万 葉 集万葉集の構成には編者の意図があるようです。これについて探るのはプロにまかせておいて、素人の私は手当たり次第興味のある歌をとりあげていきます。万葉集は歌集ですが面白いのは、クラシックから民謡、歌謡曲、労働歌までが取り上げられていることで玉石混淆、芸術も芸能も入り交じっていることでしょうか。(土橋 寛著「万葉開眼」NHKBOOKS参照)
- 箱根湿生花園
先日(01年6月10日)箱根の湿生花園を訪れました。そこには植物の間に万葉集の歌の立て看板がありました。花も写ってなくてあまりいい写真ではありませんが、どうぞ見てください。 (01年6月30日更新)
- 乞食者(ほかひひと)の歌
律令政治の破綻や、平城京の造営、飢饉などの天災・人災によって乞食者が増加しました。乞食とまではいかなくとも、失業者が増え、地震等の天災も起きる今の世の中とどこか似ていませんか?ちょっと長いのですが、とりあげて見ました。 (12月5日更新)
- 十市皇女
彼女の歌は万葉集には一首もでてきません。数奇な運命に翻弄された彼女に関する歌をとりあげてみました。(12月13日更新)
- 志貴皇子
天智天皇の第七皇子、母は越道君伊羅都売(こしのみちのいらつめ)、地方豪族の娘で采女です。政治の世界ではほとんど顔を出しませんが優れた歌人といえるでしょう。(12月11日新設12月17日1部追加)
- たらちねの母
「母は強し」とか、これは昔から変わらぬようです。現代の母にもがんばってもらいましょう。 (12月19日新設)
- 磐姫(いはのひめ)皇后
磐姫は仁徳天皇の皇后です。古事記や日本書紀では極めて嫉妬深い女性として有名ですが、巻二の巻頭を飾る相聞歌4首はひたすら待ち続ける女性の歌です。しかし、実際にはこれらの歌が磐姫皇后の歌というのは、ちょっと怪しいようです。
- 真間の手児名、
葛飾といえば現代ではフーテンのトラさんが有名 ですが、万葉集には下総の国、葛飾を歌った歌が10首ほどあります。もっとも当時の葛飾は今の千葉県市川市辺りまで、江戸川流域を広く指したと思われます。そこに伝わる「真間の手児名」伝説について、山部赤人、高橋虫麻呂が歌にしています。
- 山上憶良、子等を思ふ歌
天平時代の歌人、山上憶良は万葉集に長歌11首を含めて76首の歌を残しています。そのうち、子供への愛情あふれる歌を取り上げてみました。
- 持 統 天 皇
天智天皇の娘として生れ、天武天皇の后となっった彼女はさまざまな評価がされています。実際にはどんな女性だったのでしょうか。万葉集に出てくる歌を通してその人物像に迫ってみましょう。
- 中 皇 命
中皇命(なかつすめらみこと)とは誰のことか、いろいろな説があります。歌の数は5首、これを見ながらその正体を探ってみましょう。
- 菟原娘子
菟原娘子(うなひをとめ)は真間の手児名と同じく妻争いの伝説です。乙女と2人の男の墓は今も兵庫県に残っています。あるいはこの古墳を見てだれかが創作した物語かも知れませんね。 (4月18日新設)
- 東 歌(1)労働歌
巻14には東歌と題して230首の歌があります。これは大体静岡県以東の歌です。今回はその中から労働歌についてとりあげてみました。なお、本稿は大正から昭和にかけて活躍された土屋文明氏の書かれたものを参考にしました。(友垣、群馬県立土屋文明記念館参照) (99年6月12日新設)
- 長忌寸意吉麻呂
歌の一分類として物名歌というものがあります。物の名を詠み込むものです。これは中国における詠物詩の方法に学ぶものです。日本においてその先駆的役割を果たしたと思われる歌人に長忌寸意吉麻呂(ながのいみきおきまろ)がいます。彼の歌は必ずしも名歌として取り上げられることは少ないのですが、ひとつの役割を果たした歌人といえるのではないでしょうか。(99年6月27日新設)
- 七夕歌
万葉集には七夕を歌った歌が132首もあります。漢詩集「懐風藻」にも六首の七夕詩が残されており、当時の七夕に対する関心の深さを示しています。万葉集における七夕歌はその後の王朝和歌に大きな影響を及ぼしているように思われます。中国から伝わった七夕説話は日本神話と結びついて独特のものを作り出しました。とても、その全ては紹介できませんが、その一部に触れてみたいと思います。(99年7月4日新設)
- 松浦の仙媛
巻5に松浦川(佐賀県東松浦郡玉島川)で「私」が遊覧している時、鮎を釣る乙女たちとやり取りしたという歌群があります。作者は「万葉代匠記」では大伴旅人としていますが、山上憶良説もあります。
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