果てしの無い夢と・・・・ゴーカイ秘話、運命的な優勝



果てしの無い夢と・・・・ゴーカイ秘話、運命的な優勝
ゴーカイ秘話、運命的な優勝・其の壱
ゴーカイ秘話、運命的な優勝・其の弐
ゴーカイ秘話、運命的な優勝・其の参
ゴーカイ秘話、運命的な優勝・其の四
ゴーカイ秘話、運命的な優勝・其の五

世界初の国際招待障害、中山グランドジャンプにて・・(2000.4.15)

画像はイメージです
いつもお世話になっております。 本日日本で初めての国際障害レースとして中山グランドジャンプが行われますが、その中に僕が係わって障害調教した馬もでてくるんです。 障害のオリンピック候補選手が競走馬の調教なんて妙な取り合わせに聞こえるかもしれませんが、障害競走の本場、フランスでは、障害ジ ョッキーが趣味と練習を兼ねて障害の馬術競技に出場する、なんて事がざらにあるそうです。 現に、昨年JRAがフランスの障害競走の研修に行った先が、なんと有名なジル・ド・バランダのお兄さんの厩舎で、現に厩舎には何人も馬 術選手兼ジョッキーが居たそうです。 競馬も乗馬も基本は同じ「馬術」というフランスの歴史に裏打ちされた成熟した馬術文化を見ると共に、日本の、「競馬と乗馬は全くの別 物で、競馬はギャンブル、乗馬は貴族のお遊び」、という貧相な日本の馬術文化のイメージを少しでも変える為に、オリンピック候補選手 も競走馬に乗ったり色々な事をするが、馬術も競馬も結局は一枚の馬文化という岩盤の上に成り立っていると言うような事の参考にでもし て頂ければ幸いです。 どうぞ、よろしければご笑覧ください。 いよいよ本日の中山11R本邦、いや、世界でも初めての国際招待障害レース「中山グランドジャンプJ・GI」が行われる・・・・・。 世界各国の強豪を迎え撃つ日本馬の先頭に、あの、「ゴーカイ」がいる・・・・。 思えば、僕が去年の今頃、ヨーロッパのインターナショナル競技のあいまに帰国していて、家の本業である那須トレーニングファーム競走 馬育成牧場の方を手伝って競走馬に乗っていた時、その馬は居た・・・・・。 平場(平地競走の事です)で頭打ち(勝ち上がって、クラスが上がって通用しなくなること)になって、仕方ないから障害競走に転向させ よう、と言って障害練習の為に美浦の「豪腕」で有名な郷原洋行厩舎から、当ファームにやって来た「ゴーカイ」 これといって特徴の無い馬だったが、素直で物覚えが早く、「豪快」という名前とは裏腹に器用な柔かい馬だったのを覚えている。 なぜ彼の事を良く覚えているか、と言うとその当時、丁度同時期に「ショウブシ」という個性的な名前の馬も同じく障害訓練をしていて、 個人的にその二頭の名前が好きで{「ゴーカイ」な「ショウブシ」よ!!}と、アホな事を言いながら可愛がっていたので、よく覚えてい るのです。 その後、僕がヨーロッパで馬術競技を転戦している間に、ゴーカイは障害レースにデビューし、障害の若手NO.1ジョッキーである横山義行 騎手を背に最後の直線、ゴール寸前で名前の通り「豪快」な追い込みを炸裂させ、メキメキ頭角を表して東京障害ステークスJ・GIIIを制し、 昨年暮の日本障害NO.1を決める中山大障害J・GIでは平場で重賞2勝のゴットスピ−ドと直線叩きあいの接戦になり、惜しくもハナ差の2着 に惜敗しましたが、僕がヨーロッパの競技シーズンを終えて帰国した時には彼は日本トップクラスの障害競走馬に成長していて名を轟かせて いたのです。 平場ではもう駄目、と烙印を押されながらも、見事に障害競走馬として復活した彼の姿を見て、「本当に馬にも人にも無限の可能性が秘めら れていて、失敗して壁にぶち当たっても諦めずに頑張っていれば、何時か「花開く」んだなぁ!!」と逞しく成長したゴーカイの姿をみて感 激すると共に「わてももっともっと頑張らねば!!」と力が沸いてくるのでした。 