シドニー五輪無事終了 お疲れさま! 広田龍馬選手&マンオブゴールド号





拝啓 錦秋の候、皆様におかれましてはますますご盛栄の事とお喜び申し上
げます。平素は大変お世話になり誠にありがとうございます。

 20世紀最後のスポーツの祭典シドニーオリンピックも無事終わりました。
2年間に渡るヨーロッパでの厳しい戦いの末、フランスでの日本馬術史上、
類を見ない巨大な障害かつ難しいコースでの4回の走行での最終予選を勝ち
抜いた結果のオリンピック参加でした。

 シドニーの本番では残念ながら必死のケアにもかかわらず、完全な体調に
てマンオブゴールド号を出場させてやる事が出来ず、個人決勝に進む事は出
来ませんでした。しかし、的を絞った団体戦第一ラウンドでは人馬とも見事
な充分オリンピックに通用する飛越で2落下マイナス8点でゴール致しまし
た。これで林選手−8、白井選手−8、杉谷選手−10、広田−8の内、上
位3名の計−24で10位まで出られる団体戦決勝へ10位で進出しました。
ヨーロッパ、アメリカ等に比し遅れている日本馬術界に於いて、団体で決勝
進出は初めての事です。

午後の決勝では20歳のマンオブゴールド号は午前中にその力の全てを出し
尽くしたのか全く足が上がらす多くの落下をしてしまいましたが、それでも
死力を尽くして飛び続け一度の拒止もなく完走してくれました。
オーストラリア生まれのマンオブゴールド号にただただ感謝するばかりです。

 シドニーへ出発にあたり盛大な歓送会をしていただき又多くの方から多額
の激励金をいただきました。この様な結果を出せましたのも皆様の絶大なる
応援の賜物と再度お礼申し上げます。本当にありがとうございました。
 この経験をバネに2年後のスペイン、へレスでの世界選手権、4年後のア
テネオリンピックへ向けてますます努力し、日本馬術界の発展に少しでも寄
与したいと覚悟を新たにしております。今後共どうぞよろしく応援、御指導
お願い致します。

 那須トレーニングファーム     代表 広田健司
                  選手 広田龍馬

決戦!!シドニーオリンピック最終選考会!!
五輪出場権獲得まで
Road to Sydney
シドニー五輪代表選手選考基準
果てしの無い夢と・・・・ゴーカイ秘話、運命的な優勝



マンオブゴールド

ファイナルピーク

プリンセスピア

広田 龍馬(ひろた りゅうま)1976年・兵庫県生まれ
父、広田健司氏が那須トレーニングファームを経営していたころから、幼い頃から馬に親しみ、
小学5年から本格的に馬術を始める。1992年から米国へ渡り、ジョージ・マイヤー、スーザ
ン・ハッチソン、ポール・ヴァイヤー氏らの元で留学。日本での全日本級競技会で次々と好成績
をあげる。現在はシドニーオリンピック出場を目指し、ベルギーのブルース・グッディン厩舎に
在籍しヨーロッパの競技会で活動中。


1998CSI-O ラ・ボール アキュムレーターマンオブゴールド6位
CSI-W 栃木グランプリファイナルピーク2位
1997CSI-W 日本サブリーグマンオブゴールド2位
1996VOLVO ワールドカップファイナル
スイス・ジュネーブ
マンオブゴールド出場
CSI-W インディオグランプリヤマト2位
CSI-W 静岡グランプリマンオブゴールド4位
1995CSI-W 日本サブリーグマンオブゴールド優勝
全日本障害飛越馬術選手権マンオブゴールド優勝


8月5日の夕方、那須トレーニングファームでシドニー五輪・障害飛越馬術競技に出場が決まった龍馬さんの壮行会が盛大に行われました。

壮行会で決意を語る広田龍馬選手

中学校時代の恩師と

「夢をありがとう、ゴールド。」



僕はゴールドに出会うまでは、国際大会なんて考えてもいなかったし、オリンピックなんて夢のまた夢だと思っていましたが、ゴールドとの出逢いが、僕の人生を180度変えてくれました。
そしてそのゴールドに乗れるようになるまでに僕を乗せてくれて沢山の経験をさせてくれた沢山の馬達や、すべての環境を整えてくれた両親、影となり日向となって応援してくださった皆様にこの場を借りて本当に心からお礼を申し上げます。

ほんとうに、ほんとうに、ありがとうございました。


僕は本当に沢山の「ありがとう」に支えられて、ここまでやってこれた本当にラッキーな人間だと自分で思います。
ゴールドにさせてもらった最高の経験を、未来に繋げ、発展させ、その「命のサイクル」を広げて続かせて行く事が僕の使命だと思っています。
これからもあほな事をやらかして皆様にご迷惑をおかけする事とは思いますが、これからも長い目で見守ってやっていて下さい。
もういちど、僕の長いメールにお付き合い頂き、誠に有り難うございました。

また、いつの機会かお会いしましょう!!!


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(NHK-BS1より)
シドニーオリンピック終了!!・・世紀の果てに、見たものは・・・。
其の四

2 Nov 2000
2年前、世界選手権の予選の前に馬運車が引っくり返ってゴールドと一緒に死にかけて、その時はゴールドが生きていてくれただけでよかった、それだけで幸せだと思いました。
その後、まさかオリンピックまで連れて来てもらえるとは夢にも思わなかったのですが、あの馬は、数々の試練を乗り越え、みんなの夢を乗せてここまでやってくれました。

常識では考えられないような年齢で、調子が悪くても何でも、いつが大事な時か解っていて、必死になって巨大な障害に立ち向かって行ってくれたゴールド。

その一番の親友と迎えた、日本チームにとって、一番大切な最高の舞台、大一番。


・・・あの馬は、解っていたのです・・・・・。


・・・いつが、一番大切な時かを・・・・。


・・・いつが、自分の残り少ない力を一気に爆発させ、最大限に発揮する時かを・・・・・。


・・・・・あの馬は、解っていたのです・・・・・。





・・・・・ドッカ〜〜〜〜〜ン!!!!!!!!




