フィジー通信 vol.08
フィジーの主島「ヴィチレヴ島(10,429 sq km)」は、 ほぼ丸い形をしており、 国際空港があるNadi(ナンディ)の北方、 およそ19kmのところにある、フィジー第二の町Lautokaと、 フィジーの首都Suvaとは丁度反対側に位置している。 この二つの町を起終点にして、 島の北部を経由する道と、南部を経由する道が、 ヴィチレヴ島の幹線道路である。 Suvaから南回りにLautokaまで島を半周する道を「Queens Rd.(221km)」、 同じく北周りに半周する道を「Kings Rd.(265km)」と言い、 この二つの道を完走すると、 島を一周できるということになる。 観光地を通り、さらに観光客が必ず寄るNadiがあることから、 Queens Rd.は、開発も進み、整備も進んでいる。 全線二車線の完全舗装で、交通量も多い。 反対に、Kings Rd.は、観光地も無く、 大きな町もそれほどあるわけでもなく、 交通需要は、ぐっと落ちる。 従って、整備も遅れており、 未舗装区間はKorovouからDamaまでの56km。 Suvaから、隣のNausoriまでのKings Rd.は、 片側3車線の個所もあったりして、 ちょっとしたロンドンの郊外みたいな風情もあるが、 それ以外は、恐ろしく長閑な道である。 フィジーにおける「道路」と言えるのは、 町の路地やSuvaの都市部を除くと、 およそこの二つしかないと言っても過言ではない。 ヴィチレヴ島の内陸部は、 フィジーの最高峰Tomanivi山(1323m)を筆頭に、 1000m級の山々が聳え立ち、 隔離された村が散在する程度で、 縦走する道とて殆ど無いに等しい。 この島は、南海の小島などでは決して無く、 地勢は、ブリテン島なんかよりも相当激しいのである。 *** ここ数週間の僕の仕事は、「村の選定」。 決まり次第、赴くことになるので、 そのための準備が忙しい。 然し、読んだり聞いたりするだけでは、 どうにもイメージがつきにくいので、 この週末は、レンタカーを借りて、 特に目的地も決めずに、 「Fijian Villege」とはいかなるものか、 実際に見てこようと思った。 とりあえずは、Kings Rd.を完走しようというのが、 第一の目的。 こっち側は、未だに、未踏の地である。 Queens Rd.側は、なんだかんだで、 結構通ってるから、感じは掴めている。 あとは、内陸部のどこか、適当に走ってみて、 内陸部の村の感じも掴みたい。 Kings Rd.はダートがある。 それに、内陸に行くことを考えると、 絶対に4WDは不可欠である。 今回は、ジムニーを借りることにした。 Budgetのにいちゃんは、受付のとき、 顔をしかめながら、「一つだけ問題がある」と言う。 何?と聞くと、パワステじゃないんだそうだ。 「エアコン?ある。カセット?ある。然し、パワステじゃない」 「Could be Ok」などと、甚だえげれすちっくな言い方をするが、 まぁ、僕も、なんとかなるやろと思い、それを借りる。 これが金曜の12:00。 今回のハイライトは土曜以降なので、前半はさくっと飛ばします。 土曜は愈々Kings Rd.の完走を目指す。 未舗装区間に入ると、ジムニーは威力を発揮して、 なかなか好調に飛ばす。 途中、木でできた橋とか、相当な勾配とか、あるけど、 大体においては大丈夫。 それより、道路の表面が、「砂利」というよりは「石」なので、 凄まじい揺れである。 パンクとかしないかなぁ。 そういや、友人が、ここをバスで通ったとき、 バスがパンクしたと言ってたなぁ。 大丈夫かなぁ。 初めての本格的ダートで、 僕はかなり緊張していた。 然し、小さな村が点々と散在し、 そこを通るたびに、大人も子供も笑顔で手を振る。 フィジーの良いところは、この感じなんです。 ほんとに、良い表情で、手を振る。 Queens Rd.の側も基本的に同じだけど、 なんだかあっちの方は、非常に「都会的」な気がする。 こちらは、純朴そのもの。 