アールグレイ通信号外

           関東旅行記

 2002年8月4日アールグレイはワンダーフェスティバル2002_Summer(以下WF02夏に省略)に出展し、小成功をおさめたことは、アールグレイ通信スクラッチ面でお伝えしているが、ここではWF02夏を含めた関東旅行全体の思い出をふりかえってみる。

                2002年8月3日編

出征の朝来る

 完成品の梱包作業は2002年8月2日深夜まで掛かり、当然宅配便搬入には間に合わずセルフレールゴーサービスとなる。荷物の合計容積は1立方メートル近くあった。その荷物を両手に抱え、背中にはザックを背負い、予定より10分早い2002年8月3日午前5時20分に家を出た。自宅最寄駅に着くまで途中幾度と無く休憩した。20メートルおきに。二の腕に力が入らなくなってくる。このところ製品作りで出歩いていなかったので、運動不足がたたっているのだ。普段なら10分足らずの道のりがこの日は25分近くかかってしまった。ようやく最寄駅についたものの、早朝のため大阪環状線といえど運転本数は少なく、電車到着までおよそ7分ほど待たねばならないのだった。

 そうして新大阪駅についたのが5時50分頃であったろうか。大荷物のため徒歩による移動速度は普段の3分の1程度だから、当然新幹線ホームへ上がるのも時間が掛かる。本来ならば親戚縁者による万歳三唱のなか出征するところであるが、隠密作戦の為見送りはなし。やっと乗るべき列車「ひかり200号」がいるホームに上がり、自分の席がある車両に着くまでがまたしんどい。一両25メートルの車両を3両ほど歩いて、荷物を棚に上げてほっと座席に着くと間もなくドアが閉まった。0530に家を出ていたら間に合わなかったところだ。

 弾丸列車は首都めざして走り始めた。現在は弾丸でなくカモノハシ列車だが。発車して間もなく飲み物を買いに席を立った。飲み物の自動販売機は有るものの食堂車やカフェテリアといった場所はなさそうである。小生は食堂車にて食事をするのが子供の頃より夢であったが、スピード第一の700系車両にはそうした豪華な設備はないのであった。15分で京都に到着。京都駅の少し前から在来線と併走している。在来線の京都駅一つ手前の駅「西大路」が見えた時はちょっと感動。「電車でGo!の通りや」実線を元に開発されたゲームなので当たり前だが。

 京都を出ると弁当を買った。幕の内だ。実は食欲がなかったのだが、何も食べないわけにはいかないと思って買った。でもやっぱり食が進まない。車窓を覗いたが、何処を走っているのか分からない。あれが近江富士かな。唯一読み取れるのは河の堤防上に立つ河川名を記した標識だ。広い河原の「野洲川」。とかいっている間に通過駅がある、米原らしいのだか駅名は読み取れない。そしてここが関が原かあれが新垂井の迂回線かなとか思っていたら、急に建て込んできて、名鉄特急パノラマカーを追い抜いた。名古屋では後発のぞみ通過待ち。

 そしてまた、名古屋を出ると一体何処を走っているのか検討がつかない。次は東京まで止まらない。長良川そして大井川の表示は見て取れた。駅の表示より河の表示は線路から遠くにあるので読み取りやすいのだ。大井川はとてつもなく広い石のごろごろした河原である。一つだけ見えた駅名表示は「三島」だった。でも富士山は見えなかった。そして0845だったか、定刻通り新横浜を通過したというアナウンスがあった。広々とした関東平野を見渡すと建物がぎっしり。多摩川を渡ると東京都だ。ここでまた感動、「電車でGo!の通りや」東海道在来線の緑と柿色に塗られた電車に追い越される。強力なブレーキを備えた新幹線と言えども安全上終点駅手前では在来線より更なる減速が必要なのだろう。有楽町に差し掛かると電車は最徐行、いよいよ構内進行せしむるのだ。他の客達はもう席を立ち出口に向かって並んでいる。私は荷物が多いし、そう急ぐことも無いので最後に降りようと思う。そして電車は滑らかに停車した。そうして、大荷物を持った青年アールグレイは東京駅に足跡を印すのである。

