平成18年度

今月の随筆

□「チベット・ポタラ宮で」 (2006-08)

六月に訪れたチベット国で思ったことを最近、徒然にまとめている。以下は「観音菩薩が住まう地」とされるダライ・ラマ法王の元居城・ポタラ宮殿で巡らせた感想である。

巡礼者を押しのけて、物見遊山の観光客に踏みにじられる観音菩薩の聖地・ポタラ宮。主であるべきダライ・ラマ十四世は、中国の、チベット併合ともいえる侵攻政策による弾圧を避けてインドに亡命する。一九五九年、ラサで起きた大規模な中国に対する反乱を契機に、人民解放軍がチベット人の殺害やチベット寺院の破壊を行うが、この難を避けてダライ・ラマは亡命の道を選らばれたのであった。現在インド北部のダラムサラに亡命政府を樹立して、国際社会に対してチベットの独立運動を展開しているが、法王が二度のこの地にお戻りになることはもうないのかもしれない。

巡礼者の一人として、主なきポタラ宮を参観する中、いろんな思いが去来する。チベットは中華人民共和国の成立と共に、チベットの歴史と文化の二つながら、大中国に飲み込まれ、文化大革命によって、大きな大きな打撃を受ける。チベット人民の独立すら奪われて、その精神的支柱のチベット仏教は疲弊したのである。その象徴が主なきポタラ宮殿であり、博物館と化した聖庁なのだ。

翻って我が修験道を考えると、明治の欧米化政策は神仏分離を施策し、日本古来の宗教心の象徴である権現信仰の禁止と共に修験道の廃止を断行する。権現信仰の法城である金峯山寺蔵王堂もまた、明治七年には廃寺とされ、十三年間復飾神勤するが、のちに仏寺に復帰し、日本全土の修験寺院が廃絶される中、奇跡的にその法脈を保ったのである。それは偏に当時の人々の信仰心に支えられた抵抗運動の賜物であった。

ポタラ宮殿の存続は博物館としての継承では意味がない。歴代ダライ・ラマ法王の嘆きやいかばかりであろうか…と私は思った。だからこそ、チベット人民の信仰心の継続に、いずれ迎える新たなよき時代を拓く鍵がある、そんな思いを持ったのである、宮殿内の豪華な陳列物に饗応する中国人観光客に罪はないが、その信仰なき、無節操な態度に忍びがたい不快さを覚えたのは私だけではないだろう。

それとともに蔵王権現を御守りして今も修験の法灯を継承しつづけている我々の幸福に改めて思いを致したのであった。

 

□今年の奥駈修行 (2006-07)

今年も東南院の奥駈修行に参加した。今年の奥駈は前半行程はさほどの雨もなく、気候的にはとても歩きやすい修行であった。それに反して後半の行程は折からの集中豪雨に見舞われ、連日雨にたたられるという七月下旬の奥駈にしては珍しい山行となったが、それでも大きな事故もなく、無事に満行を迎えることが出来た。偏に御本尊はじめ大峯満山の加護の賜物と感謝している。

実のところ、私自身は今年ほど体調が悪かったことはなかった。新行の昭和五十六年以来、二十六年間で十三回目の参加となったが、慢性関節炎を持病にもつ私は例年膝の痛みと相談しながらの参加である。十数年前は膝を故障して、ひどくみなに迷惑をかけたこともあった。そんなわけで、今年も膝の状態を始終気にしながら歩いていたのであるが、幸い大きな支障もなく、なんとかみなについていくことができた。ところが膝とは別に、二日目以降は、夜中になると胃と胸部にいやな痛みを覚え、終日、体調が悪い中での、はらはらどきどきの修行となった。今日一日、明日一日と朝、目が醒めるたびに、一日一日をぎりぎりで行じたのである。お陰で、体調が悪いという今まで経験したことのない状況での修行は、逆に例年以上に得るところの多い奥駈行となった。体調の悪い私を支えてくれた多くの参加者や奉行諸氏に本当に感謝している。

