えげれす通信補遺 ex-08

えげれす通信補遺ex-08 ■外から見るニッポン■ August/2001

2001年は、6月に日本に一時帰国して以降、
長期間、日本に滞在する事になった。
その間、かなり色々な所へ、国内旅行に出かけた。

これまでの三年間、
日本に一時帰国しても、
殆ど毎日、誰かと会ってたり飲んでたりで、
ゆっくり日本を周る時間など無かった。
まぁそれはそれで有意義なことではあったけど、
僕は本来、国内旅行が好きな人で、
日本の道を車で走るのが
この上なく好きなもので、
今回行った房総はしみじみ良かった。

房総は僕も初めての土地。
付け根付近をちょろっと走ったことはあったけど、
「果て好き」玲としては、
矢張り突端にまで到達しなければ、とずっと思っていた。

然し、意外に、都心から近いなぁというのが印象やね。
ということは、結構、日帰りレベルで、
都心からの車の流入が多いということ。
それは即ち、「鄙びた」風景が少なく、
物価は高く、渋滞が起きる、ということ。
その点、一寸意外で、なおかつ、若干がっかりしたけれども、
それでも、南房総まで行けば、それなりに田舎の情緒も残っていて、
まずまずは満足だった。

思ったのは、流石に日蓮宗のお寺が多いなぁ、と。
安房国は、日蓮上人の生誕の地。
全国的に、日蓮宗の寺があんなに密集してるところって
あんまりないと思うなぁ。
一向宗なら、まだわかる気がするけど<地区的に密集。
やはり、彼は、生国での人気は高かったのだろうか。

宿のおばちゃんによると、
全てが日蓮宗の檀家だという訳でもないらしい。
若干、浄土真宗もいるとか。
さすが、一向宗やね(笑)。
日本全国、何処にでも満遍なくおるわ。

山形のあつみ温泉にも行ってきた。
僕は、宿を選ぶ基準ってのが、
何か、一点集中、特に「食事」に拘るのだ。
ということは、逆に言うと、
それ以外は、極端に言うと、どうでもええ。
#どうでも良くもないが(笑)

僕がよく行く、越前の宿なんかは、
恐ろしい量の魚が出てくるので、
それだけを求めに、何度も行っている。
そこは、建物は綺麗、温泉も素晴らしい、眺めも抜群。
然し、何というか、
日本旅館の情緒というか、
サービス、心配りとか、そういうソフト面は、
あまり期待できない宿。
別に不快な思いをするという訳ではないし、
田舎の料理旅館にしては、よくやってると思うけど、
どうしたって、格式とか気配りとか、
そういうものが「売り」ではない。
でも、僕たちは、それでいつも満足している。
料理は文句無しに素晴らしいから。

然し、親くらいの年代になると、
そういうソフト面の要素もまた、外せない、評価の対象になるのだろう。
僕も、そりゃ、自腹で行ければ良いけど、
まぁそんな資金も無いので、
親と行ったあつみ温泉の旅館は、それなりに矢張り良かった。
こういう機会でもなければ、
「日本の格式」を体験できない訳で。
だから、その意味でも、満足した。

それにしても、
料理にこれだけ力を入れ、
客も料理に期待をする。
「日本の格式」に則った「もてなし」を売り、
客もそこを評価する。
たんなる「宿」なのに、
そこでは「泊まる」こと以外の事柄に、
これだけの質と個性が求められる、
そういう「宿泊文化」を持ってる国は、
世界には余り無いのじゃないか。
快適な寝室とか、
滞在するのに便利なサービスとか、
そういう、「宿」に関する拘りを追求するホテルは確かに多い。
多分、西欧の「ホテル文化」ってのは、そういうことなんだろう。
勿論、ホスピタリティの部分は、ホテル文化にもあるけれども、
何かが本質的に違うような気がする。
西欧流の宿泊文化は、「居住」に特化した広がりを持つが、
日本の宿泊文化は、「暮らし」の全体性を一つの次元に凝縮させるようなところがある。
ホテルでは、次元が分割されている「衣食住」が、
日本旅館では、一つのtotalityとして形成されている。
これは、日本の宿泊文化の、一つの個性だよねぇ。

一年前、北陸旅行に行った時。
無事日程を終えて大阪に戻ってきた僕は
夜に、飲み会に参加した。

久しぶりの「普通の居酒屋」だった。
ここは、僕が学部時代、よく行った店。

僕はその時、えげれすから関空に到着して、
そのままいきなり北陸に行き、
魚三昧に加えて、酒も相当いい奴ばかり飲んでいた。
だから、この「普通の居酒屋」の酒のラインナップは、
正直きついものがあった。
段々美味しいものにランクアップしていくのは良いけど、
その逆は辛い(笑)。

