「好事魔多し」


2002.5.10
絶好調でワールドカップ前の最後のインドアグランプリ満点も、 左前の後突が起こり、早速獣医のクリニックに連れて行くと、 「後脚でぶつけて腫れているから冷やして休養させた方が良いね。 休ませておけば元に戻るよ。」との事でほっとしたものの、 それから毎日看病の日々が続きました。
しかしなかなかぶつけた所の腫れが引かず、大事を取って休養と 治療を続け、ついにボラスグランプリ以来一度も乗らないまま ワールドカップファイナルを迎えることになってしまいました。

5月1日?5日 World Cup Final Leipzig (GER)

必死の看病の甲斐あって歩様も良くなり、万全とは言えずも なんとか決勝まで辿り着いた僕等。

4月29日の夜にサクラとハヤテを乗せたトレーラーは スウェーデンの南の端にあるフェリー乗り場から、 北ドイツのロストック行きのフェリーに乗り、30日の早朝に ロストックについてそこからベルリンを通過して丁度正午ピッタリ にライプチッヒに到着しました。

バッハが晩年を過した街ライプチッヒは旧東ドイツ領に位置し、 きれいなメッセやホテルが建ち並ぶ中、19年の東西ドイツ統一 から1年経っているとはいえ、まだまだ街のいたるところに 旧東側の名残の廃墟が残り、東西格差の凄まじさを 感じました。

馬術競技場は、普段は見本市が開かれる巨大なメッセ の中で、巨大なホールが5つもあり、厩舎から競技場への ホールの移動、往復だけでも大変な距離になり、 一日何キロ歩いたかわからないくらい脚が棒になるのでした。

インスペクションを無事終え、ワールドカップ第一競技の ドローに行くと、ワールドカップファイナルオーガナイザーの マックス・E・アマンが出場人馬を読み上げ、そしてアメリカの レスリー・ハワードの所に行くと、「レスリーはなんと4頭もの ワールドカップ出場資格馬をもっています。これは彼女の 今までの旦那さんの数より多いので、出場馬を一頭に 絞るのは難しいでしょう!!」といって選手を爆笑させました。

出番のドローは、前回のワールドカップチャンピオンの マーカス・フックスが人の名前のプレートをとり、件の レスリーハワードが番号を引くという方式で、僕は出場 40人中31番という良い出番を戴き、マーカスが レスリーの出番を引いた時には「ライダー、レスリー・ バー・レネハン・ハワード・・・・」と歴代の苗字をずら ずらと並び立てていったのでレスリーが「ワタシは 2回しか結婚してないのにフェアーじゃないわ!!」 とプンプン怒ってしまいました。

ドローの帰りに僕が出場した6年前スイスのジュネーブで 行われたワールドカップファイナルのヴァイス・プレジデントで、 フランス語の乗馬雑誌「レプロン」の編集長で、馬術情報の 「ヨーロッパパノラマ情報」も書いているアルバン・プードレ がプレスから出てきて、「リュウマ?!!久しぶりだな?!!」 元気だったか??!!!」と声をかけてくれ、「ジュネーブの 時は人気が凄かったね、今年もリュウマが予選通過したって 聞いてジュネーブのみんなが喜んでたよ!CSI-W Geneveに 出たかったら何時でも声をかけてくれ、大歓迎だよ!」と歓迎 してくれました。

5月の2日に軽い調整で140cmの二段階に出場し、一落。 やはり本調子ではないのかと不安がよぎります。

そしていよいよ迎えた5月3日のワールドカップ第一競技、 六年前の舞い上がって頭が真っ白になった前回とは 違い、しっかりとコースを下見して、思いました。

「さすがに、難しい。でも、飛べないコースじゃない。」

ところが競技が始まってみると、失権が続出し、初めの 出場者ベルギーのマーク・ファン・ダイクやアメリカの マジー・ゴールドスティン、ドイツのヘレナ・ウェインバーグ等 4人中3人が障害に突っ込んで、クラッシュしたり失権したり する大波乱で、コースが見た目以上に難しい事を示していました。
でも、僕は絶対にサクラが止まったりする事がないのを 知っていましたし、それだけの心の絆があったので僕は 安心して馬場に入りました。

「頭が真っ白になった6年前とは本当に大きな違いだな・・・。 ここまで連れて来てくれて本当にありがとう!サクラ!!!」

心を静めてスタートを切り、一つ一つ落ち着いて下見で 計画したとおりに障害をクリアーしていったのですが、 サクラにいつものような跳ねるジャンプ力がありません。 なんと、不運にも走行途中で右前の蹄鉄が落鉄してしまい、 それでバランスが崩れて本当にちょっとの所で脚が 障害に触れてしまって普段では絶対しないような落下が たくさん出てしまい、5落下で35位という信じられない結果に なってしまいました。

「・・・くそっ!!落鉄しないで、本当のサクラの跳びだったら 2落下以内で絶対に帰ってこれたのに!!!」

2週前のスェーデンのグランプリでサクラと2頭だけ満点だった マーリン・バリヤードのバタフライ・フリップがここでもノーミス で5位になったのをみて、その思いを強くしました。

しかも悪い事はそれだけで終わりではありませんでした。 落鉄した後の装蹄ミスでサクラが破行してしまい、 あわてて蹄の裏にパッドを入れて何とか歩様が良くなり、 何とか翌日のワールドカップ第二走行標準競技出場 までこぎつけました。
万全の状態でないながらもサクラは力いっぱい飛越し、 僕も非常に落ち着いた走行で13障害中第9障害まで ノーミス!!!しかし、そこから万全でない状態が 影響して本当に障害にかするような落下が続いて 四落下29位という成績で、ワールドカップ第二走行 標準競技は終了。ヨーテボリの大きく、難しい グランプリでサクラと同じ二落だったリュドガー・ビアバウム とグラディスSが優勝、同じくヨーテボリグランプリ二落だった マーカス・フックスとティンカズ・ボーイが第2位に入り、 サクラも万全の状態で出させてあげられなかった悔しさが 胸にこみ上げて来ました。

「全日本で3日間、57障害をノーミスで飛んだ調子だったら、 絶対に最後の決勝には残れた・・・・。」

結果、一日目35位、2日目29位で総合34位、 6年前の35位から一つ順位を上げただけに終わって しまいました。

が、サクラが最悪の状態でもこの結果で 頑張ってくれ、しかも世界の頂点を競う競技会でも 決して飛べない高さではない、落ち着いてイメージ通り 走行する事ができた、という事は僕にとって大変大きな 収穫となり、この経験は続くアジア大会、世界選手権等 の世界の大舞台での走行に大きく生かされる事と思います。

又、若馬のハヤテが、競技前半は物見をしたり若さを 出しまくっていましたが、土曜、日曜は今まで飛んだ事の ない145cmの大きいコースで両方ともノーミスで帰って きてくれ、特に日曜は9位に入賞して表彰式と ウイニングランには一番大きな歓声を頂きました。 サクラとのコンビだけでなく、若馬のハヤテとも一緒に 成長できてきている事が、非常に嬉しく感じました。

