はじめに
みなさん、こんにちは。今ご紹介いただきました渡辺です。
福山に呼んでいただくのは2度目でありまして、前にお目にかかった方もあるかもしれませんが、今日はひとつよろしくお願いいたします。
日本語教室の運営に関わる皆さんを中心に、これだけ多くの方にお集まりいただき、すばらしいことだと私も大変うれしく思っております。もしかしたら、私の話はこの連続講座の最初のころにするほうがよかったのかもしれない。私のほうの都合がありまして、最後の講座でやらせていただくことになりました。わたしたちが接する相手の方が、どういう立場で日本にいらっしゃるのかということですね。もちろん人間が一人そこにいるということに関しては、さまざまな背景がありますが、とりわけ外国籍の人が日本に住んでいるという場合には、わたしたちの想像もつかないような重荷を負わされて、つまり社会的なハンディーを負わされてそこにいることが多いということであります。相手の方が、どういう立場に置かれているかということに対する基本的な理解をこちらが持っているのといなのとでは、また接し方も違ってくると思います。その辺の所をできるだけ実際の場面や実例に照らしあわせながらお話しをしていってみたいと思います。
資料の紹介
最初にちょっとだけコマーシャルをさせてください。
資料の下のほうに参考文献を挙げておきました。今日持参しましたものの中で、絶対のお薦めは、
「多民族・多文化共生社会に向けて─包括的外国人政策の提言2002年版」
(移住労働者と連帯する全国ネットワーク編 1000円)
であります。これは、2年がかりでつい2ヶ月前に完成したもののであります。私が共同代表をやらせていただいている「移住労働者と連帯する全国ネットワーク」(移住連)。全国各地で一人の外国籍の方が人権侵害にあったり苦しみあったりしていると、
「なぜこうなんだ。」
「見てられない。」
ということでまわりに集まって支援してきたグループのネットワークなのです。私が属しております横浜の「カラバオの会」もそのひとつですが、たまたま全国でいちばん最初に結成されて、どーんと花火を打ち上げたものですから、名前だけは全国に知られているんですが、グループとしてはせいぜい20人か30人のものが細々と、しかし猛烈に激しく動き回っている団体であります。
場所は横浜の寿町にあります。大阪の釜が崎、東京の山谷、そして横浜の寿町。もともと日雇い労働者の町、差別的に「ドヤ街」という風に呼ばれている、簡易宿泊所が密集している場所─寄せ場─です。ここは、日本社会の問題が凝縮しています。ここで3日暮らすと日本社会のひどさがわかる。
これから先はジョークです。日本がよーくみえる場所が、ふたつある。ひとつは永田町。総理大臣官邸があって、今小泉さんが支持率40%で頑張って(?)いらっしゃる。あそこから見ると、日本社会がどうなっているか株価がどうなってるか。上から眺めた日本社会の様子がよーくわかると思います。けれども日本社会がいかに非人間的で、人間を踏み潰して成り立っている社会であるかということは、寿町に来て見るとよーくわかるんです。寿町には、約6500人が住んでおりますが、その半数近くが男性単身高齢者です。日本社会でどういう種類の人たちが排除されやすいか。ここの人口の統計を見れば一目でわかります。半分は男性の単身高齢者、それからあと身体障害者・精神障害者・アルコール依存症の人たちです。つまり何らかの社会的ハンディーを負った人たちです。ほかにも、沖縄出身者、被差別部落出身者、それから外国人─移住労働者─です。カラバオの会が全国でいちばん最初に寿町で名乗りを上げたということには、ある歴史的な必然性があるんですね。つまり日本社会というのは特定の集団の人たちを排除し、差別していく社会ですが、その排除された人たちが結局どこでも受け入れられなくて、最後に行き着く所が寄せ場であります。15年前にカラバオの会が発足したときには、いちばん安いので750円くらいの部屋がありましたが、今はもう安いので1500円、ふつう2200円。今日2200円払うと泊まれますけども、払えなかったら即座に鍵を取り替えられてしまって、帰っても鍵は開かない。荷物は帳場に放り出してある。こういう状態になっております。その後は野宿しかないわけです。このところ野宿者が大変増えてきている状態であります。そういう町ですから、ここに住んでいる人たちを見ると、日本社会でどういう人たちが排除されるのかひと目でわかるのです。
そして、1980年代になってまずフィリピン人がどっと入って来ました。そこから支援運動が始まっていきました。日本の他の地域でも、外国から来た人があらゆる苦しみにあっている。その周りにいたいわば良心的な人たちが支援に取り組んでグループを作って行きました。さらに、全国で力をあわせようということで、ネットワークを作って、今から5年前に全国ネットワークが発足した、という経過であります。カラバオの会は運動を始めてから16年になります。労働運動の中から良心的な人たちが参加してきてくれたのが91年頃からであります。
そういう実際の現場で、救援の体験を積み上げてきました。そこから見ると日本政府の方針は間違っていると言わざるを得ない。われわれの側から提言を作ろうじゃないかということで2年前からこの作業をはじめまして、途中で何回もさじ投げようかと思ったんですが、なんで最後にまとまったかといいますと、理論的な論争の空中戦で議論が行き詰まると、だれかが
「それでどうするんだ?」
と言うわけです。「じゃあ、どうするか」という話になると、現場で実際に苦しんでる人の問題と取り組んできた者たちの意見というのは、ほとんど違わない。「そりゃあまぁそうだね」という話になってこれがまとまったのです。
ですから、その意味で、ちょっと難しいところもあるし、短くコンパクトに書いてそれでも100ページを超えちゃったんですが、これを見ていただくと、これからの日本社会、21世紀の日本社会がどうあるべきかということを提示しています。これをぜひ買っていただいて、学習材料にしていただければありがたいと思います。
それからもうひとつは、
「M−ネット(マイグランツネット)」 (移住労働者と連帯する全国ネットワーク発行 月刊一部300円)
という、移住連が毎月出している情報誌であります。6月号を持ってきましたのは、私が、この提言がどういう経過で出来たかという報告を書いておりますので、合わせて買っていただくとわかりやすいかなというふうに思います。
それから、あと2点持って来ています。これは私の個人的なものでありますが、私はキリスト教の牧師であります。牧師がなんでこの問題に取り組むんだということを自分なりに書いたつもりです。
一冊は
「片隅が天である」 (新教出版社 1995年 2200円)
神様がいらっしゃる天は、上のほうじゃなくて実社会の片隅なんだということを言いたかったのです。実践の記録です。
もう1冊は
「旅人の時代に向かって」 (新教出版社 2001年 2800円)
これは、昨年、専門の牧師としての立場からまとめたものであります。キリスト教に興味のある方にお勧めしたいと思い持ってきました。
あとは、カラバオの会の出しております「仲間じゃないか外国人労働者」。10年前に出た本なのでデータ的には古くなってるんですが、この時点で問題をはっきり見すえ、移住労働者の支援運動のいわば方向性を作り出した本だと思っておりまして、「この本は既にこの業界では古典であります」とか言って売り込んでおります。
