スポーツ


WBA世界ライト級タイトルマッチ 畑山隆則対ジュリアン=ロルシー(2001/7/1)

   3-0の判定で畑山が負けました。今回も指名試合を乗り越えることができませんでした。しかし、畑山は良いファイトを見せてくれました。彼の持ち味を存分に出しましたが、アマチュア出身で元世界王者のロルシーはテクニカルなボクサーで攻撃も防御も畑山の一枚上でした。特にジャブが良く、畑山は出鼻をくじかれ、捨て身の攻撃ももう少しのところで届きませんでした。
   畑山を初めて見たのは1994/9/19の後楽園ホールでした。当時ピストン堀口の孫で早稲田大学を卒業してプロボクサーになった堀口昌彰を会場で応援していました。堀口はアマチュア出身ですから、アマチュアらしい行儀の良いボクシングでどちらかというと線が細く地味な存在でした。それに対して畑山はキラキラ輝いていました。派手なコスチュームで好対照の登場をしたのを覚えています。観客に対してのアピールも同様に派手でした。試合開始からアグレッシブに前へ前へと攻め続け、堀口に休む間を与えることなく圧倒的にパンチを繰り出しました。4ラウンドTKOになるのですが、堀口は全く良いところがなく、戦意喪失して力尽きました。リング上は嵐が通り過ぎたような状態でした。この試合の後は堀口の名を聞くことは無くなります。畑山は4年後の1998年に世界チャンピオンになります。
   応援していた選手が畑山に負けて、その輝かしい畑山が時を隔てて再び敗者になるというボクシングの当たり前の事実が、あらためて明暗となる生き様を考えさせられます。試合後引退を表明しているようですが、負けたとはいえ立派な試合を残してくれました。(2001/7/10)

【追記】畑山隆則(26)は、2002/1/22に現役引退を表明しました。

第46回世界卓球選手権大会

   2001/4/23〜5/6に大阪市中央体育館で開催されました。幕張大会から10年目のTV観戦です。団体戦についてNHKが4/28(女子)、4/29(男子)の模様を深夜1時頃から録画で1時間放送しました。決勝戦は、女子が中国対北朝鮮、男子が中国対ベルギーで共に中国が3-0で圧勝しました。ともかく強いの一言です。若い選手が多く、当面揺るぎの無いことでしょう。今大会は2ミリ大きくなった40ミリの球が使用され、よりパワーが要求されるようになり、カット主体の選手には厳しい結果になったようです。ちなみに日本は男子が13位、女子が3位でした。この10年間でスポーツとしての卓球人気は後退しているようです。深夜枠の録画放送がそれを物語っていました。録画ということで試合経過をカットされており、今一つ戦いの攻防が伝わってこなかったのが残念でした。(2001/5/10)

テニス観戦で初めて泣いた日

   1994年全豪オープンテニスは、ピート=サンプラス(米国)が優勝しました。この時代はジム=クーリエ(米国)と競い合い、彼から王者を奪ってからは、サンプラスを中心に男子テニス界が回っていました。サーブ、ボレー、ストロークのどれをとっても素晴らしく、死角無しのオールランドプレーヤーでした。この年も間違いなく彼が席巻するだろうとの大方の予想がありました。彼はシード選手のため、第2回戦から出場したので初戦になりました。当然ながら対戦相手は無名選手でランキングも低かったため、いとも簡単に勝つだろうと私はたかを括っていました。ところが苦戦します。トップの選手は勝ち上がっていくにしたがって、調子を上げると聞いていますが、サーブやストロークを見ても万全の仕上がりで問題はなかったにもかかわらずです。対戦相手はエフゲニー=カフェルニコフ(ロシア)。特にこれといった特徴がないオールラウンドプレーヤーでした。それでも線が細く非力に見えるカフェルニコフが本当に素晴らしいのは、あのサンプラスの強烈なサーブをことごとくリターンするところです。顔の表情をプレー中にほとんど変えないサンプラスが、試合が進んでいくにしたがって青ざめていき、目は空ろになります。圧倒的に強い王者が徐々に追いつめられいきます。彼にはサービスエースが取れる切り札のビッグサーブを持っていましたが、それがほとんど封じ込まれてしまいます。自信が悲鳴に変わる瞬間が襲っているようでした。それでもなんとかサンプラスがやや有利で一進一退が続きます。一方のカフェルニコフは疲れた表情を見せながらも淡々と王者を崖っぷ地に追い込みます。いよいよこのサーブで決まるという場面を何度も何度もブレークしました。これほどスリリングな試合を見たことがありませんでした。たった一つのミスで勝者が入れ替わるのですから。それまでテニス観戦で感動したことはそれまで無かったのですが、この試合の王者と挑戦者の壮絶な攻防を見て初めて泣きました。あの時の死闘は忘れられません。(2001/4/20)