今回の二ヶ月の欧州遠征は、僕にとって今までで 一番勉強になり、インドア競技の狭い中でのより高い レベルでの人馬のコミュニケーションとコントロール、 収縮、コース取り等本当に多くの事を学ばせて いただきました。
今回の遠征を通じて日本にインドア競技会が 殆んどないのが非常に残念に感じられました。 なぜかというと、インドアこそきちんとした人馬の コントロール、コミュニケーションが要求され、 乗り手がキチンと乗れないとどんなに良い馬に乗っていても 回転が間に合わず、障害の高さがどんなに低くても コースをまわりきれないという結果になってしまうからです。

現実に毎年僕のホームグラウンドである那須TFで 行われる「グランドホースショー」で、欧州のインドア 競技並みの何度を誇る「インドアグランプリ」は、 高さ僅か120cmでありながら、20m×40mの インドアで10障害13飛越位置くので、回転して すぐ飛ばなければならず、高さは120cmながら 外の140cmのコースを飛ぶ位のテクニックが 要求され、毎年多くのトップライダーが 「難しすぎるよ」と言って敬遠しています。

ただでさえ馬術後進国の日本が、12月位までの アウトドア競技シーズンを終え、翌年3月くらいから始まる 競技シーズンまでヌクヌクとしている間に、欧州の 人馬はインドアでのより高い技術を要求される 競技で鍛え上げられる。このような環境では日本は ずっと追いつけないのでは?という疑念が浮かび上がりました。

ともかく、今回のワールドカップ遠征でとても大きな勉強を させて頂き、これから来るアウトドアシーズンに生かせるように 頑張りたいと思います。サクラもアウトドアの方が得意ですし、 何より今まで一度も水濠で減点を受けた事がないので 外の競技と水濠を心待ちにしています(笑)

とりあえず僕は帰国して新たな来年のワールドカップ予選 のCSI-W NASU がホームグラウンドで行われ、 アジア大会予選も行われるので、日本で一年ぶりに コンビを復活させる2000年のオリンピック予選で大活躍した 「ゼロ」と共に頑張ろうと思います。

今回の結果には満足していませんが、今回の ワールドカップファイナルの経験をバネにして僕は 常に前を見て進んでいきたいと思います。

「・・・一つの物事の終わりは、また新たなる物事の 始まりでもある・・・。」


・・・・僕とサクラ、ゼロ、ハヤテ、ブラックピーク達の物語は まだまだ、始まったばかりですから・・・・。


これからも応援よろしくお願い致します!!
ご声援、ありがとうございました!!!



ワールドカップへの道・ ・・完・・・・



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▲△広田龍馬 Ryuma Hirota ●◎
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ワールドカップファイナルへの道。・・・NO.VII・・・。
22 April 2002
3月22日(金)〜3月24日(日)Elit CSN Helsinborgs 

地理的にスゥエーデンでデンマークに最も近い場所、ヘルシンボリは海を隔てて僅か5Kmの対岸にデンマークの町、ヘルシングーアがすぐそこに見えます。

地理的に昔から北欧間の戦争が絶えない場所で、 ヘルシンボリにはシェールナンという巨大な古城の城壁 が残り、対岸のヘルシングーアには、シェイクスピアの 「ハムレット」の舞台となったクロンボー城が今なお 対岸のスエーデンをにらむようにしてその 荘厳なたたずまいを残しています。

その歴史的な場所で、98年にはワールドカップの プレファイナルが行われたヘルシンボリ競技場には、 さすがにエリート競技会だけあってスウェーデン中の 良馬と、デンマーク、ノルウェー、フィンランドからも 選りすぐりのエリートホースが遠征してきていました。

驚いたのはスウェーデン馬連公認の国内大会では ベットチェック(馬体、歩様検査)が全て行われると 言う事で、これは他の国ではインターナショナル競技 以外では実施されておらず、スウェーデンの競技 オーガナイズの確かさ、馬に対するフェアーさを改めて 再認識させられました。

22日にはサクラを調整の為に135Cmの一番低いクラス から使いましたが、2段階走行の競技で、一段階目は楽々 クリアーしたのですが、なんとジャンプオフの二段階走行目 で僕のお得意の「アホ」が出てしまい、経路が解らなくなって しまって巻き乗りとタイム減点!!

・・・無念、150頭近く出場していましたが、競技場に着いた時 にはコース下見が終了していたのが痛かったです・・・。

翌23日には気を取り直して140Cmのコースをしっかり 下見をしてノーミス満点!!と思いきや、タイム減点を受けて ジャンプオフに残れず・・・・。

しかし、本当にスウェーデンのインドア国内競技会は 規定タイムがキツイです。25×60のインドアで分速350mと いうから外の競技では分速400mに匹敵するだろうと 思われるキツさで、日本の競技のペースで走っていたら 間違いなくタイム減点必死、と言うほどのキツさで、 良いペースでスムーズに走行する勉強をさせて 頂いています。

最終日の23日は、150Cmの大きいクラスに使い、 一落下で8位タイ。52人出場で、7人満点、ジャンプオフ のダブルクリアー4人で、6位まで入賞だったので入賞には あと一歩及ばなくて悔しかったですが、しかしながら サクラがスウェーデンの一線級の馬達と比較しても 全く遜色ないことに自信を深めました。

この競技会では同じくスウェーデン中のトップのヤングライダー の競技をやっていたのですが、140Cmで100頭以上 出場していて、レベルの高さに驚かされました。 あと、スウェーデン産馬のレベルの高さにもびっくり させられました。2年前のシドニー五輪障害馬術では スウェーデンチームは全員女性!!しかも、 騎乗馬も全頭スウェーデン産で、杉谷泰造選手のトレーナー でもある名将ヘンク・ノーレンの指導の元、団体7位入賞、 昨年のヨーロッパ選手権ではフランス、オランダ、イギリス 等の強豪を押さえて帝王ドイツに続く団体2位!!! 個人でも3位と8位に入るという活躍を見せるスウェーデン の底力を垣間見たような気がしました。


4月4日〜4月7日 CSI-W Goteborg

CSI-W Goteborgが行われる町、ヨーテボリ。 ボルボ社がメインスポンサーとなり、VOLVOワールドカップ ファイナルを数多く行い、今でも2年に一度はワールドカップ ファイナルのホストシティーとして活躍する世界の馬術界の 中でも重要な都市・・・・・。

そこで行われる一年で一度の馬のお祭り、Goteborg Show ・・・その華やかさに圧倒されました。
競技始めの木曜日からもの凄い観客と歓声、ショー等の 華やかさは6年前に出場したインドア競技会ヨーロッパ 最高賞金額を誇るスイスのCSIチューリッヒには及びませんが、 犬のアジリティーや馬車のワールドカップ、軽駆のレース等 手作りで温かみがあり、また、何よりも観客の熱狂的な声援が 凄い、正に国民スポーツといった感じです。
競技場もヨーテボリの中心、遊園地のあるリセベリーパーク まん前で、「スカンディナビウム」という普段はアイスホッケー やコンサートがある20,000人収容の大ホールで、 すぐ横では180軒にも及ぶタックショップや、 馬術向きの洋服、馬のトレーラーの展示場まで ありとあらゆる馬術用品屋さんが集まり、 連日大賑わいで馬術競技用のキュロット、ブラウスの ファッションショーまであったのには驚きました。