素晴らしい、生涯最高の飛越でオリンピックのとてつもないコースを次々にクリアーしていきます!!!!

・・・なんて・・・・・なんていう馬なんだ・・・・・!!!!!!

21歳、シドニーオリンピック大会最高年齢馬の信じられない奇跡の飛越に、会場から声にならないどよめきが起こります・・・。

誰もが引っかかるオクサーから水濠、そして5間歩半でのトリプルの一番難しいラインでも、水濠の後を5間歩で向かい、そのラインをノーミスでクリアーしたのはゴールドとアトランタで銀メダルを獲得したスイスのカルバロだけでした。

最後の3つを残してここまでノーミス!!!
誰もが、「この調子だと、こいつらノーミス、満点で帰ってくるんじゃないのか?」と思ったその瞬間、踏み切りが近くて2つの落下が出てしまいましたが最終障害は綺麗に飛んで、2つの落下のみ、マイナス8でゴール!!!!!!!

3万人の人で埋め尽くされた会場が大歓声に包まれます!!!

「ほんとに、ほんとにお前はとんでもない馬だよ!!
ゴールド!!信じてた・・・信じてたよ!!きっとお前はやってくれるって!!!!!」

涙ぐみながら必死にゴールドを気遣ってくれたグレイシーが駆けつけ、ゴールドと僕に抱きつきました。「まったく、あんたたちって人馬は・・・・凄いわ!!」

「龍馬、ようやった!!」僕を「キーマン」と呼んでくれていた中野監督が飛んできて、うちの父も、そのあとすぐやって来て、無言で固く握手を交わしたのでした。
終わってすぐインタビュアーが駆けつけたので、「どうだい?僕の、わ・か・い・馬は素晴らしく良く飛んでくれるだろう?」というと、それを衛星中継のヨーロッパで見ていたベルギーの友達が、大笑いしながら、「リューマ!!良くやった!!お前のコメント、サイコーだったぜ!!」と携帯で連絡してくれ、「凄かった!!」「サイコーだ!!」「ミラクルだ!!」と会う人皆、口々にゴールドを称えてくれたのでした。

世界チャンピオンロドリゴペソアも「リューマ、とてもいい走行だった!!!」と褒め称えてくれ、僕が「いや、馬だけがスーパーで、もし人間がボンクラでなかったら満点で帰れた・・・悔しい!!」と言うと、「そんなことはない。あの馬と君は二人で一つのいいコンビなんだ。 どちらが欠けても今日のあの素晴らしい走行はできなかっただろう。」と、この気さくなブラジル人の若き王者は諭してくれました。

21歳のマンオブゴールドの激走によって日本チームは入賞圏内の8位と僅か1落の差の10位で、史上初めてチームで決勝ラウンドに進む事ができました。

しかし、第一ラウンドでもてるすべての力を出したゴールドには、第2ラウンドを飛び切る力は残っていませんでした。
午前中と、うって変わって準備運動の時から全然上にあがらず、本番でもガラガラと10個もの障害を落としてしまいました。
しかし、飛び上がる力が残っておらず、オリンピックの化け物のような障害を前にして、並みの馬では萎縮してしまって、普通ならゴールすらできない状態であるにも拘らず、あの馬は・・・ゴールドは・・・・そのとてつもなく強い精神力で果敢に障害に立ち向かっていき、オリンピックの最後のゴールをしっかり切ってくれたのでした。
もし、万全の状態で迎えられたら・・・と、悔やまれるのでした。

「お疲れ様!!ゴールド!!本当によく頑張ってくれたね!!本当にここまでありがとう!!
よかった!!無事に帰ってこれたね!!
こんな状態で、本当によくやってくれたね!!
天馬マンオブゴールド!!!!」

たくさん、たくさん、「ありがとう」の気持ちで、ゴールドに愛撫をして抱きつくと、あたたかく懐かしい想いが僕の胸を満たし、目がかすんで良く見えませんでしたが、ゴールドはその時、きっと優しい瞳をたたえながら誇り高い姿でずっと遠くを見ていたのだと想います。

・・きっと、これからもずっと続く僕たちの馬術人生を・・。

・・・・・・・命のサイクルを・・・・・・

・・・・・・・果てしない、道を・・・・・・・・・・・。




・・・七転八倒、転がりまわって世紀の果てのオリンピックで、僕と、ゴールドが、見たものは・・・・・・。



・・・・・次の世紀に向かい、「生きる」為の、燃えるような「勇気」と「希望」だったのでした・・・・・。



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▲△広田龍馬 Ryuma Hirota ●◎
▽▼ zero2000@ff.iij4u.or.jp ○●
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シドニーオリンピック終了!!・・・世紀の果てに、見たものは・・・。
其の参

20 Oct 2000
2000年10月28日。

遂に迎えた運命の団体戦決勝。

僕とゴールドの最後の戦いの場が、すぐそこまで迫って来ていました。

初日の成績の不甲斐無さから、僕は選手村内にある床屋に行き、頭をまるめました。

ここまで応援して下さった皆様。
シドニーまでわざわざ応援に来て頂いた皆様。
最終選考会で僕の代わりに涙をのんで下さった方々。
そして故郷に錦を飾るはずのゴールドに、とてもとても申し訳なくて、僕は皆へのお詫びの意味と雑念を振り払い、透き通った心で競技できるように頭をまるめたのです。

