脳内園芸講座


 バーチャルボーイ脳を植えよう!

 初めてバーチャルボーイをのぞいたときの感激ったらなかった。あの赤くてしまりのいい画面を見てぼくは、涙が出そうになった。真っ暗な世界に浮かぶキュートなオブジェ、ビコビコサウンド。なんて新しい、そしてなんて歴然とゲームなんだ!

 ところが。発売以来、巷のバーチャルボーイ評は必ずしもかんばしくない。
 「バーチャルかと思ったらなんかしょぼくて・・・」「ボーイっていうからゲームボーイみたいなのかと思ったら、持ち運びにくくて・・・」「リアルかと思ったらあんまりぐっとこなくて・・・」あげくの果てに、やれ実売価格が半額になったのチープなガジェットだのと妙な持ち上げ方をされたりする。なんてこった。

 新しいゲームを認めるには新しい脳が要る。世の中には、「バーチャルボーイ脳」が頭に生えている人と生えていない人がいる、とぼくは考える。このマシンの良さを実感し、このマシンについて語るためには、「バーチャルボーイ脳」が必要なのだ。
 目の前のゲームが楽しめない。どうすればよいか。ゲームを改造する? それも一手だ。だが、ゲームをプレイする脳の方を変えてやるのが、もっと早道じゃないか?
 というわけでこれは5つの簡単なポイントをおさえるだけで、いつのまにか頭の中にバーチャルボーイ脳が生えてくるという、暮らしの園芸企画。題して「脳内園芸講座 − バーチャルボーイ脳を植えよう!」ではさっそく本題に移ろう。

1 :「バーチャルボーイはバーチャルでもボーイでもない」
 まず、「バーチャル」にこだわるのを止めよう。きみは、画面がぶよぶよ凹凸する総天然色モニターや、そこに身体半分つっこんでる自分や、なれなれしく話しかけてくるコンピューター界のポリゴン住人を妄想してはいないか。むやみな夢からは不毛な失望しか産まれない。
 「ボーイ」にこだわるのもよそう。バーチャルボーイはゲームボーイではない。バスや電車でプレイするのはあきらめろ。どうせフードに顔を当てれば外は見えない。部屋でプレイしながら「エッフェル塔よー」とか「ボルネオだージャングルだー」などと好きな場所でやってるつもりになればよろしい。
 とにかく、バーチャルボーイにバーチャルやボーイを求めるな。それはインドエステにインドを求めるようなものだ。もちろんエステは求めてもよい。

2:「単眼でも物は飛び出して見える。」

 きみはたぶん、ふだん両眼を使って世界を見ているだろう。では、片目をつぶったら、世界は即、ぺらぺらの二次元になるか? そんなことはないはずだ。
 単眼でもこの世はいろいろ飛び出したり引っ込んだり見える。どういろいろかといえば

●向こうが物陰に隠れる
●影がかかる
●遠いものは小さく、近いものは大きく見える
●テクスチャーが濃かったり薄かったりする
●近いものは速く、遠いものはゆっくり動くように見える

 ほかにもいろいろなのだが、とりあえずこんなもんだろう。よく、ステレオグラムでもなんでもないCGを「3Dグラフィックス」と呼ぶことがあるが、これは間違っているわけではなくて、単眼で飛び出して見える工夫を盛り込んでいるから「3D」と呼ぶのだ。

3 :「《ステレオ=両眼の3D》と《単眼の3D》を区別せよ。」
 ふだんの生活でも、世界はいろいろに飛び出して見える。これは両眼の3D(ステレオ)と単眼の3Dが渾然一体となって飛び出して見えるのだ。
 しかし、二つは分けることができる。それが何を隠そう、一昨年流行した「ランダムドットステレオグラム」だ。あれが気持ちよかった人は、純粋に両眼でだけ見える3Dの気持ち良さをわかっているはず、もう「バーチャルボーイ脳」の発芽は目の前だ。あれがただのクイズだと思ってた人は、大切ななにかを置き忘れて来たのかもしれない。急いで取りに戻ろう。