東京駅到着

 良く分からないまま改札を出るとそこは北口だった。幸運にも直ぐ近くにコインロッカーが。そこで30分も掛かって荷物の整理をした。コインロッカーの前は団体旅行者の集合場所になっていて、添乗員が大声で客に説明している。大ロッカーの横に駅職員の出入り口があり、頻繁に人が出入りするのが気になる。まず、本日会場へ持ちこむブツと明日持ちこむブツに分けなければならない。本日持ちこむブツは提出用サンプルと展示スタンドなど。これから東京観光をして夕方会場へ行くので1つ目のロッカーは観光が終わってから開ける。2つ目は会場からここへ戻って、宿へ向かう前に開ける。それにどうして30分もかかったのやら。大ロッカー二つに分けようとしたのだが紐で結んだままでは入らないので、箱単位に分けてああでもないこうでもないとパズルのように入れ替えてみる。隣に白人のバックパッカーが来た。彼も荷物を整理している。自分の荷物と混ざらないよう、少し手前に退いた。外国人が側に来ると無駄に警戒してしまう。偏見だ。彼はそのような悪しき輩ではないと分かっているのに。

 やっと荷物が全てロッカーに収まると、今度はサラリーマンがやって来た。「すいません、ここ空いてますか。」感じの良い関東弁で、年は35ぐらい、車輪のついた鞄を引いている。「どうぞ」と私が言うと、彼は私の荷物が入っている下の方を空けた。大ロッカーは縦に二つ、横に二つづつ、合計4個あるが、私は荷物の上げ下ろしが疲れるので下の2つを占拠してしまった。「そこ使ってますんで、上は空いてます。」と私が言ったら、彼は「あ、失礼しました。先入れてください。」実に丁寧な口頂だ。そして500円硬貨をロッカーに挿入しようとすると、なんと入らないのだ。なぜだ、大ロッカーの料金は500円なのに。きっと小・中のロッカーと機構を統一するためだろう。幸い100円玉は沢山在った。母が財布に入れておいてくれたのだ。出発時には財布が重くて嫌だったが、「ほら見てみい」と言っている母の顔が目に浮かぶ。感謝。そうして100円硬貨五枚入れて鍵を回す。扉が奥まで閉まりきってなかったので、鍵が途中で止まってしまい、料金が無効になるではないかと焦ったが、扉を押さえてそのまま鍵を回すとしっかり閉まった。同じ動作をもう一度、合計10枚の百円硬貨を投入し、二つの鍵を手にする。わざわざ書くのがくどいような動作だが、旅行は久しぶりなので当時の私は緊張していて、いちいち確認せねばならなかったのだ。そうして、待っていたサラリーマンに「どうも」と言ったら彼は「どうも失礼しました。」と再び言った。本当に丁寧だ。私は「お待たせしました。」と言わなかったのに。

 30分にも及んだ荷物の整理を終えて、まずはトイレだ。下車したときからしたかったのだが、我慢していた。新幹線の車内で腹が冷えたのか。冷房はそれ程きつくなく、タンクトップに短パンでちょうど良いと感じていたのだが。トイレを探して地下街へと潜入する。案内図を見てたどり着いた。がパンツを下すなり噴出し、ブツは便器の後ろにはみ出した。やってしまった。ちゃんと後で拭いておいた。後に使う人の為と言うよりは自分が堕落するような気がするのだ。自分のクソの始末も自分で出来ないなんて。便器からはみ出したブツを綺麗に拭取り水を流したが、便器の側面についたやつが取れない。便器の内側にも水が流れない場所があるようだ。いくらなんでも便器の内側までは拭く気になれない。これは便器を設計した人が悪いのだ。俺のせいではない。そう言聞かせてトイレを後にした。心残りだが仕方ない。