史上最強チームと謳われたシドニー日本代表チームの中で、二番目に走行する僕とゴールド。

林選手が一番手で、僕が二番手。白井選手が三番手で杉谷選手が四番手というスターティングオーダーは今年の日本チームが5位に入賞したCSIOラボールと同じオーダーです。

一番手の林さんが見事な走行で二つの落下のみ、−8で帰ってきて僕達に日本チームとしてのバトンを渡してくれました。

いよいよ・・・僕の番だ・・・・。

・・・ドクン・・・ドクン・・・。


胸の鼓動が高鳴ります。

林さんの走行を見終わって、必死に下乗りをしてくれている父・健司と、ゴールドのもとに駆け寄りました。

「・・・凄い気迫だ・・・。ゴールドは、何時が大事なのかを解っている・・・・。乗っていて怖いくらいだ・・・。」

父からゴールドの手綱をバトンタッチされ、ゴールドに跨ると、ゴールドの温もりが、パワーが伝わってきて、その力強く、優しい、鼓動が、そして又懐かしい馬体の揺らぎが今まで固くなりかけていた僕の心を溶かしてくれ、僕の心とゴールドの波動が互いに溶け合っていくのでした・・・。

すると不思議な事に気持ちがスウッと軽くなって、準備運動を進め、障害をこなすうちに、今まで長いこと忘れていた感覚が甦ってきました。

それは・・・・・

          「たのしい」

                  ・・・・と言うこと・・・。



・・・・最近僕はオリンピック予選だオリンピックだ何やらで、ここは減点いくつじゃないといけない、失敗は許されない、お国の為だの、置かれた環境によって追い詰められた様な気持ちでいつもいつも悲壮感を漂わせてずっと競技をしていた事に気付きました。

勿論そう言う気持ちも大切ですが、人間と馬が本当にのびのびと競技でき、真価を発揮できる時・・・・。

・・・・・・・それは、長らく僕が失っていたもの・・・・・。

・・・・馬に乗れて「うれしい」と言う気持ち。
・・・・障害を飛べて「たのしい」ということ。
・・・・上手く飛べて「きもちいい」と言う感覚。
・・・・「次はなにがおこるんだろう」という希望に満ちたワクワクした気持ち。

僕の馬に乗り続ける為の一番大切な原点、根源を、一番大切な競技の大一番の前にゴールドのおかげで、思い出す事ができたのでした。

すると、気持ちのもやもやとした雲が吹き飛び、すっきりした青空のようなさわやかな風が僕の体と頭の中を吹き抜けました。

「・・・そうだよな・・・。俺たち、ずっと一緒にここまでやってきたんだもんな・・・・。恐れるもんなんか、なにもない!!さあ行こうゴールド!!最高の舞台で、最高の走行をしよう!」

ゴールドの体には力がみなぎり、いよいよ準備運動馬場から競技場に入ろうとする時に、選手以外は入ってはいけない筈のインゲートに、僕の母がいつの間にか入っていて、鬼気迫る「鬼」のような形相で、「はい〜〜っ!!!いくよ〜〜〜〜っ!!」と叫んでゴールドのおしりをパンと叩いて「気」を送り込んだので、周りの関係者や、オリンピックの役員の目がテンになっていて、僕も可笑しくなって笑いながら入場してしまいました。


・・・そう・・・この感じ・・・。

皆が僕達を見守っていてくれて、僕達もこの最高の舞台に立ててワクワクする感じ。

僕は「ゴールドの最後の試合なんだから、ミスは許されない!!」と気負い過ぎていました。

応援してくれているみんなとゴールドのお陰で、心の斤量はゼロになりました。

ゆっくりとコースを見渡し、ゴールドに囁きます。

「頼んだぜ!!相棒!!」

ゴールドと僕は、前日までとはまるで違う、体が軽くなったような天かける力強い駆け足でスタートに向かうのでした。


・・・・続く・・・・。



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シドニーオリンピック終了!!世紀の果てに、見たものは・・・。
其の弐

6 Oct 2000
みんなの力を合わせて何とか通ったベットチェック・・・・。

しかし、十分なトレーニングを積めず、大きな不安をかかえたまま競技に向かわねばなりません。

さしもの「天馬」マンオブゴールドも、きちんとしたトレーニングを積まねばオリンピック級の障害を越える翼が無くなってしまいます。

いやな予感は的中して、トレーニングラウンドでなんと6個の障害を連続で落としてしまいました。こんな事は今までに全くなく、やはり脚部不安でトレーニングできなかったつけツケがゴールドを襲ったのでした。

「まずい・・・!!こんな状態ではオリンピッククラスの障害は絶対にクリアーできない!!!」

トレーニングラウンドを見ていた関係者全員に焦りが見え始めました。

そして遂に本番の日・・・・。

やはりゴールドはトレーニング不足がたたり、普段では絶対落とさないような障害をボロボロ落としてしまいました。
しかし、壁のような巨大なコースを、全然練習をせず、高い障害を飛んでいない馬なら竦み上がってしまう様な化け物みたいなコースを、ゴールドは必死になって飛び越えてくれました。

