複数の図像が織りなす夢

−ステレオ写真史と映像史−


細馬宏通(京都大学理学部動物学教室)


●はじめに

 1991年ごろから、アマチュアの立場としてステレオグラムを作ったりステレオグラム作成用ソフトウェアを開発してきたのだが、その間、ステレオグッズを買い込んだりステレオ写真史をあれこれ調べたりするうちに、どうも自分がある奇妙な感覚の周辺をうろついていることに気がついた。それは二枚のステレオ図像がぴったりと奥行きを構成するに到らないときの、ある微妙な感覚だ。

 この小文では、1993年のステレオグラムブームで見られがちだった、単なる「飛び出す」ツールとしてのステレオグラムではなく、奥行き感覚からはぐれていく、ある微細な感覚を発見するためのツールとしてのステレオグラムの可能性を論じておこう。

 なお、この件については「ステレオ −感覚のメディア史−(ペヨトル工房)」「知覚の騒乱(イメージフォーラム1993/9)」「グミ脳 VOL. 3(月刊GURU)」などにも関連記事を書いているので合わせて参照していただければ幸いである。

●ステレオヴュワーの発明と両眼視

 ステレオグラムの歴史は19世紀イギリスに遡る。1838年にホィートストンが「立体鏡」の発表とともに両眼視現象を記述したのが最初だということになっている。
 ホィートストンのみが両眼視の発見者であるかどうかについては諸説がある。彼以前にも、両眼に映る像が違うことはダ・ヴィンチをはじめ、古来から指摘されてきたし、両眼の像を融合させる仕組みについては、デカルトなどが興味深い考察をしている。「左右異像」と「融合」というできごとをうまく目に見える形にまとめ、「ステレオグラム」というプレゼンテーションを行ったのがホィートストンということになる。

 ところで、ホィートストンの著した論文を子細に検討すると、単に両眼「立体」視にとどまらず、両眼をめぐるさまざまな現象が記載されているのがわかる。彼は、立体鏡に通常のステレオグラムを差し込むだけでなく、左右に全く違う板を差し込むことで、より広範な両眼視現象を体験したのだ。

●さまざまな両眼視現象

 たとえば図2に示すのはそのひとつ。アルファベットのSとAを左右別々に見るという、通常の体験では得られない両眼視を行うとどのような感覚が体験できるか。「ついいましがた見えていた文字がばらばらになり、もう片方の文字がそこにまじったように見えたかと思うや、すぐに取って代わってしまう」といった具合だ。彼はこの他にも色の異なる板を差し込むなどして、両眼の像が激しく交代する様子を観察している。(ちなみに、こうした激しい交代は現在では「視野闘争」と呼ばれている)。

 おもしろいことに、ステレオヴューワーの発明後、あちこちでこうした両眼をめぐる立体感以外の感覚が模索されている。ヴューワーは、単に両眼立体視を可能にしただけでなく、左右の眼に別々の像を見せることを可能にしたのだ。

 はじめは、たとえばアクシデントだった。初期のステレオ写真は、同時に左右の写真を撮るのではなく、一台の写真機によって二回に分けて左右の写真を撮影した。当時は撮影時間がいまよりも長く、この二回の間に被写体が動いたり、オブジェが動いてしまうことも多かった。こうした写真をヴューワーに入れてみると、その部分だけ、奥行きがあやふやな、ときにはブレたような奇妙な像に見える。
 これはステレオ写真としては失敗作だ。しかし、ステレオヴューワーの発明者であるブルースターは、単なる失敗としてではなく、むしろ異なる時間を両眼によって感じさせる現象としてこうした写真を記載しており(1856年「ステレオスコープ」)、この現象を利用すれば、動画的表現が可能なのではないか、と示唆している。
 ちなみに、ブルースターは、ホィートストンと同時期に両眼視現象に興味を持ちさまざまな論文を著している人物で、彼のヴューワーは立体鏡よりも取り扱いが簡単なものだった。この発明が19世紀中期の一大ステレオ写真ブームを巻き起こすことになったのだが、それはさておき。

 同じころ、フランスでは、ステレオカードの演出という行為を通して、両眼視をめぐる感覚が追求されている。「ティッシュカード」と呼ばれるカードでは、薄い鶏卵紙に印画されたステレオ写真に、針で穴を開けたり、裏から彩色をするなどして、写真の中に奥行き感以外のさまざまな演出をほどこしたのだ。この際、左右のカードに対して、片方だけに穴を開ける、彩色の位置を微妙に変えるといった工夫がなされ、ヴューワーから覗く世界には、視野闘争によるきらめきや、左右の不一致による透明性がもちこまれた。

 また、より左右の差を強調するために、テキストを用いたステレオグラムも19世紀半ばに使われている。これもフランスでつくられたもので、左右のテキストのあちこちをちぐはぐに抜き去ることによって、左だけでも右だけでも読むことができないステレオグラム暗号のような仕掛けがほどこされている。

