| 知的障害者関係戦後史年表 | ||||
| 『戦前戦後障害者運動史年表』より抜粋 | (『年表』および、パンジー提供) | ピープルファースト運動中心(パンジー提供) | ||
| 民間・当事者の運動 | 国連・海外諸国 | |||
| 40年代 | 1946年9月 | 英・知的障害者育成会発足 | ||
| 1946年11月 | 「近江学園」開設(糸賀一雄。48年知的障害児施設認可) | |||
| 1947年6月 | 日教組結成(特殊学校部会設置) | |||
| 1949年4月 | 近江学園、大津市立石山小学校に栗津中学校分教場を設置 | |||
| 1949年5月 | 日本精神薄弱児愛護協会再建(1934年創立。後の日本知的障害者福祉協会) | |||
| 1949年6月 | 「特殊教育研究連盟」結成(後の「全日本特殊教育研究連盟」)、『精神遅滞児の教育の実際』を刊行 | |||
| 50年代 | 1950年10月 | 全米知的障害者育成会発足 | ||
| 1951年11月 | 日教組「第一回全国教育研究大会」(教研集会)開催(特殊教育の分科会設置、53年以降毎年開催) | |||
| デンマーク知的障害児の親の会の全国組織結成 | ||||
| 1952年1月 | 「第一回特殊学級研究協議会」開催 | |||
| 1952年7月 | 精神薄弱児育成会(手をつなぐ親の会)結成大会開催(参議院会館) | |||
| 1952年12月 | 第一回手をつなぐ親の会全国大会(東京) | |||
| 1953年1月 | 第一回「精神薄弱児施設長会議」開催(以後68年をのぞき毎年開催) | |||
| 1953年2月 | 全日本特殊教育連盟「精神薄弱者のための養護学校及び特殊学級拡充に関する懇願書」を衆参両議院に提出 | |||
| 1953年9月 | 精神薄弱児育成会「全国〜」と改称 | |||
| デンマーク知的障害児の親の会、障害児収容施設の非人間的処遇に抗議 | ||||
| 1953年11月 | 長崎、近藤益雄・えい子夫妻、佐々木町に知的障害児の生活教育施設「のぎく寮」開設 | |||
| 1955年2月 | 精神薄弱児育成会「社団法人全国精神薄弱者育成会」と改称 | |||
| 1955年3月 | 「養護学校・特殊学級整備促進協議会」結成 | |||
| 1955年4月 | 「信楽青年寮」(成人施設)創立 | |||
| 1955年6月 | 母子愛育会、私立愛育養護学校設立 | |||
| 1955年12月 | 日教組特殊学校部「第一回精神薄弱児・肢体不自由児などの修学促進運動に関する懇談会」の開催を呼びかけ | |||
| 1956年3月 | 「肢体不自由児・精神薄弱児の教育義務制促進大会」開催 | |||
| 1956年4月 | 全国精神薄弱者育成会、月刊指導誌『手をつなぐ親たち』創刊 | |||
| 1956年5月 | 知的障害児の通園施設小金井児童学園開設(全国の先駆けとなる) | |||
| 1958年11月 | 日本心身障害児協会設立 | |||
| 全国精神薄弱者育成会、三重県名張市に名張育成園開設(知的障害児のアフターケア施設) | ||||
| 1959年3月 | (社)全国精神薄弱者育成会、社会福祉法人・全日本精神薄弱者育成会と改称 | デンマーク、1959年法(ノーマライゼーション原理:「知的障害者のための可能な限りノーマルな生活に近い生活を創造する」) | ||
| 60年代 | スウエーデンでノーマライゼーションの考え方が広がり、当事者の 活動が はじまる。 | ・精神薄弱者福祉法ができる | ||
| ★国立のコロニー(大規模入所施設)が あちこちにできる | ||||
| 1960年11月 | 「精神薄弱者福祉法制定記念福祉振興大会」(東京・大阪・名古屋・札幌・福岡で来日中のパール・バック女史が講演) | |||
| 1961年5月 | 重症心身障害児施設「島田療育園」開設 | |||
| 1962年2月 | 米国:ケネディ大統領、議会に福祉教書を送る(老齢者・失明者・障害者・児童に対しニーズの変化に対応した効果的な福祉サービスの強化を強調) | |||
| 1962年4月 | NHKラジオ第2「ラジオ特殊学級」放送開始(94.4〜「ともに生きる」改題) | |||