正直言って牧場でゴーカイと一緒に調教していた「ショウブシ」の方が活躍するだろう、と密かに思っていたのですが、ショウブシは障害レ ース一勝した後、伸び悩んでもがいているそうです。何が良くなるなんて解ったもんじゃありませんね。ハイ。 それはそうと、こうして国際レースの檜舞台に自分が関係した馬が出てくると感慨深いものがあります。 結果はどうであれ、世界の胸を借りるつもりで精一杯走って、日本産、日本調教の「純和製」の「ゴーカイ」な追い込みを、大和魂を見せて くれる事と信じてます。 僕もゴーカイと同じく日本代表として世界を相手にする者として、ゴーカイへ応援のエールを送ると共に、そのエールを「ゴーカイに負けな い様に」と自分への起爆剤として遠くヨーロッパはベルギーより送りたいとおもいます。 「頑張れ〜〜〜!!!!!ごぉ〜〜〜〜かぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜いいっ!!!!!!!!!」
感動をありがとう!!ゴーカイ!!・・・運命的な優勝!!!!其の壱 ええええええ〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!!!! ご、ご、ごぅ、ごぉうぅくぅわ〜〜〜〜〜いいいいいいいい、 ゆ、ゆぅ、ゆうしょう〜〜〜〜〜〜〜!!!!!??!?!? ほ、ほ、ほ、ほほほ、ホントウですぅか!?(茂木君風に(笑) やった〜〜〜〜!!!!おめでとう〜〜〜〜!!! ぐぅおぉ〜〜〜〜くぅわぁ〜〜〜〜〜〜い!!! うわ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜いいいい!!!!!
・・・・・すいませんあまりの嬉しさに少々とりみだしてしまいました。 いや、しかし、頑張っていい所は見せてくれるとは思っていたものの、まさか優勝してくれるとは・・・・・ 正直いって、先週イギリスで、世界で最大の障害の大きさと難しさを誇る、伝統の障害レース、映画「緑園の天使」や、英国の騎手であり又、 小説家でもあったディック・フランシスの小説にも、出てきた有名な大レース「グランド・ナショナル」が行われて、そのレースで6頭の馬 が障害や乾壕で引っくり返って薬殺。騎手も2名が死亡。 ・・・・それで動物愛護協会が、毎年薬殺馬の出るこのレースを中止するように英国競馬会を訴える、と言うような事があったので、同じ様 な事が起こりそうな気がしていて、正直ゴーカイにはとにかく無事に人馬転倒なしで帰って来てくれれば・・・・世界各地の強豪を相手に、 着順は掲示板(5着以内)にでも載ってくれれば上出来だなぁ・・と、思っていました。 メールマガジンで愛読している、「週刊競馬情報」にも、{日本障害界にも遂に「黒船襲来」の時がきた!! 第1回ジャパンカップ(GI)の時がそうであったように、見えざる「世界の壁」が、日本障害界に立ち塞ぐであろう・・・・・}と書かれて いました。 確かに、日本の太平の障害競馬界は中央競馬会の庇護のもと、ぬくぬくと暮らしていて去年から障害競馬振興策なんて始まって慌てて競馬界 の人たちもフランスとか視察にいったけどにわか仕込みで外国のハングリーな精神に太刀打ちできる訳が無く、外馬勢に上位を独占されてし まうかも・・と懸念してたのですが・・・・・・ それが、まさか優勝してくれるなんて・・・・・・!!!! ゴーカイが優勝したその日、僕は丁度オランダの競技会に行っていて、始めにゴーカイの優勝を知ったのは僕の二人の姉からのEメールででした。 しかも、二人とも僕同様に喜んでくれて、 「ギャーーー、うそーーー、信じられな〜〜〜〜い! キャーーー、やったーーー!!ゴーカイーー!!!」 と言うような内容のメールで、姉の中の1人なんぞ、生後8ヶ月の赤ん坊と一緒にゴーカイの馬券を握りしめて 「とったとったとったとった〜〜〜!!!!」