世 間 虚 仮
せ けん こけ
中国に「燕雀安(イズク)んぞ鴻鵠(コウコク)の志を知らんや」という格言があります。しかし、ツバメにはツバメのスズメにはスズメの言い分があります。
- イラク戦争とは?
アメリカが国連安保理事会の協議を打ち切り、遂にイラク侵攻に踏み切りました。一体、この侵攻は何を目的としたものでしょうか。ブッシュ政権は、特定の主権国家に「悪の枢軸」「ならず者国家」のレッテルを貼り、「イラク国民解放」を叫んでいます。自らを正義とし、イラクに親米政権を樹立しようとしているわけです。この発想は、かって日本が「大東亜共栄圏」を目指してアジアに侵攻して行った論理に酷似しているように思われます。まさにアメリカ帝国です。なぜ、アメリカはこのような行動に出たのでしょうか。これは、20世紀において常に世界をリードしてきたアメリカの地位低下に対する恐怖からではないでしょうか。経済面においては、グローバル・スタンダード(実はアメリカン・スタンダード)を振りかざして日本経済を弱体化させ、今度は、世界の石油を価格においても産出量においても支配するために。また、軍事的な面において、世界の全ての安全をアメリカのコントロール下におくために。しかし、それにもかかわらず、今後アメリカの影響力は低下していくでしょう。そうなった時、アメリカは一転してモンロー主義に走るのではないでしょうか。いや、既にそういう傾向は出ています。今、日本において北朝鮮の脅威がいわれています。小泉首相は、アメリカと日本は一心同体であり、これが北朝鮮に対する抑止力となっているといいます。しかし、アメリカは自国の利益に必要であるから日本に歴史的に類を見ないほどの軍隊を駐留させています。これは、アメリカにとって日本が最前線の基地であるからです。これが、日本の安全にとって如何に危険なことであることか。アメリカ軍がいなければ、日本は北朝鮮にとっては何ら危険のない国であるはずです。
もし、今度のイラク戦争がブッシュ大統領のいうように世界平和のために大量破壊兵器を廃棄させることが目的なら、イスラエルの持つ大量破壊兵器を問題としないのは何故でしょうか。イスラエルのシャロン政権は、パレスチナ自治区に対するテロ行為を繰り返しています。アメリカはこれに対しては黙認しているだけです。これは、今のところ少々もてあまし気味ながらまだアメリカのコントロール下にあると見ているからでしょう。
また、今回国連の無力さが証明されました。アメリカは自らの世界支配の道具として使える場合だけ、国連を利用し、そうでないときは全く無視してしまいます。これでは、恒久的世界平和など望めるはずはありません。日本は…まさに国際舞台から下りて、アメリカの属国となっています。おそらく、アメリカはイラクにも日本のような政権を望んでいるのでしょう。しかし、その思惑通りいくかどうか。アメリカよ、おごるなかれ!今、公然と殺人が繰り広げられていることに心が痛みます。日本の小泉総理のメールマガジンを読んでも、何故、日本が無条件にアメリカの言うことを鵜呑みにし、盲従するのかさっばりわかりません。国民に対する説明不足というほかありません。いっそのこと、アメリカを支持するなどと言わず、我々はアメリカの指示によって動くのだと言ってもらった方がわかりやすいのですが。日本がアメリカの真のパートナーとなるためには、アメリカが間違いを起こそうとしている時はきちんと正せることが必要ですが、さて?
