
神戸新聞 2005年7月6日(水) 入浜権運動サイト開設
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高砂の高崎さん 関連資料や論評公開 |
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「入浜権運動サイト」を開設した高崎さん=高砂市荒井町
| 「古来、海は万民のものであリ…」との宣言で知られる「入浜権」運動
で、自然の浜の回復を訴える運動を支えてきた高砂市荒井町の牧師高崎
裕士さん(74)がこのほど、インターネツト上に「入浜権運動サイト」を
開設した。入浜権宣言のほか、関連する資料リストや年表、主要な評論
などを公開。高崎さんは「運動に携わった者の責任として、資料を公開
し、広く利用してもらいたい」と話す。(渡辺裕司)
運動は臨海部への企業進出によって海水汚染が進む高砂市で産声を上
げた。公害問題に取り組んでいた高崎さんらが、海浜は本来だれでも自
由に入る権利があると考え、1973年に「入浜権」という言葉を使い
始めた。運動は公害問題を抱える全国に広まり、各地でデモや集会が繰
リ広げられた。
そうした運動の成果は、要望があれば資料をコピーして郵送するなど
していたが、だれでも利用できるような「資料情報センター」にと今回、
ネット上で公開することにしたという。
サイトには、運動に関わった人々や出版物など資料リストのほか、主 |
| 要な活動を年表にまとめ公開。また、高崎さんが雑誌などに発表した評論も加え、さらに充実させていくという。
高崎さんは「入浜権運動の精神は、ほかの運動や環境行政に生かされた。今、自分にできることは、資料を後世に引き継ぎ、
生かしてもらうこと」と話している。
アドレスはhttp://homepage3.nifty.com/eternal-life/irihamakenundou.htm |
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朝日新聞(大阪本社版 夕刊) 2006年11月18日土曜日 |
「入浜権」の故郷 公園できたけれど 高砂臨海部 |
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堤防で海岸に出られず「イメージ遠い」
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兵庫県高砂市の臨海部の工業地帯に19日、海岸に面した県の公園がオープンする。海辺に工場が相次いでできた高度成長期、
地元住民らは環境破壊や公害に反発し、「古来、海は万民のものであり」で始まる「入浜権宣言」を発案した。それから30年
余り。「海を開放してほしい」との願いはやっとかなうが、堤防に阻まれて海岸へは出られず、砂浜もない。「入浜権のイメー
ジとは程遠い」と漏らす住民もいる。(平賀正弘)
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高砂市の海岸線は謡曲「高砂」に歌われるように、かつては白砂青松で知られた。1960年代に海を埋め立て工揚群が進出。
約5キロに及ぶ海辺はコンクリート護岸に覆われ、住民は自由
に立ち入れなくなった。
73年、高砂港の水銀汚染を機に公害を告発する住民団体が発足。企業が海岸を独占していることへの疑問から「入浜権」の
提唱を考えた。75年に公害反対住民運動の全国集会で宣言が採択され、訴訟などで入浜権が主張されるようになった。
県は、企業の土地を借りて海沿いの公園を整備する国の補助事業ができたのを受け、住民らが求めていた海辺の公園づくり
に着手。約10億円をかけて県有地と神戸製鋼所高砂製作所、三菱重工高砂製作所の土地計2・7fを造成し、池や遊歩道などを
整備した。
入浜権運動推進全国連絡会議の元代表、高崎裕士さん(75)は「行政や企業の努力は認めたい」としつつ、「防波堤と高い塀
に囲まれ、箱庭のようだ。本当の自然からは遠く、入浜権の復活とはいえない」と話す。
県東播磨県民局の竹谷徹・県土整備部長は「入浜権については、いろいろな考え方があるだろう。親水機能を持たせるよう