・・・と 狂喜乱舞してくれたようなので僕のこのメールの冒頭と同じ感覚を持つ2人の姉の姿を思いうかべ、「血は争えないな・・」と呟くと共に、 「しかし、これじゃどういう風にゴーカイが走って、優勝したのか全く解らないな・・・・」と、苦笑していると、馬術情報の大久保登喜 子さんからメールが入りました。 「ゴーカイ優勝おめでとうございます。 10馬身の差を一気に抜いてゴールイン、豪快な勝利には鳥肌が立ちました。」 という流石、数々の馬術等の記事を扱われている方の文章で、簡潔な中にも写実的でなおかつ知的に筆者のユーモアと感動が伝わってくる このメールを見て、「ああ、そうか。ゴーカイはいつもと同じ様に横山義行騎手が道中は楽に、馬に無理をさせずに中団で進み、ゴーカイ も那須でコンビネーション障害などで教えた「自分で踏み切りを見て、体を使って、無理なく楽に飛ぶ」というアメリカ障害馬術調教じこ みの上手な安定した飛越で気持ち良く無理せず力を蓄えながら最後の直線に望み、溜めていた力を一挙に爆発させて他馬が止まって見える ようなラストスパートをかけ、世界の強豪馬達すべてを一挙に呑み込み尽くしたところが中山グランドジャンプ栄光のゴールだった・・・。」 と、いうレースの場面がありありと頭の中に映像として浮かび、ゴーカイが優勝したこのレースを生で見る事はできませんでしたが、大久 保さんのメールのおかげで素晴らしい映像となって僕の脳裏に鮮やかに再現され、その感動を心ゆくまで遠いヨーロッパの地であじあわせ て戴いてます。 そして、僕のイマジネーションを助ける何の役にもたたなかった僕の姉のメールから、再び劇的な、運命的なことを感じさせる事実が発覚 するのです・・・・。
横山義行騎手 ・・・・・・其の弐に続く・・・・・・。
感動をありがとう!ゴーカイ!!・・・運命的な優勝!!!!其の弐 そう、姉のメールにて発覚した運命的な事実とは、なんと、ゴーカイをゲートインさせたのがJRAに勤務する姉の夫で僕の義兄であり、みち のくの名馬プルート号の元オーナーで、現在自分で調教したシンコウブラウン号で全日本クラスで活躍している高橋秀行さん、その人だった のです!! 高橋さんは札幌競馬場勤務ですが、たまたま出張で中山競馬場に来ていて、中山グランドジャンプの、しかもゴーカイのゲートインを担当し たのです!! 高橋さんも、JRA宇都宮育成牧場勤務時代は近かった那須トレーニングファームに毎週通い、義父であ る社長の特訓を受け、僕が調教したプルートに乗って全日本で上位に入賞するまでに成長して、現在は 自分で北海道勤務になってから調教し、育てたシンコウブラウンを駆って、北海道自馬選手権で優勝、 東日本選手権で3位、全日本で7位に入賞し、「札幌競馬場の名人」と賞されるまでになったのです。 その、那須で育った高橋さんが、同じく那須で育ったゴーカイのゲートインの誘導をしたとは不思議な 縁を感じます。 僕が四年前、ワールドカップファイナルに向けてスイスに遠征している時に、那須トレーニングファー ムで鞍付けから馴致、トレーニングまで、すべてを施して育っていった「ユウセンショウ」が、平場の 重賞であるダイヤモンドステークスG・III優勝!!、続く目黒記念G・IIにも優勝!!とグレードレース に連勝したので、「よおぉ〜〜し僕も那須で同じく育ったものとして頑張らねば!!!」と気合を入れ、 頑張ったのを思い出します。 今年も、僕がオリンピックに向けて遠征している時に同じく那須で育ったゴーカイが中山グランドジャ ンプJ・GIに優勝してくれ、僕を勇気づけてくれました。この事にも、何か不思議な運命的なものを感 じます。 というのも、じつは、この「ユウセンショウ」と「ゴーカイ」那須で育った2頭は実は兄弟だったのです!!


