2008年3月 臨時号

高崎裕士の永遠の生命のためのメッセージ
「絵本童話『100万回生きたねこ』から」

佐野洋子作・画『100万回生きたねこ』講談社 1977年10月 岡田博行さん、畑中尚子さん結婚式式辞「愛は一生を捧げる 」98/10/31 および 播州地区壮年部総会説教「主にあっての交わり」08/02/17からリライトしたものです。 08/03/22の家庭集会でも話しました。
  
「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。ヨハネ福音書15:13)」

「イエスは、わたしたちのために、命を捨ててくださいました。そのことによって、わたした
ちは愛を知りました。だから、わたしたちも兄弟のために命を捨てるべきです。」(ヨハネの
手紙一3:16)



  上記の聖書の語句ですが、一つは「友のために自分の命を捨てる」、もう一つは「兄弟のた

めにいのちを捨てる」とありました。私はこの「友」あるいは「兄弟」という言葉は意味の幅

が広く、その中には「親、子、つれあい、配偶者、つまり、夫、妻」を含むものと考えてよい

と思います。最近は「連れ合い」とか「パートナー」という言い方も増えてきていますから、

なおその感を強くします。しかし私が言うのは軽い意味ではありません。聖書ではこの「友」

とか「兄弟」とかはルカ福音書16:9に「そこで、わたしは言っておくが、不正にまみれた富で

友達を作りなさい。そうしておけば、金がなくなったとき、あなたがたは永遠の住まいに迎え

入れてもらえる」とも言われているようにあなたを天国に迎えてくれるガイドであり、あなた

が天国へ行く時の大切な伴侶であり、非常に重い意味を持った言葉だと思うのです。そして夫

婦の場合、それまでは他人だったのですが、結婚してからは、親兄弟と同じか、あるいはそれ

以上の大事な人なのです。俗に「親子は一世、夫婦は二世」と言われるのは故なきにあらずで

す。(註:「不正にまみれた富で」というのは友を作ることの必要性を強調するためで、不正

を奨励したものではありません。)