スポーツとしての卓球

   1991年に幕張メッセで世界卓球選手権が開催されました。偶然TVで見ることになった団体戦の決勝は、中国対スウェーデンとなりました。当然ながら中国は卓球王国として知っていましたが、ヨーロッパの国々が強いことをこの時知りました。優勝したのはスウェーデンで圧勝だったと記憶しています。この試合でとても興味深い強烈な出来事がありました。何人目かの中国の選手が、序盤に突然試合を止めたのです。審判のジャッジが気に入らないため、審判を代えてくれないと試合ができないと抗議を数十分続けました。他のスポーツ競技では審判は絶対で、このような抗議は試合放棄として退場を命じられるはずですが、何と審判団が協議して、審判を交代させてしまいました。さらに驚いたことにこの徹底的に抗議した中国選手があっさり負けたことです。長い時間中断したにもかかわらず、相手のスウェーデン選手が落ち着いて待ち続け、勝つという集中力に感心させられました。
   それまで卓球は狭い空間の攻防で、短時間で勝敗が決まる競技のため、観戦したいと考えないスポーツでしたが、この試合から人間臭くて駆け引きが激しく非常に面白いものだとの認識になりました。最近知ったのですが、ヨーロッパではプロリーグに人気があり、例えばドイツはサッカーと同様にブンデスリーグと呼び、ゴールデンタイムには卓球中継番組が流れ視聴者が多いそうです。日本でもスポーツ観戦として卓球が普及して欲しいと考えます。卓球イコール温泉遊戯というイメージから早く脱却すべきではないでしょうか。(2001/4/11)

ロッテ対オリックス第2試合

   千葉マリンスタジアムで2001年プロ野球公式戦を初観戦しました。試合は6-9でロッテが負けました。前日、冬に逆戻りして雨で試合が流れ、この日は寒いながら好天気になり、絶好の日和となりました。内野席2階の日の当たる席で家族と伴に、途中3回裏から7回終了まで観戦しました。客席は6割程度の入りでした。7回裏のロッテの攻撃の前に、「ラッキー7」と電光掲示板に表示された後に、風船が一斉に観客席から飛び、この回に福浦和也選手の2号ホームランで2点返して6点にしたので応援のしがいがありました。順位は昨日の時点でロッテマリーンズ1位です。(2001/4/2)

スキーとの不運な出会い

   東北生まれながら、大学までスキーを経験したことはありませんでした。どうも足場がしっかりしないスポーツには縁がなく、ローラースケート、アイススケートはいまだに未体験です。その遠因は、偏平足にあります。電車で吊革を持たずに踏ん張り続けると、短時間で足の裏が非常に疲れます。土踏まずがないことで、身体の重心を維持しずらいからでしょう。そのため無意識に避けてきたようです。しかし、体育の授業でとなると必須なので参加しなければなりません。この時不運にも私の足に合ったものがなく、違和感のある靴で参加する羽目になりました。案の定、左くるぶしの少しうえの神経を授業中圧迫することになります。そのおかげで足首から先に軽く神経痛がでるようになりました。その後スキーをすることはありません。足を痛めただけでなく、やはり足の裏が非常に疲れることがわかり自身には向いていないものだと痛感しました。それにしても、このような種目のスポーツは自分に合う靴が一番大切だと身を持って知りました。(2001/3/27)