満行間近い玉置山山頂で、行き越してきた遠く大峯連山に向かって拝み返しの勤行を行じながら、とても柔らかな温かい光の中に包まれた感動は今も脳裏から去らない。 頭の上から大きな大きな光が降りてきて、体中がその光の中に同化したような気分で あった。 「身の苦によって心乱れざれば証果自ずから至る」とは役行者さまご遺訓であるが、体調不良の中、ぎりぎりで行じた奥駈だったからこそ、ああいう感動を持つことが出 来たのだと、今更ながら感謝している。また毎々人には「奥駈は参加するのではなく参加させていただくものだ」と言ってきたが、不調の中を行じたことで、今まで以上にそういう思いを実感出来たのであった。まさに神仏の力、参加各位の行力のお陰で、歩かせていただけた、行じさせていただけた今年の奥駈修行であった。やっぱり奥駈修行は素晴らしいなあ。

□「尊徳翁語録二題」 (2006-06)

友人から二宮尊徳の語録集(やまと文庫)を紹介され、この間から読んでいる。

尊徳といえば、昔はどの小学校にも、薪を担いで歩きながら本を読んでいる銅像が 建っていて、刻苦勉励、勤労倹約の象徴のような人物というイメージである。しかし 語録を読み進めるとなかなかどうして、じつに合理的な考えの持ち主であり、仏教の 造詣も極めて深く、含蓄と示唆に飛んだ多くの文章に出会った。少し長くなるがその 中で特に気に入った一文を紹介したい。

「浄土と書けば、清浄な美しい土地である。静土と書けば、閑静なよい土地である。 上土とすれば、この上なくよい土地である。定土とすれば、安居できるよい土地であ る。常土ならば、常住できるよい土地である。実に、浄土という音もおもしろいもの ではないか。思うに、一心を悟れば、どのような土地にいても、すべて浄土である。 士農工商がおのおの業務を楽しみ、その他のことを顧みないならば、それも浄土であ る。たとい子孫が多くてもその家に安住できずも、衣食を失ったならば、すなわち地 獄である」(浄土ということば・巻三の二四三より) 

刮目させられる文章である。私たちは浄土に生かされている。それは静土でもあり、 上土でもあり、定土でも、常土でもある。しかしその浄土はまた地獄にも変わりう る。浄土を作り出すのも地獄を作り出すのも我が一身にある。改めて自分の足元を見 つめ直している。

「地獄極楽は十万億土にあると言う。私の考えでは眼前にもある。うぐいすがさえず り人が聞いている、これは極楽だ。人が捕らえようとしてうぐいすが逃げる、これは 地獄だ。貧富が互いに譲り合えば極楽だし、奪い合えば地獄だ。地獄極楽は眼前にあ るではないか。」(地獄極楽は眼前に・巻五の四三七より)

まさに地獄極楽は眼前にある。我が一身にあるのである。このほか尊徳語録にはまだ まだ多くの名文がある。みなさまにも是非一読をお勧めしたい。

□「六本木ヒルズクラブ」 (2006-05)

先日、縁があって六本木ヒルズの最上階層にある会員専用のヒルズクラブへ案内された。いわゆるヒルズ族と言われるようなIT寵児や大物政治家たち著名人が集う特別な場所である。眼下に東京タワーや都内全体の夜景を睥睨して、たくさんの人々が饗 応していた。ま、お招きをうけなければ私などには一生縁のない場所であり、決して自分のお財布では足を踏み入れられない空間であろう。そこに広がる夜景は素晴らしかったし、各店舗の設備や雰囲気も至れり尽くせりという感で、圧倒されるばかり だったが、それとは逆に改めて「私は僧侶でよかった」と思ったのである。

六本木ヒルズはいわば日本経済の勝ち組たちの象徴的存在である。でも、だからどうだというのだろうか。私の愛読する藤原正彦さんが『国家の品格』の中で書いておら れるように「たかが経済」なのである。私も「たかが経済」だと同感している。しかし実際はなかなか「たかが経済」とうそぶくことは難しい。幸い、案内していただいた知人もそういう経済の危うさや怪しさは承知された上で、その経済の本丸的ヒルズクラブをご案内いただいたのであり、決して私自身も毒されることはなかったが、普通の人はあの光景に平伏させられてしまうのかもしれない、などとおもったりした。

