸期。
どうしても、フィジカルな部分からメンタルな部分へと
その存在意義が移行していかざるをえないわけで、
そういう、中世的封建社会の末期と、
さらに、商工業の充実、経済の未曾有の発展が重なり、
まさに、堀部安兵衛が生きた元禄は、繚乱の花。

まだ最後まで読んでないんだけど、
この家は本が多くて楽しい。
ますます外に出かけなくなるなぁ。

昨日は、奥さんの方とまたまた買い物へ。
基本的に、外に出るのは、
必要に迫られた「買い物」の時のみである。
今度は、近所のCOOPに行った。
今や、殆ど、「出張料理人」になっている僕は、
数日分の献立を考えなければならない(笑)。
しかも、3人分だから、
いつもは一人のことしか考えてなかった僕として、
初めての体験。
しかし、料理を始める夕方くらいは、
結構楽しかったりするのだ。

酒だけは欠かせないけど、
重い荷物を持って、坂を登るのは大変である。
然し、センズベリーへのネット注文のお陰で、
ワインをごっそり頼んだのが届いた。
これで、心置きなく(買い物に出ること無しに)、本が読める。

読書の秋。ワインの秋。出張料理人の秋。





10月某日。狂喜のウヲ。


昨日は、マーケットに行って買い物をした。
ここには魚屋がある。

日本から到着したばかりの僕なら、
つまり、数日前までは、
にっぽんの素晴らしい食の博物館、「デパ地下」等で、
踊り狂う車エビだとか、
身が輝く鰤だとか、
透き通るような烏賊だとかを、
普通のこととして感じる感覚だったから、
こっちの魚屋で、並んでる魚たちを見ても、
とても買う気にはなれなかっただろう。

然し、もはや一週間以上が過ぎ、
日本の感覚は残り僅か。
間隔的にも、ここんとこ肉ばっかりだったから、
そろそろ魚も食べたくなってくる頃。

そんな時に行ったマーケットの魚屋だった。

見ると、ボイルしたむきエビは、
あらんことか、光っている。
身も、くたくたになってると思いきや、
意外としゃっきりしてる。

オレの目の錯覚か?
はたまた、目が悪くなったのか?
それとも、遂に、「えげれすに陥った」のか?!

僕はかなり迷った。
イギリスの魚屋を信用すると、
まず85%は裏切られるのは経験上知ってる。
「fresh cod」「どこがfreshじゃ、ボケ」と、
一人ツッコミしながら、何回悔し泣きをしたことか。
しかし、、、目の前のエビは・・・どう見ても輝いてる。
「今日獲れた」という冠句も信用できそうな雰囲気。

他の店をぐるっと見て周ってから、
僕は件の魚屋へ戻ってきて、
意を決して買うことにした。
塩茹でエビ、塩茹でツブ貝、塩茹でカニ爪、塩茹でロブスターの尾。
最後の奴は、勇み足で、
食べてみると、かまぼこだった(笑)のは愛嬌として、
その他のものは、間違いなく、イギリスにしては、
絶品の美味しさだった。
特にエビはぷりぷりしてた・・・。

嗚呼!

調子こいた我々は、
夕食にずらっと並んだシーフードという光景に次第に「やられ」、
ワインをいつもより一本多く飲み、
秘蔵の日本酒を一つ開け、
狂喜乱舞の一夜は暮れていった。
勿論、こういう場には、必ず開店する、
旦那氏の「歌声喫茶」も健在であった。





10月某日。いきなり用事。


いやはや大変だった・・・。

今回イギリスに戻ってきた理由は、
大学での「或る用事」の為。
この「或る用事」がなければ、
わざわざ戻ってこなくても良かった。
それくらい重要なことなのに、
全然、日程が決まらない
僕としては、航空券は、「用事」の日程が確定してから取りたかったのに、
航空券の変更が効くぎりぎりまで待っても、
まだ全然日にちが決まらない。

さて、シェフィールドに来てから、はや二週間が経つ。
その間、毎日のように、僕は大学の事務に催促をしていたんだけど、
何事もすっきりとはいかないのがえげれす。
大体、日本なら、そういうことは、
もう一年も前から決まっていてもおかしくないんだけど、
良く言えばフレキシビリティの高い、
悪く言えば全然システマティックでないこの国では、
はっきりいって、前もっては、何も決まっていないに等しい。

例えば、入学の願書。
これ、いつ出してもいいのだ。
然も、来年の、って訳でもない。
例えば、2010年の願書を今出してもいい。

授業料。
いつ払ってもいい。
タームの終わり頃まで払わない奴も一杯いる。

学生証。
こんなもの、いつ手元に届くか分かったものではない。
なにせ、入学手続き(あるいは二年目なら登録)を
いつやってもいいんだから、
いつもらえるかなんて誰もわからないのである。

要するに、僕は、今年二年目で、
学生証の更新とか、登録とか、
図書館のログオンとか、
そういうのを改めてやらないと、
大学のファシリティを使えないんだけど、
まだ登録もしてなければ、カネも払ってないので、
今は何のStatusもない訳だ。

