Monologue 2003.07-12
【03.07.01】

●飛露喜

 昨日久しぶりに虎ノ門の鈴傳へ行った。いつものとおりの繁盛ぶりで噂の「飛露喜純米吟醸」を飲んできた(600円/1合)。福島の小さな蔵で社長がまだ若い。コンセプトは「十四代」に近い。去年怪我をしてから1年間酒を飲んでいないという鈴傳のおやじさん曰く「十四代の真似だね」。確かにさわやかな香りとキリッとしていながら単純に淡麗でない飲み口は十四代を思わせる。十四代は中取り純米と本丸を飲んだが、昨日は本丸の方がうまく感じた。しかしこの店は本当に呑ん平にはこたえられない店だ。おやじさんに早く元気になってまた講釈を交わしながら呑みたいですねと話してきた。黙っていると厳しい目つきで注文票を仕分けしている(これをおやじさんはマーケティングをしているのだという)おやじさんの目が笑ったが、ずいぶん歳をとってしまったな、という寂しさも感じた。

 鈴傳の良さはうまい酒を安く飲めるということだけじゃない。適度な時間に終わってしまうのがいい。安くてうまいからつい飲み過ぎて、ふらふらと新橋の烏口に向かうもよし、有楽町線で乗換なしに帰るために桜田門まで歩くもよし。いい時間に帰宅できる。ところが、昨日は連れがいて、ついもう一杯!ということになって新橋駅前でひっかかった。ここからの時間は大して飲んでいないのにあっという間に過ぎ終電を逃した… そしてタクシーなぞに乗って家まで帰ってしまった。深夜の首都高は快適であっという間に家に帰り着いたが高いお酒についてしまった。そういうご身分ではないのだから自重しないといけない。おかげで今日は午前中仕事にならなかった…

 

【03.07.06】

●暴力のむなしさ

 むかついてむかついてむかついてどうにもたまらないときに不法な有形力を行使してしまうことがあり、それはむかつく原因が相手方にあるとしても違法なことであり、人として許されないことである。それくらいのことはわかっている。わかっていながら自分が押さえられなくなるのは異常なんだろうか。一方、法に準拠しつつ、しらっと人として許されるべきでないことをしている人間もしくは法人がいて、そいつらは勝手な真似を「手続」に則りながら続けていく。そういうことが今八ヶ岳山麓の静かな山間で行われている。かつて別荘団地と書いたのがそこで、今回別荘がのることになる整地されたノリ面の上に小さな墓石を並べたらそのまま公園墓地になるなと思った。「蓮華平」と名づけるそうだらから公園墓地にもピッタリだ。

 

 かつて、といっても少し前まで山道を喘ぎつつ上ってきた人が振り向くと白樺の林のはるか上方に富士が見えた。同じポイントから振り返ると電柱に真っ二つに割られた富士が見える。自然に対する暴力に対し、寛容でいられなくなる瞬間だ。産業廃棄物の投棄も含め、あらゆる工事に名前を出しているのは下請け企業で不動産販売業と不動産管理業の二つに別々の名前を与えているこの会社は当面表立ってはいない。しかし、小さな会社だからあの顔この顔みんな思い浮かぶ連中の仕業である。近く、今回の残土処理の問題等を含め、県及び村に要望書を提出する予定だ。そのときにはこの会社の名前も明らかにし、各方面のサイトへのリンクをお願いするつもりである。そのくらいしかむかつく気持ちを明らかにする術がない。強そうに見えてそれくらい消費者というのは弱いものだ。たぶんこちらの思いはどこにも通じず、泣き寝入りだろう。パナウェーブは恐ろしかったが、こいつらのようにあくどくはなかった…

 

【03.07.07】

●見識の違い、趣味の違い

 喧嘩を売っても買ってこないからもう喧嘩を売るのはやめよう。

 昨年「眠れぬ夜を抱いて」というつまらないドラマがあったが、その中で使われていたのは、この不動産業者が造った別荘団地だ。見てない人にはわからないだろうけれど、リゾート地に造られた仕事に行ったり学校行ったりする人間も住める住宅地として使われた。つまりそういう東京の郊外の住宅街みたいな別荘団地が長坂町、富士見町に続いて、この大泉村の山の上に造られつつあるのである。もはやドラマに使われたりはしないだろうが、たぶん長坂町の「花の木平」という別荘団地と大差のないものが造られている。「パパ、行ってらっしゃい!」と妻子に送り出されていくサラリーマンがいそうな別荘地、想像つくだろうか。どういう敷地構成か興味ある人はご覧になるといいけれど、なぜかこの会社のHPは今日から急にメンテナンス中になっており表紙しか見えない。ちなみにここのコピーライターは安易ではあるが、勘所をつかまえた惹句を書いている。けれど、本質は「この地に愛」など微塵も感じられない。土地土地にあった区画の作り方や、建物の建て方をせず、もっぱら効率優先なのだ。

 おっと、もう喧嘩を売るのはやめたのだった。もう契約関係上の関わりしか持つつもりはない。私は今の家に未練はあるがそのうち周辺はグチャグチャにされそうだからとっとと売り払って、泉郷かもっと弱小の不動産屋から土地だけかって一から出直したいと思っている。しかしFERMATAは私には反対で私の憤りぶりに疑問も感じているらしい。初めてあちらこちらと案内をしてくれた店長の小林さんや売り子の安田さんだって、ぼんぼんの五百木さんだって、管理をしてくださってる國保さんや岡野さんだって、窓口にいるおばさんたちだって、偉いさんの諸角さんだってみんな悪い人じゃない、関係があるのかどうかわからないが、木村建設さんだって、バンダナの中村さんだって悪い人じゃない。そんなことははなからわかっているのだ。本当にこれまでみんなに感謝してきた。道が荒れたと言えばすぐに応急処置をしてくれ、夜中、雪の中の林道を先導してもくれた。一昨日は地元の青年団の人々が草刈りに出ていた。たぶんこの中にこの会社の若い衆もいたに違いない。設計の中村さんがお子さんと歩いているところも拝見した。みんな自分の生活をし、必死に生きている。それはわかるのである。わかったうえで、企業の見識の低さに唖然とするのだ。そしてそれはもはや非難の対象ではない。たぶん向こうもこっちの出方に鬱陶しさを感じ、腹を立てているだろう。それを狙っての一連の行動だからそれはそれでいい。

 でももうやめようと思う。自分の人生の中でとてつもない事業を成し遂げようとしていると自分で思いこんでいるのが第一の間違えだった。気に入って買ったつもりのシャツが家に帰ってきて着てみると似合わないことに気づくことがあるのと同じことなのだ。選択をした責任はこちら側にあるのだ。選ばぬことができた相手を選んだこちらが悪かったのだ。

 楽しくない思いを心のどこかでずっとし続けながら暮らすのも自分のほうがわるいのだ。

 

【03.07.08】

●森の報復

 喧嘩を売っても買う力もなかった。ファイトの相手が消えてしまった。私が送ったメールもこのページもたぶん見ている余裕などなかったのだ。もう隠しても仕方のないことだから書いてしまうが、私が相手にしていた会社が自己破産の申請を8日付けで行った。大規模倒産の部類に入る結末だった。あの「れんげ平」の開発は何だったのか、どうしてもそれが解せないのだが、しかし、2社合わせて30名弱の社員のみなさんはどうされるのか、気がかりではある。私のせいでこうなったのではないことは上記の倒産情報からあきらかなのだが、下請けの会社も含めて被害はかなりのものだろう。私にしても、来年までの管理契約や、その他もろもろの保証は受けられなくなりそうで被害者ではある。行き場をなくした鹿たちと同様、どこをどう通って山へ行けばいいのだろうか。事前調査の不足という自分の落ち度を悔いている。

 やっぱり森=自然の怒りは天につうじたのだろうか。昨日書いた人々とそのご家族の生活も気がかりだし、私の預けてある通帳等の事後処理がどうなるのか気の重い夏を迎えそうだ。

 不況の波を受けて、と単純にいえるのかどうか、疑問である。私はそうは思っていない。不況を計算に入れることができない経営体質の甘さを感じるし、いかんせん、開発方針の不手際を感じる。もしかしたら法人は倒れても儲けて逃げる経営陣の存在があるのかもしれないと思ってみたりもする。

 人間の抱える知の、紙一重の愚かさに痛い経験をした。こういう時代にこそ人間は真の誠実さを発揮すべきなのだが、それができなくなる時流の勢いに抗することができないことが自分を含めて悔しい。戦争もしかり、経済もしかり… 世界の勢いにのみこまれて生きざるをえない人間の悲しみは祈りと諦めによって恢復していくしかないのか。

 

【03.07.11】

●森の再出発

 重い気持ちで暮らしていた。ひとつにはくだんの会社の倒産とそこから発するさまざまな出来事に対してである。倒産の事実を知った日に知っている限りの連絡先へ連絡をとったがどこも空しい呼び出し音が続くだけだった。ところがその翌日当の会社へ電話をすると、今になれば懐かしくさえ感じる受付の中年女性がすでに存在しない会社名を名乗って電話をとった。私はそれまでの感情とはまったく反対の言葉を発してしまった。まるで訃報を受けたあとに電話を当のご家族にしたときのような、つまりは彼女たちが感じている不安やかなしみに対する共感すらこもった言葉だった。お詫びの言葉と事務的な処理に関する事柄を、おそらくは急遽作られたマニュアルにしたがって繰り返す彼女の立場を考えた。それは今はなき当の会社の人々全員に向けての思いだった。そして最後に「みなさんによろしくおつたえください」と言って電話を切った。

 もうひとつの重い気持ちは同じ要因から発しているけれど自分自身の心の問題だ。家の場合、管理契約に関わる問題以外に法的には何ら問題は抱えていないけれど、あの山の上の快適な生活をこれまでと同じように恢復できるかということだ。たぶんいずれはごく普通の感情であの山道を歩ける日が来るだろうと思ってはいるが、しかし、このもっていきどころのない思いを断ち切ることができるまでしばらく時間がかかりそうだ。早く鹿や鳥が自由に行き来できる山の生活に私たちも戻りたいと思う。

 