(2003年3月22日)
- 少年犯罪の意味するもの
最近、少年による凶悪犯罪が多発しています。バスジャック事件、豊川市の主婦殺害事件、いずれも17才の少年が引き起こした事件です。共通点は、二人とも成績も優秀なごく普通の少年であるということ、身近な人たちや友人たちの間でも評判もよく、とても残虐な事件を引き起こすような人物ではないということ、そしてこれらが金銭や怨恨といった動機によるものではなく、何故こんなことをしたのかわからないということです。マスコミは例によって少年たちの家庭環境などを調べ上げ、ここに事件の原因があるかのように報道しています。少年たちがいわゆる「きれる」のは、原因はひとつではないでしょうから、家庭環境などが全く関係ないとは言い切れないでしょう。しかし、これは主因ではありません。総務庁の調査では中高生の30%は親を殴りたくなったことがあるといい、半分以上が「将来」よりも「現在」の楽しみを大切にするという刹那的な生き方を肯定しています。これは、親=大人に対する信頼感の欠如、将来に対して希望が持てない、ということを表わしています。つまり、多くの若者たちがある日突然犯罪者になる可能性を秘めた危なっかしい世の中といえるでしょう。私は、少年たちの行動はまさに変動する社会の縮図であるという捕らえ方をしています。今、ビジネス社会で起きていること、つまり、大企業のリストラ、大型合併、相次ぐ倒産、これによって引き起こされる失業者の増加、社会不安等々が少年たちの思考にも色濃く反映されていると考えるべきです。これまで、日本は極端な学歴社会を作り出してきました。いわゆるエリートコース、一流高校−一流大学−一流企業−出世−豊かな生活、更にこれがエスカレートして、幼稚園からのお受験。この路線に乗ることがあたかも人生の目標であるかのような社会が生まれました。そして、この路線に乗ったエリートたちが社会の指導的立場たった現在、矛盾は一度に吹き出したのです。決められたコースの中での勝利者は自分の常識の中でしかものを考えることができません。日本経済が完全に行き詰まってきた今、求められているのは道なき道を切り開く指導者であって、予め敷かれた道を踏み外さないように歩く人では役に立たなくなっているのです。多くのエリートたちが集まっている大手銀行も合併、統合によって無数の余剰人員を生み出そうとしています。一流大学出のエリートたちもいつ失業するかわからない時代、大人は子供たちに将来を指し示すことができるでしょうか。子供たちは敏感に大人の自信喪失を感じ取っているのです。これが、大人に対する不信感、将来に対する不安、刹那主義的な生き方につながっているのでしょう。これは、容易には解決できない問題です。大人に子供の将来を決めることはできません。以前にもちょっと触れましたが、私は教育とは自らものを考え、自分で自分の道を決めて進んで行ける人間、もしその道が間違っていたら自分で修正できる人間、結果に対して責任を取れる人間を作ることだと思います。少年犯罪が起きるたびに少年法の改正が話題になります。私もこれには反対ではありません。ただ、その議論は単に罰則を厳しくして見せしめにするということではなく、例え未成年者であっても、自ら起こした結果に対してきちんと責任をとらせるという視点で議論すべき問題だと思います。私は、社会が今向かおうとしている方向は決して悪いものだとは思っていません。むしろ、これまでの画一的、没個性的な価値観がひっくり返ったとき、生き生きとした面白い世の中ができると思います。若い人たちには、大人たちに不平不満を言う前に自分ならどうする、自分はこうしたいという明確な意思を持って行動してもらいたい、大人は何が善で何が悪であるかを教えるのではなく、自分で善悪を判断できる人間、個性を伸ばしてやるのではなく、自分で個性を生かすことのできる人間を育てることに力を注ぐべきです。そういう人間がすばらしい結果を生み出したとき、はじめて真に豊かな社会ができるでしょう。(2000年5月5日)
- 粉 飾
日本債券信用銀行の旧経営陣が粉飾決算の疑いで逮捕されました。中には、私も仕事の上でご挨拶を交わしたことのある方もおり、関心を持たずにはいられません。
粉飾とは何でしょうか。
広辞苑で検索すると次のようになっています。
ふん‐しょく【粉飾】
@紅・白粉(オシロイ)でかざること。
A実状を隠して見かけをよくすること。よそおいかざること。
つまりはお化粧して、醜い部分を隠す、ということでしょう。
