Monologue 2003.01-06
【03.01.06】

●朝日は東の空から昇る

 2003年の正月は山で迎えた。元旦は穏やかな晴天で午前7時15分ころ木々の間から日が昇った。大晦日は「N響第9演奏会」をラジオで聴き、そのままラジオから流れる除夜の鐘を聞きながら年越し蕎麦を食べた。家族5人と今年11歳になるPAU、拾われて2回目の正月を迎えたトラとで雪に閉ざされた山小屋の正月だった。

 世界中に不況の嵐が吹き荒れ、西や北に焦臭さが立ちこめているのに、ここだけはいつもと同じような静かな朝を迎えた。狂瀾怒涛の荒波から逃げ出して小さな核シェルターに家族そろってこもってしまう。何とも自己中心的な生き方だとは思う。しかし雑踏の神社仏閣に詣でる人々と私たちの間にどれほどの違いもありはしない。

 年賀状を1通も書かなかった。たくさんいただいたのに返事も書かずこのまま義理を欠くつもりだ。ここを見てくれる人ばかりではないからここで謝ったり言い訳をしたりしても仕方ない。

 元旦の朝、お雑煮を食べながら「ののの」たちに新年の抱負をきいた。けれど私自身抱負なんてない。いつもと同じように穏やかな朝を迎えられればそれでいい。

 

【03.01.11】

●ののの家近況

 年末年始中雪と格闘したからか、長時間の運転を何度かしたからか、違和感を感じていた腰が急に痛み出した。もともと座骨神経痛の鈍痛に始終悩まされていたのだが今回のはギックリ腰系の痛みで歩くのもおっかなびっくりの状態だ。「なんかおじいさんみたいだ」と娘らは笑っているが笑いごとじゃない。このままだと仕事にも差し支えるからしばらく山行きはお休みして直さなければ。

 この三連休は長女A乃が成人式。FERMATAが昔着た着物を着る。FERMATAは二十歳のころから痩せていたが、A乃は太っているのでバウムクーヘンみたいだ。でもバウムクーヘンじゃ失礼だろうと思って「天童よしみみたいだね」と言ったら口をきいてくれなくなった。ろくでもない奴らが集まる成人式なんか行くなと言ったのだが本人は行きたいらしい。私もFERMATAも成人式なんか馬鹿馬鹿しくて行かなかったが今時の子は意識が低い。そのA乃も春から3年間保育士の資格をとるための専門学校に行く。

 次女Y乃は来年大学受験。ヴァイオリンの練習はしているが学科の勉強はさっぱりしていない。希望校の試験問題を見るとY乃にはかなり難しそう。大丈夫なのだろうかと気をもむのは私ばかり。こと勉強に関しては放任主義を採ってきたことを今さらながらちょっと後悔している。去年のクリスマスにヴァイオリンの発表会があったが、与えられた曲がヴュータンのコンチェルトと今ひとつ気乗りのしない曲だったせいか出来はあまりよくなかった。ピアノ伴奏で弾くコンチェルトより無伴奏ソナタのような曲の方が私は好きなのだがこればかりは自分で決められないので仕方ない。

 三女M乃は今年高校受験。これまで行っていた私立はやめて都立高校を受験する。自分ではかなりいけるつもりだったようだが去年の暮れに外部の模試を受けにいってやばい!と感じている様子。現在の学校の進学届は出さなかったからもうやるしかない。背に腹はかえられないと観念したのか、勉強を教えてやると言うと逃げ出していた彼女も時々私に数学などをきいてくるようになった。うれしくなくもないけれど今の時点でこんなことわからんでどうする、と心配にもなる。お守りだけはあちこちのを集めているが…

 PAUとトラは元気だ。PAUはもう年寄りなのに雪の中では童心に返ってはしゃいでいた。長生きして欲しい。雪の日に拾われたトラは雪を恨めしそうに見ていた。雪がトラウマになっている。

 最後にFERMATAだがこの人は本当にマイペースを続けている。山にいる間走ることはしなかったが、山を下って6K近く離れたマーケットに買い物に歩いて行ったり平気でする。私もそうだがウルトラマラソンを経験していると距離感覚が普通の人と違ってきていてたいていの場所へは自分の足で行く自信があり、実際どこへでも歩いたり走ったりして行く。地図を見ていると東京の外れの雲取山からうちの山小屋の近くまで稜線伝いに登山路があるのがわかる。車だと150Kほどの距離だが、山地図を眺めていれば眺めているほど自分たちの足で行ってみたくなる。本当の「じいさん」、「ばあさん」になる前に一緒に歩いて小屋まで行ってみようと二人で話している。

 

【03.02.01】

●さらば!テレビジョン

 倉本聰の同名のエッセイ集とは全く関係はない。今日はテレビが生まれて50年目だそうだ。ほぼテレビと同じ年数を生きてきたけれど実際にうちにテレビが来たのはずいぶん大きくなってからだから、今の子どもらのように生まれたときからテレビ漬けというのではなかった。浪人中一人暮らしをしていた1年間と、結婚し長女が生まれしばらくの数年間もうちにはテレビがなかった。今の子らはどうか知らないが私は子どもの頃からある種の罪悪感を感じずにテレビを見ることはなかったように思う。きっと自分の弱さに気づいているからなのだが、最近とみにテレビなんか見てちゃいけないと思うようになっている。いい番組はたくさんある。先日函館に行ったときもホテルでBS2の番組を見ていて衛星放送にはいいプログラムがいっぱいあるなあと思った。でも気づくと続けざまに2時間以上見ていて、函館にテレビを見に来たんだろうか!と自分の中で自分を叱る声がした。

 年末年始家族で山に入り10日間以上テレビなしの暮らしをしたが、「ゆく年くる年」はラジオからテレビ音声を聞いてしまった(数分だったけれど)。テレビがないと時間が有り余るほどに感じる。本当は人生で有り余る時間なんてないのだけれど、テレビの時間は睡眠や食事や仕事などの時間と同様必要経費として計上されていて、それ以外の時間で何とか余暇をやりくりしている現実が恐ろしく感じるのだ。テレビから人生の大事な示唆を受けることがないとは思わないがそのメリットは失う人生の大きさに比べたらいくらでもない。

 だから今日はテレビを見ないことに決めた。わが家の画面が暗くなってきた旧式の小型テレビもそろそろ壊れるだろう。たぶん子どもらの猛烈な反対に会うにちがいないが絶対に買わない。テレビを見ないで済ますライフスタイルの元年にしたい。

 

【03.02.02】

●それでも「さらば!テレビジョン」

 正確な時刻はわからないが臨時ニュースのテロップが流れたに違いないころ布団の中で一日中読み続けていた本に指を挟んだまま眠りに入りはじめていた。「事故」発生から半日近くたって朝刊を見る。眠くなるまでのんべんだらりんとテレビの前に座っていたら、すっかり眠気も吹き飛ばしてテレビに釘づけになったろう。

 あわててテレビのスィッチを入れた。半端な時間だからなのだろう、なんだかくだらない番組しかやっていない。以前ならニュースの時間になるまでとりあえずそのくだらない番組を見て待つことになるはずなのだが。

 一昨年の9月11日はもちろんのこと、三島('70)、浅間山荘('72)、チャレンジャー('86)、湾岸戦争('91)… すべて映像として目に焼きついている。他人事のように高見の見物をしながら、しかし、けっして他人事では済まない衝撃を受けてきた。イラクにしても北朝鮮にしても、あるいは大恐慌時代を想像させるに足りる世界規模の不況にしてもテレビから様々な情報を与えられている。テレビを消し独り物思いに耽る生活を中心にすえて生きることでどんどん時代から隔絶していく恐怖は同時に世俗から超越する誘惑でもある。戦争の火花が頭の上に降りかかるまで戦争の起こったことを知らずに過ごすことになるかもしれないと思いつつ、それでもテレビは見たくないと思う。

 

【03.02.11】

●深い泥濘を乗り越えて

 昨日の月曜日偶然にも家族全員が休みだったので土曜の夜から3泊3日で山に出かけた。着いた晩、間に合わせの食事をしながら家族全員で大げんかになった。きっかけはM乃のよくない態度だった。受験を前にイライラしているということもあるのだろうが、彼女がうちの中の空気を悪くするのは今に始まったことではなかったから最初は彼女が徹底的に攻撃された。しかし途中からM乃の扱いをめぐってFERMATAに矛先が変わった。みんなが言いたいことを言い合った。言うだけ言い尽くして疲れてしまった。始めから悪者がいるわけじゃない。それぞれに言い分があって、少しずつその言い分がずれているだけのことだ。相手の非を突きつづけるだけだと相手も自分も破滅へと突き進んでしまう。

 雪との闘いがやっと終わりそうかと思ったら今度は雪解けの泥濘という難敵があらわれた。曲がりくねった山道は今雪解け水が流れはじめていてそこを何台か車が通ると深いぬかるみになるのだ。こいつには参った! スタッドレスなんか役にも立たず、ぐねんぐねんと泥を掻き回して深みにはまっていく。みんなで車から降りて泥を踏み固めたり、林の中に走路を作ったりして、車を急坂に沿ってそろそろとバックさせる。スロットルを一気に全開にしてスピードを上げていく。車体の片方を林の下草の上に乗せ、泥濘の海に飛び込んでいく。ハンドルがとられ、タイヤがグリップを失いかけるのを感じながら、ハンドルを林の中に突っ込む方向に切り進んだ。目の前のカーブを曲がることは二の次だ。車が半分以上ぬかるみを通過したところでドラフト気味に車の向きをカーブの中に変える。みんな大汗をかいた! そして思わずガッツポーズをとった!

