イエスの幻を見る

               渡辺英俊

「私にとって『復活』とは」
(日本基督教団出版局刊 2004年)
所収


 私にとって『復活』とは、イエスの事件が私の目の前で起こり、私がそれに巻き込まれて体ごと動かされつつ、イエスの現臨のリアリティーを現実に体験することである。この、イエスの現臨のリアリティーが見失われ、復活体験が理念の体系にすりかえられたり、集団ヒステリーに近いエクスタシー体験と混同されたりしてきて久しいのではないか。

 ではいったい、『復活』とは歴史的にどのような事件だったのだろうか。それを考えながら、私自身の復活理解を明らかにしてみたい。

1.二つのタイプ

 伝統的に教会が描いてきた復活のイメージには、二つのタイプがある。

<A> フランケンシュタイン型の復活イメージ

 これは、復活を「死体の生き返り」というイメージでとらえるものである。
 典型的なのは、ヨハネによる福音書が伝えているラザロの復活物語(11:38-44)である。 

 「すると、死んでいた人が、手と足を布で巻かれたまま出てきた。」(44節)

という描写は、死体の生き返りを鮮明にイメージさせる。この福音書の著者は、イエスの復活に関しても、一方で鍵をかけた部屋に出入りできる霊的(?)な体であることを強調しながらも、「手とわき腹とをお見せになった」(20:19-20)と、十字架にかけられた遺体の生き返りというイメージを強く残している。

 マルコによる福音書では、3人の女性たちに空虚な墓を発見する役を割り振っているが、これも、遺体の喪失を伴なわなければ成り立たない死体の生き返りという復活イメージを前提にしたものである。

 このような福音書の記述にもとづいて、教会の伝統は復活の肉体性を正統的復活信仰の重要な要素としてきた。

<B> スターウォーズ型の復活イメージ

 もう一つの復活イメージは、宇宙の終局としての終末に際し、死者万人が復活して神の審判を受けるという、黙示思想的宇宙終局史の枠組みで思い描かれるものである。
 代表的な例を、パウロ書簡にみることができる。彼はこう言う。

  ……神のラッパが鳴り響くと、主ご自身が天から降ってこられます。すると、キリストに
  結ばれて死んだ人たちが、まず最初に復活し、それからわたしたち生き残っている者が
  空中で主と出会うために、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられます。
                  (テサロニケの信徒への手紙1 4:16-17)

 ここでは、パウロは自分たちの存命中に宇宙の終局がくるものと信じており、死者は復活し、自分たちは生きたまま天に挙げられると信じている。この考え方においては、キリストの復活という知らせが、明日にも差し迫った宇宙の終局の前触れとして受け止められている。だから、日常性をいっさい後回しにさせるような、緊急事態としての切迫性をもっていたのである。

 この黙示思想的・宇宙終局史的復活理解においては、「復活」自体は死体の生き返りとして起こると考えられていたと思われる。このことは、マタイによる福音書がイエスの死の場面で、下敷きにしたマルコによる福音書の物語に、明らかな尾ひれとして付け加えた次の描写がよくあらわしている。

  ……地震が起こり、岩が裂け、墓が開いて、眠りについていた多くの聖なる者たちの体が
  生き返った。そして、イエスの復活の後、墓から出てきて、聖なる都に入り、多くの人に現
  れた。     (27:51-53)

 黙示的終局に際して起こる復活は、このような墓から出てくる死体の生き返りなのである。従って、復活信仰の発足時には、<A>と<B>とは切り離されたものでなく、<A>が<B>に含まれて告げられ、信じられた。

 ところが、ユダヤ戦争後の状況の中で、黙示思想的な切迫した終局待望が色あせ後退すると、死体の生き返りという非現実的な復活イメージだけでは信仰を維持できなくなる。それに代わって前面に出てきたのが、「復活者の昇天」というイメージだった。ルカ文書(ルカ24:50-53、言行禄1:6-11)は、十字架から「3日後の復活→40日後の昇天→50日後の聖霊降臨」というカレンダーにこれを配置し、復活の事件を教会の存在へと収斂させている。教会の伝統が<A>型のイメージで復活信仰を維持できたのは、このようなルカの配置に依存してのことだった。 

