で、事の真相は、実は津田沼のベンチに置き忘れたというのは完全に私の早とちりで、
本当は、ちゃんと総武線の車内に持ち込んでいました。
それで、「津田沼に置き忘れた!」と勘違いして東船橋で降りたあと、荷物を乗せたまま電車は終点のお茶の水へ……。
結局荷物は、終点のお茶の水駅の駅員によって回収。
そして今日、東京駅の忘れ物センターに保管されていたところを再会
(東京周辺の駅では、忘れ物は発見から二、三日の間その駅に保管され、その後、東京駅に集められる)。
使い慣れた茶色のリュックも、学生証も手帳も、一万五千円分のカードもゲームボーイもWiz外伝3も、
そしてレベル100オーバーのキャラたちも、無事戻ってきました。
おかえり、レミット。
しかし、重ね重ねマヌケですな、今回の件は……。
ちゃんと持ち込んで、自分の側に置いてある荷物を「無くした」なんて言うなよ。>ワシ
それで、全く見当違いの場所(津田沼駅ホーム)を血まなこで探して、見つからなくて取り乱して「盗られた」なんて言うあたりが、
さらにマヌケぶりに拍車を。
まあ、過ぎた事を仕方がないし、結局ブツは戻ってきたので、めでたしめでたしという事にしましょう。
ありがとう!お茶の水駅&東京駅の職員!!
(ついでに、津田沼駅と千葉駅と三鷹駅と中野駅の職員にも、一応感謝)
これ以上面白くならなくてよし、おたくの所は。
>99/8/16
8月15日。
終戦記念日にしてコミケ最終日、
そして私にとっては、ここ二、三年における最悪の日であった。
その日の早朝、私は”ちゃあしゅう”氏と同行し、津田沼発車の総武線始発に乗ってコミケ会場に向かっていた。
(12日に書いたとおり、私は本来この日は、昼頃に会場に向かって、ゆっくりと、閉場ギリギリくらいまで残って
用事を済ませるつもりだったのだが、前の日に行われる筈だった隅田川花火大会が雨天でこの日に順延されたおかげで、
3時前後から交通機関が急激に混雑するだろうと判断。早いうちに並んで早いうちに入場、早いうちに退場して帰るように、
予定を変更することになった)
車も何も持っていない我々。当然こんな時間にはバスも通っていない。よって、徒歩。
夜中の三時頃から一時間以上かけての、長い道中である。
ろくに寝ていない上での慣れない長距離歩行に、全身汗だくになる疲労困憊な私。こんなんでコミケは大丈夫なのかと
心配しつつも、無事津田沼駅に到着。
早速切符を買って入場し、ホームのベンチに座って始発が来るのを待つ。
……この時私は、背負っていた茶色のリュックを、ベンチの真横に置いた……。
やがて、総武線始発が到着。早速乗り込み、ちゃあしゅうと一緒にシートに座る。
動き出す電車。そして、東船橋に止まる直前になって、私はふと、あることに気付く……、
周りを見ても、見慣れたリュックの姿はない。
そうしているうちに、電車は東船橋に到着する。
動転する気持ちを必死で落ち着かせ、この後とるべき行動について考える。ここにリュックがないのなら、
津田沼のベンチに置き忘れたと考えるのが自然だ。
となれば、今すぐここで降りて、津田沼に引き返すしかあるまい。
やむをえず、ちゃあしゅうに「それじゃ、ここで……」と一言言って下車。
「一体、何のためにわざわざ津田沼まで歩いて始発に乗ったんだ……」などとブツブツ言いつつ、
その場で津田沼行きの下り電車を待ったわけだが……、発車予定時刻の電光掲示板を見て愕然。
なんと、総武線下りの到着時刻は、それから30分も後であった!