村の感じも殺風景なのが多いQueens Rd.側に比べて、 こちらは、花が飾ってあったりして、とにかく良い感じなのである。 僕も、段々、感じを掴んできて、 村の入り口の表示を発見すると、 手を振る準備をする。 必ず、何人かが、外に出て、ぼんやり談笑してるし、 必ず彼らは車をじいっと見るから、 目が合うと、どちらからともなく、笑顔で手を振るのである。 そんなこんなで、Kings Rd.を無事完走し、 Lautokaのホテルに旅装を解いたのは土曜日の19時頃。 翌日、2002年4月7日(日)。運命の日。 僕は、この日にちを、生涯忘れることはないだろう。 予定としては、とりあえずNadiまで走り、 その後Queens Rd.に入り、 途中のどこかで、内陸部へと入る。 そして、夜にはSuvaへ戻ることにする。 前日、ホテルで、念入りに調べた僕は、 Pacific Harbourという観光地の手前にあるGaloaという村から、 内陸部に入る道に目をつけた。 今回、Namosiというエリアを一寸調べたいと思っていて、 この道は、Namosiの村を通り、Suvaに抜けることができるので、 好都合に思えたのだ。 幸い、地図に関しては、『個人旅行』の地図が詳しい。 説明に関しては、『Lonely Planet』が網羅的である。 『歩き方』は宿泊の参考にはなるけど、 地図は当てにならないのは旅行者の常識。 Nadiは昼頃到着。 別に下りる目的も無いので、そのまま通過。 昔、泊ったホテルの傍にマクドがあるのを思い出し、 まぁ小腹も空いたので、フィレオフィッシュとビックマックを買う。 飲み物は、、、昨日Baという町で買った水の残りがまだあるからいいか。 この二つのアイテムが、 その後の僕の行動を決定付ける要因になろうとは。。。 そんなに腹も減ってないから、 とりあえず、フィレオフィッシュだけ食べる。 今朝は、ホテルで朝食を食べたからなぁ。 そんなこんなで、Pacific Harbourまでは順調に来る。 13:30頃だったかな。念の為、ガソリンを補給。すぐに出発。 最近のヴィチレヴ島の天気そのままに、 午前中は抜けるような青空。 午後は時折集中的に雨が降る。 然し、山道に入る時は、小降りになっており、 目的地の方向も空は暗くは無かった。 Galoaから山道に入る。 地図によれば、この先20km強、村は無い。 昨日のKings Rd.は、少し進むと村があり、進むと村、という展開。 20kmも村が無いというのは一寸不気味だけど、 まぁ一本道のようだし、なんとかなるだろう。 Queens Rd.からの分岐点、つまり、山道の起点でメーターを確認。 5kmくらい行った地点に集落(settlement)発見。 これは村(village)ではない。 医療関係の学生のプロジェクトらしく、 Queens Rd.からの分岐点に、看板もそう出てたな。 予定通り。 道は、常に、1.5車線はある。 ダートとはいえ、整備はされてる感じである。 主に砂利が敷かれており、轍もそう深くは無い。 新しい車輪の跡らしきものも散見される。 約15km地点。景色が綺麗だったから、写真を撮る。 村に入る時は、Chiefに挨拶をし、 さらに「sevusevu」と呼ばれるgiftを贈り、 kavaを飲まなければならない。 今回は、本格的に、村に入る訳じゃなから、 これらの準備はしてなかったな。 ヤンゴーナを買うわけにも行かなかったしな。 贈れるものといえば、、、このビックマックくらいか(苦笑)。 案外、喜ばれたりして。 20km地点通過。 辺りは、山、また、山。 ここまで、さっきのsettlementの家屋を最後に、 およそ、人間の創造物は一切見ていない。 電灯など以ての外。 看板、標識、家屋、車さえも。 ペットボトルが一本捨てられていたのを見て、 少しだけホッとする。 雲が増えてきた。 25km地点通過。 雨が降り出した。 依然、道には、古くはなさそうな車輪の跡がある。 