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ようこそ折出 健二(おりで けんじ)のホームページへ

アクセス・カウンターが1998年1月5日からスタートして、
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最終更新日:2012年5月25日


★ 東日本大震災から1年を迎えるとき、3月28日現在、亡くなられた方1万5854人,届け出があった行方不明者は3089人となっています(警察庁発表)。ご冥福をお祈りしますと共に、いまなお行方不明の方の一日も早い発見をお祈りします。

避難所の方々、福島第一原発の「事故」で住み慣れた土地を離れざるを得ない方々の心中をお察しいたし、放射線量の変動などを含めて全ての情報公開、子どもの安心安全の第一優先、そして企業責任をまっとうする誠意ある被災者救済と被害補償を要望します。 ★


◇◆◇ 2012 May News ◇◆◇

このページは「最新の記事」に続いて、前半が「TODAY'S MESSAGE」、後半が「副学長だより 保存版」で構成されます。

なお、「副学長だより」は、副学長を務める折出個人のメッセージあるいはコメントであります。勤務先の大学の公式の見解では必ずしもありませんことをここにお断りしておきます。

このトップページの後段に、多様なコーナーを集めた「常設 2012」があります。

レギュラー記事の以前のものは、「常設 2012」の「以前のメッセージ&情報」に、「副学長だより」(116)〜(259)は「常設」の「副学長だより保存版」にそれぞれ移しました。
このホームページについて、なにかご感想・お気づきやご質問・お問い合わせがありましたら、どうぞ。

メールはこちらへ




○◎ お知らせ ◎○

「ホームページ PartU」の「書評」コーナーに、《石原慎太郎『新・堕落論 我欲と天罰』新潮新書を読む》を載せました。(12.5.18.)

ホームページ PartUは,こちらです
      

Infomation


科学的「読み」の授業研究会編『国語授業の改革』第12巻に、論文執筆の依頼があり、5月末の締め切りに向けていま取りかかっています。

約8,000字(20枚)のものですが、「子どもにとっての学びと言語活動にせまる〜身体性・他者性・関係性〜」と題する草稿案をほぼまとめました。プリントしたものを読み直していくうちに、朱書きでほとんど埋まっていく感じです。が、これまた久しぶりに、わくわくしているところです。

いままで自分の中ですこし抑制していたのかもしれない論点をこの際表に出して、読者に提起してみたいと。

箸置き(話題の合間のひとつまみ)
A Chopstic Rest


◆○◇ 寄る辺なさから来る寂しさ ◆○◇(12.5.22.)

いま、ノンフィクション作家の佐野眞一と、福島の詩人(高校教師でもあるらしい)の和合亮一による対談『言葉に何ができるのか〜3.11を越えて−−』(徳間書店、2012年3月31日刊)を読んでいます。近く、言語教育のことで論文を書かなくてはいけないので、その下地の作業も兼ねて。

この本は、とてもいいです。で、そうなのだ、とわかったのはこういうこと。

最近、私の中に何か、憂いというか寂しさがわき起こって、払っても払っても消えそうにない。年齢のせいか、それとも役職のストレスから来るうつ的な状態なのか。と、自己分析を試みていたが、この本でハッとした。

3.11大震災後から約1年。心の底の底に、あの津波の映像、原発によって無人化した街の姿(映像)がずっと残っていて、一瞬にして、あるいはある時点以後、今まで当たり前であった生活が消えて無くなるんだという追体験を心の中で繰り返し反芻してきたのだと。

そのことと、わが身の行く末とは重なるわけです。60代になってみて初めて感じる心境なので、まだお若い読者の方にはわかりにくいでしょうが、いつか必ずやってくる《今生の別れ》です。原発で、「ふるさと」を失い、この先何十年にわたってもう戻れない。その寄る辺なさ。津波で家族を、街を失った方々の同じ思い。

その体験は私には確かにないし、決定的に弱いのだが、被災地のドキュメントや写真集やエッセイを見て、そして今回、この本を読み進めてきて、それらの一切の本質は、明日のわが身でもあるなと。あらためて、そう思ったのです。

何が、自分の頼るべき、信じるべき世界なのか。その、心の柱の部分(それをひとは「ふるさと」とも呼ぶ。)が一挙に自然の力で持って行かれる。同じように、私個人の《今生の別れ》も、自然の摂理としてかならずやってきて、この存在を持っていく。そういう根源的な寂しさ、ですね。

それを、語り・聴く、その言葉。それを欲している自分がここにも、こうして居るんだな、と改めて実感したのです。

和合さんが、2011年12月にツイッターに書いたという次の言葉。それがじ〜んと浸みてくる。

「この時代を、悲しみを、絶望を、はかなさを、だからこそ、希望を生きる」

○◇ 金環日食 ○◇(12.5.22.)

21日の天体の現象はいかがでしたか。私は19日、20日と所用で広島に行っており、21日も曇りの予報でどうなるかなと思いつつも、日食用のメガネを入手しないままでした。連れ合いが、厚手の紙に穴を開けてそれを白紙に映し出すやり方でやってくれたので、太陽が欠けていくのは観る事ができました。また、庭の植木の木漏れ日でも、月の形をした部分日食の様子が見えました。

出勤時間も迫っていたので、「もう行くか、あとはニュースの映像で見るしかないな」と言うと、「せっかちな人にはこうしたのは向かないね。天体の観察は変化を見るのが大事なのだから」と、連れ合いから一くさり。彼女は小学校教師として理科も丁寧にこなしてきたのだから、なるほど。

『朝日新聞』5月21日付夕刊で、作家のあさのあつこが、「上司とうまく付き合うには」というテーマでエッセイを書いています。たとえ大嫌いなタイプの上司でもネクタイの趣味とか何か1つや2つは好きなところがあるはず、そこを見つけて話を合わせて上手に付き合うこと、それは職場の人間関係をうまくこなす一種のスキルと割り切って、という趣旨の内容です。

確かに的を射ている。逆の立場からも、部下とうまく付き合うにはそういう視点がいるなと思います。セクシャルハラスメントも、本来仕事上の関係では不必要な事、例えば、髪型とか、スカートの丈あるいは年齢など、さらには離婚歴がどうのこうのと相手に言うので起きる。それは、まちがいなく相手に不快感を与える。仕事上の助言あるいは指示、場合によっては注意をきちんと言えるのも上司であることの大事な能力。そのスキル的なものの弱さを、相手の身体や私的な事に自分は関心を寄せているよ、というメッセージで補強しようと策を講じるから、ハラスメントの深みに入り込んでしまう。