つまり、東船橋から津田沼まで3分として、津田沼にたどり着けるのは33分以上後。その間、ずっとリュックをベンチの上に 無防備のままさらす事になるわけだ。
……それはそれは、長い30分であった。
誰もいないホームの上で、焦燥感に心中を支配されながら、一人立ちつくす。(8月15日の早朝4時40分ごろから
5時ごろにかけて、JR東船橋のホームに一人で突っ立ってる男を見た皆さん、それは私です(笑))
しかしながら、津田沼に戻ってリュックさえ回収できれば、この焦燥感も杞憂で終わり、
結局自分は始発乗りのアドバンテージを失っただけで済むのである。そう考えれば、30分待ちも苦痛ではなかった。
やがて、下り電車が到着。乗り込んで、津田沼に戻り、つい30分ちょっと前に電車を待っていたホームのベンチへと向かう。
が……、
私の大事なリュックは、JR津田沼駅5・6番ホームのどこにも見あたらない!
もしかしたら、すでに駅員が回収しているのかもしれない、と思いつつ、駅員事務室に向かったものの、駅員から返ってきたのは
「そんなもん見つかったなんて報告はないよ」という、やけにぶっきらぼうな口調での返答。
顔面蒼白。
真っ青になりつつ、5・6番ホームに再び向かい、ホーム内を駆け回りつつ、再度リュックを探し回る。
パニック状態に陥っていた私は、ゴミ箱の中まで調べて回るが、当然見つかるわけがない。(8月15日の早朝5時
10分ごろから20分ごろにかけて、JR津田沼駅の5・6番ホームを走り回っていた男を見た皆さん、それは私です(笑))
私は絶望感に打ちひしがれながら、仕方なしに再び総武線に乗り込み、コミケ会場へと向かった。
道中、私はいくつかの考えを巡らせていた。
津田沼駅に忘れたとしか思えないのに、その津田沼には無かった。それでは、そのリュックはどこに?
可能性は、次の4つ。
(1)実は津田沼で無くしたのではなく、ちゃあしゅうの家に置き忘れただけ
(我々は一旦ちゃあしゅうの家に集まってから津田沼まで歩いた)
(2)津田沼に向かう途中で無くした
(3)実は、電車の中で「リュックがない」と判断したのは勘違いで、本当は当のリュックは電車の中にあった
(4)津田沼駅に置きっぱなしになっている33分の間に、誰かに略奪された
(2)の可能性は、まず無い。背負っていたリュックを体から離す機会などなかったし、それに、この道中でリュックを失った
のだとしたら、私は長時間の間手ぶらで歩いていたことになる。そんな状態になれば、さすがに違和感を感じて、
無くしたことに気付くだろう。そういう意味で(1)の可能性もない。
考えられるのは、(3)と(4)。(3)の場合だったら、ちゃあしゅうが気付いて回収してくれたかもしれないし、
そうでなくても、乗務員が気付いて回収してくれる可能性もある。
しかし、最も可能性が高いのが(4)の「目を離している間に奪われた」である事は否定できない。
やがて、有明のビッグサイトに到着した私は、ひとまず並び、購入したカタログをその場に置いて場所を確保した後、
人の海の中を、ちゃあしゅうを求めて探し回った。
長い捜索の末、ようやく奴の姿を発見。会って、事情を説明するも、彼が私の荷物を回収した様子はなく、再度愕然。
(でも、彼は1万円貸してくれた。ありがとー、この恩は一生忘れないよ)
やがて、虚脱感を胸に入場。数時間で用事を済ませ、退場する。
わずかな期待を胸に秘めつつ、再び津田沼の駅員事務室を訪ねるが、駅内からも、電車内からも、
それらしい忘れ物は見つかっていないと言われ、希望も潰える。
そういうわけで、私は大事なリュックサックを無くしてしまいました。
被害の内訳は、まず、リュックそのもの。これは、結構使い古した安物なので、大した被害ではなし。
それから、学生手帳とシステム手帳。どうせ大した情報は書かれていないので、これも大した被害ではなし。
学生証。これも、再発行してもらえれば済むことだから、大した被害ではなし。