| 1962年11月 | 長崎、近藤原理・美佐子夫妻、佐々木町に知的障害児・者との共同生活の家「なずな寮」開設 | 米国:ケネディ大統領、「州立及び私立施設の精神遅滞者へのケアの水準を改善する」 | ||
| 1963年4月 | 「全国心身障害児をもつ兄弟姉妹の会」結成(95年「全国障害者とともに歩む兄弟姉妹の会」に改称 | |||
| 「びわこ学園」開設→66年第2びわこ学園開設 | ||||
| 1963年7月 | 仏:「心身障害児教育特別手当法」制定(社会保険でカバーされず家族の負担となっている未成年者の教育・職業教育についての手当) | |||
| 1963年10月 | 米:「母子保健・知的障害対策改定法」制定(新生児と母親の保健サービスと精神発達遅滞児予防策を設定) | |||
| 1963年11月 | 「日本特殊教育学会」設立 | |||
| 1964年9月 | 「第一回精神薄弱者愛護全国大会」開催 | |||
| 1965年2月 | 秋田地方紙『さきがけ』に島田療育園の看護不足の記事が載り、これに応募したうち15名が就職(おぼこ天使と呼ばれる。〜75年で90余名。ほとんど1〜2年で退職) | |||
| 1967年2月 | 「自閉症児親の会全国協議会」(現在の「自閉症児者協会」の前身)結成 | |||
| 「精神薄弱者養護学校全国PTA連合会」結成 | ||||
| 1967年8月 | 全国障害者問題研究会結成 | |||
| 1968年 | スウェーデン:知的障害者の全国大会開かれる | |||
| 1968年11月 | スウェーデン:「精神発達遅滞者援護法」施行(各種サービスを規定) | |||
| 1969年4月 | 梅ヶ丘病院(東京世田谷区)、国内最初の自閉症児病棟開設 | |||
| 70年代 | 1971年 | 米国:精神遅滞者居住施設基準 | ||
| 1971年12月 | 国連:知的障害者権利宣言採択 | |||
| 1972年7月 | 英:知的障害者の全国大会開かれる(ロンドン) | |||
| 1973年 | アメリカ・オレゴン州では、この年までに20を超える当事者グループが組織され、集会では「(障害者である前に)まず人間だ《People First》」の意見がでる。その後、「ピープルファースト」という名前のグループが各地にできる。 | ・79年 養護学校義務化の政令出る | ||
| 1973年11月 | 第一回アジア知的障害会議開催(フィリピン) | |||
| 1974年 | 八王子市養護学校(知的障害)を中心に「どの子も地域の学校で」の取り組み始まる | |||
| 1974年3月 | (知的障害児施設)甲山学園事件起こる | 東京都「障害児の希望者全員入学」 | ||
| 1974年9月 | 大阪「障害児の教育と生活を保障しよう市民の会」結成 | |||
| 1974年10月 | 米国:オレゴン州オター・クレストで知的障害者組織PeopleFirstの第一回州大会開催(1978年までにカリフォルニア・カンザス・ワシントン・ネブラスカ・カナダ・オンタリオ・アルバーク各州で州大会が開催される) | |||
| 1975年11月 | 「第二回アジア知的障害者会議」(東京)開催 | |||
| 大久保製壜(東京世田谷区)の知的障害労働者、経営者の障害者差別に対して闘争開始 | ||||
| 米:知的障害者の当事者グループProjectTwo結成(ネブラスカ州オマハ。代表:レイモンド・ルーミス) | ||||
| 1976年 | 米国:「ランターマン発達障害者サービス法」(カリフォルニア州)(「可能な限り最大限、知的障害者が州全域の自己の居住地でもれなくサービスを受けられるようにする) | |||
| 1976年2月 | 知的障害児施設「いわき・敷津浦学園」(大阪市住之江区)の移転問題で住民の阻止運動が起きる | |||
| 札幌「いちご会」発足 | ||||
| 1976年6月 | 養護学校義務化阻止共闘会議(準備会)結成(東京) | |||
| 1977年 | 全障連と2地区の養護学校義務化阻止共闘会議の主催で全国集会開催、文部省交渉行われる。全国22地域で阻止共闘会議が組織される。 | カナダ:知的障害者の全国大会が開かれる | ||
| 1977年 | 米国:「発達障害者サービス基準」(ノーマライゼーションに基づく評価基準) | |||