あるいは、ヘンに上司ぶるために、「君が○○できたのは私が▲▲したからだよ」と、いかにも相手の処遇のかげにこちらの尽力ありと見せつける。ところが、言われた方は、明らかに上下関係を見せつけられると共に、自分を操りかねない権力関係をにおわせられるので、とても不快になって、悩みの種となり、それが繰り返されると、まさにハラスメントの構図そのものとなっていく。

かくも他者とは「わかりにくい」存在であるから、無理に、また慣れない手段を執って「わかる」あるいは「わかっている」という態度をしめさないこと。できるだけ職場にふさわしい自然体で。

21日の、太陽にとっての月の関係ですね。自分の姿を隠すかのように相手が動くが、やがてはまたおのれの姿が現れるのだと待っていること。それを、隠すように見える相手の動きを何とかしようとこちらがもがくので、相手とのパーソナルな空間に踏み込んでしまう。「金環日食」ならぬ、「近圏日触」(折出の造語。意訳:職場などでの近しい人々との関係圏内に日々入り込む、という日触はしばしばあるが、ヘンに策を弄しない事。月の過ぎゆくままにの心境で)。これがコツですね。・・・・・「うまい職場の人間関係、ショートコメント」でした(笑)。

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副学長だよりNEW

「副学長だより」(262)(12.5.17.)

 晋州教育大学校からの学生訪問 歓迎の挨拶 

5月17日から23日までの1週間の日程で、韓国の晋州教育大学校と勤務先大学との学生交流研修プログラムが行われます。本日、その開講式で、学長に代わって(日本語で)挨拶を述べました。通訳は、同大学校に留学した経験のある学生がしてくれました。

「アンニョハセヨ。チョヌン折出健二イムニダ。チョヌン、デーハックイーサ イムニダ」(ようこそ。私は折出健二です。私は大学の理事です)と、出だしの言葉は韓国語で行いました。

   歓迎のあいさつ              理事・副学長 折出 健二     

このたび晋州教育大学校から、姜先生のご指導・ご援助を得て、12名の学生の皆さんが本学に来られました。ようこそ。私たち一同、心より歓迎いたします。

この学生相互訪問研修プログラムは、教育大学で学ぶ韓国と日本の学生が,相互に交流を深めながら,互いの社会・文化を理解すること。そして、それぞれの社会の実情に触れながら子ども理解,教育理解を深めることにあります。

研修プログラムの大事なテーマは、いろいろの方との「出会い」です。お互いの学生どうしはもちろんですが、子どもや教師、ホームステイの家族の皆さんなどとの、韓国語でいう「マンナム」がこれから始まるでしょう。

あらゆる理解は、ものごとの感覚から始まります。どうか、心をゆったりともって、子どもたちや地域の方と接して、楽しく、しかもじーんと胸に響く出会いを創ってください。

忘れてならないのは、様々な人との出会いを通して、自分自身と出会い直すことです。これが自分を一回り大きく育てる大事な宝になります。

17日から23日まで、限られた期間ですが、ぜひ有意義な研修となるように期待しております。

最後になりましたが、この研修プログラムを支えていただく土屋、山根、江島、上田、梅田、真島の各先生、国際交流センターの職員の方々、そして30名近い本学の学生の皆さんに、心よりお礼を申し上げます。

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Infomation


日本生活指導学会の学会誌『生活指導研究』第29号(エイデル研究所刊行)に拙論を載せていただくことになり、このたび下記の構成で書きあげて事務局に送りました。これは、昨年の金沢大会の全体会で、問題提起者に対するコメントを行ったので、事務局から依頼原稿として要請があったものです。

400字で40枚相当の分量です。今年の9月開催の同学会名古屋大会に間に合わせて刊行される予定です。

論文タイトルと構成は以下の通り。

人間的自立の支援とアザーリング
〜生活的他者と出あい学びあう集団への転換〜
                   折出健二(愛知教育大学)

序説 

一 アザーリング(他者化)・関係性からみる発達の捉え直し
1 私たちの存在様式としてのアザーリング
2 アザーリングという関係性と他者
3 生活指導論から見るコメント

二 子どもの発達支援の現状と変革の視点
1 「聴く」ことの関係性からみる子どもの発達支援
2 生活的他者の居場所である家族と家庭について
3 コミュニティ再生、オルターナティブ思想と参加
4 教師の語り方(語る世界を持つこと)と子どもの学び方や自立の問題

三 発達の支援と権利論を内側に織り込んだ参加民主主義の集団像

注記

今回の拙稿の「売り」はアザーリングと集団づくりです。刊行されましたら、ご批正くだされば幸いです。(12.5.15.)

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箸置き(話題の合間のひとつまみ)
A Chopstic Rest


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TODAY'S MESSAGE:Current Topics

 NEW ◎○◎ 民主教育研究所20周年記念行事と同研究所評議会 ○△○(12.5.12.)

5月12日に、東京の四ッ谷にある主婦会館等を会場にして、民主教育研究所の20周年を記念する渡辺治講演があり、また12日、13日にわたって同研究所評議会がありますので、参加しています(いま、このページは渡辺氏の講演を聴きながら作成しています)。

評議会では、第11期の全国の17名の評議員の中に私も再任されました。中部・北信越ブロックからは長野、岐阜、愛知の三研究所から評議員が出ています。任期は、2014年の3月までの二年間です。

講演は渡辺さん、続いて、第10期をもって研究所の運営委員を定年で辞任された横湯園子さんのお二人。

渡辺氏の講演は「現代日本の政治をめぐる対抗と教育 〜この20年を通して現局面・現段階をどうとらえるか〜」というずいぶん大きなテーマですが、A4で6ページのレジュメを用意して、初めからパワフルにやや力むような勢いで、どんどん事態を特徴付け、わかりやすく意味づけ、分析していきます。すべて情報が頭の中に整理されて詰まっている感じですね。以下、「である」体で、私なりの要点を少し書いておきます。