コマーシャルはそのくらいにして本題に入らせていただきます。
日本に住む外国人
今日はみなさんに、日本に、外国人がわれわれといっしょに住んでいるということはどういう状態であり、どういうことなのかということを基本的な点でご理解いただければと思って、いくつかの資料を用意してまいりました。

まず、上に掲げたグラフをご覧いただきたいのですが、下のほうのブルーの縦線入っております部分、これがいわゆる「在日外国人」と言われている人たちであります。
1992年以前に関しては、大部分が在日韓国朝鮮人ですから、その数字で取ってありますが、在日中国人を含め旧植民地出身者とその子孫には、1992年から「特別永住者」という在留資格が付与されました。グラフでは、91年と92年の間にがくんと段が付いておりますが、これは何か変化があって段が付いたのではなくて、この年から法律が施行になって、厳密な数字が出されたということです。それ以前は統計がとびとびなので、仮に韓国朝鮮籍の在留数を取っておりますから、統計の取り方の違いが段差になったに過ぎません。ただ全体を見ていただきますと1980年代の初めまでは、日本に住んでいる外国人のほとんどが在日韓国朝鮮人、つまり日本によって植民地にされ、強制連行など直接間接の強制を受けて日本に来させられた結果として日本に住まざるを得なくさせられた人たちとその子孫でした。
そして、80年代の半ばからこの人たちの数は順々に減っていく。それに対して、80年代の半ばごろ、だいたい86年から88年ごろこのあたりですね、つまりカラバオの会が発足するあたりから、「その他の外国人」、在日ではない、新しく日本に渡ってくる外国人「新渡日」、わたしたちは「移住外国人」と呼んでいますが、その新しく来られた方が80年代からどんどん増えていきます。それと同時にオーバーステイ、つまり、許された在留期間を過ぎて日本に住んでいる人たちも増えていきます。
ここで、用語の訂正をしていただきたいのです。もしかしたら、皆さんの中に、「不法就労」とか「不法滞在」とかいう言葉を使っていらっしゃるとか、頭の中に持っているかたがいらしたら、それを消してください。これは、入管(法務省入国管理局)や警察の用語で、なんでも「不法」と言いたがる人たちの用語です。言葉の印象として考えてみてください。「不法滞在」という言葉を日頃使っているとする。もし仮にそういう人が電車に乗ったとき、わたしたちより肌の色の濃い人が座っていて隣の席が空いているとします。そのとき「あっ、この人『不法滞在者』じゃないか」と思ったら、すっと隣に座る気になれないんじゃないかと思うんです。「不法」という字に心の中でひっかかる。結局座るかもしれないけれど、一瞬腰が引けるでしょう。こちらはそれだけですみますが、座っている側になってください。隣があいている。みんなは立っている。そして、チラッとこっちを見て、そのまま引っこんだ。その時、どういう視線で見られるか。
つまり、差別的なボキャブラリーを、自分の用語の中に持っているということは、その用語があてはまると思う人を見るときの視線が冷たくなる。刺すということです。まなざしは人を刺します。見る方は自分の目だからわかりませんが、見られる方は、矢のようなまなざしで見られるわけですから、強く感じます。一日中、ぐさぐさ刺されているようなものです。だから、わたしたちは「不法」という言葉は使いません。ただ、入管法との関係で特定の状態にあるわけですから、それを表現するため正確に「オーバーステイ」と呼んでいます。日常の会話で、相談があったとき、
「あなたは、在留資格はどうなっているの?」
「オーバーステイ。」
「あっ、そう。」
それだけのことなんです。「オーバーステイ」というと「ホームステイ」のちょっと長いものという感じ……。(笑) この話をするたびに使う古いギャグですみません。でも、かならず受けるもんですから……。(笑) 「不法残留」というと、まがまがしく、こちらのまなざしが険しくなるような呼び方ですが、悪いことは何もしていません。このオーバーステイの人たちがどんどん増えてきているのです。なぜ、オーバーステイになるのかという話は、あとでふれますが、だいたい、80年代後半から90年代初にかけて急増しました。
外国人の数全体も、90年代にバブルの崩壊でちょっと勾配がゆるくなりますが、2000年代に入ってから、またぐんぐん伸びてきております。こういうふうに、新しい外国人が増えてきております。90年を境に、在日外国人よりも移住外国人、新しく来た外国人のほうが人数が多くなっています。そして、2000年末現在の推定数では、在日外国人がもう、三分の一以下になっています。
そこで、もうひとつ、基本的な疑問をお持ちと思いますが、そこを解いておかないといけないですね。なぜ、80年代に入ってそんなに新しく外国人がどっと増え始めたのか、天変地異が起きたのか、あるいは、突然日本ブームが起こって、日本に行きたいということになったのか、何で80年代なのかということです。
なぜ来るのか
私は、戦後の日本の歴史を大まかに10年ごとに区切ってみられると思っています。
第1は、1940年代。厳密には1945年からですが、敗戦で日本が塗炭の貧乏にさらされていた時代です。私のハイティーン時代であります。アメリカは天国のように見えた時代で、「憧れのハワイ航路」などという歌が大流行した時代です。日本はそれほど貧しかったのです。 日本から、アメリカなどに出稼ぎに行くという話がずいぶんあったということですね。
第2は1950年代。隣の国で戦争がありました。朝鮮戦争ですね。日本の米軍基地が最大限に利用され、港湾は軍需物資の積出港として活況を呈しました。日本の産業は朝鮮戦争でしこたまもうけたのです。「朝鮮特需」という言葉があります。これで戦後の荒廃から一挙に回復しました。
第3が1960年代。ベトナム戦争がありました。私は、66年から2年間アメリカに留学していましたから、アメリカの空気と日本の空気の違いがよく分かりました。アメリカ人は、ほとんど情報がない。私は、いろいろな教会に招かれて日本の話をしました。すると最後に必ず、
「日本人は、ベトナム戦争をどう思うか。」
と質問されました。それで、私はアメリカの教会の人たちに
「あなたたちは、物を知らなさ過ぎる。情報がなさ過ぎる。われわれ日本人の目から見たらベトナム戦争はアメリカにとって絶対に理はない。あれ は、不当な戦争だ。」
と。そうするとアメリカの教会の人たちは、
「やっぱりお前もそう思うか。」
という反応でした。マンハッタンを埋め尽くした大ベトナム反戦デモがあって、私は参加したというより写真を撮りまくってきたのですが、アメリカでも多くの人たちが気づいていました。この戦争のときも、日本経済ははアメリカの戦争の兵站基地として大繁盛しました。横浜では、当時飛鳥田市長がベトナムに行く戦車を止めるというので、桜木町の駅近くの大江橋で、戦車の重量に耐えられないという理由でもって戦車の通行を止めたという時代で、ベ平連の運動などもありましたが、経済的には軍需景気で儲かって「高度経済成長」をなしとげ、資本を溜め込みました。