「僧侶でよかった」とは僧侶の価値観が初めから世俗を超えたところにあるからである。華厳経に説かれるごとく「世間は虚仮」なのである。もちろん僧侶と言っても、私などの場合は相当に中途半端で、なんの悟りも得ていないわけなのだから、大いに怪しいところはあるが、でも負け惜しみでもなんでもなく「たかが経済」と正直思える自分が有り難い。またそういう僧侶の価値観を世間も許してくれているのがなお有 り難いのである。世俗ではやはりそうもいかないだろうし、「たかが経済」と虚勢を はっても負け惜しみにしか聞こえないであろう。

もっと有り難かったのは、そういう世界と接するほどに、吉野山や金峯山寺が有するそういった一時の経済的繁栄などを凌駕する気品や歴史の深み、重みに今更ながら自覚を持てたことであった。私たちはよいものを役行者さまからいただき、御本尊から お預かりしているのである。もっともっと大事にしないといけないなとふんどしの紐 を締め直した次第であった。 

□ 「大峯行者を偲ぶ」 (2006-04)

東南院奥駈の名物奉行だった領木覚進行者が亡くなった。私にとってかけがえのない友人の一人だった。

私がはじめて奥駈修行に参加するのは今から二十六年前。その後、三年空いて、二度目に参加した時、新客で来たのが領木さんだった。以来、私はここ二十年で十度の奥駈を経験するが、そのほとんどを領木さんと二人で連れ立って歩くことになる。領木 さんは新客以来、ほとんど毎年参加していたから、である。そして彼が総奉行になって歩いた奥駈ではいつも二人並んで先駆けを仰せつかった。

私は4年前に総長になる。そのせいもあって以後参加出来なかったが、昨年、五年ぶりに東南院奥駈に行くことになった。そのとき残念ながら領木さんの姿はなかった。二年前に病に倒れたのである。思えば初参加を除き私の奥駈にはいつも領木さんがいた。だから彼のいない去年の奥駈は本当に淋しくて淋しくて仕方がなかった。心のどこかに穴があいたままの修行であった。

元気な人であった。よくしゃべる人であった。私にとっては兄のような人だった。歩きながら眠る名人であった。そして私たちの間尺を越えて生きているところのある人 であった。彼のいない奥駈の道中、山や岩場の風景の中で、私は彼が元気だったころの姿ばかりを思い浮かべていた。

奥駈が終わって久しぶりに彼の入院先に見舞いに行った。脳内出血で倒れて以来意識 は戻らず、ベッドに横たわったたままの彼に深仙宿の香精水をお土産に持っていったのである。なにも答えてくれなかったが、温もりのある彼の手を握ったとき、ようやく去年の私の奥駈は満行出来たような気がした。

そんな彼がとうとう一言も言わないまま、逝ってしまった。今生での最後の別れとなった。

お通夜の席で、走馬燈のように彼との思い出を辿りながら、お経を唱えたが、彼に届いたのだろうか?いっぱい世話になったのに、なんにもお返し出来ないまま、逝かれてしまったようで、あんな哀しい気持ちで通夜勤行をしたことはなかった。

人は死ぬ。生まれた以上は必ず死ぬ。人類史上未だかつて死ななかった人はいないのだ。そんなことは分かり切っているが、友人の死は、また私に「生と死」という厳格な現実を突きつけている。

でもきっと、覚進行者の魂はあの奥駈の峰中に今も生き続けているに違いない。去年 何度も大峯の山中で心に浮かんだ彼の姿はきっと今もあの山の中で駆け回っているの だろう。

領木さん、本当にありがとう。

□ 「卒業式雑感」 (2006-04)

先日、高校を卒業する長女と中学校を出る長男の卒業式に出席した。なにしろ単身赴 任十三年目の父である。ここ十年近く、ほとんど本山の法務第一で過ごしてきたため、子ども達の学校行事には皆目参加していない。せめてもの罪滅ぼしという思いを込めて、出席したのである。