「1 軍事大国化と改憲をめぐる20年」では、氏は、自身が参加している「9条の会」によって市民的運動のみならず日本の平和をめぐる状況は大きく変わったことを力説しました。例えば、「読売新聞」世論調査では「改憲賛成」が65%を占めていた状況から、毎年ほぼ5%ずつそれが減少して、「賛成」「反対」が逆転するところまで来た。最近は、「改憲賛成」が過半数を超える現象のようだが、ここまで変化をさせてきたのは「9条の会」のような、党派や主義主張を超えた運動のちからによるものである。

「2 新自由主義をめぐる20年」では、支配階級自体の「いらだち」(菅政権も野田政権も政策課題を提示はしたが、そのどれも実現されていない。)から「強行する政治体制づくり」(中央集権化、強いリーダーシップ)がいま進められようとしている。しかし、反原発の運動に見るような新たな対抗的な運動の芽がある。

「3 新自由主義改革の焦点としての教育」については、これまでの情勢を見るポイントは、東京で石原知事の構想で先頭モデルを創って、これを全国化するというやり方で来たこと。それは教員統制に着手した。

というのも、学校の教職員を新自由主義の実行者にいかにするか。それなしに新自由主義改革は徹底されない。(新自由主義の側にとっても)ここにもっとも困難な課題がある。そこで、今まで以上の教科書統制、イデオロギー統制が出てくる。

大阪の「橋下改革」は、上記の石原モデルをバージョンアップしたものである。まず高校に「改革」をせまり、次に小中学校「改革」に手をつける。なぜなら、一挙にすべての学校を相手にすると、日教組や全教などの共闘を向こうに回すことになるから。この手順も、石原改革と橋下改革とは非常に似ている。

東京でも江戸川区をはじめ学校選択制に対する抵抗が起きていて、石原改革も渋滞し始めている。教育改革の特徴は、全国一律ではなくて跛行的な進み方にある。「石原のようにはやれない」といった自治体の空気、これと教育委員会とがつながれば、なかなか改革は進みにくくなっている。

民主党が実施した公立高校授業料無償化は、当初は文科省に大きな衝撃であったが、それはそこで止まっており、「民主党の空白地帯に対しては文科省は、安心して新自由主義改革を進めようとしている」(渡辺氏)。新教育基本法のいう教育振興基本計画の履行こそ、これからの要になるが、橋下改革の「角」がとれて丸くなりながらも、それが全国化していく流れになるであろう。

以上の考察を踏まえて渡辺氏がまとめた「これからの3つの課題」。1つめ、従来の市民層だけではなくて、良心的なひとびとの輻輳した連帯の輪を創っていく必要がある。例えば、JA福岡の反TPPの取組。たとえ「改憲派」の共感する人であろうとも反TPPで統一を組む。また、若い人も自発的に反原発に立ち上がっている。その地域の講演に氏が行ったときに、乳児を持つある母親が話したのは、自分たちは「ポスト3.11系」だと。

2つめに、こうした広がりにおいて要となるのは「ちょうつがい」としての労働組合、教職員組合しかない。トータルな対案を持った組織の役割がますます重要になる。

3つめに、新自由主義に対抗する、税制、社会保障、国の平和保障などを具体的に示していくための政治的な選択肢を示していく必要がある。それは、子どもたちと教育についても言える。

 NEW ◎○◎ 「ダライ・ラマ14世の宗教講演」を読む ◎△○(12.5.7. 一部補正:5.7.)

ダライ・ラマ14世『傷ついた日本人へ』(新潮新書)が12年4月20日付で発刊されました。この内容は、同氏(法王)が2011年11月に、高野山大学創立125周年を記念して行った記念講演、並びにその後赴いた宮城県石巻市、仙台市、福島県郡山市での講演の内容を再構成して収録したものです(「本書のなりたち」より)。

震災後に初めて日本を訪れ、しかも被災地での講演も行ったことについてその中身や仏教に対する同氏(法王)の考え方に興味があり、購入して一気に読み終えました。以下では、同氏と呼びます。関係者からすれば最高権威の敬称である「法王猊下(げいか)」となるでしょうが、仏教徒ではない私にとっては、「生き死に」について深い造詣をもって修行をされている仏教者ですから、氏という言い方にします。氏もまた、同書のなかで自分のことについてそのような意味のことを述べていますから。

まず、仏教は、人間をはじめあらゆるものの「存在」と「実体」(注記:「実態」ではなく、実の姿を指す場合にはこの表記です。)についてその根源を問うなど、「論理的に物事を考えることで真理にアプローチしようという宗教」であって、「哲学」とりわけ「論理学」と「同じ姿勢」である(第一章)、という点には共鳴します。というのも、私が座右の哲学にしているヘーゲルの哲学と相通じる点があるからです。

私は、広島大学での卒業研究で、故藤井敏彦氏の指導の下、ドイツの哲学者ヘーゲルの「精神現象学」を選び、繰り返し読むことで学んだものですが、以後もヘーゲルの哲学は、私にとって不可欠の思想的・倫理的・実践的な支えになっています。

論じる際の表現方法は宗教と哲学で違いますが、ダライ・ラマ氏が述べている「仏教とは何か」「空(くう)とは何か」など、そのほとんどがヘーゲルの「無と有」(存在論)、「概念とその発展」(概念論)、そして本質論を想起すると、相互にきわめて共通するものがあります。ヘーゲルも、「絶対哲学」に至る過程として「宗教」として現れる客観的精神を論じているからです。ただし、彼の場合には、彼が体系づける「絶対哲学」が最高位に位置します。なぜなら、それは、神の存在、神とは何かをも解明できる哲学だからです。私も、ここに刺激され啓発され、「神」あるいは「仏陀」といった絶対者に頼る、あるいは従う思想的な生き方にならないようにしようと、若い頃に決意しました。

二つめに、同氏の言う「心」論は同時に「他者への思いやり」論、言い換えれば、他者によって自覚される自己の内的な世界=意識のありようなのですから、これも、私なりに探っている「アザーリング(othering)」とかなり重なる視点を持っています。