第4に、1970年代。二つの戦争で儲けた富をもって、怒涛のようにアジアに資本が侵出していって稼ぎまくりました。
その結果、第5の1980年代の円高日本になりました。70年代の侵出で向こうの産業基盤が奪われ、生活が破壊され、仕事がなくなる。日本は、どんどんお金を集めて円高になる。その1980年代に、むこうから、日本へ働きに来るようになった。こういう経過です。
大変大雑把な整理で、何冊本を書いてもたりないくらいのことがあるかもしれません。しかし私は、1950年代に、朝鮮特需で一儲けした工場主の家で住み込みの家庭教師をしていた。1960年代にアメリカにいた。そして、1970年代、横浜の新興住宅地の教会で、目の前の海があっという間に陸になり、工場が建ち並ぶのを見てきた。1986年から1987年の1年間、フィリピンに住んだ。とにかく、歴史を自分の肌で感じてきました。86年から87年は、マルコス政権が追放されて、ピープルパワーと言われる力でアキノ政権が成立した直後です。私は、幸運にもあこがれの(?)アキノ大統領に会うことが出来て、1メートルくらいの距離に座って握手もしたんですね。そういう時代にフィリピンにいて何が分かったかというと、とにかく、何もかもみんな日本に持っていかれてしまう、剥ぎとられてしまう。向こうがが貧しくなって、日本が金持ちになるという仕組み。日本人をやめたくなるくらい、日本に何もかも行ってしまう状態でした。87年に日本に帰ってきて、今の伝道所の仕事を始めたとたんに、寿にはすでにフィリピン人がどっときていて、大変な状態で、カラバオの会が発足するというので、ともかくお手伝いをと駆けつけたというのが私の事情だったのです。
こういうふうに見ていくと、80年代から、日本に住む外国人がどんどん増えてきたというのは、もうどうしようもなく避けられない現実だということです。それが、日常的な市民生活をしていたら、気がついたらある日突然自分たちの周りに外国人がいっぱい住んでいて、なんだこれは、と感じるのが普通の感覚だと思います。しかし、国際経済の現実に肌でふれると、何で日本なのか、何もかも、みんな日本に持っていかれて、剥ぎ取られてしまう。日本に追っかけて行って食えるようにしてくれと言わざるをえないということです。
私がフィリピンから帰ってきた直後に、寿でフィリピンの人たちの姿を見て思い浮かべたのは、こんな情景です。
私のうちに水道があり、水はポンプで吸い上げられ、屋上のタンクに貯められていて、いつでも、何の良心のとがめもなくふんだんに使っている。ところが、よく調べてみるとその水道のパイプは、隣の井戸につながっている。つるべで水を汲み上げている隣の人たちにすれば、私の家がどんどんポンプで汲み上げるから井戸がかれていく。つるべでは、汲み上げられなくなったので、仕方なく塀の破れ目のところからバケツを持って、水を下さいとこちらに来た。こういうふうにイメージにしてみると、なぜ「日本へ」なのかが自分なりによく分かるのであります。
この状態では、外国人がくるのが困るとか言うのは論外で、来ざるを得ない人たちのことはこちらの責任で何とかしなければならない。それが、この16年間、私が走り回ってきた基本的な考え方です。こっちがきちんと受け止める責任がある。原因をつくったのは、こっちだということです。
つい最近、厚生労働省職業安定局が作った「外人雇用問題研究会」の報告書が出ているんですが、外国人を受け入れるか受け入れないか、受け入れるとするとどういう条件で入れるかという議論を偉い方たちがやっているわけですね。もうこれは、15年も前にわたしたちがこの運動を始めたころから、同じことをやっているわけです。私は、その議論を見ながら根本的にまちがっている、最初の発想から間違っていると思いました。
つまり、こういう状態を考えてみてください。山の木を切って、家や紙やコンパネにして浪費してしまった。山が裸になってしまって、上流に雨が降ると河に水が増えて下流が洪水になってしまう。こういう状態のときに、洪水を受け入れるか、この洪水を受け入れるのにどういう条件が必要かという議論をしたって何の意味があるのでしょうか。
もともとは、山の木を切って浪費したことが悪いんです。だから、解決するには山に木を植えるほかない。洪水の最中に山に木を植えようなどというのは、なんて非現実的なことを言っているんだと思われるかもしれません。しかし、今の国際経済の仕組みが根本的に間違っているからこういう結果がおこるわけで、そのことを抜きして是も非もないのです。わたしたちの「提言」の中でも、外国人基本法を作りなさい。あるいは、人種差別禁止法を制定しなさいという項目があります。何年ぐらいで出来ると思いますかと聞かれたって答えようがない。そういう質問者には、
「それはあなた次第です。あなたが協力してくれれば、50年のところが20年、10年になるかもしれません。」
とお答えしているんですが、そんなに、今日明日で出来るもんじゃぁない。そういうことも、この提言には書いてあります。
しかしね、洪水の中で山に木を植えようという話は、洪水がもう来ているのに、それを受け入れることが是か非かと論じている人たちほど見当はずれに非現実的ではない。根本的に、洪水をなくすためはそれがなければだめなんですから。こちらが原因を作ったんです。こちらの資本が行って、向こうの生活基盤を破壊したんです。
私は、毎年1回はフィリピンに行って来るようにこころがけてきまして、今年は、5月に行ってきたんですが、行く度に、日本のODAなどの金によって、どういう自然破壊・生活破壊が起こっているのかという現場をいやというほど見てきました。
今年訪ねたのは、マニラから西に100キロほどいったバタンガス市の港です。16年前にはまだひなびた港で、そこからフェリーで隣の島にいったことがあるのですが、だれでもどんどん港に入っていい開放的な港でした。そこに行くと大きな船が泊めてあって、船首に「St.Peter…」とか、船名がペンキで書いてある。ところがよくみると、ペンキの下にうっすら「第…函館丸」と浮き彫りで元の船名が書いてあったのが読みとれる。そんな港でした。その界隈は密集して海にせりだすようにして、小さな家がびっしりと並んでいる、いわゆる「スラム街」になっていて、住民はそこから小舟を出して魚をとって何とか生活できていました。子供たちは、水に飛び込んで観光客が小銭を投げると、それをもぐって取ってくるというようなことをやっていたんですが、日本のODAの金で港が大々的に開発されことになった。かつてそのスラム街の細い道を通って住民たちを訪ねたとき、ここを追い出されたら困るんだと訴えられました。海で生計を立てていたのに、立ち退き先して提供されているのは山の方だという。漁民を山に移り住ませてどうやって食っていけというんだと、地元の住人たちはがんばって闘っている時期でした。
今回16年ぶりに行ってみたら、きれいに整えられた大きな港になり、岸壁には近づけない。かつてのスラムがあったところとおぼしきあたりは広い駐車場になっていました。ここに住んでいた人たちは、どこに行ったんだろうとつくづく思いました。そんなことで生活が破壊されていて、それを日本のお金がやっている。あんたたちのお金が来てやっているんだから、お金をよこさないように言ってくれと、ずいぶんあちこちで訴えられるわけです。そういうなかで、人々は、生活するためにやむをえず、海外に働きに行かざるを得ない。日本にもたくさんの人がやってくる。図にしてしまえばひとつのグラフですけれど、今のようなことを考えながら、この右肩上がりに上がっていく外国人数をみて、どんなにたくさんの家族の涙と汗と血の思いがこもっているかを見てください。そういうことで日本に働きに来るということが起こっています。