その大観衆の声援を受け、サクラは初日の145Cmを いい飛越で一落下で15位、大競技場のプレッシャーの 中で上々のスタートを切り、TVの国営放送でスウェーデン中 に放映された日曜の競技のメイン、ヨーテボリグランプリ (160Cm)では、今まで経験した事のない、インドアの ワールドカップ本番と見紛うような大きいコースを、第2障害の 簡単なオクサーと、第7障害の狭い垂直を落としただけで、 残りの一番難しいコンビネーションや、ロング、ショートの ラインは全てクリアー!!!世界のトップが集う中で、満点が 4頭だけの難しいコースで、ワールドランキング1位の リュドガー・ビアバウムが昨年のヨーロッパ選手権優勝馬 のグラディスSで2落下、昨年のワールドカップチャンピオンの マーカス・フックスとティンカズ・ボーイもサクラと同じ 2落下だったので、サクラの凄さを再確認すると共に、 簡単な第2障害を僕のミスで落とさなければ6位入賞が あったのに・・・、と悔やみました。結果、2落下タイム減点1 の減点9で15位。しかしながら初めてのフル160Cmの インドアコースで、世界のトップと戦ってのこの成績は、 もっと上を狙えたのですが、世界トップクラスのインドア競技は 僕とサクラにとって初めてだということを考えると上出来で、 自信に繋がりました。

「次は、もっといい走行を!!」

・・・こうして、つぎつぎとステップを踏みながら、着実に経験を積んで上へ向かおうとする僕の向上心がふつふつと燃え滾っている事に気が付くのでした・・・・。


4月12日〜14日  CSN Varnamobygdens RF

CSIヨーテボリグランプリで、あと一歩の所で入賞を逃した悔しさが、翌週のスウェーデン馬連公認ナショナル競技会(CSN)Varnamobygdens で大爆発!!!!!!!

調整が遅れて使えなかった若馬、ハヤテを連れ、3日間のうち13日と14日の2日間に出場しました。

競技場に着いて公認競技会必須のベットチェックを慌ただしく終え、130Cmのクラスに出場、二段階競技で、一段階目ノーミス満点で、ジャンプオフの二段階目に入ると、ハヤテの手応えが抜群に良いので、「これは!!いける!!」と、二段階目を勝負をかけて小回りしてノーミスゴール!!!!・・・と、思いきや、「ゴメンナサイ、リュウマ・ヒロタ、一段階目で0.2秒オーバーしていたので二段階目には進めません!」とゴールしてガッツポーズしている最中にアナウンスされ、観客からは爆笑の嵐・・・「またやっちゃった???!!!!(大汗)」・・・。

しかし、すぐに精神を立て直し、続く140CmのA2競技では満点で10位入賞、140Cmのコースでも楽々飛んで帰って来るまでに成長したハヤテの成長ぶりを喜ぶと共に、「これなら、今大会のメイン競技である140Cmファイナルで勝負をかけても大丈夫だ!!」という自信につながり、翌日の競技会最終日の日曜日を迎えます。

最終日は各クラスのファイナル戦で、ボリュームが前日より増していましたが、勝負をかけつつもハヤテは楽々とクリアーし、69頭出場したスピードクラスの130Cmファイナルで準優勝!!!
そしてCSN Vanamoの最終日のメイン競技、140Cmファイナルを迎えます。出場番号は3番で、コースはフル140Cmのコースでしたが、ハヤテはまるで本当に楽しんでいるかの様に楽々とクリアーし、ノーミス満点!!ジャンプオフに進出!!

流石にレベルの高いスウェーデンだけあってジャンプオフに17頭も残っており、ハヤテはジャンプオフ出番一番目で、後ろに16頭ものスウェーデンはもとより、デンマーク、ノルウェーからの北欧の強豪達が獲物を狙う猛獣のように控えていたので、みんなの標的となる一番手に出場で勝ち負けするにはもう、特攻で行くしかないと思いました。


「いくぞ!!ハヤテ!!気分はもう、KAMIKAZE???!!!!」


ジャンプオフの第1障害から第2障害へのUターン飛越で、あとで出場した他の普通の人馬が7間歩から8間歩とられている所を5間歩で回転し飛越!!
観客からどよめきが起ります!!!!

そのまま最短コースを通り、残りの障害もクリアしてトップスピードで最終のオクサー障害へ!!
・・・ところが、「ヤバイ!半歩あわない!!!」
勝負を懸け飛ばしすぎた為にオクサーに突っ込みすぎてしまい、絶体絶命ーーーー!!!!
観衆からも悲鳴に似た怒号が起ります!!!!!

「たのむ!!ハヤテーーーーー!!!!」


・・・・「ドッカーーーーン!!!!!!!!!!!!」


・・・ハヤテはおよそ不可能と思われる位置から天才的な飛越を見せ、最終障害を見事クリアー!!!!!!観衆の悲鳴が大歓声にかわり、素晴らしい飛越を見せたハヤテに惜しみない歓声と拍手の嵐が降り注ぐのでした。そして、結局あとに控えていた16頭はその名の如く「疾風」のような走行をしたハヤテの影を踏む事が出来ず、ハヤテ優勝!!!!!!

CSNのメイン競技で、日の丸が揚がった時には感動しました。
そしてウイニングキャンターを終え、競技馬場を出ると、サイン攻めと新聞、雑誌の記者とカメラマンに囲まれ取材攻めに!!!!こんな事は日本では絶対に起りえず、改めてスウェーデンの馬術に対する感心の高さと理解の深さを思い知らされました。

ハヤテは6歳の新馬の頃からの付き合いで只今9歳の若馬ですが、まだまだ精神的に幼く、競技でも周りをキョロキョロとよそ見して遊びながら飛んでいるので、そのキャラクターを大事にしてゆっくりと育てなければなりませんが、その天才的な飛越センスはオリンピックホース「マンオブゴールド」に通じるものがあり、2年後、3年後にはどこまで行ってくれるか、本当に楽しみな仲間です。

「来年も、必ず来て頂戴ね!!」心温かいオーガナイザーやスウェーデンの人々に見送られて僕とハヤテは競技場を後にしました。

かくして、日本人が大暴れしたCSN Varnamo は幕を閉じたのでした。




・・・・・・続く・・・・・


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ワールドカップファイナルへの道。・・・NO.VI・・・。
20 March 2002
3月14日(水)
ブルースが今年世界選手権が行われる スペインのヘレスで行なわれている「サンシャインツアー」 に再び出張しました。
なんでも今年からスゥエーデンでヘンリックと厩舎を始めた という宣伝、営業まわりの為にアメリカのフロリダ・サーキット にも顔を出す予定との事。