 どんな状況であっても抜けることのできない難局なんてない、と信じることだ。家族が一つであるように地球上の生き物は結局一つなんだから。

 

【03.02.12】

●ロードインプレッション

 車検に愛車を出してしまったので今朝から代車に乗っている。自動車の代名詞みたいなドイツの「くさっても…」だ。去年の12ヶ月点検のときは日本車の代名詞みたいな「いつかは…」に乗った。徳大寺有恒氏じゃないけれど日独の差は歴然としているのを感じる。とにかく剛性感が違う。私の車もかなり剛性が高いガチガチの車なのだけれど、こいつはもう一つ上をいっていると認めざるをえない。重くて大きいステアリングを切ると車はびたっと地面にはりついたまま思い通りの弧を描いて曲がる。小さく隅に寄っているアクセルペダルは重く踏力を要するが、踏み込むとちゃんとエンジンの音をさせて加速を始める(エンジン音がたくましいのは排気量が小さいからかもしれないが)。でかいブレーキペダルはアクセルペダルよりはずっと軽いが当然効きはいい。走る、曲がる、止まる、の基本は完璧に押さえられている車だ。最近の車検はあっという間に終わってしまうからこの車に乗るのもあと少し。もう一生乗ることがないかもしれない高級車だから、ボンネットのスリーポインテッドスターにちらちらと目をやりながら楽しむことにしよう。

 

【03.02.14】

●今日の“パンセ”

 夕べ、パスカルの“パンセ”をめくっていたらこんな箇所にぶつかった。この間の家族げんかの結論はまさにこれだなと思ったので書きとどめておこう。

「人を有益にたしなめ、その人にまちがっていることを示してやるには、彼(彼女)がその物事をどの方向から眺めているかに注意しなくてはならない。なぜなら、それは通常、その方向からみれば真だからである。そしてそれが真であることを認めてやり、そのかわり、他の方向からみればまちがっている側面をみせてやるのだ。彼(彼女)はそれで満足する。彼(彼女)は自分がまちがっていたのではなく、ただすべての側面をみることを怠っていたにすぎないことを悟る。人間というものは全部をみていないという指摘に腹を立てないが、自分がまちがっていたとは思わないからである。」(中公文庫;一部改)

 

【03.02.26】

●ひとまず「ほっ!」

 三女M乃が高校に合格した。これまでの学校は誰でも入れるくらいの学校で、なおかつ三人姉妹の三番目ということで自動的に中学から入ってしまった感じだったが、今度はいくら成績に見合ったところを選んだとはいえ競争試験で合否が決まるから最後まで心配だった。このところの態度と素行の悪さについては何度も書いた気がするがこれを機会に更生してほしいと願っている。身の丈に合った環境の中で自分を素直な目で見つめなしてほしいと願っている。どこへ行っても自分の心の持ちようで「自由」は伸縮するということを知ってほしいと願っている。絶対的な不自由は別として、壁を作るのは自分自身だということをわかってほしいと願っている。そして明るい笑顔で暮らすことが一番しあわせなことだと実感してほしいと父母は心から願っている。

 突然閑話休題。最近耳鳴りがひどい。蝉が遠くで鳴いているようなシューンという音。気にし始めるといてもたってもいられなくなり病院に行った。血圧を測ったり、血を抜いたり、尿をとったりして、来週頭部CTの検査をすることになった。加齢によるものかもしれないけれど、耳がきこえなくなったらつらいだろうなと思う。体のあちこちに「不自由」な部分が出始めている。それらのいくつかとは何とか折り合いをつけて暮らす術を身につけた。好きな音楽が聴けなくなったら何を楽しみに生きていこうか? たぶんそのときはそのときでまた別の世界を見つけることができるだろうとは思っているが。

 

【03.03.09】

●「からすみ亭」更新

 久しぶりの更新。これまでいくつも紹介したいお酒に出会っており、その都度、ラベルを残したり、データを書きとめたりしていたのだが、ほったらかしにしている間に自分の中でそのお酒への思い入れがかすんできて更新せずにきてしまった。今回あげたお酒は飲んだ途端にうまい!と飛び上がるような酒ではなく、しっかりとした朴訥なお酒だった。同時に飲んでいた「尾瀬の雪どけ」(純米吟醸無濾過無加水“びん囲い本生”/龍神酒造・群馬県)のほうが「わっ、きれい!」という感じだった。しかし歳をとって外見の良さやちょっと見の好ましさにだまされにくくなってきた私(?)は猪口を替えながら飲み比べるうちに後者に飽き、前者に気持ちが移っていった。たまにはこういうぐっとくる飲み心地のお酒もよい。

●練馬区ジュニア・オーケストラ第18回定期演奏会

 二女Y乃が所属する練馬区ジュニア・オーケストラの定期演奏会のお知らせ。日時・会場、曲目などは下記のとおりです。ちなみにY乃は第1ヴァイオリンです。

 3月23日(日)
  開場 午後1:15
  開演 午後2:00
  会場 練馬文化センター 大ホール
  曲目 ワーグナー「歌劇“リエンツィ”序曲」
     ベートーヴェン「交響曲“運命”第一楽章」ほか
  入場無料

 去年の10月にも区内の中学校の体育館でほぼ同様の曲目の演奏会があった。現在は小学2年生から高校3年生までの団員で構成され、ふぞろいな音楽家の卵たちが奏でるベートーヴェンは何ともいえず不思議な印象だったが、それがこの数ヶ月でどこまで聴かせてくれるか、父としてはちょっと興味あり。小規模な室内アンサンブルもいいけれど、こういう大きなオケの一員として、大きなホールで音を鳴らす経験はそれなりに楽しいのだろうなと思う。オケが楽しんで演奏してくれれば聴く側にもそれは伝わるはず。サイモン・ラトルのベルリンフィルを聴きに行くくらい父は興味をもって聴きに行きます。

 

【03.03.21】

●「自由への讃歌」

「さらば、テレビジョン!」宣言をしたものの、イランへの攻撃は気になり、テレビに張りついていたがこれといった情報がないのか、視聴率がとれないのか、夜はつまらない番組ばかり。各局のニュースタイムまで待とうと思ったがやはりやめてLDを見ようとLDの束を繰っていると、買ったことすら忘れていたLDを見つけ見入ってしまった。1989年12月25日ベルリンの壁が壊されたことを記念した第9のクリスマスコンサートライブだ。指揮はバーンスタイン。第4楽章で歌われるシラーの「歓喜の歌」は「自由の歌」に歌詞が替えられて、死を目前にしたバーンスタインが熱演した貴重なビデオだった。人間の「自由」の「歓び」を歌い上げるこの曲は何度聴いてもすばらしい。フルトヴェングラーのバイロイト盤には遠く及ばないが、バーンスタイン節は最晩年でも変わらない。私が好きな第3楽章のアダージョはとてつもなく遅すぎ、管や弦の奏者が気の毒になる。

 しかし、人間が自由を獲得し、歓喜にあふれれているときの顔はすばらしく美しい。人類の歴史を汚した人間たちには決してない真の力強さを演奏する一人ひとりの中に見た気がする。

●足下が危うい

 先一昨日職場で転んで3台並べて立ててあったビデオデッキの角に左胸を強打してしまった。端の1台ががすっ飛んで倒れ、激しい音がしてみんなが一斉にこっちを見て、一瞬心配の声を上げた後笑った。当の本人は息が止まりそうでしばらく声も出ず、その日以来いまだに痛い。仕事を終えてから夜遅くまでやっている病院に行ってレントゲンを撮ったが、5番と6番の肋骨にヒビが入っているとのことでコルセットをはめた。それでなくても人減らしで忙しい上に年度末で期限付きの仕事が目が回るほど舞い込んできているので休むことも出来ず、笑っても咳しても歩いていても、普通に息をしても痛いのをがまんして仕事に出かけている。今日から3連休なのでほっとしているが痛いことには変わりはない。とても山まで2時間以上かけて運転して行く気も起きないのでうちで静にしているのだが、こういうときこそ薪ストーヴの火にあたってぼうっとしてたら痛みも癒えるのではないかと思う。今年は健康上に難あり、のようだから気をつけよう。

 01/09/11のときは何度もこのMonologueに関連する感想を書き続けたのだが、今回は今日まで何も書かなかった。関心がなかったわけでは当然ない。むしろ911のときよりもはるかに人間の愚行に憤りを感じていた。でもブッシュはもとより小泉某に対してはあきれはててもはや言うべき言葉すらないとも感じている。ホワイトハウスに向けてメールやFAXを何度か送ったりもしたが、利害の問題があるにせよ国連やシラクやプーチンらの声にさえ耳を傾けないアメリカ政府が私の拙い英文メールに目を通すことは絶対にないだろう。世界中の多くの市民が見つめているなかで敢然と殺人を行う人間とそれを「日本国として支持する」と明言する人間の傲慢さを見ていると、そういう人間を選び出してしまう民主主義のシステムにも限界があるのだとつくづく思う。その暴走を止めることが出来ない私たちの世界の足下は実に危うく、肋骨にヒビが入るくらいですまなくなる恐怖を感じる。

