フィリピン政府の政治的殺害システム
「オプラン・バンタイ・ラヤ(自由防衛作戦計画)」とは何か
(フィリピン)超教派正義と平和運動(EMJP)編
(渡辺英俊 訳)
1 政治的殺害の現状とその背景 (p.2)
[フィリピンにおける]政治的殺害は、2006年6月30日現在で696人の犠牲者を数える、驚くべき規模に達した。それはすでに、われわれの自由への愛と市民的権利と命の価値への冒涜である。
アロヨ政権成立以来の5年半における政治的殺害数は、(マルコス政権による)14年間の戒厳令下で犯された殺害1500人のほぼ半数になる。これに、拉致失踪(forcible disappearance)175人を加えると、もっと悪い記録になる。このような人間性に反する忌まわしい犯罪の横行を特徴づけているのは、それが無処罰で行われていることである。
しかも、これがアロヨ政権の人権侵害の現状を物語る記録のすべてではない。現体制は、人々の市民的自由や政治的権利への攻撃でも知られている。
国全体が、(2006年)2月の大統領宣言1017(PP1017 )により、「国家緊急事態」のもとに置かれた。アロヨ政府はたびたびメディアに対する威嚇を行ってきた。また政府は、人々の表現の自由を抑え込むために「事前対応政策(先制攻撃)」(calibrated preemptive responce--CPR)を強行した。また、異議を沈黙させるために、政府批判者、特にバヤン・ムナ(Bayan Muna─新人民党)やアナクパウィス(Anakpawis)やガブリエラ女性党(Gabliela Women's Party))などの公認政党に対し、令状なしの逮捕や捏造証拠による反乱の訴追を行った。アロヨはまた、大統領令(Executive Order 464)を出して、国家公務員や政府雇用者が国会による査察に関与することを妨害した。これらはみな、最高裁によって違法と宣告されたが、アロヨ政権は依然としてこの政策を維持している。
地方では、アロヨ政権とフィリピン政府軍(AFP)が軍政を敷いて、住民や共同体に対し無処罰の攻撃を加えており、地方政府は有名無実になっている。これらは、反乱鎮圧作戦という名目で行われ、アロヨ政権による「全面戦争」宣言に基づくものであるが、それは、現体制の革命を標榜しているフィリピン共産党-新人民軍−フィリピン民族民主戦線(CPP-NPA-NDFP)のようなグループに対してだけでなく、それらの「フロント組織」と目される戦闘的な民衆組織に対しても向けられたものである。
アロヨ政府に批判的なフィリピン民衆やその組織に対する政府の暴力的な攻撃は、以下のような背景で起こっている。
1. 半植民地的・半封建的フィリピン社会の深い社会・経済的危機。これは、現在の世
界秩序を覆う深い危機によっていっそう悪化させられている。
2. アロヨ政権が、米国の「対テロ戦争」に追随して地域にそれを適用していること。
3. アロヨ大統領を追いつめている、その地位の正当性への疑問の高まりによる政治的
危機。これはフィリピン社会を分極化させ、アロヨをマラカニアンから追放しよう
とする動きを定着させ、CPP-NPA-NDFPの力を強めている。
4. 米国とアロヨ政権が、CPP-NPA-NDFPやMNLF(モロ民族解放戦線)、MILF(モロ
・イスラム解放戦線)などの武装闘争を標榜するグループを撃ち破ろうとして自棄
的になっていること。
アロヨ政権の人権侵害記録は、(マルコス政権の)戒厳令崩壊以来最悪となっている。しかもそれがさらに悪化することが見込まれる。それは、アロヨ政府が国内の武力紛争を平和的な場で解決することを放棄し、CPP-NPA-NDFPに対する「全面戦争」を宣言して、国軍(AFP)の反乱鎮圧作戦の拡大に10億ペソ(約20億円)の追加予算を支出し、軍事的解決を選んだからである。CPP-NPA-NDFPを2年以内に撃ち破るというアロヨ政権の宣言と、国軍(AFP)による「オプラン・バンタイ・ラヤ」と名づけられた反乱鎮圧計画とは規を一にしている。
2 歴代政権の「軍事的解決」策 (p.3)
「オプラン・バンタイ・ラヤ(自由防衛作戦計画)」は、国軍による一連の反乱鎮圧作戦の内で最新のものである。