2. 事件としての復活

 では、今日のわれわれから見て、復活というのはどういう事件だったのだろうか。

 どこから見ても疑いようのない歴史的事実は、イエスの死後、イエスの仲間たちが、イエスは生き返ったと信じてそれを言い広め始めたということである。事件からほんの数年しか経ていない時点での証言として、パウロが自分の入信の際受けた伝承を、手紙の中に記録している。

  ……すなわち、キリストが聖書に書いてあるとおり[わたしたちの罪のために]死んだこと、
  葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、ケファに現れ、その
  後12人に現れたことです。次いで、五百人以上の兄弟たちに同時に現れました。
           (コリントの信徒への手紙1 15:3-6 [ ]内はパウロの付加とみる)

 この伝承自体がすでに教会の信仰を色濃く反映したものであることは後に批判するが、ここから取り出せる事実は、復活者の姿が特定の時に特定の人びとによって目撃されたものだと言うことである。この場合、「現れた」は、「見られた」という表現である。「死体の生き返り」ならば、いつでもだれにでも見られるものであるはずだが、この証言はそうではない。復活者が、特定の選ばれた人びとに自分を現したというのがこの伝承の背景にある信仰で、だからこの目撃リストの順序が、エルサレム教会の権威の序列として早くから伝承化される。しかし、この伝承を現象の記録として見なおすと、これは、ある特別の人びとが生きているイエスの姿を見たという、「幻を見る体験」(幻視体験)の記述にほかならない。

 そういう観点から、他の復活伝承を見直すと、「〜に見られた」という表現がぴったりする物語が拾い出せる。
 たとえば、エマオへの途上の顕現伝説(ルカ24:13-32)では、復活者は「見知らぬ人」として二人の弟子の前に現れ、二人を励まし、夕食のパン裂きの仕草でイエスと分かると姿が見えなくなる。また、マグダラのマリアへの顕現伝説(ヨハネ20:14-16)では、マリアが墓でイエスの遺体がなくなったことを悲しんで泣いていたとき、見知らぬ人として立っていたイエスを見る。福音書の欄外注記のように本筋からはずれたところに置かれたこれらの物語を透かしてみると、素朴な伝説として語り伝えられた復活体験の実相がうかがえる。教会的統制で整形され、教会化する脚色で塗り上げられた記述の奥にある復活伝説は、幻視体験としての特色を色濃く帯びているのである。

 前記の顕現リストの最後にパウロは、

  そして最後に、月足らずで生まれたようなわたしにも現れました。 (15:8)

と付け加えていることにより、それ以前の顕現がパウロ自身の体験と同質のものであると考えていることを示している。使徒言行録(9:1-9、22:6-1,26:12-18)が、どこまで実際のパウロ体験を反映しているかは定かでないが、少なくともルカのイメージの中では、この体験は「幻視体験」というよりも(見えたのは「天からの光」だけだったから)「幻聴体験」に近い。しかし、復活者の「幻」に出会う体験だった点では共通の質を持っている。

 これまでのキリスト教の伝統の中で、最初のキリスト者たちが「復活者」としてイエスの幻を見たのだという事実の意味を、どれだけ正当に評価してきただろうか。現代では、「幻視」とか「幻聴」とかいうものは、精神疾患の症状としてしか評価されていない。現代人は人工的な「幻」を受け身で見る(TVはその代表だろう)ことに慣らされて、自分で幻をみる能力を失ってしまったのではないか。しかし、「幻」は人間本来の心理的能力としての想像力の極限にあるものではないか。人が内面に強烈に抱いてしまったものは外の空間に投影されて幻となる。紀元1世紀の熱い時代に生きていた人びとは、イエスの生と死の強烈過ぎる印象を内面に抱え込んだとき、それを外に投影させて生きているイエスの幻を見たのであろう。それほど熱く、強くイエスを自分の内面に取り込んだのであろう。

 ただ、復活体験を幻視体験として理解する場合の最大の障害は、遺体の問題である。遺体があっては「復活」という幻は成立しないからである。このことについては、わたしたちはジョン・ドミニク・クロッサンの厳しい指摘に傾聴する必要がある。