 下界で嫌なニュースに埋もれているよりは、耳鳴りしか聞こえない静かな天界で暮らすほうがしあわせだ。なぜか今日は耳鳴りがひどく感じるのは気のせいだろうか。

 

【03.03.22】

●人生について

 耳鳴りがし、意識はしていないけれど医者から難聴だと言われ、そのあげく何でもない状態ですっころんだりする。世界は個々の人々の思いとは別に一部の人間たちが正義に名を借りた独善的行動で破滅への道を歩もうとしている。結婚してからかなりの期間学生をつづけていたから年齢のわりに職業生活も長くないのに仕事がいやでたまらない。だけど食べるためにやめるわけにはいかない。神仏は困ったときにしか信じず自分の死後の世界は無だと信じているから下り坂に入った人生は消滅に向かって進むだけだ。仕事の関係上、思春期の生き方に行き詰まった子らを多く見ていて、自分の子育ては失敗だったと思っている。のののたちがもしもよい人間に育ったとしたらそれは彼女ら自身の力で父のよくない影響をうまくかいくぐれたからだし、うまくいかなかったらその主たる原因は父たるこの私にある。彼女らにもし影響を与えられたことがあるとすれば私とFERMATAが仲良くここまで生活してきたことだけだ。それだって耐える女の代表みたいなFERMATAのおかげだ。

 初老性うつ病だと若いけれど深い信頼をおいている友人から言われたことがある。そうかもしれない。

 山で暮らすことを考えたのは自分を見つめるためだ。共働きとはいえ一介のサラリーマンが高校、大学に子どもらをやりながら別荘をかまえるなんて並大抵のことではない。浪費癖は本から始まって数度の海外旅行、そして車をへてとうとう別荘にまで至った。徹底的に無視してくる周囲のおそらくは羨ましさ半分やっかみ半分の目を否応もなく感じている。何を言っても自慢に聞かれてしまうけれど実際本気で自慢しているのだから仕方ない。ただ、自慢しているのは山に別荘を持ちそこで優雅に週末を送っていることではない。自分の欲しいものはたいてい手に入れることができてきしまったのは自分でも不思議なくらい幸運だったからに違いない。神を信じないけれど自分の人生の運のよさには感謝している。私はほんとうに本気で自分の人生を今ここで見つめ直したいと思っている。去年48歳の誕生日を迎えた日Monologueでソローの『森の生活』の一文をすでに掲げたけれどもう一度同じ文章を書いておきたい。

 'I went to the woods because I wished to live deliberately, to front only the essential facts of life, and see if I could not learn what it had to teach, and not, when I came to die, discover that I had not lived. I did not wish to live what was not life, living is so dear'

「私が森へ行ったのは思慮深く生き、人生の本質的な事実のみに直面し、人生が教えてくれるものを自分が学び取れるかどうか確かめてみたかったからであり、死ぬときになって自分が生きていなかったことを発見するようなはめにおちいりたくなかったからである。人生とはいえないような人生は生きたくなかった。生きるということはそんなにも大切なものだから」

 どうしてもここに戻ってくるのだ。そのために私たち夫婦は持っていた決して多くはないお金の大半を吐き出し、足りない分は80近い年金生活をしている親父から借り、さらに定年後かなりの期間返済を続けなければならない決心をして人生の方向を自分たちの力で何とか変えようとした。やっかまれるような余裕を持ってお楽しみの道を選んだのではなく、同じローン地獄に喘ぐなら普通の人と違う「跳び方」をしようと相談した。瀟洒な住宅街に一戸を構えたり、便利で安全な煉瓦造りのマンションに住んだりする途を諦めたのだ。
 薪ストーヴの炎は心を温めてくれるが、ガスや電気の暖房機のように瞬時に快適な温度は与えてくれない。夏の濃い緑と冬の厳しい寒さは自然と対話する機会を与えてくれるが、買い物ひとつ行くのにでこぼこの山道に車のボディをきしませながら10K以上走らせなければならない。それでも山に入るとソローが語った言葉が実感としてわき上がってくるのだ。人生はどう考えたって二度ないんだからとことん自分のやりたいようにやるしかない。

 リストラで苦しむ人々がたくさんいて今でも増え続けていることはわかっている。倒産しそうな会社を抱えてどうしようか日々走りまわっている人がいることも知っている。そういう状況にある人たちからすれば人生を青臭く考えていくなんて実際のところ考えられないだろう。同様に戦禍が身近に迫って生きるか死ぬかという状況にある人はアメリカ大使館前でダイ・インする人々のことなんか目に入らないに違いない。それでも私たちは“NO WAR !"と声を上げるざるをえない。それと同じく、今私は「人生の本質的な事実のみに直面しなくては」と思っているのであり、自分流の生き方で実践しようとしはじめているのだ。

 

【03.03.23】

●練馬Jrオーケストラ定期演奏会

 練馬区が結成しているジュニア・オーケストラの定期演奏会があった。10月にあった演奏会よりはるかにうまくなっていた(演目もずいぶん変わったが)。サイモン・ラトルの第五と比べるのは可哀相だがちゃんとベートーヴェンの音がした。音大付属高校3年生がコンマスをつとめたが彼女の後ろで弾くY乃は右手が固く腕が短いので弓使いが今ひとつ不自由な感じだった(素人の私がわかったような口をきくのが彼女は一番嫌いなのだが本当だから仕方ない)。
 来月「練響」のオーディションを受けと自ら言い出してそのための手続をかえりにしてきたが合奏の楽しさを覚えながら大人の仲間入りをしていこうとする彼女のチャレンジ精神にエールを送りたい。

●結婚記念日を前に

traumerei 私たち夫婦の結婚記念日は今週末の土曜日なのだが今日の演奏会のご苦労さん会を兼ねてのののたちがレストランを予約してくれていた。結婚記念日のための食事であることを伝えてあったので、途中に入るピアノ演奏の曲目は何がよいかピアノ弾きの女性が聞きにきた。私は「娘がちょうどヴァイオリンをもってきているので何か簡単な曲で良いから伴奏をしてくれないか」と頼んだ。かなりのお客が食事をしている真ん中で弾かなくてはならないY乃は当然嫌そうだったが、今夜は両親のためのパーティだからと、ピアニストと相談して「トロイメライ」を弾いた。シューマンが愛妻クララに捧げた曲と言われている。ピアノだけのBGMが流れている間はざわざわしていた店内が一瞬しんとした。FERMATAとA乃は涙を流していた。とってもすてきな演奏だった。

 帰り道、FERMATAと通った高校のある街でのののたちと別れ、居酒屋で一杯飲んでから、歩いてうちまで帰った。街の様相はすっかり変わっていたが横町などは昔のままのたたずまいが残っていた。夜更けの道を歩きながら昔の「トロイメライ(夢想)」に耽りながら高校時代からのののたちが生まれたころのことを思い出していた。このときばかりは肋骨の痛みを忘れていたような気がする。人生悪いことばかりじゃない。

 

【03.03.29】

●23回目の結婚記念日

 3月29日、キリスト教では「Palm Sunday(棕櫚の主日)」と呼ばれる日に結婚した。あれからもう23年がたった。早かったのか長かったのかよくわからないが、よく保ったと思う。のののたちも大きくなった。彼女たちにどれほどのことをしてやれたかわからないし、もしかしたら恨み言の方が彼女らには多くあるかもしれないが、父母が健在であって仲良くしているという事実が私たちにできた彼女らへの最大の贈り物だと信じている。

 ※ なお、この日に飲んだお酒をからすみ亭に追加してあります。

 肋骨の方は笑ってもさほど痛くない状態になってきた。一時はものすごい色になって、これじゃ公衆浴場やプールへの入場を拒否されるのじゃないかと思われるほどの刺青色だったが、ようやくリバノールをこぼしてしまったくらいの色になった。笑うことは出きるようになったが笑えない状況は公私ともに続いてはいる。ま、それはどうでもいい。ただ痛みが散って打ったところでない場所が痛かったりするので、コルセットはうっとうしいけれどつけ続けている。寝返りをうったり、布団から起きあがったりはすんなりとはできない。

 それよりも耳鳴り軽減のため、というか、ストレス予防のための抗不安剤とか、よく眠れるようにするための睡眠剤の影響の方が出始めたのか、ボケ老人のような行動が多くなっている。実際歳もとってきているわけだし、クスリもずっと飲み続けるつもりはないし、そのうち多少はよくなるだろうとたかをくくっている。

●りんたろうたちのその後

 森の家に置き去りにされながらもけなげに育ち続けるミミズのりんたろうたちの画像を初めて公開します。明るい日中にデッキに出して撮影したため、あっという間に生ゴミと腐葉土の中に潜り込んでしまったけれど、上州屋で小さな箱3つ買って始めたころより数も増え、大きくなった。単なる親ばかだけど。山に春が訪れたら庭にブロックピットを造ってミミズの牧場を作ってのびのびと生活させてあげるつもりだ。決して汚くも気持ち悪くもないのだけれど(ナメクジはいやだけどミミズはとっても可愛い)、見たくない人は下スクロールしない方がいいかもしれない。

 中央薄茶の銀杏の皮はさすがに消化できずにいる。

 