 トイレも済んで、いよいよ街へ繰り出そうとしたが、さっき荷物を預けたロッカーの位置が分からなくなった。これではまずいので、東海道新幹線の北口を探す。10分ほどうろうろして、やっとあった。さて街へ繰り出す前に、地下の本屋で地図を立読み。買わなかったのは重いからである。大体の位置関係が判ればそれで良い。続いて飲物を購入。そうして皇居へ向うのだ。

 いざ行け、お上りさん

 八重洲口から出たので、丸の内口にあるというレンガ造りの駅舎は見ることができなかった。有楽町まで電車に乗った方が良かったかなとも思ったが、どちらの駅からでも大して距離は変らない。大きな交差点で北西へ曲りJRの高架を潜る。東京だというのに人が全く歩いていない。信号待ちで昭和初期風デザインの政治批判ポスターを目にした。そこで白人の熟年男性が居た。日本地図帳を手にしていた。私と同じおのぼりさんなのだろう。しばらく行くと京葉線ホームへの入口がある。地上ホームから遠いとは聞いていたが、これでは有楽町の方が近いではないか。

 途中にあるビルの庭の大きな樹でミンミンゼミが唄っている。これぞ東京の野声。人通りが疎らな土曜日のビル街で、私の後ろを歩いているのは先ほどの白人男性だけ。信号が赤に変ったが、自動車は来る気配が無い。関西人の悪い癖でつい渡ってしまう。後ろの白人の目を気にしながら。振返ると白人はちゃんと信号を守っていた。俺、日本人の悪い見本になってないか。堀の側まで来ると、古代西洋風の建物があった。銀行だったか。堀にはトンボが舞い、コブハクチョウが二羽浮んで居た。私が堀の岸で佇んでいると、「この男もしかしたら食い物持っているのでは」と白鳥は思ったのか、こちらの様子を覗っている。残念ながら俺はお茶しか持ってへんのや、と心の中でつぶやいた。

 堀の側に屋根の無い地下鉄の入口がある。駅名は忘れた。関西では全ての地下入口に屋根が付いているので、なんとも奇妙な風景だ。関西人は地下への入口には屋根がなくてはならないと思っている。治水上の理由も有るかもしれない。しかし、ここ東京では必ずしも屋根は必要無いのだ。その堀を後にしてさらに内陸へと進む。機動隊のバスが止っていて物々しいが、広い芝地に松の樹が所々生えていて。良く手入されている。そこで一休み。茶を飲み、汗を拭く。5分ほどで行動開始。ここまで来て気付いたのだが、東京駅を出て以来今まで不法駐車車両をほとんど見かけなかった、先ほどのJR高架を潜った後に見た、業務用の何やら大きな機械を積んだトラックだけだ。皇居の周りということで取締りが厳しいのだろうかと思っていた。又大きなT時交差点を渡る。二重橋が見える。国会議事堂の屋根も見える。おお、俺は今東京に居るのだ。横断歩道を渡ると、一面の砂利場がある。入口には「この中でのマラソン禁止」とある。何故だ、以前事故があったのか、それとも天皇陛下はマラソンが嫌いなのか。

ランナーは皆外の歩道を走っている。砂利場にはおのぼりさんが数組来ていた。外国の人が多いようだ。皆二重橋の前に並んで記念撮影している。その脇にレトロなポリスボックスがある。警官達はテロリストに備えていると言うより観光客に道案内をするのが主な仕事と化しているようだ。緩やかな坂を上がり、橋の袂まで行くと、今度は今風のアルミ製ポリスボックスが有る。橋には柵があってとおれない。門も閉っている。良く見ると橋の向こう側、両脇に二つ、坂の下のものとは違うデザインのレトロなポリスボックスがあり警察とは違う制服の人が立っている。宮内庁の警備員だろうか。彼らはずっとあそこに立ちつづけているのだろう。橋脚の突出た部分には二羽の鵜がとまっていた。彼らも城を護っているのか。双眼鏡を取出して観察していると、後ろに警官の視線を感じる、べつに何も言われなかったが。そう、心の中では何時か平成維新を成し遂げる為ここを制圧するという野望を抱いてはいる。しかし、今はただ見るだけだ。 橋の袂からは櫓のような建物が見える。更に向うには新しい高い橋もある。あの中に皇があらしゃいますのや。しばらく眺めていると、さっきの白人が話しかけてきた。カメラを差出し「プリーズプッシュザシャッター」とか何とか言っていたような。「あーはい」といって撮って差上げた。「サンクス」と言われたがどう返していいものやら。