「サンシャインツアー」もデザートサーキットと同じく、 素晴らしいツアー・サーキットで、2年前にゴールドと スペインの地を転戦し、激戦の末、オリンピック予選 出場の最終資格(CSI-AのGPで−8以内を5回) を通過した想い出の地でもあります。

・・・あの激戦から、早や二年か・・・ ゴールドと一緒に、泣いたり、笑ったり。そういえば 馬の気持ちが読めるホースウィスパラーと出逢った のも2年前のヘレスでした。 あの頃から比べると、ずいぶん自分が落ち着いた、 というか、ふてぶてしくなった、というか冷静に物事を 見れるようになった感じがするので、あのいろいろな 想いをした二年前から現在を経て、 「経験、と言うものは本当に人を変えるんだな・・・。」 と、ふと、思うのでした。

でも、あの頃に比べて昔ほど素直に泣いたり笑ったり 出来ない自分の感受性が失われないように、何時までも 純粋な気持ちは持ちつづけていたいな・・・・そして、 いつでも前を向いて進んでいきたい・・・・。と、 僕の中で子供と大人がせめぎあっているのでした。


3月16日(土)
今日はいよいよスウェーデン地方大会の Gisalved-Anders trop競技会です。 あいにく天候が悪くてとても寒く、なんと久々に雪!! がちらつく天気でしかも競技が思ったより早く 開始になったらしく、ユリーカとが焦って 「早く行くのよ!!」とバタバタと馬と 馬具をトラックに詰め込んで(笑)競技場へ 向かいました。

競技場に着いたら案の定110CMの競技が始まっていて、 僕の出番まであと、12人だとか叫ばれ、ハヤテに急いで 飛び乗り、準備運動を小雪のちらつく外馬場でこなすと、 比較的落ち着いていたので早く終わり、待機インドアの 障害も順調にこなし、中に入って20×60のインドアに 所狭しと並んでいる障害を見て、ヘンリックが横から コースを説明してくれ、何となく頭に入ったので そのままGO!!ハヤテは楽々遊ぶように障害を越えて 行き、ただちょっとゆっくり過ぎて馬がキョロキョロと遊び だしたのでヘンリックが横から、「GO!GO!」と掛け声を 出し、それに反応して僕が前に出したら コースが解らなくなって一回まき乗りをしてしまいました。(汗)

しかし、つづく120CMではキチンと下見をして、サクラは とてもおとなしく、落ち着いて跨ぐように障害を飛んで帰って きて、ノーミス満点。2段階走行でしたが、あくまで調整が 目的でしたので大きくキチンと回り、折り合いに専念して 集中した良い走行が出来ました。 ハヤテも今度はさっきのようなトロトロではなく、障害が 少し大きくなったのでしっかり前に出していくと別馬の ような飛越を見せ、ノーミス満点!!

「さっきより全然いい走行だったよ!!」とトロトロいって いたのを注意してくれたヘンリックが褒めてくれました。 そうなのです、どうしてもコントロールがよく効きすぎると 見た目を重視するあまり自分の型の中に馬を はめ込んでしまい、一人悦に入ってしまって 自己満足の世界になって馬の本当の動きを 殺してしまう日本人が陥りやすい罠に 危うく引っかかる所でした。

そして雪が降っていて天候が悪いので、明日130CMだけを 飛びに来るのは馬もかわいそうだ、と言う事で、今日一挙に 飛んでしまうことに決まり、続けて130CMのスピードクラスに サクラをエントリーし、これも勝負をせずに確実に丁寧に のってしっかりノーミス満点。

一昔前だったら130CMの高さだったらもう勝負かけて しまったり、いっちゃえ〜〜って惰性で乗ってしまったりして その後もゴチャゴチャになってしまっていた事もあったのですが、 今では目先の勝ちにとらわれる事無く、長い目で自分の目標を 定めて一つ、一つのステップを自分の身にできる 小泉首相の「米百俵」の精神が出来てきたようです(笑) しかし、何時になってもハングリー精神は失いたくないとも 思っています。「欲しがりません勝つまでは!」の精神で(爆)

障害が高くなったほうがサクラの飛びも良くなる感じでしたが、 サクラがとてもおとなしく、コントロールが効きすぎて ちょっと手応えがないのが気にかかりました。

それで、ユリーカとヘンリックと相談してサクラの餌を 増やして、運動も増やす強化計画を厩舎に帰ってから 練りました。

今回の大会はコースが解らなくなったのを除けば全て満点で 良い走行が出来たと思いました。 前にサクラに乗って競技に出た事があるヘンリックも、 「サクラであんなにリラックスして落ち着いた走行ができるなんて 素晴らしい!!きょうはGoodRide GoodDayだった!!」との事。

「でも、今日は競技に遅れてゴメンなさい」とユリーカが言うの で、「大丈夫、そんなのはいつも慣れっこ(笑)だし、前ジョン・グレ イとオランダの大きいナショナル競技に行った時なんか時間なくて 着いたらそく、障害一つも飛ばないで135CMのクラスをサクラと 行かされたけど、右〜〜〜!!左〜〜〜!!とか叫ばれて、 満点でアメリカンジャンプオフまでやって帰ってきて入賞したよ。 (笑)」というと、二人とも信じられないと言った感じで 僕の顔をのぞき込みました。

3月18日(月)
試合の次の日サクラとハヤテはパドックで一日のんびりしていた ので、今日は近くにある森林にお散歩に行く事にしました。 南スウェーデンの地形はとても平らで、日本のような山が殆んど無 く、地形の起伏があるといっても丘のようになっている程度で そこに針葉樹林がバァ〜〜〜っと広がっているから スウェーデンの森はなかなか圧巻です。

木々の中の小道に入ると背の高い針葉樹林以外は 見えなくなり、あたりはシンとして「もののけ姫」に でてくるシシ神の森に迷い込んでしまった 様な錯覚に陥りました。そのくせ、なぜかビートルズの 「ノルウェイの森」を口ずさんでしまっている自分に苦笑しました。

宮崎アニメとビートルズ、何の脈絡も無いものが 頭の中で同時に進行しているのが自分らしい と思って急に可笑しくなったのです。

3月19日(火)
ブルースがサンシャインツアーから帰り、馬術発祥の地 スペインアンダルシア地方はひどい天気だったと ぼやいていました。何でも大雨で最終週のCSI-Aの 競技にも拘らず、金曜日は午前中で雨が強くなりすぎて 後の競技はキャンセル、土曜も雨は上がるも馬場が グチャグチャ一日競技が出来ず、日曜に何とか グランプリともう一競技できただけとの事で、 優勝に65000ユーロという巨額の賞金が懸けられた グランプリは2年連続でスウェーデン人のラルフと ヨーロッパ選手権3位のピアロッタのコンビが獲得した との事でした。

ブルースはビザの関係で今週末もニュージーランドに 帰らなければいけなくなったのでNZに帰る前に、 今週末の大きいエリートナショナル競技会Helsinborgs の最後の調整練習を見てくれました。