 さらに、こうした創意工夫はアマチュアによってもなされていた記録がある。表情研究者としても著名だった進化論者ダーウィンの下に、同じ方向を向いた二人の女性の顔を立体鏡にかけると、二人よりも美人に見える、という報告がアマチュアから寄せられている。はたして美人に見えるかどうか微妙なところだが、興味のある方は手近な写真で裸眼立体視を試してみられるとよい。

●差異の強調

 さて、ステレオ写真史に登場する、これらの奇妙な試みはなぜ行われたのか。その真相は定かではないが、ひとつの推測を書き留めておこう。

 ホィートストンが最初に記述したステレオグラムはシンプルなワイヤーフレームだった。どの図形もやや両眼視差がかなりきつめにとってあり、そのおかげで左右の図像の差が強調され、いかにも左右異像が融合することが納得できた。しかし、その後すぐに登場したステレオ写真では、両眼視差はあくまで肉眼の両眼視差に近く設定されることが多かった。この場合、左右像の差異はごくわずかなものになる。ステレオ写真カードを見るとわかるが、うっかりすると、まったく同じ絵が並んでいるように見えるほどだ。事実、左右の異なる写真が入るべきところにうっかり全く同じ写真を貼り込んでしまう「ステレオ誤植」はこの頃から見られ、現在のステレオ写真集にもときおり見かける。
 こうした事情は、好奇心の強い人々にはおそらく物足りなく感じられたのではないだろうか。同じような二枚の写真が並んだカードからは、二つの像が一つに見える秘密は嗅ぎとりにくい。あからさまに異なる二つの像が一つになってこそ、脳の働きの不思議さに思いがいたるというものだ。単に立体に見えるということでは飽きたらなくなった人々が、左右の異なる像が一つに見えるということを強調すべく、さまざまな左右異像の試みを行ったのではないかとぼくは考えている。

●両眼視現象の再評価

 こうした一見、周縁的な(?)両眼視現象は、最近の視覚心理学で改めて見直されつつある。というのは、左右の網膜像の情報処理を考える上でヒントとなるのは、奥行きが理屈通りはっきり見える現象よりも、むしろ理屈の上では左右の像が矛盾してしまうような現象だからだ。両眼視差のみで奥行き情報が構成できないときにこそ、両眼の処理を補うためのさまざまなモジュールの働きが露わになり、わたしたちの脳が、両眼の情報にどのような拘束条件をほどこしているか明らかになっていく。こうしたアプローチについては「知覚の機序(鳥居修晃・立花政夫共編/培風館)」の10章などを読まれることをおすすめする。
 
 ホィートストン自身は、こうした脳内過程の探求に対してはさほど熱心に取り組んでいたわけではない。彼は立体鏡以外にも、左右の像をプリズムで逆転させる眼鏡などを考案しているのだが、その論文の内容は、ひたすら眼鏡のフォーマットと、そこから見える奇妙な世界の記述に終始している。彼には、むしろデバイスの開発者としての才能があったのかもしれない。
 しかし、彼がさまざまなステレオ用器具を開発したことは過小評価されてはならないだろう。これまでに述べた「立体感」以外の両眼視感覚の探求は、「ヴュワー」というデバイスの発明を機に噴出していることに注意しておこう。ホィートストンは、両眼視のためのデバイスを開発したが、彼の興味は両眼「立体」視のみならず、より広範な両眼視感覚に向かって開いていた。そして彼以後も、左右の像から一つの奥行き感を得ようとするだけでなく、逆に左右の像の非相同性を強調していく形で、微妙な両眼視感覚がステレオカードにおいて追求された。こうした感覚は現在では、視覚情報処理を探索するためのツールとして、アカデミックな場でのみ知られているが、当時はむしろ非アカデミックな場所での楽しみだった。日常体験で意識されない微細な感覚は、ステレオカードというメディアにのってあちこちに流布していったのだ。

●複数の図像が産み出す夢

 ところで、ステレオ写真史と映画前史はさまざまな点で交錯している。
 映画前史において決定的な役割を果たしたマイブリッジが、じつはステレオ写真家でもあったことは、交錯点のひとつとして記憶にとどめておいてもいいだろう。彼が12台のカメラを並べて有名な馬の写真を撮ったのは1878年のことだが、その約10年前から、彼はヨセミテ渓谷の観光写真や、サンフランシスコ地震の光景などをステレオで撮影していたのだ。ちなみに彼のステレオ写真作品のほとんどは、連続写真の発表前に集中している。

