Monologue 2004.01-06
【04.01.01】

●半世紀の人生

 今年人生50年を迎える。総括するにはまだ早すぎると思うがここまでの足取りを思い起こすと平均的に生きることができたとしてももう大した時間は残っていない。政治や地球が抱える問題にコミットするには小さな存在過ぎるし、もとよりそんな気も失せてきた。自分のまわりに山積する問題をかたづけるのに腐心することで余命を食いつぶしていきそうだ。そうならないために今後すべきこと、ぜひともしておいたほうがいいこと、できればしておいたほうがいいこと、ほうっておくこと、絶対にしないことをきちんと整理しておこうと思う。何ごとも予定どおりにいかないことはわかっているがかといって漫然と行き当たりばったりの人生にする気はない。30歳過ぎるまで仕事もせずに好き勝手に生きてきた人生のツケを律儀に返していくことはもうできそうにない。自分がめざすものが遠のいてはじめて見えてきた人間の「生きること=死ぬこと」の意味をこれからもとことんつきつめて見ていくしかないと思う。

 年初からこんな重たい書き出しでまた心配される定期購読者の方がおられると思う。死ぬなんて縁起でもない!と怒られるかもしれない。さし迫った具体的な状況にあってこんなことを書いているわけでもないし「老人性うつ病」でもない。今日産まれた子だってあっという間に50になってまもなく死んでいくわけで世界一の長寿の人はまちがいなく近い将来死ぬのである。ダンブルドアだって本や映画の中では500何歳だったか600何歳だったかだけれど、現実には次回作では別の人が代役をするしかないのだ。ましてマグルの私たちは。

 思考停止の状態に陥っている世の中のあまたの人々はともかくも私たちは自らをとりまく現実を見つめ、自らの内側にある思考エンジンをドライブしつづけなくてはいけないと思うのだ。それすら死の前には無力なのかもしれないが。

 世の中が浮かれるほどに正月って本当にめでたいのだろうか? つねに戦場をかかえた地球に平和なんてそもそもあるのだろうか? 汚染されつづける地球も人のこころも再生の道はあるのだろうか? それよりなにより私は自分の人生を生きているといえるのだろうか?

【04.01.04】

●2004年の初日の出

 
2004.1.1 7:09(ぴょ撮影)

 年末年始の休みが終わる。暮れに降った二度の雪もほぼ消えて厳しい寒さがすこしゆるんだ。去年は雪の中での動きがとれない正月だったが今回はすべて快晴で周囲の山々を眺め続けて過ごした。標高1249mの冬は日中もほぼ氷点下で、最低気温は氷点下15℃以下になる。老犬のせいか、PAUでさえストーヴの前から動こうとしなくなる。猫のトラはストーヴの裏側の煉瓦の上にしっかり自分の居場所を決めて動かない。ロフトは暑すぎて天窓を開け放している。去年の春から乾かしていた薪はほとんど使った。大晦日は出勤で、帰宅すると子らが懐中電灯と一緒になったラジオで紅白を聴いていて第九を聴けなかったから、年が明けてから毎日サイモン・ラトルの第九を聴いて過ごす。フルトヴェングラーの呪縛から解き放たれそうなさわやかでチャーミングな第九だった。ハイフェッツが一番良いと思いこんでいたシベリウスも諏訪内晶子を聴き続けるうちに諏訪内の魅力に引き込まれた。当然生で聴かせてくれるY乃のシベリウスも良かった。読もうと思って持っていった宮台真司はやめて、久しぶりの大江健三郎を懐かしい思いで読んだ。

 昨日まで続いた帰省ラッシュが嘘のように今日はがらがらの中央道だった。明日から始まる食うための仕事が嫌でたまらない。ずっと山で本を読んだりCDを聴いていたりしていたかった。

 

【04.01.06】

●The Worm Cafe の年末年始

 屋外ミミズコンポストが越冬出来るか、今年の冬一番の課題であるが年末年始期間中の状態は標高1249mの山の上ということを考えると快調といえるのではないかと思う。凍てつく寒さの中で暮らすミミズたちに対する愛着は変わっていないがこれだけ長く滞在すると出るゴミの量も半端ではなく、ちょっと入れ過ぎかと思いもしたが背に腹はかえられずゴミ捨て場として重宝した。

 何度も書いたけれどミミズを使って生ゴミ処理をさせるこの方法は他のコンポストやゴミバケツと違って悪臭をたてることもなく、出てくる糞は二次処理の必要もなくそのまま堆肥として使える優れものである。糞といってもミミズの消化器官を通過した黒い普通の土と同じで、ミミズが棲息する地球の表土のほとんどはミミズの糞だと思ってもいい。庭先で見かける太い土ミミズはゴミは食べないが土中のバクテリアなどを土ごと食べ、植物などが生育するのに必要な養分を加えて再び地球に返してくれている。地球を耕しもしてくれている。