【03.04.06】

●アナログ回帰

 インターネットの便利さをここまで享受しながらいまさらアナログでもないのだけれど、いま徐々にアナログへ回帰すべきものとデジタルで管理・処理するものの棲み分けを考えている。そもそもまともに動くPCを買ってからと言うもの、何から何までデジタル化しようと必死になっていた。辞書や大きな容量の百科事典など狭い家において開くこともほとんどなく埃をかぶっているという状況から、さっと検索して参照事項に次々とアクセスしていく快感を覚えたら、昔大規模小売店の店頭で出張販売のおじさんが紹介していた平凡社世界大百科なんて買う気がおこらなくなった(それでも2回も改訂毎にかっていたけど)。修正液だらけで何ヶ月もかけて書いた大学に提出した論文は今はもうじゃまでどこか研究室の隅っこにもなく、燃やされたか倉庫の隅にねているんじゃないか。その後文章はパソコンで書かないと書けなくなった。かつてある出版社が募集した新人登竜門にあたる文学賞に応募した作品は買ったばかりの富士通オアシスライトで何度も印刷し直しながら書いて出した。そして、その後、PCの小型化、Palmのようなハンドヘルド型が進化し使える域に達すると、初めて作った丸井のカードで中根一眞の影響をうけて当時のバイト代の大半をつぎ込んで買い、何から何まで詰め込んで茶筒状態にして喜んでいたバイブル型システム手帳(ファイロファクス)を捨てた。

 ところがいま、東芝リブレットのような小振りのいいPCがなく、かつ永遠に発展し続けるかにおもわれたPalmが撤退し、加えて使っているPalmVxの液晶に異常が発生いしやすくなり、大きなデータ管理や通信はPCにまかせ、その他持ち歩きようのデータ類はシステム手帳(これも以前のバイブル型ではなくミニ6穴の女の子が持つような小さなもの、ヴィトンのタイガライン(アカジュー)というところが私らしい)にもどしはじめた。昨年からつけだした日記帳(最初は山小屋の出来つつある様子を記しただけだったが今はほぼ毎日、あれこれの思いを書きつけている)もある。気にいった無印良品のノートを将来の日記帳用に大量に買い込んだのだが死ぬまで使い切れないかもしれない。辞書類は本当に特殊なもの(薬品データなど)はデジタルでもっていてるが、英和や用字用語辞典などはなるべく説明の少ない収録項目の多い、小型のものを買っていつでも持って歩いているし、埃をかぶっていた平凡社世界大百科は山小屋においてときどきどこと言うことなく開いて読んでいる。

 で、今改めて感じるのはシステム手帳の全然システム的でないことだ。ミニサイズだからということもあるのだが既成のリフィルそのままじゃ使えない。ただの予定表やTo Do リストやメモなら、安いぺらぺらの手帳で十分だ。市販のリフィルにしても気に入ったものはなく、結局はPCを使って自作することになる。それでもシステム手帳や日記帳を手書きすることに当時のデジタル化推進時代に忘れてしまった喜びを感じている。不便さを重々承知の上、2Bの太め(折れなく、かといって太すぎない0.7mm)のロットリングとMONOのプラスチック消しゴムをもって、老眼鏡を鼻先に下ろして書いていることに意味があるような気がする。

 今のところ確実にそうするつもりはないのだが、本当に山に永住するようになったら、テレビどころかパソコンも置かないで、自分だけの袖の中に隠れてしまう大きさの手帳に小さな字で誰も読まない自分だけの思いを書いていく日がくるような気がする。

 

【03.04.08】

●感動のない1日

 今日は三女M乃の都立高校の入学式。あいにくの雨でわずかな距離だったが近所に住む私の父(当たり前だけどM乃の祖父)が我が家から高校の正門まで車で送ってくれた。受付時間が迫っていたので1枚だけ仕事を休んできたFERMATAとM乃の写真を校門の前で撮った。この高校は私たち夫婦が同じ高校に入学した年の翌年に出来た当時の新設校だったが今回で32回目の入学式だった。そんなに私たちも年をとったわけだ。
 開会の辞で起立したあと起立させたまま「君が代」の斉唱が続くという手はどこの公立学校もやる手で、私たちは静かに座った。「君が代・日の丸」が嫌やでのののたちを私立にやったのに、ここでまた、ささやかな抵抗を試みざるをえない「チャンス」に遭遇した。こうなることはわかっていたから当然目立たない一番後ろにすわっていたのだが。

 その後、式次第にはなかった吹奏楽部の演奏があった。全国大会に出場するほどのクラブの演奏なのでとても素晴らしかった。曲は初めての聴いたものだったから曲目はわからないが、譜面どおりに難なく演奏できているという域を超えた「表現」された演奏だった。続いて入学者全員の名前が読み上げられ入学許可が校長先生から宣言され、続けて校長先生の式辞があった。それは現代人の問題性であるとともに、おそらくはイラクに戦争を仕掛け、それを支持する大国を念頭におかれたに違いない自己中心的なあり方、他者への思いやりのなさについての(オブラートを何重にもかぶせた物言いだったが)お話だった。そしてそれがひいては人を、国を、世界を危うくするのものだと(これは直接的な表現で)言われた。

 このお話も含め、新しい学校の印象や今後の決意などを話し合いながら、雨の上がったこれから彼女の通学路になる道を3人で歩いて帰ろうと思っていた。ところが、式後に別れてそれぞれの用件を足している間にM乃は私の携帯電話に学校の公衆電話から用が済んだから先に帰るといつもの素っ気ない語り口の伝言メモを残しひとり家に帰った。昇降口の入口に飾られたたくさんの鉢植えの花の前で写真を撮る親子を見ながら、強風にあおられ、これから始まる多難な前途を思いつつ、校長先生のしたお話を何度もかみしめていた。

 

【03.04.16】

●Y乃家出

 実に直接的なタイトルで書いている本人もぞっとするのだが本当だから書こう。家出先がFERMATAの実家だからそういうのを家出とは言わないと思う人はそれでよい。しかし、父にとっては立派な家出だ。あれこれと家事をこなし、その上自分の大学受験を1年後に控え、父母は毎晩仕事で帰りが遅い。つらかったんだろうねえ、とは思う。加えておやぢはうるさい。帰宅後、M乃やFERMATAをつかまえてからんでばかりいる。

 でもね。父さんだって現実から逃げたいことばかりだよ。山に行ってぼんやり遠くなった耳をすませて鳥の声を聴いていたいよ。でも、たぶん、父さんが君の年だった頃には親の気持ちなんか考えられなかった、本当の年寄りじゃなく、年寄りかけた人間に目なんか行かなかったよ。M乃だってA乃だって多分君と同じことだ。結局自分の人生が一番大事。家族であろうと何であろうと自分の人生が一番。それは事実だよ。お父さんだって同じだ。でもね。お父さんやお母さんが「自分の人生」と考えるとき、そこには君たち「ののの」がいる。正直なところジージやバーバのことはさほど考えてない。でも、君たちはいる。帰ってきたくない家だったらもう帰ってこないでいい。帰りたい家でないのにいい顔して帰ってきて、他の家族もニコニコ迎えるなんてやじゃない?

 いつかは、父さんと母さんは2人きりになることを覚悟している。山でそういう話もしている。どっちが先に死ぬか分からないけれど、父さんも母さんも君たちに世話をかけたくないと思っている。そう思っていてもかけてしまうのが人間の最後だから思っているだけできっと迷惑をかけるだろう。

 家出できたY乃は運がいい。A乃だって、M乃だって、本当いえば父さんだって母さんだって家出したいんだぜ。こんな家嫌だ、なんてしょっちゅう思ってる。次に家出したり、今度こそ本当にうちを出ていったりするためには一旦は帰って来なきゃなかろう。そのときは、父さんは大泣きしてお前を迎えてやろう。

 それからM乃。君がさっき父さんのところにきてくれたこと嬉しかった。ありがとう。お前は掲示板で赤蜻蛉さんが書いてくださったけれど、そういう奴だとわかってやりさえさすればいい子だ。なかなかわかれなくて怒ってばかりいるけどね。怒る親の苦しさをお前だっていつか知るときがくる。

 A乃さん。君のことも「ついでに」書いておこう。昨日、短大卒後最初のバイトの給料の一部を父さんと母さんに「生活費です」と言ってくれた。父さん、あんまり欲しくなかったけど、うれしかったぜ。昔、FWELNESというニフティのフォーラムでお世話になった父さんと一緒にサブシスをしていた「とうけん」さん(ちょー有名大学の先生をしている)にまたお世話になっている。とうけんさんにはあえてメールしたりしない。成績を無理してあげてもらうといけないからね。

 

【03.04.19】

●その後のこと

 Y乃はまだ家を出たままである。B型人間の典型みたいなFERMATAは「主婦業に疲れただけだからもう少しゆっくりさせてやったら」などと平気な顔をしている。同じB型のA乃、M乃もこのことに関して話をしていないから内心はどうだか知らないが少なくとも私みたいな動揺は全然していない様子。当のY乃はどうかはFERMATAには学校の帰り道に電話を入れているようだが(これはFERMATAの携帯の着信履歴をこっそり調べて「公衆電話」と入っているのがY乃だと想像しているだけだが)、FERMATAからは何も聞いていないからわからない。家族で唯一のA型人間の私は毎日腫れぼったい顔で仕事をしてぐったりしながら、今日はもしかしたら帰ってきてるんじゃないか、いや、期待なんかしない方がいいなどと考えながら帰りの車のハンドルを握っている。そして庭の自転車の台数を確認してぐったりと家に入る。日中は仕事に差し支えるといけないから飲むのを控えている医師から処方された精神安定剤を飲む。当然酒も飲むから夜は自分でもげんなりするくらいよく眠れている。

