「見ればわかるか。」 細馬宏通


 パノラマといい立体写真といい浮絵といい、わたしが没頭する愉しみはどうもことばにしにくい。こんなときのために、「百聞は一見にしかず」とか「見ればわかる」といった便利な言い回しがある。そこでわたしも「見ればわかる!」と豪語したいところなのだが、困ったことに、これらの愉しみは「見ればわかる」というものでもない。
 
 先日、スイスの有名なパノラマ館を訪れたとき、受付の女性が嘆いてた。「この前団体で来た日本人がね、5分しか見ないのよ。次のスケジュールがあるからって。ほんとに見たの?って聞いたら添乗員が『全部見た』って言うの。『全部』って何を見たのかしら?」
 じつを言えば、パノラマを5分で「全部」見ることは、いちおう可能ではある。19世紀にできたパノラマ館には、くねくねと順路があるわけも、何枚もの作品があるわけでもない。巨大な一枚の絵が観客の周囲360度に描かれていて、それを中央の直径10メートルほどのプラットフォームから見るだけだ。早足なら一周2,3分、ときどき立ち止まっては見渡して5分もあればとりあえず見たことにはなる。じっさい、このような見方をして、落胆したように足早に去っていく人々を、わたしも何度かみかけたことがある。
 
 じつにもったいない。
 
 パノラマを5分で見る。まるで漏斗をのどにつっこんでワインを一気飲みするようなものだ。このような見方では、絵がほんものそっくりに描かれていること、360度継ぎ目がないことはわかっても、パノラマの持つ遠近の魔法に触れることはけしてできない。そして、パノラマの真の愉しみは、この遠近感にある。
 人が、馬が、家並みが、次々とこちらに剥がれ落ちてくる。遠い山々がますます遠ざかる。パノラマの遠近感は、とても絵だとは信じられないほどなのだが、それを感じるには少しばかりコツがいる。
 むずかしいコツではない。それは「気になる部分をじっと見る」というものだ。すぐれたパノラマでは、人が目を止めやすい場所に遠近を感じさせる勘どころが仕組んであるから、誰かに教わらずともひとりでに遠近が感じられるようになる。
 ただし、これには少し時間がかかる。運良くパノラマ館に行く機会のある方は、少なくとも20分はそこにとどまっていただきたい。いったん遠近感を生じさせるコツが分かれば、20分どころか1時間でも2時間でもとどまって飽きることはないはずだ。

 ことはパノラマに限ったことではない。浮絵、立体写真、透かし絵、これらを愉しむには、少しばかり時間がかかる。時間をかけた後、魔法がかかったように新しい感覚が生じていくときのヨロコビはまたひとしおである。
 遠近感、とは、単に遠近が見えるという結果を指すのではない。一枚の平面からドミノ倒しのように遠近が生じていく、その時間にある。
 現代のメディアのほとんどは、時間をかけることなく一気に見られること、一気に理解されることを目指している。遠近のメディアは、こうしたメディアとは正反対のものだ。そこでは、ゆっくりと時間をかけて、なにものかが徐々に現れる。遠近の生じる、長い黄昏のような時間を取り戻すこと。そのために、わたしたちは少しばかりトレーニングを必要としている。



2003. Nov.
藤本由紀夫「遠/近『見ること』のトレーニング」新聞 (枚方御殿山美術センターで配布)に掲載


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