20世紀に入って、日本は急速な発展を遂げました。日露戦争に始まり欧米列強と背伸びしながらも肩を並べた前半、第二次世界大戦で手痛い敗北を被りながらも、不死鳥のように高度成長を遂げた戦後、その陰には官僚や企業戦士たちの目覚しい働きがありました。ところがこの世紀末にきて急にいろんな矛盾を露呈するに至っています。その原因は全てこの「粉飾」にあるのではないでしょうか。一見、華々しく見えるこの繁栄、ところが一皮むけば・・・、すばらしいハイウエイ、しかし常に大渋滞、すばらしい東京都庁ビルの陰にホームレスの人たち、もうすでに限界に来ているごみ処理問題、年金問題等々。この前の阪神大震災も、オーム事件も、保険金詐欺事件も、更には学級崩壊、家庭内暴力に至るまですべてが臭いものに蓋、表面だけ糊塗する方式、つまり「粉飾」のつけが回ってきたものといえるでしょう。今、必要なことは国も企業も学校も家庭も、そして個人もすべてお化粧を落として素顔をさらけだすことではないでしょうか。傷を隠すために更にその上に厚いお化粧をしたのでは、こんどこそ取返しがつかなくなります。今回の日債銀事件でも、粉飾を見逃して(いやむしろそれを勧めたふしさえある)、増資の奉加帳を回した大蔵幹部、政治家まで追求されなければならないでしょう。そのあたりに蓋をしたのではまた、同じ過ちを繰り返すことになるのは間違いありません。
- 「時価主義時代」
日本に時価主義の時代がやってきました。人の価値が、過去に何をやってきたかではなく、現在何をやっているかで決められる時代です。一見、当たり前のようですがこれは大変です。従来、日本は企業も官公庁も終身雇用制と年功序列制に支えられてきました。しかし、それが見事に崩れ去ったのです。新聞を開けば、毎日のように「○○会社、××人削減」の記事。これまでどんなに功労のあった人でも容赦なく切り捨てられていきます。あるいはどんなに実績のある人でも、現在の必要度に応じて報酬はカットされます。悲劇は現在の中高年、若い頃、安い給料で馬車馬のように働いてきた世代がようやく報われるはずだった年令に到達した時、突如として訪れた累積主義の崩壊と時価主義の時代、「あなたの現在の仕事の価値はこれこれ、だから報酬はこれだけ」、あるいは「もう、あなたは必要としません」等々。「これまで働いてきた貯金はどうしてくれるんだ」といっても、犬の遠吠え、企業も生き残りに必死、それに報いるだけの余力はありません。官公庁も財政赤字を抱え、近い将来必ず人員削減が不可欠になります。一方で年金受給開始年令は高齢化、いやはや大変な時代になったものです。しかし、考えて見れば時価主義は当たり前、自営業の人やプロスポーツ選手は昔からそうだったはず。過去のインフレ時代の経験など役に立たないデフレスパイラルの時代、植木等の「サラリーマンは気楽な稼業」の古きよき時代は去ってしまいました。物も人も需要減退、供給過剰の時代はまだまだ続きます。生き残りを懸けた下剋上の時代、考え様によっては歴史上、とても興味のある時代といえるかもしれません。日本も企業もそして個人も今何が必要かを考えなければとても生き残ることのできない時代といえるでしょう。(平成11年3月6日)
- 1999年年頭雑感
あけましておめでとうございます。20世紀もあと僅か2年となりました。今世紀日本は途中、敗戦という大きな躓きがあったものの総じて急速な発展を遂げてきたように思えました。しかし、今再びやってきた「黒船」に日本中が戦々恐々としています。黒船の名前は「グローバル スタンダード」。この、世界では少数民族のアングロサクソンが作り上げた黒船に政界、財界が右往左往する様は、ペリー来航当時の騒ぎそっくりです。日本のビッグビジネスが外国の格付機関による格付けに驚き狼狽する有り様は、新鋭兵器と思っていたものが、「君達の持っているのは竹槍だよ」と言われて急に自信を失ってしまったかのように思えます。自己主張のできない民族の悲しさ、国際紛争が起きても他の国の対応を見ないと発言できない横並び感覚。これを打破するのは容易なことではありませんが、今、何とかしなければ21世紀には欧米はおろかアジアの諸国にすら見下されてしまうにちがいありません。国であれ個人であれ自己を確立し、主張すべきは主張することが今不可欠なのです。「歴史は繰り返す、一度目は悲劇として、そして二度目は喜劇として」、幕末の愚を繰り返して世界の笑い者にならぬよう、その為には国の指導者のみならず、企業も学校も家庭も、そして個人も時代をしっかりと認識すべきであると痛感します。(平成11年1月1日)
- 「横並び主義」の崩壊
1998年も後1日を残すのみとなりました。今年はいろいろな意味で日本の転機の年といっていいのではないでしょうか。なかでも、いわゆる横並び主義の崩壊は私たちにとって大きな教訓でした。考えてみると、私たち日本人は何か行動するとき、必ずといっていいほど「みんなはどうするだろうか?」と考える習性が身にしみついているような気がします。いわゆる銀行の「護送船団方式」もその一つですし、女子高生のルーズソックス、子供の塾通いから祝儀や香典の額まで、取りあえずみんなと同じことをしていれば安心ということなのでしょう。ところが今年、銀行の相次ぐ倒産、企業のリストラ等、みんなと同じことをやっていても駄目、