三つめに、震災後のうちひしがれている日本を念頭に置いて語っている事柄として、「苦しみには実体がないこと」、苦しみを分析する「知性をポジティブに使おう」というメッセージには、被災地のみならず今日の日本人を励ますものがあります。被爆後の復興を成し遂げた日本人の国民性や強い精神性にも言及しています。そして、このたびの大震災および津波を、「社会的なカルマ」「世界共通のカルマ」(折出注記:「カルマ」とは因果関係の文脈における「業」、つまり起きたことに込められた力、はたらき、性質のこと。)と呼んでいます(同書、第七章、170ページ)。

仏教における「変化」の考え方、それは「無常」として知られていますが、「全て一瞬一瞬変化して、同じ状態ではない」こと、「どんな小さな変化でも、その積み重ねが大きな変化をもたらす」ことなど、弁証法の原理からすると、ほぼ重なる、ものごとの現象と過程のとらえ方です。我が国の「無常」観は、たとえば『方丈記』や小林秀雄のそれで知られていますが、それらに漂う悲観的、悲愴的な世界がダライ・ラマ氏の「無常」論では感じられず、むしろ、だからこそ(一時の)目の前の現状や今持っていることに執着しないで、アクティブに生きていきましょう、という積極的な生き方論になっていきます。ここにチベット仏教の何か特性があるのかもしれません。

ところで、私のこのつたないHPによく訪問してくださる方の中には、かつては「親鸞」についての発信、今回はまた「ダライ・ラマ」の発言についてで、折出はついに宗教に傾いたのかと思われるかもしれませんが、そうではありません。ヘーゲルの思想の延長上で、私たちの人生を、いや世界を構成するその原理を私なりに探っていきたいのです。仏教もキリスト教も、いまは直接の対象(信仰する、の意味で)ではありません。

Infomation


『生活教育』5月号に拙稿が掲載されました。

所属の表記違いがあります。(誤)愛媛教育大学→(正)愛知教育大学です。

大きな活字でかえって最初見落としたのでしたが、論文題名も「共歩・共育の関係性と生活指導」のはずが、「共歩・共有」となって、おおきく意味が変わっています。「はじめに」に書いているとおりで、「共に育つ」という意味です。

また、本件も含めて、同誌では著者校正が一度もなかったのはいまだに疑問です。わたしの属する全生研の機関誌編集では考えられないことですが。ともかく、筆者自ら、こうして訂正を公表させていただいて、読者の方々に情報をお伝えします。このようなミステイクも、結局は、わたし自身のまいた種と受け止めれば、とくに腹も立ちません。

もちろん編集者側には次号での訂正を要求しておきました。今回、愛知の知人からの依頼で、民間教育研究団体としても友好関係にある同誌のことですからお引き受けした次第ですが、やや残念です。全生研の『生活指導』もこの4月から自主編集・出版に移行した所ですが、確かに会員によって支えていくのは大変ですが、これを他山の石としてやっていきたいものです。(12.5.2.)

同誌の編集長および拙稿の編集担当者からはともに真摯で誠実なお詫びと訂正への応答があったことを申し添えておきます(12.5.3.)

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副学長だよりNEW

「副学長だより」(261)(12.5.10.)

 学長選考会議委員の選出 

この4月から教育研究評議会の評議員が交代したので、昨日の会議で標記の選挙を行いました。国立大学法人法に基づいて、勤務先大学では、学長選考会議の委員として、教育研究評議会の評議員から3名、経営協議会の委員から3名、常勤理事から3名、計9名を選ぶとしています。また、勤務先大学の場合、学長選考会議は学内の学長選考の意向投票の結果を尊重して選考すること、また学長の解任に際しても同会議が最終的な決定の機能をもつことを規程でうたっています。

ご存じかと思いますが、いくつかの国立大学で、学内での投票結果の順位とは異なる学長選考が学長選考会議で行われ、ある大学では裁判沙汰に、ある大学では新執行部に対する反発や批判行動として、以後も禍根を遺している例もあります。それほどに強い権限をもっている決定機関です。

総務担当理事である私が、上記の規程の意味を説明した後に「各学系ごとに1名に○を付ける」とし、これ以外の表記(二人に付けるとか、×を書くなど)は無効であること、また同数の場合の処理の仕方など、ルールを説明しました。

学長選考会議の重要性はみんな知っていますので、その投票を前に会議室の空気が少しピリピリしているのが感じられました。

口頭で説明したのでややわかりにくかったのか、ある出席者が「PPTで提示できないか」と言いましたので、さっそく投票用紙を配布してもらいました。投票用紙には、四つの学系ごとに各4名の評議員の氏名が既に記載されています。四つの被選出者のユニットの下に「1名に○を付ける」と書いてあることを見てもらった上で、私が、「これなら子どもの学級会でも間違いなくやれるはずです」と言いますと、どっと爆笑が起きて、緊張した空気が一気にくずれました。

無事に、同数票が出ることもなく一回の選挙で上位3名が決まりました。なお、現在の松田学長は、2012年度、13年度と、まだ1年11ヶ月の任期があります。同じ任期で私も理事を務めることになります。

「副学長だより」(260)(12.5.2.)

 教員養成の高度化をめぐる講演会・シンポジウム 

このたび、勤務先の大学が主催して、標記の集会を6月初めに開くことにして準備を進めています。その趣旨は、新免許状の創設は大学の教員養成に何を求めるか、です。中央教育審議会「教員の資質能力向上特別部会」が審議してきた教師教育改革の方向性として、同部会基本制度ワーキンググループは、修士レベルの「一般免許状(仮称)」を標準とし、学士課程レベルの「基礎免許状(仮称)」は「一般免許状」の取得をめざすものとして位置づけるように提案しました。

このことをどうとらえるか、またそれを具体的に受けて行くには、何が課題なのか、について以下のような日程と内容で企画をしています。ご案内の完成版はまたアップしますが、関心のある方はどうぞご参加ください。どなたでもご参加OKです。

日時 2012年6月9日(土) 13時30分〜16時30分

場所 名古屋ルーセントタワー 16階 ビジネスサポートセンター(JR名古屋駅徒歩約5分)

内容
 1)講演 松木 健一 氏
(福井大学大学院教育学研究科教職開発専攻長、
 中央教育審議会教員の資質能力向上特別部会基本制度ワーキンググループ委員)

2)意見交換会
   司会    折出 健二(愛知教育大学理事・副学長)
 パネリスト 松木 健一 氏
       酒井 博世 氏(名城大学教職センター長)
       宮川 充司 氏(椙山女学園大学教育学部教授)
       中妻 雅彦 (愛知教育大学大学院教育実践研究科教職実践専攻代表)

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◇◇◇ THE SEQUEL to TODAY'S MESSAGE ◇◇◇

過去の記事は「常設 2012」の「以前のメッセージ&情報」に移しました(2012.5.12.)