サクラは飼料を改良した甲斐があって力強く、 コントロールしきれない位の手応えになってきましたが、 140CM程の障害を楽々飛越し、 コントロールは前ほど効きませんでしたが、 「よし!!よくなってきた。これでいい!!」と 僕は内心思いました。

だって、飛んでくれるのは僕じゃなくて馬なんですもの。

ハヤテは、変なビニールシートを物見しましたが、 障害を高くしていくと、素晴らしい飛越を見せ、 「エクセレント!!」とみんなが言い、僕も非常に良い 感触を得たのでそこで終わりにしました。

いよいよ今週末は初のエリート競技会。 エリート競技会と言うのは、スウェーデン馬連公認の 一番低いクラスでも135CMという選ばれた人馬のみが 出られる競技会。簡単に言えば以前の日馬連公認の 東西日本、六ブロック大会のようなものですね。

ただスウェーデンは冬の期間が長いので、アウトドアの 選手権だけでなく、インドアの選手権もあるのです。

さて、スウェーデンのトップが集まる今度の競技会で どこまでできるか楽しみです!!



・・・続く・・・・


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ワールドカップファイナルまでのスケジュール
14 March 2002
「広田龍馬&サクラ&ハヤテ、ワールドカップファイナル5月1日〜5日への競技スケジュール。

3月8日 (金) 障害練習(低)サクラ、ハヤテ。
3月9日 (土) フラットワーク、トラック。
3月10日(日) 障害練習(中)サクラ、ハヤテ。

  「3月12日(火)Flyinge(国営種馬場)練習競技会。」
サクラ120CM、ハヤテ、110CM

  「3月16日(土)〜17日(日)
Gisalved-Anderstrop 国内地方競技会120CM〜140CM」

3月15日(金)
ハヤテ、スクーリングクラス110CM

3月16日(土)
サクラ、ハヤテ、120CM

3月17日(日)
サクラ、ハヤテ、130CM


  「3月22日(金)〜24日(日)
Helsinborgs FRK エリート国内競技会(SEF公認競技会)」

3月22日(金)
ハヤテ、135CM
サクラ、140CM

3月23日(土)
ハヤテ、140CM
サクラ、140CM or 150CM(グランプリ予選)

3月24日(日)
ハヤテ、140CM
サクラ、140CM or 150CMグランプリ


(?)「3月30日(土)、31日(日)
Dagstorpsortens RF 国内地方競技会」


 {4月4日(木)〜7日(日)
CSI−W Goteborg ワールドカップ予選国際大会(SWE)

 「4月19日(金)〜21日(日)
Boras Grand Prix エリート国内競技会インドアファイナル」



   「5月1日(水)〜5日(日)
{FEI World Cup Final Leipzig}(GER)
 ワールドカップファイナル・ライプチッヒ」

ワールドカップファイナルへの道。・・・NO.V・・・。
14 March 2002
2月28日(木)今日は風がとても強く、おまけに吹雪いて 前が良く見えないくらいでした。

丁度アメリカのカリフォルニアで行われている デザートサーキットにブルースとヘンリックは 出張していて、6週間連続、2000頭の馬が集まって 7面の競技場と6面の準備運動馬場が一斉に動く米国の大競技会に 僕もその昔4回ほど遠征していたのでそこの雲ひとつない空と 2月でも日中は半袖で過せてカラッと乾燥した過しやすい気候を 懐かしく思いだし、スェーデンの吹雪の中でも 「心頭を滅却すれば、火もまた涼し。」といわんばかりに 「イッツ・ビューチフルウェザーフロムセブンカリフォーニア〜〜 !!」 と叫びながらハヤテに乗っていると、厩舎の女の子に 「あなたは狂ってるわ。」 と、早速僕にとってのお約束の「称号」を得てしまいました。

ブルースとヘンリックの厩舎には一周600メートル程の トロットレース用トレーニングトラックがあり、そのトラックを 吹雪の中キャンターで突っ切ってゆくその感覚は、 那須の牧場で攻め馬をしているのと同じ感覚で、 遠く離れたヨーロッパの地でもどこか懐かしく、安心できるのでした。

スェーデンはトロッターのレースが盛んで、なんと文房具屋でも 馬券が買え、フラットレースよりも遥かに人気があるとの事でした。

3月1日(金)整体をした後のサクラを徐々にほぐす運動して、 ハヤテは体力をつけるために入念にトラックでのりこむ。

3月2日(土)ブルースとヘンリックが新しく作った25×60の 大きなインドアの馬場の基盤がまだ十分に出来ていないので、厩舎より 500メートル程の所にあるご近所の20×40のインドアに行っ てトレーニングする。御近所インドアのオーナーのおばさんはとても 面白い方で、ハヤテの事を「ブルースが乗っているのを見たけど とてもよい馬ね。あなたはラッキーよ。」といわれ、また、 「私達は外国やよそから人が訪ねてきてくれるのが とても嬉しいの。ようこそスエーデンへ!!!」と歓迎してくれ、 人懐こく温かいスエーデンの国民性を感じました。


3月3日(日)
近くにあるご近所のインドアで、ハヤテで障害練習をしました。 最後に乗った時よりかなりパワーアップしており、しかもすごく乗 りやすくなっていた。いつも調教をつけてくれたブルース殿に感謝。 しかし本格的なダイナミックな駆脚をする馬で、乗っているのが 時々大変になるくらいです。 初めは息が合いませんでしたが、最後の方はピッタリしてきて、 ユリーカが、「あなた達はいいコンビになるわ。」と褒めてくれました。

3月6日(水)
5日の晩にブルースとヘンリックが帰ってきて、 ワールドカップまでの調整を兼ねた競技スケジュール を決定しました。 (スケジュール表は別メールにて送ります。) ブルースはカリフォルニアのサンシャイン天国から いきなり冷たい雨のどしゃ降りのスエーデンに 帰ってきて、ノルウェーのマルタ王女の馬で、ブルースが シドニー五輪で乗った「レナーロ」にびしょぬれの 濡れ鼠になりながらも、トラックを常脚運動して、 しかもその後何を思ったのか「時差で狂ったコンディションを 整える。」とか称してランニングしに出て行ったので、 案の定翌日には熱が出て具合悪そうでした。 しかしヘンリックと一緒に馬を見に行く、といって 東奔西走しておりました。恐るべしタフさ!!