前独裁者マルコスは、戒厳令布告直後に、CPPとNPAの「芽を摘む」軍事作戦を展開した。それらはそれぞれ1968年と69年に確立されたものである。国が戒厳令下におかれ、人権侵害が累積したにもかかわらず、目的を実現できなかったマルコス体制は、1982年に「オプラン・カタタガン(持続作戦計画)」と名づけられた、より包括的かつ統括的な反乱鎮圧計画を展開して、CPP-NPA-NDFPの社会資源を中立化させ、破壊しようとした。それまでにも、マルコス独裁政権は絶望的なほど力に固執しており、他方で幅広い反独裁運動が勢いをつけ、CPP-NPA-NDFPが規模においても影響力においても大きく成長していた。マルコス独裁政権の最後の時期となった1982-85年には、人権侵害と国際人権法違反は最悪となった。戒厳令下の14年間で、12万人以上の個人が恣意的に逮捕拘留され、769人が行方不明となり、1500人が法的手続なしの処刑の犠牲となった。
国軍による反乱鎮圧計画は、独裁者マルコスの追放で終わったのではない。1987年に、アキノ政権は「オプラン・ランバット・ビタグ(網罠作戦計画)」によって「戦いの剣」を抜いた。「オプラン・ランバット・ビタグ」では、国軍は「低強度戦闘」(low intencity conflict--LIC)戦略をとった。これは、米軍の「代用戦争」(proxy war)とやり方が一致している。LICの重要な側面は、特に「市民軍地域部隊」(the Citizes' Armed Force Geographical Units--CAFGU)と呼ばれる疑似軍的民間集団や、「アルサ・マサ(Alsa Masa)」のような武装自警団を軍事作戦に利用したことである。強力な軍事作戦の後、CAFGUなどがNPAゲリラの戻ってくるのを防ぐ役目を担い、国軍はまた別の地域での軍事作戦を行った。
アキノ政権のもとで150万人前後の人々が、その共同体から強制的に立ち退かされた。同じ期間に拉致失踪が記録された数は最大810人に上る。暗殺班による人権弁護士や人権活動家の殺害もあった。NPAの同調者と疑われた人たちは武装自警団に殺された。犠牲者の首をはねることで知られた武装自警団もあった。これらは、一般人を威嚇する効果をもたらすために行われたが、今日ほど多数ではない。
フィデル・D・ラモス将軍は、アキノ政権の期間中、国軍参謀総長と国防相を務めたが、彼はさらに「オプラン・ランバット・ビタグ」の調整を行った。またその後、1992-98年の大統領在任期間中までに、「オプラン・ランバット・ビタグT、U、V、W」を実行した。これらの計画の特質は、反乱鎮圧への「包括的アプローチ」にある。この包括的アプローチにおいては、心理戦(psywar)に強調点がおかれる。このアプローチというのは、目標となる地域と人物を特定するための情報作戦と大規模な軍事作戦、そして特赦と降伏の機会の提供という二つのものの組み合わせである。ラモス政権のもとで、国軍はこの心理戦と情報作戦のため、「特別作戦チーム(Special Operation Team--SOT)」を作った。
他方、ラモス政権はフィリピン共和国政府(GRP)とCPP-NPA-NDFPの間での和平交渉の枠組みと実行を規定する合意に達した。
エストラダ政権は、1998年に「オプラン・マカバヤン(愛国作戦計画)」に、また2000年に「オプラン・バランガイ(ムラ作戦計画)」に着手した。この戦略は、大部隊を集中的に配備して強力かつ休みなしの軍事作戦を行うもので、国軍が新人民軍(NPA)やモロ・イスラム解放戦線(MILF)や、あるいはアブサヤフ(Abu Sayyaf Group--ASG)の根拠地だと見なした地域で用いられた。エストラダ政権は、アブサヤフやMILFに対して激しい軍事作戦を展開した。しかし、2001年にエストラダはピープル・パワーの蜂起で追放され、[副大統領だった]グロリア・マカパガル・アロヨがマラカニアン[大統領府]に入った。
3 「オプラン・バンタイ・ラヤ(自由防衛作戦計画)」 (p.4)
アロヨ政権は、「オプラン・バランガイ」を「オプラン・バンタイ・ラヤ」にとって替えた。これは、2002年1月に開始されたものである。国軍文書に書かれているとおり、「オプラン・バンタイ・ラヤ」の戦略目的は、「国家の発展のための平和と安全を達成し維持する目的で、反乱者の武装集団を決定的に撃破すること」にある。その中期的目標として国軍が設定しているのは次のことである。
* 国軍の常駐によりアブサヤフの復活を阻止すること
* 地域共産主義運動の影響を受けた地域を狭め、その兵力と武力を殺ぎ、
その政治・軍事的組織を破壊すること。
* 「南部フィリピン分離主義者グループ(spsgs)」の軍事力を低下させること。