◎○◎ 「子どもの日」新聞社説にみる、おとな社会の立ち位置 ◎△○(12.5.6.)

あいち県民教育研究所(あいち民研)の研究部長・大橋基博さんから、例年のごとく、「子どもの日」に各紙に載った社説を編集してファイルで送っていただきました。全国紙、地方紙をあわせて20紙になります。

せっかくの貴重な資料であり、私も興味があったものですから、さっそく通読しましたところ、次のようなキーワードが目にとまりました。ただし、以下は全ての紙面ではありません。

(1)いまの日本の社会の仕組み・制度、さらには政治・経済のあり方を子どもの立場・目線で見直そう、という趣旨が全般に流れている論調として、次の各紙の社説が目に付いた。新聞紙名は略称としている。

家族の絆(産経)、震災後の復興に、社会の務めとして協働を(河北)、原発ゼロへ(赤旗)、税制の重みを再考せよ(読売)、社会で育てるために、格差の克服と安全を(京都)、防災(高知)、助け合いの社会(※子どもに語りかける文体はこの新聞だけ)(沖縄タイムス)

中でも、京都新聞は、格差社会の厳しさを追求し、これからの要となる考え方は「チルドレン・ファースト(子どもが主人公)ということだ」と言い切っている。

琉球新聞は、こう指摘した。「わたしたちの社会はそもそも子どもをないがしろにする体質を内包していた、と言える。(原文改行)子どもたちの命や心身の健康を脅かしておいて、健やかに育ってほしいなどと言える資格はない。大人たちが社会の体質を真剣に問い直し、真に子どものための環境をつくり始めよう。こどもの日をそのきっかけにしたい。」と。

(2)子どもの関係性、活動参加、学びの再構成に着目したもの

ネット社会の危険性(北海道)、ものづくりを子どもたちに(北国)、放射線など子どもに正しい知識を、子どもが地域作りの主人公(東京)、君たちはどう生きるか(神戸)、子どもシェルター(中国)、地域での子どものつながり(西日本)、いじめと虐待(南日本新聞)。

岩手日報は、「競争秩序と子どもの権利」を取り上げ、オーソドックスな論調ではあるが、東日本大震災後の今、「子どもの権利条約」の精神の確実な具体化が必要だとの論者の思いは伝わってくる。

特に新たなアクションを起こす事を宣言したのが、宮崎日々新聞で、今年の「子どもの日」を契機に「宮日こども新聞」を創刊するという。同紙社説によると、「毎週土曜日、本紙に添えて購読全戸に無料配布する。ニュース解説や芸能情報のほか、県内の子どもたちの様子を幅広く紹介。学習意欲や表現力を高める英語のページや文芸コーナー、親子で楽しんでもらう漫画や読み物などバラエティーに富んだ内容だ。小学生記者がつくる「こども宮日編集局」もある。きょうの創刊号から親子一緒に手に取って、読んで、そして楽しんでいただきたい」とされている。
 子どもたちのために、おとなの目線からただ論評しておわるのではなく、具体的に目に見える形で子どもに財産を残したいとの思いが読み取れる。

以上ですが、このように見てくると、地方紙ががんばっています。私見では、最近の傾向のように感じます。しかも、限られた紙幅にも拘わらずその視点の鋭さ、分析の確かさが目立ちます。図らずも、論説委員が日頃からどれだけ、子どもの立場で社会を、政治を、教育・スポーツ・文化を見ようとしてきているかが、それぞれの「社説」に現れていると言えます。

地方の困難な状況を直視し、その「小状況」の中に、日本社会の「大状況」の問題点を読み取ろうとする、そのアクティブな思考方法が、担当各氏の論じる筆をシャープに鍛えていくのではないでしょうか。東京はじめ大都会のデスクにずっといて、、各地から集まってくる情報を巧みに取捨選択することからは生まれにくい「土の香り」「生活のにおい」のこもった論説でないと、読者の心に届かないからです。

大震災および原発の被害にさらされてこの一年、復興にむけて努力してきている地方の新聞は、ほぼ共通して、社会の再生、子どもたちの生活力の確実な育成を述べています。いや、そればかりではなく、地理的には遠く離れている琉球新聞の上記に引用した指摘も、現政府の行動も含めて私たちの社会の「支援」「再生」にたいする手ぬるさを鋭く言い当てています。

小学校高学年以上ならほぼ楽に読めるであろう漢字と文体で、語りかけるようにのべている沖縄タイムスの社説が印象的です。大手の全国紙も一度見習ってはどうでしょうか。全国有名大学を卒業して入社し、出世のエリート街道をひた走ってきた論説委員の方々に、果たして、そうした文章が心を込めて書けるだろうかな?

◎○◇ 啄木 没後100周年 ◎△○(12.5.4.)

石川啄木(いしかわ たくぼく、1886年(明治19年)2月20日 - 1912年(明治45年)4月13日)が亡くなって今年で100周年になります。その記念も込めて、今年の1月に、近藤典彦編『復元 啄木新歌集』(文庫版タイプ)が桜出版から刊行されました。同書を最近入手しましたが、内容は、「一握の砂以後」と「仕事の後」の二部構成です。巻末に啄木研究家らしい近藤氏による詳細な解説が付いています。

「一握の砂以後」とは、『悲しき玩具』の題名で知られる啄木の歌集のことです。これは、その歌集を出版するのに尽力した土岐哀果が、「歌は私の悲しい玩具である」という啄木の文章から取ってきて名付けたものであるとのこと。その中に収められている歌は、1910年(明治43年)から彼が没する1912年(同45年)までの作品で、とくに死の旅路に出るときの「白鳥の歌」にあたる二首が収められています。