| 1978年6月 | 米国:発達障害者の権利擁護のための非営利組織PAI設立 | |||
| 1978年10月 | 大阪15教組「どの子も地域・校区の学校へ」をテーマに集会(日教組内でも地域校就学運動が広がる) | |||
| 1978年12月 | 全障連と11地域養護学校義務化阻止共闘会議共催の全国集会開催(深夜12時まで文部省交渉) | |||
| 1979年1月 | 全障連と22地区の養護学校義務化阻止共闘会議、文部省前に一週間座り込み(映画「養護学校あかんねん」上映、運動が広がる) | |||
| 1979年3月 | 奈良の梅谷尚司君の就学闘争で10日間の座り込み・泊まり込み闘争 | 養護学校義務教育化(4月) | ||
| 80年代 | 1980年3月 | 奈良の梅谷尚司君の就学闘争で中学3年からの通学実現 | ・1980年代になり、地域生活のための法律が できはじめる | |
| 自閉症児・根岸高宏君、埼玉県和光南養護学校から学区の浦和市立大久保東小学校に転校 | ||||
| 1980年4月 | 国際障害者年日本推進協議会(現在のJD日本障害者協議会)設立 | 知的障害者国際組織PeopleFirst international第一回会議開催(米国オレゴン州ポートランド) | ||
| スウェーデン:知的障害者協会(FUB)、知的障害者本人を正会員とする。 | ||||
| 1981年1月 | 「国際障害者年を機に障害者の自立と完全参加を求める大阪連絡会議」(現在の障大連)、「障害者問題を考える兵庫県連絡会議」結成 | |||
| 1981年9月 | 「障害児を普通学校へ全国連絡会」結成 | |||
| 1982年1月 | 島田療育園入園の女子園生の「脱出」を援助した職員の処分をきっかけに労働争議起きる | |||
| 東日本初の自閉症者施設「けやきの郷」地域住民の強い反対により、建設変更 | ||||
| 1982年4月 | 米:インディアナ州最高裁、ダウン症乳児に対し両親の「死なせる権利」を認める判決 | |||
| 1983年5月 | 島田事件の赤堀正夫氏裁判。再審請求で静岡地裁に差し戻し(1989年無罪判決) | |||
| 1983年12月 | 米:連邦最高裁、重度障害の乳児殺しの裁判で「死なせる権利」を認める | |||
| 1984年4月 | 奈良の梅谷尚司君、就学闘争から発展的に「大柳生牧場」開設 | |||
| スウェーデン:知的障害当事者のオーケー・ヨハンソン、FUB(知的障害者協会)の代表理事に就任 | ||||
| セルフ・アドボカシー国際会議開催(米国) | ||||
| 1985年7月 | スウェーデン:「精神発達遅滞者特別援護法」(新援護法)制定。施設解体が本格的に進められる。 | |||
| 1987年 | デンマーク:知的障害者本人活動第一回「カルチャーカンファレンス」開催 | |||
| 第18回北欧会議(スウェーデン・ウプサラ)に知的障害者多数が参加 | ||||
| 1988年3月 | 神奈川県相模原市の中学校で障害児学級卒業生が卒業アルバムに入れられず問題化 | |||
| 1988年8月 | 富山県高岡市営プールで知的障害者に記念品を贈呈せず抗議運動が起きる | |||
| 1988年 | セルフ・アドボカシー国際会議開催(英国) | |||
| 1989年3月 | グループホームの制度制定 | |||
| 1989年10月 | 全日本精神薄弱者育成会第38回全国大会(金沢)で初めて本人部会がもたれる | |||
| 90年代 | 1990年7月 | 米「障害をもつアメリカ人法」(ADA)」成立。(雇用・交通・公共施設・聴覚言語障害者のテレコミュニケーションシステム等の分野における障害者差別を禁止) | ||
| 1990年8月 | 世界育成会(ILSMH)第10回知的障害者世界大会(パリ)への本人参加のよびかけに応え、5人が参加し発言 | |||
| 自立の家「つばさ」の知的障害を持つメンバーが、全国で初めて「他人介護料」と「生活保護」を受給し、ホームヘルパー制度を利用しながら自立生活を始める | ||||
| 1991年6月 | ・カリフォルニア・ピープルファーストのリーダー、コニーさん、支援者のバーバラさん 大阪にくる。(米国のピープルファースト運動が日本に紹介される) | |||