その文書の中で国軍が明らかにしているように、「オプラン・バンタイ・ラヤ」で加えられた一つの大きな変更は、作戦の焦点をCPP-NPA-NDFPに当てることである。国軍は、7つの地方に13の優先地域を設定している。7つの地方とは、イロコス−コーディリエラ、中部ルソン、南タガログ、ビコル、ボホール(中部ビサヤ)、カラガ、コンポステラ渓谷(南ミンダナオ)である。
その他の変更として、国軍の地方司令部の間、また政府諸機関の間の協力を強化することや、「目標探索」に向けた情報作戦の見直しが含まれている。
「オプラン・バンタイ・ラヤ」は、米国の「対テロ戦争」にならってその枠組みが作られている。アロヨ政権は国軍に対する米国の軍事援助として、46億ドル(約5400億円)を受け取った。これに加えて「対テロ」訓練のために3000万ドル(約35億円)が供与されている。
「オプラン・バンタイ・ラヤ」は米国の軍事戦略のパターンを踏襲している。それは、敵と目した人々を「テロリスト」という悪魔的存在だと信じさせるプロパガンダを利用すること、重火器を用いた集中的な軍事作戦を実施して、敵だけでなく一般市民の中にいる支持者と疑われる人々をも「ショックを与え縮み上がらせる」こと、「テロリスト」と疑われた者たちに対する先制攻撃、引き渡し、誘拐、拷問、殺害などを実行すること、などを含んでいる。テロリストとされた集団や個人は、すべての権利を奪われるのである。
4 「オプラン・バンタイ・ラヤ」の特質 (p.5)
本質的には、「オプラン・バンタイ・ラヤ」もそれ以前の反乱鎮圧計画と同じである。
そこでは、軍事作戦は「掃討−保持−安定化−開発」の4段階に分けられる。軍事作戦は、まず、当該地域の反乱分子を「掃討」し、疑似軍集団と情報ネットワークを組織して地域を「保持」し、それから医療・歯科治療団派遣などの民生作戦を通して国軍と一般住民との関係を深めることによって地域を「安定化」し、生活プロジェクトや開発プロジェクトの導入によって地域を「開発」することである。
住民が社会的サービスや生活プロジェクトを提供される段階まで含まれているように見えるが、このような介入はごく一時的である。医療・歯科治療団派遣はその場だけのものに過ぎず、住民にが本来必要としているサービスが長期的に受けられるようになるのではない。
もっと悪いことに、軍事作戦は通常、鉱山、伐採地、農業関連企業や農園、土地争議などのある地域で行われる。そのため、「開発」の段階は先住民などを含む農民が自分の土地から立ち退かされ、提供される小規模の生活プロジェクトはすぐ潰れてしまうようなもので、結局より重い債務に落とし入れる。立ち退かされなかった人たちも、より劣悪な抑圧と搾取の状態に置かれる。農民や先住民が組織して自分たちの権利のために闘うと、彼らは反乱者と非難されて殺される。
軍事的方策としては、「オプラン・バンタイ・ラヤ」も同様の組み合わせで、集中的軍事作戦、情報活動、市民活動の3面作戦が行われる。軍事作戦はフィリピン国軍の正規部隊によって行われる。軍事作戦中に、農民組織や協同組合は常にNPAのプロジェクトと疑われ、攻撃目標にされる。農民リーダーや活動家は殺される。協同組合の店舗は荒らされ、壊される。農民たちの収穫や家禽などは、NPAの食料や補給に使われる恐れがあるとして没収される。
情報活動は、「フィリピン国軍情報サービス−軍事情報機関(ISAFP-MIG)」によって遂行される。市民活動と心理作戦は、「再訓練された特別作戦チーム(RSOT)」によって行われる。
5 「オプラン・バンタイ・ラヤ」の特殊性と人権侵害 (p.6)
国軍文書によれば、「オプラン・バンタイ・ラヤ」は、「戦略的全体的アプローチ」、「勝つ─保持する─勝つ」、「作戦持続」という3つの戦略を持っている。
「戦略的全体的アプローチ」というのは、国軍が政府諸機関の間の連携不足と考えるもの、すなわち、国軍と国家警察(PNP)とNGOなど社会的諸機関との間の連携不足への解決策である。理論的には、この戦略の目的は反乱鎮圧問題を包括的に取り上げることにある。
大統領がこの「戦略的全体的アプローチ」装置の頭となり、国軍と国家警察は軍事作戦と「地域連携センター」を担当する。このセンターは、国軍と国家警察の諸部隊や、地方自治体諸機関や、その地域のNGOなど他の分野の機関を連携させる。
表面的には、この戦略の目的は単に政府内部の連携と協力を強化することのように見える。しかし、より深く分析すると、この戦略は政府のすべてのプログラムだけでなく、市民社会の諸団体をも反乱鎮圧の枠組みの中に取り込むものであることがわかる。