3月8日(金)
今日はご近所のインドアで低いコースの練習をしました。 障害の高さではなく、コントロールをメインとした練習で、 サクラもハヤテも非常に落ち着いてコースを回ることが 出来ましたが、姿勢の悪さをブルースに指摘されました。 以前サクラに乗ったことがあるブルースもヘンリックも ゆったりと落ち着いて走行するサクラを見て 「別の馬みたいだ!!」と驚いていました。

3月10日(日)
今日はコンビネーションと単発障害で、金曜よりも 高い障害をやる事になり、サクラは相変わらず 落ち着いて悠々と飛越して、「スゴイ!!体を柔かく 使えるようになって、馬が十分注意して飛んでいる!! 最後に見たときとは別の馬だ!!」と ブルースが絶賛してくれました。
ハヤテも調子良く、初めの何回かは落としたりしっくり きませんでしたが、何回かやるうちに僕の乗り方が 解ってきたらしく、良い飛びになってきました。 しかし、ブルースには、コンビネーション障害間の 「進直性」に気をつけろ、と注意されました。

3月12日(火)
今日は厩舎から40分くらいのFlyingeという所にある スエーデンの国営種馬場(ナショナルスタッド)で開かれる 練習試合に出場しました。

さすが国営で、ピーターエリクソン等、スエーデンのトップ ライダーが所属する競技場とあって施設は素晴らしく、 練習ラウンドも100CM、110CM、120CMの部という ように3つに別れ、競技場内に3〜4頭がいっぺんに入って、 中にあるコースもインストラクターが一緒に入って小さくしてもよ く、(上げるのはクラスが上がるまでダメ)一回入るごとに大体 一人2回までコースを回ってよく、(上手く行かない所は 何回かやり直してよい)という本当に新馬やライダーの トレーニングうってつけで、ハヤテは110CMで、1回目は ちょっと強く、のめり気味で物見もしていましたが、 少し休憩して、馬場の中をよーく馴致した後望んだ2回目は バランスも戻ってきて落ち着いて非常に良い走行が出来ました。

サクラは準備運動馬場ではすごく落ち着いて、落ち着きすぎて、 「疲れているかな?」と心配するような手応えだったのですが、 心配ご無用、中に入ったらエンジンフルパワーで 半分引っかかってしまいました(苦笑)。
二回目も元気良くて、一回目よりは収まりましたが、 「これでこそサクラだ!!」というパワー爆発で、 最近落ち着きすぎて不安だった僕の気持ちを見事に 裏切ってくれました(笑)。

こうして練習試合が終わり、いよいよ今週末から始まる 競技会への準備が整い、何が起るか解らない不安と期待で、 僕の胸は高まるのでした・・・・・。


・・・・続く・・・・


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▲△広田龍馬 Ryuma Hirota ●◎
▽▼ zero2000@ff.iij4u.or.jp ○●
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ワールドカップファイナルへの道。・・・NO.IV・・・。
13 March 2002
先に渡欧したサクラを追って、僕がスェーデンの土を踏んだのは、 2月27日の事でした。

本当は2月20日に渡欧する予定でしたが、僕が渡欧するに 当たっての仕事の引継ぎ等が十分に終わっておらず、又、 今年の5月末に当那須トレーニングファームで 日本のワールドカップ予選、CSI-W NASUを開催する為に、 日本を代表するコースデザイナー植田元氏が視察に見えたり したので渡欧時期が少し遅れたのでした。

2月27日午後5時、スエーデンの南端のすぐ横、デンマークの コペンハーゲン・カストロップ国際空港に降り立った僕は、 2000年に完成した海と国を跨ぐデンマークのコペンハーゲン と、スェーデンのマルメをつなぐオースレン大橋を列車で 渡ってスエーデン入りしました。

オースレン大橋を渡る列車の窓から外に目をやると、 「世界の車窓から」よろしく広大な景色が広がり、陸地から海へ、 そしてまた陸地へと目の前をさまざまに移り変わる色とりどりの 景色は途中からぱらついてきた粉雪と折り重なって 幻想的な景色をかもしだして行くのでした。

マルメではヘンリックのガールフレンドでステーブルマネージャー であるユリーカが迎えにきてくれて、サクラはとても元気で、 3日前に馬の整体師が来てサクラの体の歪みを矯正していった ので、2日ほど休みにしていたと言う事でした。
その整体師はブルース曰く、「今まで見た中でもNO.1の人だ!!」 と言う人で、ユリーカによると、その人はその昔フランスの フォンテンブローで競走馬の調教師をしていて、全盛期には250頭 もの競走馬を管理していた事があるそうで、今は隠居して故郷の スエーデンに帰ってきて、時折頼まれては馬の整体を施す、 と言う生活をしているそうです。

「馬を本当によく知っているスペシャリストが来てくれる、 というのはとても心強いものね。」と、インターナショナルの グルームを何年も経験しているユリーカはしみじみと言うのでした。

僕が厩舎に着いたのは辺りが暗くなってからでしたが、 厩舎に入ると後ろを向いていたサクラはすぐに僕に気付いて 大きな顔をぬっと突き出してニンジンをねだりました。

「元気だったか?」と僕が話しかけると、 「当然よ!!」と言わんばかりにグイグイと鼻づらを 僕に押し付けるのでした。

そして、約2年ぶりに「疾風」ハヤテに逢いました。 ハヤテは、今8歳で、6歳の末にコンビを組んだ若馬ですが、 とてもひょうきんなキャラクターで、8歳になっても性格は まだ子供子供していますが、 その飛越は素晴らしく、いずれは凄い馬に成長してくれるのでは ないか、という期待のホープです。 大日本帝国の最後の方に開発され、ゼロ戦を凌ぐ性能をもつ 「日本NO.1の戦闘機」と謳われた「疾風」。 物資とパイロットの技量不足で量産に到らず活躍できません でしたが、 僕のパートナーの「ハヤテ」もパイロットの技量不足で活躍 できなかった、なんて事のないように頑張らねば!と思いました。

初めてついたスェーデンは、小雪がちらつき、時折吹く強い風邪は 刺すように冷たく、生温い日本の環境に慣れてしまった僕に、 北欧の厳しい大自然が出迎えてくれ、これから始まる 旅の苛酷さを暗示しているようなのでした・・・・・。


続く・・・・。


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ワールドカップファイナルへの道。・・・NO.III・・・。
12 March 2002
2月10日(日)、今日は那須トレーニングファームの乗馬クラブで僕の ワールドカップの壮行会を開いて頂き、ついでに僕にとっての初代ワール ドカップホース「マンオブゴールド」が日本馬術連盟功労馬表彰を受けた お祝いと、日馬連のランキングポイントでクラブのメンバーの長谷川菜美 さんがチルドレンライダーで1位になり、クラブ所有馬のピーターパンも チルドレンのランキング1位になったのでそれらのお祝いも兼ねて盛大に 宴が開かれました。
ファイナルピークやダンサーZのオーナーで那須の熟年者乗馬サークルの
会「寿愛馬の会」会長の堀康人さんが祝辞を述べてくださり、副会長の吉
池史子さんも途中から駆け付けてくれて「わたしもライプチッヒまで応援
に行く!!」と爆弾発言(笑)をして下さり、下野新聞社の大田原総局長
の星野夫妻やオリンピックの時にお世話になった下野運動部で現黒磯支局
長の桜井さんや沢山のメンバー、関係者の方にご声援を頂き、大きく力づ
けられました。