車輪の跡があるということは、 必ずどこかに通じてるということだし、 地図では、ざっと見て20km以上は村が無いということだから、 そろそろ何かあるのではなかろうか。 この先は、村が点在する道となって、 Suvaへと帰れる筈である。 少し進むと、家屋らしきものを発見。 崖の上にあってよく見えなかったが、 食器らしきものが置いてあった。 そろそろ村か? そこから300mくらい行った地点に、 ブルドーザーが置かれてあるのを発見。 そこを過ぎると、気のせいか、道の感じが変わった気がした。 そういえば、車輪の跡も、キャタピラーのそれに変わってる。 雨が強くなってきた。 僕は、進むべきか、引き返すべきか悩みながら、 そろそろと徐行を続けていた。 既に27km近く来ている。 急勾配のところもあったし、視界の悪いところもあった。 然し、地図からすると、そろそろ村がなくてはおかしいのである。 緩い勾配を下ったところが一つの区切りのように思えた。 あそこで取り合えず止まって、様子をみよう。 雨は土砂降り。 これ以上進むのは危険というような降りである。 路面はぬかるみ、ハンドルを取られる。 そのうちに、アイスバーンを走行しているときのように、 全くハンドリングが効かなくなってきた。 僕は、下り勾配が終わった辺りで車を止めた。 周りは、依然として、山、山、そして山。 雨は土砂降り。 民家と言えるのは、さっきの一軒しかない。 時間は16:00を少し回っていただろうか。 車を降りて唖然とした。 道の表面は既に、砂利ではなく、 ましてや石でもなく、 この島独特の、赤土が剥き出しになった状態である。 道の両側には草が生えてるが、 その部分は、少しだけ低くなっている。 後部右側車輪がその草の部分にはまっている。 脱輪とか、陥没とかいうほど大げさな状態ではないが、 パワステ無しのこの車では、 切り返して脱出するのに、少々、骨が折れるかもしれない。 ・・・と、そのくらいに思っていた。 とりあえず、ハンドルを切りながら、動かしてみる。 動かない。 車輪は、ぬかるみにはまり、空回りしている。 4駆とはいえ、この車輪だけくぼみにはまっているので、 どうしても、一番重心がかかる。 この車輪がぬかるみにある以上、他にパワーが伝わらないのだ。 完全にスタックである。 そのうちに、雨は南国特有の土砂降りになる。 この赤土は、水分を含むと、すぐさま粘土状の粘り気をもつ。 だから、整備されている道は、石や砂利が敷かれていたのだ。 雨が多いこの国では、赤土のままでは、すぐにぬかるんでしまう。 そのためだったのだ。 妙に感心しながら、脱出方法を考える。 とりあえず、さっきの家まで行って、 助けを呼ぶか。 必要なら、工具類も貸してもらえば良い。 僕にはジャッキしかないしな。 僕は、土砂降りの中を、傘をさしながら、 件の家まで歩いていった。 歩いて驚いた。 赤土の粘土化は恐るべき速度で進行していて、 歩行にも困難になるほどのぬかるみである。 殆ど、辺りは、泥濘状態。 ブルドーザーの地点まで来る。 気になったのは、このブルドーザー、 草に巻かれていて、殆ど使われた形跡がないこと。 少々不安になりながら、さらに歩く。 家が見えた。 崖を登る。 ・・・そこには、廃屋があるのみであった。 どうやら、林業か建設業者か、 そういう人たちの作業小屋だったらしい。 奥には粗末な部屋があり、ベッドが4つ、 荒れ果てた形で残っていた。 使われなくなってから10年は経ってる感じか。 ここまで、さしてパニクることもなく、 冷静に判断して行動できたのは、 近くに民家があるからという理由だった。 人がいれば、なんとかなる。 いくら、ここに至るまでの25kmもの間、 民家一つなかったとはいえ、 最初に発見した家の近くでトラブルに見舞われたというのは、 幸運だったなぁとまで思っていたのだった。 壁に貼ったポスターに書かれた落書きをぼんやり見ながら、 ここで切れてはいけないと自戒した。 冷静さを失っては絶対にいけない。 状況を判断し、最良の方法を見つけなくては。 そうでないと、、、大変なことになる。 スタックを抜け出すためには、車輪の下に何かを敷けば良い。 