1993年、まだ京都に住んでいた頃、これを観た。今回と同じく劇団・昴の公演で、内田稔がフランク・ドエル、新村礼子がヘレーン・ハンフだった(演出:吉岩正晴、美術:濱名樹義)。観た直後は、正直に言ってあまり感心しなかったのだけれど、その後、古本屋で原作の日本語訳を見つけて読み、英語版(84, Charing Cross Road )も読み、これの続編とも言うべきThe Duchess of Bloomsbury Street も(途中までだったが)読み、ロンドンに行った時はチャリング・クロス街84番地を実際に訪ね、『ヘレーン・ハンフ論纂』という研究書も買って拾い読みしたりした。…というわけで、けっこう熱を入れていた作品。しかも、何年かぶりに、この春からもう一度原作の英語版を読み返そうと思っていた矢先、今回の公演をチラシで知った。| 1993年版 メモ |
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| もとが書簡のやりとりなので、舞台左右で交互に文面を暗唱するだけでほとんどアクションがない。台詞中に頻出する作家や詩人の名前も、英文科出身者は別として一般観客には単なるカタカナの羅列でチンプンカンプンだろう。はっきり言って退屈な芝居ということになる。ただ、フランク・ドエルの訃報が知らされる場面以降はさすがにしんみりする。そしてその「しんみり」は、それまでの退屈な芝居(それこそ、ハンフら「人間」の人生だろう)につき合ってきた者にしてはじめて共感できるものだ。人の生き死にということでは水上勉『地の乳房』の舞台をふいに思い出した。 |
1996年にLondonのShaftesbury劇場で観た演目。同年夏、Leicester Squareの当日半額券売場が、開設○周年とかで、同売場を1回利用するごとにBonus Cardというのにスタンプを押し、それを5個集めるとロゴ入りTシャツ、更に5個集めるとTheatre Guide1年分、更に5個集めるとチケット1枚をプレゼントというキャンペーンをやった。当時の私はかの地で月に平均10本以上のペースで舞台を観ており、その大半のチケットを同売場で買っていたから、じきに15個集まって、で、うーん、どの演目のチケットをもらおうかなぁ、観たいものは既にあらかた観てしまっているしなぁ…というわけで、まだ観ていず、かつチラシにあったscalp-tinglingという宣伝文句にちょっと興味を覚えた、このTommy にしたのだった。で、今回、ロンドンのウェストエンドならぬニューヨークのブロードウェイから同演目を持っての来日公演があるというので、英/米見比べてみようかと思って、民音でチケットを買った。| London版 メモ |
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赤い緞帳に二つの眼が浮かび上がる。緞帳が上がると、紗幕。この紗幕の上と奥の(舞台いっぱいの)スクリーンとに、飛行機工場や教会に始まって、様々な映像が次々に映し出され、冒頭の導入部分をスピーディーに運んで行く。London空襲の場面では、スクリーンにSt. Paul'sを映しておいて紗幕上には爆弾のシルエットが落ち行く様を映したり、落下傘部隊の兵士に扮した役者が舞台の切り穴に落ちて行くと、次の瞬間には天上から吊り下げられ、スクリーンに開いた落下傘が幾つも映し出されたり、紗幕に赤煉瓦の家並みの俯瞰映像が流れたり、結構面白い。 紗幕が上がってからも後ろのスクリーンはそのままで、様々な映像が休みなく映されていく。四歳のTommyが大きな衣装箪笥の姿見を見つめていると、その箪笥の上から成人のTommy(Paul Keating)がピアノ線で引っ張られて飛び出して来たり、別の場面で、舞台袖の高い所からやはりピアノ線で吊られて登退場したり、Peter Panか猿之助かと見紛う派手な演出。 後半の舞台は更に派手。一躍有名人になった彼がぐるぐる回転しながらpinball machineを操るや機械から火花が飛んだり、proscenium arch周囲全部及び舞台上の二本の鉄塔の上に渡した部分にテレビが何台も仕込まれていて、そこに様々な映像が映し出されたり、スクリーンが開くや、舞台奥を一列に並んだ照明が上下に移動しながら眩しい光を客席に投げ付けたり。チラシの宣伝文句にあったscalp-tinglingとはこういうこと??? 面白いと思ったのは、Tommyがスクリーン前で飛び上がるような格好をした瞬間、スクリーン上に宙を飛ぶ連続写真のような物が映し出されて、一瞬彼が飛んだかと見紛ったこと。 |