 明日はそのY乃の18の誕生日なのだが夕べから一人で山に行こうかと思っていた。大音量でぶつぶつノイズがたっぷり入ったフルトヴェングラーでも聴いて過ごしたら少しは気が晴れるかと思っていた。そうしたら、山の小屋を管理している会社から近くの工事の影響で山道がいっそうひどい状態になっているとの連絡が入った。「もし今夜お越しのご予定なら何時でもご連絡をいただければ当社の車で小屋までお送りしますが…」と工事つまりあの辺りの開発を担当している人が言ってくれた。そこまでして行く気がなくなり丁重に断った。GWまでに何とかしようと向こうも必死に工事を進めているようだが今年はつい最近まで雪が降ったりしたために遅れているようだ。というわけで寝たり起きたりトイレ以外部屋から出ることもないぐうたらした生活を送っている。

 ちなみにパウとトラは特にY乃に可愛がってもらっていたし、たぶんB型じゃないから、さびしそうである。

●『英語の文型と運用』

 中学生のとき通常の英語の授業の他にグラマーの授業があった。最近のことは全然知らないが昭和40年代の公立中学でリーダー以外に時間講師が来て文法の授業をしていたのは珍しいことではなかったかと思う。このとき使っていたのが『英語の文型と運用』(昭和36年初版)という本(右の写真はその前に出ていたと思われる本で、私が使ったのがこっちだったかどうか記憶がはっきりしない)で、その後ずっと今まで英語の文章を読む基本はこの本から得たと思っている教科書のひとつなのだ。学校で使った教科書類は参考書も含め全部捨ててしまう主義(大学のときに読んだえらく高価だった論文集もみんな捨てた。今思うと論文集くらいは古本屋に売ればよかったと思うけれど、買うとすぐに購入の日付を中表紙の一番上に書き、あの褐色や葡萄色の箱もパラフィン紙も捨て、あちこち線を引き、書き込みをしたりしてしまうからたぶん売れなかったろう)だったのにこの薄べったい文法書だけはずっと持っていた。当時からたくさん出ていた学習参考書より内容が優れていたとか読みやすかったというわけではないのになぜか大学時代まで持っていた。ところが大学時代かそれ以後だったかに家庭教師をしていたとき、どの子だったか忘れたがあげてしまった。

 その本のことが気になりだしたのは娘たちが中高生になったときで、娘らが使っていた‘PROGRESS IN ENGLISH’(イエズス会出版)もとてもいい教科書で、これでちゃんと勉強したら十分な本だったが勉強しない娘らはみなほとんどマスターせずに卒業したり進学したりしていた。その頃から私が使った『英語の文型と運用』が今あれば(彼女らが使うかどうかは別として)あげるのにと思い続けていた。英語をしゃべることも満足な手紙ひとつ書くことも出来ない私だが辞書さえあれば何とか原書は読める。それは残念ながら大学受験期に読んだ原仙作や赤尾好夫(旺文社系)や大正時代から改訂し続けられた山崎貞の『英文解釈研究』や、実際に教えを受けた鈴木長十先生や今でもがんばってる丸眼鏡の伊藤和夫先生(駿台系)の著作のおかげではないと思っている。すべてはこの無味乾燥な感じを与える『英語の文型と運用』1冊とお名前をすっかり忘れてしまった週2時間(たぶん3年間)来てくださった中年女性だった先生のおかげだと信じている。よほどブロークンな英語でない限り、たいていの英文をみるとすぐに文型が見えてきて、この本のあのあたりに出ていたなと思うことができる。

 その小川芳男・安田一郎共著『英語の文型と運用』(平明社)を昨日入手した。活字も当時のままのフォントで古いままだが古本ではない平成14年4月10日発行の新本で何と92版だった。コード番号やら消費税がつくようになったための定価と本体価格を分けて書いてある裏表紙と奥付のその部分が変わっているだけで、1961年早春と記された著者のはしがきから最後の頁まで変わっていない。

 同窓会とかクラス会とか嫌いで、お世話になった先生方にも一緒に少年時代を過ごした同級生たちにも不義理の限りをし続けている私だが久しぶりに当時のことを思い出した。娘ら(文型の区別が付けられないのは来年大学を受験しようとしているY乃も同じ)にやろうと思って買ったのだがその前にもう一度読んで見ようと思っている。

●新コンテンツ『森の生活』について

 このモノローグと同工異曲で、山暮らしのノウハウや植物や昆虫のことはほとんど書かれることはないと思うので、そういう期待をする人がもしいたらクリックしない方がいいと思う。ここと同様いつまで続くかわからない個人的な思いを残す場にすぎない。当然ソローを意識しているけれどソローとは人間の格が違うからその点でも大したことは書けないと思う。必要ない言い訳かもしれないけれど念のため。

 

【03.04.20】

●Y乃帰宅

 18歳の誕生日の朝Y乃が帰宅した。私とFERMATAはまだ寝ていた。大泣きする間も与えず、ニイッと笑った。それからすぐにバーバ(私の親の方)と誕生日のプレゼントを買いに行き、その足でヴァイオリンのレッスンに行ってしまった。なんともあっけなく私も出鼻をくじかれた感じで何事もなかったかのような進み行きに従わざるをえない状態だった。私も家族には特にこれと言った理由も告げずに家を出た。家出ではない。Y乃へのプレゼントを買うためだったが、そんなことをみんなに、特にFERMATAになんて言うのはおやぢの沽券に関わるので黙って出かけた。ヴァイオリンの練習用の譜面台を買って帰った。木製のアンティークを本当は探したのだがなかった。

 Y乃は先日練響のオーディションを受けて落ちた。課題曲はモーツァルトのコンチェルト3,4,5番のうちのひとつだったが悩んだ揚げ句4番を弾いた。私の好きな曲だった。練響は落ちたけれど、練馬ジュニア・オーケストラのコンサートマスター(たいてい指揮者の向かって左側最前列で第1ヴァイオリンを弾いている指揮者の意図を他の団員に伝える首席奏者)になった。

 しかし疲れた。家族一人がこういう形でいないというのは実になんというか尋常でなく疲れるものだ。心配をしたりアドヴァイスしたりのメールをくれた方々へお礼を申し上げます。相変わらずFERMATAは帰宅が遅くなっているのだが私はなるべく早く帰宅したいと思っている。

 

【03.04.23】

●からすみ亭更新

 からすみ亭にお酒追加。このお酒のおいてあるとんかつ屋「二葉」八ヶ岳店の紹介もしたかったけれど、時間がなかったのでそれはこの次。

●オークション地獄

 先日初めてオークションを利用してからというもの、毎日のように物欲地獄をさまよっている。すでに3点落札。で、この数日また狙っていたものがあったのだが夕べのうちに自分の決めていた落札価格を超えたので一応は競争からおりたのだが行方が気になって仕方がなく、締め切り時間まで何度も更新しながら見ていた。不思議なもので自分でこのくらいと決めていた価格があったにもかかわらず、どんどん値が上がっていくと最初の価格の倍以上になっていても買ってしまいたくなる。自動入札制度を利用して、出品者側が操作することは可能で、二度目に買った物はのせられた感がなくもない。いわゆる高級ブランド物だったので直営店に確認に行って正規の品物だとわかりほっとしたのだが… 今回のもその手の物ではあったのだが、本当に欲しい人同士の闘いのようで最後の数秒で落札者が決まった。これに私が加わったらきっと出品者は嬉しかったろうと思う。でも、今思えば高い買い物ではなく、きっと落札できた人は最後の最後まで勝負を掛けて間違いはなかったろう。でも、本当にこんなこと続けてたら破産する。もうやめよう。

 

【03.04.28】

●父の家出

 26日土曜日の朝、私がパウを連れて家出をした。月曜日の28日が休みで4連休になる朝のことだった。仕事に疲れていた。体調も良くないし、悲しいことが多すぎた。だから4日間一人(+一匹の老人老犬コンビで)骨休みをするつもりで家を出た。行き先は山しかなかった。
 着いた日の晩パウと二人でのびのびとしていた。飯もまともに食わずに飲んだ。翌朝二日酔いでかなり辛く、下痢も始まって心細くなった。甲府の町へ用事も兼ねて出かけた。山小屋から200mも下ると山桜やレンギョウが咲き乱れ、さらに下るともう緑が濃く、甲府の町は暑かった。
 山に戻るとほっとした。反面、景色の寂しさが心のなかで別のさびしさを増殖させた。

 去年の暮れごろから運勢が傾きだしているのを感じていた。仕事はつまらないし、体調は良くないし、ろくなことは考えないし。これは去年の中盤までに運勢を使い果たしてしまったせいだと思った。分不相応な生活を始めたからだ。そう思った。
 しかし、運勢って何だ。人生は運の善し悪しで変わるのだろうか? 自分自身の問題点を棚上げにして運の悪さのせいにしているんじゃないか? 単純に事実の捉え方の問題なんじゃないか? 「運勢を変える」のは自分自身の人生への姿勢を変えることから始まるんじゃないか? あるがままを真摯に受けとめ、精いっぱいの努力をすること。結果に一喜一憂しないこと。自分を裏切らないこと。死ぬまで自分らしくあること。

