ポプラ社がおこなったポプラ社ポケット文庫読書感想文コンクール(おとなの部)に応募して「佳作」入選となりました(2006年1月発表)。以下のものがその全文です(字数、800字指定)。原文は縦書き。読みやすく、段落の間の行間を空けていますが、原文にはありません。
*きっかけは、教育実習でこの作品を知り、すぐにこのHPのトップページに感想をアップしておいたのを、ほぼそのまま、そのコンクールに出してみたということ。作品に出会った御礼のつもりで。
まさに素直な感想を文章にして、自分が抱いた素直な問いを発しているので、そこが多くの応募(子ども・おとな合わせて約500通の応募があったとか)のなかでちょっと目を引いたのではないでしょうか。
同ポケット文庫の5月号新刊のなかにある折り込みチラシに、上記コンクールの記事が載っています。
『きつねの窓』(作者:安房直子) 折出 健二 わたしは、教育実習生の授業参観で初めてこの作品に出会いました。六年生の子どもたちの個性的な読みと対話に接し、ある種なつかしい、せつない世界を共体験しました。 「きつねの窓」は、わたしたち誰にもある「こころの窓」、「追憶の窓」ではないかと解釈しました。この作品を読んでみたくなりました。ちょうどポプラ社文庫として出た時でしたので、すぐに買って読みました。 きつねのつくる「窓」がほしくて、「ぼく」(猟師である話者)は大事な鉄砲と交換し、両手の親指・人差し指を染めてもらい、自分で「窓」をつくってみます。 初めの窓には、女の子が登場します。「やあ、あの子じゃないか!」と、「ぼく」はおどりあがります。二度目の窓には、火事で焼けて今はない実家が出てきます。ほの明るい光が見える家の中から、死んでしまった妹の笑い声。そして、青しその植えてあるなつかしい庭。母親が家から出てくるかな、と待ちますが、出てきません。「ぼく」は、両手をおろします。とてもせつなくなって。でも、この「窓」を大切にしたいと思います。 ところが、山小屋に戻って、「ぼく」はつい習慣で手を洗ってしまいます。もう二度と、「窓」は見られませんでした。しかし、いまだに、「ぼく」は両手をかざしてみることがあります。 「窓」は永遠に失われたのでしょうか。 そうではないように思います。「ぼく」が自分の生きてきた物語を求めるその時に、内なる「窓」は現れるのでしょう。 つまり、今を生き、未来と向きあおうとする交差点に、そのひと固有の「窓」という異世界が見え隠れするのです。生きるとはそういうことなのでしょう。 同書の他の作品からも、今の生活世界を見つめ直す不思議な体験を得ました。