| 1991年10月 | 「全日本精神薄弱者育成会成会」40周年記念大会開催(東京) | |||
| 1991年11月 | 全日本育成会、平凡社に対し、哲学事典の「精神薄弱」に対する差別的記述の改訂を要望 | |||
| 1991年7月 | 全障連大会(大阪)ではじめて「知恵遅れの仲間の分科会」ひらく | |||
| 1992年1月 | 「全日本育成会、知的障害者本人たちの集まりによる「青年の主張」を開催(後に当事者組織「さくら会」として発足) | |||
| 1992年3月 | 全日本育成会、第4回介護福祉士国家試験問題に「知的障害者に対する偏見と誤りがある」として厚生省に抗議 | |||
| 1992年 | 日本精神薄弱研究協会「日本発達障害学会」に改称 | 全障連大会(東京)で西尾さん清水さん発表する | ||
| 1992年9月 | 知的障害当事者の組織「札幌みんなの会」結成 | カリフォルニア・ピープルファーストのリーダー、トムさん、支援者のローゼンバーグさん 大阪にくる。 | ||
| 1992年10月 | 知的障害者本人たちの企画書「私たちにも言わせて、ぼくたち私たちの将来について−元気の出る本」作成 | |||
| 1992年11月 | 知的障害者が「なかま会」(大阪)結成 | |||
| 1993年6月 | 全日本育成会、障害者からの子宮摘出問題で理事長見解公表。全国的な状況把握を始める。 | 第3回ピープルファースト国際会議(カナダ) | 左記大会に日本から当事者初参加 | |
| 1993年9月 | 知的障害者本人の企画・執筆による交流通信誌「私たちにも言わせて、ゆめときぼう−元気の出る本」作成 | 全障連大会(奈良) | ||
| 1994年1月 | 『手をつなぐ』編集委員会、「精神薄弱者」の用語をやめ、知的障害者とする | |||
| 1994年5月 | 知的障害当事者の6団体が「ふれあい交流会」開催(東京) | |||
| 1994年6月 | 東京都育成会本人部会「ゆうあい会」を発足 | |||
| 1994年7月 | 神奈川県の知的障害者更正施設「厚木精華園」オンブズマン制度発足 | |||
| 1994年10月 | 第1回知的障害者全国交流集会(大阪)をひらく。(参加者100人) | |||
| 1994年11月 | 第13回全日本育成会全国大会(徳島)で、初めて本人決議を採択 | |||
| 全日本育成会の調べによる知的障害者本人が組織する会は10都道府県4政令市に18団体 | ||||
| 1995年3月 | 全日本育成会、知的障害者本人の企画・執筆による「私たちにも言わせて−希望へのスタート・元気の出る本」を出版 | |||
| 1995年5月 | 全日本精神薄弱者育成会、「(社福)全日本手をつなぐ育成会」と改称 | |||
| 1995年6月 | 「国際育成会連盟(ILMH)」II(inclusion international)と改称 | |||
| 1995年10月 | 水戸パッケージ事件発覚(茨城県水戸市アカス紙器社長赤須政夫による知的障害従業員への虐待、雇用助成金不正受給等) | |||
| 1995年10月 | カリフォルニア・自立生活支援会議 '95(毎年開催) | 左記会議に日本から当事者参加 | ||
| 1995年11月 | 第2回知的障害者全国交流集会(東京)ひらく(参加者100人) | |||
| 青山正さんのえん罪事件で、最高裁、上告棄却(再審要求運動は継続される) | ||||
| 全日本育成会「精神薄弱」の用語と会名変更について全国アンケート調査 | ||||
| 1995年12月 | 知的障害者による「ピープルファーストはなしあおう会(東京)」結成 | |||
| 「リーガルアドボカシー育成会議」(LADD)発足 | ||||
| 1996年1月 | 自立支援会議でであった、ダニエル・メドゥウスさん、支援者のキャッシーさん大阪にくる。ワークショップ「自信がどんどんわいてくる」 | |||
| 1996年2月 | 水戸事件で障害者問題人権弁護団、被害者に事情聴取 | |||
| 1996年3月 | 全日本育成会、第一回本人活動支援セミナー開催(以降毎年開催) | |||
