「時の鐘」のある風景 |
江戸時代、江戸城内で太鼓を鳴らして時刻を知らせていたが、江戸府内にはその音が届かず、幕府は寛永3年(1626)日本橋本石町に鐘楼を作らせたのが「時の鐘」のはじまりだそうだ。
江戸開府400年「時の鐘」を尋ねて都内を歩いてみました。 |
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旧石町の時の鐘 |
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この旧石町の時の鐘は、寛永3年(1626)、初めて江戸市中に出来た「時の鐘」である。 現在は地下鉄日比谷線小伝馬町駅下車徒歩2〜3分の中央区日本橋小伝馬町十恩公園内に洋風の二階建て鐘撞堂が建設され、その中に当時の鐘が提げられている。 ここは元伝馬町牢屋敷跡で、慶長年間にこの地に開かれ、明治8年5月に廃止された。 公園内には、「吉田松陰終焉の地」の記念碑もある。 H13.9.24撮影 |
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浅草寺の時の鐘 |
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浅草寺宝蔵門の近く、仲見世の裏手に弁天山という小高い山がある。そこに建つ弁天神社の境内にその鐘楼は建っている。道路を隔てて「暮六つ」という古い建物の小料理屋が風情を添えている。 元禄5年(1692)8月に鋳造。昭和20年3月の東京大空襲で鐘撞堂は焼かれてしまったが、鐘は無事に助かり、昭和35年5月に再建された。 松尾芭蕉の俳句、 ”花の雲 鐘は上野か 浅草か” は、あまりにも有名。 H15.6.9撮影 |
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上野寛永寺の時の鐘 |
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上野の山の時の鐘は、浅草寺の時の鐘とともに芭蕉の句で有名である。 ただ芭蕉が耳にしたのは、上野の山の「時の鐘」と伝えられている。 この「時の鐘」は寛永寺に属し、上野公園の精養軒近くの高台にある。 木立に覆われて見つけるのに苦労した。よく見える場所は、上野精養軒の前庭が一番。 初代の鐘は寛文六年(1666)につくられたが、現存するのは天明七年(1787)に鋳直されたものである。 江戸時代から残る時の鐘の一つである。 H16.2.28撮影 |
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内藤新宿天竜寺の時の鐘 |
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天竜寺の鐘は、元禄13年(1700)牧野備後守成貞により寄進されたもので、現在の鐘は、三代目で明和四年(1767)の鋳造である。 天竜寺の時の鐘は、内藤新宿で夜通し遊興する人々を追出す合図であり「追出しの鐘」として親しまれ、また江戸の時の鐘のうち、ここだけが府外であり、武士も登城する際時間がかかったことなどから30分早く時刻を告げたという。なお、上野寛永寺・市ヶ谷八幡とともに江戸の三名鐘と呼ばれた。 新宿四丁目の交差点の直ぐ横にあり、周りはビジネスビルに囲まれており、ビルの谷間の「時の鐘」である。 H14.11.10撮影 |
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芝増上寺の時の鐘 |
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「江戸七分 ほどは聞こえる 芝の鐘」 芝増上寺の時の鐘は、増上寺境内にある。 鋳造年延宝元年(1673年) 当時四代将軍家綱の命により奥方のかんざしなどの寄付で江戸で始めて鋳造した関東一の大梵鐘で、遠く千葉の木更津まで響いたといわれ江戸庶民にしたしまれていたそうだ。 鐘楼手前の松の木の大木はアメリカ合衆国第十八代大統領グランド将軍が明治12年国賓として来日した時、その記念として植樹されたものである。 「グランド将軍の松」と言われて親しまれている。 H16.3.6撮影 |
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