 生ゴミをかたづけてくれるミミズはシマミミズといってマッチ棒くらいの大きさのやや赤みを帯び体に縞のある(縞はよく見ないとわからないが)可愛いミミズである。ナメクジとは違って触ってもベタベタするわけではないし、噛みついたりもしない。鳴くという人もいてミミズコンポストにマイクを置いて調査している人もいるが私は残念ながらミミズの声を聞いたことがない。だからうるさくもない。面倒なことは何もないし、世話を始終していないと死んでしまうということもない。地球にやさしく、人間にとっては便利な生き物である。自然のなかで生活する(都会という元自然でも同じ)人間が自然の与えてくれた恩恵に与って彼らと共生する喜びは正しい喜びのあり方だと思う。電気や石油やそういった限りがあり、なおかつ、自然にやさしくない方法でゴミを処理する(ゴミ収集車に持っていってもらうのも結局はそういうことである)ことへの疑問を感じておられる人は試してごらんになるといいと思う。

 ただひとつお断りしておかなければならないこと。それは何でもかんでも大量にゴミを出す生活を維持し、それを迅速に処理してくれる機械ではないということ。ミミズは他の微生物などが時間をかけて分解したゴミをのんびりと晩酌をちびちびやるように(いやもっと遅いです)ゴミを処理するということ。スイッチを強にすると時間が短縮できるようなものでなく、あくまで生き物としてのミミズにとって快適なペースでお食事をしているということ。それを忘れるとミミズは不幸になり、このシステム自体がたちいかなくなるということ。つまり人間の側の身勝手は自然に通用しないということをまず念頭において始めないと期待はずれになる。しかしそれがゴミを少量化させるために食べるものを選び、無駄をなくしていくという、大量消費、大量投棄に慣れ親しんできたこれまでのライフスタイルとは別の生き方を教えてくれるはず。

 厳冬の山のミミズ小屋で今も私の愛する「林太郎くん」たちはせっせと働いてくれているに違いない。

●30年前の辞書 

 30年前の三省堂「コンサイス英和辞典」〔小型版〕が今私の手元にある。一昨日、義弟から渡されたもの。何年か前に義弟の奥さんからFERMATAに「お兄さんから辞書をもらったことがないですか」と含み笑いを含んだ声で電話がかかってきたその辞書である。私にもFERMATAにも記憶がないのだけれど、私がまだ結婚前のFERMATAにあげた辞書で奥付に私の印が押してあり、裏表紙に贈呈の宛名と私の名前が当時の私の字で英語で書かれいる。その献辞にあたる部分が義弟夫婦には他人事ながら恥ずかしくなるような言葉だったことが含み笑いの原因である。FERMATAと私は高校時代の同級生だし、私は自分の買った本にはいろんな言葉を書きつける方だし、あまり気にならない。またFERMATAは当時私とつきあっていたがそれほどの気もなかったのか、もらったきり放置していたようでそれをその後高校生か大学生になっていた義弟が使っていたらしいのだが、そこに書かれた私の文字を当の義弟の奥さんが見つけ、夫婦して笑ったらしい。失礼といえば失礼な話だが身内の恋愛関係をのぞき見したような後ろめたい、けれどもその幼稚な英文に思わず笑ってしまったのだろうことは理解できる。いま、その文字を書いた気持ちが残っているかと言えば半々である。でも、別に私は恥ずかしくもないし、当時の私の気持ちとして嘘はなかったはずだから誇らしくもある。うちの子らに誰か使う者はいないかとたずねたがだれも照れくさがっていらないと答えた。

 どこかに自分がいなくなったあとの世界で私の読んだ本に書き込まれた文字を読んでいる私の血を受け継いだ誰かの姿をみるような気がする。そのとき数十年前もしくはもっと前に先祖の誰々が書いた文字を見てどう思うか、確かに恥ずかしいような若書きといえる思いつきの感想などもあるだろう。でも、書き込みのある当の本が火にくべられようと読まれようともはや私の世界ではない世界の出来事だ。そう思うと30年前に私が家内になることになる女性にあげた本に書かれた一言がとても今は懐かしく、当時の自分が愛おしい。

 

【04.01.17】

●チェーン規制

 2週間ぶりの山行きを予定していたが義父の退院等々でだめになった。おかげさまで肺炎で一時は40℃近い熱が出ていた義父も半月ぶりに退院できた。しかし、1週間位遅れてぜん息で入院した義母はまだ病院で、これから病院と実家の二重介護(病院の方は完全看護だが)が必要になる。元気になったといっても84歳になる病み上がりの老人をひとりにしておくわけにもいかず今夜はFERMATAが実家に泊まる。

 山行きの方は、今日同僚のお父様の告別式が甲府であり、いつものように山に行っていれば当然私が職場を代表して行くのが近くてよいのだが上のような事情で行けず、また、中央道はいつものとおり上野原からさきが雪のためチェーン規制も行われている様子。相模湖から上野原までのほんのわずかな距離が真っ赤に渋滞している。高速はスタッドレスだし四駆だからよいとして、整備されていない山小屋付近の山道はたぶん我がYATSUGATAKE EXPRESSでも上れないくらい雪が積もっているだろう(画像は昨年の冬の様子)。そして今日はセンター入試。うちの子らは頭が良くないから関係ないが雪の影響が出ているところもあったようだ。共通一次と言われたころからよくこの日には大雪になった。今東京でも小雪が舞っている。今夜は東京も多少積もるかもしれない。