法律がおかしい
さて、日本に来たらこの人たちは、どういう状態になるかということです。
わたしたちが今回政策の提言を作らなくてはならないと思ったのは、政府や官僚は、基本的な点で認識が欠けていると考えたからです。こっちが一方的に儲かって、向こうが剥ぎ取られてしまうような経済の関係が改善されない以上は、人々は暮らしの道を求めて日本に渡ってこざるを得ない。その状況の中で、来た人たちの人間としての権利をどう守るかが最優先に考えられなくてはいけない。洪水が来たときまっ先にやらなければならないのは、ヘリコプターなりボートなり出して人命救助をすることです。洪水が是か非か論じている暇はない。次に、ここは土嚢を積んでおこうとか、次々に具体的な対策が出てくるわけです。ところが、残念ながら日本政府の政策は、私どもが運動を始めてからほとんど変わっていません。できるだけ外国人労働者は入れたくないという政策です。
戦後から今まで、外国人に関する法律というのは、2つしかありません。入管法(出入国管理及び難民認定法)と外登法(外国人登録法)。入管法の中に27の在留資格があります。それからもうひとつ在日外国人(旧植民地出身者)のために入管特例法という言う法律ができて、「特別永住」という在留資格が加えられましたから、在留資格は合計28あります。非常に細かくたくさんの在留資格に分けられています。そして日本に入ってきた外国人は、外国人登録をして、外国人登録証を常時携帯する義務があります。いつでも持っていないと、捕まってしまうということですよね。これらはみな、外国人を管理する、登録させて監視するぞという法律です。日本に外国人が自分たちといっしょに住む、その人たちの権利をどう保障するかという考え方はこれっぽっちもないのです。そういうスタンスが、敗戦直後からずっと変わっていない。
82年に難民条約に加入しまして、出入国管理「及び難民認定」法ということになりました。これは改正などというものではありません。みなさんもご存じのとおり、昨年からアフガニスタン難民申請者が9・11テロ事件のあおりをうけて拘留されました。イスラム教徒はみんなテロリストみたいな見方がアメリカを発して世界に広がったんですね。日本の政府もそれに踊らされまして、去年の10月以降、私ども十年来の親しい仲間であったパキスタン、バングラデシュの人たちが片っ端から捕まえられて退去強制になってしまいました。友だちを失いました。いちばん大変だったのは、アフガニスタンから命からがら逃げてきて、日本で難民申請している人たちでした。イスラム教徒で、名前がアルカイダのメンバーとして指名手配されている人と同じ名前だったので捕まったという笑えないジョークのような話もありますけれども。難民申請者を拘留するのは難民条約に違反しているわけで、これはさすがに国連難民高等弁務官事務所から懸念の申し入れが寄せられました。
ともかく出入国管理法の範囲内に難民認定が入ってくるわけです。難民申請者は正規のパスポートを持って、正規のビザをとって表門から日本に入ってくることができないんですよ。難民なんですから、もともとパスポートは持てない立場の人が多いんですから。はじめから入管法の対象とされるべきではない人たちを同じ法律で扱おうとしている。難民認定は入管法とは別系統の法律で扱わなければいけないんですね。
それが82年の改定。以後何回か改定されていますけれど、厳しくなっても、けっして緩められてはいないのです。とにかく外国人を入れないという事です。この法律のでき方そのものが、日本の植民地化の結果として日本に住んでいる在日朝鮮韓国人の存在を何とかしてなくそうという意図で作られたものです。早く帰ってもらいたい、帰ったらもう入れないよ、というためにできたのが入管法です。そして、日本にいる限りは指紋もとって厳重に監視するよ、というのが外登法です。指紋制度は在日の人たちの長い闘いの結果廃止されましたけれども、ひどい屈辱を与える制度でした。
そういう非人権的な法律の枠組みのところへ、80年代の後半からどっと新しく入国する外国人が増えたわけです。法的な受け皿がないところに人がどーっと増えたから、こぼれちゃう。「違法」状態になるんですね。そうすると入管や警察は「不法」だとかおっしゃる。
カラバオの会が発足した当初、87年からの一年くらいは、私どももピリピリしていたんです。自分たちが救援している人たちは、入管法に違反している。そういう人たちを助けるんだから、わたしたちも法律違反になるんじゃないかと、すごいピリピリしていましたね。
忘れもしない思い出としてお話ししますが、1987年12月24日、クリスマス・イブの晩、私がどこにいたかと言いますと、横浜の山手カトリック教会の深夜ミサの周囲をパトロールしておりました。別に教会から頼まれたわけではないんですが、これまで付き合ってきたフィリピン人たち、カトリックの人が多いのですが、クリスマス・イブの深夜ミサにはどうしても出たいと言うのです。ところが山手教会のある丘から寿町側に下りると元町。中村川を挟んですぐ向かい岸に横浜入管の事務所があるんです。わたしたちは、相手が「違法」な人たちですから、その人たちがかたまってミサに出て、入管がこれこそいいチャンスだと教会の周りに網を張ったらどうしよう、みんな捕まっちゃうよ、と心配したんです。それで自分たちが周りをパトロールして、もし危ない状態になったらすぐに知らせよう、ということでパトロールしてたんです。私は仲間10人ぐらいとカトリック教会の周りをパトロールしながらですね、寒い、きれいな星の夜でした。ふと天を仰いで考えたんです。
「はて? 私はプロテスタントの牧師なんだけど、クリスマス・イブの夜12時になんでプロテスタントの牧師が
カトリック教会をパトロールしなけりゃいけないんだ……?」
と。その前々年までは、私も住宅地の教会の牧師をやっていましたので、クリスマス・イブは一年でいちばん忙しくて楽しい夜だったわけでしょ。その教会を辞めて、そして今の小さな伝道所で、クリスマスもおちおち祝っていられないほどカラバオのほうが忙しくてですね。そのあげくクリスマス・イブにカトリック教会のパトロールかなぁ……と思ったんですね。今だから笑い話なんです。
それぐらい、私どもも相手が「違法」状態だということにピリピリしていたんですが、一年たって、「何だ」と思いました。このフィリピン人の仲間たちは何にも悪いことはしてない。必死に働いて、家族に仕送りしているだけじゃないか、と。こんなことがありました。
横浜ベイブリッジはご存じのように、横浜の指折りの観光名所となりましたが、あるときフィリピン人の労働者の集団摘発があって、15人くらいの仲間たちが一斉に待ち伏せ逮捕されたことがありました。その弁護活動をやって、拘置所にわたしたちが日参のような形で、面会に通いました。その時に、一人のフィリピン人労働者が私にこう言ったんですね。
「俺たちはどんな悪いことをしてこんな監獄に入れられなきゃならないんだ?