  十字架刑をこれほど恐るべきものにしたのは……その非人間的な残虐性や社会的な
  不名誉ばかりではない。最終的には埋葬物が何も残らないという現実も一役買ってい
  た。火に投げ込まれ猛獣の前に投げ出されることに肉体的な滅びが伴なうことは明らか
  である。しかし、十字架刑も同様であることをわれわれはしばしば忘れている。死体や
  瀕死の受刑者の上には死肉を食らう烏が舞い、下には腐肉をあさる犬どもがうなり声
  を上げるのである。」  (「イエス」太田修司訳204ページ以下)
  通常の状況下では、兵士たちが受刑者を死ぬまで警護し、その後は死肉を食らう烏や
  腐肉をあさる犬や野獣に任せて、この残酷な仕事にけりをつけた。十字架につけられた
  ものを埋葬しないことは、見物人たちに対する当局の見せしめであった。
                      (同書246ページ)

 権力に逆らう下層の者たちに対する見せしめとしての十字架刑の本質は、殺すだけでなく、死んだ後まで辱めることにあった。遺体が残らないのが十字架刑だというのである。

 イエスを「天からの神の子」に祭り上げた復活後の教会の伝承は、十字架刑のこの厳しさに耐えられなかった。せめて墓だけは作りたいという願いの反映として、「アリマタヤのヨセフ」を登場させ、イエスを岩の墓に納めさせる。だが、クロッサンの指摘するように(同書246ページ)、イエスに刑を宣告した集団にいながら十字架刑を食い止められなかった者に、葬ることの許されない死体を葬ることは不可能だ。十字架刑の現実の経過としては、刑の宣告を食い止めるよりも受刑者の遺体を葬ることの方がむずかしい。マルコに発すると思われるこの虚構は、十字架刑のむごさの極限から目をそらしている。そして、「空虚な墓」というもう一つの虚構を余儀なくさせている。

 しかし、現実の十字架刑のむごさの極限を最後まで目撃して、魂を引きちぎられるような思いを味わった者たちは、その茫然自失のなかで、むしろそれをテコにして「復活」という幻を見ることができたのだと考えられる。

3. 最初の目撃者

 パウロが伝えている最古の復活者目撃リストによれば、最初に「ケファ」(ペテロ)が言いだし、それが「12人」から「五百人」へと広がって行ったという。これは、幻視体験の連鎖として、一人が見たと言い始めると、同じ思いを抱く人びとに衝撃波のように伝播して行くさまを伝えたもので、実際にそういう経過をたどったものだろうと言える。

 だが、この伝承が伝える目撃の順序には、重大な疑義が挟まれねばならない。このリストの順序は、明らかに最初のエルサレム教会における権威の序列を反映しているからである。これを伝えたパウロ自身がそういうものとして扱っている。彼は、「使徒」という称号を「十二人」に限定することに反対し、自分も使徒だと主張するためにこのリストを使っている。だから、パウロの時代にはすでにペテロに代わってエルサレム教会のリーダーシップをとっていた「ヤコブ」(主の兄弟)と、「すべての使徒たち」(内容不明)を伝承されたリストに加えた後で、「使徒たちの中でいちばん小さな者」とことわりながらも、自分も復活の目撃者として使徒であると主張するのである。このことは、

  わたしは……使徒ではないか。わたしたちの主イエスを見たではないか。
                 (コリントの信徒への手紙1 9:1) 

という発言にいっそう明確に示されている。つまり、この最古の伝承のリスト 自体が、「ケファ」を筆頭とする「十二人」の権威によって統制されたエルサレム教会の権威を弁証するという、強い教会的バイアスをかけてできあがっているということである。

 もう一つの疑義は、復活の目撃者がなぜ男ばかりか、ということである。この最古の目撃者リストには、512人の目撃者が挙げられており、パウロの付加を算入すると514人+アルファ(「すべての使徒たち」)になるが、女性は一人もいない。名前の挙がっている者はもちろん、「兄弟たち」「使徒たち」もすべて男性名詞である。つまり、このリストは強烈な男性バイアスがかかってできているということである。このことを逆手にとって福音書伝承を見直すと、重要な事実が浮かび上がってくる。

 マルコによる福音書は、イエスが十字架にかけられたとき、男性の弟子たちが逃げ散ったのと対蹠的に、最後まで踏みとどまってイエスの死を見届けた3人の女性「マグダラのマリア、小ヤコブとヨセの母マリア、サロメ」の名を挙げている(15:40)。ほとんど伝不詳の3人の女性のリストが伝承されていて、ここに記録されたのである。「3人」というグループ・リストはリーダーシップを示すとみられる(フィオレンツァ「彼女を記念して」特に218ページ参照)。つまり、イエス集団と復活直後の弟子集団では、女性がリーダーシップをもっていた可能性が高いのである。