【03.07.13】

●「再生」にむけて

 深い霧の中、山を下り東京へ向かった。大手町で行われる債権者会議に出るためだ。糾弾の言葉や罵声が飛び交う修羅場を想像していたが、社長の報告及び謝罪と長い会社側法定代理人の説明とそれに引き続く質疑応答の間、集まった人々はおおむね平静であった。もはやどうにもならないことをわかっている人々が主で、それよりも今後の問題について債権者同士で何とかしなければという雰囲気がありありと感じられた。それは、突如解雇を言い渡された元従業員の方々がまさになんの手当てもないのに東京まできて、これまでどおりの平身低頭で私たちに接してくれたからだ。たった1年だったが、雪の中をいっしょに車を押してくれたり、風呂の戸が閉まりにくいというとすぐに来てくれたりしたその人たちが泣きながら私たちに接してくれたからだ。社長の予め用意した文面を読み上げる姿の情けなさと比べ、いかに人間の誠意のありようを感じたことか。これからは元従業員の人々が自分たちの売り、そして管理してきた別荘に対する責任を取ろうとしてくれている以上、私たちも彼らの生活を再生させ、新しい自分たちの生活を再生していかなければと思った。今日私たちが出た会議は管理会社の倒産に関するもので、分譲会社のほうの債権者会議はどうだったか知らない。同じ事務所で同じ会社の人たちだと思って接してきたけれど、管理会社の元従業員はわずか5人。これらの人々と共闘していく新しい生活に厳しいけれど新しい夢を持とうと決心した。

 山は今静かな雨に打たれて力を蓄えていることだろう。

 

【03.07.22】

●「ゆうじんの家」

 長い梅雨が続き、東京も過ごしやすくてよいのだが、夏の気配が感じられない。九州地方では豪雨の影響で大きな被害が出ている。水俣には「ゆうじんの家」がある。写真集『MINAMATA』を撮ったユージン・スミスが当時住んだ家だ。結婚した翌年、新婚旅行を兼ねた九州旅行の際に訪れた水俣の町には埋め立て地に作られた立派な資料館もあったが、本当の苦悩は水俣病の傷跡をボランティアの人々が運営する小さな資料館とこの「ゆうじんの家」に閉じこめてしまっているようだった。国道3号線からほんの少し入ったところにあるこの「ゆうじんの家」は25年前にすでに廃屋状態になっていた。チッソが水俣の海に垂れ流した有機水銀の被害に苦しむ患者さんらは今でもおられるのだろうか? 歴史の塵に埋もれていく前世紀の悲惨に今でもユージン・スミスの怒りは映像として残っている。私が自分のハンドルネームをEUGENEにしたのは直接彼によるものではないけれど、八ヶ岳山麓の近代的な図書館の新聞で水俣での災害のニュースを見、あの壊れかけた「ゆうじんの家」を思いだし、その廃屋とは比べものにならないほど立派なわたしの「ゆうじんの家」をとりまく自然環境の変貌に個人的な悲しみを重ねたのは事実だ。

 そんな長い雨の降り続く森の中は静寂そのもので、休日も止むことなく行き来していた重機やトラックはもはや姿を見せず、深い轍や、途中まで埋められたマンホールやコンクリートのマスを泥濘の中に残し、切り開かれたままの開発現場の赤土には吹き付けられた芝が芽を吹き始めている。今年、虫たちが少ないのは今年のはじめまで森だった木々に産み付けられていたに違いない卵や幼虫もろとも切り倒され、掘り返されてしまったからということも少なからずあるだろう。人間のすることといったらつまりはこういうことなのだ。「公害」と体よくいわれた犯罪の傷跡を記憶しつづけることこそ、これからしばらくの間生きていく私たちのなすべきことのひとつである。

 

【03.07.26】

●梅雨バテ

 夏バテならぬ梅雨バテ状態が続いている。たぶん暑くなればなったでもっとバテるのだろうが、こう雨が降り続くとげんなりをこえて体調に影響が出てくる。公私ともにいやなことが続いていること、国政の醜さを見せつけられたことなどもその一因だろうが、やっぱり何より歳のせいが一番なんだろう。血圧もコレステロール値も薬で下がっているが根本は何も変わっていない気がする。耳鳴りもたっぷりきこえつづけている。家族がみなてんでんばらばらの生活になってきているのも気に入らない。自分のことを思い出せば親と一緒に行動なんかしなくなった年頃にみな達しているのだからあたりまえといえばあたりまえなんだが、家族そろって、ということがなくなってきている。明日、21の誕生日を迎えるA乃は隅田川の花火大会を見に行ってしまっている。宮城の地震で大きな被害が出ているのに東京の下町では札束に火をつけて燃やして喜んでいる。

 夏休みをとろうと思ってもみんながどうしても揃わない。親を捨てていく子らになることをちゃんと認識できていたらこっちの方から先に捨ててやったのに… 出遅れた! だからおやぢたちはふてくされて休みになれば山へ逃げ込むか、一日一歩も外へ出ないで布団の上で古い本を読み、うつらうつらし、目が覚めるとまた本を読み、気がつくとまた寝ているという生活を送っている。そうやって一日中ごろごろしているのに一日の終わりにはすっかりへとへとで疲れきっている。Teamのののと称して各地のレースに出たり旅をしたりしたのがほんの数年前のこととは思えない。それにしても疲れた。山の空気を吸いたい。

 

【03.07.27】

●オーケストラ・エミール『ファミリーコンサート』

 今日Y乃が練馬ジュニアのほかにもうひとつ所属しているオーケストラ・エミールのコンサート午後1時30分からある。ジュニアのOB(OG)や一般の人も加わるオケでやっと音を出しているというジュニアよりこちらの方が楽しいとY乃もいうから、少しは楽しみ。プログラムは

  モーツァルト  ディヴェルティメントヘ長調K136
  サラサーテ   ツィゴイネルワイゼン “弦楽合奏版”
  グリーグ   「悲しき旋律」より“過ぎにし春”
         「ホルベリア組曲」より“リゴドン”
  モーツァルト  交響曲第40番ト短調K550

 で、途中に特別出演の「アンサンブル碧空」による「タンゴ名曲選」が入る。

 どの曲も聞き慣れたものばかりだから厳しく聴いてしまいそうだが、久しぶりの晴天だし、初めて入る「ゆめりあホール」(大泉学園駅前)の出来やジュニアとの違いを聴き比べるのも楽しみだ。Y乃の受験は来月からソルフェージュのレッスンやらピアノのレッスンなどヴァイオリン以外のレッスンが増え、大変になるが、どうしても私としては学科の勉強もして欲しい。

 夜は定番のお店でA乃の誕生会をやる。今回はお店でヴァイオリンを弾かせないでくれ、とY乃が断固申し入れている。まあ、生の演奏は父さんたちの結婚記念日にやってくれればそれでいい。

●エミール感想

 ディヴェルティメントはあまり楽しい演奏ではなかった。指揮者が緊張しすぎで(これが初めての棒だったのかもしれない)モーツァルトらしさを感じさせなかった。ツィゴイネルワイゼンのソロは達者な若者でよかったが舞台衣装の着こなしなどだらしなく(なんでダブルのワイシャツを着てカフスをとめないの?)、技術はあるのに場末のヴァイオリン弾きみたいだった。グリークは若い指揮者がつとめたが彼なりの解釈でいい演奏だった。そして、モーツァルトの大ト短調は弦の緊張感がひしひしと伝わってきてとても良い演奏だった。指揮者はエミールの音楽監督をつとめる木村圭二氏だから、前2人と比べては前の2人がかわいそうだろう。とにかく、ワルターのモーツァルトをCDで聴いているのもいいがこうして小さなホールで室内楽的な規模の演奏を聴くのも楽しい。ちなみにホールは最近できたわりには響きの良くないつまらない形だけのホールであった。文化施設に金をかけない練馬区らしい出来ではあった。

 で、Y乃だがジュニアでコンマスをつとめているとはいえ、上には上がたくさんいるということを十分感じており、とても良い経験を積んでいるとおもう。先日音大のクリニックで楽器の抱え方を変えられたせいか、ボウイングが大きくなっている。まだまだ進歩の度合いが大きくて素人目にもわかり見ていて楽しいレベルにいる。いつか私の批評など受けつけないくらいになってくれたらと思う。

 

【03.08.03】

●ののの山荘1周年

「ののの山荘」の引渡から1年が過ぎた。関東甲信越地方に梅雨明け宣言が出た2日は雲が多くすっきりしない天気だったが、3日は朝から気持ちの良い日差しが森の中にこぼれ落ちてきた。去年は約束の時間より1時間以上前に現地について、まだ朝の冷気が漂うデッキの上で一眠りしてから引渡の手続に駅前の事務所へ行った。まだ何ももののないガランとした山小屋の中に最小限の布団と食器、本などを持ち込んだ。

 あれから1年いろんなことを経験した。室内の物も少しずつ増えた。本やCDなどは気に入ったものを大半持っていってしまったので、週末にならないと聴きたいCDも家では聴けない状態になっている。周辺環境の悪化についてはこれまでに何度も書いてきたとおりで何の進展もないが、それでも本当の夏に入って急に多種のタテハチョウが舞いだした。長梅雨の影響で、ガクアジサイの一種が咲いている脇に夏の花が咲き、秋の花も咲き出した。いずれも目を凝らして森の中を歩かないとわからぬくらいの質素な花たちだけれども… 山小屋を作った会社も今はなくなり、これから様々なメンテは自分の手で行ったり手配したりしなくてはならない。でも、これでやっと自分の小屋らしく思えるようになったと言えなくもない。梅雨の名残りの蒸気のせいか、甲斐駒も八ヶ岳も姿を見せなかったがこれからいやと言うほど対面できるのだから焦る必要はない。

 

【03.08.18】

●雨の森

 雨の降り続く森の中は鳥も鳴かず、虫も飛ばず、木々だけが生き生きと輝いている。ちょうど夏休みシーズンで本当ならにぎわうはずの避暑地も東京より寒いというだけで、予定を組んで来ざるをえなかった人々が高原の小さな駅の待合室で寒そうに雨宿りをしている。晴れていれば雄大な南アルプスの峰々や間ぢかに迫る八ヶ岳の山肌をじかに見ながら息を切らしてのぼる山道も人は少ない。もとより私の山小屋は観光客や登山者が通るような場所にはないから、人は少ないのだがふだんなら決まった時間に犬の散歩をしているご近所の人たちも通らない。そういう私たちも降り続く雨の音を聞きながら家の中からほとんど出ようとはしなかった。