いくつかの障害は遥か上を飛ぶ本当に素晴らしい飛越を見せてくれたので、完全な状態でなかったのが本当に悔やまれます。

多くの減点を初日に背負ってしまい、個人決勝出場は非常に難しくなりましたが、まだ団体戦が残っています。

日本チームは、これまで団体戦では一度も決勝に進んだ事がなく、戦後最強チームと名高いシドニー代表日本チームに、期待がかかっています。

中野監督から「龍馬、お前がキーマンやからな!!」と前々から言われていた団体戦。

手負いのゴールドと僕達に最大の試練がやってきました。

果たして、日本代表として活躍できるのでしょうか・・・。

手負いのゴールドは・・・・・・。



・・・・・続く・・・・・。


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シドニーオリンピック終了!!・・・・世紀の果てに、見たものは・・・・。
其の壱

5 Oct 2000
今世紀最後の祭典シドニーオリンピックが終了しました・・・。

オリンピックの競技が始まってしまうと色々バタバタしてしまってメールを開く暇もなくなってしまい、メールが遅れてしまってすいませんでした。

・・・・・嵐が過ぎ去った後のように、僕は今、とても静かな場所にいて、今までの厳しい戦いがまるで幻だった様な気がするほどです。


・・・・・・僕とゴールドとの最初で最後のオリンピックは稲妻のように過ぎ去っていきました。

残念ながら、決勝進出はできませんでしたが、実はゴールドは厳しい最終予選の後、体がガタガタになって、まともに運動できない状態にまで陥り、オーストラリアに来て何とか気候風土のおかげで持ち直り、無事でいてくれてよかった、と言う感じだったのです。

ベットチェック(歩様検査)で総合チームは二頭が落とされ、チームが成立しなくなってしまったので、歩様検査が通るか通らないかの瀬戸際にいるゴールドは、全くちゃんとしたトレーニングが積めないでいたのでした。

「なんとか、ベットチェックだけは頑張って通そうな!!
せっかく故郷のオーストラリアにまで着たんだ!!錦を飾らせてやりたいもんな!!」と、日本チームの専属獣医でもある天谷先生がゴールドを一生懸命治療してくれながら、「でも、俺、この馬はすべて解っていて、いざベットチェックになったらやってくれると思うんだ・・・・。」と、呟くのでした・・・・・。
ゴールドのグルームでゴールドのことが大好きなグレイシーも必死になって他国の厩舎中を回って、治療に良いとされるものを探し、祈るような気持ちで歩様検査の日を待ちます。

21歳の大会最年長馬で、体に美しい白い斑点を持つオーストラリア生まれのマンオブゴールドは、地元のオーストラリアの人々に絶大なる人気があり、ゴールドを見かけた人は皆、口々に「My favorite horse!!」と駆け寄って来てくれ、OZの気さくな人たちは皆、里帰りしたゴールドの事を褒め称え、応援してくれるのでした。

この様な人々に囲まれ、助けられ、かなり際どい状態にありながらも、運命の10月24日、本番の競技の前日ベットチェックは行われ・・・・・。

・・・・僕とゴールドは、辛くもベットチェックを通過して、ここまで力を合わせて治療してきた天谷先生とグレイシーと、無言で硬い握手を交わしたのでした。

・・・「やった!!歩様検査をパスした!!・・・・。
・・・・・これで・・・・これで・・・・
ついに故郷のシドニーの檜舞台に上がれるんだ!!!」

ここまでしてきた努力が報われ、無駄にならずに済んだ事にただただ、感謝するのでした。

日本チームの、ゴールドのすぐ隣の、世界選手権6位のハンガリーの馬は、獣医ミスで脚が腫れてしまい、スタートラインに立つ事すらできませんでしたし、斜め前のはるばるイギリス領バミューダからやって来た人馬は、総合馬術のクロスカントリーでクラッシュして、馬は薬殺、人も怪我を負うという憂き目に遭ってしまい、本当に人馬共に無事でいる事の難しさ、有り難みを痛感するのでした。
・・・・続く・・・・

大ピンチ!!今度はゴールド絶不調!?
24 Sep 2000
なんとか熱も下がってやれやれ・・・と思っていたら、今度はゴールドが・・・!!!!!

最後の調整の為に障害競技のメインスタジアムで行われたスクーリングジャンプで、10障害飛んだのですが、ゴールドが全然上にあがらず、いつもの切れのあるジャンプではなくて、なんと第5障害まで全部落下してしまい、全部で6つの障害を落とすと言う今までにない悪い内容で明日からの障害飛越競技個人予選本番に暗雲が立ち込めます。

一難去って、又一難。

いくら僕が体調よくても、飛んでくれるのはゴールド。

総合の競技を見た後、とにかくゴールドが無事に競技を終えられるように、ただそれだけを祈っています。

今、シドニーに暗雲が立ち込め、雨が降り始めました・・・。

はたして、僕達は大丈夫なのでしょうか・・・・・・?


ゴールドと僕の、行き着く先は・・・・・・・。




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次々と襲い掛かる五輪の悪魔!!馬術チーム大ピンチ!!
23 Sep 2000
1992バルセロナ7位、1996アトランタ6位入賞の日本総合馬術チームが、クロスカントリーでまさかのリタイアという憂き目に遭ってしまい、改めて五輪の難しさ、厳しさを痛感しました。
はるばる日本から駆けつけた日本チーム応援団。
その一身の期待を背負って、加藤選手が個人出場資格を得て愛馬アクワバ号と共に駆けます!!