さて、問題なのは、ゲームボーイ本体&「ウィザードリィ外伝3」。本体の方は、どうせ近いうちにゲームボーイカラーを
購入するつもりだったので、余り問題ないのだが、ウィズ外伝は痛い。ソフトそのものよりも、中に入っているデータが問題。
アイテムフルコンプリート&パーティ6人全員レベル100オーバーである。
痛い!痛すぎる!!(さらばレミット、さらばトリーシャ……)
そして、一番痛いのが、「M:tGのデッキ3つに、リーフファイトのデッキ1つ」だ。
私は、デッキにはあまり金をかけない方だが、それでもそれなりに貴重レアはデッキには含めている。
デッキに含まれていたカードの中で、特に痛いのを列挙してみると、
○M:tG
・ハルマゲドン×3
・神の怒り×1
・十字軍×3
・真鍮の都×3
・地底の大河×2
・ヴェクの聖騎士×2
・サルタリーのチャンピオン×2
・ゼフィド×1
・風鳴りの精×2
・鉄の処女×1
(その他、『サルタリーの僧侶』『サルタリーの修道士』『大気の精霊』など、アンコモン多数)
○リーフファイト
・藤田浩之×1
・一文無し×1
(その他、『熱湯風呂』『応急手当』など、アンコモン多数)
以上。これ全部紛失しました(爆)。
某「黄色い潜水艦」価格に換算してみると、余裕で1万5千円オーバーします。(自爆)
あと、このデッキケースの中には、コミケ1日目に買ったイカしたライフカンターとか、リーフファイトの冗談カードとか、
あと美少女系トレカ(逆輸入版うるし原トレカ含む)数枚も入っていましたが、それらも全部ロストしました。
もう、涙も出ません。
一応、学生証は入っているし、手帳には住所も書いてあるんで、戻ってくる可能性は一応ありますが……、
まあ、多分戻ってこないでしょう。
荷物無くした事自体も相当ショックでしたが、それよりもショックだったのは、ほんの33分間放置しておいただけで
荷物が無くなるという事実。
津田沼って、そんなにヤバい場所だったんですか……?
…………へこみまくりです。
DDR・アナパラクリーンクリア。
次はアナパラMAXだ!がんばれ>わし
昨晩観た「火垂るの墓」は、伝説のトラウマアニメに認定決定。
一緒に観ていた”ちゃあしゅう”氏と共に、ブルーになることしきり。
太平洋戦争末期の日本が、日常生活レベルにおいていかに狂った社会だったのかという事を、
ことさらに強調。
極限状態における人の絆の脆弱ぶりや、人々の「死」に対する無感傷ぶりの描写(※1)は、
見ていて吐き気がするほどであり、これが戦争の真の恐ろしさ(常識や道徳の瓦解)なのだという事を、
否が応でも思い知らせてくれる。
気持ちよく観られる映画ではなく、むしろ観ていてつらい。「悲しい」でも「恐ろしい」でもなく、
「つらい」。しかし、単純に感傷的に「戦争はいやだ」と叫ぶのではなく、「なぜ戦争はいけないのか」
といったレベルの部分までアニメで語ったという点においては、非常に高く評価できる。名画だ。
(※1)……人の死体を見ても何とも思わない主人公。主人公の母親が空襲で死んだ事を聞いて 「まあ、大変だねぇ」程度にしか言わないおばさん。そして、主人公が死んだ妹を火葬する際に、 「子供だったら、大豆の殻で燃やせば丁度よく燃えるぜ」とにこやかにアドバイスした後、 「今日はいい天気さね」と、やけに爽やかに空を見上げる、 どこかのおじさん等。
それにしても、やはり、この映画の最大の見どころは、親戚のおばさんの性格の変貌っぷりであろう。
最初に出てきた頃は優しそうに見えて、家も家族も失った主人公兄妹を快く迎えてくれたこのおばさんであるが、
やがて彼らを穀潰し呼ばわりするようになり、終盤の方など、主人公が母親の形見の着物を売却して手に入れた
白米を騙し取るなど、まるで外道。
彼女が、主人公兄妹の前でわざとらしく言い放ったセリフ
「あーあ、疫病神二人抱えてしもうたわ」は名言である。
おばさん萌え萌え。(オイ)