抵抗を増やしてやれば良いわけだ。 幸い、廃屋には板があった。 これを数本持って帰る。 その他、役に立ちそうなものは無かった。 食器は雨水が溜まり、ビール瓶が数本転がってるだけ。 ふと、そこに、雨ざらしになっている伝票らしきものを発見した。 管轄場所みたいな欄にSeruaとあるのが読めた。 これは、今いる場所を知る手がかりにはならないだろうか? というのは、殆ど確実に、僕は道を間違ったのに違いない。 事実、何箇所か、分岐点はあった。 然し、僕はその度に、主要な道と思われる方に進路を取ってきた。 当然、『個人旅行』の地図には分岐など載っていないし、 その他の地図も然り。 そもそも、フィジーには「道路地図」というものは存在しない。 それがそもそもの失敗の始まりだったのか。 今いるのがどこなのか、それが分からない。 取るべき手段としては、 一刻も早く、スタックを脱出して、 戻らねばならない。 進めば、村はすぐにあるのかもしれないが、 無かったら危険はさらに増すばかりである。 夜になるまで、あと2時間弱か。 引き返し、作業に没頭する。 板を敷いても駄目で、 助手席のマットを取り出し、 それも敷いてみる。 さらにジャッキで車体を上げ、 タイヤの下に完全に板を敷こうとしたが、 泥濘地帯で、車体の傾きがあるため、それは不可能である。 ジャッキを完全に上げた状態で、できた僅かな隙間に板を入れ、 ジャッキはそのまま、運転席にゆっくり入る。 運転席のドアを開けたまま車輪を回転させ、 半身を乗り出して、手で、板を押し込む。 これが上手くいきそうだったので、 この方法で、4つの車輪の下に、板やマットを押し込む。 そうしておいて、ハンドルを前後に切りながら、 ゆっくりクラッチを繋げていくと、 漸く、ジムニーは、苦境を脱した! 17:12のことである。 雨の中の作業で、僕の靴、Tシャツ、顔や手や足、 ありとあらゆるところは泥まみれだったけど、 僕は、脱出した喜びで一杯だった。 雨も止んで、空も夕焼けが綺麗だ。 これで、Suvaに戻れる。 ジムニーが復活したところで、 僕は、とりあえず、道の先がどうなってるか、 一寸だけ歩いて見に行くことにした。 もしかしたら、村がすぐそこにあるかもしれないのである。 ジムニーがスタックした地点は丁度皿の窪みのようなところで、 進むにしても戻るにしても緩い上りがある。 僕にとっては未踏の地である道の先へ少し進むと、 僕はさらに唖然としてしまった。 そこには、材木が積んである場所があり、 幹から切られた木の根っこが数本あり、 道は殆どそこで終わってるようだった。 一応その先にも細々と続いてはいるが、 とても車で行けるところではなさそうである。 矢張り、この道は、林業関係の専用道で、 廃屋は昔使ってた作業小屋で、 小屋までは、道は整備されている(砂利が敷かれてる)が、 その先は、赤土剥き出しの、荒れた道になってるのだ。 いかんいかん。 こんなところにいても仕方ない。 早く帰ろう。 ジムニーのエンジンをかけ、走り出す。 が、然し、車は、 平地なのにも関わらず、 スタックしてるわけじゃないのにも関わらず、 進まないのである。 再び、運転席のドアを開けて、 車輪の状態を見ながらクラッチを繋ぐ。 泥濘の海と化した赤土の道は、 車輪と地面との抵抗を完全に奪っている。 タイヤの表面を泥が数センチにも渡り覆う。 4WDの最強パワーにして、 ギアをローにいれ、 ゆっくりとクラッチを繋ぐ。 空回りをしていた車輪は、 漸く地面を噛み始めるが、 少しの勾配や轍の溝や、 その他僅かな障害物があると、 全く進まない。 然も、そのまま空回りさせると、 再びスタックの危険がある。 車輪が、どんどん、穴を掘ってしまうのだ。 空回りは出来るだけ避けねばならぬ。 「絶望」とはこういうことを言うのか。 家屋が廃屋だったときのショックは、 然し、スタックさえ脱出できれば何とかなるという安心感が、 まだどこかにあったので、決定的ではなかった。 然し、自走できないというショックは、 万策尽きた感のあるショックである。 