ユウセンショウとゴーカイの母、ユウミロクは柔軟な馬体をもち、日本NO.1の牝馬決定戦、「オークス」
では史上最強の三冠牝馬メジロラモーヌの2着と健闘した馬で、ユウミロクの父カツラノハイセイコは、
元祖競馬ブームの火付け役、オグリキャップ以上に人気を集めたという元祖アイドルホース「ハイセイコ
ー」の直仔で、父ハイセイコーの果たせなかった日本ダービー優勝の夢を見事に果たした根性のある馬な
のです。

その母から柔軟さを、祖父から強い意志を受け継いだユセンショウ、ゴーカイは、僕と時を同じくして世
に羽ばたいたのです。

四年前、ユウセンショウはGIII・GIIに優勝し、夢のGIにあと一歩の所までせまりました。そして今年、
ゴーカイは兄、母が果たせなかったG・I、グレイド・ワンレースに優勝しました。

僕もユウセンショウと同じく、四年前、ワールドカップの先に果たせなかった夢を、今年のゴーカイと共
に果たしたいと思います。

果てしの無い夢を・・・・・・・・・・・・・・。


・・・・・・・・其の参に続く・・・・・・・・・・・



感動をありがとう!!ゴーカイ!!・・・運命的な優勝!!!!其の参 「そして、果てしの無い夢と・・・・・・」 ゴーカイの優勝は日本の障害競馬界に大きな感動と自信を与えました。 しかし、遅れているといえる日本の障害界の馬であるゴーカイが、世界の強豪を相手に、なぜ一歩も引けをとらない走りが出来たか、と言いま すと、一般には「地の利」とか、日本の馬場はスピードがいるから外国馬には不利だった、とか言われていますが、現にレースを見ますと、ゴ ーカイ以下は、上位をほとんど外国馬が占めていますので、贔屓を抜きにしてもやはり、ゴーカイが日本馬離れした飛越と走りを見せて、実力 上位の屈強な外国勢を下したと見るのが正当でしょう。 現に、平場の国際レース、ジャパンカップも開始した当初の数年は外国馬の優勝馬がずら〜っと並んでいて、上位もほとんど外国馬で占められ ていたのです。 それではなぜ、遅れた島国の、長きに渡り鎖国的であった障害競馬界のゴーカイが、「黒船襲来」的な本場の外国馬に太刀打ちできたのか? ・・・そこには一人の人物の大いなる情熱と夢がバックボーンとして存在しているのです。 ・・・そう、その人物とは、那須トレーニングファーム代表・廣田健司・・・・・。 それでは、ゴーカイ優勝の裏に隠れた、果てしの無い夢のお話をいたしましょう・・・・・・・・・。 ・・・二十数年前、廣田が脱サラして乗馬クラブを始めようと思い立った時、まだまだ日本の馬事文化レベルは低く、(今もそうですが、昔は もっと)乗馬クラブとしてだけではとても真っ当な商売として成り立たない、と悟った彼は、自分の技術を金にかえるすべとして、競走馬に着 目し、「乗馬も競馬も基本は同じで、高い技術を以ってすれば必ず成功する!」といって全く経験の無い、畑違いである競走馬のトレーニング を始めました。
しかし、馬事文化の遅れた日本の競馬界では、どんなに優れた技術を持っていようと、乗馬の世界から来た人間は所詮、坊ちゃん嬢ちゃんのお 遊び程度にしか馬を扱えまいと見下され、相手にされません。 これが欧米などの馬事先進国ならば、優れた競馬のトレーナーはまず、必ずと言っていいほど馬術の経験があり、馬術に対しての理解もあります。 しかし、馬事後進国の日本では、理解など全くしてもらえず、馬術経験者など門前払いで、当然ながら良い馬など預けて貰えるはずも無く、う だつのあがらないまま、ただ時だけが過ぎてゆくのでした・・・・ そこで廣田は平場の競走馬に見切りをつけます。 「平場の競走はどんなに高い技術を以って調教してもただ走るだけなので結局は先天的な馬の持って いる素質によって決まってしまう。しかし、障害レースならば、平場の脚(速く走れる能力)がそれ 程無くても、馬術の技術を駆使して障害をスムーズにクリアーできる様にきちんと調教出来れば、馬 は余力を残して最後の直線まで向え、劣った能力の馬でも十分に勝つチャンスはある。 それにきちんと障害を飛べる、と言う事は障害レースでとても多い落馬が少なくなり、まず起こらな くなると言う事だ。これは、とても大切な事で、極端な事を言えば中山大障害など難度の高い障害レ ースで、全然遅い馬でも、他の馬が全部落馬したら優勝できるのだ。それは無理にしても、確実に飛 越さえできれば必ず着はひろえる。これならば、技術の介在する余地がある!!劣った素材でも勝負 になる!!」