●陳さんのヴァイオリン

 Y乃が陳昌鉉さんの工房へ行った。Y乃は生きている世界が極端に狭い子なので京王線に乗るところから説明したとおりにできず、仙川駅で降りることにも失敗し、それでも奥さまに迎えに来ていただいて何とか行けた。今使っているヴァイオリンと弓の調整をしてもらい、陳さんの楽器をかなり試奏させてもらったとのこと。ちょうど私の父と同じくらいのお歳なのでY乃は孫くらい。いろんなことを教えてもらい、『海峡を渡るバイオリン』にサインしてもらって帰ってきた。これまでのヴァイオリンはいうまでもなくものすごく良く鳴るようになった。それでも陳さんのストラディバリウス型(もう一本グァルネリ型も弾いたそうだが)が気に入って欲しくてたまらないようだった。何とかならないかと貯金通帳を眺めたり、教育ローンの申込書を眺めたりしながら悩んでいる(Y乃ではなくて私が)。車を買っていなければ簡単に買ってあげられる金額なのだが… ボルボじゃなくてスズキの4駆の軽トラか何かの方が似合う山なのでそうしておけばよかったのだがと心にもないことを思っている。

 

【04.01.18】

●ミミズの鳴き声

 1月6日のMonologueにミミズの鳴き声について書いたが、昨日書いた『海峡を渡るバイオリン』の陳昌鉉さんもミミズの鳴き声を聞いたことがあると書かれている。たぶん陳さんが聞かれたのは土ミミズの声だと思うがそれはストラディヴァリウスの最弱音の音と同じだという。諏訪内晶子のシベリウスの冒頭の聞こえるか聞こえないかというくらいの最弱音を聴きながら、まだ聞いたことがないミミズの声を思い浮かべる。ハイフェッツ、諏訪内、アンネ=ゾフィー・ムターのシベリウスを何度も聴き比べながら雪の下で暮らしているミミズたちの歌を聴きたくなった。

 

【04.01.22】

●ヴェンゲーロフ/サン・サーンス

 ヴェンゲーロフのサン・サーンス「ヴァイオリン協奏曲第3番ロ短調」の第三楽章にはまっている。ヴェンゲーロフの実力は言うまでもないのだがサン・サーンスのヴァイオリン協奏曲第3番がいい。とくに第三楽章がしびれるほどいい。体も精神的にも疲れ切っているときに力が湧き出してくる。毎朝コンビニエンス・ストアに立ち寄って飲んでいる栄養ドリンク並みに効く。使われている楽器はアントニオ・ストラディヴァリウスの‘クロイツェル’(1727年製)。とにかく納得がいくまでテイクを繰り返すヴェンゲーロフは何回この曲を弾き直したんだろうか。山の再生機で大音量で聴いたら疲れなんてすぐに吹き飛ぶだろうに今週も行けない。

 

【04.02.01】

●何をするわけでもないのに

 山の空気をすうだけのために片道2時間以上かけて車を飛ばす。もうすでに何十回も往復しているから中央道のカーブや上り下りで山が近づくのがわかる。新しい管理会社が頑張って除雪してくれた道はすでにアイスバーンになっていてさすがのAWDもときおり腰を振りかけるがすぐに体勢を立て直す。

 なぜか日があたる場所なのにアスファルトで出来た林道は雪だらけで、山道に入るととけるべき場所はとけている。南アルプスも八ヶ岳も雪の襞をはっきりと見せて私たちを見おろしている。夜は星だらけの空に半月が煌々と光っている。

 金曜の晩、ついてすぐに氷点下の庭に出て通水作業をしていると家の中から「ギャー!」というFERMATAの叫び声がした。ストーヴに薪を入れようと蓋を開けたら灰が舞い散り、凍り付くように冷たい鉄の箱の中に首の周りとおなかの部分に朱色の毛が生えたヤマガラが静かに死んでいた。灰が舞い散ったのは煙突から落ちて逃げようともがき、残っていた灰を炉の壁いっぱいに蹴散らしていたからで、ヤマガラが倒れていた灰の落ちる鉄の桟の上だけがきれいに灰がなかった。「何とかしてよぉ」と哀願されたが実は私も死んだ鳥を取り除くなんて勇敢さは持ち合わせていない。「その辺の新聞紙を広げて見ないようにしながらつかんで明日埋めてやればいい…」と遠くから素晴らしいアイデアを彼女に与え、通水作業を続けた。結局私は鳥の姿を見ていないので、ヤマガラだとわかったのは翌日町の本屋で野鳥図鑑を見てFERMATAが判断したのだ。図鑑によれば「ツツピー、ツツピー」と高い木の梢で鳴くとあったが、FERMATA曰く「この辺のヤマガラはツピー、ツピーと鳴く」とのこと。商売柄、けっこうちゃんと観察しているな、と感心した。

 結局2日間はあっという間に過ぎ、ほとんど昼寝をしたり、CDを聴いたり、本を読んだりして、つまりいつもの山の生活と全く同じように過ごして終わってしまった。

 

【04.02.07】

●FERMATAの誕生日

 FERMATAが骨髄移植可能年齢の最後の1年を迎えた。私はあと3ヶ月弱。10年くらい前にドナー登録をしたのだがそのころはすぐにでも提供の機会が来ると思っていたんだけどとうとう1回もその機会がなくおわりそう(まだわからないけれど…)。

 誕生日らしいことは何もしてやれなかった。土曜日なのに私が出勤だったし、プレゼントも買ってやっていない。去年は山で大喧嘩したし… 今年は「去年のような一日にしないでね」というメールを仕事中にもらった。それだけは守ったけれど。何かを買ってやることもめんどくさいし、たいして欲しがらないから結婚する前の写真を掲げてあげよう。ほぼ四半世紀前の、二人ともまだ25歳のころの写真。私はすっかり面変わりしてしまっているけれど、FERMATAはあんまり変わってないな。FERMATAが私を見て言う口癖… 時の流れって残酷よねえ… 失礼だ!