 かろうじて雨が降らずにすんだのはぴょっちが来た夕方、庭でバーベキューをしたときくらいだった。おかげで毎日数頁ずつしか進まなかったバルザックとフォークナーの長編小説を読み終えた。しかし、さすがにこう雨が続くと何だかじっとしていること自体に疲れてきて、予定を1日早めて東京に戻ってきた。東京も涼しいと言うけれど、山とはやっぱり違ってむしむし感じる。ナナカマドが部分的に赤く染まりだした森を降りてくるとちょっと前までうっとうしく聞いていたトタン屋根を打つ雨の音が懐かしくなる。

 

【03.08.19】

●ご迷惑をおかけします

 当サイトのURLが変わりました。ご面倒をおかけしますが、リピーターの方はぜひとも「お気に入り」の変更をお願いします。なぜ、今頃こんなことをしたのかというと、ご覧になっていた方はいらっしゃらなかったようですが、昨日分の更新(本ページと「森の生活」ページ)をした際に、どうしても本ページ(index)のFTPが出来ず、調べたところ容量が規定の10MBを越えそうな状態になっていました。そんなにコンテンツないじゃない、と思われるかもしれませんが、HP立ち上げ当時(もうずいぶん昔のことになります。当時はHTMLを自分で書いていたのですから)の画像データやページのファイルが未整理で(名前も適当だったため整理できなかった)そのまま残ってしまっていたのです。というわけで、メンバーズホームページからアットホームページへ変えて、契約の容量を増やしたというわけです。ところが、容量を増やしてもいっこうにindexだけは更新できず、なんじゃいと思っていたのですが、どうも1頁の容量が大きくなりすぎていたためにアップロードの途中で止まってしまうのが原因のようでした。というわけで2003年は上半期(6月末まで)と下半期に分けてファイルを別にしました。そうしたらアップロードできました。

 自分はともかくも過去のデータなど誰も見ないだろうし、そもそもファイル名を覚えている人なんかいないわけだから残していても仕方のないファイルだらけではあるのですが、どれとどれを捨てようかと考えているうちに面倒くさくなり、それに走っていたころの記録や子らの幼いころの画像をとっておくにはちょうどいいのでniftyのサーバーをリモートHDがわりにすることにしました。

 なお、まもなく掲示板も新しいものに変えますので、過去の書き込みは全て消えてしまいます。せっかく書いてくださった方には大変申し訳ないのですがどうかご了承下さい。でもこれで携帯から書き込みができるようになるので、山暮らしの報告などができるようになります。それくらいなら、新しいiBookを買って山でも更新をすればいいのですが、それじゃ家と同じようにパソコン漬けになりそうなのでやめときます。新しいことへの興味は多いのですがなかなか取りかからないタイプの人間なのでこんな中途半端なときに半端な真似をします。そういう奴だとご了解のうえ、末永くおつきあいをいただければと思います。

 

【03.08.21】

●掲示板も変わりました

 昨日から今日にかけて日付変更線をまたいで掲示板(メッセージボード)の変更をしました。前の掲示板の最後の書き込みをしてくださったMISTAKERさん、リンクページ更新ありがとうございました。私のページまでリンクしてくださらんでもよかったのにぃ… コメントが恥ずかしかったけれど嬉しかったです。

 こんなページ見ている人ほとんどいないと思っていましたが一昨日のURL変更後100人近いアクセスで(そのうち最低30は私とぴょっちで稼いでいるようですが)驚きました。URLの変更をしたため、中身まで変わったんじゃないかと期待してくれていた人も多かったのかもしれませんが、URL変更をお知らせしたのはMISTAKERさんだけだったから期待する人なんかいないはずなんです。やっぱりMISTAKERさんの惹句が良かったので博多系列の人(?)がたくさんきてくれちゃったんでしょうか?

 ともかくこれまでの掲示板に慣れてしまっていたので新しいのは使いづらいです。ドコモの携帯電話で書き込みテストをしてみましたが入力が遅いのもあるのですが実に使いたくない代物です。たぶんほとんど携帯電話での書き込みはしないと思います。PHSが使える場所ならもう一度リブレットの登場になるのですがアンテナのない地域(というか地方)なので山では使えません。山小屋を作りだしてからずっと手書きの山日記を写真や絵入りでつけており、帰宅するとそれを材料に「ひとりごと」や「森の生活」を書いています。やっぱりそれがいちばんかもしれません。

●「森の生活」で書いていること

 読んでいる人なんかいないと思っていたと上にも書いたのですがたくさんの飲み友達、元(元というのは自分が元なだけです)走り友達を作っていたおかげか、更新のたびに読んでくださっている方はおられるようで、さっそく一番新しい章に関連して気にされている人がいるとのこと。誠に恐縮しています。
 私、別に悪気はないし、本気で人間の人生の短さについて省察しているわけで、自分はもとより誰だって生きているうちが、それも生き生きと生きているうちが花、と思っているので、もしゆめがあったら1mmでも近づいておいた方がいい、と思って書いているのです。
MISTAKERさんが私を評して書いてくださった「半歩深い」生き方、行き方、って言葉、「一歩」じゃないというところがとっても清々しいです。一気に飛躍したとしても自然の「時」の長さに比べたら、1mmも100Kmも大して変わらないです。でも逆に1mmずつでも「半歩」でも前に進まないと絶対100Km進みません。まったく志向が違う人やしたくてもできない人もたくさんおられると思うのでそういう方々の生き方に異を唱える気は毛頭ないのですが、もし自然が好きなら入っていくべきだと思うのです。それも今すぐに。自然の中には何億円もの豪邸に匹敵する「居心地のよさ」があります(豪邸が居心地がよいかどうかは想像の域をでませんが)。そういう生活に自分なりの謙虚さで近づくことができたら幸せなことです。自分を仕事の鬼にして滅私奉公していくことの味気なさ、つまらなさ、くだらなさにいち早く気づいて、少なくとも気持だけでも仕事から下りて、自分の好きなことをやろうよ、という、かつてのFWELNSのような盛り上がりを自分の中で爆発させたいのです。ただそれだけのことです。
だから嫌ってあんないじわるなことを書いたわけじゃないですよ。ほんとに嫌ってたらまず相手にしないか、もっと徹底的にやっつけますから。きっと読んでくれるはずの「自然大好き」「山大好き」人間の、人生の後輩におやぢからのエールです。私に「告げ口した人」(うちの4女です)を悪く思っちゃだめだぜ。そしたら本気で家の町や村を歩けないようにしてやるぞ…

 

【03.08.25】

●真夏の森

 雨ばかり降り、気持ちも落ち込むようなことが続き、スカッとしない毎週末だったが今回は掲示板に書き続けたようにようやく真夏の青空が広がり太陽が照った。東京もうだるような暑さだったようだが標高1249mの山の上も暑かった。週末ごとに変わる山の花々も今年はあまり見る機会がなかったが今回はたくさん見た。庭先に一輪だけ咲いたコオニユリは珍しく色鮮やかな花で、小さい花なのだが家の中からみるとそこだけ妙にぱっと明るく光り輝いて見えた。夜になるとたくさんの蛾が窓にぶつかってきた。八ヶ岳もようやく姿を現した。そのかわり帰りの高速はいつになく渋滞が長びいた。

 室内のミミズバケツは温度がちょうど良いのか、たくさんのミミズが働いている。でも、手狭であることに変わりなく、マンション暮らしのミミズみたいで快適だとは思うがどこか不自然だと思い続けていた。彼らも自然に戻したくなった。ただ、シマミミズは単純に土に帰せば幸せかというとそうでもなく、こちらの目論見も野菜ゴミを中心としたゴミ処理だから、それなりの準備が必要だった。また高地のため夏は快適でも冬期が問題で、越冬することができるミミズハウスを作らなければならない。そこでできる限り庭にある資材を利用してミミズハウスを作ることにした。必要な資材を買い込み、設置場所を決めるところまで済ませた。設計図も描いてみた。あとは一気にミミズ用ログキャビンを作るだけ。冬期を乗り切るためのノウハウも一応考えてある。近くの別荘の人たちはゴミを燃やして処分しているようだが私は自然の摂理に任せた処理方法でいこうと考えている。本当は山だけではなく東京でもそうすべきなのだがまずは山の家でスタートしようと思っている。ちかくミミズコンポスト専用ページを立ち上げるつもり。

 

【03.08.27】

●‘The Worm Cafe’開店準備中

 ミミズコンポストのページをとりあえず開いた。まだ店内は工事中でお客様にいらしていただくまでにはいたらないが店舗だけは作った。ミミズに興味のある人、ミミズによるゴミ処理に興味のある人、化学肥料を使わずに植物の生育のアシストをしたい人等々に、高地におけるミミズコンポストの実際をできる限りリアルタイムでお伝えしていこうと思ってる。

「もし世界を変えたいのなら、自分自身があるべき姿に変わらなければならない」とマハトマ・ガンジーが言ったそうだ(ビネー・ペイン(佐原みどり訳)『みんなでためすミミズコンポスト・マニュアル』p6)。人間も自然も病んでいる現代にあって恢復の道はひとつではないと思うけれど、今われわれが変わらないと地球は滅びてしまうという危機感は必要だ。「森の生活」に書いたように「はじまりはどこからでもいい」。とにかく実行しないことにはどんな変革も行われようがないのだ。

 このページではミミズコンポストを始めたきっかけから最新の情報まで具体的に記していこうと思っている。

 

【03.08.29】

●火星

 約6万年ぶりに地球に大接近している火星を見た。仕事を終えて急いで山へ出かけた理由のひとつは火星をみることだった。雨ばかりで星どころか、下界の灯りさえ見えない日々を過ごしたこの夏休み最後の週末、Y乃は友達と豊島園遊園地の花火大会(花火職人の人には申し訳ないが、この花火というやつは人間の作ったもっとも美しい害悪のひとつだと思っている)を見に行ったが私とFERMATAと、そして久しぶりのM乃の3人はパウを連れて一路山へ向かった。10時半ごろ山へ着いたがやや西よりの南の中空にひときわ黄色い大きな星が見えた。たぶんこれが火星だろうとはおもったが勉強してこなかったので正確なことはわからなかった。火の玉のようなオレンジ色の大きな粒が他の星たちとはまったく違っていた。