 そうだとすると、この3人の女性が「空虚な墓」の発見者になるというマルコの復活物語(16:1-8)には別の光を当ててみる必要がある。むしろ、この3人の女性、特につねに筆頭にあげられている「マグダラのマリア」が、復活したイエスの第1目撃者、つまり復活信仰の言いだしベェだったのではないかと問うてみる必要がある(同書465ページ以下参照)。実際、先に触れたヨハネによる福音書20章の顕現物語では、マグダラのマリアが第1目撃者とされている。ところがマルコの復活物語では、女性たちは空になった墓で「白い衣を着た若者」にイエスが復活したことを告げられるが、「震え上がり、正気を失って……だれにも何も言わなかった」という。彼女たちが何をそんなに恐れたのかを説明しようとする文の頭2語だけ書いて、マルコによる福音書は謎の終わり方をしているのである。十字架までついていった彼女たちが、今更何を、ものも言えないほど恐れるのか……。そんな説明が思いつけるはずがない。話の設定自体がムリなのだから、ここで筆を投げるのが書き手の良心というものであろう。

 こうのような考察から推定復元できる復活事件の経過は、次のようなものであろう。
イエスの十字架の死の目撃者となり、その痛みを全身で受け止めた何人かの女性たちがいた。その中の1人、または複数が、イエスの遺体の消失というさらに過酷な事態に直面し、錯乱するような悲しみの中で、イエスが生き返って目の前に立っているのを幻で見る。それは、彼女たち自身の中に深く根を下ろして生きているイエスの生きざまのイメージの投影なのだが、彼女たちにとってはイエスの生き返り以外の何ものでもなかった。この目撃体験はたちまち他の女性たちに、そして逃げ散ったイエス集団の仲間たちへと伝播し、集団が再結集されて爆発的な活動を始める。やがてイエスの側近だったケファを筆頭とする男性たちも戻ってきて、女性たちからリーダーシップを奪い取る。この過程は必ずしも平穏なものではなかったと見なければならない。なぜなら、教会の最初期の段階ですでに、パウロに伝えられたような、権威の序列としての目撃者男性リストが作られたことは、男性権力による徹底的な伝承の統制が行われたことを示すからである。それと共に、焚書と呼ぶほかない女性伝承の抹殺が行われる。われわれの手にある福音書伝承は、イエス集団のリーダーシップに関する限り、女性をまったく周縁においている。マルコの手で奇跡的に名前だけ書き伝えられた3人の女性リーダーに関して、これほど何も伝わっていないのは、伝承の抹殺がなければ考えられないことである。

 男性たちの権威的リーダーシップのもとで成立したエルサレム教会で、復活の物語も、素朴な伝説的幻視体験から、「神の子キリストの栄光の顕現」の物語に語り変えられる。こうして復活者は、礼拝の対象としてのキリストにさせられ、宗教化した教会の枠の中に閉じこめられるのである。

4. 現代に生きて

 われわれの信仰における復活とは、イエスの復活である。このことはけっして忘れられてはならない。復活者をキリストと呼んでもいっこうにさしつかえないが、かつて歴史の中に生き、十字架に死んだイエスの事件を忘れたところで、「キリスト」にさまざまな神学的デコレーションをつけてイエスを覆い隠すのは、復活信仰ではないであろう。

 教会化された福音書伝承のとばりの向こうに垣間見るイエスの事件は、被差別・被抑圧のもとにあったもっとも貧しい人たちの苦しみを共に負い、彼らの間で癒しや炊き出し(共同の食事)を行い、「神はあなたがたと共にこそおられる」と語りかけた運動であった。それは、もっともラディカルな意味における被差別者の解放運動であり、その危険な質を察知した権力者集団によって、もっとも残忍な辱かしめとしての十字架刑にかけられる。これはもっとも政治的・社会的な事件であると同時に、人間の魂をゆさぶってやまない、もっとも精神的・霊的な事件であった。