1979年7月 北アルプス蝶ヶ岳山頂にて

空欄

【04.02.11】

●骨髄移植可能年齢の訂正ほか

 骨髄移植可能年齢についてとても大きな勘違いをしていた。登録は年齢的には「20歳以上50歳以下」で、「提供に向けてのコーディネート期間中に51歳の誕生日を迎えられた場合、コーディネート終了まで手続きは続行され」るとのこと。つまり私の場合、再来年の誕生日までに被提供者があらわれて、(当然私自身の健康状態も大事な要素になるが)提供に向けてコーディネートが始まれば提供は可能ということになる。まだまだ私と同じHLA型の患者さんを救えるかもしれない。

「日本で骨髄移植を必要とする患者さんは毎年少なくとも2000人以上。ドナー候補者が見つからない患者さんが約2割にものぼ」るそうだ。たしかにドナーになるというのは献血のように簡単な提供ではないし、それなりの覚悟がいる行為だと思う。しかし、ドナーになられた私の敬愛するご夫妻の奥さまの提供後のさわやかな笑顔が今も忘れられない。その方の腰に開いたキズ(小さな穴だった)も失礼ながら見せていただいた。

 反対に、ドナーが見つからずに30歳の誕生日に死んでいった甥の最期も見た。死の少し前の大晦日私は彼の看護のために病院に詰めていた。大柄だった彼がひどく華奢に見えた。抗ガン剤のため髪の毛がほとんどなくなっていた。雪が降り出しそうな夜空の下、革靴にダッフルコートを着たまま、20Km近く離れた病院から家まで小走りで帰った。ちくしょう、ちくしょう、と心の中でつぶやいていた。

 人にドナーになってくださいと勧める気はない。そんなこと自分で決めることだから。だけどすぐ近くにHLAが合致する人がいてだれもそれに気づかずにみすみすひとりの人間が死を迎えることになるということがたくさん起こっているような気がしてならない。だから書き残したいのだ。

 

【04.02.15】

●落ち着かなさ

 金曜の晩に家を出て、土曜日丸一日過ごし、日曜日に帰ってくるという山の生活になぜか飽き足りなくなってきた。このままずっと山で過ごしていたいという思いが逆に日曜日の過ごし方を落ち着かないものにしている。性格的なものもあるのだろうと思うけれど旅行をしていても帰国の前日あたりから落ち着かなくなり、帰る日は朝からもう集中できなくなる。それが山のたった一日半の生活で始まるともうこれは苦痛でしかない。

 一昨日の晩も山小屋に着いたころから舞いだした小雪が朝には庭を白くしたが、夕べも日が落ちると雪が舞い始め、夜半にはかなり強い風も吹き、降っている雪か、積もった雪が舞いあがっているのかわからないが窓の外は吹雪のようになった。朝起きるときれいな日の出をみることができたが午前中雪が降ったり止んだりの天気だった。Y乃の受験が今週から始まる(なんと5日間)ということもあったがそれよりもなによりも今日は帰らなければならない日と思うと朝から落ち着かず、ぼんやりと過ごすことができなくなる。つまらない性格だとつくづく思うが仕方ない。

●Husqvarnaのチェーンソー

 家に帰るとHusqvarnaのチェーンソーが届いていた。組み立てられ、テストを済ませた状態で送られてきた朱色のチェーンソーから油の匂いが広がった。何十万もするHusqvarnaのプロ用チェーンソーがある中で数万の一番小さいもの。それでも嬉しくてたまらない。どうして男というのはこういう工具とか機械とかが好きなんだろう。たぶん私くらいの使い方しかしない者にとってはリョウビだってマキタだって同じなんだろうに。つまらないこだわりだなと思うものの、こだわらないでいられないところが遊びの域をこえていない証拠なんだろうと思う。そういう自分が嫌でないのがこれまた問題でもあるのだが… 

 

【04.02.29】

●春近し

 山の天候はいつだって気まぐれで晴れていたかと思うと雨が降り出し、霧が出て、その霧が風に吹き飛ばされて小雪が舞い出す、なんてざらなんだけれど、一昨日の晩は半月で明るい空にも関わらず満天の星。「全部オリオン座にみえる」というぴょっちのことばどおり星座が判然としないほどの星の数。着いた晩の外気温は氷点下6℃とさほど寒くない。山に上る道の途中で鹿の群と出会い、道路を最後の一頭が渡るまで待って、懐中電灯を取り出して群の移動した方向をみると、全員がこっちをじっとみていた。かなり長い時間眺めていたけれど向こうも動ぜずこっちを見つづけていた。

 昨日は晴れて暖かで買い物にでた町ではまるで春の陽気だった(明け方は氷点下10℃だったが)。A乃にデジカメを持たせてしまったので画が撮れず、仕方なく(本当は買ってやりたくて)、Y乃にデジカメ付き携帯を買ってやった。うれしくてたまらない様子が明らかでそれがこっちもうれしかった。でも彼女がちゃんと読んでいることを知っている私の日記帳にはそれでも茶ぱつはいやだと明記しておいた。