  ですから、この聖書の言葉は「妻のために自分の命を捨てる」「夫のためにいのちを捨て

る」と言い換えることができると私は思います。そしてこの「命を捨てる」ということを「一

生を捧げる」と言い換えてもよいと思います。「一生を捧げる」というと分かりやすいけれど、

その意味を軽く感じる人もあるかも知れません。しかし、私は、この一生はそんなに軽いもの

ではない、なぜかというと、この一生は「他生」あちらの世界の命、永遠の生命に繋がる一生

だからです。

  ところで、クイズのようなことを申して申し訳ないのですが、皆さんは、私たちには非常に

身近な動物なのに、聖書に一回も登場しない動物は何だとお思いですか。そうです。猫です。

ここで私は、その猫が主人公の話、かつて大変感銘を受けた、ある絵本童話を紹介したいと思

います。十数年前のNHKの「テレビ絵本」で見た方も多いと思いますが、佐野洋子という人

の『100万回生きたねこ』という童話講談社 1977年10月です。途中を飛ばし飛ばししなが

ら読みます。(文末に「参考資料 聖書中の主な動物・記述回数」

  「100万回も死なないねこがいました。100万回も死んで、100万回も生きたのです。

立派なとらねこでした。100万人の人が、そのねこをかわいがり、100万人の人が、その

ねこが死んだ時泣きました。ねこは一回も泣きませんでした。」この後、ねこが、王様や、船

乗りや、サーカスの手品つかいや、泥棒や、おばあさんや、小さな女の子に飼われて死んで埋

められる話が続きます。それでも、ねこはすぐ生き返りますから死ぬのなんか平気でした。そ

れからねこは立派なのらねこになりました。あらゆるめすねこがこのねこのお嫁さんになりた

がりましたが、「ねこは言いました。『おれは、100万回も死んだんだぜ。今更おっかしく

て!』ねこは誰よりも自分が好きだったのです。

  たった一匹、ねこに見むきもしない、白い、美しいねこがいました。ねこは、白いねこのそ

ばに行って、『おれは、100万回も死んだんだぜ!』と言いました。白いねこは、『そう』

と言ったきりでした。ねこは少し腹を立てました。なにしろ、自分が大好きでしたからね。次

の日も次の日も、ねこは白いねこのところへ行って、言いました。『君は、まだ一回も生きお

わっていないんだろ。』白いねこは、『そう』と言ったきりでした。ある日、(サーカスのね

こだった時覚えたちゅうがえりをして見せて)『おれは100万回も・・・・』と言いかけてねこ

は、『そばにいてもいいかい。』と、白いねこに尋ねました。白いねこは『ええ』と言いまし

た。ねこは白いねこのそばに、いつまでもいました。」つまり結婚したのですね。

  この後、二匹は可愛い子ねこをたくさん作って育てました。やがて子ねこたちは立派なのら

ねこになって独立して行きます。そして・・・・・

  「白いねこは、少しおばあさんになっていました。ねこは一層優しく、グルグルとのどを鳴

らしました。ねこは、白いねこと一緒に、いつまでも生きていたいと思いました。

  ある日、白いねこは、ねこの隣で、静かに動かなくなっていました。ねこは初めて泣きまし

た。夜になって、朝になって、また夜になって、朝になって、ねこは100万回も泣きました。

朝になって、夜になって、ある日のお昼に、ねこは泣きやみました。ねこは、白いねこのとなり

で、静かに動かなくなりました。

  ねこはもう、決して生き返りませんでした。」

佐野洋子作・画『百万回生きたねこ』P29
なぜこんなお話しをするのかとお思いかも知れませんね。しかし私は「愛」ということが言 いたかったのです。この猫は、お嫁さんになった白い猫に、しかも、いつまでも美しかったわ けではないでしょう、お婆さんになった白い猫に一生を捧げたのでした。いや、100万回の 生涯を捧げたのでした。生き換わることのできたはずの、これからの命も捨てたのです。「人 がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない」と、彼は最大の愛を、 まだ百万回でも生きられたはずの命を、つれあいにささげたのでした。私は、この二匹の猫の この世での命はこれが最後だったけれども、彼らはあちらの世界で永遠の生命を生きているも のと思います。輪廻転生ではなく、永遠の命が大切だという話にもなります。 この話は実は先日の地区壮年部総会での説教として話したものです。壮年部は今年でなくな り、この4月からは、信徒研修部もですが、婦人部と一緒になる、男女が力を合わせてやって いくことになります。いわば共同参画です。ちょうど理想の家庭を作るのと同じです。そのた め私は、男女がお互いのために尽くし合うこと、愛し合うことのすばらしさを言いたかったの です。男性にとって女性は、また女性にとって男性は、ペトロの手紙一3:7 で言われているよ うに「命の恵みを共に受け継ぐ者として尊敬」し合って行くべきなのです。神様が人間を、他 の生き物もですが、男女にお創りになったのは実によくできたことだと思います。それは「愛」 というものを理屈を超えて自然に醸成する、醸し出す仕組みなのです。もちろん、「愛」はそ のような自然の有りようから成長しなければなりません。イエス様がマタイによる福音書の22: 30 他で「復活の時には、めとることも嫁ぐこともなく、天使のようになるのだ 」と言われた のは、天国での人間関係が地上の夫婦関係以上に純化した「愛」の関係であることを示唆され たのではないかと思うのです。地上においても、それは目標としてよいのではないでしょうか。 教会などでの、主にあってのこうした交わりは、夫婦関係と同じくらい、嬉しいものです。 ところで最後に一言付け加えたいのです。そのような「愛」を可能にする力はイエス・キリ ストから来ること、イエス様が私たちのためにその命を捨ててくださって、「愛」というもの を教えてくださったことを、始めに読んだ二カ所の聖書のうち、ヨハネの第一の手紙3:16で知 り、「主にあっての交わり」ということをもう一度確かめて、今日の話の締めくくりとします。 「イエスは、わたしたちのために、命を捨ててくださいました。そのことによって、わたした ちは愛を知りました。だから、わたしたちも兄弟のために命を捨てるべきです。」
参考資料 聖書中の主な動物・記述回数 (新共同訳聖書 “J-ばいぶる”による検索)
新約

旧約
合計
      
新約
旧約
合計
羊 牛 馬 山羊 ろば ライオン りす 犬 いたち
101
018
020
00014
00044
009
 16
602
412
150
151
136
111
058
044
017
703
430
170
159
150
120
102
053
033
0
豚
狼
豹
ねずみ
虎
兎
もぐら
猿
猫
 16
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 20
 12
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