今の子どもは大変だと私は思っている。確かにその時代時代でそれぞれ大変なのだろ うが、今の子ども達の大変さはかつてこの国が経験したことのない、不確かな大変さ である。食えない時代は食うことが第一であった。食うことで幸せ感や生き甲斐を見出すことが出来た。私の時代は食うことはなんとか出来るようになってはいたが、まだまだ各家が貧乏で、テレビや洗濯機が家庭にもたらされるだけで、かなり幸せになれたように思う。

そういう意味では今時の子ども達は食うことも、身の回りの贅沢もかなりのレベルで維持されて育てられた世代である。食えることとか、ものを持つことは当たり前で、感謝する心さえ、育みにくい環境の中、そういった物質的な幸せが当然のようにして大きくなった。その分、今まで日本人が大事にしてきた情緒とか、和合とか、思いや りとか、もったいないとか、そういう美しい感情が置き去りにされ、とんでもない時代に生きているのである。でも子どもの世代が置き去りにしたのではない。その大人たちの世代が置き去りにして、経済発展ばかりを目指したから、親の背中をみて育った子ども達にそれが如実に現れているだけなのである。

そんな子どもの教育に当たる学校の先生は、そりゃ大変である。卒業式で居並ぶ先生方をみるにつけ、そんな思いを抱いていた。そしてまたそんな危うい子どもを持つ親も大変である。でも、一番大変なのは、やっぱり当事者である子どもたち自身であろ う。幸いうちの子どもはみんな普通の学校を普通に卒業してくれた。今の時代、普通 に過ごすことはそうたやすいことではない。加えてほとんど家にいない父を持つ我が子たちはよく頑張ってくれたものだと改めて思ったりした。御本尊のご加護に感謝 し、家内も含めて家人みんなに感謝し、進学して更に成長しつづける子ども達の未来 に大きな祝福が待つことを密かに念じたのであった。

□「家田荘子さんと山修行」 (2006-03)

先日、『極道の妻たち』などの代表作で知られるノンフィクション作家の家田荘子さ んと出版社の企画で対談した。彼女と小生の共著で、修験道を広く世に紹介する本を 制作するためである。うまくいけば、春の観桜期には上梓される予定となっている。

極妻の彼女との共著というと、いささかミスマッチに思われるかもしれない。ところ が彼女、作家活動やテレビ出演などマルチに活躍される傍らで、ここ八年ほど前か ら、日本各地での霊山修行に精進される行者としての顔も持っておられる。いや近年 は霊山修行をするために、作家活動などをされていると言って過言ではないほどの修 行ぶりなのだ。近畿三十六不動霊場の先達でもあり、役行者霊蹟地を訪ね、全国を巡 り、月一回は必ずどこかの霊山への登拝修行をこなされている。もちろんわが蔵王堂 にも年数回は参拝されている。加えて高野山大学で密教を学び、真言宗寺院で在家得 度も済まされているという、本格的な修行者なのである。

そんな彼女とご縁を得て、楽しい対談を行うことが出来た。今まで何度もお出会いす る機会はあったが、本格的にお行の話をしたのははじめてで、今更ながら彼女の行者 ぶりには驚かされたのであった。共著の出版を楽しみにして頂きたい。

さて、そんな彼女が小生を対談相手に快諾いただいたのは、「会っていると大峯行者 の匂いを感じるからだ」と答えて頂いた。修行に行っては途中で帰ってくるようなへ なちょこ行者の小生としては気恥ずかしい限りである。しかし大峯で修行をさせてい ただくというのはことほどさように、大きなことなのだと今更ながら気づかせていた だいたのだった。全国各地の霊山での修行を重ねられるほどに、やはり役行者以来の 大峯修行の意義の大きさと、聖地性そして歴史の重みを感じられるからこその、言葉 なのであろう。そういった意味では、大峯修行はいささか女性に冷たいのではないかという思いも持った。霊山修行を勤められる家田さんの大峯修行は稲村ヶ岳と蛇の倉 修行であると聞いたが、大峯山系各山への直接のお行はない。山上ヶ岳の女人禁制の ことのみを言っているのではない。女性行者に開かれたお行が少ないのである。九 月、十月の本山主催の体験修行や、奥駈修行の後半行程は女性も参加できるじゃない か、という声もあるが、裏を返せば、男性参加が基本で、女性もどうぞというもので あって、女性中心の修行ではない。正面から女性を対象にしたお行っていうのは確か に見あたらないのである。熱心に行を語られる家田さんのことを知るにつけ、そんな ことを思ったのである。