努力して、できたのがこの公園。市民の意見を聞き、企業の協力も得ている」と説明している。 |
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神戸新聞 2008年2月10日(日) 『全開。ひょうご』神戸新聞創刊110周年「地才地創」
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1976年 高砂で入浜権運動の全国集会
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「海を返せ!」「渚を守ろう!」。釣り竿を掲げた人々の叫び声が、高砂のまち
に響いた。
一九七六(昭和五十一)年二月八日。高砂市を舞台に「入浜権宣言一周年全国集
会」の「釣り竿デモ」が展開された。竿の先に小旗がはためく。約二百五十人が
「海はみんなのもの!」とシュプレヒコールを上げ、海に向かって歩いた。
「高砂入浜権運動をすすめる会」代表世話人の高崎裕士さん(四五) が「総指揮
者」と書かれたたすきを付け、列を率いた。沿岸の企業に着くと、保安係に質問
状を突き付けた。「入浜権は存在するとお考えでしょうか」
「古来、海は万人のものでり…」で始まる「入浜権宣」は、デモから一年前の
七五年二月に採択された。高度経済成長期に各地で海岸が工業地として埋め立て
られ、環境汚染や公害が問題になってきた。
播磨臨海工業地帯にある高砂市も、五企業が沿岸の埋め立て地を占有。七〇年
代前半、高砂西港で二企業による環境汚染物質・ポリ塩化ビフェニール(PCB)
の汚染が発覚したのを受け、市民が公害問題を考える団体を設立し、「入浜権運
動推全国連絡会議」の発足へとつながった。
ある時、行政や企業がひた隠しにする水銀濃度を測るため、高崎さんらは小さ
なゴムボートで海へでた。基準値を大きく超えた水銀濃度を確認し、怒りに震え
た。企業が沿岸に「占有地につき立入禁止」と書いた看板を立て、網を張ったこ
とに抗議し、網の向こうで釣りをしたこともある。やがて網は撤去された。
◆
入浜権の考え方は、現在の憲法改正論議にある「環境権」や、自然保護の流れ
にしっかりと引きき継がれている。高砂では県が海岸再生に向けた整備に乗り出
すきっかけもつくった。
入浜権宣言後、各地でシンポジウムや集会が開かれたが、体調を崩す仲間も出
始め、八九年に運動は休止した。
それから約二十年。「法律家、民俗学者。いろんな人が飛び込んで来た。明る
くて、楽しい運動だった。みんなで海を取り戻そ
うってね」。七十七歳になった高崎さん=高砂市荒井町=は、懐かしそうに振り
返る。
「海も自然も、失って初めて価値の大きさを実感したんだ」。高崎さんは、それ
が運動の原動力だった、と信じている。 (宮本万里子) |

「海を返せ」。釣り竿に抗議の小旗をつけて
岸壁をデモ更新する釣り人たち=1976年
2月8日、高砂港 |
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毎日新聞 2008年9月2日(火) 里海 渚の異変「瀬戸は・・・」第3部 A 戻らない万民の浜
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「行政や企業の姿勢は評価したい。ただ、私たちが望んできたのは
子供たちが泳ぎ、人々が自由に散歩できる浜。それとは程遠い」。
兵庫県高砂市の播磨臨海工業地帯。コンビナートの南端にある「あ
らい浜風公園」で、高崎裕士さん(77)は複雑な表情を見せた。
公園は住民の要望に押される形で、県が立地企業から用地2.71f
を借り、一昨年11月、約10億円かけ親水公園として整備した。播磨
灘に沈む夕日が美しく、海水を引いた「せせらぎ水路」も整えた。
だが、ひとたび目を転じると、消波ブロックで覆われた人工護岸。
泳ぐどころか、水辺に下りることも、釣りもできない。
「高砂や・・・」の謡曲で知られる高砂市は、かつて5`におよぶ白砂
青松の砂浜が広がり、海水浴客でにぎわった。しかし1960年代に埋
め立てが進み、海岸につながる道路も消滅。人々は完全に海と遮断