現実に、その当時の障害競走馬はまずちゃんとした訓練など受けず、平場で頭打ちになった馬をいきなり勢いで障害に向かわせて、飛んだら障
害向き、と言ってそのまま障害戦に出場し、拒止したり飛ばなかった馬は引退、という非常にいい加減なもので、事実落馬が非常に多く、レベ
ルも相当低いものでした。


そういった中で、発想を変え、「競馬も馬術も基本は同じである」という欧米と同じ進んだ考えもつ廣田は障害馬術の技術を応用して障害競走
馬を調教し始めました。

もともと相手にしてもらえない調教師や、競馬界の人達にこのような案内をだしました。

「二ヶ月調教して障害馬としてレースに使えなかったら、調教料を全額お返しします。」

・・・これには、どんな馬でも、今まで調教師や競馬界の人間がさじを投げていたような馬でも、必ず障害競走馬として完成させてみせる、と
言う意思の表れで、完全に競馬界、調教師へ対しての廣田の馬術家としての挑戦です。

案の定、調教師からもの凄く叩かれました。「乗馬なんてお遊びでやってる奴が、何を偉そうに!!」・・と。

しかし、その中で何人かの調教師が、「面白い。駄目でもともとだ。試しにやってもらおうか。」と、あまり平馬で活躍しなかった馬を何頭か
預けてくれました。

廣田は自分の持てる限りの馬術の技術を駆使して必死になってその馬達を調教し、時は流れるように、瞬く間に過ぎてゆくのでした・・・・。

そして・・・・・・・・。


・・・・・・・・・・・・其の四に続く・・・・・・・・・・・・


果てしの無い夢と・・・・ゴーカイ秘話、運命的な優勝!!!!其の四
那須トレーニングファーム・競走馬育成場 時が流れ、廣田が調教した馬達は、すべて障害馬としてデビューしました。 そこで廣田の調教した馬達はメキメキと頭角を表してきて、調教師や競馬界の人間を驚かせました。 それもその筈、競馬場にたむろしているほとんど未訓練で、飛び方を知らず、ただ竹柵を突っ込んで越えるだけで、いつ引っくり返るか解らな い「危険な障害馬」の烏合の衆と、きちんとした障害の調教を受け、飛越の仕方をちゃんと知っていて、竹柵を「越える」のではなく、きちん と「飛越」して確実に障害をクリアーする「訓練された安全な障害馬」の白眉とは確実性と安全性で雲泥の差があり、確実にレ−スを終える馬 だけが安定した成績と、長く活躍する事によって頭角を表す事ができるのでした。 「廣田の調教した馬は落馬をしない」 という噂が競馬界の中で広まり、活躍馬が多数現れてきました。 しかし、多くの古い頭を持つ調教師は素直に認めようとせず、廣田がどの様な方法で調教しているかなど考えようともせず、昔ながらの勢いに 任せた「根性主義」の危険な調教を続けていました。 しかし、きちんと訓練された馬がいかに安全で乗り易いか、という事は実際にレースに乗っている騎手が一番よく解る事で、廣田の手にかかっ た障害馬に騎乗した多くの騎手はそれを感じましたが、「なあに、たかが乗馬の遊びでやってる連中に、教わる事など何も無い」と合いも変わ らず競馬界の偏見で凝り固まっていて、そのきちんとした調教法を知ろうともしませんでした。 その様な中で、やる気のある、偏見に染まっていない若手の障害騎手二名が廣田のもとを訪ねました。 そこで廣田は「乗馬も競馬も基本は同じ」という馬術理論を説き、今まで勢いで障害をかき分ける事しか知らなかった二人の騎手に、廣田の初 めて購入した外国産の乗馬、ドイツ産のハノーバー「グランドピーク」に乗せて、ゆっくりした速足でいきなり中山大障害級の150センチの 障害を飛ばさせたのです!! 「ぼっか〜〜〜〜ん!!!!」 ドイツ産ハノーバーのグランドピークは重厚でゆっくりとした力強い飛越で悠々と障害の上を越えていきました。普段、細くて非力なサラブレ ッドにしか乗っていない二人は、度胆を抜かれました。 「な、な、なんなんですか!?これは!?」 廣田は、口の端を少し吊り上げながら静かにこう答えました。 「・・・これが、障害を飛ぶ、っていう事なんだよ。」 