ここで近藤氏の、謎解きのような解説が興味を惹きます。氏によると、土岐は、その没する直前の二首を『悲しき玩具』の冒頭にもってきて編集したものだから、「悲しき玩具」の名付けとも相まって、その歌集が暗いイメージになってしまった。しかし、それは大きな間違いであった。

また、近藤氏によると、啄木は、眠りに入るの意味の「寐る」と、寝床に入るの動作を指す「寝る」を厳密に使い分け、作品の中では前者を多用しているのに、土岐はこれらをすべて「寝る」で統一してしまったために、歌に込めた啄木の意味合いがかなりちがってしまったという(以上は、いずれも近藤編、同書、210ページ以下参照)。

なぜそういう事になったのかというと、その『悲しき玩具』の元になった歌集を、啄木自身が「一握の砂以後の第二歌集」としてノートに記載しており、いまは病床にあるが少しでも元気になればすぐにでも自分で校正をするのでさっそく出版の準備をして欲しいと、土岐に頼んだ。ところが、病は回復せず、啄木の校正なしに土岐がみずからの判断で編集を進めて出版をせざるを得なかった(近藤氏の解説より)。

同書の今一つの重要な業績は、第二部とも言うべき「仕事の後」というまぼろしの歌集を復元して収録しているところです。これは、1908年から1910年までに啄木が作った255首を編んだもので、その作品を出版社に持ち込んだが、実際には歌集としては刊行されなかった。そこでこれらを再編集をして、その結果『一握の砂』として出版された。こういう経緯なのです。

「仕事の後」は、まだ一行詩の形式ですが、「頬(ほ)につたふ涙のごはず一握の砂を示しし人を忘れず」という、後に書名になる出所の一首を収めています。

下の歌のように、ある種のクールさというか、距離を置いて自己の生活を観る歌も多く収められています。また、初恋ものも。

「さばかりの事に死ぬるや」「さばかりの事に生きるや」止せ止せ問答

享年26歳とはいえ、たとえば幸徳秋水らの「大逆罪」による死刑の事件など国家を揺るがすような一大事にも同時代人として直面しました。しかも、その事件については公判記録の大部分を入手して読んで、その事件の裁判は明治政府によるでっち上げであったとする見解を持つにいたった点など、社会的な目の鋭さも持っていました。

私自身のことにふれますと、啄木との出会いは、あの岩波文庫版の「石川啄木歌集」でした。確か、中学生の2,3年生の頃、それを小遣いで買って、読みふけったのを覚えています。

啄木自身は、歌人でもあった父親から幼少年期に、歌の影響を受けており、成人後、東京で小説家として売り出すことを目指しながらもそれがかなわず貧困の生活の中で、自然に生まれたとも言える数々の歌によって自らを支えてきた人物です。

彼について、やれ自然主義者だ、やれ社会主義の思想がある、などと勝手に解釈するのもけっこうですが、もっと彼の生きてきた道に即してその作品から彼を受け止めてあげるのが大事ではないかと、今でも私は思います。100周年のいま、啄木「を」どう解するかではなく、啄木「は」どう解されるべきか、でしょう。

◎○◇ ゆっくりと歩み出し、自分とむき直す ◎△○(12.4.27.)

中部圏のある地域で困難な職場でがんばってきた知人の女性教師が以前に、定年をまえに退職されましたが、最近、久しぶりにその様子を語るメールを送ってきました。

そのメールによると、「自分がバーンアウトの過程、それもかなり進んだ状態だったのだ」と気付いたこと、「子どもたちや同僚達をいとおしく思う気持ちに変わりはないのに、できない自分が情けなく」つらい思いを重ねてきたこと、退職後も教育関係の文書は頭痛や吐き気がして目を通すことができないでいることなどを、切々と綴っています。

そして、教育の仕事や情報から離れて数年、畑で野菜を育てたり姑を旅行に連れて行ったりするうちに健康の範囲内に近づいてきた、とあります。

ご本人は「スローペース」と書いていますが、それでいいのです。人生に、スローもファストもないのですから。哲学者ヘーゲル的には、この「いま・ここで」を生きることのなかに、その一歩一歩に、そのひとの真実の、そのときの表現されざるをえないことがすべて現れるし、そうして自己自身をみずから発見・再発見しながら、そうではない姿へと高めていくのですから。

このひとをAさんと呼ぶならば、Aさん、あなたのこれまでの教職の歩みは、必ずや出会った子ども一人ひとりの心の中に息づいていきますし、意見がぶつかったり、時には腹立ちさえ多く覚えたでしょう、その相手の保護者、同僚のかたがたも、あなたに反発した面が仮にあったにしても、逆に、そのひとたちにのなかにも、あなたの真摯な「問い」はしみ込んでいるはずですから。

Aさん、あなたはご自分を「バーンアウトしてしまって」と言いますが、私からすると、けっして燃え尽きてはいない。むしろ、「これ以上、もう燃えることはしたくない」と、自己防御に働いて、それで今日、無事に回復にむかうようになったのですから、語呂合わせ的に言えば、「バーン・アンド・アクト」ではないでしょうか。退職という行動を選択したことで、あなたは(かけがえのない存在である)あなた自身を救い出したのです。

Aさん、またお元気なられて、私どもの研究会に足を運んでくださる時が来れば、お互いの「出会い直し」のつもりでお会いしましょう。その日まで、どうぞゆっくりと、じっくりとご自身の世界を温めてください。生きたテキストは、テキスト(またはテクスト TEXT)の言葉通り、生きている現実のこの流れ・文脈であるのですから、そのすばらしく味わい深い中身・素材は、案外、「彼方(かなた)」にではなく「此方(こなた)」つまり、あなたの足下にありますよ。いま、あなたはそれを自分自身の、曇りなき目で見れるように、いや見ようとするように、変わってきているのです。では、お元気で。

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箸置き(話題の合間のひとつまみ)
A Chopstic Rest


○◇ 新緑の頃に ○◇(12.5.16.)