 そう思ったら急に家に帰りたくなった。父は娘よりも根性なしで家出ひとつできないことがよくわかった。

【03.05.05】

●金田一先生と出会う

 山にインターネットのできるパソコンがないので村の図書館へいった(山にパソコンを持ち込んでいないと掲示板には書いたが本当は東京の家に置き所がなく、かつ、捨てるわけにはいかない私の一番最初に買ったMacintosh Color Classicが置いてある。まだちゃんと動くがキータッチが早すぎると考え込む小さな爺さまである)。まあ立派な図書館であった。PCコーナーの使用は1時間で、とりあえず今回は本は借りなかった。この図書館には「金田一春彦ことばの資料館」が併設されているのだが、帰りに駐車場で当のご本人にお会いした。90歳になる金田一先生はさすがにかくしゃくとしている、というご様子ではなかったがお元気そうだった。カルト集団のことが気になってインターネットで調べにいったのだが金田一先生のお姿を拝見してすうっとつまらない連中のことを忘れた。

 ちなみに今年のALT1249の春はもうそこまできているがまだ盛りという感じではない。つぎに行くときは春を通り越して初夏の入口に達しているのだろう。
 右は庭のカラ松の木の根方に小さく生えた実生の山桜の木で小さな花を三つだけつけていた。他にも可愛い橙色の花をつけた生まれたばかりのボケが木あった。立派な木になっている花も見事だがこういうなすがままの自然がそこかしこに見られるのが春の山の楽しみだ。

【03.05.07】

●「ひめゆりの塔」と「タイスの瞑想曲」

 時間が前後してしまったが、のののたちの学校(すでにA乃は卒業し、M乃はやめてしまったが)の五月祭の舞台発表が私の誕生日にあった。仕事を途中から抜けて、Y乃たちの行った「語り劇『ひめゆりの塔』」を観てきた。国語の担当の先生2人が「ひめゆりの塔平和資料館」の公式ガイドブックを参考資料として書いた創作朗読劇だった。米軍の攻撃が迫り来る中、それぞれのひめゆり部隊の少女たちがさまざまな死を決意していくというものだった。劇中、台本に

 音楽 鎮魂を表すもの【バイオリンとピアノに合わせて二人の舞】

というト書きが入る。ここでY乃が「タイスの瞑想曲」を弾いた。曲の選定はかなり前から悩んでいたが、結局タイスになった。うーん、という感じだったが、劇全体を通してみればそれは正解だったかもしれないと思う美しい音だった。今のY乃にとってタイスを譜面に忠実に弾くだけなら容易なことなのだが聴いていて涙が出そうになった。劇も良かった。有事法案だの改正憲法草案だのを書いた奴らに見せたかった。「だからこそ天皇を元首として国家の一体化を図り有事に備えるべきだ」とキツネ目の男は言うだろう(この小男はバイロイト音楽祭に行ったそうな… 私が大嫌いなワグナーとあの小男はよく似合う… あれは国民の税金を使ったんだろうね、やっぱり)。

 閑話休題。というか、別方向の話。「のののたちの学校」の校長先生が昨年変わった。昨年の五月祭の舞台劇は前校長が書いた台本だったがこのときその校長先生はいなかった。今度の校長先生は某都立高校からきた立派な心理学の専門家らしい。何度かお話をする機会を与えていただいたがとても良い先生だ。しかし、これまでの校長先生であったシスターの退任劇がいただけないのだ。私立学校にありがちな理事会と理事長の、主に後者の力が働いたとしか思えないのだ。この理事長もシスターなのだが私は悪いけれど「魔女」と呼んでいる。温厚そうな豊満さのうちに秘めた悪意を私はどうしても感じる。具体的にそう思う根拠は山ほどあり、それをここで披露しても大した意味がないから書かないが、今の理事長と前校長先生との間に折り合うものがなにもないとずっと感じていた。前理事長はフランス人の修道士で日本語の達者な方だったが、理事長を辞められてすぐに亡くなられた。そこから現理事長の独裁が始まった。私はこの女子校の高等部で教育実習をさせていただいた。もともと生徒数の極端に少ない学校だったが、親子二代、三代続けて同校出身という生徒も多い。それらすべての生徒も親も知らぬ間の校長退陣だった。箝口令が敷かれているとしか思えない前校長の居場所や状況についての質問に対する全ての学校関係者、教会関係者の答え。

 まだ髪のあった時代の私がお世話になり、かつ、A乃の母校だし、Y乃が在籍する学校だから、私も愛し続けたいのだがM乃がやめたいと言い出したとき踏ん切りがついた。愛してはいないが最後までちゃんとお付き合いはする、そういう気持ちでいた。しかし、前校長の在任期間よりも短い、つまりは前校長先生に採用された先生方は必死にこの学校のモットーを活かしていこうとされている姿が痛ましかった。ブタの一鳴きで学校の方針すら変えられてしまう。実に伝統的な宗教団体が運営する学校にしてこのざまなのだ。オカルト集団と一緒にしたらばちが当たるかもしれないが、無宗教の私には大して違いはないな、とすら感じるのだった。

 でももう一度書いておこう。今年の「ひめゆりの塔」も、その中でY乃が独奏した「タイスの瞑想曲」もとっても良かった。

 

【03.05.13】

●山のこと

 週末村民としての生活を始めて9ヶ月余がたつ。固定資産税というものを初めて払った。今の家は自宅とはいうものの、父親が所有しているので固定資産税というのを払ったことがなかった。結構高い買い物だったのに評価額は非常に低い。おかげで税金もこの評価額を基準に算出されるから安くて済んだのだがなんだか不動産屋にぼられたような気がしてとっても寂しい。村への税金を納めたので村民としての便宜が受けられるようになり、村の温泉やプールなどの施設利用の際、村民としての割引を受けられるようになった。たぶんあまり利用しないと思うけれど… それより山の周辺にどんどん開発の手が入り始めている。ひとけのない森の中を買ったのがもしかしたらまちがいで、すでに周辺に建物などがすっかり建ち尽くしているところの隅っこを買った方がよかったかもしれない。ひとけのない状況はそう長くは続きそうにない。まあ、私らがここに入り込んできた来たこと自体自然破壊をしての結果なのだからあとからあとからそういう開発が続いていくのはいたしかたのないことなのだが…

 先週末FERMATAとPAUとで短い休日を過ごしてきたが山桜は盛りを過ぎ、雑草というか野草、野花というかそういう小さな植物が少しずつ増えてきている。それでも200mくらい下った駅周辺はもっときれいな春の景色なのだが私の所はまだ夜はストーヴが必要で花も木も人口の美しさがない。短い春から短い夏へのこの一番の変化を週末ごとしか見ていないからこれからどんどん変化していくことだろう。今度はミミズの本格的な家造りを考えてやろうと思っているのだがかっこよく作ろうと思うとなかなかいい案が浮かばない。

 今回鹿の水場をうちのすぐ下のほとんど枯れた沢の奥に見つけた。本当にじくじくとわずかに湧いているだけの泉だが探したらこういうのはたくさんあるのだろう。周辺に鹿の糞がたくさん落ちていた。もともとうちの庭になってしまった辺りを下って移動していたはずの鹿たちはルートを変えたらしく、うちの近くでは見かけなくなった。午(うま)年の私を鹿のことだから馬鹿にして通らなくなったのだろう。

 

【03.05.15】

●終末到来への礎

 今年は政治的な発言をなるべく控え、自分の内側に集中していこうと決めてきたのだが、世の中の動きと自分の間のギャップが広がりすぎてもうどうにも耐えられなくなった。今日はくだんの集団が地球消滅を危惧していた日であった。しかしそれは別の方向で正解だったように思う。

 有事法制案が衆院を賛成多数で通過した。西にイラク問題があり、北に朝鮮問題を抱えた今、時宜を得た形で成立するだろう。確かにテロリズムは許されないし、北朝鮮の動きは憂慮すべき状態だろう。しかしイラクを叩いたのはアメリカの力学的かつ経済的なエゴイズムの結果であると私は考えているし、北の問題にしてもアメリカその他の大国が核兵器を保有していながらお前らは持つなというのは筋が通らないという北の言い分が正しいように思う(だからといって北朝鮮がアメリカと一緒なら「1、2の3!」で核を捨てるかというと捨てそうにないとは思うが)。

 有事法制案は改憲へのプレリュードであり、平和主義こそが危機に瀕している。私たち家族がオーストリアを旅行した直後に同国は保守化した。フランスも昨年の大統領選で極右が善戦した。声高にファシズムを唱える輩は少ないが世界はどんどん右傾化の道を歩んでいる。カルト集団や一部の宗教集団が終末思想を唱え、世界の終わりを予言しているけれど、日本を含めた力のある国々の右傾化傾向のほうがよほど顕著に末世を徴表している。真の平和は武器によって勝ちとられるべきものではない。市場経済が行き詰まり、前世紀の初めのように市場獲得のために後進国(死語と言うべきこの言葉をあえて使う)のぶんどり合戦ができなくなっている今、大国がこれまでどおりの勢力を維持するためには戦争しか方法がなくなっている。アメリカは世界の盟主なんかじゃなく、ただの北米大陸に位置する一国にすぎないと彼ら自身が気づかぬ限り、親分風を吹かしつづけざるを得ないのだ。そしてそれは確実に地球を破滅させる方向に進む。なぜなら広島・長崎を世界中につくりだすことなるからだ。反対する市民は意外にも多いのに、いざ選挙となると今のような体制派になってしまうのが実に不思議な現象だ。もう人間はこの地球に飽きたのかもしれない。