 二重橋を後にして桜田門へと進む、門の前に案内板が。見ていた家族は関西弁だった。「皇居の中通り抜けられへんやろ」とか言っていた。んー確かに大阪城とは大分違う。公開されない部分が多過ぎる。桜田門を抜けてしばらく歴史に思いを馳せた。ここで昔大事件があったのだ。最近見た「その時歴史が動いた」で取上げていたな。歴史の授業は中学で一年、高校では2年もかけて日本史の授業を受けたのに、授業の内容は全く覚えていない。当時は歴史に興味なかったからなあ。高校でも好きで日本史とった訳ではなかったし。桜田門外の変より自分の無駄な歴史を振り返ってしまった。

が自虐的気分に浸っている暇はない、次なる目標は国会議事堂。もう見えているから迷うことは無い。

 堀を離れ交差点を渡って、議事堂へ続く広い道路に出た。野望が満ちてくる、何時の日か平成維新を成し遂げ、この国を真の平和と民主主義で満たす。そう、今回私が東京に来たのは平成維新に備えた下見のためで、WF02夏に出るのはその為の資金稼ぎに過ぎない。議事堂までの直線道路は結構距離があったはずだ、だが当時の私には短かった。野望が疲労を忘れさせたのだ。ミンミンゼミ時雨れのなか、巨大な石の塔は次第に大きく迫ってくる。私の野望と同じく。

 最後の信号を渡ろうとした、様子がおかしい、誰も居ない、警備員すら。通常国会は二日前に終わっているから議員はいないはずだ、それにしても警備員ぐらい立っていてもよさそう。門が閉まっている、立て札があった。土日は閉館。当日は土曜日。なんと休みだ。俺の野望がー。

 仕方ないので写真を撮って、

辺りの庭を散歩した。池に鯉がいるが、水は黄緑に濁っている。消毒薬によるものか或いは藻が大量に発生しているのか。鯉は寄ってきて餌をねだる。家に残してきた金魚を思い出した。アジサイが未だ咲いている。

 庭を出たら看板があった。憲政記念館というものが近くにあるらしい。入場は無料ということなので行ってみた。入り口には池があり、又鯉がいる。その池の真ん中に像がある。誰の像か説明書きがあったが覚えていない。中に入ると受け付けで住所と名前を書く。パンフレットを貰って奥へと進む。二階への階段があり、ホールには歴代議長の肖像画が飾ってある。二階の最初の部屋は映画館だ。「ボタンを押すと始まります。」と字幕が流れているので、一番前に有るそのボタンを押して席に着いた。待つことおよそ30秒。画面は暗くなったまま一向に始まらない。しばらくするとまた字幕が流れ始めた。前にいって再びボタンを押す。今度は「ボタンを押すと始まります。」の字幕が動かなくなってしまった。パソコンでいうとフリーズの状態だ。しかしここで諦めてはわざわざ大阪から来た意味が無い。今一度、ボタンを強く押しこんだ。やっと始まった。内容は、明治以来の我が国における民主政治を簡単に紹介したものだった。次の展示に進む。議員が書いた手紙とか、当時の雑誌とかが時代を追って並べてあった。立体映写機もあった。続いて一階へ。衆議院の演壇周りの実物大模型がある。ボタンを押すとベルが鳴り響き、小泉首相の所信表明演説のビデオが流れる。その次の展示は電話である。受話器を取ると歴史に名を残す議員の声が聞ける。リカちゃん電話ならぬ国会議員電話である。余談だが私のところにブッチホン(故小渕首相が広く国民の意見を聞く為に無作為にかけていたという電話)は一度もかかって来なかった。その後は国会議事堂で以前使われていた時計がある。更に進むと幾つものブースがあり、一つのブースの中に一つの画面。国会議事堂の中をロールプレイングゲーム風に探検するというもの。子供は喜びそうだ。