木々の若葉が映えるこの頃、当ホームページに立ち寄っていただく皆様もお忙しい事でしょう。勤務先での事、先日ある用務で一緒だった中堅の事務職員が、移動中の車の中で「先生、ジムに行っているらしいですね、ホームページで見ましたよ」と話してくれて、ひとしきりその話題になりました。このところ、土曜日曜と出張などでつぶれて、なかなかトレーニングがコンスタントに続きませんが。

5月後半も、1つは、広島大学時代のある仲間の集まりがあって、久しぶりに広島に行くこと。2つめは、この4月開設の静岡大学との共同博士課程(後期3年のみ)の開設記念式典を名古屋市内で行うこと、など予定が詰まっています。

広島の集まりは、吟道部なのです。意外かも知れませんが、そうです、あの詩吟の部活動をやっていたのです。親しい友人に誘われ、つきあいで入ったのが四年間続けてしまった。父親が尺八など古典文化の雰囲気をもっていたこと、高校で始めて習った漢文・漢詩に強かったこと(読み下し文や解釈のテストで結構いい成績でした)。

詩吟で腹式呼吸、のどの発声法などをやりましたので、広い会場でもマイクなしで話せる音量、声の出し方など、それなりに身に付けました。カラオケでの歌も、うまくはないけど、抵抗がないのはそのためでしょう。詩吟は、全身の朗詠なので、血行をよくして美容にもいいのは、経験的にもわかります。愛知に来てからは、もちろん、もう全く離れていますので、やっておりません。勤務先を退職したある男性職員が、詩吟の師範格の免許を持つひとで、彼が現役時代に、電車で時々その話題をしたのを覚えています。

さて、その部の同期や先輩たちは60代となり、どんな姿なのか。企業や高校教師をリタイアしたひともいて、楽しみのような、びっくりすることになりそうなような・・・・複雑ですね。

久しぶりの広島ですので、彼らと旧交を温めつつゆっくりしてこようと思います。

○♪◇ カーネーション、30数年ぶりに ♪○◇(12.5.10.)

名古屋市内の丸善に用事があってそれを済ませて地下鉄に向かう際に、向かいの丸栄百貨店1階にある花屋さんに立ち寄りました。そこで、私なりにカーネーションを5色選んで、女性の店員さんに上手に花束風に包んでもらいました。

これを、帰宅して連れ合いに渡しました。「(3日にわたり孫たちの食事などをした)連休のおつとめ、お疲れ様。そして『母の日』なのでこれを」と。

きれいなパッケージを上からのぞいて「(健二が選んだ5色の)レイアウトがイマイチだな・・・」などと彼女も照れを隠しながら、さっそく玄関の花瓶に挿していました。

こんな粋なことをするのは、共に生活し始めてからもう39年になりますが、何年ぶりでしょう(笑)。お互いずっと仕事・子育てで走りっぱなしだったので、そんなこと考えもしなかった。いまようやく少しゆとりができたのかなと思います。

それにしても、「母の日」が近いためか、上記の店は、私以外にも三組くらい花束を求めてきていました。ブーケ風の3,000円台が人気のようです。と、人様のことを言っても仕方ないですね。私は、カーネーションのあでやかな黄色、深い紅色などを選んで、ささやかな造りではあるが、いわば「優しさを一輪」にあやかって、わずかな花束の贈り物を用意し、こうして贈ります。と、そういう演出をしてみたかったわけですね。

ひとまず成功! しかし、30数年ぶりに、高年の男が日頃やらない慣れない事をやったので10日に気象の大異変が起きてしまった??? もちろん、そんなわけはないけど。

◇◇ ゼミの退職・修了祝いの会 ◎○(12.4.29.)

4月29日、いわゆる「折出ゼミ」のメンバーでこの3月をもって退職された方、また修士課程を修了した方のために「お祝い会」を持ちました。全員ではありませんが、6名が参加。世話人がセットしてくれた名駅の近くにある「酒菜蔵 いち」という店で、私は初めての利用でした。2時間の飲み放題コース。料理の味は、三段階で「B」ですね。店員の応対も「良」でして、店の雰囲気は、若手や女性グループがグループできてわっと語って飲んでまた次の店に行く。そんな感じですね。この土曜日はどこも取れなくてここになったとか。ただお酒は、飲み放題コースにしては珍しく「妙高山」といういいお酒を升酒風にして出してくれます。

二次会は、私のお薦めで、新栄にあるオーソドックスなバーに行きました。以前から知り合いの女性のバーテンダーが子育てをしながら頑張っているお店。そこで、飲めるメンバーがどれにしようかといっているので、ウイスキーリストからグレンリベットを私が選んで「これが入門編だね」というと、全員が全生研の「班核討議」や「集団づくり」のことは知っていますから、「じゃ、新版はどれなの?」というので、「そうだな、それはマッカランかな」「子ども集団づくりは、このカクテル系かな」などと私が答えて、大笑いになりました。

結局、マッカランよりは味に特徴のあるボウモアにしました。スコットランドの西にある島・アイラ島の蒸留所で創られるスコッチの代表ウイスキー。泥炭層の材料を使って大麦を蒸すのでスモーキーな味が出て、これが実に味わいのある逸品です。

《補筆》「ウィキペディア」の「ウイスキー」項目によると、「『ウイスキー』の名称は、ゲール語の uisce beatha(ウィシュケ・ベァハ、「命の水」の意)に由来する」とあります。実に、意味深いことばですね。

この日は、午後、久しぶりにあいち民研の所員会議に出ました。来年1月に愛知で全国の交流研究集会を開くために関連する事案を私も承知しておく必要があったからです。その会議の場で、ある報告の議案書に「成果」の「果」となるところがワープロミスで「課」となっていた。すると、退職の事務局員であるHさんが、言偏をもじって「一言多い」と言ったものですから、私ともう一人の学校事務関係の出席者が思わず「ザブトン一枚!」と言って、これまた爆笑。会議を楽しくする秘訣を、私は役員の経験から自分なりに得てきたようです。その分、わたしも頃合いのいいウィットを言えるように工夫しています。

◇◇ ナイト・トレーニング ◎○(12.4.25.)

居住地域にある大手の経営のジムが、会員獲得の一環でしょうか、特別プライスで募集をしていたので、入会しました。4〜6月の3ヶ月でレギュラー会員扱いで会費10,000円(通常は、月12,000円くらい)で6ヶ月以上在籍が条件。そこで、7月から9月までは「ナイト&ホリデー会員」で契約。入浴のためのバスタオル・レンタルも申し込みました。月1,050円ですから。

最近のある日、勤務先の会議が終わって7時に職場を出て、ジムに着いたのが8時50分頃。それから、まずプールで軽く平泳ぎ、そしてジャグジーで体をほぐし、水中ウオーキングの後に入浴。すこし体が軽くなったようでした。帰宅して、缶ビールの一杯目の旨いこと! これはしばらく続きそうです。

◇◇ 「老い」と「逝き方」の本を読んで ◎○(12.4.24.)

