枯れ木に花が・・・(2001・1・21)

雪の広場(2001・1・21)

マイカー(2001・1・21)


万騎が原大池自然公園(2000.5.6)
池畔の乙女像





普段も時々くる公園だがこの辺は人も殆どいなくて静か


畠山重忠戦死の地(2000.5.4)
元久2年(1205)鎌倉時代の武将重忠が北条氏と戦い討死にした


旭図書館脇のつつじ(2000.5.4)


旭区白根公園内の滝(2000.5.4)
横浜市内にもこんなところが・・・帷子川の源流





旭区白根公園万葉歌碑(2000.5.4)


この碑の横にあったたて看板の全文
この歌は「万葉集」巻二十に採録された防人の歌です。
天平勝宝七年(西暦七五五年)、防人として都築郡から九州沿岸の警備に
出発しなければならなかった服部於由(はとりべのおゆ)は、「わが行(ゆき)
の息つくしかば足柄の峰延(みねは)ほ雲を見とと偲はね」(私の旅が長い
ためにため息がでるように恋しく思う時は、足柄山の峰にかかる雲を見て
心を和らげなさい。恋しく思うことはわかるが、あまり心配して身をこわすよ
り、心を慰めながら無事に私の帰るのを待ちなさい。)と残して行く妻が気
がかりで歌をよんでいます。妻の呰女(あさめ)は、「わが背(せ)なを筑紫
遣(や)りて愛(うつく)しみ帯は解かななあやにかも寝も」(私の夫を筑紫へ
送り出すが、それが心配で心配でたまらないので、夜も帯を解かずに、夢
にも忘れないようにと思いながら寝るようです。)と歌を返したものです。
防人は太宰府に派遣され、対外的な警備に当たり、任期は三年でした。
東国の兵士が当てられ、彼等の旅費や装備は基本的に自前で、任期が
終わっても楽に帰ることができず、道端で餓死する者も多くいたようです。
当時、兵部省の役人として防人の管轄に当たっていた大伴家持は、東国
各地からやってきた防人たちから歌ほ集め「万葉集」に収めました。
旭区の昔を偲び、都築郡(旭区は、当時の都筑郡の一部でした。)
のゆかりの地であるこの地に歌碑を建立しました。

平成九年三月吉日
旭区観光協会
旭区役所


川のある風景(2000.5.4)
横浜市旭区を流れる帷子川(かたびらがわ)


はなみずきの花(2000.5.4)






自宅の窓から見た桜その1(2000.4.8)




自宅の窓から見た桜その2(2000.4.8)


もうすぐ車が花びらで化粧される・・・・・


部屋の中の君子蘭(2000.4.8)



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