横浜ベイブリッジのペンキをだれが塗ったと思ってるんだ?」
これが、私どもの運動の中で忘れられない名セリフなんです。横浜ベイブリッジのペンキを塗ったのが何の犯罪で俺たちが捕まらなきゃいけないか、ということなんです。やや誇張して言われているのは、横浜ベイブリッジは韓国人の出稼ぎ労働者が造って、フィリピン人の出稼ぎ労働者がペンキを塗ったというんですね。
たしかにこの人たちは悪いことは何もしていない。悪いことしていない人たちが、悪いことをしていると決めつける法律があるとしたら、その法律のほうがおかしいんじゃないか……ということに気づいたわけなんです。そうすると、労働基準法第3条に、はっきりと国籍によって差別しちゃいけない、と書いてあります。
「雇用者は、労働者の国籍、信条、又は社会的身分を理由として、賃金、労働時間、その他の労働条件について
差別的な扱いをしてはならない。」
これがあるので、わたしたちは労働者の賃金未払いや、怪我をした際の労災補償などに関しては、労働基準監督署に行ってちゃんと法律を適用させなさいということをずっとやってきました。つまり日本で働いて賃金を得ているということは、その人の権利であって、しかもそれは労働基準法できちんと保護されている権利である、ということですね。だからそもそも「不法就労」という言葉自体成り立たないのです。何人も働いて賃金を獲得する権利がある。これは国際条約でとり決められていることであるし、日本の労働法もそれに従って権利を保障しています。入管法上「違法」であっても、労働者としての権利を守るということに関しては、日本の労働法が手がかりになって今まで頑張って権利回復をやってきたわけです。
そして1990年に国連で移住労働者の権利条約(正式には「すべての移住労働者とその家族の権利保護に関する国際条約」)が採択されました。これを読んだ時にわたしたちは非常に喜びました。といいますのは、その条約の中にはっきりと「労働者の在留の合法非合法にかかわらず労働者とその家族の権利は守らなくてはいけない」と書いてあるんですね。しかも各国政府は、この違法状態を終わらせるための努力をしなくちゃいけない、つまりアムネスティ(正規化)を行わなければいけないということが決められているわけです。これは、わたしたちが日頃、感覚的におかしいなと思ってきたことをはっきりと国連の条約が言ってくれたのです。非常に勇気づけられました。ただ残念ながらこの条約はまだ発効しておりません。20カ国の批准があると成立するのですが、今19カ国です。もう1カ国というところまで来ているんですね。10年経ってようやく発効するかどうかというところまできています。でもこの条約については、国連で採択された際、日本政府はなんとかして反対しようとしたのですが、国際社会の顰蹙を買って反対できなくなって、満場一致で採択されたんです。わたしたちの考えていた常識のほうが正しかったのがここでもわかりました。
そういう形で、日本に当然の権利でもって働きに来る人たちがたくさんいるのです。ところが日本の法律は、そういう時代に合わせるようにできていないものですから、法律と現実との間に大きなひずみが生じていくのです。法の受け皿からこぼれた人たちが「違法」状態になっているということが、現実に起こってしまっているということがわかります。
ひずみのしわ寄せ
それでどういうひずみが起こっているかと言うことを、下のドーナツ型のグラフで見ていただきたいと思います。2001年末の統計で見た日本にいる外国人の在留状態です。
先ほど言いましたように、合計28の在留資格がありますが、この28の在留資格の数字を並べてみても、ほとんど意味がありません。実態を反映していないからです。そこで、入管発表の数字をもとに、国籍とか在留資格の種類とかをいろいろ考え合わせて、実際の在留状態を反映するような形に数字を作り直してみた、それがこのドーナツ型の数字です。どういう集計の仕方をしているかということは、4ページに少し詳細に書いてあります。このドーナツ型の図を見てください。
まず、特別永住者51万人。これは在日韓国・朝鮮人、中国人です。この人たちが今もって外国人と言う形で日本に残っているということが、そもそも日本の国籍法の大きな問題であるわけです。とことん血統主義ですから、親子代々4代目5代目まで日本に住んでいても血統的に「外国人」であれば、外国人の扱いしかなされません。そして日本国籍を取るためには、「帰化」という屈辱的な手続きを経なければなりません。「そんなのならいらない」というんで、外国籍のままで頑張っている人たちが、少しずつ減りながら、それでも51万人ということです。本来ならこの人たちはとっくに日本での市民権を得て、日本社会の一員として政治的にもあらゆる権利を行使することが出来るはずである、そういう人たちです。日本の国籍法が非常に偏狭なために外国人のまま残されている。これは日本の戦争責任の後始末がきちっと出来ていないということであるわけですね。
それから、オーバーステイの人が23万人、いちばん新しい資料では22万4千人というのが昨年末現在の数字です。少し減ってきていますけれども、この人たちは在留資格がないのです。もともと働くために日本に来ることは認められていませんから、日本で働きたいと思ったら、短期滞在、だいたいが観光ビザといわれるもので入国して、3ヶ月の在留期間を1回だけ延長できて計6ヶ月が最高限度であるところを、そのまま5年10年住んでしまったということですね。それがオーバーステイの人たちです。このひとたちがいちばん大変な問題を背負っていまして、カラバオの会や全国の救援組織がいちばん救援に追われてきたのはオーバーステイの人たちの権利侵害です。日本の雇い主たち全部が悪いとは言いませんけど、相手の弱みにつけこんで暴利をむさぼる悪質な業者というのは絶えないわけでして、約束どおり賃金を払わない、あるいは少し不景気で金回りが悪くなると賃金が2回も3回も払われない。そういう状態の時に労働者が、
「社長、給料を貰いたい。給料の額が約束と違うよ。」
というふうに抗議をしたら、悪質な雇い主は
「じゃあ、警察を呼ぼうか。」
という対応をするわけです。加害者が警察を呼んで被害者が捕まるんですよ。なぜそういうことになるのかと言いますと、警察は労使紛争には介入できません。民事不介入ですから。これは一面において大切なことでもあるんです。
是非みなさんに見ていただきたいビデオがありまして、神奈川人権センターが作った「人権ビデオ」シリーズ。第5巻が移住外国人編「いっしょに歩こう」というビデオなんですが、その中で実にドラマチックな場面を記録しています。横浜には有名な中華街がありますね。そこの中華料理店で働いていた韓国人、オーバーステイの女性ですが、この方がやけどをして怪我しました。労災で補償してほしいと言ったら、「あんた首だ」と言われました。労災かくしと違法解雇が絡んでいるんですね。この件の相談を、移住連の仲間である神奈川シティユニオンが受けまして、中華街に押しかけ交渉しました。30人くらいが店の前で
「ご近所の皆さん。この店は韓国人の労災かくし、不当解雇をしたけしからん店です。」
と街頭宣伝やったわけです。店はびっくりして警察を呼びました。未経験な若い警官は、これはけしからんと思ったらしくて
「おまえら、なにやってるんだ。」
