- 七 夕 歌
しちせきか
七夕は五節句(節供)の一つです。即ち、1月7日の人日(じんじつ)、3月3日の上巳(じょうし)、5月5日の端午(たんご)、9月9日の重陽とならぶ7月7日の行事です。これは季節の変わり目に供え物などをして祝う行事、あるいはその供え物を指す意味もあります。供え物とは、人日は七草粥、上巳は草餅、端午は粽(ちまき)、重陽は菊酒、栗飯、そして七夕は索餅(さくべい)等です。万葉集では特に七夕を歌った歌が数多く載っています。特に巻八には山上憶良が12首、巻十には、柿本人麻呂歌集の38首を含む98首もの歌があります。題詞に七夕になどと記されているいわゆる七夕歌は全部で132首、星を詠んだ歌というのはそんなにないのですが、七夕が如何に当時関心を持たれていたかがわかりますね。以下、その一部を紹介します。
まず、巻10の柿本人麻呂歌集より
天の川 安の渡りに 舟浮けて 秋立つ待つと 妹に告げこそ (10−2000)
天の川の安の渡りに舟を浮かべて、秋の立つのを待っていると織女に告げてください。
大空(おほそら)ゆ 通ふ吾(あれ)すら 汝(な)がゆゑに 天の川道(かはぢ)を なづみてぞ来し (10−2001)
大空を自由に行き交う自分(彦星)でさえ、あなたのために天の川の路をやっと来たのです。
八千戈(やちほこ)の 神の御代より 乏し妻 人知りにけり 継ぎてし思(も)へば (10−2002)
大国主命の御代から たまにしか逢えない妻を人は皆知ってしまった。思い続けているから。
我が背子に うら恋ひ居れば 天の川 夜船漕ぐなる 楫(かぢ)の音(と)聞こゆ (10−2015)
わが背子(彦星)を心恋しく思っていると天の川を夜船を漕いで来るあの人の楫の音が聞こえてくる。
吾(あ)が為と 織女(たなばたつめ)の そのやどに 織る白栲(しろたへ)は 織りてけむかも (10−2027)
私のために織女が家で織っているという白布はもう織り上げられただろうか。
君に逢はず 久しき時ゆ 織る服(はた)の 白栲衣(しろたへころも) 垢(あか)付くまでに (10−2028)
あなたに逢わずにずっと織り続けている白妙の衣はもう垢づいてしまうほどになってしまったわ。
中国から伝わった七夕伝説が日本の神話と溶け合って、独特の歌風を作り上げています。そういえば、詩などに出てくる七夕伝説では織女は車駕などで川を渡ってくるのに対して、万葉集では牽牛が舟や徒歩で渡ってくるという設定になっています。通う男と待つ女、日本の当時の風習に直されていますね。
- 次に山上憶良の七夕歌を見ましょう。
彦星(ひこほし)は 織女(たなばたつめ)と 天地(あめつち)の 別れし時ゆ いなむしろ 川に向き立ち 思ふそら 安けなくに 嘆くそら 安けなくに 青波に 望みは絶えぬ 白雲に 涙は尽きぬ かくのみや 息づき居らむ かくのみや 恋ひつつあらむ さ丹(に)塗りの 小舟(をぶね)もがも 玉巻きの 真櫂(まかい)もがも 朝凪に い掻き渡り 夕潮に い漕ぎ渡り 久かたの 天の川原に 天飛ぶや 領巾(ひれ)片敷き 真玉手(またまで)の 玉手さし交(か)へ あまた夜も 寝(いね)てしかも 秋にあらずとも (8−1520)
反歌
風雲(かぜくも)は 二つの岸に 通へども 吾(あ)が遠妻の 言ぞ通はぬ (8−1521)
礫(たぶて)にも 投げ越しつべき 天の川 隔てればかも あまたすべなき (8−1522)
右は天平元年七月七日の夜に、憶良、天の川を 仰ぎ観る。一には「帥 の家にて作る」といふ。
彦星は織女と天地の別れたときから天の川に向き合って立ち思う心も、嘆く心も安らかでなく(天の川の)青い波に逢う望みは絶たれ、白雲に隔てられて涙は尽きてしまった。こんなにもため息ついたり、こんなにも恋い焦がれたりしていられようか。丹塗りの小舟がないか、玉を巻いた櫂はないか。(さすれば)朝の凪に櫂をかき渡り、夕潮に櫓をこぎ渡り 天の川原に、領巾(ひれ)を敷いて 美しい手をさし交わして、一夜だけでなく、幾夜でも共に寝たい。秋でなくても。
反歌
風や雲は二つの岸を通うのに、私の遠くの妻の言葉は全く通わない
つぶてを投げても投げ越すことができそうな狭い天の川だがそれに隔てられてかどうしても渡れない。
右、天平元年七月七日の夜に、憶良、天の川を仰ぎ観る。一説によるとこの歌は太宰の帥大伴旅人の家で作ったという。
- 最後に 志貴皇子の子湯原王の七夕歌2首を紹介します。
彦星(ひこほし)の 思ひますらむ 心より 見る吾(あれ)苦し 夜の更けゆけば (8−1544)
彦星が別れを苦しく思っている心よりも、それを見ている私の方がもっと苦しい。七夕の夜が更けていくのが。
織女(たなばた)の 袖継ぐ宵の暁(あかとき)は 川瀬の鶴(たづ)は 鳴かずともよし(8−1545)
織女が彦星と袖を寄せて寝る宵の暁は、川の瀬の鶴は朝を告げて鳴かなくてもよい。
一年に一度の逢瀬という牽牛と織女の悲恋物語は、当時の貴族たちの心を捉えたのは、別居婚の風習、そして日本古来の信仰とぴったり合ったものでしょうか。この他にも紹介したい歌が沢山ありますが、また来年追加することにしましょう。
万葉集に戻る
HOMEに戻る