反乱鎮圧作戦は、本質からして軍事作戦である。すべてを反乱鎮圧作戦の下に取り込むならば、政府のサービスや市民社会のプログラムは、すべてが軍事目的に奉仕するものに形を変える。これは、軍の地位と力を強める。従って国のレベルでは、内閣で最も力を持つ集団は「集団E」、すなわち国家の安全を担当する集団だということも驚くには当たらない。地方レベルでは、自治体当局が次第に決定権を奪われ、もし彼らが国軍の行動に疑問を投げかけたら軍の司令官に脅されることさえある。文民当局は事実上国軍の命令系統に従わされる。NGOや他の市民社会の団体でさえ、彼らの独立を放棄して国軍に協力することを余儀なくされる。さもなくば、「テロリストまたはそのフロント組織」というレッテルを貼られ、そのように扱われるリスクを負わなければならない。
このことが、正義を求める叫びや政治的殺害と人権侵害をやめろという叫びに、なぜアロヨ政府が耳を貸さないかを説明する。殺害に対する真の捜査が行われ、人権侵害者たちが処罰されることは、現在行われていないし、将来もないだろう。むしろ、人権侵害者と疑われている者たちが昇進させられている。たとえばホビト・パルパラン少将は、アロヨ政府と国軍によって、効果的な反乱鎮圧作戦を行ったと賞賛されているのである。政治的殺害に対する世論の要求に応えて「調査本部(Taskforce Usig)」が設けられたが、その役割は終始、これまでの捜査を追認することだった。それが調査活動に入る前から、殺害がNPAの粛正によるものだという政府と国軍の立場を反映していた。
優先地域を特定することが、「勝つ−保持する−勝つ」戦略と「作戦持続」戦略に付随している。優先地域は、軍の大規模配備と集中作戦行動のもとに置かれる。1500人の部隊がミンダナオから中部ルソン移動したのはこのためである。部隊の集中に続いて持続的な大規模作戦行動が行われる。作戦行動は、国軍がCPP-NPA-NDFPの「政治基盤」を破壊し終えたと評価するまで終わることはない。
その例はミンドロ島である。この島は、集中的かつ持続的な軍事作戦下におかれ、その結果政治的殺害やそのほかの人権侵害が多発した。国軍がこの島は充分集中攻撃にさらされ、すべての政治的民衆的組織が破壊されたと考えたとき、部隊と作戦行動は[対岸の]バタンガスに移動した。
6 「オプラン・バンタイ・ラヤ」と政治的殺害 (p.7)
[マルコス政権の]「オプラン・カタタガン(持続作戦計画)」以来、軍事作戦の目的はCPP-NPA-NDFPの政治的基盤を破壊することだった。しかし、「オプラン・バンタイ・ラヤ」では、CPP-NPA-NDFPの政治的基盤とは、「各分野のフロント組織」のことだと考えられている。
国軍の文書には次のように書かれている。
「フィリピン共産党(CPP)のプログラムは、革命を進める力となるさまざまな分 野で遂行されている。それは、CPPの異なった各分野のフロント組織によって作 られ、遂行される。」
従って、同じ文書は「情報機関の配置(The Intelligence Task Allocation--ITA)はCPPのプログラムとそれに対応する「長期人民戦争(Protracted People's War--PPW)」の枠組みを中立化させることを強調するように修正されるべきである」とも言っている。軍の用語では、「中立化(neutralization)」とは殺すことである。
どういう団体が、国軍によって「各分野のフロント組織」と見なされ、「分野フロント組織攻撃命令」の対象とされるのだろうか。
国軍文書によれば、次のような団体である。
A. LCM-influenced(local communist movement-influenced─地域共産主義
運動の影響を受けている)団体──分野組織は、以下の要件の二つに該当して
いればLCMの影響を受けているものに分類される。
1) CPP/NPA/NDFとLCMの他の分肢によって創始されるか確立された
2) フィリピン共産党(CPP)の民族民主的地下大衆組織(national democratic
underdroud mass organization -- ndugmo)またはそれに対応する反動
主義者分肢の影響下にある
3) NDFの12項目行動プログラムか、他のLCM分肢の類似なプログラムを
採用している
4) 自分たちの属する分野の伝統的な利害を超えた問題が提起されている
多分野大衆行動に積極的に関与している
5) 大衆抗議行動において過激かつ暴力的な行動をとる