 1300頃憲政記念館を出て、靖国神社へ向かう。三宅坂を登って1310最高裁判所前を通過。

 道が分からないので麹町の本屋でまた地図を立ち読み。実は靖国神社の詳しい位置を知らなかったのだ。分かったので徒歩にて進行。途中小生の大好きなインド風カレー屋の前を通り掛かるが、誘惑に負けず進行。余談であるが、途中いろいろな制服を着た女子高校生とすれ違う。テレビドラマに出てくるそのままの出で立ち(化粧・髪型等)は小生にとってカルチャーショックであった。母親らしき成年女性と一緒の生徒もいる。女子高生も初々しいが、母親も捨てがたい。最初姉かと思ったぐらいだ。なぜこの程度の狭い地域で様々な制服の生徒とすれ違うのか不思議に思っていたら、女子大学があった。そこで体験入学が行われていたのだった。その女子大の前に碑があった。何でも江戸時代の偉人の家が在ったとか。

いざ行け、日本男児

 緩やかな坂を登りきり、靖国通りを渡って境内に進入す。白いハトが庭にいる。葦簾で組んだ展示小屋にアサガオがある。花の直径15センチはあろうか。午後ということで、花はつるから摘み取られ、水ににつけて展示してあった。中の鳥居前に太平洋戦当時の将校が書いた文が展示してある。内容は、「部下を大勢死なせたのに戦局を好転できない。自分が生きていては死んだ部下達に申し訳無い。」というものであった。帽子を取って鳥居を潜るようにとの注意書きがあるので従う。5円の賽銭を投入し、手を合わせる。亡くなった将兵の冥福を祈ると共に、この国をもっと良い国にするため力をお貸し下さい、とお願いした。ついでに明日人形が売れますように。小生は普段神社へお参りしても賽銭は投入しないのだが、今回は特別。普通の神社には賽銭箱の上に鈴があって、ガラガラと鳴らすのだか、靖国神社には無かった。最後に敬礼をして、本殿を後にした。

 境内を歩いていると、「遊就館」という建物がある。博物館らしいので、入ってみることにする。入り口ロビーには蒸気機関車(C11だったか)やゼロ戦のレプリカ、あと榴弾砲が二門ほど展示してあった。ここも二階からが順路となっている。戊辰戦争から大東亜戦争までの日本が参戦した戦いについて展示があり、50畳ほどの部屋一つに一つの戦いを展示してあって、部屋は全部で25ほどある。全部見ていたら5時間はかかるだろう。歴史年表はとばして、ここでしか見ることの出来ない遺品をじっくり見せて頂いた。それぞれの部屋に、その戦いで亡くなった将兵のうち10人ほどの戦歴や遺品などが展示してある。割れたゴーグル、弾痕のあいた軍服、どれも彼らが勇敢に戦った証である。子供に当てた手紙を見ると、彼が家では子煩悩な父親であったことが窺い知れる。それぞれが優くも時には厳しい父であり、よき夫であり、親孝行な息子であったはずだ。彼らが鬼のような侵略者だったとは到底思えない。中には外国人が言うような侵略行動に出た者も居たかもしれない。しかし、私のような民主主義の中で育った若い世代とて、赤紙一枚で厳しい自然環境の中に放り込まれろくに補給も受けず、その上無理難題な任務を負わされれば、正常な人格は失われ精神異常をきたして侵略行動に出るだろう。責めるべきは彼ら個人でなく過った国策なのだ。

