十市皇女
とをちのひめみこ
大海人皇子(天武天皇)を父、額田王を母として生れ、大友皇子(弘文天皇)を夫に持つ数奇な運命を辿った女性です。大友皇子との間には葛野王という子供もいました。壬申の乱によって夫を父に殺された彼女の一生はどんなものだったのでしょうか。一説には、情報を父に知らせていたという説もありますが真偽のほどはわかりません。彼女は天武七年急逝します。自殺説もありますがあまり根拠はありません。母は万葉の花ともいうべき才女ですがなぜか皇女の歌は一首も載っていません。ここでは、彼女のことを詠んだ歌を取り上げてみました。
- 十市皇女、伊勢の神宮(かむみや)に参赴(まゐ)でます時に、波多の横山の巌(いはほ)を見て、吹黄刀自(ふふきのとじ)が作る歌
川上(かはのヘ)の ゆつ岩群(いはむら)に 草生(む)さず 常にもがもな常処女(とこをとめ)にて (巻一、二二)
川辺の岩々に草が生えないように、(皇女も)いつまでも永遠の乙女でいらしてほしいものです
この歌は壬申の乱の2年後、十市皇女が阿閉皇女(後の元明天皇)と伊勢神宮に参拝したときに、吹黄刀自が詠んだ歌です。吹黄刀自についてはよくわかっていませんが、十市皇女に仕える女性だったのでしょう。余談ですが、この前年に大津皇子のお姉さんの大伯皇女が斎宮(いつきのみや)として、伊勢に行っていますからこの時も伊勢神宮に居たことでしょう。阿閉皇女は草壁皇子の奥さんですが、この時に接触があったかどうかちょっと興味深いですね。この歌の「常処女」という表現がいいです。
- 十市皇女の薨ぜし時に、高市皇子尊の作らす歌三首
みもろの 三輪の神杉 己具耳矣自得見監乍共 寝ねぬ夜ぞ多き(巻二、一五六)
三輪山の 山辺(やまべ)真麻木綿(まそゆふ)短木綿(みじかゆふ) かくのみゆゑに 長くと思ひき(巻二、一五七)
山吹の 立ちよそひたる 山清水 汲みに行かめど 道の知らなく(巻二、一五八)
一首目はまだ定訓がないようですが「夢でもいいからあなたに逢いたいものだが眠れない」あるいは「夢でしか逢えず共に寝るることができない」などの解釈があります。後者だと、2人は深い仲にあったことがうかがえますね。こちらの方が自然であるようにも思えます。もしかしたら、壬申の乱以前から高市皇子は十市皇女に思いを寄せていたのかも。なお、この読み方についてのいろいろな説は屋内様のページに、波流能由伎でおなじみの水垣様が調べられた結果が載っていますので参照してください。
二首目は「三輪山の木綿のようにあなたの命は短かったのですね。もっと長いと思っていたのに」
三首目は「山吹が咲いている山清水の水を汲みに行きたいが道がわかりません」ということですが山吹の黄色と水で「黄泉(よみ)の国にあなたに会いに行きたい」という気持がこめられているようです。
十市皇女と高市皇子はもちろん異母兄弟ですが、恋愛関係にあったかどうかはわかりません。いずれにしても、高市皇子にとっては、同情にしろ恋心にしろ気になる人であったのでしょう。高市皇子の歌は万葉集ではこの三首以外にはありません。
彼女についてはカワギシ様のページの十市皇女〜山吹の女(ひと)〜をご覧ください。
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