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高崎裕士三題噺「総務省、墓碑銘、遺書」何のこと?
人間、歳をとると、ホームページに特別な思い入れが生じてきます。それは総務省が希望する人のホームページを、知的財産として永久に保存しようとしていることに関連
するのですが、あなたの墓碑銘、あるいは遺書として、いわば、ホームページがあなた
が生きたことの証しになるのではないかということが考えられるからです。最近 「ウェイ
バックマシン」 のことも話題になって来ていますが、これも利用できるのではないでしょ
うか。 あるいは、あなたの最愛の人、お連れ合いのページ、もしその方がお亡くなりになっているなら「思い出のページ」 を、写真など散りばめて作っておくのもいいことだと思います。
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わたしのプロフィール
ア 裕士
ア 裕士(たかさきひろし)1931.2.4生れ、 入浜権運動推進全 国連絡会議代表(当時)23歳で京大医学部入学、哲学を径て関西 学院大神学部卒。関西学院大大学院中退の後1965年父祖の地 兵庫県高砂市で牧師に。鐘淵化学高砂工場がPCBを製造、三菱 製紙がそれを使いカ−ボン紙を製造、瀬戸内海が汚染されていく のを見て公害問題にめざめ69年辞職。英語塾教師となり、海を 守る全国運動のリ−ダ一に。73年公害を告発する高砂市民の会 を結成「入浜権」という言葉を提唱、75年「海は万民のもの」 で始まる入浜権宣言を起草、全国からの共感と支持を。「どんな 思想を持っていても人間は自然を否定しは生きられない」と公害 反対と自然保護を統合した入浜権運動の先頭に立った。 (以上: 丸山尚 記 1990年 朝日新聞社刊 「朝日・人物事典」から)(下の写真の後へ続く)![]()
写真は53年3月、衆議院の公害・環境特別委員会でアが参考人として意見を述べ た時のものです。「瀬戸内海環境保全特別措置法」の審議に関連して行われたものですが、 6月には参議院の同委員会でも行われ、衆参両院の議事録に入浜権の主張を載せること ができました。こうして制定された「措置法」は住民の目から見れば不満も多いのです が、府県の条例で海水浴などに利用される海浜の保全をはかるとの入浜権的内容のもの がはじめて法律にもりこまれたとの評価もなされています。(入浜権運動公式サイトへ は上の外部関連サイトの案内からリンクしています。)
その後のア入浜権運動に続くPCB焼却反対運動で健康を害って、妻陽子とともにオーストラリア に渡り、西オーストラリア大学で日本語教育に従事。日曜ごとに妻陽子と共に通ったユー カリの森の中の小さな教会、ローリーストーンコングリゲーショナルチャーチ (現在はコ ミュニティチャーチ) での静かな和らいだ一年半は高崎の人生に新しい局面を用意するも のだった。帰国後日本キリスト教団曽根教会に所属し、1998年4月から2003年3 月まで同教会牧師、そのローリーストーンの教会牧師:ティム・アトキンソン師(現在は 他の教会に転任)がホームページを開いたことから、自分もその方法で伝道することを思 い立ち、「永遠の生命のホームページ」を主宰。2004年4月から日本キリスト教団加 古川東教会の牧師に就任し現在に至っている。 日本キリスト教団加古川東教会で 高崎裕 士著作物とそのリスト(俳句、小説、エッセイ、メッセージ等お読みいただけます。) 高崎裕士年譜 高崎陽子年譜( 裕士・陽子の「オーストラリアの思い出」は左欄のコア ラ人形からリンクしています。)高崎の『永遠の生命のホームページ』ノーカット版は下 の丹波焼の壺の中に入っています。壺をクリックしてみてください。▼ 壺の中にはBGMの鳴るページもあります。ご用心ください。 ●このページの最初へ