 今朝は二度寝(最初は3時頃目が覚めて本を読み出した)して、7時過ぎに起きるとあたり一面真っ白で、かなり本格的な雪が降り続いていた。PAUは大喜びで庭駆け回り、トラはストーヴの前で丸くなっていた。しかしこの雪もやんで雨が降り出し、昼過ぎには止み、すぐに消えた。帰宅の準備をして山を下り出すともう春の陽気で、かすんだ富士を見ながら中央道を飛ばした。受験の緊張感を解き放たれたY乃のヴァイオリンを聴き、寝たり起きたりしながら本を読み、うまい酒を飲み、冷涼な空気を吸いながら過ごした二日間はあっという間にすぎた。

 掲示板も気になっていて図書館へPCを使いに行くと、図書整理(棚卸しみたいなものか)のため来月はじめまで休館で使えなかった。携帯でも書けたのだけれど、ついついのんびりしてしまった。明後日(3/2)はY乃の中高の卒業式。そして午後は入試の発表。当然、年次休暇は出してある。発表はひとりで見に行くというY乃。馬鹿言え!という父。いずれにしても春近し。

 

【04.03.21】

●近況

 3週間ぶりの更新。いろいろあったけれど、掲示板にほぼ書いてきたことばかり。

 まずY乃が無事大学に合格した。うかって当たり前と思っていたけれど、本人が直前に弱気になったりしたのでちょっと心配した。友だちになった鹿児島から受験しに来ていたお嬢さんの持っていたヴァイオリンが600万円と聞いてぞっとした。値段もともかく管理が大変だろうなと思う。上をみたらキリがないけれど、うちじゃ買ってやれそうにない。ちなみに発表の2日後茶色い頭になった。

 先々週の金曜日、山に行くつもりでFERMATAと待ち合わせていると実家の母の様子がおかしいと連絡がありその夜急遽入院。今も2週間以上になるが病院に入っている。あそこが良くなるとこんどはこっち、という感じで、あらゆる類の症状が出てきている。うちからはY乃とA乃が交代で病院につき、実家の弟妹たちやその家族も交代してきている。幸いなことに父親は今のところ元気だが、一人暮らしをさせるのが心配だというのでこちらにM乃がほぼずっと詰めている。おそらくはどこの家もそうだろうがまわりの者に疲れが出始めている。

 そのA乃がフィリピンでのボランティア活動から戻り、バイトやら教習所(まだ終わっていないのだ!)やらの合間に看病に加わっている。帰ってきた当初はちょっと痩せて、色も黒くなって、凛々しく感じたが、あっという間にもとに戻った。

 私たち夫婦はといえば年度末の一番忙しい時期を迎え、平日は仕事で遅くなり、休日は病院へ行ったり、実家へ食事作りにいったりと動き続けた。こういう状況は予測できたことでもあるし、また、今後画期的に快方へ向かうことはもはやありえない。だからこそみんな精神的に参ってくるのだし、気もたってくる。みんな今を切り抜けようと躍起になっているがこういうときこそ全力投球していたらだめなのだ。自分たちが全力投球してしまうと、ほかの家もそれなりにがんばっているのに誰々のところはあまり手伝いにこない、などと不平の声が聞こえ出す。外野の立場でずっと前から心配していた一番悪い状況、つまり介護する側の仲間割れが始まる。私の目からすれば、どこの家もそれぞれの状況のなかでそれなりにがんばっていると思うのだが、いったん不満を抱いた家から「病院へいって面倒をみる順番をきちんと決めよう!」などという声が出てくる。こうして自分たちの手足をがんじがらめにして行う介護のあり方は間違っている、と思うのだが、私がそれを声高に言えば「兄さんはしょせん他人だから」ということになる。しょせん他人だから冷静に状況を分析して、病院に任せるべきところは任せ、退院後の生活基盤を考え直す必要があるのじゃないか、と思うのだが、現状を切り抜けることにいっぱいいっぱいで身動きがとれない状態だ。本当は退院したあとの老人ふたりの生活をどうするか、なのだ。当の老人たちがこれが結構わがままで、これまでの生活環境でこれまでどおりに送ろうと思っているふしがある。バリアフリーとはほど遠い古い家の問題。売り払ってしまって誰かのところへ同居するとか、介護つきのマンションに入るとか、問題はそういう方向へ進みつつあるのに本人たちは新しい生活への転進をかたくなに拒み続ける。

 煮詰まった状態から逃げ出して、周囲の不平不満、やっかみ等々を覚悟の上で山へ行く。うちは娘らを供出しているのだから、ま、いいか、といういい加減な態度でこの問題に8分目の力を注ぐ。往復300Kmの道のりを飛ばして山の空気にふれてきた。生きるということも死ぬということも容易なことじゃない、と思いつつ…

 