第一日目のドレッサージで48ポイントの好成績をあげ、13位で後半へ折り返しました。
順調にA区間、B区間とクリアーしていくように思われたのですが・・・・・。


・・・・・・無念、またもや日本チームにとって「鬼門」の、B区間スティープルチェイス後にアクワバ号に歩様異常が見られ、リタイア・・・・・・・。

しかし、前回金メダルのブライス・テイトが棄権し、走行した二頭が死ぬという、苛酷な経路の中で、早めに症状が解り、無事に済んだことは良かったと言うべきだと思います。

優勝はアメリカのデビット・オコーナー選手でしたが、彼も五輪の悪魔が襲い掛かったのか、最後のスタジアムジャンプで経路を忘れ、危うく金メダルを逃しそうになりましたが、観客の「右!!みぎ〜〜!!」と言う大合唱で思い出し、見事勝利を手中に収めたのでした。

この様に金メダリストにまで襲い掛かる五輪の悪魔。

総合チームの分まで頑張らねば!!と気合を入れ直したにも拘らず、僕にも悪魔が襲ってきました。

なんと明後日から試合だと言うのに風邪を拗らせてしまい、38.8度の高熱。

・・・・こんな時に限って・・・・・。

・・・・今までこんな事一回も無かったのに・・・・。

・・・・これが五輪の悪魔と言うものなのか・・・・・・。

・・・・果たして、こんな状態で大丈夫なのだろうか・・・・・。


ああ、、意識が朦朧として、もううてませn・。・・。、。

遂にオリンピック開幕!!!
18 Sep 2000
無念!!総合チーム!!

一日目の馬場馬術は全員無事にこなし、第9位で折り返して、クロスカントリーでの巻き返しに期待がかかったのですが・・・・。

細野さんの馬と土屋さんの馬が、スティープルチェイスが終わった時点で破行してしまい、日本総合チームは無念のリタイア。

幸い大事には至らず、アトランタから2大会連続で出場の土屋さんのライトオンタイム号も、これで引退させてあげるとの事でした。

しかし、加藤さんが個人の出場権を得て、明後日からの個人線に出られることになったので良かったです。

オリンピックの厳しさを感じると共に、僕達は大丈夫なのだろうかと暗雲が立ち込めるような一日でした。

総合チームの分まで、頑張らねば・・・・・。



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遂にオリンピック開幕!!其の弐
18 Sep 2000
午後9時にようやく待機場所のスーパードームより開会式の始まるメインスタジアムまで徒歩でぞろぞろと民族大移動よろしく30分程歩いて遂にメインスタジアムへ辿り着いた・・・・。

思ったより小さめの長い長いトンネルのような出口を抜けると、そこは・・・・・・。



雪国だった・・・・。    ・・・訳は無く、視界に入ったパノラマは、360度の広大なスタンドに一面に埋まった人、人、人。

そして地鳴りのような大歓声。

11万人のうめきや歓声の巨大な波動が僕の体を包み、突き抜けて、光に包まれたスタジアムは何か神々しい場所のように思われ、その神々しい光と歓声に包まれて浮き足立った日本代表団は「サマランチ会長の前でマントを広げる」と言う言いつけも忘れてバサバサ「飛べない鳥」のようにのっけからマントをひらめかしてしまいました。

しかしそれが功を奏したのか観客の大歓声を浴び、(ただ単に日本人がスタンドに多かったからかもしれませんが・・・・。)日本の行進は無事終了。スタジアム中央にてずっと整列するのかと思いきや、みんな好き勝手な所に行って写真撮影したり、違う国の列まで行ってピン交換したりする人までいました。

かく言う僕もイギリスチームの所でたまたまジェフ・ビリントンに会ってイギリスと日本のバッチの交換をしました。

入場行進では、地元オーストラリアの他に非常に大きな歓声を持って迎え入れられた国がありました。

その国とは・・・「KOREA」・・・「朝鮮」・・・。

北朝鮮でも韓国でもなく、ただ一つの国、「KOREA・朝鮮」。

ロシアとアメリカにより二つに引き裂かれていた国が同時に入場行進するという素晴らしい瞬間で日本ももしかすると大戦後東西に分けられていたかもしれなかったので他人事には思えず、一番近くにある身近な外国の好事に、心弾ませました。

全ての国が出揃い、聖火が点り、開会式はクライマックスを迎えて、盛大な花火が上がり、じーーんと感動の余韻に浸ろうとしていると、すぐにせっかちな係員がやって来て、ぐいぐいと押し出されるようにして会場から強制退場を強いられました。
会場を出る途中で福山雅治を見かけましたが、それも束の間、一瞬にして僕は人並みにさらわれ、気が付くと韓国選手団の中に紛れ込んでしまいました。

その中で人なつこい韓国の人が、わざわざ英語で話し掛けてくれたので、僕がお返しに、韓国のCSIソウルの時に韓国トップライダーのボン・ガク・ソンに教わったハングル語で自己紹介と挨拶し返すと、相手はびっくりして僕の顔をまじまじと見つめ返しました。

彼は、韓国人にしては珍しく、日本びいきで、「日本は素晴らしい国だ!!東洋における西洋へのコンプレックスを打破した最初の国だ!!」と世界大戦があったにも拘らず日本を褒め称え、「今日は南北朝鮮が一つになって入場した歴史的な日だ!!嬉しい!!」と、やはり朝鮮の統一に感激していたようでした。

一万人近くの選手達が移動するので、選手村入り口は大混雑に陥り、僕はごみ山で作られたモニュメントの山に登り、その選手村にうごめく蟻の群れのような人の波を、不思議な気持ちで見ていました。

いよいよ、祭りの火蓋は、切って落とされたんだな・・・・。
と・・・・・・・。


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遂にオリンピック開幕!!!
18 Sep 2000
遂にオリンピックが開幕しました。
開会式は、YAWARAちゃんや、翌日に出場種目を控える有力選手は出場せず、日本選手団は全部で150人位の規模となりました。

7時からパレード開始と言うのに4時半に選手村の日本人地区に集合。

そこでいきなりJOCの係りの人に「パレードの時にはこれを着てください!!」とカラフルなガッチャマンのコスチュームの様なマントが配られ、これが選手達の間で「カッコワリー!!」「だっさーい!!」等と大不評!!