 昨年はみんなで山道に寝ころんで流星群を眺めた。今年はデッキの上から火星(もし違っていても私たちが火星を見たと信じたらそれでいい)を眺めた。ネアンデルタール人が見たのと同じくらい大きい火星は消え尽きる前の線香花火の玉のようだった。

 

【03.08.30】

●虫さされ

 夏休暇をとって山にこもったときには私もFERMATAもぴょっちも食われたのだが今日は一日中庭仕事をしていたのでまたあちこちアブかブヨかとにかくそういうエラク毒性の強い虫に食われた。私は目の周りと腕を食われた。あんなに脂肪たっぷりでうまそうなM乃には食いつかず、骨と皮に近い私やFERを狙うとはやな虫たちだった。昼食時に飲んだ缶ビールがいけなかったのかもしれない。

 おかげでミミズの家は九分どおり完成した。冬支度の薪割りはM乃仕事。さすが剣道二段は伊達じゃない。「真ん中から割ろうと思わないでとにかく無心に薪の中心部から目を離さず、素直に斧を振り下ろすがよい」とだけ伝授したのだが、ピッタリ真ん中に斧を当て、ぱか〜ん!と森にいい音が響いた。

 

 

【03.09.07】

●秋到来

 火星は先週より地球から離れ小さくなったがそれでも他の星たちとはまったく違う姿で輝いている。山も里もススキの穂が風に揺れ、トンビが口笛のような声をあげて空を舞い、チョウの数よりトンボの数が増えた。

 2週かかってミミズの新しい棲み家ができた。出来は今一だけどまあこんなものだろう。ちゃんと森の水や空気になじんで生活していってくれるかどうか、これからが勝負だ。

 新しい別荘管理会社がたちあがり、これまでどおりの笑顔でおつきあいが始まった。こう毎週毎週行っていると建物自体の管理は必要ないように感じるが、いつ何が起こるかわからないし、この1年あまりの間、何度か助けてもらってようやくここまできたのだから、今度は私たちが協力したい。そういう気持ちでいっぱいだ。夏休みも終わり、駅周辺のペンションはどこも静かで人の数は少ない。早いうちに庭の周りの整備を少しでもしておこう。

●カルロス・クライバーの《運命》

 庭いじりが主だったから今回は本を全然読まなかった。代わりに食事時の前後を通してCDばかり聴いていた。久しぶりにクライバーの《運命》を聴いた。あの誰でも知っている主題の速いこと。冒頭部分も速いが同じモチーフが何度も繰り返されるたびに前のめりに速くなっていくような感じがする。それでもWPOは一糸乱れず澄み切った音を奏で、空気を切り裂きながら前進していく。このドライブ感は痛快といったらない。重量感のある風が機敏に吹き巡る指揮ぶりはライブだったらたまらないだろう。的確なバトンワークでぐいぐいとひっぱっていかれる先はまったく嫌みのない清涼感で前世紀のベストアルバムに入ることはまちがいない。なのにどこか物足りない。もう終わっちゃったの、という感じで最終楽章まで突っ走る。

 音量を上げるとノイズばかりが邪魔をするフルトヴェングラー(私の好きな43年6月30日の盤はとくにそうなのだが)の緩急自在の思い入れの塊みたいな《運命》を聴いたときの満腹感がないのだ。この違いはちょうどフルトヴェングラーのモーツァルト/シンフォニー40番とブルーノ・ワルターのそれを聴き比べたときと似ている。フルトヴェングラーの振ったWPOの48年盤の第1楽章なんて疾風のように通り過ぎていく。そして、これでもうお終い、って聞きたくなるくらいの勢いで終わってしまう。あの、小林秀雄が冬の道頓堀を夜歩いているときに頭の中で鳴ったというモーツァルトは誰の演奏だったんだろう?

 いずれにせよ、名演奏といわれるものをCDで聞くと音楽の厚みや深さがダイレクトな力量感をもって迫ってくる。ベートーヴェンにせよモーツァルトにせよ、彼らが羽ペンで五線譜に、一方は呻吟しながら、他方は一気呵成に音符を書きつけているときの息づかいが伝わってくるようだ。

 

【03.09.08】

●ある思い込み

 私は無神論で「絶対」という言葉を使っちゃいけないとつねづね思っていたけれど、心のどこかで「お天道さまのいうとおり…」という子どものときからの口癖が実体をもったままいまだに体にしみ込んでいる思う。ミミズのことはすべて私個人の問題で誰もこれに引き込もうとすべきじゃないとあるところで真摯なアドヴァイスを受けて気がついた。それは山暮らしについてもいえることで、私の生き方が全てじゃない。それをあたかも自分が最高、といった書き方をしてしまう自分がいたと今思う。「絶対」といえるのは遠くない将来私たちが死んでいくということだけ。だから私はこのようにして生き、あなたはそのように生きる… それでいいのだとある人たちに教えられた。信仰のない生き方を追い求めながら自分で信仰の対象を作っている。自分自身を信仰の対象にしている。

 そこまでで終わっていれば、たかが幾人も見に来ないサイトのこと、いやな人は遠のいていくだけだからそれはそれでいいのだが、実は私のサイトはそれを他人に押しつけようとしている。少なくともそうしない人の存在を念頭におきながら、そういう人のあり方を全否定しようとしている自分がいる。こういうあり方は宗教そのものじゃないかと今、思う。政治的な発言の方がまだましで、それはそれで表現の自由の埒内にあるけれど、こと信条(もしくは信条を持たないこと)に関してとやかく言ったり書いたりするのはまさにファッショそのものだと知らされた。鋭い指摘をしてくれた人たちに心底感謝しています。もうすぐ半世紀を生きようとしている自分が、若いころ一番嫌っていた老人になりかけているのを感じる。

【03.09.11】

●ブックエンド

 今朝仕事に出かける直前にTVの芸能ニュースで「サイモン&ガーファンクル復活」の映像を見た。1981年私たち夫婦が結婚した翌年、彼らはNYセントラルパークでコンサートを行った。ビデオを何度も見、ポールが弾く黒のオベーション・カスタム・レジェンドのちょっと機械的なアコースティックギターの音をコピーしていたころのことを思い出しつつ、老け顔のメイキャップをしたような二人の顔を複雑な心境で見ていた。相変わらずの美しいデュオは画面にかぶせたレコードの音だったのかもしれない。まっすぐ前を見つめて歌うアーティと対称的にきょろきょろといつも視線を周囲に漂わせているポールの顔はどこか戸惑った老人のように見えた。

 98年だったか99年だったか、ビリー・ジョエルとエルトン・ジョンがツアーで後楽園ドームにやってきたときの驚き。目だけぎょろぎょろとさせて、誰も真剣には聞いていない酒場で、ビールの臭いのするマイクに向かって歌っていた若きピアノマンはリッツの豪華な食事で膨らんだ腹をつきだした、つのだひろのような体型になっていたし、よちよち歩きのエルトン・ジョンには髪の毛があった。その翌年今世紀最後といううたい文句でやってきたエリック・クラプトンは大工の棟梁のようなごま塩の角刈りに楽そうな太いジーンズをはき、強いライトにやられたのか目を何度もしばたかせながら武道館の舞台に上がった。当然、観客の私たちが中年の域を越えんとしていたのだから彼らが年老いていたからといって不思議はないのだけれど、やっぱりどこかで青春時代のヒーローのなれの果てを見てしまったような、寂しさの色が濃い、説明のしようのない後ろめたさのようなものを感じた。それはNYのマジソン・スクェアガーデンで行われたクラプトンの「クロスロード・コンサート」のビデオで見るボブ・ディランも同じ。

 時の流れに勝てる者はいない。S&Gの映像をまぶたの裏に残したまま仕事に出た。どういう目論見から彼らがまた二人で稼ぎ出そうとし始めたのかはわからないけれど、それも長いことは続くまい。そのうち、二人がお互いのことを忘れてしまい、冬のセントラルパークの、足下を新聞紙が風に吹き飛ばされていく森の中、まるでブックエンドのようにひとつのベンチの左右に離れて腰をかけ、それぞれが全く別々にそれぞれの過去を回想する。そういう時の来ることを予想して書いたのかどうかはわからないけれど自分の作った歌かどうか記憶も定かでないポールが掠れた声で口ずさみはじめる。すっかり髪の毛のなくなったアーティはベンチの向こうから聞こえてくる声に合わせようとしているつもりはないのに同じ歌に声を合わせはじめる… 二人のすでに遠くなった耳に別々に聞こえてくる熱狂的な歓声…

 狂気に満ちたテクノポリスと砂漠の、それぞれの王が闘い続けた日々も遠くに消え去り、喧噪の街の真ん中の冬がれた森の中で、大きなヘッドフォンをつけたジョガーも鳩にエサを与える老婆も近くのホテルからライフルの打ち方を教わる少女も気づかない朽ちかけた木のベンチをステージに新しいデュオが人知れず復活する… 

 長いことHPを閉店していた私が Monologue を始めたのは2001年の今日だった。変わり果てていく人間の掟に反してかの王様たちはいまだに健在。当家のキツネ目の小男も作家崩れのやくざ知事も相変わらず気炎を上げている。それが今の世界であり日本の現状なのだ。火星が遠のく前に移り住みたくなってしまうほど住み難い星の現状なのだ。

 

【03.09.15】

●日記帳

 山に家をつくりだしてからずっと書き続けている日記帳が3冊目に入った。2B、0.7mmのロットリングとプラスチック消しゴムと、8色の色鉛筆の芯が切り替えて出せるペン(ぺんてるMulti8)が必須アイテムで、眼鏡を読書用の老眼鏡にかけ替えて米粒大の字でしこしこ書いている。無印良品のノートは山で撮った写真を両面テープで貼り付けてあるので使い切るころには元の3倍くらいの厚さになっている。毎日の出来事だけではなく、本を読んだり、CDを聞いたときの感想なども書きつけているし、絵や図も書いてあるし、飲んだお酒のラベルも貼ってある。我が家ではFERMATAとなぜかY乃だけが読んでくれるのだが、山に遊びに来てくれる人にこれまでの山暮らしの経過を見てもらったり、年老いて山まで来れない実家の両親たちに見せたりしている。じっくり読んでくれてしまう人もこれまでごくわずかいたけれど、ほとんどの人は「マメねえ」と言って、小さく印刷して貼りつけた数々の画像を追って見てくれる。読者を期待して書いている日記というのも変な話だが、読まれて困るようなことは書いていないし(そういうことは「あまり」してもいないのだが)、何より自分が何度も読んで記憶を喚起するのに役立っている。でも、本当は私がいなくなったときにFERMATAや娘たち、とりわけ娘たちに読んでもらいたくて書いていることが多い。いわば『遺言』でもある。