僕は天を仰いだ。 夜はすぐそこまでやってきている。 切れてはいけない。 泣いても、叫んでも、喚いても、 誰も何もしてくれない。 僕しかいないのだ。 冷静に、考えねばならぬ。 然し、さっきの自戒とは、明らかに違っているのを、 僕自身もはっきりわかっていた。 ここは、最も近い民家(入り口付近のsettlement)から約25km弱。 それ以外に、およそ人工物がない地帯である。 電話もない。連絡は取りようが無いし、助けも呼べない。 車が使えない以上、移動手段は徒歩のみ。 25kmを歩くと、約6〜7時間か。 然し、途中の分岐を確り記録してないから、 もし迷い込んだら、終わりである。 食料は、ビックマックとボトルの水のみ。 他には一切もっていない。 ガソリンは幸運にも、殆ど満タンである。 誰も、僕がここにいることを知らない。 僕が車を借りて、村に行くという事は、 何人かが知っているし、 レンタカー会社の人も、翌日の12時に車を返却しなければ、 調査をするかもしれない。 然し、この場所が見つかる保証はどこにも無いのである。 人を頼りにはできない。 極度の緊張状態の中で、 僕は兎に角、状況を判断してみた。 今、難儀してるのは何故なのか。 それは、車が、泥の海の中で動けないからである。 これは、雨が降ったせいである。 ということは、雨が上がり、天気が回復して、 路面が乾燥したら、動けるということである。 この苦境は、ひとえに、雨のせいなのだ。 加えて、あの廃屋の地点まで進みさえすれば、 後は、砂利の道になって、雨でも大丈夫の筈。 だから、先ずは、明日の朝、天気を見て判断する。 これが先ず第一。 次に、明日の天気が雨、又は、晴れているのに路面が乾燥しない場合。 この場合は、今と、状況は変わらないわけである。 自走は不可能。 然し、一日経ってるだけに、食糧の状況は悪くなっている。 ビックマックと水500ml。 これで、人は、何日生きられるのか。 それ以外には、一切、食糧はないのである。 よくわからないが、せいぜい、まともに体を動かせるのは、 3日が限度だろう。 これからは、時間が過ぎれば過ぎるほど、状況は悪化の一途。 早め早めの、且つ、的確な判断をしないといけない。 明日の朝、雨が降っていたり、 あるいは晴れたのに、待っても路面が乾かない場合。 これは歩くしかない。 25kmを歩くのに約7時間とする。 この場合、唯一の問題は、 体力や食糧もさることながら、 途中の何箇所かあった分岐で、 道を間違えないかということ。 メインと思われる道を選んできたつもりだが、 「メインと思った」のがどちらだったか、 微妙な線がでてくるかもしれない。 その場合、必ず、後で引き返したときでも分かるように、 目印なりなんなりを記録すること。 そして、夜は、手がかりを見逃す怖れがあるので、動けない。 歩くことは、多分可能だろう。 25kmと言えば、阪神大震災の時、 大阪と神戸との間を人は歩いていたではないか。 大体、同じ位の距離だ。 前例があると、参考になる。 要するに、明日の朝の天気次第。 晴れていた場合、乾くまで待つ。 然し、いつまでもは待てないわけで、 暗くなる前に、settlementまで辿り着けるように、 徒歩での出発時間をぎりぎり午前11時として、 それまではひたすら待つ。 もし雨の場合は、朝から歩き始める。 基本計画が決まったところで、 あとはすることがない。 夜をただただ過ごすのみ。 然し、暗闇というのは、非常に曲者である。 辺りには、本格的な夜が下りてきた。 漆黒という言葉がふさわしい程の闇と、 一切の音のない世界。 「無光」と「無音」。 この二つは、強制的に、不安を増大させる。 先ほどの計画に問題は無いはずであった。 天気次第という危うさはあったけれども、 歩いたとしても、歩けない距離ではないはずだ。 然し、「無光」と「無音」は、 思考をどうしても、負の方向へ押しやる。 歩くといっても、荷物は何を持っていこう? 幸か不幸か、荷物はそう多くは無かった。 