 最後から2番目の部屋だったか、花嫁人形が展示してあった。今まで見てきた無骨な兵器や壮絶な戦いの痕が残る遺品とは打って変わって、華々しい空間となっている。これらの人形は婚期を前にして戦死された若い将兵に家族や友人が捧げたものだ。その一つ、母親が記した解説を読んでみた。「私は八十を過ぎてしまったが私の中で息子は出征していった十八のままです。息子にこの花嫁を贈ります。」これを読むと涙が溢れてきた。人形の衣装は本物の着物と同じ生地でできているようで手が込んだ造りになっている。私の作る人形とはまるで手法が違うのでよく分からないが、こちらの母親は何十年もかけて息子に贈るこの花嫁を創作したのだろうか。この後にも幾つか展示室があったが、ビッグサイトへ発つ時間が迫っていたため、見ることが出来なかった。今にして思えば他の拝観者に涙を見られたくなかったからかもしれない。

 16時38分靖国神社を後にして駅へ向かおうとする。がどっちの駅が近いのかわからない。通りに沿って歩いていると地下駅の入口があった。そこは市ヶ谷駅だった。当初地下鉄で有楽町へ行ってそこで山の手線に乗り換え東京駅へ戻る計画だった。路線図を眺めてみたが良く分からない。地下鉄公団が二社あるようだ。大阪には市営しかない。一枚の切符で二社乗り継ぎできるのか駅員に聞いてみた。できるらしいが、その駅員の受け答えが無愛想というか感じが悪い。これだからお役所仕事は。東京駅への行き方を聞いたがJRのほうが早いから下のJR改札で聞けという。ホームを下りたがどの列車が有楽町に行くのかさっぱりわからない。感じの悪い地下鉄駅員に言われた通りJR改札に行って改札機に切符を入れると警報が鳴り戻ってきた。JR駅員は排出された切符を見て「お客さんどちら行かれるんですか。」私「有楽町」JR駅員「行けません。先に○○の方に入ったでしょう。」私「間違えて入りました。」JR駅員「そこで切符交換してください。」ブースに行ってJRの東京駅までの切符と交換してもらった。乗り換え駅も聞いた。おちゃのみず、おちゃのみず、頭の中で何度も繰り返す。変わった名前なので間違うことは無いだろうが、これがハイジだったら「みずおちゃの」になるのだ。JRホームは人が大勢いた。電車は駅を出てしばらくすると運河の岸を走っている。水面まで20メートルはあろうか、そんな高いところだ。向かいの護岸は80度ぐらいのコンクリート斜面だが一本だけ樹が生えていた。護岸の上には民家が連なっている。線路はそれを見下ろす高さだ。2駅ほど過ぎて運河が見えなくなると、皇居の堀が見えてきた。そこが乗り換え駅、御茶ノ水。東京駅へは直ぐだった。

 有明へ向う

 電車を降り、今度は迷わずロッカーへとたどり着いて、スムーズに荷物を取り出せた。到着時に整理しておいた賜物だ。そして迷わず山の手線に乗り込む。そして新橋からはゆりかもめだ。荷物は床においていたので倒れないようずっと押さえていた。一番前の席なら荷物を他の客の邪魔にならずに置けたのだが、おたく(電車おたくではなくガレキおたく)に占領されていた。彼らは手ぶらだった。同業者なら譲ってほしいものだ。そういえば神戸のポートライナーでも最前部に座れることは滅多にないな。

