金龍山浅草寺 大提灯のある風景
浅草生まれの私にとって浅草寺界隈いは懐かしい場所である。
 NHKの朝のテレビドラマ「こころ」の舞台にもなっている。
 浅草寺を訪れていつも印象に残るのは、浅草寺本殿や雷門、宝蔵門、二天門に下がっている真っ赤な大提灯である。

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 雷門の大提灯

雷門(正しくは風雷神門という)は、営団地下鉄銀座線「浅草駅」雷門口を出たすぐの所にある。

  現在の雷門は、慶応元年(1865)焼失後、昭和35年に95年振りに松下幸之助さんの寄進により再建されたもので, 浅草寺に入る最初の門である。 したがって古い写真や絵を見ると、浅草寺には雷門は出てこない。

  江戸の浮世絵師国満の「新版浮絵浅草雷門之図」によれば、新橋の信徒から奉納された「志ん橋」と書かれた大提灯が吊り下げられていた。

 「志ん橋」と書かれている提灯は、現在では浅草寺本堂にさげられている。また五重塔は向かって左側に移動して建てられている。

  門の前に沢山の人が人待ち顔で立っている風景は今も昔も変わらない。

なお現在の大提灯は、平成15年8月、江戸開府400年を記念して11年ぶりに新調された。高さ4・2メートル、直径3・6メートル、重さ750キロで、京都市下京区の老舗メーカー「高橋提燈」が製作した。従来より幅が1回り大きいという。

H15.11.1撮影  


 宝蔵門の大提灯

雷門をくぐると仲見世に出る。その突き当たりが宝蔵門である。
 
  中央の大提灯は「小舟町」と書かれており、雷門の大提灯同様去る平成15年10月5日約15年ぶりに新調された。
  提灯は高さ約3.7メートル、幅約2.7メートル、重さ約400キロ。製作費は約400万円といい、中央区の日本橋小舟町の有志が町内の個人や商店、企業約190件の寄付を集め実現した。約340年前、同町の魚河岸商人の信徒らが提灯を奉納したのがきっかけで同町で受け継がれている。

 宝蔵門の浅草寺本堂側には、大きなわらじがかけられている。
 宝蔵門は、かっては仁王門といわれていたが戦災で消失、現在の門は昭和39年(1964年)に大谷米太郎さんの寄進により再建された。
 上層部分には国宝の法華経と重要文化財の「元板大蔵経」「元版一切経」や寺宝が収蔵されている。

 H15.11.1撮影


 浅草寺本堂の大提灯

宝蔵門を通り抜けると浅草寺本堂(観音堂)に出る。ご本尊は観音様で、われわれ浅草生まれにとっては浅草寺というよりは浅草の観音様で親しまれている。
 
 正面にさげられている大提灯は東京新橋組合の有志が奉納したもので、提灯にはその東京新橋組合にちなんで、「志ん橋」と大きく書かれている。
ただ江戸時代においては、広重の江戸名所百景「浅草金龍山」に描かれている通り「志ん橋」と描かれている提灯は雷門にさがっていたのである。
 本堂は、戦災で焼失、1958年再建された。

昨年12月本堂の大提灯が10年ぶりに新調された。
提灯は、京都の「高橋提灯」が製作し、鳥取県の手すき和紙、京都・丹波産の竹が使われている。
直径3.5メートル、高さ4.5メートル、重さ約600キロ。
 
 H17.1.18撮影


 仁天門の大提灯

二天門は、浅草神社の鳥居横浅草寺の東側に建っている。
 江戸時代は、当時この地にあった東照宮の随身門であったが、明治維新後二天門と呼ばれるようになった。
 災害にも戦災にもあわず建設当時のまま残っている。 現在国の重要文化財に指定されている。
 二天門と書かれた大提灯がさがり、東京浅草組合が寄贈したと書かれている。

 H15.6.16更新


 地下鉄銀座線浅草駅雷門口の提灯

営団地下鉄銀座線浅草駅1番口を出る時目につくのが「浅草駅」と駅名の書いた提灯である。
 提灯が印象的な浅草寺の最寄り駅らしい風景である。

  H15.6.16更新


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