【04.03.27】

●Y乃ジュニアオーケストラ最後の定期演奏会

 明日、高1のときに入団した練馬区ジュニアオーケストラの第19回定期演奏会が練馬文化センター大ホールで行われる。中3のおわりごろ区報にのっていた団員募集のオーディションに自分で応募し、入ってしまった。こういうときの行動力はあり、思い立つとすぐに電話をかけ、動き出す。私に似ているのかもしれない。初めから1stヴァイオリンを弾いていたが昨年の演奏会からコンサートマスターをしている。今回はジュニオケ卒業のため、最後の演奏会になる。演目は

  1. 歌劇「ルスランとリュドミラ」序曲(グリンカ)
  2. ワルツ「美しき青きドナウ」(J.シュトラウス)
  3. 花(滝廉太郎)
  4. バレエ音楽「白鳥の湖」(チャイコフスキー)
  5. 行進曲「威風堂々」(エルガー)

 2、5などウィーンフィルのニューイヤーコンサートでお馴染みの曲だが、「威風堂々」とその後のアンコールピース(毎日練習しているのを聴いているからわかっちゃってるんですよね、これが… ここには書かないけれどやっぱりニューイヤーでお馴染みの曲)で手拍子を入れてやろうかな。その他に、開演前に弦3人でロビーコンサートを行い、簡単な室内楽を演奏する。まあ、90名の団員には去年の春入ったばかりの子もいるし、やはり管が(とくに何がとは差し障りがあるから書けないが)弱い。それでもこれは楽器をやったことのある人ならわかるのだがみんなで合わせる快感を覚えるとそれはもうぞくっとするほど楽しい。特に室内楽のように小さな編成だとみんなの息づかいが伝わり合って楽しい。このオケにお世話になったことがY乃の腕前にプラスになったとは思えないが楽しく音楽をする喜びはたくさんいただいたことだろう。

 ほかにも「エミール」という小さなオーケストラ(これは大人も学生もいる楽団)に参加しているが大学に入ってうまい人を見つけて弦楽四重奏などをするといいと思っている。

 

【04.03.29】

●練馬区ジュニアオーケストラ定期演奏会を終えて

 Y乃にとっては卒団演奏会だった練馬区ジュニアオーケストラの定期演奏会は無事終わった。小学4年生から高3まで100名近い子どもたちの、それも週1回の練習しかできないオーケストラの演奏としては上出来だった。後ろの席で義母の病院から自転車で駆けつけてくれた義父が「美しき青きドナウ」の最中に「ウィーンのワルツじゃないなあ」とつぶやくの聞こえたが、当然である。ウィーンフィルの演奏を聴きに来ているわけじゃあるまいし、あのウィーンの三拍子は江戸っ子が「朝日」を「あさし」としか言えないようにウィーン子しか出せないリズムだから無い物ねだりとしかいいようがない。
 最後の「威風堂々」の演奏を終えたあと、指揮をしてくださった木村圭二先生がY乃に指揮棒をくださった。そして、ドラムロールが鳴り響いたあとY乃の合図でアンコールピースの「ラデツキー行進曲」が始まった。私が手拍子を入れるまでもなく、会場から手拍子が入る。いつでも、プログラムを全て終えた後のアンコールピースは団員も聴き手も安心して楽しく過ごすことができる。ラデツキーが流れ出すと自然と手拍子を入れることができる聴衆の成熟はマエストロ小澤のお陰かもしれない。とにかく、気持ちよく演奏会がしめくくられた。人前で演奏を聴かせるような代物ではなかったかもしれないがとにかく彼ら彼女らは一生懸命演奏したからそれでよいのだ。
 ちなみに開演前にロビーで行われたヴァイオリン3本だけのハイドンやモーツァルトなどの室内楽の小品も息が合っていてよかった。

●24回目の結婚記念日

 今日は24回目の結婚記念日。てっきり私は25回目銀婚式だと思っていたのだが銀婚式は来年だった。銀婚式だから休む、と職場に年次休暇を出してきたのだがそれはそれでま、いいか。
 今日はまたM乃が実家に泊まり込みに行かなければならないため、昨日の演奏会を終えたあと、家族(四女ぴょと私の母)で近くのお蕎麦屋さん「宗」を予約しておいたので、Y乃の打ち上げと、結婚記念日を祝う会をした。娘ら(ぴょを含む)から山で使う陶器でできた「森の時計」といまだに煙草を吸い続ける私に「森の灰皿」をもらった。次にいつ行けるかあてがつかない状況なのだが今度山へ持っていこうと思う。
 ところが私は演奏会が終わったころから、一昨日金をけちって自分で行ったタイヤ交換のためと思われる腰痛が出始め、夜、終バスで帰るぴょをバス停までやっと送った状態で、鎮痛剤入りの軟膏をたっぷり塗って寝たけれどまだ痛くて、おじいさんみたいな腰を曲げた状態で歩いている。今日はFERMATAの転勤のための荷物運びを車でしてやることにしているのだがなんとかしなくては。

 

【04.04.03】

●春爛漫

 山には行けなかったけれど、そしてFERMATAは母親の病院に昼の間ついて、夜は実家に泊まって父親の面倒を見るために留守だったけれど、そのかわり、のののたち全員が揃い、4人で夕食をした。私は久しぶりの娘たちとの団らんがうれしくてたまらなかった。娘3人と笑いあっていると春爛漫という感じだった。始まったばかりの新体制での仕事でよれよれになった心と体から悪い膿が流れ出して、みんなで子どものころのように言葉あそびのゲームをしたり、話したいことがあっていっぱいのM乃のおしゃべりを聞いたりして短い夜を過ごした。