 

【03.05.24】

●誰もいない休日

 家族そろっての休日が最近少なくなった。子どもたちは、部活だ、合宿だ、レッスンだと言って出ていった。FERMATAまで仕事に出た。ひとりでもいいから山にでも夕べから行けばよかったとうちでひとり残って思っている。何もすることがない、ことはないはずで、こういうときこそふだんじっくり時間をかけて読めない本でも読めばよいのだが敷きっぱなしの布団の中でゴロゴロしている。CDでも聴こうかと棚を見るとお気に入りはごっそり山へ持っていってしまっていて家には聴きたいものがない。久方ぶりに軽くジョギングでも…と思うと、そうだ、山で走ろうと思ってランニングシューズを向こうへ持っていってしまった。かつてランニングシューズなんて現役のを何足も持っていたのに、今は下駄箱に入っているのは革靴だけだ。やっぱりPAUみたいに一日中うつらうつらしているのが一番か…

 

【03.05.25】

●逃げる

 最近私の頭の中にあるのはずっとこのことばかりだ。何から「逃げる」のかというとよくわからないのだが、逃れようのないときが刻々と迫りつつあるとを自覚しだしてから自分の人生の中でつまらないことから逃げようと思い続けている。正直なところ焦っている。のんびりしていたら捕まる。逃げていく先は抽象的にはわかっているつもり。でも逃げ切れるかどうかはわからない。一番逃げ出したいのは仕事だ。大したこともしていないのだから逃げるも何もないのだが、その大したことでない、他の人間がやったって大差ない歯車のひとつとして自分の貴重な時間を浪費していることが空恐ろしく、食っていくに足りる分以上に情熱をもって仕事に関わる気は毛頭ない。そんな仕事すら失っていく人たちがたくさんいて、その人たちからすれば腹立たしくなるくらいの言いぐさだろうということは承知だ。もう自分の才能や可能性に大きな夢を抱く歳でもなく、人生を見限る時期がきている。脳がまだ普通に機能するうちに考えなければならないことがたくさんあってその脳を自分と自分の家族とその周辺のごく少数の者らのために動かし、「そのとき」が来るまでくだらないことに割きたくないのだ。政治のことも地球のことも本当はどうだっていい。最低限自分ができることはするがそれ以上に声高に叫んでみてもはじまらない。「帰りなんいざ」。自分自身の人生と関わりのない出来事からおさらばして、自分のこころに帰っていきたい。

●元気です!

 上に書いたひとりごとを読んでくれた大学時代からの友人から「大丈夫ですか。何かあったのですか」というお電話をいただいた。まったくありがたいことに体調も仕事上も何にも問題はありません。昨日から何もすることがないからセネカだとかスピノザだとかルソーだとか陶淵明だとか吉田兼好だとかが人生をはやばやと隠遁したということが書かれている本(中島義道『人生を〈半分〉降りる』)を読んでいて同感しただけ。中島義道は『哲学の教科書〜思想のダンディズム』を読んで以来、同感することの多い哲学者で(かなりシニカルな書き方をするから反発を感じる部分も多いが、って私も充分シニカルな奴だけど)、その中で一番共感するのは「死のおそれ」に関する部分だ。中島は小学生のときから自分の死について考えて怖くて眠れなくなったと書いているが実は私も全く同じ経験をし続けている。このことは誰もが同じだと考えていたが後年パソコン通信全盛のころとある健康フォーラムの中でこの話題を持ち出したところ、当時シスオペをしていた女性がもう当時のログは持っていないので正確ではないかもしれないけれど「死は当然のこととして受けとめているので気になることはない」という主旨のことを書かれた。他にはほとんど反応がないままその問題は消えていった。そうか、世の中の人は「自分の死」を逃れがたく近づいてくる唯一の現実的な未来ととらえていないのか、とそのとき思った。
 私は、しかし、その後もずっとこのことが頭を離れたことがない。キューブラー・ロスの調査(『死ぬ瞬間〜死とその過程について』)を始め、死についての考察を多くの哲学者の言葉の中に探しては自分の死を合理化したいと考える日々をつづけながら、いまだ解決の糸口が見つからない。つまりはないということだと最近では悟ってきている。だからといって死の恐怖から逃れることができたわけではない。誰だって「まもなく死んでしまう」(中島前著
)。だからこそ「今」「生きなければならない」のだ。「自分の一日の三分の二を自分のためにもっていない奴隷状態」(ニーチェ)から一日でも早く抜けだして自分を解放してやらなければと思うのだ。平均的な人生の三分の二を終えつつある今残る人生の三分の一を自分のために使いたいと思うのだ。たぶんそれは世の中一般から見ればものすごく贅沢なことなのだろうが、数年前同年代の友人を続けざまに失い、余計そんな贅沢をしてみたいと思っている。

 心配してくださった友人に申し訳ないと思いこの文をつけくわえたのだけれど、みんな今じゃないとできないことを精いっぱいやっておきましょう! 「生きることをやめる土壇場になって生きることを始めるのでは遅すぎる」とセネカも言っております。今は医学の進歩で生きることは生きているけれど呆けて生かされていることのほうが心配。でもそうなったら「死の恐怖」なんてなくなるか…

 

【03.05.30】

●平和主義

 私がときどき遊びに行っている山方面のHPの掲示板である方から名指しで私がこのひとりごとに書いた内容について(たぶん5月15日の分)問題提起された。その方は憲法9条を維持した上での改憲派で、「今やアメリカをどうのこうの言うより毅然とわが国はかまえるべきではないでしょうか?」とされ、「現在世の中がブッシュのいいなり」になっていることを承知の上で、「かの国に、平和憲法だけでたいこうできるのか」と書かれた。

 URLはなるべくよそでは書かないようにしていたのに山小屋のはなしともからんで書いてしまったこと後悔し、と同時にこのような反論は十分予想した上で平和主義を訴えているのだからそこで自論を展開する必要がありなんて書いたらよいか悩んだ。
 つまり改憲派が根拠とする平和憲法だけで対抗できるのかという議論に対する対案として私がもっているのは当の平和憲法がその前文で謳う平和主義でしかないのだ。勝つか負けるかのレベルで議論したら、アメリカの手助けなしには「かの国」に負けるだろう。しかし、アメリカとの軍事同盟にも反対している私としてはもう結果がみえるくらいの「やわな」対案しか浮かばないし、それで十分だとかんがえている。 「毅然とかまえる」というその方のの言葉をそのまま国家として平和を唱えつづけ、それに反するような形で軍備を拡張しないというかたちで私は使いたいと思っている。

 かつては国民の多くがそう意識してはずの戦争反対の意識はアメリカをはじめとする好戦的な国々の影響をうけてか、それ以前のテロや北の脅威にさらされているという国民の実感が素地としてあるのか、すっかり薄れ、改憲もしくはわが国の軍事強化(自衛隊は過去の、そして現在の政府がなんと強弁しようと軍隊だろう)を望む声が次第に国民の中に浸透していくだろう。そもそも平和のために軍隊をもつというのが詭弁にすぎないように思えてならない。今の時代、どれだけ兵器を準備すれば毅然とした態度といえるのか。たぶん日本も核を持とうという議論はさしあたり出ないだろうし、出ても今度こそ反対する人々が増えるはずだが、だったらどれだけ戦闘機や空母をもてばいいのだろう。軍拡競争はとどまるところを知らず、この辺にしておこうという妥協で現在かろうじて均衡を維持しているにすぎないのだが、これとて今の技術ならすぐにもっと強力な、つまりは壊滅的な兵器の製造は可能で、それが後進国と思われていた国々にもできるようになっている。ボタンひとつで地球を吹っ飛ばすくらいの兵器をつくることはさほどむずかしくない。現にアメリカはそれだけの力をもっている。

 腰抜けの、弱腰にみえる日本の平和主義こそが真の「毅然とした態度をかまえる」ことになるということを全世界に向けて発信する責務が日本にはあるのだ。力で人をたたきのめすことはできても人のこころは動かすことはできない。力のない、弱々しく見えるかもしれない確固たる理念のみが暴力に勝ちうる。平和主義が幻想にしかみえないのなら、軍事力の均衡によって、もしくは「まずは軽くたたく」ことによって平和な状態が取り戻せると考えるのも幻想だ、と思う。

 経済が力を失ってきている現在、軍需拡大がカンフル剤としてつかわれようとしている。そういう仕組みにのった今の世界情勢を見て見ぬ振りをしていたら「毅然とした態度」をとる場すら失うことになる。やられたらやり返す、やられそうになったらこっちも腕まくりする、というのではただの喧嘩だ。それで儲けたい人間がいて、私たち一般市民はそれにうまくのせられようとしているのだ。一人勝ちして逃げたバブル期の成金たちのように、とりあえずここで一花咲かせてやろうと思っている人間の口車にのせられたらおしまいだ。

 

【03.06.10】

●入梅

 とうとう梅雨入り宣言。このところ山に行ってもいつも雨に降られている。草木にとってはこれも大事な季節なんだなと心から思えるようになったのは我ながら進歩したなと思う。四季折々がある土地に生きて半世紀近くたったけれど雨の風情を楽しむなんて今まで一度もなかった。霧雨や小雨にけむる森の景色もいいものだしトタン屋根に叩きつける豪雨のうるささに耳をかたむけているのもなかなかいい。こうしてたっぷりと水分を吸収した山が一気にこんもりと緑一色になり、雨風に耐えながら葉を食べる幼虫たちが短い生の乱舞を始める夏がもうすぐやってくるかと思えば、車が泥だらけになって轍に足をとられてもまた雨の音を聴きにいきたくなる…

 どんな蝶になってくれるんだろう?