 私がボケずに正気で生きている間に何か起こったならば助言してやることはできるけれど、その後彼女らが一度も人生の岐路に立たされることなく順風満帆に生きていけるとは思っていない。そんなとき何台かのパソコンの中に書きのこしたり、このサイトに書いたことなど見つけるのは容易ではないけれど、山に行けば父の書いた言葉を聞くことができるだろう。きっとその中に生きるヒントが入っているはず… 入っていなくても父の言葉を読んだらこの後にこう言ってくれるに違いないと自分で現状を打開するヒントがつかめるはず… そんな思いを込めて書き続けている。

 でもそんなゴーストの書いた言葉なんて気味悪がって読んでくれないかもしれないな。

 

【03.09.20】

●台風

 山の中で台風の上陸を経験してみたいという、台風の被害を被った方たちや今まさに台風と闘っている方たちにとっては不埒きわまりない考えをもってまっていたがいつまでたっても近づいてくる気配がないので山を下りてきた。でも本当に台風が直撃してしまったら私など身動きがとれなくなってしまうだろう。どうしていいかわからずうろたえるにきまっている。山歩きをしていたころ北穂高岳の頂上で台風にあったことがある。北穂小屋はテントを飛ばされた人たちがキャンプから避難してきていて土間もどこも人が押し込まれて一夜を明かした。翌日も風が強く、涸沢岳を越して尾根歩きをすることができずに撤退した。そんな遠い昔のことを思いだしていた。

 しかしこんな晩、森の主人公の動物や鳥たちはどうしているのだろう。過保護なくらい安全な丸太小屋でたっぷりのエサを与えられたわがミミズくんらとは違い、濡れた体を寄せ合って下草の奥の方に固まっているのだろうか。

 

【03.09.23】

●老眼鏡

 FERMATAに老眼鏡、正式には遠近両用眼鏡を作ってやることにした。ずいぶん前から私の書いたノートを読むときなどに眼鏡をそっと外していたのを知っていた。ただ近眼が私ほどひどくないのと、もともとおおざっぱな性格で近眼用眼鏡もかなり度が低く設定してあっても平気で(反対に私は近眼用の眼鏡は1.5見えないと気持ちが悪い)、運転免許証の審査を通過できればいいという程度の眼鏡をかけているから、老眼が始まっても私のようにすぐその影響があらわれるということはなかったようだ(でもこの人はものすごく物欲に欠ける人でものを欲しがらないから眼鏡をかえたいという必要性を口に出さなかっただけかもしれない)。眼鏡を外してノートを読んでいる彼女に「今度眼鏡を作りに行こうか」というと「そうね、そろそろ必要かもね」と答えた。老眼も歳をへるごとに進み、私は今している眼鏡が遠近両用の2個目で、そろそろ老眼鏡の部分が弱くなってきた。フレームはオーダーで作ったものだから買いかえる気はもうないがレンズは交換したいと思っていた。でも今日ははFERMATAの眼鏡を作ってやろう。本当は私が作ってもらった店までいって彼女用に作ってもらうとお揃いになるのだが、GパンやTシャツは共用できても眼鏡や靴はそうはいかない。試しに私の眼鏡↓をかけさせてみたら顔が大きいから昔の漫才師のようになった。

 

【03.09.27】

●かわうその祭り

 26日の夜は月がなかったせいか満天の星が綺麗だった。この一週間向こうは雨が何度か降ったのか、山道は大きくうねり、気をつけて走っているのだがズンと車の腹をこすった。急な坂を上り車のライトが山小屋を照らし出すと「我が家に帰ってきた!」という安堵感がわいてくる。韮崎の町の灯りが眼下にきらめいている。真っ暗な庭先に車を止めておりると冷涼な空気が体中にしみこんでくるがさほど寒くは感じなかった。外気温12℃。いつものようにパウと荷物を下ろし、自分で作った丸太の階段を上っていく。室外ミミズ小屋‘The Worm Cafe’の黄色い蓋が雨と埃で汚れている。内外のミミズ小屋を点検し、ようやくテーブルについてビールの缶を開けたころからぞくぞくと寒気が体を襲いはじめた。室内18℃。ストーヴを焚きたいが今からじゃ寝るのが遅くなるし、この一週間でデッキ下の薪置き場は濡れている。途中で買ってきた暖めるだけのおでんをつまみにビール1缶を飲むのがやっとで寒さと前日当直の眠気でダウンした。

 27日は昼過ぎまで晴れていた。午前中ミミズの点検をしてから、今夜用の薪を選定して陽の当たっているデッキに並べる。よく乾燥した良い薪ばかりだ。薪を並べてその前にたたずんでいると、まるで獲物の魚を岸に並べて祭りをするというかわうそのような気分になる。正岡子規の庵の名を「獺祭庵」といい、ここから山口の酒「獺祭(だっさい)」はつけられたという。
 その後、諏訪内晶子のシベリウスを聴きながら、ダーウィン『ミミズと土』(平凡社ライブラリー)を読む。が、何ページも読まないうちにまた眠り込んでしまった。
 午後から近くのギャラリーへ「小林健作陶展」を見に行く。見た目は重そうなのに持ってみると軽い陶器たち。久慈焼きというのか、とにかく思ったより使えそうな食器類が並んでいた。一枚欲しい大皿があったのだが高かったのと山で使う食器は小砂焼きのいいのがあるし、食器収納棚が大きくないのであきらめ、小振りの壁掛け用の一輪挿しを買って帰った。すぐに殺風景だったトイレに吊し、FERMATAが庭先で採ってきた草花を投げ込んだ。小用も座ってするよう言いつけられているので、次はどんな草花が飾られるのかとこれからトイレに行くのが楽しみになった。

 

【03.10.05】

●秋本番

 10月に入って最初の週末は土曜の午後から曇り、夕方から雨が少し降っただけで、秋晴れに恵まれた。それだけに朝晩の冷え込みは一段と厳しくなり、デッキの上の寒暖計は4〜5℃を示した。ストーヴの試運転(というより夜は暖をとらないといられなかった)をしたほか、いつもどおりミミズの世話をし、音楽を聴き、薪を作り、昼寝をし… とにかくいつもどおりの週末だった。

 今朝は6時に目が覚め、ベッドの中から木々の間から登る日の出を見た。しばらくベッドの中でぼうっとしている私にいつものように朝のコーヒーをいれにいったFERMATAが「部屋の窓から富士が見えるよ」と言った。何度も書いた開発途中で放置された森が消えた分、木々の密度が薄くなった林の向こうにシルエットの青い富士山が見えた。分厚いセーターを着込んでパウと一緒に開発現場に下りていき、電柱に邪魔されないポイントから富士の写真を撮った。雲海の上に浮かぶ青い富士が朝焼けの雲の中に浮かんでいる。しかし、その下にはずっと手つかずで放置されたままの切り開かれた森。上の写真は10倍ズームで下の開発現場が映らないようにして撮った。またもっていきようのない怒りが静かにこみ上げてくる。

 先週の帰宅時は蕎麦の花が真っ白に咲いていたが、今週は純白度が落ちてきた。そろそろ蕎麦の実がつくころだろう。反対に金色に色づいていた稲がこの土日に刈り取られ出した。このあたりも兼業農家が多いから、土日に一気に稲刈りをするのだろう。秋の空にはうろこ雲が広がり、来週あたりは秋が最後の姿を見せているころだろう。

 

【03.10.13】

●紅葉シーズンの憂鬱

 何も私のための紅葉ではないのだから愚痴ってもはじまらないのだが紅葉狩りのシーズンに入った三連休、天候は悪かったのにすごい渋滞だった。昼過ぎに山を下りたのに、もう中央道上り線は長い車の列になっていた。5時間半かかって家に辿り着く。最初にも書いたがこれも承知の上のことだからいたしかたないことだ。

 今回は土曜日が勤務だったので普通の休みと同じ2泊2日だった。仕事を終えてとんでいったが行きは雨。翌朝もくもりから雨。森はまずどうだんツツジが真っ赤に紅葉し、リョウブが少しずつ紅葉を始めている。今は緑の中に赤い色がくっきりと浮かんでいる状態。たぶん来週あたりから赤から黄色の世界に移っていくだろう。そしておそらく当分土日は紅葉を目指す行楽の車が列をなすに違いない。

 今回の収穫は三女のM乃が一緒に来たこと。私は1週間の疲れと、調子の悪い車をどうするかで頭がいっぱいでぐたっとしていたし、FERMATAも仕事疲れから変な咳をしつづけていたため、どこにも出ずにいた。遊び盛りの高一のM乃にとってはこんな老人のような生活は退屈だろうと思っていたが一人で本を出してきて、うどんを打ち出した。遅いブランチを食べたあと私は新しい車のカタログを顔の載せたまま寝てしまい、FERMATAもストーヴの前で長椅子に寝ころんで寝ていた。ときおりどしんどしんと音がしていたのはうどんを袋に詰めてその上でM乃がダンスをしていたらしい。

 目が覚めると4人前の手打ちうどんが打ち上がっていた。M乃はアイガモのつみれを入れた醤油だしの鍋、私とFERMATAは味噌で牡蠣鍋。素人が作ってもそこいらのそば屋のうどんよりはるかにつるんとしていて美味かった。「うどん屋さんができるよ」と言うと笑顔は見せたものの「もう作りたくない」と疲れた顔で答えた。

●からすみ亭更新

 正月まで開封しないで置こうと心に決めていたのに栓を抜いてしまったふるさとのお酒

 

