荷風の風景
 荷風は日和下駄を曳摺り東京市中を散歩するとき、嘉永版の「江戸切図」を持参する。
 すなわち荷風によれば「日和下駄曳摺りながら歩いていく現代の街路をば、歩きながらに昔の地図に引合せて行けば、おのずから労せずして江戸の昔と東京の今とを目のあたり比較対照することが出来るからでる。・・・江戸絵図はかくて日和下駄蝙蝠傘と共になくてはならぬ伴侶となった。江戸絵図によって見知らぬ裏町を歩けば身は自ずからその時代にあるがごとき心持となる。」(永井荷風日和下駄 地図より)ということである。
 荷風の散歩は、江戸の風景を訪ね歩くことだともいえる。

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 偏奇館

 荷風が、築地から麻布市兵衛町の偏奇館に移ったのは大正9年5月23日のことであった。それから26年間昭和20年3月10日の東京大空襲で焼失するまでこの地に住んだ。

断腸亭日乗
大正九年 五月廿三日。
 この日麻布に移居す。母上下女一人をつれ手つだひに来らる。麻布新築の家ペンキ塗りにて一見事務所の如し。名づけて偏奇館といふ。

昭和二十年 三月九日。
天気快晴。夜半空襲あり。翌暁四時わが偏奇館焼亡す。火は初め長垂坂中ほどより起こり西北の風にあふられ忽(たちまち)市兵衛町二丁表通りに延焼す。余は枕元の窓火光を受けてあかるくなり隣人の叫ぶ声のただならぬに驚き日誌及草稿を入れたる手鞄包を提げて庭に出でたり。

東京メトロ南北線六本木1丁目駅下車、泉ガーデン裏手に偏奇館跡の標識がある。写真の道路左側。

 17.7.31撮影
 17.8.10更新


 放水路

 荷風の随筆「放水路」によると、荷風が始めて放水路に出逢ったのは大正9年の秋であった。
その後10余年の時を経て再び放水路に出かけたのは、昭和5年の冬である。
 そして10余年前始めて目にした時の荒涼とした風景を思い浮かべ、その眺望のまったく一変したのに、再び目を見張ったとのことであった。

 荷風はその「放水路」の冒頭で「隅田川の両岸は、千住から永代の橋畔に至るまで、今はいずこも散策の興を催すには適しなくなった。やむことをえず、わたしはこれに変わるところを荒川放水路の堤に求めて折々杖を曳くのである。」と書いている。

 放水路は「荒川」と呼ぶよう昭和40年3月に変更となった。
 現在の荒川もそのゆったりとした風景が私の心を落着かせる。

 17.7.5撮影
 17.8.10更新


 深川の散歩

 荷風は土洲橋のほとりにある旧友の病院で診察を受けた後清洲橋を渡って深川を散歩することがよくあった。

彼の随筆「深川の散歩」の一節
 「ある日わたくしはいつもの如く中州の岸から清洲橋を渡りかけた時、向こうに見える万年橋のほとりには、かって芭蕉庵の古址と,柾木稲荷の社とが残っていたが、震災後はどうなったであろうと、ふと思出すがまま、これを訪ねてみたことがあった。
・・・万年橋を渡ると・・・湫路(しゅうろ)の傍らに芭蕉庵の址は神社となって保存せられ、柾木稲荷の祠はその筋向いに新しい石の華表(とりい)をそびやかしている・・・」

 芭蕉稲荷や柾木稲荷のある道は、万年橋を渡って最初の角を左に曲がったところにある。道の進行方向右側赤い鳥居が芭蕉稲荷、左側奥にあるのが柾木稲荷である。道の突き当りが隅田川。

 17.8.7撮影
 17.8.10更新


 元八まん(富賀岡八幡宮)

 「偶然のよろこびは期待した喜びにまさることは、わたくしばかりではなく誰でも皆そうであろう。わたくしが砂町の南端に残っている元八幡宮の古祠を枯蘆のなかにたずね当てたのは全くの偶然であった。
・・・・突然、行く手にこんもりした樹木と神社の屋根が見えた。その日深川の町からここに至るまで、散歩の途上に、やや年を経た樹木を目にしたのはこれが始めてである。道は辻をなし、南北に走る電車線路の柱に、「稲荷前」と書いてその下にベンチが二脚置いてある。また東の方へ曲がる角に巡査派出所があって、「砂町海水浴場近道南砂町青年団」というペンキ塗の榜示杭(ぼうじぐい)が立っていた。わたしが偶然枯蘆の間に立っている元八幡宮の古祠に行当ったのは、砂町海水浴場の榜示杭(ぼうじぐい)を見ると共に、何心なく一本道をその方へと歩いていったためであった」(永井荷風「元八まん」より)

  現在は、電車線路はなくなっているが、こんもりとした樹木と巡査派出所はそのまま残っている。
元八まんは、交番左横に見える自動車のあたりがその入口になる。

場  所:南砂七丁目14番18号
石造鳥居 万延2年在銘
地下鉄、東西線、南砂町駅1番出口から北東へ徒歩15分。
境内入り口にある交番の名が「元八まん交番」となっている。

 17.7.11撮影
 17.8.10更新


 伝通院

 永井荷風は伝通院の近くで生まれた。そのため伝通院には強い思い入れがある。

「巴里にノオトル・ダアムがある。浅草に観音堂がある。それと同じように、わたしの生まれた小石川をば(少なくとも私の心の中だけには)あくまで小石川らしく思わせ、他の町からこの一区域を差別させるものはあの伝通院である。滅びた江戸時代には芝の増上寺、上野の寛永寺と相対して大江戸の三霊山と仰がれたあの伝通院である」(永井荷風「伝通院」より)とまで云っている。

都営大江戸線春日駅下車12分

 16.9.12撮影
 17.8.10更新


 リンク集

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