 義母の状況はちっともよくなっておらず、もう周囲の人間はいっぱいいっぱいになっている。FERMATAの兄弟姉妹にしてみれば、元気だった頃の母親の姿を今も求めたくて、それがかなわない事実を冷静に受けとめることができず、表面上はともかくも内面のストレスと疲れにもっていきどころのない悲しみが加わって、もうみんないっぱいいっぱいになってきている。一番冷静で事態を見ているのがFERMATAのように見える。やっぱり彼女は強い人だ。でも転勤したばかりだし、内面はそれなりに煮詰まっちゃいるのだろう。

 人間の寿命が少しずつ伸びて、今の平均寿命が幾つかはしらないが、病院の待合室には老齢者でいっぱいだ。医学の発達で高齢化が進んだといっても、それは死なせないでおくことができるようになっただけで、やっぱり人間は徐々に壊れていく。自然の中の生き物が季節の変化にあわせて生き死にを繰り返すのを見ていると、壊れだしてきた人間を無理に生かすことが本当に幸せなことかどうか考えてしまう。かつてのような家長制大家族の時代には気づかなかった核家族時代の悲劇が始まっている。夫婦単位の核家族から子どもたちが分裂してそれぞれの核家族をつくり、親の核はもとの夫婦の単位にもどる。幸福な人たちも不幸な人たちもありうるとは思うけれど、いずれにせよ2度目の蜜月は1度目の蜜月期同様あまり長くは続かず、今度は老いとの闘いが忍び寄ってくる。そのころ自分たちが巣立ったそれぞれの核はもう末期を迎え始め、親子三代の別々の核が本来最初から覚悟しておかなければならなかったのにそれを忘れてきたツケをいちどきに払わなくてはならなくなる。

 最近の自然は人間の所業のためにあちこちに亀裂を生じさせはじめてはいるけれど、それでもちゃんと春は巡ってくるし季節は変わっていく。

 

【04.04.19】

●森の時間

 春の訪れは山に向かう途中のそこかしこに明らかで、村の農家の庭先には巨大な鯉のぼりが風にそよいでいたりしてもう春の次の季節へ向けて時が刻まれつつあるのすら感じる。ところが駅を越えて八ヶ岳の山裾のALT1249へ近づいていくと色彩がどんどん失われ、山小屋のあたりはまだまだ春と呼ぶには寂しい光景。それでもよく目を凝らせばカラ松の高い梢にはわずかに黄緑の葉がつきはじめているし、夜になればたくさんの蛾が明かりを目指して飛び交っている。タラの芽もまだ収穫には早いけれど小さな頭をつけている。雑草の先に数ミリの小さな黄色い花が咲いていたりもする。
 100mほど下ったご近所の庭先には雉の夫婦が枯れ草の中に首をつっこんで何かをついばんでいる。前にも書いたけれど2泊1.5日の短い時間ではほとんど何もまとまったことはできず、ただ時が通りすぎていくのをぼんやりと過ごしてしまうだけ。草花の種は冬の間にたくさん買ってあり、春になったら植えようと思っていたけれど、時間はあっても心が落ちつかずにそれもせずに山から帰ってきてしまった。そのかわりたくさん音楽を聴き、遊びに来てくれたうちの長女よりほんの少し年上のFERMATAの元同僚の女の子とたくさん話をする。

 こうして過ぎていく森の時間を記録する「森の時計」を壁に掛けた。子らが私たちの結婚記念日に買ってくれた陶器のかわいい時計。時間を気にしないで過ごすために時計をあえておかなかったのだけれど、これまでだって腕時計の示す時間にいつも目をやっていたのだから山に標準時間がなかったわけではないわけで、最近誘ってもあれこれ用事があってこれない子らのかわりに森の家の高い壁の上で、赤蜻蛉さんのいわゆる「ディジタル」の針の動き方で時刻を知らせてくれるようになった。

 書きためたこれまでの絵日記(絵といっても本当は写真)を見返しながら次の訪問時の緑の濃さを想像し、今からワクワクしている。この春最後の冬枯れの姿を頭の中にしまって次の山行きまで「森の時計」を思いうかべながら過ごそう。

 

【04.04.21】

●19th birthday Party

 Y乃の19回目の誕生日は昨日だったが、私が夕べ仕事だったため今日パーティを挙行した。父母からのプレゼント(NYから一昨日届いた譜面を入れるためのちょうどいいサイズのバッグ)は20日当日の朝に渡した。A乃が学校でまだ帰宅前だったが先に始めた。本当に最近はみんながちゃんと集まれることが少なくなった。今日のためにM乃(写真中)が帰ってきて、4人でケーキを囲んだ。やっぱり家族が揃うというのはうれしい。年寄りも大事だがこれから生きていく人間の方が大事、だなんて正直のところ思ってしまう。思ったことをすぐに口にしてしまう私は家族から顰蹙をかったけれど、老いの中途半端にわがままな状態や悲しみのために、今の自分たちの生活を犠牲にして生きることの重さをつくづく感ずる。