【03.10.16】

●Our products create pollution, noises and wastes

 「私たちの製品は公害と騒音と廃棄物を作り出しています」
 本国のカタログに載っているけれど日本語版には載っていない 言葉。美辞麗句に飾られた「無公害車」などといううたい文句が踊る日本の車の広告とは大いに違う感覚。車を使っている人間にも 同じことがいえる。公害と騒音と危険と廃棄物を撒き散らしながら走っている。隠したって隠しようのない事実から目をそむけても事実が消えてなくなるわけではない。

 車はダサイ。重いから走りはちょっとどんくさい。でも味がある。思想がある。

 競合させて値下げを狙う気なんかもうとう(漢字でかくのを今後やめる)なかった。おつきあいというか前にメールで約束してあったから2つの店に買い換えの知らせをした。当然両方のお店は店運をかけて闘い始めてしまった。真ん中でどんどん値下がりしていくのを見て正直嬉しい部分もあったがそれより苦痛の方が増していった。どちらの担当者に対しても人間的に好意を感じ、2人が辛そうに次々と出してくる条件を聞きながらなんども「もうやめて。どっちか引いて」と思った。自分がすごい悪党に感じた。商売人には絶対になれないと悟った。2店に知らせたことを後悔した。 利潤がないか、ちょっとはあるか、損をしているかわからないけれどたぶんそのあたりの駆け引きがつづいて(私は途中から第三者的に両店の経営を心配した)、逆オークションのような状態になった。そして結果的にはとんでもない条件で欲しい車をゲットしてしまった。

 先日同じ人から2回、4点の品物を続けてオークションで買った(終了間際に価格が上がりどうしても欲しかったから入札額に糸目を付けずに闘った)。出品者はどうも私と似た性格だったみたいで、送料はいらないと言ってくれた。2回目は「ビール券」3枚が同封してあった。オークション終了間際の競り合いを見ていてうれしい反面心苦しかったんじゃないかと想像している。

 大げさだけれど極限的な状態で見た自分の弱さ(結果強さのように顕れたことへの嫌悪を感じる弱さ)… 営業マンの悲哀に感情移入してしまう自分…

 今の車は小学生のときに近所のお医者さんが乗っていた何だか日本の車にない不格好だけれど頑丈そうな車でずっとこころにひっかかりつづけていた「ニルス」の国のメーカーの車。2年半前に自分で「生涯最後の車」と決めて、残りの人生と車に乗る時間、走行距離を計算して買った。ところが山の家をその後で買って、条件が変わってしまった。あちこち木の枝や砂利道でこすった跡だらけ、洗車してもすぐに天井までドロドロになるからそのまま乗ってきた車。今年の冬は雪の中で立ち往生したり、ぬかるみにはまってみんなで泥だらけになって押したり、アイスバーンで動けなくなってひっぱってもらったり、ギシギシきしむ音の中に1年間の思い出がぎっしり詰まっている。実際、葉っぱや木の実や虫の死骸もボンネットのすき間にぎっしり詰まっている。

 今度こそ大事に綺麗に乗ろうとは思っているけれど、ことそういうことに関してはすぐに無頓着になってしまう自分を半世紀見つづけているから、たぶんすぐにボロボロになってしまうだろうな。

 「私は公害と騒音と危険と廃棄物を作り出しながら車を走らせています」

 

【03.10.26】

●M乃とギター

 昨日はM乃16回目の誕生日だった。父母は山へ行っていたので子らだけで誕生日を祝った。彼女が生まれた午後10時過ぎにはすでに父は寝てしまっていたのでおめでとうも言ってやれなかった。だからというわけではないのだが、今日はいつもより早く山から下りてきて、誕生日のプレゼントを買いに二人で町へ出た。

 つい先日のこと、いつもは私を煙たがるM乃が私にギターを教えてくれと自分から近づいてきた。簡単なコードを教えてやった。保育園のときから上の二人と同じようにヴァイオリンを習いにいかせたが4、5年続けて一冊目の教本を終わらせることができなかった。それどころか、その間、何度も一番最初の曲に戻された。それでヴァイオリンの弓を竹刀に持ち替えて剣道を始めた。その剣道も順調に段位だけはとってきているが最近はまともに練習にもいっていない。いずれも自分からやりたいと言い出したことではないから仕方ないと思ってとやかく言わないように努めて心がけてきた。ギターもその線かなとも思うがとにかく自分で弾きたいと言いだしたから大事にしたい。というわけで今日ギターを買ってやった。私のギター(現在は3本)はいずれも本物すぎて、学校へ持っていったり適当に使われたくなかったから、彼女専用を買ってやったのである。安物でも自分の所有物だと大事にするし、練習もするだろうという希望をもってのこと。しかし本物好みの私はいくら初心者用とはいえちゃちなものを買うのは嫌だった。エレアコ(アコースティックだがアンプにつなげば音を増幅できるギター)が欲しいという彼女の希望はエレアコを持っていない私の新しい分野で私自身が欲しいギターがあった。でもそれはいかんせん高すぎた。結局オベーションの一番安いやつにした。いつもそっけない彼女がニコニコとケースを抱えて電車に乗っているのを見て私もうれしかった(ただこういう表情は明日にも元の素っ気ない無愛想な顔つきにかわる)。

 今朝山で今私が所有する3本のギターの一番最初に買ったギターのことを山日記に書いておいた。結婚直前に結婚資金をはたいて買ってしまったMartin D28。そしてこれら3本を3人の娘たちへの父の遺品として遺すことを書いておいた。だれがどれを選ぶか大体想像はついている。1本1本に深い思い入れのある楽器だから、そういう若い日の父の思いも伝わって欲しいと思っている。

 さっきまでジャランジャランと鳴っていたギターの音がしなくなった。もう寝たのだろう。自分のギターを持ち、ほんのちょっと苦しいところを越したら一生楽しめるはず。彼女に何でもいいから達成感を感じさせてやりたいと思っている。

●850ラストラン

 850を飛ばして山へ向かうことも今回が最後になる。来週の3連休は混み合いそうだし、土曜日はまた仕事だし、山へは行かないことにした。その次の週は新しいクロスカントリーが納車になっているはずだから、今回が私の駆る中央道のラストランになった。正直なところこれまで手放してきた車はみな好きで欲しくてたまらなくて買ったものばかりだから手放すのが寂しかったが今の850もわずか3年弱の付き合いだったが(といっても一番短かったのは7ヶ月だったが)、いい車だった。いまでもスタイルはクロスカントリーより好きだ。山から下りるとき、車の前で写真を撮った。カラ松の落ち葉に飾られた泥だらけの850は11月の上旬に去っていく。

 

【03.11.02】

●A乃と運転免許

 A乃が一月ほど前から教習所に通っている。今日は縁石の上を走った、とか、車庫入れでジャランジャラン音がした、とか、楽しそうに言っている。バックはPだっけRだっけ?なんて平気できいてくるから空恐ろしい。1週間くらい前に話したときの時点で11時間オーバーしちゃった、と言っていた。そろそろ仮免。「免許とったら新しい車かぁ、緊張するなあ」って誰が運転させるって言った! 悪い時期に車を入れ替えることになった。それでも、これまで年齢制限をかけていた任意保険の限定は外そう。

 この間、曖昧な記憶を整理して過去の車の購入時期を考えていて、車と家族の関係があることに気づいた。A乃が生まれたとき私は免許を持っていなかった。出産のとき、救急車を呼んでしまった。それに味をしめたわけではないが退院後私が白湯を飲ませていて息をしなくなったので救急車を呼んだ。どこかにひっかかっていただけで、救急隊の人に怒ら始末書をとられた。で、やむなく免許をとり、仮免が取れたところで最初の車を勇んで買いにいった。「ホンダ、ホンダ、ホンダ、ホンダ、ホンダ」というコマーシャルが流行っていたシティが初代のマイカー。その後すぐにのろのろ走る車に飽きてファミリアターボにし、Y乃が生まれたとき、NISSANが作ったVWサンタナにした。納車日を退院の日にした。今思えばさほどでもないけれど、大きくなった車を病院の狭い駐車場に入れるのに緊張した。しかし、この5気筒縦置きのエンジンは調子が悪く、高速を走っているうちに失速してきたりした。その次は昭和末期、「お元気ですか〜」のCMが口パクだけにされたセフィーロをM乃の誕生に合わせて買った。色も内装もエンジンもサスペンションも装備も好きなものを組み合わせられるというのを売り物にしていたので、そういう希望をしたら、メーカー推奨の組み合わせならすぐにも納車できますが、とディーラーに言われ、悔しいからいやいくらでも待つ、と言って自分だけのセフィーロにした(その後、同じカラーで同じ内装の車を一台も見なかった)。だから愛着はあったけれど、数年後にパウがうちに来て、最初のうちは助手席のFERMATAの足下に座っていられたが、あっという間に子どもらよりでかくなり、家族5人+1匹で移動できなくなり、やむなくワゴンを買うことになる。一番長く乗って、あちこちぶつけてボロボロ状態になったレガシーだった。今山小屋のある八ヶ岳周辺へ毎年出かけて行ったのもこの車で、林の中でも雪の中でも平気でどんどん走った。しかし燃費は非常に悪かった。職場の駐車場に入ると同僚からサイドスカートを引きずってるよ、と言われ、ガムテープで留め、ドアモールも外れてガムテープで留め、実に満身創痍のレガシーに別れを告げて、今の車になった。中古だったが、レガシーの新車時より高かった。子どものときから憧れていたこのボルボを人生最後の車にするから、と泣いて頼んで購入の許可を得た。しかし、50タイヤを穿かせた車高の低いスポーツタイプのこの車に山道はきつかった。

 そして今回はA乃の免許に合わせてのように新車のクロスカントリーがやってくる。たくさんのオフロードカーを見てきたが、どうしてもあの正方形の後ろ姿にタイヤをつけて走る自分の姿は見えてこなかった。結局中途半端なSUV崩れのようなクロスカントリーになったのだが今は納車が待ち遠しい(あと4つ寝ると来る)。問題はA乃である。自分でも新車に乗るときは怖いのに、若葉マークをつけて走らせるのかと思うとゾッとする。ウィンカーも出せないだろう。免許が取れたら八ヶ岳有料道路のガラガラの時を見はからって何度か教習してから人道を走らせることにしよう。

 