 国際展示場正門駅から会場までは1キロとまでは言わないがかなりの距離がある。今回開催のホールは前回より近いのでまだましだったが。そして18時ちよっと過ぎ。受付にたどり着いた。「ごくろうさまです。」受付の女性が言った。実行委員会幹部の横柄な態度と違って受付の人はいい感じだ。書類を受取り、サンプル提出。「今回落されたものは有りますか」と聞かれた。有るはずが無い。そうならない為に俺は血の滲む苦労をしてきたのだ。落していいならいくらでも落してやるわ。だが受付の人に食って掛っても仕方が無い。「ありません」と冷静に答える。完成品製造中どれほど恨んだことか。二個ずつも提出させやがって。この人形は俺の怨念がこもった呪の人形なのだ。版元め実行委員め、この呪受けるが良い。貴様らが業界の警察ぶる日もあとわずかだ。おっとこれは旅の記録だった。業界団体に対する恨み辛みを書くところではなかった。いずれ実行委員会には文書で抗議する。

 そうして自分の卓に向ったのだが、なんと不親切なことに卓に番号札がついていないのだ。仕方なく壁から島の数を数えて自分の卓を割出した。それでも不安なので隣の島の知人にもきいた。本日は飾り棚を配備するのみ。さっさと宿に向った。

ドーナツタウン

 ゆりかもめは遅いような気がするので帰りは東京臨海高速鉄道で新木場へ行き、そこでJR京葉線に乗換えて東京駅に向うことにした。前述の通り東京駅京葉線ホームは地上ホームからかなり離れている。(駅員に言わせると400メートル)わかってはいたが実際利用して体験してみねば。明後日この体験が役に立つことになる。京葉線ホームと地上ホームは動く歩道でむすばれていて、大阪の阪急梅田駅近くにあるものと同じぐらいの長さの動く歩道が3つ続いている。東京駅とは名ばかりだ。丸の内駅とか言う名前にしたほうがよさそう。

つかれていたので動く歩道の上で休憩だ。そして迷わずロッカーに到着。残りの荷物を取って、今度は宿がある新日本橋へ向う。そうむせんホームの位置を駅員に聞いたら「そう線」と直された。たしかに標識のローマじ表記にはbuと記してある。総武線ホームは一番奥でしかも地下。また地下だ。しかも深い。地下鉄より後に掘ったからだろうか。電車はすぐに来た。空いてる。地底電車で一駅、新日本橋駅には人影がない。降りたのは多分私だけだ。ビジネス街だからか。長いエスカレーターに乗るのも私一人。この駅採算とれているのだろうか。きっと平日は大混雑なのだろう。このエスカレーターで明日失敗することになる。地上に出たが宿の位置がわからない。住所はわかっているが、駅の地図では番地まで判らなかった。人に聞こうにも誰も歩いていない。駅員も居なかったし。住居表示をみたがそこが何丁目何番地かわかっても、ホテルのある番地がどの方向なのかわからない。コンビニが有ったので聞いてみたら非常に親切に教えてくれた。きっと宿泊客がよくコンビニを利用するのだろう。聞いた通りにいくと迷わずたどり着けた。

チェックインしてまず一風呂浴びた。そして食事をしに宿を出た。が空いている店が少ない。駅のある大通り沿いにお好み焼屋があったが、東京まで来てお好み焼かい。しばらく大通りを歩いたが店はみんな閉っている。人通りも無い。ドーナツてんねや。下らん洒落を言っている場合ではない。飢餓がせまっているのだ。さもなくばお好み焼だ。と思っていたら少し入ったところに焼鳥屋があった。ざるそばも出しているというので、そこに入った。客は居なかった。平日はサラリーマンで込合っているのだろうか。奥に従業員が5人ほど居た。客席はせまくて、座る時壁に体がつかえた。「お飲物は」「いいです」んーセコセコ。疲れていて呑む気もなかったし。公衆電話があったので家に電話しようとしたら、店員が来て電話機の電源を入れてくれた。付出しの鶏の出汁が美味かった。さすがは焼鳥屋。水が欲しいといったら麦茶が出てきた。この店は味もサービスもなかなか良い。又来よう。ざるそばと焼鳥一串食べて、宿にもどって浴衣に着替えてさっさと寝る。明日は決戦だ。本日の行動は以上

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