選手村の同じアパートの中で仲良くなったバトミントンの山田選手も、「これは、吉と出るか凶と出るかの話ではなくて、凶!!ですな!!間違いなく!!」とインチキ占い師のような事を言って、断言しました。

しかし、日本選手達の不服とは裏腹に、いざパレードが始まると、外国選手団とか、観客に「カラフルで綺麗!!」と口々に褒められ、単体ではどぎついと思われていたマントも、集まるとインパクトのあるものに変わり、群れる事を好む日本人にぴったりの仕上がりとなっていました。

バスでメインスタジアム横のシドニースーパードームに移動して、パレードが始まるまで待つこと4時間・・・・。配られた軽食をつまみながら暇を持て余していると、突然イタリアから拍手が沸き起こり、ウェーブが始まってそのウェーヴは国から国を伝わって、会場を一周して、ドーム内は歓声に包まれました。

その後、各国が自分達のパフォーマンスをして盛り上がりましたが、アメリカが、U!S!A!USA!!USA!!と、自分の国の名を、世界の顔の様に連呼し始めた時にはブーイングがおこり、世界を我がもの顔で闊歩するアメリカの不人気が浮き彫りになりました。

日本の待合席の上の方の一部がヨルダンの待合室で、ヨルダンのハヤ王女がものものしい警備と共に上にあがって行くのが見えました。

様々な国と様々な人の思いの巨大な渦をのせて、シドニーオリンピック開会式の堰が、切って落とされようとしていました・・・・・。



                 ・・・続く・・・・・。
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TV朝日
16 Sep 2000
昨日開会式の後にTV朝日のインタビューを2回ほど受けたので、たぶんTV朝日系のニュースで出ると思います。

普通の「開会式は如何でしたか?」風のインタビューだったのですが、ゴールドのことを話すと、「それはいい話ですね!!」と感激してくれ、インタビューが終わった後、後ろから、「よし!これで(ニュースを?)一本作れる!!」という、アナウンサーの雄叫びが聞こえました。

今日からいよいよ総合馬術チームが競技なので、もう行かなくてはなりません。

開会式の詳細はのちほど・・・・・・・・。

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ゴールド、共同通信社の新聞に載る!!
12 Sep 2000
先週、共同通信の記者の方がゴールドの話を聞いて感動して、わざわざ選手村まで取材に来てくださり、9月12日付けの新聞にゴールドの記事が載ります。

webサイトでも公開すると言う事なので、興味のある方は共同通信社のホームページに行って見て下さい。

ゴールドはこちらでも有名みたいで、乗馬雑誌にも何冊かに登場しているようです。

ニュース記事

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シドニーにて。
12 Sep 2000
昨日はハーバーブリッジ近辺をチームメイトの杉谷泰造選手と白井岳選手らと一緒に徘徊し、いつもテレビに映るオペラハウスにもバッチリ行ってきました。

道行く人に三人一緒に写真をとってもらう姿はまさに観光客・・・・・・・・。

オリンピック出場選手は、バス、電車は全部タダで、IDカードを見せるだけでO.K.で、それらをフル活用して、三羽烏は市内を徘徊しまくりました。

シドニー湾はとても美しく、南半球の強い日差しの下、心地よい潮風にさらされて、改めてここシドニーに僕を連れて来てくれたゴールドに感謝すると共に、ゴールドにもこの綺麗な景色を見せてあげたいな〜、と、思うのでした。

夕方には家の姉が来た時、お世話になった穴見さんが僕たち3人を自分が経営している日本食レストランに招待してくれ、日本食をご馳走してくれて、「僕にできる事と言ったらこんな事位しかないから・・・。
オリンピック、日本の為に是非頑張ってください!!」と激励してくれました。

遠いオーストラリアにいても故郷の日本を応援して下さる方が多く、日本代表のユニフォームで町を歩いていても日本人の人はみんな「頑張ってください!」と声を掛けてくれるので、改めて、「ああ、オリンピックというものは国を挙げての祭典なんだな・・・・・。」という事が思い返されました。

日本人だけでなく、ここオーストラリアは人なつこい人がとても多く、知らない人たちでも口々に応援してくれます。

10日程前は静かだった町並みも、いよいよオリンピック開幕に向け街ぐるみで加速してきました。

その巨大なエネルギーの渦に、

・・・巨大な台風の前に浮かぶ小船のように・・・・

僕たちは巻き込まれようとしています・・・・。


果たしてこれから・・・・・。

快適!!オイルマッサージ!!
9 Sep 2000
僕は毎日21歳の高齢ながらいつも頑張って僕の事を引っ張って行ってくれるゴールドの事をマッサージしているのですが、たまには僕もマッサージを受けてみよう!!と言う事になって、キングスクロス(日本でいう歌舞伎町)のマッサージはヤバイので選手村の中にあるマッサージに申し込みました。

中に入るとアロマセラピーの香しき芳香が漂ってきてとてもリラックスできて、綺麗なお姉さんにオイルをぬってもらってマッサージしてもらい、始めはくすぐったくて笑いが止まらなくなり、「大丈夫?」とお姉さんが心配する位でしたが、最後の方は慣れてきて、いい香りと気持ちよさについ、うとうととしてしまい、終わった時には寝てしまって、結局お姉さんに起こされる羽目に陥りました。