B. LCMに浸透されている団体──当該分野組織が次の指標の内二つを備えていれば、LCMに」浸透されているものに分類される。
1) LCMの影響を受けているものには分類されないが、党主導の活動に積極
に関与している
2) 組織の決定機関の中に、NDFの12項目行動プログラム、あるいは他のLCM
分肢のプログラムに同調するような計画やプログラムや行動をとらせる影響力
のある人物またグループが存在している
3) その目標、目的、政策や声明等が、LCMとつながっている政治路線と類似
または並行している
4)その活動が、LCMのそれと類似しているかそれを補完するものである
5) LCMの疑いをかけられている人物や組織と近い関係にある
こういうことだと、もし農民組織が真実の農地改革プログラムを求め、法改定に反対するデモに関与したら、分野フロント組織と見なされ、攻撃命令が適用される。同様に、教会を基盤とする人権擁護団体が、グロリア・マカパガル・アロヨの追放を求める大衆行動に参加したら、分野フロント組織として目をつけられることになる。
国軍の文書にはこう書かれている。
「『敵を知る』という[政府の]企図においては、CPP/NPA/NDFのプログラムが
達成すべき」 目標として提示されている。このことは、国内の反乱問題の
真の状況/実情に関し政府高官に知らせる際、尺度として利用されねばなら
ない。」
また、次のようなメモ含まれている。
「しかしながら、ここでは細心の注意が払われねばならない。というのは、この
仕事の対象や主体は、地方自治体や公衆一般だけでなく、政府自体によっても
正式に認められた組織だからである。」
さらにこれらの組織の指導者やメンバーが類別され、そこから戦闘命令が引き出される。類別といういうのは以下のようなものである。
A. 積極的に関与している人物──もしその人物が以下の特徴の二つに該当するなら、 彼/彼女は積極的に関与している者に分類される。
1) その集団の中で最大限の影響力を行使している。(『最大限の影響力』という
用語は、その人物がその組織の会長、議長、書記、書記長などの要職にあること、
方針決定機関に属していることをさす。)
2) 所属分野に関わる事項を超えた活動にたずさわっている。
3) lcm[地域共産主義運動]の資金活動に関与している。
4) 地下運動のために人を募集する活動に関与している。
5) 出席者を反政府活動に引き込むよう企画されたシンポジウム、ティーチ・イン
その他の活動に参与している。
B. 名前だけ関与している人物──もしその人物が以下の特徴のいずれかに該当 するなら、彼/彼女は名前だけ関与している人物に分類される。
1) 公表された合法的な大衆行動に積極的であるが、地下の政党活動には加わって
いない。
2) 活動が彼/彼女の属し、または代表する分野に限られている
これを見ると、「オプラン・バンタイ・ラヤ」の開始以来政治的殺害が増加した理由が分かる。また標的とされたのがバヤン・ムナのような政治的組織に属する人々だった理由もわかる。これらの政治組織は、そのプログラムの中に、土地改革や産業の民族化や民主的権利などのような愛国的かつ民主的な原理を含んでおり、アロヨを追放する運動に積極的に関与しているからである。
以下の表は政治的殺害の傾向を標示している。
表1 (Karapatan 調査による)
政治的殺害 2001--2006(6月現在))
| 年 | 人数 |
|---|---|
| 2001年 | 98 |
| 2002年 | 111 |
| 2003年 | 128 |
| 2004年 | 73 |
| 2005年 | 182 |
| 2006年(6月現在) | 104 |
| 合計 | 696 |
政治的殺害は、「オプラン・バンタイ・ラヤ」が
実施された2002年から100人を超え、
選挙のあった2004年だけを例外として、
以後年々増加している。
表2 2001年から2006年5月までの分野別殺害表
| 団体 | 人数 |
|---|---|
| KMU(5月1日運動)とその関係団体 | 59 |
| KMP(農民運動)とその地方組織 | 193 |
| Anakpawis 党員 | 21 |
| Bagong Alyansang Makabayan(新愛国同盟) | 5 |
| Karapatan(権利)とPCPR(教会人応答推進会) | 27 |
| Bayan Muna(新人民党) | 95 |
| Gabriela と関連地方組織 | 32 |
| Gabriela 女性党員 | 3 |