【03.11.05】

●納車祝い

 私が敬愛するランニングとお酒のお師匠さんたる人生のちょっと先輩から、気の早い「納車祝い」のお酒が2本届いた。「なにやら頑丈なだけがとりえの車をオフロードカーにかえるとか」と添え書きに書かれているが、今度もまた頑丈なだけがとりえの車でオフロードカー風ではないです。お師匠、おいらオフロードカーか、4駆の軽トラが一番合ってると知りつつ、根がおしゃれだからそういうところまで自分を振りきれないんです。でも、背に腹はかえられず、電子制御のスタンバイ4駆です。

 さて、お祝いでいただいたこのお酒の話はとにかくここを見ていただくことにして、いつも美味い酒を飲んでいるような話ばかりを書いていたことを恥じたくなるようなきれいなお酒たちであった。米の違いはともかくも山梨のお酒や新潟や東京のお酒を飲み比べると栃木の水だなあと感じる。良い意味でも悪い意味でも栃木の水で醸されたお酒はどこかとんがってる感じがする。水が栃木県弁をしゃべっている、天鷹のあのとんがり方と似ている。そういえばお師匠が上司に逆らうときのとんがり方にもそっくり。ああ、きょうはとても懐かしいよい酒をいただいたという感じだった。近く「からすみ亭」にうんちく(私のじゃなく作り手たちのうんちく)を書きたいと思う。

 で、納車は明日昼過ぎ。頼んでおいたオプションが間に合わず、ETCのセッティングも間に合わない見切り納車だが、とにかくこれで夜眠れるようになる。FERMATA曰く、遠足前の子ども状態が続いた半月であった。

 

【03.11.09】

●YATSUGATAKE EXPRESS

 2週間ぶりの山はすっかり落ち葉におおわれて茶色の世界だった。前回850 T-5のラストランをしたときとまるで別世界のようだ。標高をナンバーにつけた新しい車は 'YATSUGATAKE EXPRESS'と命名された。まだAWDである実力を見せる場はない。ただこれまでだったらお腹をこすりそうな凸凹道も難なくこなして走る。といってもオフロードカーのように疾走したりはしていないからこれも実力をみせたという感じではない。タイヤもカタログに出ていたようなワイルドなパターンのものではなく、今回のXC70用にピレリが作った専用の極めて大人しいSCORPION - STR(以前はSCORPION - ST)というのを履いているから高速も大人しく走る。剛性は高いのだがサスペンションはボルボ流の柔らかめで、メルセデスのような感覚的にも高いと感じるほどの剛性「感」は感じない。フラットな最大トルク32.6kgmが1500回転から4500回転まで続くので発進してしまえば非常に走りやすい。しかし、何といっても車両重量が200Kg近く増えているから発進は驚くほどどんくさい。坂道発進のときなどDレンジに入れ忘れたかと思ってしまうほど。室内は色合いも影響しているのか850より狭く感じるが、スウェーデンの家具のようなシンプルな割り切り方が心地よい。ただしシートは人間工学的な配慮がなされているというが少なくとも私の脊椎にはあっていないようできっちりとしたポジションがまだ決まらない。

 しかし、すべて850を基準に考えているからで、それが劇的に変わるんじゃないかと期待していたらそれほどでもなかったというだけだ。フォードの傘下に入ってしまったボルボ社がフォードの影響を受けずに作った最後の車かもしれず、ボルボ独自の生産体制(フォードの生産体制や、トヨタの生産体制と全く対称的なものだ)も含め、変容せざるをえない次世代の車になくなるかもしれないボルボテイストを存分に味わいたい。

 

【03.11.17】

●Volvoism

 XC70 2.5T は快調だ。鈍臭く感じた発進はアクセルの開き加減でわずかなタイムラグのあとに急激なトルクの上昇を感じることがわかった。でももう信号グランプリをする歳でもないのでちょうどいい。最大トルクにのってしまえばそこからの加速も容易だし、車線変更の際やICでの合流にストレスを感じることは全くない。山の下りに一回腹をこすったがアンダープロテクタをオプションで着けてあるから安心だ。850よりかなり低めに設定されたギアも使いやすく、ギアトロニックと併用すると山の下りはフットブレーキなしで快適に下れる。メルセデスのアクセルも重かったが、この車のアクセルも重めで、上ったり下ったりが続く中央道を飛ばすときに足から腰にきて痛みが出始める。これもせっかく設定のあるオートクルーズを使ってのんびりと走れば腰にはこないことがわかった。

 前の850のときも二玄社のVOLVO本を2冊も買って読みふけったが今度は経営学の本『ボルボ・システム〜人間と労働のあり方』と『ボルボの研究』を買って読んでいる。働く者の人間性を重視した上での経済効率を研究したこれらの本は畑違いの私にも役立つ部分の多い本だ。とにかく東京より国民の数が少ないスウェーデンの成熟した社会のあり方に惹かれるところが多い。しかし、アメリカの覇権主義は自らの衰えを力技で乗り越えようとしている。Fordismを否定するところから生まれたVolvoismが当のフォードに買い取られてしまっている。大量生産を捨て、経済的効率主義より人間の働く場、人間性を求めてきたVOLVOがどこまでFORDの色に染まらずに済むか、目が離せない。

●メガネ

 お気に入りの「●メガネ」をベッドの上で踏んでしまったらしく、今朝フレームが曲がってかけられなくなった。ちょっとやそっとではビクともしない、サンプラチナ製の固いフレームが根本から折れそうにまがり、直そうと思ったが非常に頑丈なので直せない。これは困った。山からうちまで160Km、作った眼鏡屋さんは千葉の市川だからさらに50Km以上ある。輪ゴムで補修して急いで山を下りた。幸い道路は空いていて、目指すユニオン・メガネまで2時間半ほどで着いた。おやぢさんはいなかったが調整をしてくれたときのお兄さんがいてすぐに直してくれた。時間があればフレームのセル巻きの交換やレンズの交換もしたかったが、荷台にいたはずのパウが後部座席にちゃっかり座っていたりして落ち着かなかったので今回は見送った。いいもの、気に入ったものを長く大事に使う、それはVOLVOにも、ルイ・ヴィトンにも共通する私のモノ選びの基準だ。陳腐化しない、もしくはしてもそれがまた味になっていくモノを無理をしても買うこと。それが結局はモノへのこだわりの第一歩だ。ちなみに私が今履いている3足のリーガルの靴は何度かの底の張替と定期的な踵の交換で20年たった。4年目に入ったΩの時計は多分のののたちの亭主になる奴にくれてやることになるだろう。そういうモノを私は愛している。


天窓に溜まった松葉とその向こうのカラ松の木

 

【03.11.27】

●霜柱

 更新がおくれたけれどこの前の土日の話。暦の上では3連休だったが月曜日仕事だったので日曜に帰ってきた。左の写真は土曜のお昼前の画像。山は明け方氷点下5℃まで下がった。一日中ストーヴをがんがん焚いていたので部屋の中は寒くなかったが、日影の霜柱は一日中消えることがなかった。

 先週の始めに管理会社の方が水抜きをしてくれていたので、金曜の夜中に着いたときはまず通水からスタート。帰りも水抜きをしてからでないと帰れない。ああ、一シーズンが過ぎたのだなと実感する。

 森の状況に関しては昨年の春から始まった開発が夏にとん挫したままで放置されている実状への被害妄想かもしれないが荒れ果てているような気がしてならない。部屋から朝日の昇る秩父の山々やシルエットになった富士山がよく見えるようになったのは開発のせいだが、西に見える南アルプスまでがはっきり見える。去年はこんなに見えるほど木々は薄くならなかった、と思うのだが気のせいだろうか。それに鹿の群も全然見ない。いずれにせよ、今さらここから別の土地へ移るだけの資力はないから、この森が時間をかけて復活していくいくのを待つしかないのだけれど。

 今回「森の生活」更新用の原稿の下書きをしていたがもうちょっと寝かせてから更新しようと思っている。今週末は仕事で行けない。走り続けの車をちょっと休ませてやるのもいいだろう。次回かその次からはウィンタータイヤに履き替える予定。山の雪より、チェーン規制のかかる中央道の方が怖い。

 

【03.12.01】

●浮かれすぎ

 地上デジタル放送が始まる(始まった?)というので国を挙げて大騒ぎしている。そんなことをしている場合じゃないと思うのだが政府の馬鹿どもまでがでかけていっている。テレビはほとんど見ないからどうだっていいことではあるけれど、テレビ受像器を作る産業もテレビ番組を作る産業もこれらに関わる多くの産業もみな多くの労働者を抱え、需要の活性化を図りたいのだろう。だけど政府の連中は何の関係があるのだろう。

 陽水じゃないけれど多くの国民にとって「問題は今日の雨、傘がない」ってことだ。それでも「行かなくちゃ」ならないのだ、「雨に濡れ」て。

 

【03.12.03】

●からすみ亭更新

 お酒のお師匠からいただいた「えん」をようやくアップする。家で飲みながら更新するときは、ちょっと待てよ、という感じで、もう一杯やってから書き直したりするのだが、山で飲んだお酒を記憶に基づいて更新するのは難しい。人間の記憶なんてこんなものだ。夏子のようになってしまうのも辛い感じがするけれど… 

 PS 更新後、しばらくしてお師匠からお電話をいただいた。ろくなテイスティングが出来ていなくて恥ずかしい。追加すると、亀の尾仕込みの原酒の酸度は1.9だったとのこと。数字を聴いてはじめて安心して、山田錦の方より亀の尾の方が酸が感じられた、とあの時感じたと思う、と今になっていう。ああ、苦しいの覚悟で夏子みたいになってみたい。
 ありがたいことで、毎朝更新の有無に関わらず開いてくれているそうで、そういう定期購読者によってなりたっているページもなかなかよい。

●馬鹿親子の会話

 親父「おまえのCM最近出ないな。俺の方がテレビ露出度高いな。ふぁあふぁふぁ」
 息子「じゃあ、おれ、イラクでも行って来るかな? そしたらマスコミ騒ぐぜぃ」
 親父「ぶ、ぶぁかぁ! お前は一国の総理の息子だぞ。あんな危ないところへいってマスコミに出てどうする。このぶぁかぁがぁ… かあさん、いなくなってから俺にはお前しかいないんだ。あんなところへは職業軍人がいけばいいんだ。金で命をうるなんて… ったく、お前は世間知らずなんだから」
 息子「でも父さん、この間コロされちゃったのは軍人じゃないよ」
 父親「あれはいくらでも交換がきく公務員だ」
 息子「父さんも公務員として金もらッてんじゃないの?」
 父親「おい!待て! この会話どうも盗聴されているんじゃないか?」
 息子「武富士の見過ぎだよ… でも父さん! 父さんのたてがみの中にあるその小さなマイクって…」