やっぱり、野球少年でした

   高度経済成長期1960年代から70年代にかけて少年時代を過ごしたため、例外なく「巨人、大鵬、卵焼き」でした。父が相撲とプロ野球をTV観戦していたので自然とそうなりました。小学校では休み時間になるとソフトボールをするのが当たり前で、子供心に上手くなりたくてグローブを買ってもらい、休日には空き地で父にキャッチボールしてもらったことを覚えています。このような背景で野球が好き、間違いなく高校時代までは大の巨人ファンでした。しかし、江川問題がきっかけでアンチ巨人に転向しました。あの時は江川と交換トレードされた小林繁投手を心から応援しました。その後もいくつか巨人軍関係の事件が起ったことで嫌気が差し、また、社会人となってビジネス上、野球ネタは禁句ということを知り、野球からは距離を置いてしまいます。ただし、地元にロッテマリーンズがあるので、シーズン中に数回球場で観戦します。特にロッテを応援するというわけではなく、潮風が吹く球場の雰囲気が良いので、行楽地の一つとして行っています。ナイトゲームの試合後にプリンスホテルのレストランから見下げる花火はいけてます。これを見るために試合途中で球場を後にしなければいけません。(2001/3/26)

ゴルフ!?

   過去1度だけ、20代後半に当時の会社の同僚に誘われて、大島の小涌園でゴルフを体験しました。ゴルフの上手な先輩に何が必要か指導を受けて、準備したものは左手用グローブとゴルフボール(ロストボールを集めて安売りしたもの)の2点で、総額3千円程度でした。服装はジーパンをはいた普段着で、コースに出るまでクラブを素振りしたことも無く、全てぶっつけ本番となりました。当然ながらハーフを回って150以上をたたき、そのうちきちんと数える必要も無くなり、スコア表はおおよその数字を入れた覚えがあります。大島ということでアップダウンが厳しく、日頃の運動不足でアップアップしました。とにかく静止したボールにクラブが当たらず真剣に3回連続して空振りしたときには、これまで野球で培ってきたボールを当てる行為とのギャップに、自分が信じられなくなりました。TVで見るプロゴルファーのグリーン上での動きと、パターを持って行ったり来たりする自分の姿のあまりの違いに驚きました。素振りもしないで臨んだゴルフ初体験は見事に無能な自分と対峙することになります。その反面ゴルフの面白さを垣間見た気がしました。
   しかし、その後ゴルフをすることなく来ています。全米や全英などの大きな大会をテレビで見ることもありプロスポーツとして見ごたえを感じます。でも、日本のような狭い国土には馴染まないと考えています。仕事で羽田から地方都市へ飛行機で向かうときに眼下に広がる緑の大地に点々と虫食い状のゴルフコースが見えると、我が祖国は環境破壊をやるだけやってしまったのだと諦めにも似た感覚に襲われ、積極的にやってはいけないものだとそのたびに自身に言い聞かせています。年間利用者が少ないにもかかわらず広大な施設が必要で、あの面積にテニスコートなどの別の運動施設をを作ったほうがどれほど地域社会に貢献できるのではと考えてしまうのです。
   また、ビジネスと結びついているのも良く理解できません。卓球とかボーリングを提案したいものです。「今度機会があれば、是非卓球ご一緒しませんか」(2001/3/23)

私のスポーツ経歴

   私のスポーツ経歴は次の通りです。

   小学校低学年  ソフトボール
   小学校高学年  サッカー
         ↓
   中学校前半
   中学校中期     卓球
   大学初年度     ボクシング
   社会人20代     軟式野球(草野球)
         ↓            水泳
      30代前半     テニス

   運動能力が特別あるわけではなく、競技として競い合った記憶はほとんどありません。選手として活躍したことはなく、常に先発メンバーと補欠の中間にいたようです。早い話うまくない普通レベルでした。
   社会人30代後半からは、スポーツする機会は徐々に減ってしまい、テニスやボーリングを数年に数回ほど参加する程度になりました。40代なので何か考えないといけません。いままで2つ以上並行してスポーツをしたことがなく、1つの種目を長期間続けたこともありません。(2001/3/22)





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