| フィリピン学生同盟とAnakbayan | 7 |
| Courage | 1 |
| KADAMAY | 3 |
国軍の優先軍事作戦地域は、政治的殺害の最大数を記録している。2003年と2004年の優先地域だった南タガログ地方は、2001年以来の殺害が148人でトップを占める。2005年9月、ホビト・パルパラン少将の赴任以後集中的な軍事作戦下に置かれた中部ルソンが第2位で120人の政治的殺害である。ビコルとダバオは、アロヨ政権と国軍によって優先地域に指定されたが、つい最近それぞれ84人と63人の政治的殺害を記録してそれに次いでいる。2005年2月から8月まで、パルパランのもとで集中的軍事作戦下におかれた東ビサヤでは、41人が殺されて第6位となった。同時に、東ビサヤでは31人という非常に多い数の拉致失踪を記録している。
「オプラン・バンタイ・ラヤ」の下での殺害のパターンは、ベトナムで米国が使ったフェニックス作戦と類似している。 マーク・ゼペザウアーはその著「CIAの大ヒット─その名はフェニックス」の中でこう言っている。
「それは単純素朴な暗殺作戦だった。その理念は、影響力のある人々、つまり、
市長や教師や医者や徴税員等々、南ベトナムで民族解放戦線(NLF)の政府機能
を果たす機関を援助する者はだれであれ殺してしまうことによって、NLFを動けなく
することだった。」
また、こうも言っている。
「多くの『容疑者』が拷問され、ある者は捜索中にヘリコプターの上から突き落とさ
れた。CIAのフェニックス作戦担当者だったウィリアム・コルビー(後に彼はCIA長官
になった)はこれらはすべて『軍事的必要』によるものだったと主張した。けれども、
彼は議会に対して、殺された2万人の内の何人がベトコンで、何人が『忠実な』ベト
ナム人だったかはわからないと認めている。
法務長官ラウル・ゴンザレスの述べたところによれば、共産主義反乱者との総力
戦では、民間人の生命が失われることも避けられないという。また、『巻き添えの損
害を避けることはできない。……時には爆撃が行われ、民間人がケガをすることも
あるだろう』とも言う。それが『軍事的必要』だと言うのと同じ意味であることは明白
である。」
しかし、国内の武力紛争に米国が関与するのは単なる偶然ではない。米国の特殊部隊がずっと国内に居続けてきた。また、共同軍事訓練や対テロ訓練という名目で、集中的な軍事作戦が行われる地域には、米軍人の姿が見られた。ベトナム戦への関与と同様、当初、米軍は助言的役割を担う。しかし、2006年3月24日の合意により、『テロのような非伝統的な安全問題』のための安全活動委員会(Security Engagement Board)が設けられ、反乱鎮圧作戦へのより直接的な米軍の役割が、より多く可能になりつつある。
7 「オプラン・バンタイ・ラヤ」と国内法、憲法、国際人権法 (p.11)
「オプラン・バンタイ・ラヤ」は、1987年フィリピン憲法のいくつかの条項や、市民的政治的権利に関する国際規約[自由権規約]や、フィリピン政府とフィリピン民族民主戦線(NDFP)との間で締結された「人権と国際人権基準の尊重に関する包括的合意」(CARHRIHL)に違反している。
「オプラン・バンタイ・ラヤ」は1987年憲法第3条の権利条項にまったく反している。そこでは次のように定められている。
第1項 何人も法に基づく適正な手続なしに生命、自由財産を奪われてはならず、また、
何人も法による平等の保護を否定されない。
第2項 人民がみずからの身柄、住居、文書、資産を、いかなる性質のものであれ、
またいかなる目的によるものであれ、不当な捜索や押収から守る権利は不可侵
であり、いかなる捜索令状または逮捕令状も、裁判官により、原告の証言または
その提供する証人の証言を宣誓のもとで審査した後、捜索されるべき場所、及び
逮捕されるべき人または押収されるべき物件を特定して記したものでなければ
発行されない。
「オプラン・バンタイ・ラヤ」が違反している自由権規約の条項は、例えば次のものである。
第1条 すべての人民は、自決の権利を有する。この権利に基づき、すべての人民は、その政治的
地位を自由に決定し並びにその経済的及び文化的発展を自由に追求する。
第3部
第6条 すべての人間は、生命に対する固有の権利を有する。この権利は法律によって保護される。
何人も、恣意的にその生命を奪われない。
第7条 何人も、拷問又は残虐な、非人道的な若しくは品位を傷つける取扱い若しくは刑罰を受け