と妨害に入ってきたわけです。そうするとこちらの方は、
「警察は民事不介入。これは労働争議である。労働争議に介入したら警察は違法である。」
と言いました。それを聞いて、上司の警察官が若い警察官を制止して引っ込ませた。その場面がばっちり絵に入っちゃったんですね。「やらせ」でやろうと思って撮れる場面じゃない場面を撮ってくれました。今もって、労働争議に手を出してはいけないことを知らない警官がいる証拠で、警察がどういう教育をしているのかを疑わせる場面ですが、警察が労働争議に介入したら警察の方が違法です。ですから警察にはお引取り願うわけですね。
だから、これはいい側面もあるのですが、これが悪用されますと、悪質な雇い主がじゃあ警察呼ぼうかということで警察が来ると、賃金を払ってもらえないというのはこれは労働法違反ですから、警察は手が出せない。これができるのは労働基準監督署です。そのかわり警察はオーバーステイ、入管法違反の外国人を捕まえることができる。ですから加害者が警察を呼んで被害者が捕まってしまう。こんなに理不尽なこと考えられないでしょう。でも、今の日本の法のシステムの中でそういうことになってしまっているのです。立場の弱さにつけこんで権利侵害を受けるオーバーステイの外国人が跡を断たないのです。
それから、厚生労働省は大変法務省に忠実でありまして、在留資格のない外国人には健康保険に加入を認めない、生活保護も出さないのです。そのために、この人たちは生存権をおびやかされる状態で日本に在留しています。皆さんが日本語を教えられる場合に、当然、オーバーステイの人も入ってくるということを考えて、その人たちはむしろ日本の社会ではいちばん弱い立場に置かされている、いちばんサポートの必要な人たちだということを理解しておいていただければ有難いと思います。
「研修生」という奴隷制度
それから私は「境界グループ」というふうに分類しましたが、その中で、研修生、実習生の問題を取り上げたいと思います。研修生は、もともと技術研修をして、日本の高度な技術を持ち帰ってもらい、自国の発展に貢献するということが目的としてあるわけですが、この実態は何かと言うと、「奴隷労働」であります。実際に技術の研修として、高度な技術の研修、持ち帰って向こうで役に立つような技術の研修が行われているということはほとんどない。研修生として来日した人たちの現場として、お菓子の工場で、砂糖の袋をトラックから降ろして向こうへと運ぶ、という例があります。これが何の技術研修になるのでしょうか? 実際に技術研修と言われる現場で行われていることは、特別の技術を必要とするわけではない生産ラインについて、日本人労働者といっしょに働いている。しかも研修生ですから賃金は払われず、生活手当が6万円〜8万円くらいの金額で出されるわけです。勿論、住居と食べるものは支給されることにはなっています。けれども、住居が支給されるということは雇い主によって住まいまで囲い込まれるということです。住み込みでやらされるということなのです。しかも、残業手当はありません。ですから使い放題、そしてその研修に入った工場から首になると、即刻送還されますから、雇い主に文句を言うことも出来ません。研修生問題の難しさというのは、公にできず、苦しんでいても助けようがない。非常に少ない事例として、本人があまりにもたまりかねて、カミングアウトしてよい、どういうふうになってもいいからこれは闘う、というふうにして支援NGOと連絡がとれた、ごくわずかな例だけが表にでてきているわけです。
昨年でしたか、KSDがらみの汚職事件で自民党の参議院議員が逮捕されましたね。そのKSDが丸抱えで作っている「アイムジャパン」と言う研修生の派遣団体が、何千万円と言うお金をKSDに上納していたおとが明るみに出ました。アイムジャパンと聞いて、わたしたちは、「やっぱりあの会社か」と思いました。10年くらい前に研修生制度が始まった時から、アイムジャパンと言うのはわれわれの方では、悪質な団体として耳に入っていました。なぜこのアイムジャパンが上部団体のKSDに何千万円も上納できるほど儲かるのか。それは、ここに加入している中小企業が莫大な会費を収めるからです。なぜ莫大な会費を払ってこの会に入っているのか。それは、アイムジャパンから研修生を派遣してもらうと、月々せいぜい5万か10万ぐらいの費用で、労災補償もなし、場合によっては休暇も与えないし、残業手当も出さない、使い放題で若い労働力を使えるわけですから、使う方にしたらこんなに甘い話はないわけです。だから多額の会費を払っても、そこから研修生を派遣してもらうと儲かるわけです。
是正されているとはいいますけれど、その後もやはりアイムジャパンで暴行事件があって、逃げた研修生を追っかけるつもりで、その研修生の友だちを捕まえてなぐってしまったんですね。
この事件では、わたしたちはアイムジャパンの東京本部に抗議に行って、謝罪要求しましたけれど、謝罪したくらいじゃ済まない問題です。逃げる、追っかける、捕まえてぶんなぐるということが裏で行われている。これは人間を人間として扱っていない証拠です。
そして、その研修生を1年やりますとあと2年、技能実習生という形でそれが続きます。要するに3年間若い労働力を本当にタダ同然で使っているということになるわけです。
なぜこういうことが起こるのか。労働力としてきちんと受け入れないからこういう抜け穴ができていくわけです。本来、研修というのは向こうが必要としている技術を日本で学ぶという、それなりに大切な目的を持っているわけですけれども、ここが、労働者でない名目で労働者を入れる偽装に利用され、こういうひどいことが起こってしまいます。
人種主義の引き起こした問題
次はいわゆる「日系人」について。これはたぶん皆さんの周辺にも、ブラジル、ペルーなど南米国籍の方たちがたくさんおられると思いますが、日系人の問題というのは1989年と90年の2年間ぐらいに日本政府の犯した誤りが尾を引いているのです。この時期、オーバーステイの労働者がどんどん増えていくのに困った法務省が、苦肉の策として、労働力が必要だけれど、労働者は入れたくないというんで、90年の入管法改定の時に「日系人」に関しては例外として導入を決めたわけです。つまり今世紀の前半に南米に移住した日本人の子どもや子孫は、日本に働きに来ることができるということにしたのです。在留資格としては、日系2世は「日本人の配偶者等」(「等」というのは子どものこと)、3世の場合には「定住者」という在留資格を出し、合法的に日本で働けるようになりました。
「日系人」といえども外国人には変わりないのですから、外国人の中で日本人の血を引いた人だけ入れるというのはものすごい人種主義です。それはどこからみても人種主義そのものです。日本は国籍法から始まって、政府の人たちの頭の中まで血統主義なんです。
わたしたちはこの時に、オーバーステイの人たちの問題で頑張っていましたから、日系人を一度にたくさん受け入れるという話を聞いた時に、ちょっと待ちなさいよ、と思いました。日本人と同じ顔をして日本の名前を持っていればいいのか、ということです。日本人の血を引いてるからといって、れっきとした外国人を一度に10万人も20万人も受け入れて、そのままポーンと日本社会へ放り出して、それでひとりでに日本人に戻るだろうと考えて、無計画に入れるわけでしょう?
