秘境

              
私、高島恒夫は今日も旅の途にある。
専門は民俗学だが、私ほどフィールドワークを重んじる学者は
今の日本では残念ながら私だけだろう。
寒風吹きすさぶ中、ある集落へと進みながら、心は弾んでいる。
なぜならば今向かう先は日本最後の秘境といわれながら、本格的な
調査がなぜかいっこう進まぬ笹川集落だからである。
私はフィールドワークが好きだ。それが秘境となればなおさらである。
そういった所の人々はよそ者に対し非常に警戒心が強い。
その上、自分が馬鹿にされたと思いやすく、コミュニケーション
には細心の注意が必要である。
しかし、私のように経験を積んだ学者にとって、その点をうまく
こなすことが大きな達成感を得られる最大のポイントになるのだ。

「突然にどうも、面倒なことをお願いして申し訳ありません。
いやー、寒いですね、」
「……」
「おじゃまします。あ、おかあさん、おかまいなく。ちょっと、
お話を伺うだけなので。」
「ふん……」
「では、遠慮なく座らせて頂きます。
あー、やはり囲炉裏端は暖かいですねー。」
「どさけさ」
「は?」
「どさめさ」
「あ、東京からです。」
「…」
「今はおかあさんお一人ですか?」
「いまーおんみもったい、くそーたらんし」
「え、あ、おかあさん、少しゆっくりお話してもらえますか?」
「く、そーーた、らーーん、、もっ、た」
「いや、そんなにしなくても…」
「だら? かずみー!かずみー!ほなくさちんのくさ!」
「あ、他の方がいらっしゃるんですね。」
「かずみー! くっさー!」
「ああ、娘さんですか?」
「くそたわけーだら。たらんしたらんし、くっせーし、ダハハハハ」
「えーと、えーと、くそたわけ? 臭いんですか?」
「ほならけつ、どげな! わらんどぅー!」
「わ!すいませんしぇーません。そんなに怒らなくても…」
「ダハハハ、しぇけなどぅー」
「‥あ、恐縮です。」

ふむ、この集落は歴史的にロシア語の影響が強いのかもしれない。
またあす、出直すとしよう。
「では、お邪魔しました。また明日にでも伺います。」
私はフィールドワークの難しさを実感しつつ、一回目の調査対象をあとにした。

「…ふん、みやげももたねえで…」

                               2008年2月25日 島田博樹

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