ない。特に、何人も、その自由な同意なしに医学的又は科学的実験を受けない。
CARHRIHLに関して言えば、「オプラン・バンタイ・ラヤ」は次の条項にまったく反している。
第2条
1. フィリピン国民の自決の権利。これに基づき、人民は完全かつ自由にその政治的地位を決定し、
その経済的社会的及び文化的発展を追求し、その自然の豊かさと資源を自らの福祉と利益の
ため自由に用いて真正な民族の独立、民主主義、社会正義と発展を追求する。
2. 正しく、かつ民主的で平和な社会を確立し、過去の独裁政権と類似する圧迫と虐政からの実効
的な保護を受け、それに反対するための、人民の固有にして奪うことの出来ない生命への権利。
3. 命への権利、特に即決処刑(サルベージ)、自分の意志でない失踪、共同体に対す虐殺と無差別
砲爆撃を受けない権利。また、人身への暴力を扇動する宣伝の対象とされない権利。
第4部 国際人権基準の尊重
第3条 次の行為は、前条(第3条)に列記された人々に関し、いつ、どこであっても現在並びに将来に
わたって禁止される。
1. 生命と人身に対する暴力、特に殺害や傷害、身体的または精神的拷問、切断、体罰、残虐なある
いは尊厳を傷つける取扱い、及び人質を含むあらゆる暴力と報復行為、身体的福利、尊厳、
政治的信念その他の人権を侵す行為。
2. 何人をも、その犯していない行為に対して責任を問うこと、および何人をも適正手続に必須な
要件を満たすことなしに処罰すること。
3. 自由を拘束されている者に、武力紛争に関連して本人性の証明以外の情報を要求すること。
4. 民間人の強制立ち退き、あるいは強制集結を引き起こしたり許容したりする行為。ただし、民間人
の安全または避けられない軍事的理由から必要とされる場合を除く。国内難民となる家族や
共同体を発生させあるいは増加させること。民間人の生命と財産を破壊すること。
5. 疑似軍集団を持ち、支援し、許容すること。疑似軍集団とは、熱狂的宗教的武装集団、武装自警
団、実業家や地主や政治家が保持する武装集団、土地紛争や労働争議の際に利用される私的
警備機関などを指す。
第4条 国際人権基準の原理と原則は、以下にあげるような事例あるいは状況に関係し、あるいは
その影響を受けるすべての人や実体に適用される。
1. 国際赤十字のような人道的かつ/または医療の団体を含む中立的人物あるいは実体は保護
され尊重されなければならない。これらの人物、実体及び団体の施設、設備、交通手段及び装備、
赤十字の標識あるいは平和的意図の旗を掲げているもの、歴史的記念碑、文化的対象物、及び
礼拝の場所もまた、同様に保護されなければならない。
2. 民間人と市民はそれにふさわしく扱われ、戦闘員と区別されなければならない。この人々はその
財産ともども、攻撃の対象とされてはならない。同様にこの人々は、地域無差別爆撃、戦闘、砲撃、
迫撃砲攻撃、放火、ブルドーザー使用等、生活と財産の破壊から保護される。また、爆発物の使用
と近隣での貯蔵、化学兵器及び生物化学兵器の使用から保護される。
要するに、「オプラン・バンタイ・ラヤ」はフィリピンにおける正義のシステムを無に帰せしめる。それは、適正手続への権利をまったく無視しているのである。「オプラン・バンタイ・ラヤ」では、文民統制機関は国軍の力に屈服させられている。
8 「オプラン・バンタイ・ラヤ」と人権状況
「オプラン・バンタイ・ラヤ」が実施されて以来3年半の間に、多数の人権侵害の事例が発生している。以下に掲げる第3表は、2001年から2006年5月31日までの人権侵害の事例数を示したものである。
| 侵害 | 事例数 |
|---|---|
| 殺害 | 607 |
| 殺害未遂 | 334 |
| 拉致失踪 | 149 |
| 拷問 | 312 |
| 強制立ち退き | 76,971 |
| 6月30日現在ではすでに696件の政治的殺害が起こっているが、 この表では5月30日現在でそろえるため、まだ607件となっている。 |
2006年2月1日、夜の8時から9時の間に、亡くなった子どもの通夜の最中、長い銃を持って制服を着け、顔をスキー帽で隠した12人の男が、コンチン・ヴァルモキナ−タマヨの所有するCVタマヨ農場の壁をよじ登った。