宴が過ぎて、飲み潰れた社長と、ボナンザ牧場のオーナーで、サクラと最
後までワールドカップ日本代表の座をかけて戦っていたサバイバル号のオ
ーナーでもある宮崎譲さんが残っていて、僕が飲み潰れた二人を母屋まで
送っていくと、宮崎さんが呟くように、

「龍馬、おまえは人間が下手でも馬が助けて一生懸命飛んでくれるってんで、
ここまできた。日本で敵うやつはいない。世界が相手でも全く同じようにやれ。
決して自分が飛ばせてるんだなんてゆめゆめ思うな。
そんな腕自慢だけの奴なんか腐るほどいるんだ・・・。」

たぶん宮崎さんは深く酔われていたので覚えてないと思いますが
この言葉は、深く僕の胸に刻まれました。


2月13日、毎週水曜日の休みの日に富里でサクラの運動をしていた僕は、
朝一番にソルトレーク五輪の清水選手を見届けてから出発しました。その
後腰痛である事を知りましたが、清水選手は万全ではない感じながらも、
気迫で銀メダルをもぎとった様な素晴らしいすべりでした。

「世界の頂点で、常に勝ち負けをする・・・。あの高みに行くために、
どれほどの修練と精神の鍛錬を積んだのであろう・・・。」

そのことを想うと、僕は気が遠くなるような思いがするのでした。

この日は、小学校がインフルエンザで休校になっていた姪の優美を連れて
富里まで行きました。

この、僕が高校一年にして叔父さんたらしめた張本人は、なんとみちのく
の名馬「プルート」の名付け親でもあります。
 プルートは秋田県馬連に行く前は僕の義兄である高橋秀行さんが転勤に
なるまでオーナーでしたが、最初に「マイネルシュタールという競走名か
ら名前をかえよう、と言った時に優美が突如、「プルート!!」と大きく
叫んだので、オーナーの秀行さんがそう名付けたのです。

その後プルートは高橋さんの転勤と共に秋田県馬連に移り、「みちのくの
名馬」の称号を得て、現在に到ると言う訳です

「サクラとは仲良くなれた?」
「はい、大分。」

一週間ぶりに見るサクラは、毎日パドックで加賀屋さんと遊んでいたせい
かとてもリラックスしていて、優美が跨っても優しいお母さんの瞳でゆっ
くりと動いてくれるのでした。

富里社台ファームの800mはあろうかという走路をサクラと軽くながし
た後、あと2日で日本を発つサクラをどーしても一緒に成田まで見送りた
い、と優美が駄々をこね始め、「如何にわが一族は我の強い事よ。」と苦
笑しながら、4月には宮崎に転勤でいってしまい、大好きな馬に触れる機
会もなくなるであろう、あはれな(笑)姪の為に両親や祖父母に了承をと
る為に周旋し、加賀屋さんに優美を預けて、サクラに「ヨーロッパで再び
逢おう。」と別れを告げ、再びお世話になった浅井さんにお礼を述べて富
里を離れました。

2月16日の土曜日の午前中に、優美と加賀屋さんに見送られてサクラは
無事KLMオランダ航空便にて日本を飛び立ちました。

サクラは16日にオランダのアムステルダムに着いて、近くの厩舎で3日
ほど休んだ後、今度は定期便のトラックに乗ってスェーデンの南の端、マ
ルメの近くにあるNZのオリンピック選手ブルース・グッディンと、スェ
ーデンの前ナショナルチャンピオンでバルセロナ五輪代表のヘンリック・
ルーナーが共同で経営している厩舎に2月の19日に無事到着しました。

ブルースとは5年来の付き合いで、2000年にはシドニーオリンピックに一緒
に出場して、初日にブルースは金メダルを取ったダベルダムと並んでトッ
プだった実力の持ち主です。
とても誠実で人柄がよく、馬にも大変柔かく接して、19歳の時に単身ヨー
ロッパに乗り込み、苦労してここまで来たので僕が日本人だと言っても決
して差別せず、僕を型にはめるのではなく良い所を伸ばすようにアドバイ
スしてくれ、しかもとても謙虚で僕がやっている良いと思った所(たとえ
ばマッサージなど、)を積極的に取り入れるなど、とにかく一言で表すと
すると、「いいひと」です。(笑)。

そのブルースが、ここ5年ほど同じニュージーランドの日本でもお馴染みの
ジョン・グレイと、アン・スミスの三人でベルギーに「European Sports
Horses」というアメリカのハンターホースの売買をメインとした厩舎を経営
していましたが、業績が好調で忙しく、自分の競技馬のトレーニングや国
際大会に出場する時間があまりなかったので、「商売よりも、もっと自分
や馬のトレーニングに集中したい。」という商売人でない朴訥なブルース
らしく、スェーデンの南に、去年の夏に以前から仲の良い友人だったヘン
リックと新しく厩舎を開きました。

今回の僕のワールドカップ遠征に関しても「是非、一緒にやろう!!」と
言う事で、積極的にトレーニングや準備の為の競技会のスケジュールを組
んでくれ、僕が日本に帰っている間は僕の馬の調教もつけてくれます。
一番幸いなのはブルースが僕をお客さん、や生徒、と言ったものでなく、
お互いに伸ばしあっていく「仲間」として迎え入れてくれていることだと
思いました。

ブルースはその様な人だったので僕は安心して僕の馬を預ける事ができ、
2月の19日にサクラは一足先にブルースのもとに着いたのでした。



・・・・・・NO.IVに続く・・・・。



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ワールドカップファイナルへの道。・・・NO.II・・・。
11 March 2002
2002年、2月5日。6年前のゴールドの旅立ちの時と全く同じく、 千葉県富里町にある富里社台ファームで11日間の出国検疫を 受ける事になったサクラ。

今では競走馬の世界を席捲する社台グループ発祥の地で、 今はもう普段は馬が一頭もおらず、検疫厩舎としてしか 使用しておらず、それもこの4月に富里が町から市になるの で検疫厩舎のある場所が取り壊されてバスターミナルに なると言うことで、富里社台ファームの文字通り 「最後かもしれない」出国検疫に6年前のゴールドに引き続き サクラをお願いする事になったことに、不思議な「縁」を 感じました。

馬が一頭もいなくなった富里社台ファームに居住するのは、 大社台帝国の創始者、吉田善哉氏の妹さんである 浅井洋子さんと洋子さんの息子さんとお手伝いさんの3人だけで、 浅井さんには6年前の検疫中に僕が怪我をしたときも 介抱して頂いたり、ゴールドが出発の日にもバーベキュー パーティーを開いて頂いたりと、多大にお世話になりました。


2月5日に大種牡馬「ノーザンテースト」の為に建てられたと 言われるパドック付きの大きな厩舎に到着して、6年前に 比べ建物は多少古びていて長いこと使用されていなかった ようでパドックにも藪が生え揃っていましたが、 他は全然変らず、ゴールドと二人で検疫に入ったのが 昨日の事ように想い出されました。