された。そんな中、「渚を返せ」の合言葉で73年に入浜権運動が生
まれた。
「古来、海は万民のものであり、海浜に出て散策し、景観を楽しみ、
魚を釣り、泳ぎ、あるいは汐を汲み、流木を集め、貝を掘り、のり
を摘むなど生活の糧を得ることは、地域住民の保有する法以前の権
利であった」 |
| 高崎さんが75年に起草した「入浜権宣言」は全国で注目を集め、各地の環境保護運動に影饗を与えた。そもそも、「海や渚は誰のも
のか」という問いが新鮮だった。
公有水面の埋め立てに際しては当時、漁協関係者らに補償をすれば足りると考えられていた。近隣住民は利害関係者と認められず、
交渉のらち外。高崎さんらは古老への聞き取りなどで「寄りもの拾い」「土用の丑の尻つけ」などの習慣や民俗行事を発掘。浜が住民
共有の財産であったことを示し、山林への「入会権」に類した権利の根拠とした。共鳴した釣り人が釣り竿デモで応援に加わった。
「活動はもともと港のPCB汚染への告発から始まった。ゴムボートに乗り、どろどろの海水を採取して、『なぜ、海がここまで汚さ
れたのか』と考えた。住民が海から遠ざけられていたから」
運動から35年。高砂に子供たちが泳げる浜はいまだ一つもない。 【榊原雅晴、写真も】=つづく |
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毎日新聞 2008年10月28日(火) ネットで入浜権シンポ 高砂の高崎牧師サイト開設
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ネットの入浜権シンポ参加を呼びかける高崎裕士さん
=高砂市の自宅で | 1970年代、全国的に広がった自然保護運動のきっかけになった「入浜権運動」
が始まって2010年2月で35年を迎えるのを記念し、入浜権宣言の起草者で牧師
の高崎裕士さん(77)=高砂市=が、インターネットシンポジウムのサイトを開設
した。論文や報告、エッセーなど自由に書き込んでもらい、若者たちにも環境問題へ
の関心を高めてもらいたいと活用を呼びかけている。【成島頼一】
入浜権運動は73年、高砂本港の水銀汚染をきっかけに、高砂市で起きた自然保
護運動が始まり。
2年後、高崎さんは「古来、海は万人のものであり、海浜に出て散策し、泳ぎ、あ
るいは汐(しお)を汲(く)み、のりを摘むなど生活の糧を得ることは、地域住民の
保有する法以前の権利であった」という「入浜権宣言」を起草。入浜権はその後、全
国的に広がったコンビナート建設反対運動の支柱となった。
運動はその後衰退したが、入浜権運動推進全国連絡会議の代表などを務めた高崎さん
は「資料の保存と提供は運動に携わった者としての義務」と5年前から「入浜権運動
公式サイト」(http://homepage3.nifty.com/eternal-life/irihamakenundou.htm)を
開設し、関係データを公開した。シンポジウムには同サイトから参加できる。 |
| ◇再来年の運動 35周年を記念
企画には多くの学者らが賛同。早川和男神戸大名誉教授(日本居住福祉学会長)や民俗学者の谷川健一さんらが呼びかけ人になった。
高崎さんは「当時運動に参加した人たちは高齢化。全国的な集会開催は難しいと思いネットを思いついた。寄せられたものから公開し
て行き議論を深めたい」と話している。
問い合わせ先はシンポ事務局(079-442-3561、電子メールeternal-life@nifty.com)。
●上記ニュースの「入浜権運動」のサイトは、鐘淵化学高砂工場(現カネカ)のPCB生産当初からの様々な問題、
高砂市民が海岸を失った過程、国内唯一のPCB焼却の記録(ア裕士氏は当時のPCB監視住民委員会事務局長)
が掲載されている。私もこのサイトの貴重な記録をいろいろ参考にさせていただいた。 【成島頼一記者】 |
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| 朝日新聞(兵庫播磨版) 2008年12月26日金曜日 自然はみんなのもの 「入浜権運動」の成果まとめ出版 |

「自然総有論」を手にする松本文雄さん