でも、終わった後にとても頭がすっきりしていて清々しい気持ちになり、頑張ろうという力が湧いてきました。

この様に受けた人(馬)を安心させリラックスさせて次につながる活力を生み出せるようなマッサージをマスターして、ゴールドにしてあげたいなー、と思う今日この頃でした。

シドニーオリンピック、スクーリングクラス終了。
9 Sep 2000
今日はオリンピック本番前の一回目のスクーリングクラスが練習馬場NO.14でありました。

120cm、130cm、140cmの三つのクラスがあって、故郷のオーストラリアに帰って、元気の良すぎでコントロール不能に陥っているゴールドは120cmの低いクラスに使って、落ち着かせてコントロールをつけられるように練習する事になりました。

前日も興奮して全くコントロールできない「スーパーグレイト歌舞伎状態」だったゴールドは、ちゃんとコースを帰って来れるかどうか不安視されましたが、流石は今オリンピック大会最年長馬。やはり競技を知っていて、しっかり障害を越えていきます。

ただ、途中で障害が低すぎて跨ぐようにしてスピードが上がりすぎたのでコース走行中でしたが一回停止して落ち着け、残りのコースを終えるとゴールの所にいたオリンピックブラジル代表で、アトランタ団体銅メダルのアルベルト・ミランダに「リューマ、いいトレーニングだったな。」と褒められました。

他の日本チームのメンバーの仕上がりも上々で、17日と24日にある練習ラウンドで全頭仕上がると思われ、期待できそうです。

しかし、他のチームも強力で、世界NO.1トレーナーネルソン・ペソアの元、集中トレーニングを受けたサウジアラビア、若手の成長著しいスペイン等、練習ラウンドをしなかった常勝国ドイツや、フランス、イギリス、オランダ、スイスなどの超強力チームの他にも敵は沢山います。

果たして、歴代最強と言われる日本チームは、世界の強豪国の中で通用するのでしょうか・・・・・。

              ・・・・続く・・・・・・。

オリンピック選手村開村!!!!!
3 Sep 2000
ついに9月2日にSYDNEYのオリンピックスタジアムの脇にあるオリンピック選手村が開村し、我らが馬術チームが日本チーム一番乗りで選手村に入村しました。

しかしすごい!!体育館二つ分位もある選手村メインダイニング、「フードコート」では世界各国の料理が無料で、しかも24時間フルタイムで食べ放題!!!

フードコートではマック(関西ではマクド)の愛称で知られるマクドナルドも入っていて、これまたもちろんタダ。

キムチから梅干からウインナ・シュニッツェルまでなんでもござれで、アトランタオリンピックの時は用意した1トンものキムチが、アジア系の選手にすべて食い尽くされたとか・・・。

24時間食べ放題なので日本に帰国するころにはスモウレスラーの様になって帰るかもしれません。(笑)

もしここに、幕たかさんや茂木くんがいたらとっても喜ぶだろうなー、と思い、又、多分全種類制覇するかも、とも思いました。

飲み物もコーラからスポーツドリンクからコーヒー、紅茶等、何から何まで(アルコールを除いて)揃っていてこれまた飲み放題で困っちゃう!!(←何が?)

とにかくここで一日に使われる材料の量と言ったら想像できません!!

世界各国の選手に無造作に食い散らかされていく食料を見て、ふと物思いに耽りました。


・・・・世界には飢えている国が沢山あるのに、ここには腐るほどの食べ物がある・・・・。


・・・・この地球上には、食べる事もままならない人も沢山いるというのに、ここでは、スポーツという人間の文化の輝きの中に包まれている・・・・・・・。


・・・ふと、オリンピックの余りに華やかなムードの中で、人類の光と影について考えさせられてしまったのでした・・・・・・。


話を戻して、選手村にはアミューズメントパークもあり、各種アーケードゲームが全部タダなので、チームメイトの杉谷泰造と二人で50回位コンティニューしてシューティングゲームをクリアしました。

ビリヤードやボーリング、エアーホッケー等も各種完備で、様々な国の人で賑っていました。

ジムも非常に充実していて、コンピュータールーム、ランドリーに、散髪屋からダンスクラブにディスコと生活に必要なありとあらゆる物が揃っていて、特殊なもの意外全部タダ、という選手達の楽園と言った感じの施設です。

しかし、選手村に入るのには非常に厳重なセキュリティーチェック(航空機に乗る時と同じ)を受けなければならず、常にIDカードをぶら下げていなければいけませんが・・・・。

自動販売機も特殊なコインで何回でもいくらでも使える様になっていました。

宿舎は2人一部屋で、馬とばかり一緒にいて、普段身の回りにあまりに女っけの無い僕は、ホモじゃないかと噂され、(違いますよ!!ホントに!!)誰と同じになるかとゴタゴタしていましたが結局、日本チーム中一番の優等生の杉谷泰造選手と同じ部屋になりました。

これからこの選手村の中で、どんなドラマが生まれるのか、ドキドキわくわくです!!!!

以上、選手村近況報告でした!!!