そのときわたしたちは言ったんです。高野豆腐じゃないよと。水につければ、もとの豆腐に戻るという訳ではないでしょうと。文化とか民族が違うんです。たとえ日本人の血を引いていようと、南米の熱っぽい自然環境の中で、激しいリズムの音楽が鳴ればひとりでに体が踊りだす、そういった環境の中で育ってきたその人たち。こちらは「雨の港の別れの涙」というような、しめっぽい世界です。私は演歌が好きなものですから、しょうがないですね。(笑)
10万人〜20万人という単位の外国人を受け入れるというのには、それなりのしっかりとした受け入れ体制を作らないと無理ですよ。仕事はだれがお世話するんだ、住居はどうするんだ、学校はどうするんだ、医療はどうするんだ、言葉の問題はどうするんだ、そういうところをきちっと考えた上でやらなければ、大変な文化摩擦が起こるのは当然なんです。そういう準備が必要という考えさえなしに、日系人に対してだけはビザをどんどん出したから、悪質な業者が向こうに行って「日本に行けばもうかるぞ」と無責任な募集をして、ものすごいピンハネをしたんです。それで儲ける人たちが出てきたんです。
その結果として、家族の呼び寄せなどで、当時20万人くらいいるといわれていた人たちが今は30万人に達しようとしています。依然として対策は何もとられていません。愛知県の小牧市では、1人のブラジル人の少年が日本の若者たちに虐殺されるという文化摩擦もすでに起こっているわけですね。
日系の人たちは、こういう状態にあるわけです。
結婚へのしわ寄せ
最後にもう一つだけ結婚の例を挙げておきます。結婚については、誤解のないようにまずお断りしておかねばならないことがあります。ここにもおられるかもしれませんが、国際結婚は、素晴らしいことです。2つの違った文化・民族が接する時に、いちばん深く結ばれるのは結婚によってです。文化・民族の違いを越えて愛し合うカップルが結婚したら、これは切れないです。そして子どもが生まれたらますます切れません。
今のような国際化時代には、国際結婚というのは非常に大事な、素晴らしいことです。わたしたちの周辺にも、素晴らしい国際結婚がたくさんあります。
1999年の入管法改悪の時なのですが、だれがいちばん怒りの声をあげたかというと、外国人と結婚している日本人の女性たち、「ミックス・マリッジと歩む会」(MMA)という女性グループがありまして、この人たちが非常に頑張ってくれたんです。
あの当時、中村法務大臣というものすごい乱暴な、わたしたちにとってはいかに法務省がひどいかということをものの見事に見せてくれたひどい法務大臣がいまして、20件くらいの結婚ビザの申請を束にして却下した。 その犠牲者の方もいらっしゃったわけです。
その一方では、アーノルド・シュワルツネッガーが自家用機でパスポートを持たないで日本に入ってきたら、それには大臣が特別の許可を出したのです。
これはおかしいですよ。でも、そのことが咎められずに、なぜ中村法務大臣が辞めさせられたかというと、そのときのシュワルツネッガーの始末書を彼のファンである自分の妻に持って帰ってあげてしまったので、それが咎められてクビになってしまったんですね。クビになったことはいいことなんですが、本当はそうではなくて、そんな恣意的なことができる、つまり法務大臣がいかに勝手なことをできるかということを示したんです。
その時に、夫のビザが出ないために、パキスタンまで「通い妻を私は3年やって、やっとの思いで彼のビザを取りました」という女性がいました。また、まだ彼が向こうにいて、来日するためのビザが取れないため来れない人もいました。その女性が考えたチラシの文句が、「私の彼はシュワちゃんより素敵よ」というものでした。
そのあげく、入管法がますます厳しくなって、特に結婚したカップルを直撃する恐れがある法改定でした。これへの反対運動で衆議院、参議院の審議に傍聴に行きました。私は彼女たちにお願いして、自分のパートナーの国の民族衣装で国会に来てもらいました。法務委員会の傍聴席に十数人の女性が、パキスタン、バングラデシュ、イラン、ナイジェリアなど各国の民族衣装でずらっと並びました。国会議員の先生がたが、国会も国際的になったとか言ってびっくりしたということでしたけれども、つまりそういう闘いが出来たわけです。
外国人と結婚している女性たちの闘いが、その国の法律や制度を変えていく、というのはドイツでもあるわけです。彼女たちは、本当に自分のパートナーは素晴らしいと、彼らの文化は素晴らしいということで、結び付きになっていきます。そういう意味で国際結婚は素晴らしいことなのです。
ただ、別の問題があります。つまり、今のように歪んだ法律制度の中では、日本で自由に働ける在留資格が欲しいと思った時にいちばん手っ取り早いのは結婚なんですね。日本人と結婚すると、「配偶者等」という在留資格が取れます。これが取れるとどんな仕事についても制限はありません。何年か経つと永住資格も取れます。 だから日本で安心して働ける在留資格が欲しいために、無理をして結婚するということがどうしても起こってしまうのですね。
私の推定では全体で17万人くらいの外国人が配偶者として在留しています。そこからさまざまな悲劇が起こっていきます。
いちばん最初にお話しした、バティスセンターでサポートを受けている女性たちから、日本での話を聞くと、日本の男たちってそんなにひどいかと思うようなひどい経験をしておられます。
ひとつのケースでは、日本人の夫が先妻と離婚して、フィリピンの当該女性と結婚した。ところが彼女が出産で一時帰国して日本に戻ってきてみたら、夫は先妻を家に引き入れていっしょに住んでいて、彼女の目の前で夫と先妻がいっしょに寝たりするというのです。どういう感覚でそういうことができるのかというようなケースです。
神奈川には「みずら」と「サーラー」という2つの民間の女性シェルターがありますが、シェルターの利用者の変遷が問題をよく反映しています。80年代に東京に「女性の家HELP」ができた当時は、利用者はフィリピン人女性の人身売買被害者でした。90年頃からタイ人女性の人身売買被害者が増え、その救出活動から神奈川のシェルターができたのでした。ところが最近はまたフィリピン女性の利用者が多くなってきているそうです。タイ人ももちろんまだ来ていますけれども、ケースの中味は、日本人の夫のドメスティック・バイオレンスから子どもを連れて逃げてきた人たちが多くなっています。シェルターに来る女性たちの状況を見ると、日本でどういう被害に遭っているか、ということが見てとれます。無理な結婚の弊害がでてきていることが、ここに顕れているわけです。
以上みてきましたように、在留資格のあるなし、またどういう種類の在留資格かによって違った現れ方をしていますけれども、ひずみのしわ寄せが当事者の上にのしかかり、多くの人権侵害を生んでいるわけです。
なぜこういう弊害が起こるのかといいますと、日本の法制度が実情をふまえて整えられていない、それから国の政策が実態を把握してきちっと立てられていない、そして日本社会の雰囲気そのものが、そういう方向に向いていないからなのです。
それではいけないということで、移住連は、初めにお話しした通り、2年がかりで具体的な提案をまとめました。これは、皆さんにぜひ読んでいただければと思っております。
同化ではなくエンパワーメント
最後に、日本語教室の運営に関わろうとしていらっしゃる皆さんがここにおられるということなので、いくつか基本的なことだけ申し上げさせていただきます。