=高砂市の自宅 |
「入浜権運動」発祥地の高砂市で環境保護の運動と研究に取り組む松本文雄さん(69)が、これまでの
成果をまとめた著書「自然総有論」(メタ・ブレーン杜)を出版した。専門の農業経済を基に、農業に
おける共有地の理論を発展させた意欲作。松本さんは「地球環境の危機を救うため、自然はみんなの
ものという考え方を広めたい」と話す。
本ではまず、環境問題に取り組むようになった背景として、高校生のころに父親が勤めていた尼崎
市の工場が廃液による公害を引き起こしたことに触れる。その後、大学と大学院で農業経済を専攻。
英国で牧草地を共有地(コモンズ)として自治的に管理していた制度を知り、環境問題と結びつけて研
究を続けた。
農業高校の教諭になり、故郷の高砂市に戻った。高度経済成長で工揚が次々と海岸線を埋め立てて
進出するなか、海辺を取り戻そうという市民運動から73年、松本さんらによって「入浜権」という一
言葉が生まれた。
山にも目を向け、同じ頃に高砂緑地問題研究会を発足させ、いまも世話人を続ける。松枯れは生態
系を無視した農薬空中散布が原因だとして中止を要求し、松を植える運動を展開。里山の地図を作製
して保護を訴えた。「入山権」という言葉をつくって学会で発表したこともある。 高砂の松本さん「環境保護の立場で提言」
出版は98年の「松枯れ白書」に次いで2冊目。翌年に教諭を定年退職し、これまでの成果を理論化
したいと考えた。 学会や専門誌で発表した論文を中心に、図書館に通い詰めるなどして執筆に8年か
かった。
B5判、366n。税込み6300円。 松本さんは「自然総有は理論として未熟だが、環境保護の行動を続
けてきた立場から提言したい」と話している。問い合わせは松本さん(079−447−2586)へ。 |
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朝日新聞(夕刊 2009年(平成21年)2月27日 金曜日) 惜別 元・週刊釣りサンデー会長小西和人さん |
釣りジャーナリズム貫く こにし・かずひと 1月7日死去 (心不全) 81歳 1月8日家族葬
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社長室に飾っていたお気に入り
の一枚。普段も魚の柄のシャツ
を好んで着ていた= 98年7月27
日、大阪市淀川区西宮原1丁目、
中田徹撮影 | 「釣りキチ三平」で知られる漫画家の矢口高雄さん(69)は25年ほど前、幻の魚イトウを釣り
に中国東北部の奥地に出かけた。藩陽から列車で20時間、農耕車で湿地帯を分け入りさらに
4時間。「最果ての川に日本で一番乗り」と喜んでいたら、白いアゴヒゲを蓄えた日本人に出
会った。「それが初対面。先を越されたって悔しかったけどすごい人がいるもんだと驚いた」
最盛期20万部を超えた雑誌「週刊釣りサンデー」創刊者は、世界最大の淡水魚ピラルクな
どを求め30カ国以上を旅した。元は毎日新聞の記者で、阪神支局にいた29歳の時、先輩に誘
われて磯釣りに出かけ、51.5aのグレを仕留めて人生が変わった。その後赴任した高松や広
島では釣りクラブをつくり、関西や四国の釣り場を開拓。日本の磯釣り・投げ釣りのパイオ
ニアになった。
76年、49歳で週刊釣りサンデー杜を設立した。編集部員として支えた長男の英人さん(54)
によると、杜訓は「釣り情報誌じゃない。釣りジャーナリズムや」。船代や宿泊代は必ず自
前。釣れない時は「釣れない」と書くので関係者から苦情続出で、釣り具メーカーの広告も
よく止められた。
オデキのできたイシモチを釣ったことで環境問題に開眼する。「ヘンな魚は人間の見張り
役」と、読者が釣った奇形の魚の写真を載せる欄を続けた。埋め立て地が広がる中、「自然
の砂浜を守ろう」という入浜権運動に参加。釣り人400人が「なぎさを返せ」と叫ぶ「釣りざ
おデモ」を仕掛けた。
死のーカ月前、英人さんに「おれはぽっくり逝く」。朝、一人で住んでいたマンションを
英人さんが訪ねると安楽イスで動かない。長女みれさん(51)は「あとは釣りざおだけ持って
れば完璧な最後だったんですけど」。釣り糸を垂らしたまま、居眠りしてしまったような表