ここは、料理はなかなか美味しいので、
そっち関係は、かなり楽しめたんだけど。
居酒屋って、料理の種類、かなり多いでしょう?
何かを食べながら酒を飲むという習慣がないえげれすでは、
先ずこれ程の「摘み」がある店自体ありえない。
レストランに行ったところで、
中華料理屋には中華料理、
インド料理屋にはインド料理しかない。
当たり前だけど。

でも、「ニッポンの居酒屋」には、
古今東西、ありとあらゆる料理がある。
これは、実は凄いことなのだ。
一つの店で、あれだけの種類をもつメニューがある。
これって、矢張り、日本の文化なのだろうか。
ほんま、痒いところに手が届き過ぎる国やわ、ニッポンは。

僕の友人に、嘗て、食品サンプルの製作会社に勤めていた子がいる。
飲食店の、外のディスプレーにある、
蝋でできた、「てんぷらうどん」とか「お好み焼き」とかのあれ。
あれを専門に作ってる会社。

おかげで、えげれすに渡る時は、
サンプル用の「焼き鮭」とか「おにぎり」とかを貰った(笑)。
後で、それを時々眺めては、うめくことになるとは知らず・・・。

あの技術は日本が世界一だそうだ。
だけど、それ以前に、
日本以外ではそもそも、「食品サンプル」という文化は根付かないらしい。
これ、彼女から指摘されて、初めて気づいた。
そういえば、そうやな。
外国のレストランで、
「スパゲッティカルボナーラ」とか「パエリア」とかの、
食品サンプルがガラス棚に入っているのを見たことは、確かに無い。

あと良く感じるのは、日本は「過保護な文化」を持つ国だということ。

日本というのは、過保護の国だと思う。
帰ってきた時、しみじみ思う。
どんな状況でも、至れり尽せりの状況を「向こうから」与えてくれるから、
それを当然と思うようになる。
そして、一寸でもそれが欠けると、
すぐに「至れり尽くせり」を要求し、またその要望が通ってしまうのだ。
結果、ますます色々なものを求めるようになる傾向は、留まるところがない。

人間、そんなに面倒見てもらわなくても、
意外に逞しく生きられるものだと思う。
えげれすに来て、日々鍛えられているし、
「自分で何とかする術」を知らない人は生きていけないという、
絶対の法則があるから、尚更そう思うのかもしれないが。

揚げたらキリが無い。

濡れおしぼり。コンビニ。過剰包装。etc・・・。

「あったら便利だが、無くてもまぁ困らないもの」を揚げたら、
何処まで出てくるのかな。

あとは、例えば、交通法規とその罰則のあり方に両者の違いが見られる。
えげれすは、基本的に個人の責任能力を尊重する国。
ぎりぎりのところまでは、個人の裁量に任せるので、
例えば、ネズミ捕りとか、飲酒検問とか、
日本みたいにはやらない。
で、事故った時。
ここに至り、日本では信じ難い程の刑罰が下る。
それは、個人の責任で、社会に対して及ぼした迷惑を償うためである。
いちいち指図しなくても、「わかるやろ」という部分に対しては、
「おかみ」はいちいち言わない。
自分で考えて、振る舞いなさい。
酒飲んで運転したらあかんやろ?
あかんの分かっててやってんねんから、
それでもし事故ったら、その時は、それなりの償いをしてもらう。
然し、基本的には、自分の行動には、自分で責任を持ちなさい。
これがえげれすである。

日本の場合、やたら捕まるけれども、
刑罰は軽いから、自然、それを軽くみてしまう。
そして、「おかみ」は、全てを「ちゃんとさせよう」とする。
全部の「面倒」をみようとする。
それは言うなれば、個人の責任能力を認めずに、
全て「管理下」に置く事で、秩序を守ろうとする考え。
個人に一定の「余地」を認め、結果について考えさせるえげれすと、
個人の責任を認めず、上からきっちり把握しようとする日本。
日本は、結果、至れり尽せり(交通法規でさえも)の体勢になる。

どっちもどっちなんやね。
両者とも、良い面悪い面がある。
真理は常に両面的である。
ただ明らかなのは、「違う」ということだけ。
これは、「何でも手に入る日本」という状況にも当てはまる。
過保護。
これは、日本を離れてみて、そして日本に帰ってきてみて、しみじみ感じる。

ただし、僕も日本人。
あの便利さは忘れられないのも事実(笑)。
なんやかんやいっても、ね。

そんな訳で、帰国直後というのは、
色々な側面から、然も中からだと気付きもしない観点から、
日本の「当たり前な」文化を眺める事が出来て、
僕としてはなかなか興味深いのである。


 



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