二人は、目から鱗が落ちた様に感激し、すぐさま廣田にこう言いました「馬術を、教えて下さい。」・・・・と。 それから二人は暇があれば廣田の元へ教えを請いにいき、廣田も、{遅れている日本が欧米に追いつく為には「百錬自得」などと言っていては 話にならん!!いつまでたっても追いつけん!!}と言って出し惜しみなどせず、あらゆる事を教え、二人はメキメキと腕を伸ばし、障害界の トップジョッキーに成長したのでした。 そう、その廣田の門を叩いた変わり者の若手ジョッキーとは、後の現役最多障害勝利騎手の田中剛騎手と、JRAの障害振興策の中心的アドバイ ザーとなった三浦堅治騎手。 現在の障害騎手界の重鎮となる二人だったのです。 ・・・・・・・・・其の伍に続く・・・・・・・・・
そして、果てしの無い夢と・・・ゴーカイ秘話、運命的な優勝!!最終話其の伍
廣田のもとで馬術を学んだ田中剛、三浦堅治の両騎手は偏見で凝り固まった閉鎖的な競馬界の中で、合理的な馬術を応用した障害馬の調教法 を広めようと悪戦苦闘します。 理解がなかなか得られないながらも、廣田が調教し、田中、三浦が騎乗した馬達は次々と結果を出していきました。 三浦堅治騎手騎乗で東京障害特別優勝のロンゲット、田中剛騎手騎乗で中山大障害優勝のシンコウアンクレー、同じく中山大障害優勝のワカ タイショウ、最近では三浦騎手の後輩である横山義行騎手騎乗でこれまた中山大障害優勝のビクトリーアップ、そしてゴーカイ、と綺羅星の 如く障害界のスターホースがずらりと並び、那須トレーニングファームで訓練を受けた障害馬の中から、ここ10年で4頭もの日本障害NO. 1の称号である、中山大障害優勝馬が輩出されているのです。 しかも、その多くの活躍馬が、平場で未勝利かやっと1勝できたような馬ばかりで、現に、東京障害特別を勝ったロンゲット、98年の中山 大障害を制したビクトリーアップは、共に平地競走では未勝利で一回も勝てなかった馬だったのが、那須の、廣田の手を経て障害馬として頂 点に立つまでになるというシンデレラストーリーも数多く生まれたのです。 {ちなみに、ロンゲットの調教師が、早くから廣田に賛同してくれて、協力してくれた「グラスクイーン」の物語で有名な矢野幸夫調教師で、 矢野氏は、戦前ロサンゼルスオリンピックで金メダルをとったバロン西中尉の最後の教え子の一人でもある。} その上、廣田の元で障害馬術の基礎をしっかり教え込まれた障害馬達は、たとえ競走馬として活躍できなかったとしても、すぐに乗用障害馬 として転身もできるので、貰い手が見つかりやすく、那須で訓練を受けて乗用に転向した馬の中からも全日本内国産選手権優勝のオンワード ネバダ、全日本、国体で常に上位入賞する日本トップクラスの内国産馬マイネルシュタール(現・みちのくの名馬プルート)、全日本ジュニ ア選手権6位のマックスゲッター等、乗馬としても数多くの優駿を輩出し成功を収めました。 その様な背景から、長らく「乗馬反駁」の起っていた競馬界の風潮もほとんど収まり(まだ少数戦後軍人の根性主義の様な方がおられますが) とにかく、乗馬はもとより、競馬サークルの中でも「障害なら那須トレーニングファーム」と言われ、認められるようになって、馬術の経験 しかなくて、全くの競馬の素人であった廣田が、僅か十数年で名実共に日本の障害調教の第一人者になったのです。 なぜ、競走馬の経験などまるでない、一介の馬術家であった廣田がこのように成功を収められたか、というと、彼の類稀なる才能と技術もさ ることながら、そこには、彼の馬術への凄まじい情熱と、果てしの無い夢が隠されていたからなのです。 話は遡りますが、廣田が乗馬クラブを始める前の二十数年前、今はなき某・馬具会社に勤めていた彼は、当時の社長に目をかけられ、幸運に も渡欧するチャンスを与えられ、渡欧しました。 西欧の進んだ華やかな成熟した馬事文化に触れ、見聞して、茫然としました。「日本は、50年は遅れている・・・・・・。」・・・今で言 えば未開のジャングルから文明の大都会に放り込まれたようなものです。 