  

【03.06.11】

●トラの入院

 我が家の次男トラが尿道結石で入院した。数日前からトイレに入ってはいるもののおしっこしている様子がなく一昨日病院へ連れて行ったら尿道結石だということで薬を飲みだしたのだが水も餌も食べなくなったので今日急遽入院した。血液検査の結果まだ腎臓にはきていないというので家族皆ちょっと安心したがいつもテレビの上でゴロゴロしているトラがいないと穴が開いたよう… 学校帰りのY乃が見舞いに行ってお医者さんと話をしてきたが今はカテーテルを挿して導尿しているが自力でおしっこができるようにならなかったらおちんちんをとって性転換しましょう、といったとのこと。うちにきてすぐに玉を取ってしまったので本当の男の子ではないのだがおちんちんまでとってしまうと「おトラさん」になってしまうわけでそれは彼にとっても私たち家族にとってもとてもさびしいことである。Y乃は「お医者さんはまだ何か隠しているような気がする、私には言えないもっと重大なことだといけないから明日お母さんがいってよく話を聞いてきて」と言う。で、とりあえず明日FERMATAが仕事帰りに見舞いをかねてお医者さんに会ってくるという。

 たかが猫1匹、されど愛すべき家族の一員。今頃自分を痛い目にあわせる人間に対して不信感の塊みたいになって狭い檻の中で寝ているのだろうか? 老境に入ったPAUは状況がよく分かっていないうようで、いつもどおりのヨタヨタ足で階段を上り(これまで何度か途中から落ちている)、私の布団のすみで寝てしまった。老いは悲しい現実だがその代償に忘却という宝物を与えてくれるようだ。

 

【03.06.14】

●トラの手術

 尿道結石で入院中のトラ、具合がよければ今日退院の予定だった。カテーテルで導尿中は体調も徐々によくなり食事も水もよく摂るようになっていた。しかし夕べカテーテルを取るとまた尿の出が悪くなり、何も食べなくなった。膀胱に尿がたまっており押すと少しにじみ出てくる程度に戻ってしまった。これまでに気づかなかっただけで何度か尿道炎を起こしており、尿道が硬化して細くなっている。カテーテルを再度挿してもう少し様子をみるということも考えられるが、ここで手術をし、硬化して狭くなった尿道の部分を切除してしまう、つまり、ペニスをとってしまうという方法もあり、後々同じような状態になることを防ぐことができる。結石といっても猫の場合砂のようなもので、トラの場合これができやすい遺伝的体質のようだ。どうされますか。…と獣医さんから言われた。費用の問題を獣医さんは気にされていたようだった。たしかにただごとでない出費なのだが治るものなら治してやるしかない。すでに睾丸摘出は赤ちゃんのころに済ませてしまっているから今さらオスとしての威厳云々でもない。

 ケージの隅っこでエリザベス(首のまわりにまいた、体を舐めないようにする首輪のこと。そういえばエリザベス女王のようだ)をつけ、みゃあとも言わず、恨めしげにこちらを眺めているトラにがんばりなと言ってきた。

 

【03.06.18】

●トラの帰宅

 トラが今日退院してきた。本当は早めに仕事を終えて私とY乃で迎えに行くつもりだったが、Y乃は待ちきれず学校帰りに雨の中抱いて帰ってきた。どこかうらぶれた表情でいつものテレビの上の定位置にエリザベスをつけたまま寝ころんだトラ。点滴をされていた前足の毛が剃られ、あそこの部分はまだ腫れてふくらんでいるが、ちっちゃなロケットはなくなっていた。1週間体を舐めていないため毛並みが悪く見えるけれど、病院で買ってきた療養食や水はちゃんととった。ただ、これまでトイレはおしっこ用砂を入れていたが今日からしばらくはおしっこ用マットを入れたのが慣れないのか、まだあそこが痛いのかおしっこはしていない。

 PAUはトラが帰ってくると一生懸命体を舐めてやっていた。やはり兄として嬉しいのだろう。土曜日に抜糸するそうだがこれで本当によくなってくれるといいのだが… 

 

【03.06.22】

●休日の職場

 1年365日年中無休の職場だから、休日だからといって働いている人間はいる。昨日は休みだったがどうしても締切に間に合わせなければならない事務仕事をしに職場に行った。ふだんは肉体労働が主で事務的なことは夜残らないと終わらせることができない。それでも一応は周囲の同僚に気を使ってもらって時間をつまらない事務に割かせてもらってはいるがそれでも間に合わないければ休んでもいられない。

 年中無休の職場といってもやはり休日の職場、とくに事務を執る部屋は閑散としており、なかなかいいものだ。第一、人と顔を合わせなくていい。余計な電話はとらないし、自分専用のパソコンにずっと向かい続けることができる。私が使っているのは与えられてからずっと私だけが管理しているからWindows98が載っている旧式だが調子は悪くならない。人が触るとどこか不具合が出たりして機嫌を悪くするが基本的には年寄りだが健康体。メモリが足りないからエクセルのファイルがだんだんでかくなってくると動きが悪くなったり、しまいには「不適正処理」と言われてそれまでの作業がすべておじゃんになったりする。こまめに上書き保存するくせはつけているが、データの入力に集中し始めるとつい忘れたりして、それまでの何時間かを一瞬のうちに消してしまうこともある。昨日も1回、途中でハングアップし、強制終了を余儀なくされた。そんなこんなで膨大な手書きの資料をデータ化し、計算させる。資料は他の部署が作るものだから最初から手書きなんてしないでPC入力しておいてほしい、と思うが言ってもムリ。LANが張り巡らされているのにPC入力して記録をしても、LANを活用しない(わかっていないから仕方ないのだが)でローカルファイルのまま印刷して簿冊に綴じ込んでいる。馬鹿馬鹿しいことだなと思いながらそれを説明したり、利用しやすいようにマクロを組んで簡単にしてあげても、従来のやり方を崩すことを嫌う体質が強くてワープロ専用機を使っていた時代のままLANにつながったPCを使っている人がまだいくらもいる。

 結局報告書を出すためにそれらの資料をデータ化しなおして統計をだしている。そういう職場もまだあるという話。そういえばFERMATAの職場でもPCルームがあって子どもたちにPCの使い方を教える(教えられる人いるの?)授業があるのに、PCを使える人が少なくていまだに手書きかワープロとしてしか使っていないらしい。若い先生が苦心して組んだシステムも使いこなしてくれる人がいないから(FERMATAもそのひとり)結局その人のところに末端の入力仕事まで回ってきているみたい。こうやって時間を無駄につかって人生をすり減らしていくしかないのが現状で、責任感ではなく、人を頼らずに手っ取り早く片づけてしまいたいから今日もこれから報告書づくりに出かけようと思う。

 

【03.06.29】

●半月ぶりの休日

 2週間ぶりに山へ行った。周辺の環境の変化が心に陰を落としているせいか、冬が長かったせいか山の緑に元気がない。匂い立つような緑に囲まれていた去年の今頃と比べ、勢いが感じられない。蝶や蛾やその他の虫たちの数も少ないように思えてならない。それでも、ヒトスジタテハやヒョウモンタテハは何匹か見た。春先に巻いた芝がかなり伸びてきた。雪で折れたリョウブの木に新しい枝がはり、全体としての木の形が変わった。今回も何もしなかった。工事中の山の中を見て歩き、音楽を聴いて、本を数頁読んだ以外、ぼうっと過ごした。道路が整備され、「別荘団地」の現場が次第に姿を明らかにし始め、もとの森をもう思い出せないくらいに変貌し、そこから出た残土や丸太や木の巨大な根が道路端の森の入口に投棄され、ほんのわずかの期間私が愛した森の小径の入口が塞がれた。怒りは悲しみに変わっていく。こうやって私たちの地球が破壊されていく…大げさな、しかし切実な思いが心をよぎっていく。腹を立てているのは私だけじゃなく、自然も同じで、あれほどきれいに見えた南アルプスも富士も姿を見せない。

 たぶん工事が終われば私の車も楽々と上ってこれる道ができるだろう。うち捨てられた残土の上にまた草木が繁茂するだろう。しかし、私は便利になる道を伝ってここに来ることはないだろう。人間が作り上げた利便さにのりたくない人間もいる。自分の心の中に森をつくってそこで暮らすことになるだろう。もはやあいつらの踏み込めない本当の森の暮らしを自分の中につくりだすしか手はないのだ。そこは深い緑に覆われた昼でも暗い、心をそっと包み込む空間だ。たくさんの虫や鳥が生まれ死んでいく小さな宇宙だ。そして私もその一部になる…

 

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