然し、はよやらんかい、とかの催促も来ない。
そもそも、僕がまだ登録をしてないってことを、
事務はわかっていない。
万事その調子なのですな。
えげれすに留学する日本人は、
最初の年に、先ずこのギャップというか、
この「感覚」に驚き、
次に「慣れる」ことが要求される。

先日、僕の実家に届いた登録カード。
送ったのは偉いが、住所が間違ってる。
市の名前がない(笑)。
これで届ける日本の郵便局を誉めるべきでしょう。

そんな訳だから、
僕の「或る用事」の日取りも、
すんなりとは決まるとは最初から思ってなかった。
僕としては、こっちに家がないわけだから、
なるべく滞在期間を短くしたい。
つまり、日にちが確定してから、航空券を取り、
その前日あたりにえげれす入りして、
終わったら翌日に速攻帰国。
こういう青写真を描いていたんだけど、
青写真はやっぱり写真でしかなかった(笑)。

漸く連絡が来たのは先週。
それも、公式の通達ではなく、
僕の先生からの「私信」。
先生は、

「どうやら金曜日に決まったようだよ」

と言ってくれた。
言ってくれたのはいいけど、
何時から、とか、どの部屋で、とか、
何を持ってくるように、とか、
そういう詳細は一切なし。
先生は、それを司る立場にないから、
先生に聞いても埒があかない。

それで、事務の方へ、ずっと問い合わせをしていたら、
昨日の朝、漸くメールが来た。

いい?
「昨日の朝」というのは、木曜の朝。
僕としては、金曜の午前中に先生と会う約束をしていて、
その後にその「用事」だと思っていたし、
先生もそう言ってくれていたから、
金曜の朝に、シェフィールドを発つつもりにしてたのね。

ところが、「木曜」の朝、
「たまたま」早起きした僕が、
「たまたま」メールを受け取って読んでみると、

「日時が決まりました。木曜の16時に来られる?」

「来られる?」ってなんやねん!
然も、日にちが違うやないか。
金曜と思ってたのに、木曜なんかい。
それって、今日やないか。
「たまたま」メールを見たから分かったけど、
見てなかったら、早起きしてなかったら、
木曜に行くことは不可能やねんで。
その辺をどう考えてるんや?

然し、急げば、間に合わなくもない。
間に合うが、先生には会えない。
何故なら先生は、木曜の晩まで帰ってこないのだ。
それだからこそ、金曜の午前中に会う約束をしていたのに。

僕はかなりパニクってしまい、
何度も事務にメールを出した。
僕は金曜と聞いていたこと、
変更があったとしても、当日に言われても無理だと言う事、
先生は木曜にはいないこと、
でも・・・無理すれば行けるということ。

ここで、木曜をキャンセルすることは簡単なのだ。
落ち度は向こうにある訳で、
僕は前々からくどいくらい事情を説明していた。
だから、別な日にしてくれって言う事は可能なのだ。

然し、
ここは考えどこである。
ここは日本じゃなくてえげれす。
授業料払っても領収書を発行するのを忘れる国、えげれす。
狂牛病の直後でも、笑って「British beef」を皆が食べる国、えげれす←一寸ちゃう。

要するに、ここで延ばすのは簡単だが、
そうなると、次のアレンジが何時になるのか、
全くわかったもんやない。
一寸先は闇。確かなことは何もない。予定は未定。
えげれすで数年暮らした人なら、
即座にピンとくる感覚である。
「5分前行動」を小学校の時分から叩きこまれている日本人にとっては、
「5分」も「50分」も「5日」もさして変わらんというえげれすの事情には、
なかなか慣れるのに時間がかかる。
然し、一旦この空気に痛い目に遭うと、

「やれることはやれる時にやっておけ」
「食べるもんは食える時に食っておけ」
「トイレは行ける時に行っておけ」

これ、みな、基本。
そう思えるようになる。
相手をアテにしていると、痛い目に遭うのは自分なのだ。
そう言う意味での「自己防衛本能」が研ぎ澄まされる国である、えげれすは。

幸い、急げば間に合う時間だったので、

「もし、金曜日にアレンジしなおせるのならそうしてください。
 駄目なら、これから行くので、今日中に済ませてください」

そう、メールを打って、急いで家を出たのが12時。
起きてから2時間しか経ってない。
取るものも取りあえず、って感じ。

大学に着いた。
事情を聞いてみると、
事務のおばちゃんが、方々を駆けずり回って、
なんとか、金曜日に再アレンジをしてくれたらしい。
このおばちゃん、事務のPatっていうんだけど、
「学部の全てのことはPatに通じる」という人なので、
僕は可能性は半々だと思ってた。
何故なら、どこの大学にも絶対一人はいる、
この手の、スーパー・鬼のように・恐ろしく・信じ難い程の、
事務能力がある人(大抵はおばちゃん)には、
「不可能」の文字はないのである。
但し、彼女たちが「やる気」にならないと駄目だけど。