カラバオの会も日本語教室をやっております。これはほとんど自然発生的に、日本語の勉強をしたいという人たちがいるから、ということで始めたんですが、やってみて大事な役割があるということがわかりました。
それは、当事者の側からいいますと、日本語を少しでも、たとえカタコトでもしゃべれるということは、日本の社会の中で自立していく力になるわけですね。言葉が通じなくて、いちいちだれかの助けが必要だと言うことでは、日本の社会の中で自立していくことは困難です。だから、自立していく力をつけるエンパワーメントのために、日本語を使えるようになるということは大事であるということです。
カラバオの会の日本語教室では、サバイバルクラスと中級と上級に分けています。外国人が日本に働きに来たら、いきなりどういう言葉を覚えるかというと、「シャチョー」と「バカヤロウ」。これは来日してすぐに自分で覚えてしまう。しかしサバイバルのためには、「スコップ」だの、「型枠」だの、「相方」だの、労働現場で使う言葉を覚えることが必要で、そこから始まります。それから賃金の受け取り方、賃金がどういうふうになっているかという仕組みの言葉など、実際に生活に役に立つような言葉をサバイバルのために教えていきます。それからさらに日常の会話、読み書き、といったやり方をしていくわけです。
ただ二つの面で大事なことがあることに気づかされております。一つは、日本語を教え込むというこちら側の熱意の中に、日本社会に同化させるという動機がどうしても出てくるのではないかということ。「そういうものはないよ」と言わずに、「日本人」を長年やってきてしまった自分のなかには、そういうものがあるんだと、きちっと自覚した方がいいと思います。
どうしても言葉のうまい人と、言葉のへたな人では、言葉のうまい人のほうが賢く見えてしまいます。日本語に関してはこちらが強く、あちらが弱いわけですから、言葉が十分使えない人たちに対してこちらが言葉的に優位に立つということがあるわけですね。この位置づけの中では、同化的な感覚が、どうしても出てくるということですね。これをどう克服するかという問題があると思います。
私は、これは皆さんが現場で意識しながら、どうやったらそれが克服できるか経験していただいて、むしろ教えていただきたいと思いますが、ごく基本的なスタンスの問題として、学ぶ−教えるとは、両方向、相互的なものだということを、しっかり踏まえておくことが必要だと思います。つまり、こちらが相手の文化や言葉に対して興味を持って、相手から相手の言葉を学んだり、相手の文化を学んだり、というふうになっていただきたいと思います。
それから、もう一つ、かつてカラバオの会の日本語教室の担当者から出た声で、日本語教室だけだとすごく心細いと、カラバオの会の日本語教室だからこそ、安心してやれると言う声を聞いたことがあります。どういうことかといいますと、日本に住んでいる外国人は、さまざまな問題を背負っています。話し込んで聞くと、それがわかるわけですね。日本語を教えていても、日本語だけのつきあいに終わらなくて、「この問題、どうしたらいいでしょう?」ということがしばしば起こりますね。たとえば
「家族が病気になった、保険がありません、どうしたらいいでしょう?」
という相談を受けたときにどうしますか?
善意の人は、私が何とかしてあげなきゃ、と思うでしょう? これは大事なことですよ。それが人間同士のつきあいの出発点なんですから。ただ、その時に気をつけなければいけないのは、1人で背負ったら、一生かかるくらいの問題を相手は抱えているんだということです。たとえば金銭的にもそういう場合があります。保険なしに入院して、手術をしたら100万〜200万円がすぐ必要になるわけです。それを、私が1人で何とかしてあげましょう、ということはできません。できることとできないことがあります。1人で背負い込んで、
「私が何とかしなくちゃ、でもどうしてもできない。」
となると、悩んでしまって、それで自分がつぶれてしまいます。だからその時に、1人でやってはいけない。少なくとも3人の仲間を作ってくださいということをお願いしています。1つ相談を受けたら、その相談を解決していくためにNGOを立ち上げる、というのは大変なことのようですけど、3人集まってどうしましょうと、考えていくと、それがNGOの始まりになってしまうのです。カラバオの会もそういうふうにできていったのです。1人の移住労働者の抱えている問題にぶつかって、3人で足りなきゃ、あの人にもこの人にも頼んでと、仕方ないからあちこち頼み込むことになります。グループの場合の方が、できないことはできないと言いやすいこともあると思います。法律や制度の壁を破らなければ解決できない問題の場合は、個々のケースとしては、泣く泣くできないと言わざるを得ません。その分、制度・政策要求として政府や行政にぶつかっていくという闘い方が必要になるわけですけれども。
先週私が体験した例をお話ししましたが、このケースでは、まず子どもをどこかで預かってもらわなくてはならない。あと何ヶ月、何日と言われて点滴を打ってる病人がいる、そういう状況の中で、それを私が背負い込んだってどうにもならないわけですから、地元の保育園に頼んで何とかしてもらう……。そうやって助けを求めていくと、ドーンと受け止めて動いてくれる人たちが、もうすでにいたわけです。受け止められる基盤がすでにあったということが幸いだったんですけれども、そういうものは一朝一夕にできたのではなくて、在日の人たちが20年30年かけてその地域の闘いの中で積み上げてきたものであるわけです。
わたしたちの運動も、そういうものを今から少しずつ作り上げていくことです。何も知らなかった人でも、「こんなことあるから助けてよ」言われれば、「いやです」と言えなくて、手伝ってくれる人が出てくるわけですね。
私は牧師ですから、聖書の中にそういうたとえ話があるのを引用させて下さい。夜中に、旅をしてきた友人に転がり込まれてしまった。何か食べさせたいけど食べさせるものがない。しょうがないから隣の家を叩き起こした。「パン貸してくれ!」と。「冗談じゃない、こんな夜中にそんなこと頼んでくるやつがあるか!」と断られる、でも、こっちはハラをすかせている友だちのために何とかしてやりたい。それで、「いや、そう言わずに何とかしてくれ」と戸を叩き続けるんですね。そうすると、しまいには向こうもうるさくなってきて、出してくれる。こういう話があるんですよ。私、大変この話が好きでして、ぐっとくる。(笑)
そうやってですね、面倒臭がる人を引っ張り出して、引っ張り込んで、という形でつながっていきます。そして人間の善意というものはそうやって広がっていくものだと思います。そこで改めて、人間の善意の暖かさというものを再発見する喜びもあります。ぜひ、そういう形でグループを作り、そしてさらにネットワークを立ち上げてゆくことをして下さい。そういうことが、日本全国に広がっていって、さらに細かく地域に根を張っていくと、国も政府も変わっていって、日本の社会が変わっていくと思います。同じ日本の社会の中で、外国籍の人たちといっしょに、同じ社会を構成する仲間として助け合いながら理解を深めていく。21世紀の日本はそういうことを目ざしていかなければ、逆にお互いに摩擦でもって憎みあい、恨み合うギスギスした社会になってしまうでしょう。
われわれがそこのところを変えていきたい。そういう運動の輪を広げていきたい。そこに起こる新しい出会いが、わたしたちに元気をくれ、また21世紀の日本社会に活力を与えてくれると思うのであります。
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