P.S.今日選手村入り口で、ビビアン・スーがボランティアで出入り口の受付をさりげなくしていました。

続・SYDNEYに到着!!
1 Sep 2000
27日の結団式の後、そのまま28日にシドニーに出発の予定でしたが、夜9時フライトの便で、日中時間が余るので、大井競馬場の調教師の卵で、圧倒的な好成績で調教師試験に合格した、僕の昔の師匠でもある月岡ケーン(バーイ)ヂ氏に、報告を兼ねて挨拶に大井競馬場に、何年ぶりかでモノレールにのって行った所、月岡氏は出世して、なんとドバイの通訳として、大井競馬始まって以来の海外派遣員としてイギリスに3ヶ月の研修に行っているとの事で、残念ながら逢う事はできませんでした。

それでも、月岡氏がお世話になっている栗田厩舎の皆さんが感心してくれ、「へえ〜、けんちゃんの教え子が、オリンピックにか!!たいしたたまげた!!頑張ってください!!テレビで応援してます!!!」と我が事のように喜んでくれ、激励してくれ、また、大井の調教師でありながら、週末は馬術選手の顔を持つ中村調教師ともお話ができて、とても有意義な半日でした。

そして大井の皆さんの激励を受けて、気合を入れて、シドニーへ・・・・・。

夜9時20分出発で、9時間のフライトは、いつもヨーロッパを行き来している僕にとっては短く、時差もない(2時間は僕にとっては無いに等しい)ので、目が覚めるとそこは、シドニーだった・・・・・・。と、言う感じでした。

入国審査からオリンピック選手専用ゲートで、IDカード(選手専用パス)を作ってもらい、入国審査で並ぶ人並みを横目にいよいよオーストラリアに入国。

ゲートを出ると、クレインオーストラリア支部勤務で、僕が高校生で、アメリカのカリフォルニアで乗っていた時にもクレインの子供達を引き連れてやって来ていた顔見知りの茶谷さんが迎えにきてくれ、空港から40分位でいよいよゴールドの待つHorsley Parkへ!!!!

オーストラリアは無菌地帯で、検疫については非常にうるさく、現に前回オーストラリアで行われたメルボルンオリンピックの時には、馬術だけは検疫の関係上特例でストックホルムにて行われたのです。

今回始めて大量の外来馬を受け入れた訳ですが、やはり検疫は非常に厳しく、厩舎に入るまでに3つの証明書が必要で、更に宇宙服の様な完全無菌服を着ないと、選手でも馬にすら触ってはいけないと言う事なのです。

完全無菌服を着て、消毒を済ませ、テレタビーズみたいだと笑われながらもゴールドの元に辿り着くと、「変なのかぶって、何?」と不思議そうに覗き込まれてしまいました。

でも、ゴールドはやっぱり故郷だと解っているみたいで、昔を思い出したのか、すごく若返っていて、元気が有り余っていて、初日なぞは、全くコントロール不能で、ただひたすら突っ走る「スパーグレイト歌舞伎」状態で、それを見る人が皆、「20歳なんて信じられない!!まるでKAMIKAZEだ・・・・。」と、溜息をつくのでした・・・。


ゴールドが元気になったのはいいんだけど、元気になりすぎて、興奮しまくって、並足しないで、暴れまくって、まともに運動できないパニック状態に!!!!!

・・・・・ほんとに、大丈夫なのかな、僕達・・・・・・・・。

                       つづく・・・。


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▲△広田龍馬 Ryuma Hirota ●◎
▽▼ zero2000@ff.iij4u.or.jp○●
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SYDNEYに到着!!
1 Sep 2000
いや〜、遂にやってきました。シドニーに。

8月27日の日本選手団の結団式に出たのはいいのですが、馬術競技は、他の方達はみな、もうシドニー入りしていたり、競技やらなんやらで出席できず、僕しか出ていなくて、種目別紹介の時に、たった一人で挨拶しなければいけなかった時には、どうしようかと思いました。

いつもだったら楽勝でアホな事をできるのですが、一応馬術種目の代表で、しかも国民の皆様の税金で行かせて頂くのですから、アホな事をするなどとんでもなく、何とか無事、恙無く挨拶を終える事ができました。

サッカーのトルシエ監督も、思ったよりずっと小柄な普通のおっちゃんで、(笑)当日に代表メンバー発表だったので、心持ち緊張しているようでした。

「サメの脳みそ」と評される某国の首相も激励に駆けつけ、相も変わらず訳の分らない事を言っていて、「ほんとに大丈夫なんかいな?」と、思わず某国の事を憂いてしまいました。

しかし、某国の首相と違い、皇太子さまと雅子さまは気品がありましたね、ほんま。
皇太子さまのロボットのような激励の言葉を聞きながら、傍らにいて一言も発せず、ず〜っと黙っていなくてはならない、一般庶民より出でて、皇室に収まった雅子さまの苦労をおもいつつ、「あーっ、皇室に生まれないでよかった〜!!」と、思い直すのでした。

いつもブルースの厩舎で一緒に乗っているノルウェーのマルタ王女も「お姫様はイヤ!!普通の市民になりたい!!」と言っているし、すごく気さくな面白い人で、ブルースと同棲して、オリンピックの為に自分の馬をブルースに貸してあげるなど、マルタ王女の「庶民化計画」は着々と進んでいるように思えます。

話が横道に逸れましたが、格調高い結団式の後に行われた壮行会に現れたのは、オリンピックの日本チームテーマソングを歌う「19」・・・・・。

始めどこのイカレポンチのお兄ちゃん達が紛れこんだんだろ、と思いつつも、歌う「陸・海・空・無限大」はなかなかいい歌で、いきなり皇室から19へのギャップと、見た目とのギャップもなかなか愉しませて頂きました。

でもやっぱりYAWARAちゃんはかっこよかったですね。思ったより全然小さかったのですが、とても凛々しく、つくづく「男に生まれていれば・・。」と思わずにはいられないオーラを発していました。

そんなこんなで団結式が無事、終わった訳ですが、全体のイメージを簡単にまとめると、「大丈夫なのか?日本。」と言う感じでした。


それでは、続きは又後ほど・・・・・・・。


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