帰国した彼は、壮大な夢を、胸に決意します。「いつか、必ず、日本で世界に通用する馬術育成所を作ってやる!!遅れた日本の馬事文化を 世界に通用する高みにまで押し上げてみせる!!」と・・・・。 その後、脱サラし、苦難の道を経て、彼は自分の理想である西欧式の乗馬クラブ、競走馬トレーニングセンターである那須トレーニングファ ームを完成させました。 勉強家である廣田は、馬術施設の勉強も欠かさず、良馬の調教に欠かせない室内馬場インドアや坂路、合理的なウォーキングマシーン、横積 み横降ろしの馬運車等、常に先進的に導入し、しかも必ず出来合いのものは使わず、合理的に自ら増築、改良を加え、施設は日本人向けに使 いやすく、しかも世界に引けをとらないものになっていきました。 施設をハードとすると、ソフトは馬術で、廣田は馬術トレーニング法も、当時ロサンゼルスオリンピックで歴史がヨーロッパより遥かに浅い ながらも世界を席巻していたアメリカの合理的な馬術に着目し、10年ほど前から息子の龍馬をアメリカに派遣させて自らも勉強し、その良 い所を日本人向けにアレンジして取り入れ、廣田式に日本の人馬向けに改良したのが当クラブでいう「アメリカンスタイル」なのです。 その世界を目標にした日本離れしたソフトとハードから、障害競馬界の頂点である中山大障害の優勝馬が四頭輩出され、その中のゴーカイが 日本最初の国際障害レースの中山グランドジャンプで世界を相手に優勝しました。 廣田龍馬選手とマンオブゴールド号 障害馬術界でも廣田の息子である龍馬が全日本大障害選手権に廣田が再調教したオーストラリア産の元競走馬、マン オブゴールドで優勝し、世界への登竜門でもあるワールドカップJAPANリーグでも優勝し、ワールドカップファイナル に出場、今ではシドニーのホープとして世界を駆けめぐっている。 「夢(目標)は世界(インターナショナル)。」二十数年前に心に決め、それからずっとその理想に夢と情熱と人生と を捧げてきた廣田。
奇しくも先に、世間に国際化(インターナショナル)の波が黒船の様に押し寄せ、長きに渡り鎖国していた競馬界の障害レースも突然黒船襲来的に国際開放となった訳ですが、泰平の眠りを貪って遅れていた日本障害界も、一人の男の馬
術維新(革命)により、優勝馬を出す事ができ、取り残されずにすみました。 ゴーカイの優勝は最初に散々競馬界に叩かれた「競馬も馬術も基本は同じ」という欧米では当たり前の理論を実証し、 廣田の採ってきた「インターナショナル」への方針は間違っていなかった事を証明しました。 今では競馬界の視察の方々が後を絶ちません。 大きな夢を持ち、世界が目標である廣田にとって日本でのゴーカイの国際レース優勝や龍馬のワールドカップリーグ優勝などは当たり前で、 単なる通過点なのかも知れません。 しかし、それは決して当たり前などではなく、今まで廣田と、廣田に賛同して協力してくれた先人の、数多くの日本のホースマンの情熱と努 力によって築かれたものだと、次世代を担う若者は忘れてはならないと思います。
乗馬クラブで指導中の廣田龍馬さん(左) そしていつか必ず、廣田の夢は実現すると思います。 たとえ、廣田の代で果たせなくとも、廣田と関係した命があるかぎり彼の情熱と夢は生き続け、廣田の夢を受け継ぐものが運命に導かれ、い つかきっと彼の持つ「果てしのない夢」を叶え、インターナショナルの大輪の花を咲かせてくれる事と信じます。 もし、私達が運良くその感動の大輪を目にできた時、この様な先人達の物語に思いをはせると感謝の念が絶えないでしょう。 ・・・・・「夢を、感動を、ありがとう・・・」と・・・・・。 ・・・・・ゴーカイ優勝の裏に隠れた果てしの無い夢のお話でした・・・・・ おわり。 ◇◆☆★☆★☆★☆★☆★☆★◇◆ ▲△広田龍馬RyumaHirota ●◎ ▽▼zero2000@ff.iij4u.or.jp○● ◆◇★★☆☆☆★★☆☆☆★★◆◇
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