 自衛隊を派遣する前に政府高官全員がイラクで執務を半年とることを要望する。当然、警護なしにね。自分がしたくないことを人にさせる根拠はどこにもない。

 

【03.12.07】

●X'masツリーの季節

 12月最初の週末。先週は仕事で来れなかったので2週間ぶりの山。南アルプスの北岳は完全に雪におおわれ、鳳凰三山の間に頭を見せている。甲斐駒や八ヶ岳は沢に雪の跡が見えるけれどまだ雪におおわれているというほどではない。土曜の夜中は雲に覆われていたが月が満齢に近いので雲は白く庭は明るかった。土曜日は朝のうちお天気雨で、日が差しているのに小雨が降り続き、夕方から本降りになった。いつものことながら帰る日曜は良い天気。上記の山々がくっきりと姿を現した。

 去年の今ごろは一回大雪が降り、なにせはじめてのことで難渋した。去年の方が異常だったらしく、今年はまだ去年から比べたら暖かだ。雨の土曜日に何もすることがなく、地下室にしまっておいたクリスマスツリーを出してきた。何の飾りもしないでいい出来合いのツリーだがやはりこういうのを飾るとクリスマスキャロルを聴きたくなる。デイビッド・コリンズ指揮、バッハ合唱団の 'O Come All Ye Faithful' が聴きたかったが山に持ってきていなかった。次回は忘れずに持って行かなくては…

 

【03.12.013】

●山の忘年会

 人づきあいの下手な私が山の忘年会に参加した。いつも我が家の横をあいちゃんという犬を連れて散歩されているYさんのお誘いでご近所5軒がYさん宅に集まった。ここに来はじめて1年半、はじめてよそのお宅に寄せていただいた。土足のままどうぞといわれたリビングはとても広く、家具はすべてアンティークですてきだった。

 集ったのはYさんの周囲に住まわれる3軒とYさんのお宅からさらに山を登ったところにあるうちの夫婦とホストのYさんご夫婦総勢10名だった。Yさんの奥さまの手料理と持ち寄ったアルコール類ですっかり夜が更けるのを忘れた。

 まともな食事を朝からしていなかった私はすっかり酔っていしまい、かつ、車も上るのに一苦労する山道を帰る途中、例の開発途中で放置された工事現場の砂利道で転び、メガネごと顔から倒れ、右頬をすりむいた(当然、先日直したばかりのメガネもまた壊してしまった)。山で暮らすことになった動機は当然みな違うが山や自然を愛したいという気持ちはみな一緒で楽しい夜を過ごした。

※ちなみに壊れたメガネは簡単には直らず、レンズ交換も同時にお願いして宅急便でユニオンメガネに送った。あわてて以前使っていたメガネを探し出してきてかけているが予備にもうひとつ作っておいた方が無難かもしれないと足腰が危うくなってきて痛感している。悲しいけれど仕方のない現実である。

 

【03.12.18】

●腰痛

 先日、札幌へ行った。フライトの時間は短いものの、あの狭い座席に緊張して(やっぱり飛行機は怖いから)座っているのは疲れる。別の日、350Km近い距離をこれまた狭いマイクロバスで移動した。ディーゼルエンジンの振動を全身に浴びながら同じ姿勢で何時間も乗っているというのは、運転している人には申し訳ないけれど居眠りしていたとしても辛い。おかげで腰痛が悪化した。同じ姿勢を続けられない。メガネは明日修理を終えて送り返されてくることになっているから週末の山行きは出来るのだが今回は大人しく東京で過ごそうと思う。

●リストラ

 一昨日の夜、明け方(と思う)、急な出向の命令が出た夢を見た。いまの職場でミスをしたり、極端に評価を下げたりしている気は全くなく、むしろ今ここで私がいなくなったらこまるだろうなと思える仕事をかかえているから、寝耳に水、の状態で、肩たたきともいえる出向命令だった。一応直上の上司に電話をして、本当かと聞くと本当だといい、前からわかっていたのかと聞くと「ある程度」などと答えた。なぜ?という質問は悔しいからしなかった。半分今の加重労働から逃れられそうかなと計算したり、やめてやると思ったりしたが、気がつくと夢だった。

 やめたら山の家と車のローンを退職金で払い終えるかなと思ったり、結構面白かったが、そのときは今日までしつづけている仕事にマイナス評価をされたことにひどいショックと怒りを感じていた。翌朝、当方の夢と同じ夢を見ていたわけではない上司と顔を合わせるとひどく嫌な気がした。

 実はこういうことが現実に生じている人々がたくさんいるということを改めて思った。嫌でもなんでも今は耐えるとき、かと思う。自分にこれといった能力や才能がないサラリーマンは今や日々恐怖にさらされている。

 反面、イラク派遣の候補になっている北海道の自衛隊員の中には給与が増えるからと言って喜んでいる人もいるということを当の自衛隊員の親戚筋の友人から聞いた。たぶん、日本の国会議員の師弟に自衛隊員として派遣される人はいないはずだ。ちなみにアメリカ上下院議員の息子で兵役についているのは1人だけだという。一般のアメリカ人はなんて馬鹿なんだろうかと思わざるをえない。そういう輩が今の事態をひきおこす意志決定をしてるのだ。日本だっておなじだ。小泉の息子がイラクに行かなければならない立場だったら本当に派遣の決定をすると思う? なんでそういう奴のいいなりに日本人はなるのだろう? 見くびられているのをちゃんと意識すべきときだ。

 

【03.12.20】

●山は雪

 山に行かない土日を久しぶりに過ごす。気になって山の天候や様子を何度も見る。家の管理をお願いしている会社が定点カメラを設置して駅前から見た山の様子と駅前の様子を常時サイトに反映してくれている。画像では山は当然雪雲が覆い尽くして見えないが今年の正月スコップで車の駐車場所を作ってそこから歩いて登った駐車場の画像では雪がはっきりわかる。ちょっと新しいYATSUGATAKE EXPRESSのAWDとピレリのSUV用スノータイヤの威力を試してみたかった気がしなくもないが、危ういことに頭から突っ込んでいく体力も気力も今は欠けている。冬本番はこれからだからいくらでも辛い目にあえるだろう。

 そうこういっているうちにクリスマスがやってくる。サンタはさぞ苦労して最後の買い出しにかけずり回っていることだろう。

 

【03.12.25】

●分裂と再生

 家族全員が揃わず、夕方M乃を叱り、ケーキも買わず、サンタクロースは真夜中にプレゼントを枕元へ置くのを忘れて寝込んでしまう。そそくさと鳥のもも肉を形どおり食べ終わり、何のあいさつもなくそれぞれの部屋へ閉じこもる。友だちの家で鍋バーティに出かけたA乃は午前様で帰宅。私の携帯電話に着信記録があるけれど全然気づかずに寝てしまった。クリスマス自体に意義を感じているわけではないけれどこれが我が家の今年のクリスマス・イヴの実体であった。

 今夜はY乃の高校時代最後のヴァイオリンの発表会。音大受験の課題曲であるラロ「スペイン交響曲」を弾く。数年前まではミスをしないようにと本人も聴く側の私たちも緊張していたけれど、ここへきて多少小さなキズはあってもそれを良しとするくらいの「演奏」を聴かせてくれるようになっている。しかし、夕べ、FERMATAと二人、ダラダラと飲み続けながら、二階から聞こえてきたラロはアーティキュレーションが不明瞭でつまらない音の連続だった。よせばいいのに酔った勢いで、練習を終えて下りてきたY乃にそのことをいうと実に不機嫌極まりない態度で黙って出ていった。

 剣道部を辞めてバドミントン部に入り直したM乃は一昨日私が仕事でいなかったからだと思うが先輩の試合の応援だといってマスカラを塗って出かけたという。「おまえはマスカラ部へ入ったのか」と叱りつけると悔し涙を流しながら子ども部屋に閉じこもった。

 家族とのイヴよりも友だちらとの鍋パーティを選んだA乃はやけ酒になりかけていた私たちのもとへ酔っぱらった声で「今夜は○○の家に泊まってくる」と電話をしてきた。「おとうさんに替わるから」とFERMATAが受話器を渡してきた。当然のことながら約束とは違うからダメだといい、タクシーでも何でもいいから今夜中に帰ってこい、と怒鳴った。うしろのほうで「あやの、むりだよ〜」という女の子たちの声がした。

 今朝は二日酔いではないが頭が痛い。幸い先月の休日出勤分の代休がとれていたから仕事には出ないで済むが気分は今ひとつのらない。家族という細胞が分裂し、新たな細胞として再生していく過程で感じる痛みのような気がする。来年は上手くいけばY乃も大学生になり、いよいよ分裂は加速するだろう。今から心配しても仕方のないことで、彼女らの親や家族からの離脱を前に私たちのほうから離脱したい。早く子らを含めた人のことを気にして暮らす人生から降りたいと思う。親のエゴだと十分承知しつつそのエゴから逃れられないのなら、エゴを人に向けずに済む、自分の生活に浸りきりたい。

 大晦日に仕事が入っているので一度山から通勤するから、そのとき、新年バージョンに切り替えようと思っているが、2003年のモノローグはおそらく今日が最後で、明日の晩、仕事を終えたらすぐに山に向かう。

●ラロ「スペイン交響曲」

 Y乃のラロは明らかに夕べ私が聴いたラロとは違って気合いが入っていた。かなり激しい演奏でもう少し余裕というか情感をこめるべきところで歌ってほしかった。それよりも「演奏中立ち入らないでください」と入口に閉鎖の看板がたっているのに無神経に騒ぎ立てる子どもを連れた母親二人が演奏の途中で入ってきた。子どもらは声を上げるし、足を踏みならすし… 子どもはともかく入るなと書かれてある(書かれてなくても入ってはいけないのが常識だが)のにずかずか入ってくる神経がわからない。演奏の集中力がそのへんから欠けていった気がしたが本人は気づかなかったという。聴き手である私のほうの集中力がきれたのかもしれない。

 

 

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