海パン+バスタオル(これは車に置いていこう)。 ガイドブック(『個人旅行』だけは地図が詳しいから持っていこう)。 着替え(最低限でいいだろう)。 洗面用具+薬(薬とかの方が大切だな)。 免許証+財布+保険証など(これらは一式持っていこう)。 然し、それでも結構重いな。持てるかな。 リュックじゃないから、手で持つと、体力の消耗が激しいな。 ビックマックはどのタイミングで食べようか。 二回とかに分けた方がいいんだろうか。 もし、道を間違えたら。。。大丈夫の筈だけど。 道を間違える。 途中で怪我をする。 この二つは、間違い無く、「死」だな。 考えないようにしてたこの言葉が頭をよぎる。 駄目だ。駄目だ。 どうしても、ネガティブ思考になってる。 僕は、容赦無く襲ってくる不安と戦いながら、 気晴らしに、サザンのカセットを聞いた。 車内灯もつける。 明るさと音が戻った。 これだけで、多少、気持ちも違ってくる。 カセットは、サザンと陽水を借りてあった。 ラジオも勿論入らない山中、 カセットが無かったら、狂いそうになってたかもしれない。 時間が経つのが遅い。 そういえば、ウィスキーが少しあったな。 酒に逃げようか。 この時ばかりは、はっきりと、 酒に依存しようと考えた。 然し、アルコールは、加水分解だったな。 水分が足りないときに、酒は禁物だな。 寝れば、何も考えなくて済むかな。 然し、 ここでも、ネガティブな発想が出てくる。 エンジンかけてるからバッテリーが上がる事も無いし、 ガソリンはほぼ満タンだから、燃料切れもないけど、 もし、寝てる間にエンストでもして、 然し、ライトはつけっぱなしで、 それのせいでバッテリーが上がったら? 車の故障は、車を失うことを意味する。 やっぱり、寝るときは、消そう。 サザンは知ってる歌ばかりだし、 大声で歌えば気も紛れるかな。 ・・・歌う気にはどうしてもなれない。 闇が怖いのではない。 音がしないのが怖いのでもない。 近くに人の気配がない空間にいるのが怖いのでもない。 ましてや、幽霊とか、そういう類でもない。 何が怖いのか。 いや、「怖れ」と言った方がいいかな。 それは、この歳になるまで生きてきて、 何度か、命の危険に晒されたこともあったけど、 今回は、「死」というものを、 possiblity(可能性)ではなく、 probability(蓋然性)をもつ一つの事実として 考えざるを得なくなったこと。 それに対する「怖れ」である。 然も、そのことと向き合わなければならない時間が長い。 嘗て、車で事故を起こした時も、 ブレーキかけるのが遅かったら、死んでいたでしょう。 然し、あれは一瞬のことだった。 恐怖も、怖れも、死に向き合うことも、一切無かった。 今回の状況は、一つ判断を間違えば、 確実に死ぬことになる。 取り返しはつかない判断がいくつもある。 そのためにも、冷静さを保たなければならないのだが、 「無光」と「無音」のこの状況は、 理性と感情とが、 双方とも最大値を示しながらバランスを保つ、 この極度の緊張状態に、 言いようのない「怖れ」を加えていく。 いかんいかん。 楽しいこと、別のことを考えよう。 空には星が出てるようだな。 この分だと、月も出るかな。 そこで、頭をかすめたのは、 僕が好きな小説のフレーズ。 「月光コウコウ」 でも、これは、本当は、登山の途中で落石に遭い、 遭難して、死んだ主人公が、現場で書いていた、 手記の一節だと気づいて、またも怖くなった。 「月光コウコウ 落石ヒンピン 意識モウロウトス」 確か、こんな感じだったな。 生存の可能性が、一つ一つ無くなっていく。 僕の場合は、まだ、いくつかの可能性が残されているが、 これから、一つ一つ、消えて行くのかもしれないのだ。 人間は、どこで、死を受け入れることができるのか。 実は、僕も、夜の退屈凌ぎに、手記を書いていた。 然し、途中で、これは遺書になるのではないかと思って、 書くのを止めたのだ。 死をprobableなものとして、本当に受け止めた後でなければ、 遺書など書けるものではないということが初めて分かった。 