「あなたは何をしようとしているのですか?」、「何を目的としてそんなことをやっているのですか?」
今まで、大して疑問にも感ぜず「みんながやっているから」やっていたことが、「何故?何故?何故?」と問い掛けられ戸惑っている人も多いのではないでしょうか?官僚たちの収賄も例外ではなく、「みんながやっていることだ」と大して悪いことをしているという意識もなかったでしょう。子供の教育も、みんなと同じように塾に行かせ、みんなと同じ服装をさせていればとりあえず親としては安心というのでは、これからの社会にみんなと同じように受け入れてもらえるかどうか。これから、難しい世の中になります。「自分の確立」が不可欠、大人の経験など大して役に立たない世の中、「教育の中心」は「自分でものを考えられる子育て」しかないのでは?(平成10年12月30日)
- 銀行の一時国有化について
長銀に続いて、日債銀も一時国有化のニュースが報道されました。金融監督庁の調査で実質債務超過と判断されたためということです。しかし、前日の株価は150円を超えていました。預金者は保護されますが、株式価値は0と判断されそうだということです。つまり、株主は責任があるのでこれは保護されないということです。株主は自分の責任において株式を取得するのですから当然といえばいえるでしょう。しかし、銀行といえども私企業です。これを国の判断で決定するのはどうでしょうか。金融監督庁の調査結果を公開し、市場に判断させるという手続きを経ないで、市場が開いていない週末にこのような決定を下してしまうのは何となく割り切れない気がします。情報公開を徹底し、判断は市場にまかせるのが資本主義社会の大原則のはず、ビッグバンは時代の要求ですが、原則は崩すべきではないというのが私の意見です。 (平成10年12月13日)
- 学級崩壊について
今朝の朝日新聞朝刊に「学級崩壊」についての特集記事が組まれていました。もう、我が家の子供たちも大きくなり、あまり小学校とは縁のなくなった私ですが、私なりの感想を述べてみます。私たちの子供のころと決定的にちがうのは、「先生」も「親」も子供にとって絶対的な存在ではなくなっているということです。昔も、子供には反抗期があり、大人のいうことをきかない子供はたくさんいました。しかし、子供はそれでもどこかで悪いことをしているという「うしろめたさ」を持っていたものです。しかし、現在はそのたががはずれ、子供たちは堂々と自己主張を始めたのです。これを昔に戻そうとしても無理です。大切なのは、子供の本音がどこにあるのかを冷静に判断することです。よく「1対1で話し会うととてもいい子」なんだけどという言葉を耳にします。これは、「個」の考えと「集団心理」に明らかに差があるところからくるのでしょう。「個」とか「個性」とかいっても、単純なものではありません。特に子供はいくつかの顔を持っています。この1部の顔の結びつきが、「先生」や「特定の子」に対する「無視」等に結びつくのではないでしょうか。これに対処するには、「1対1」の対話を増やし、いろんな「顔」を引き出すこと以外にないと思います。いずれにしても根くらべ、子供の目線で対等にものを見、粘り強く対処することが必要でしょう。指導に当たる人が「集団は個の集まり」であることを忘れず、いかにして昔の学級イメージを払拭できるかが鍵ではないでしょうか。(平成10年12月6日)
- 江沢民主席の「正しい歴史認識」について
第二次世界大戦において,日本がアジアをはじめとする多くの国の人々に大きな苦しみを与えたことは、まちがいなく歴史的事実です。しかし、そこにいたった過程やこの戦争の本質についてはいろいろな考え方があります。終戦後50年以上たった現在、外交上常にこの問題が持ち出されることに何か割り切れないものを感じるのは私だけでしょうか。「歴史」に対する見方はいろいろあって当然、しかし、それを権力者や政治家が言い出すとき私たちは気をつけなければなりません。特に、時の権力者が歴史教育に介入するとき、必ずといっていいほどある政治的意図があります。中国おいては、古くは秦の始皇帝による「焚書坑儒」、新しくは「文化大革命」、我が国においても、ひたすら戦争、そして破滅に向かって突き進む戦前の日本政府を国民が止められなかったひとつの原因は、権力者による皇国史観を中心とする歴史教育にあったことは間違いないでしょう。歴史に対する解釈や見方の違いをお互いに認め合い、真に言論、思想の自由が護られなければ同じ過ちを繰り返すことになるでしょう。(平成10年11月28日)
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