Patは(彼女はとてもいい人)、ニコニコしながら、

「いやはや、大変だったわよ。あちこち電話かけて・・・」

と言ったが、どうやら、僕のところへは、
連絡ミスだったらしい(苦笑)。
#というか、それ以外考えられないではないか。

というわけで、昨日は、ホテル泊となった訳だけど、
部屋からネットをやりすぎて、電話代が恐ろしく高かった(汗)。
部屋の電話はレートが違うらしい・・・。

さて、これで、用事は済んだので、
帰国の段取りを本格的にしようかな。





10月某日。ぶらくり倫敦。


ふう。
帰国の段取りが決まって以後の数日間は、
それまでののんびり気分が嘘のように、
やることが山ほど出てきて、
忙しかったなぁ。

日曜日、久しぶりに倫敦に行って、
友人回りをしてきた。

通常の日本への一時帰国だと、
大阪・東京・仙台の「三都物語」(笑)が、
物凄くタイトなスケジュール調整を強いられる。
各方面の折衝は困難を極め、
各地のコーディネーターは多忙を極める。
まぁ要するに、昼も夜も誰かに会うという過密スケジュールで、
怒涛の一ヶ月乃至は二ヶ月が過ぎていくのだけれども、
今回は、規模が小さいとはいえ、
ロンドンではそんな感じだった。

僕も直前まで連絡しないのも悪いけど(笑)、
というか、したくても、上に書いたように、
「用事」の日程が決まるまでは、
身動きできなかったという事情があるんだけど、
それでも、前日にいきなり電話して、

「泊めて」

だの

「飲もうか」

だの言っても、なかなか難しい。
それでも、流石はロンドン。
泊まるところは、確保できた。
その前に、別件を挟むという、
なかなか過密スケジュール。

シェフィールドを出発したのは、午後4時過ぎ。
ロンドンまでは二時間半。
既に夜であった。

泊まるところと、その前の別件とは、
場所がまるで正反対。
移動時間だけでも大変なのに、
この日は日曜日。
えげれすの日曜は「魔の日曜」なのだ。

店は閉まる。
人の気配なし。
そして・・・移動にも難が生ずる。

日本にも「休日ダイヤ」はあるけど、
こっちのはそんな生半可なものじゃない。
平日は「6分毎」とかに走ってるバスも、

「休日 no services」

ないんかい

おまえが休んでどないすんねん>公共交通機関
ジャロに訴えんで。

余談だけど、クリスマスの12月25日と、
翌日の「Boxing Day」、12月26日は、
一年で一番最悪の日。
なんと、地下鉄までが全面ストップする。
バスなんて走ってる訳もなく、
まばらにいるタクシーは特別料金。
店は100%休み。
インド系、中国系の雑貨屋ぐらいしか開いてないので、
知らずにやってきて、

「まぁ、ロンドンのクリスマスなんてロマンチックね。
 ハロッズでも行ってみましょうか」

などとはしゃいでる旅行者は、
あまりの光景に呆然とし、
何故か、ロンドンのクリスマスを、
インド系雑貨屋で売ってる

「たまねぎの揚げたん(オニオンバジと言う)」

などという、凡そロマンチックなどからはかけ離れたものを食べながら、
香辛料臭いクリスマスを満喫することになるのである。

話がずれた。

だから、日曜は、移動には相当覚悟がいる。
幸い、倫敦には定刻に着いた(奇跡的なことだ)。
しかし、案の定、チューブ(地下鉄)が、

「バス代行輸送」

になっている。
やっぱりかい。

一応2年暮らしてたから、土地鑑はある。
何となく勘で移動を完了。
然し、泊まる家に着くと、既に23:30頃だった。

今日、月曜は、「おのぼりさん」状態で、
ロンドンのあちこちで「お買い物」をし、
漸くさっき、シェフィールドに戻ってきた。
荷造りも終え、風呂にも入り、
ワインでも飲んで最後の夜を過ごそうかなと。





11月某日。そして日本。


マンチェスター空港発。アムス経由。
僕の「帰国」は、いつもアムス経由である。
えげれすに来る時はまだ残暑の気配が残っていた日本。
然し、時は既に晩秋の香り。
11月になっていた。

これが最後のえげれすになるだろう。
この後僕は、フィジーに行くことになる。
一年の後、再びえげれすに戻ることになるが、
今のところ、具体的な日程は未定である。

僕は関空に降り立った。
そして、これの後、
僕は仙台に帰省したのであった。
例年より、ほぼ一ヶ月早い仙台への帰省。
然しこの年は、日本には6月からいた。
こんなに日本に滞在したのは、
実に3年ぶりのことであった。
(2002年9月補筆:そしてこの後、「事件」が勃発。えげれすの地に再び見えるのは、
2002年8月のことであった。えげれす通信vol.55参照)


 



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