今年の1月に刊行された中村仁一『大往生したけりゃ医療とかかわるな 「自然死」のすすめ』幻冬舎新書を読んでいます。老人ホームの所長であり、医師である著者の医療論・臨床論といった感じですが、私も年齢のせいか、関心もあってつい買ってしまいました。

先に第四章「自分の死について考えると生き方が変わる」から読み出したので、特にそうなのですが、副題の通り、「自然死」のすすめの話です。つまり、「死に方」ではなく、「死」にいたるまでの「生き方」を考えるということ。すでに年老いてきたら、身体のあちらこちらで不調が起きたり、弱ったり、何らかの病気を持つのはむしろ当たり前なのだから、それを受け入れて生きていこうという前向きな考え方と受け止めました。

医療機関の人や医療関係企業は、老いた当事者に対して、「健康であるべき」としてそれぞれの専門の治療を行い、時には延命装置もつかいながら「死」をできるだけ防ごうとする。また、薬品企業等は、「健康」を旗印にさまざまのサプリメントや薬を売って、「老い」を忌避するようにせきたてている。そうではなく、釈迦が言ったように、「老い」は思い通りにはいかない「苦」なのだからこれを受け入れて、できるだけ自然に最期を迎える方が人間らしい。その人間らしい生き方をどうつくっていくか。

底流にあるのは、「生き死に」は自分が引きうけることなのだ、というまさに自立した生き方を著者は問いかけていると読みました。

◇◇ 「笑」くん、「香魚」さんの時代なのか ◎○(12.4.14.)

世の中、いま「北朝鮮ミサイル発射計画」「大飯原発の再稼働」など、論じるべき話題がたくさんあるけれど、ここは少し肩の力を抜いて「箸置き」をちょっと。

さる3月に勤務先の附属幼稚園の修了式に学長代理で出席しましたが、その折に、式の栞に載っていた修了園児の名前が読めない、あるいは読みづらくて、興味を持ったのです。『朝日新聞』4月14日付朝刊の別刷り「be」が、「子どもの難読名」を取り上げています。標記の名前はなんと読みます? 順に、「えるく」「かな」だそうです。このほかにも、「勇敢」=かりぶ、「暖乃」=のんの、など。

同記事によると、2011年の名前ランキングのトップは、男子は「大翔」(ひろと),「結衣」(ゆい)で、女子には順位10までの名前に「子」は入っていません。

親として我が子に託したいこと、「自分たちの子」と印象づけたい気持ちが名付けにはでるのだなと、私の長男や長女が子どもにつけた名前を見て思いました。同記事に引用されている命名の研究者によると、名はその子の本質や未来の表現ではなく、「親を知る手がかり」。つまり、あまり重すぎても、あるいは性別が不明なほどに奇抜すぎても、本人が困るでしょう。

それにしても、「けんじ」といった名前はいまや古典的な感じですね(笑)。私の小学校時代には、たいてい算数の文章問題に「けんじ」「ひろし」がよく出ていたものでしたが。

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副学長だより

「副学長だより」(116)〜(259)は「常設」の「副学長だより保存版」に移しました。

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◇【お知らせ】 京都府立大学大学院「フォーラム」での報告レジュメ全文は、「ホームページ PartU」に移しました。(12.3.1.)



                             *      *                          

新著刊行

 NEW 2011年に、論文「愛知における子ども問題と関係性の再構築」が、中部教育学会紀要, 中部教育学会, (第11号)に掲載されました。

2010年に、日本生活指導学会編『生活指導事典』(エイデル研究所)を刊行し、共同執筆者の一人として「いじめ」「生活指導における場と関係性」の項目を執筆しました。

わたしが編者をお引き受けして共同で執筆した教師教育テキスト『特別活動』(学文社、2008年)の二刷が2010年に刊行されました。普及と活用に感謝いたします。

                             *      *                          

2009年に、哲学の学会である全国唯物論研究協会の三十周年を記念して「哲学から未来をひらく」三巻本が企画され、その第二巻『生きる意味と生活を問い直す〜非暴力を生きる哲学』が刊行されました。豊泉周治・佐藤和夫・高山智樹編著、青木書店刊、同年7月23日発売、定価 3800円+税

全11章の論集のかたちです。わたくしも、「市民的自立の学校〜関係性の再構築」という論題で書きました。他に片岡洋子さんや佐藤和夫、後藤道夫さんたちが書いています。

以下は、2009年度に公表した論文です。
「原則と柔軟さ」愛知生活指導研究会(全生研愛知支部)40周年記念誌(2009年7月発行)。
「競争的自立観の矛盾と混迷を超えて」『生活指導』2009年5月号、明治図書、78〜83頁。
「道徳教育とアザーリング」民主教育研究所編『人間と教育』62号、旬報社、09年6月刊。
「道徳教育とは何か」開隆社編『KGKジャーナル』09年5月中旬刊。
 


常設のトピックス&情報 2012

(更新情報 2010.12.30.)「副学長だより保存版」を新設しました。(2010.12.31.)
「以前のメッセージ&情報」、「生活指導 ナウ」、「教育改革とわたしたちの研究・実践課題」を更新しています。










以前のメッセージ&情報 THE FORMER MESSAGES & INFORMATION

以前のメッセージ・情報(パートU) 副学長だより保存版 
THE FORMER MESSAGES & INFORMATION U; ARCHIVE of NEWS ON VICE PRESIDENT WORKS

いじめについて語る SOBA(Symposium of Bullying in AICHI/ SPEAKING ABOUT BULLYING)

新刊 わたしの書評 BOOK REVIEW

生活指導 ナウ JUST NOW LIFE GUIDANCE STUDIES

教育改革とわたしたちの研究・実践課題 PROBLEMS TO BE SOLVED AND EDUCATIONAL REFORM

わたしの生活指導研究関連著作 MY WORK ABOUT LIFE GUIDANCE STUDIES

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