情だった。(坂本泰紀) |
※ 小西さんは今回の「入浜権宣言35周年記念インターネット・シンポジウム」の呼びかけ人のお一人で、そのご主張を真っ先にシンポ会場のページにお寄せくださって
います。私たちはそれを小西さんのご遺志と受け止めたいと思っています。 → 「入浜権宣言35周年記念インターネット・シンポジウム会場」 |
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朝日新聞(兵庫播磨版)記事 2009年4月4日(土) 宣言35周年記念ネットで入浜権シンポ
高度成長の70年代、自然海岸が埋め立てられて工場地帯へと変わっていくなかで、親水の権利を主張した「入浜権」が宣言された。
高砂市から全国へ波及したこの権利の主張から来年で35年。宣言文の起草者で、同市に住む高崎裕士さん(78)が、インターネットのシ
ンポジウムを呼びかけている。かつての活動家は年をとって実際に集うのは難しい。ネットで集い、宣言の意味をもう一度考えてみた
いという。(平賀正弘)
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宣言文起草者高砂の高崎さん 若い人も意見寄せて |
 | 高崎さんはネツトシンポの受け皿として「入浜権運動サイ
ト」をつくった。これまでに4本の投稿が届いている。
ひとつは、1月に亡くなった元週刊釣りサンデー会長の小西
和人さんからのもの。入浜権運動の成果で護岸が釣り人に開放
されるようになったが、現在、大阪市が大阪湾岸の防波堤など
を立ち入り禁止にしようとしていると、小西さんは批判してい
る。
高砂市では73年に工揚廃水によるポリ塩化ビフェニール(PCB)
汚染問題があり、市民運動が起きた。入浜権は反公害の意識が
高まるなかで唱えられた。海を埋めたてた企業から浜辺を取り
戻そうと、75年2月の全国集会で採択されたのが、
「古来、海は万民のものであり・・・・」ではじまる高崎さん起草
の「入浜権宣言」だ。
高崎さんは入浜権運動推進全国連絡会議の代表を務め、全国
集会は85年の10周年集会まで続いた。親水権は浸透していった
が、きっかけとなった「入浜権」という言葉を知らない若者も
増えている。
高崎さんは運動資料をネットで公開する作業にも取り組んで
いる。「ネットシンポには若い人も加わってもらい、広く意見
交換したい。企業や行政関係者も参加してほしい」と話す。 |
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【リンク集】
入浜権宣言35周年記念インターネットシンポジウムへの呼びかけ
インターネットシンポジウム会場入り口
デジタル復刻版--「写真と解説でつづる--高砂海岸の変遷と入浜権運動の歴史」
入浜権運動写真集・忘れられぬ人々
入浜権宣言(入り浜権宣言)Coastal Access Right Declaration
「入浜権」の語を最初に用いて海岸線開放を要望した文書(1973年)、
引き続き海岸の開放を求めた文書(1975年、1984年)およびそれらへの回答書
入浜権運動にとっての記念碑的存在
「100人証言集 高砂の海−いまむかし」(1975年 編集発行 高崎裕士)
兵庫県立大学新在家学術情報館で保管していただいている
入浜権運動関連資料リスト
付・羽生槇子さんの詩集等
リストの後に主な執筆者・編者(大部分は運動を担っ
た人々、学者、住民運動家など)65名の名簿を掲載
(兵庫県立大学新在家学術情報館入浜権文庫 )
岡田真美子先生の環境宗教学
新在家学術情報館 入浜権文庫を訪ねました
入浜権資料を保管している兵庫県立大学
新在家学術情報館の写真が見られます。
岡田真美子先生は兵庫県立大学教授です。
入浜権(入り浜権)運動関連主要事項年表
(特に兵庫県高砂市の海岸を中心に)
元・入浜権運動推進全国連絡会議代表、現・加古川東教会牧師高崎裕士の
「永遠の生命のホームページ」 「プロフィール」「高崎裕士主要著作リスト」
高崎裕士への
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