僕はまだ、生に執着があるし、 死を受け入れる準備も出来てない。 こんな簡単に死んでたまるか。 でも、こんな簡単に死ぬものなのか。 実際、明日の行動一つ、間違えただけで、 死は現実となるのだ。 雨が降らなければ! 僕は、ありとあらゆるものに祈った。 晴れてさえくれれば、苦境脱出成功率はかなり上がる。 然し、車を捨てて、歩かなければならないことになると・・・。 僕は、もう一度、最悪のシナリオをシミュレーションしなおしてみた。 車を捨てるというのは、相当な覚悟が要る。 頼れる移動手段は、自分の足だけ。 挫いたりしただけで、survival率は低下する。 折ったりしたら、致命的である。 道を間違え、もし夜を迎えたら。 山の上なので、夜はかなり冷えるのである。 凍死は無いにしても、風邪を引いたら、これも致命的。 矢張り、車を捨てるのは、相当の勇気と覚悟がいるなぁ。 兎に角寝ようと思った。 でも頭をよぎるのは、 雪山遭難の時、「寝てはいけない」というあれである。 まさか、今現在は、身体的に何も問題無いんだし、 寝たら目覚めないなんてことはないだろう。 でも、食糧が尽きてからの睡眠ってどうなんだろう? そう考えて、何年後かに、 朽ちた車の中に白骨死体が見つかる図を想像して、 僕は頭を振った。 「夜」。 この、ひたすら長く、ひたすら静かで、 ひたすらネガティブ思考を引き寄せるこの時間の、 長かったことか! 少し寝ては目覚め、サザンや陽水を聞き、また寝る。 これの繰り返しを何度したかわからない。 何せ、19:00には真っ暗で、それからまだ、 朝が来るまで12時間弱もあるのだ。 夜半、音がして、目が覚める。 雨だ。。。 絶望感がまた強くなった。 「来し方行く末のことが走馬灯のように・・・」 とは、よく使われる言だが、 僕は、そうなるのを、必至でこらえていた。 帰ったら、日本食レストランで刺身食ってやる! オレは、死に際になっても、刺身のことを思うのか。 自虐的に笑う。 長い夜が終わり、漸く朝が来た。 晴れてる! 第一関門は突破だ。 いつもの、フィジーの朝である。 これから、強い太陽が上がってくるに違いない。 あとは、待つばかりである。 8:00。 太陽が力を持ち始める。 音がしそうなくらい力強い太陽光線。 地面に触ってみると、熱をもってるのがわかる。 然し、まだ、駄目だ。 試しに動かしてみたが、車輪は空回りを続けるのみ。 9:00。 まだ駄目だ。 然し、さっきよりはだいぶ固まってきている。 リミットまであと2時間。 期待はもてそうだ。 僕は、帰路の偵察に行った。 溝の有無、水路として水が流れていた個所の泥度チェック、 そして、赤土地帯がどれくらい続くか。 さしあたり、今のこの緩い勾配を上ると、 少し平坦地があった後、 一番の上り勾配がある。 多分ここが難所だろう。 そこを突破すると、今度は、 木の陰になって、殆ど日光が当たらず、 従って、未だに相当なぬかるみになってる個所がある。 その二つの難所を越えると、 一応は砂利道になる。 砂利なら自走できるのか? それはわからないのだ。 砂利で無理なら、無理ということになる。 9:30。 三度目にして、スリップしながらも、 漸く、そろそろと動く。 然し、途中で止まっては、空回りして、穴を掘る。 その度に、車を後退させ、チャレンジを繰り返す。 ローギアで7千回転くらい回すと、 恐ろしく空回りをしながらも、少しずつ前に進むようになる。 然し、それも、長くは続けられない。 二歩進んで一歩下がるみたいな感じ。 何度も、進んだり下がったりを繰り返し、 我がジムニーは、漸く、二つの難所をクリアした! そして、、、砂利道に入った途端、 「車」というもの、本来の動きを取り戻した。 僕はsurviveしたのだ。 不思議と涙は出なかった。 僕は、大声で、サザンを歌いながら、 Suvaまで激走して帰ってきた。 勿論、冷え切ったビックマックを無我夢中で食べながら。 |
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