農場の中に入ると、武装した男たちは3人の農場労働者、つまり、マイケル・ミラナイとメルコア・カーディナルとマヌエル・アヴィラに近づいた。メルコアの妊娠9ヶ月の妻メラニー・カーディナルもそのときいっしょにいた。3人の労働者は、武装した男たちから、彼らの銃と携帯電話を渡すよう求められた。3人が銃は持っていないと言うと、彼らはNPAの支持者だと非難され、殴られた。3人の労働者は殴られて意識を失った。マイケルとマヌエルは、倒れたとき撃たれた。メルコアはメラニーから離れたところに運んで行かれ、そのあと撃たれた。メルコアは全身に15箇所の銃創があり、そのほかにも全身に傷を負っていた。その中には、右の頬から顎にかけて深い切り傷と左目をまたぐ傷があった。彼の片方の手は、ライフルの銃床で叩かれた上、砕かれていた。マイケルとマヌエルもそれぞれ4発から5発撃ち込まれていた。
武装した男たちはその後でヴァルモキナの家に入った。そこで農場主の兄弟のリカルド・ヴァルモキナと、その孫のロエル・ジョゼフ・ヴァルモキナに出会った。ロエルは何が起こっているのか見ようと部屋を出たところだった。二人ともその場で撃たれた。武装した男たちは部屋に入って、11万ペソ相当の宝石と現金を奪って出て行った。彼らが出ようとしていたとき、彼らはさっき殺されたリカルドの息子のリカルド・ヴァルモキナ・ジュニアともう一人の農場労働者ロビン・ソラノと遭遇した。彼らは家の中を調べるためにきたところだった。武装した男たちは、二人を捕らえて、農場のメインゲイトから錠を壊して出て行った。武装した男たちと捕虜たちは、三菱アドベンチャーと公用ジープを逃走車として使って去った。
この農場は、第24歩兵部隊の駐屯地からわずか250メートルのところにある。武装した男たちと捕虜たちは、CVタマヨ農場から100メートルの所にあるフィリピン陸軍の検問所を通らねばならなかった。次の日に、侵入者はNPAゲリラだったという軍の正式発表が行われた。
これは、民間人が軍によって残虐に殺されるほんの一例に過ぎない。
同様に、革新的な合法組織のリーダーやメンバーが標的とされる。カラパタンの資料によれば、アロヨ政権下における殺害数は、戒厳令以後最悪となっている。
9 殺害と「オプラン・バンタイ・ラヤ」を止めるために
フィリピン民衆は、殺害と「オプラン・バンタイ・ラヤ」を止めるためにあらゆる努力をしなければならない。
今民衆が享受している権利は、闘いの結果であり、一致した行動の実りである。このことは、歴史が教えている。
差し迫った経済的政治的危機の時代にあっては、民衆の不安が増大し、その権利を獲得しようとする運動が力を得る。そしてそれはいつも、反民衆的な政府の弾圧と暴力に出会う。
弾圧と暴力は、公衆の強い支持の現れではない。それは、反民衆的で非民主的なな政府が、増大する民衆の運動を押さえ込み、自分たちの権力を存続させようとする絶望的な試みである。
民衆の権利を保障する道は、フィリピン民衆の中に根を下ろした幅広い組織的な闘い以外にない。
では、われわれがいっしょにやれることは何だろうか。
・「オプラン・バンタイ・ラヤ」に反対し人権を守る討論やフォーラムや
大衆行動に参加しよう。
・市民的自由と人権を守り推進する同盟や団体に加入しよう。
個々人ができることは何だろうか。
・「オプラン・バンタイ・ラヤ」がいったいどんなもので、いかに民衆の権利を侵害
しているかを、親戚や友人や隣人に説明しよう。
・「オプラン・バンタイ・ラヤ」についてまた人権状況について学ぶフォーラムや
討論会を計画して開こう。
・大統領府、国防省、国家情報局などの政府機関に、また自治体の責任者や
国会議員、上院議員、人権委員会、法務省などに抗議の手紙を書こう。
・さまざまな新聞の編集者に手紙を書き、またラジオやテレビ局に電話をして、
「オプラン・バンタイ・ラヤ」への抗議と、市民的自由や政治的権利の侵害に
対する抗議を伝えよう。
・海外にいる親戚や友人に手紙を書き、「オプラン・バンタイ・ラヤ」に抗議し、
また市民的自由と政治的権利の侵害に抗議するよう勧めよう。それによって、
アロヨ政権に対する国際的な圧力を強め、「オプラン・バンタイ・ラヤ」と政治的
殺害をやめて人権を尊重するようにし向けよう。
・親戚や友人や隣人に、フォーラムや討論会や抗議行動に参加し、また民衆の権利を
守り推進する同盟や団体に参加するよう勧めよう。
・毎月第3土曜に、カラパタンと正義と平和のためのエキュメニカル運動の後援で開か
れる、犠牲者の親戚や友人たちの活動を支援しよう。
原文 Primer on Oplan Bantay Laya
Prepared by Ecumenical Movement for Justice and Peace (2006年配布資料)
(見出しは原文を尊重しつつ、訳者が手を入れた)