「全然変っていない・・・・・。懐かしいな・・・。 ゴールドと世界へ初めて出る出発点となったここは・・・。」


しかし高校を卒業したての6年前とは違い、今は自分が 所属する「那須トレーニングファーム」でもそれなりの 仕事を任されていて、お陰様で競走馬の仕事がとても 忙しくてサクラに付きっきりと言う訳にもいかず、 かといってクラブや競走馬育成牧場のスタッフを この為だけに割くわけには行かない程障害競走馬の 業績が好調だったので、今回検疫中のサクラの世話係 として、昨年の宮城国体で僕が高校在学中に調教した みちのくの名馬「プルート」に騎乗して少年S&Hに 優勝した秋田県の加賀屋思乃さんが、那須の近くに ある福祉大学に合格して入学式を待つのみになって いたので、研修をかねて一月より那須で合宿を行い、 検疫厩舎サクラ担当に大抜擢されました。

奇しくも僕が生まれる前の遥か「いにしえ」に、僕の父である 広田健司氏がトヨペットのセールスマンと、埼玉県馬連所属の 国体馬術選手というサラリーマンと馬術選手の二束のわらじを 履いていた頃、長崎国体かなにかで広田氏の運命の馬「三峰」 号で優勝して、近くの全日本の会場まで当時は貨車輸送だった為、 非常に時間がかかり、トヨタの社命で帰社を命じられていた広田は 三峰と共に会場に行くわけにはいかず、全日本までの1ヶ月余 の間、その当時、「凱旋」という中央競走で皐月賞を勝った程の 駿馬で高校生ながら大障害に出場していた秋田の青年に 三峰の世話を託して、自分はサラリーマンとしての性を嘆きつつも 会社に戻りました。
 この頃から、広田氏の心に「ゴーカイ秘話」にあるような「脱サ ラして馬の為に生きる。」という漠然とした想いが芽生え始めたの かもしれません。

話が逸れましたが、国体の後にその三峰を預けた若者こそ、なんと その後秋田県でプルートと共に全日本、国体と大活躍した 水平忠明さん、そう、加賀屋思乃さんの師匠だったのです!!!。

「歴史は、繰り返す・・・・・か。・・・・・・・・。」

父が水平さんに大切な三峰を託して、その後30年近くたって その息子がその弟子に大切なサクラを託す。 そう人と人とのつながり、運命のつながりの不思議さを想うと、 不思議と面白いような可笑しいような感情がこみ上げてきて、 不意に笑いがこぼれてしまうのでした。

輸送関係の仕事を一手に引き受けてくれているT&Tコーポ レーションの谷澤さんと打合わせを終え、浅井さんに夕食を ご馳走になりながら社台ファームのなりそめなど他では 聞けないような話を伺い、失礼して、厩舎のサクラにいい子で いるように言付けして、帰途につきました。

「それじゃ、サクラを頼んだね。」
「はい。」

「サクラに何かあったらただじゃおかないからな!!!」と、 出発前にさんざん社長に脅されていた加賀屋さんは、 一生懸命目を見開いてこの広大な牧場にサクラと二人きりになって しまう不安な気持ちを自分で押し殺そうとして気丈を振舞って 返事をしましたが、その大きな目がうるんでいたので、 「大丈夫、俺も6年前は不安だったけど、ゴールドとずっと 二人きりで過すうちに、何となくゴールドの表情が解るように なってきて友だちになれた。君はサクラと友だちになるチャンス をもらったんだから、色々話しかけてごらん。よーく観察して いれば、サクラがどんな気持ちなのかうっすら解るように なってくるよ。」

しばらく考えていたが、加賀屋さんは大きくうなずいて、 「こわかったら、サクラの馬房で寝ます。」と笑顔で答えてくれた。

「良い心がけだ。」僕は笑いながら富里社台ファームを後にした。

帰りの高速の中で、存外、あの娘ならこの寒い冬空の下、本当に サクラの厩舎で寝かねないと思い、携帯で連絡をとると、案の定 サクラの厩舎にいると言う事なので、温かい格好をして風邪だけは ひかないように、自分の管理も出来ないものが、サクラの管理を どうしてできようか、と言う事だけを伝えておきました。

「・・どんな時でも、大好きな馬と一緒にいる時が至上の喜び・・ ・・・なんだよな・・・。」

サクラによりそっている加賀屋さんに、最近忙しさにかまけて忘れ ていた6年前の純朴な自分の姿を見たような想いがしたのでした。



つづく・・・・。



ワールドカップファイナルへの道。・・・NO.I・・・。
9 March 2002
・・・「SAKURA」・・・「サクラ」・・・「さくら」・・・「桜」・・・

2001年11月24日、CSI-W SHIZUOKA ワールドカップ パシフィックリーグ最終戦に、唯一減点0で優勝、 圧倒的な強さでワールドカップパシフィックリーグ総合優勝 と共に2002年にドイツのライプチッヒで行われる ワールドカップファイナル日本代表に再び導いてくれた 名馬で、2頭の子馬を産んだ経験のある肝っ玉母さん馬の名前。

6年前の1996年、「天馬」マンオブゴールドに導かれ、 まだ10代だった僕は訳の解らないまま世界の舞台に飛び込み、 ヨーロッパのインドアで一番大きい競技会であるスイスの 「CSIチューリッヒ」を無謀にもインターナショナルのデビュー 戦として選び、その当時の人間の実力からして失権やクラッシュを しても当然の信じられない大きさの障害をゴールドの圧倒的な 能力によって無事に帰ってこれ、おまけに入賞まで出来ました。
 しかし、そんなめちゃくちゃな事も流石にワールドカップファイナル大会では通用せず、落馬しそうになりながらもこれまたゴールドが助けてくれて、頭が真っ白になって訳の解らないままコースが終わってしまい、42頭中35位という成績だけが残りました。

あれから6年・・・・。長いようであり、短かいようでもあった この期間の間に、社長や皆さんの協力のもと、僕は様々な 経験を積ませてもらい、ゴールドにはオリンピックにまで 連れて行ってもらって、それらの経験が自分を6年前と は全然違うものにしている事を感じました。

六段日本新記録から始まり、CSI-Wワールドカップグランプリを 3勝、CSI-Wワールドカップリーグ優勝、全日本選手権優勝と、 昨年1年を通して安定した成績を残せたのも、以前なら慌て ふためいていたような状況でも、世界の大舞台を数多く経験して、 経験に裏打ちされた自信から、揺るがずに持てる力をキッチリ出せるようになってきたからだと思うのです。


「訳も解らずに終わってしまった6年前とは違い、今度は持てる力をキッチリ出せれば、結果はおのずとついてくるはず・・・・。」


新馬だった7歳時より5年来のつきあいで、ゴールドとバトンタッチをするように大きく育ってきてくれ、僕の面倒を見てくれて世界に再び羽ばたかせてくれるサクラ・・・・・・。


「・・・・今度こそ・・・・。」



6年前と同じ旅立ちですが、6年前とは全く違った新たな気持ちを胸に、2002年、再びワールドカップへ向けて、僕とサクラの大冒険が始まろうとしていました・・・・・.。


No.IIに続く・・・・。


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