 このイエスの生に向き合う者は、人間としての存在を根底から揺り動かされる。熱い感性を備えた時代や人びとは、揺さぶられた魂を外に投影して、現実に生きて動いているイエスの幻を見る。しかし、そうでない時代や人びとは、イエスに乗り移られ、自分の体がイエスに乗っ取られて、イエスが自分の体を使って生きているのを感じる。イエスの姿を外に見るか内に見るかの違いはあっても、イエスの事件が自分のところで再現され、それに巻き込まれて、イエスにくっついて動いている自分を発見することに変わりはない。

 パウロのような人は、幻も見たであろうが、イエスのいのちを自分の体で感じ取ってもいる。彼は言う。

  わたしはキリストと共に十字架につけられています。生きているのはもはやわたしでは
  ありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。
                (ガラテヤの信徒への手紙 2:19-20)
 
 これは、自分のところで再現しているイエス事件に巻き込まれて、イエスを生きさせられている感覚を適切に表現したものだと思う。私自身がこのパウロの言葉をそのまま、自分の内に生きているイエスとして、復活者キリストを体験し、生かされて来たからである。

 私は、25年間、中堅の教会の牧師として、それなりにしあわせな牧会生活をさせていただいていた。しかし、70年代の教団・教区の紛争の渦中に身を置き、横浜で在日韓国・朝鮮人差別の問題と取り組み始めてから、自分の座っている椅子に針を感じ始めた。自分が「牧会者」をしている住宅地帯と、在日の人たちの被差別の苦しみの現場との間を往復していると、イエスが両方に「平等」に臨在しているとは思えなかったからである。キリストは苦しむ人びとの側に偏って存在し、働かれる。今振り返ると、それが「わが内なるキリストの促し」だったのだと思うが、折からの「解放の神学」のブームに出会い、どうしても第三世界の側から日本とそこにある教会を見直したいという衝動にかられた。牧会上の破れも重なり、安住していた穴からいぶし出されるように教会を辞してフィリピンにでかけることになった。

 そこで目撃したのは、民衆の苦しみを共に担って闘う教会の姿であり、そこに生きて働いているキリストであった(拙著「解放の神学をたずねて」参照)。1年のフィリピン留学を経て、「中村橋伝道所」の設立。待っていたように横浜の寄せ場で始まっていた移住労働者の支援運動に巻き込まれ、伝道所ごと寄せ場の中に移って「なか伝道所」へ……という経過で17年が過ぎた(拙著「片隅が天である」参照)。移住労働者・移住外国人の存在は現代日本の差別の最先端にあり、イエス事件の露頭の一つである。そこにイエスが生きて働いているのを実体験させられる17年だった。
 
 私は、周到に張りめぐらされた神のワナにはまり、自分では考えもできなかったような道筋を歩まされてきたと思う。これは、けっして私が計画したことでもなければ、予測したことでもなかった。私という人間がやりそうなことだったとはとても思えない。誤解を恐れずに実感的に言えば、私はイエスに乗り移られて、われにもあらずイエスっぽく生きさせられてきており、今もそれが続いている。小さなイエス事件が、私の生そのもので起こっているのを感じているのである。苦労と言えば、住宅地の教会の牧会も変わらないであろうが、イエス事件のただ中に生きる喜びは、みずからの人間回復・解放の喜びであった。

 では、私は、最初の目撃者たちのような「幻」は見ないのだろうか。たしかに、感性の鈍い私には幻をみることはできない。だが、私はイエスの「影」はしょっちゅう見ている。全国各地で、移住労働者の支援に無償の努力を惜しまないたくさんの仲間たちの中に、愛を体現させたイエスの影を見る。寄せ場の運動に青春を燃やし尽くし、そのまま老境を迎えようとしている友人たちの苦悩の中に、私は寄せ場の苦しみを共に負っているイエスの影を見る。日曜の朝だけは酒を飲まずに、ぼろぼろの姿で礼拝に顔を出すアルコール依存症の仲間の中に、私に問いかけているイエスの影を見る。在留資格なく、ガンで妻を失い、父子家庭で子どもを育てながら働いている移住労働者の友の中に、また彼の周囲にそのつど奇跡的に現れて必要な助けを与えてくれる人びとの中に、生きて働いているイエスの影を見る。その人たちがキリスト者であるかどうかにかかわりなく、イエスは今も生きて、もっとも貧しく小さくされた人びとの中で働いておられる。そのイエスの影を追っかけながら、私自身もイエスっぽく生きさせられているという現実が、私にとっての復活信仰なのである。


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