世の中には男と女しかいない(マイノリティーもいるが…)。そんな中で、男性中心 のみのモノの考え方ではそろそろ時代遅れのこととなろう。家田さんとの対談を機会 に、是非本山で女性を対象にした、女性のための山伏修行をはじめたいと思ってい る。女性行者の大護摩供修法を世の中で一番最初にはじめた金峯山寺だからこそ、そ ういう取り組みが大切なのだと思うのである。

□「化道は知るべし」 (2006-02)

 『隋天台智者大師別伝』に「初め瓦官に四十人共に坐せしも二十人のみ法を得た り。次年には二百人共に    坐せしも減じて十人法を得たるのみ。その後徒衆う たた多く得法うたた少し。我が自行を妨ぐ、化道は知るべし」とある。中国天台を開 いた天台大師でさえ弟子の教化について、なかなか思うに任せなかったという逸話で ある。

 なぜ天台大師の話を紹介したのかというと、師僧と弟子のことを考えたかったか らである。仏教史上、燦然と輝く屈指の名僧天台大師でさえ、弟子教化のことでは頭 を悩ませている。だから我々のような凡庸な人間が師僧と弟子とのことで懊悩するの は当然と言えば当然である。実は天台大師のような法を伝えるという本質的な問題と はかなり質は違うにしろ、本山においても、師僧と弟子のトラブルはあとをたたな い。実際今も何件かそういう問題を抱えているし、思い当たる方も多いであろう。

 師僧と弟子が不仲になり、師僧が本山に弟子の除籍を訴えてくる。弟子は本山に 救済を求めてくる。その間に立って本山は立ちつくす、というパターンがほとんど。 結果、仲裁にはいることも希にはあるが、大体は師僧の申し出を受け入れ、弟子の僧 籍が削除される。本山としては師僧を縁として弟子は結縁したのであるから、よほど のことがないかぎりは(いやよほどのことがあっても)、弟子を師僧以上に扱うこと は出来ないのである。

 そういった意味では除籍の事由はさまざまであるが、過去に泣く泣く本山を去ら ざると得なかった人は多い。僧籍はなくしたけど、一信者として、ときどき顔を見せ てくれている人もいるが、概ね疎遠となってしまう。残念なことである。

 あえて言う。だからこそ、弟子は師僧に嫌われないでほしい。師僧に嫌われた弟 子を本山はなんともしてあげようがないのである。私も十数人の愛しい弟子をかかえ ているが、師僧の側から言うと、弟子というのはそういう師僧の事情をあまりわかっ ていないようである。実は師僧に嫌われた弟子というのはどうしようもない。私も弟 子と不仲になって、辞めて貰ったものは過去にいるが、もし師に嫌われると、弟子は 宗門内に居場所はないのである。よく耳にするのは師僧というのはそんな大事なモノ とは知らなかったんです…という弟子の言い訳である。そうなんですよ。師僧という のはそんな大事なモノなのです。そこのとこ、もし知らないお弟子さんはこの文章を 機会に、認識を新たにして頂きたい。もっと師に気を遣って貰いたい。ともかく師に は仕えるという気持ちを持って貰いたい。それが師弟の最低条件なのである。事由に よっては弟子の言い分に理があったり、師に誤解や問題があったとしても、出発点は 弟子と師僧の関係を結んだその人の仏縁であり、正否は別に繋がった自分の縁を受け 入れるしかないのである。

 弟子と師僧のもめ事に患わされるのは苦手であり、師僧に嫌われて路頭に迷うお 弟子の姿を見せられたくもない。私からのお願いである。