4 :「バーチャルボーイは、ステレオをフィーチャーした玩具である」

 バーチャルボーイを見て「なんかぐりぐりこないなあ」「なーんだ、カラーでないのか」といった不満を言う人がいる。
 おそらくポリゴンの数が山ほどあるCGや、フルカラー大画面でさくさく動くアニメーションを期待しているのだろう。が、待った。それは単眼で実現される3D感だ。
 バーチャルボーイは、ステレオの気持ち良さをより感じるためのマシンなのだ。だから、単眼3D表現を豊かにするグレースケールやカラー情報は、むしろジャマだとすら言える。ちなみにぼくたちの日常の視覚ってのはステレオと単眼3Dの合わさったもの。つまり、ステレオと単眼3Dが混ざった世界ならいつも見てるだろ?ってこと。 
 あの赤黒の画面をしょぼいと思う人は単眼3Dの脳を優先しているのだ。ステレオの脳を優先する者にとっては赤黒だからこそクールなのである。
 たとえばギャラクティックピンボールを見てみよう。このゲームには盤面がない。中央にパックが浮かんでいる。単眼ではパックがピンボール台の上側にあるのか下側にあるのかさっぱりわからない。だが両眼だとばっちりわかるのだ。宇宙空間で小さなパックが無重力で浮いている、この絶妙な浮遊感を味わうためには、背景にカラフルなグラフィックスを入れたのではぶちこわし。真っ黒で何もない背景が必要なのだ。そして細かいテクスチャよりも、両眼の像を合わせやすいはっきりとした光点が必要なのだ。そのために、このマシンではわざわざ液晶でなくLEDが採用されている(横井軍平氏へのインタヴューを参照のこと)。

5:「ギャラクティックピンボールはプレイし続けるゲームである」
 ピンボール台は斜め上から見下ろす形で描かれている。ということは、画面の上下軸が、台のY軸とZ軸、両方の意味を持つことになる。ひらたく言おう。ピンボールのパックが画面の上方向に移動するということは、こちらから遠ざかるという意味も持つし、パックが台を離れて上に飛ぶという意味も持つわけだ。ところが単眼ではこの2つを区別できない。
 いや、台を離れるなんて普通のピンボールじゃありえない。そんなの区別する必要があるか?
 ところが心憎いことに、このギャラクティックピンボールではなんと、パックが台を離れて空中を飛んだりする。さらにはうねうねと立体通路を通過したりする。ってことは、両眼を使ってはじめて、パックが台を離れているのか台に沿って移動しているのかわかるわけだ。
 それがどうしたって? 気持ちいいんだよ。フリッパーの当たり判定が甘い? たいした問題じゃない。これはパックをああにもこうにも飛ばしながらステレオ世界で心地好く泳ぐためのゲームなのだ。
 先も書いたが、一昨年のブームで、ステレオグラムはよくクイズだと誤解された。「星が見える」「鳥が見える」でおしまい。いやはや、ハッパに火をつけた途端にぽいと捨てるようなもんだ。息を深く吸って、凹凸のあちこちに眼を遊ばせて、ようやく気持ちよくなる世界なのに。
 ギャラクティックピンボールでは、そんなクイズ傾向な人もばっちりステレオ世界を味わえる。パックを目で追いさえすればあちこちに仕掛けられた立体をすみずみまで堪能することができる。うーん、何時間でも飽きないぞ。
 まだぐっとこない? もしかして点数表示ばかり気にしてるんじゃないか。高得点をとったからといって誰が見てくれるというのだ。何億点とろうが、ハタから見たらきみは単にヘンなかぶりものしたヘンな奴だ。これはただ自分のためにプレイし続けるゲームなのだ。
 誰にも煩わされることなく、思いのままにフリッパーをはためかせ、ボーナス画面を呼び出し、パックの流れるさまをたどろう。骨組みの一本一本まで行き届いた立体感を味わいつくそう。ピース。

 ・・・といったところで「バーチャルボーイ脳」の芽くらいは生えてきただろうか。すくすく育てれば、いつかきれいなステレオの花が咲くことだろう。もちろんバーチャルボーイをゲットすることが先決だ。こんな素敵なマシンがいまや万札で手に入ってしかもお釣りまでもらえるなんてうますぎる話だ。うまくてもいい、読み終わったら、いますぐ買いに走れ!


ゲームウララvol.4 1994年11月 所収

to the Beach contents