| 1996年4月 | 愛媛県立第3養護学校(知的障害)高等部第2年の男子生徒の両親、同生徒が同校講師に二度にわたり暴行を受けけがをさせられたとして、学校側に講師の処分と暴行の再発防止を求めていた問題で、学校側は両親に謝罪文を出し講師は依頼退職、県教委は新たな処分はせずと。両親、警察署の取り調べ方に抗議。 | |||
| 1996年5月 | 滋賀県八日市市署、五箇荘町の肩パット製造会社「サン・グループ」社長和田繁太郎を横領容疑で逮捕、知的障害者従業員への虐待事件も明らかになる。 | |||
| 1996年6月 | 第1回カリフォルニア・セルフアドボカシー会議(毎年開催) | 左記会議に日本から当時者参加 | ||
| 1996年8月 | 「水戸事件のたたかいを支える会」結成(東京) | |||
| 1996年11月 | 「障害のある人の人権を考えるサン・グループ事件を考える会」シンポジウム開催(大津) | ・第3回知的障害者全国交流集会(神戸)ひらく (参加者300人) | ||
| 1997年1月 | ・知的障害者全国交流集会にむけての全国実行委員会をひらく | |||
| 1997年2月 | 水戸事件被害者団体と両親水戸地検の準強姦副祖に対し暴行容疑で告訴 | |||
| 1997年3月 | 知的障害者施設「白河育成園」(福島)職員15名中約5名が園長(兼理事長・渡邊留二)の暴力的指導実態を内部告発 | |||
| 1997年7月 | ピープルファースト話し合おう会、東京都と話し合い | |||
| 1997年11月 | 白河育成園被害者弁護団、渡邊理事長を医師法違反、暴行罪等で刑事告発 | ・第4回知的障害者全国交流集会(静岡)ひらく。(参加者500人)(「ピープルファースト宣言」を発表する | ||
| 1998年4月 | 第4回ピープルファースト国際会議 (アラスカ) | ・左記国際会議に日本から参加。T・Jモンローさんと出会う | ||
| 1998年6月 | 『元気の出る本(vol.6)かがやくみらいー北の国から愛を込めて』発行 | |||
| 1998年8月 | 第1回大阪府立大学知的障害者夏季オープン・カレッジ開催(以後、年間4回、各季節にオープンカレッジを開催 | |||
| 1998年11月 | 第5回知的障害者全国交流集会「ピープルファースト大会IN奈良」 (参加者800人) ゲストにT.J.モンローさんをよぶ | |||
| 1998年12月 | 第一回知的障害者子育て支援研究会開催 | |||
| 1999年3月 | 東京都内の知的障害者更正施設「愛成学園」で入居者を虐待した職員の処分をきっかけに労働争議が起こる。 | |||
| 1999年4月 | 日教組教育紀研「インクルージョンをめざす教育」発表 | |||
| 1999年11月 | ・第6回知的障害者全国交流集会「ピープルファースト大会 IN大阪」開く(参加者1000人) | |||
| 1999年 | スウェーデン:12月末ですべての収容(入所)施設に収容することは法違反となる | |||
| 00年代 | 2000年1月 | 宮城CILたすけっと「県ほたる園」(知的障害児施設)の職員による女性入所者への性的虐待事件で県福祉事業団に抗議文提出 | ||
| 2000年2月 | 全日本育成会と山形県育成会、障害者作業所「つくしんぼ」の所長と指導員が元通所者に売春を強要していた事件で山形地検に起訴を求める要請書を送る | |||
| 2000年4月 | 北海道伊達市知的障害者地域生活支援センター、有珠山噴火による影響を発表 | |||
| 2000年7月 | 地テク障害者の就職支援のための「就労支援ネットワーク」設立大会開催(東京) | |||
| 2000年11月 | 第7回知的障害者全国交流集会「ピープルファースト大会IN東京」開催 (参加者800人) | |||
| 2001年7月 | 東京都「権利擁護センターすてっぷ」を廃止 | |||
| 2001年11月 | 全日本育成会、創立50周年全国大会本人大会開催(東京) | 第7回知的障害者全国交流集会「ピープルファースト大会IN北海道」開催(参加者600人) | ||
| 2002年4月 | 「なかま会」、「ピープルファースト大阪」に改名 | |||
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