 マイブリッジが、ステレオ写真と連続写真のあいだにどのような関連性を見出していたのかについては、じつはまだ調べるべきことがあるのだが、彼の意図はおくとして、ここではひとまず、その連続写真の特質を、ステレオ写真の異像性探求と結びつけておきたい。
 当時、すでにアルブミン印画による写真技術ができあがっており、ステレオヴュワーも、二枚の写真を一枚のカードにあつらえて見る方式になっていた。マイブリッジのステレオ写真作品は、こうしたカードの形で残っている。左右の写真の差は先に述べたように、あくまで肉眼の両眼視差とほぼ同じ、つまりはごくわずかなもので、ヴューワーを通して(あるいは裸眼立体視をすることで)一つの像に融合したとき、初めてその差異が奥行きとして認識できる。
 一方、連続写真は、あからさまに「不連続」だった。馬の脚は一コマごとに異なるポーズをとっており、むしろこのような不連続性から動きが再構成できるかどうかが議論の的となった。マイブリッジは自らこれらの写真を動かす装置をプレゼンテーションしたおかげで問題を解決したわけだが、これはいわばアリバイ作りのようなものであって、問題は、その後も彼の作品は、映画のフィルムとしてよりも、むしろ12枚の組み写真として鑑賞され続けているということだ。つまり、わたしたちは彼の連続写真の「不連続性」こそを鑑賞しており、隣り合う写真のつじつまの合わなさを前に、動きを夢想したり、あるいは動きを拒まれているような妙な感覚を受け続けている。
 異像性の少ないステレオ写真から、異像性の大きい連続写真へ。ここにもなにやら、図像の差異の強調が見てとれる。

 ちなみに、マイブリッジが連続写真で著名となってから、彼はフランスのエチエンヌ・マレイの家に招かれた。このときの討論にはヘルムホルツが同席している。言うまでもなく、マレイは写真銃などによって連続写真を動きの解析ツールとして発展させた人物であり、心理物理学者であり哲学者でもあったヘルムホルツは、両眼の情報を統合する「一つ眼の巨人」の概念を提唱した人物である。19世紀末にはこのようにして、異像性をめぐる国際交流が起こっていたのだ。

●非仮現運動と映画史

 では翻って、ステレオ写真が発明された19世紀前〜中期には、映画前史には何が起こっていただろうか? ヴェルナー・ネケスの映画「フィルム・ビフォア・フィルム(フィルムとフィルムの間には何があるか?)」で俯瞰されているように、この時代は、複数の絵を交代させるさまざまなデバイス=玩具によって、「映画」を夢見る時代でもあった。
 ここで言う「映画」とは、単に時間的に連続する複数のシーンを並べて、そこからなめらかな動きを引き出すことではない。
 ソーマトロープやゾートロープは、しばしば映画のプロトタイプとして語られる。しかしその魅力は、単に動きを産むことにあるのではない。これらはいずれも、使い手によって回転速度を変化させる玩具だということに注意しよう。運動がなめらかになりきらない、動きとも動きでないともつかない一瞬の微妙な感覚を、見る者は必ず体験することになる。今日の再生スピード一定の映画やビデオとはこの点で異なる。
 残像にも仮現現象にも至らないこの感覚は、一度気づけば、スピードを緩めることで何度でも味わえる。複数の限られた図像の交代を緩やかに繰り返して見せる「フィルム・ビフォア・フィルム」のフェティッシュな手つきは、こうした感覚への誘いとも受け取ることができる。

 複数の図像の差異から新たな次元の感覚を取り出す。ステレオ写真史と映画前史は共に、いわば19世紀の「差異の次元の夢」を見ていたといえる。しかし、それが即、奥行きや運動、すなわち、現在のステレオ写真、映画に結びつくわけではない。それはあくまで、現在のわたしたちから眺めた結果論である。むしろ、これまで見てきたように、19世紀に行われたさまざまな試みの中のごく一部が肥大したものとして、現在のステレオ写真、映画があると考えるべきではないだろうか。

●感覚の可能性

 少なくとも映画に関しては、さまざまな著作や映画によって、映画前史のはらんでいた可能性が再評価されてきている(たとえば小松弘「起源の映画/青土社」)。しかし一方で、ステレオ写真史に関しては、こうした動きはごくわずかである。これは、ステレオ写真という文化が、映画のようにコンスタントに続いてきたものでなく、30-40年周期で断続的に繰り返されるブームによってその都度注目されてきたという点に原因があるのかもしれない。
 写真術とほぼ同じ長さの歴史を持ち、複数の図像をめぐる夢という魅力的なテーマを持つ「ステレオ写真史」という分野は、もっと探求されてもいいのではないかと思っている。

 ともあれ、19世紀において複数の図像をめぐる観察が育んだ夢、20世紀末のわたしたちが触れることなく忘れ去っている夢について、今後も感覚の触手を延ばしていきたい。

(1994. 4. 「シュトゥルム」掲載)



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