 老いと闘うのはその人本人の問題であるのに現実は周囲の者がその負担の多くを負い、どんどんと自分を消耗し続けている。当の老人は老いたる自分の現実をわきまえきれずに周囲の人間のエネルギーを吸い取っていよいよ長らえてしまう。長寿大国の現実はそんなものなんじゃないかとつくづく最近思う。とくに福祉が充実しておらず、福祉そのものについての大衆(あえて国民とはいわず)の思い違いがはなはだしい日本にあっては、いつかきっと現在の中高年がみんな死んで、現在の老人が生き延びて、気がつけば周りに誰もまともな反応を返してくれる人のいない死んだユートピアが生まれそう… なんて誕生日祝いの日に考えている私はやっぱり家族から外されて当然の異端か。

 今、ようやくA乃が帰ってきた。保育士になるための学校へ行って、保育原論を「C」でようやく単位をとるという不甲斐なさを、行動力でカバーしようという生き方もありかなとは思いつつ、そういう理論を持たない保育士の誕生に不安より不満を感じているもうすぐ50の誕生日を迎える父がここにいる。

●The Worm Cafe 更新

 ミミズコンポストの状態があまりに良くて!書くこともないような状態なので困っている。だからというわけではないのだけれど、今回は東京のゴミを山のミミズたちにやる話。takakoさんが掲示板で教えて下さった腐葉土を入れるというネタは次回の更新で使える。takakoさんありがとうございます。

 しかしそれにしてもほんのわずかなミミズとの共生が自分をとりまくあらゆる環境への小さな窓口になってそこから万華鏡のようにあらゆる自然とのつながりをかいま見させてくれている。私のTWCも地球の向こう側のtakakoさんのコンポストとつながっていますね、きっと。

 

【04.04.25】

●物を書くこと

 「森の生活」にも書いたけれど、子どものころから物書きになりたかったことは事実で、今でもひまさえあれば何か書いている。といっても若い頃のように小説は書かない。書けないというのが本当のところで、一つの真実を言いたいために数百ページを費やす文学の魅力はわかっていつつ、自分には荷が重すぎると今はわかっている。創造的な仕事がしたいという思いと創造的な能力を持ち合わせていないという現実の苦しみをなめつづけてきたから、今ではそういう叶わぬ願いを懐くことはしない。同時に小説を読むこともほとんどなくなった。とくに新しい小説にはまったく興味がない。新しくて古い小説はたまに読むけれど。

 では何を書いているのか。日記のようなものは書いている。物忘れが激しくなってきていることもあるが覚え書きのようなものは年中書いている。十年くらい前からパソコン通信を始め、同好の士が集まるフォーラムで書き込みを始めた。ろくろく推敲もせずに早書きするくせがついて、文章が荒れた。じっくりものを考えなくなった。理由はそれ以外のことにあったのだが、数年前に、今もまだかろうじて存続はしているようだけれどパソコン通信をやめた。書きたいことは自分のホームページに書くようになった。どうせ誰も読みはしないだろうと好き勝手を書き散らした。職場の若い人が私のページを見つけて入ってみたものの文字ばっかりだからすぐに帰りました、と言っていた。そういう人が多いと書きやすい。何でも丹念に読まれると困ることも書いているのじゃないかとときどき心配になる。

 先日パソコン通信時代の知り合いが亡くなった。癌を自らのホームページで告白し、余命を明るく振る舞いながら医師の宣告どおりに逝った。私はその話をある掲示板で知ったのだが一度も見に行かなかった。私が彼の立場だったらどうするだろうと考えた。で、今現在の結論は黙ってページを閉鎖するつもりだ。ほんもののボケが始まりそうになったときもたぶんそうするだろう。私にとっては物を書くのは人のためではなく自分のためだから、そのときこそ紙と愛用のペン1本に回帰することになるだろうと思う。そして私とともにすべてが焼き尽くされるのを望んでいる。

 

【04.05.05】

●子どもたちが作ったケーキ

 4日仕事から帰るとのののたち3人だけが夕食を作って待っており、掲示板にも書いた誕生日プレゼントをくれた(FERMATAは連休中実家への貢献ができなかったので、病院の母親の一時帰宅につきそい、実家の家事をした)。A乃とY乃は下にも書いたように私の誕生日がはさまったこの連休中自分たちのことで山に来れなかったのでそのことを一応は気にしているみたいで(携帯電話のメールもくれなかったし)、Y乃流のダイエット食が中心だったけれどごちそうを作ってくれていた。

 食後、急に3人の顔が幼児期のころのような照れ笑いになった。いたずらをして笑ってごまかそうとしているときのような小さい頃よくした表情になった。高いプレゼントを買ってくれたので何か下心でもあって申し出てくるのかな、と心の準備をして身構えたが違った。冷蔵庫の中から何だか得体のしれないものを出してきた。実に稚拙で見た目の悪い、しかしそれだけに可愛いチーズケーキだった。トップに書かれた文字はしばらく判読できなかったがよーく見ると「Happy Birthday パパへ」 甘い物は最近全然欲しくないのだが、これだけはちゃんといただいた。見かけほどひどい味じゃなかった。

●小型連休

 世間では大型連休で、いつもは注文するとすぐに物が送られてくるインターネットショップまでがお休みで、連休前に注文した品物がまだ発送もされていない状況。先月の29日は仕事で月末と金曜日がぶつかって、なおかつ休日が続いてしまうために、30日もさっとは帰れなかった。この連休も昨日4日が仕事だったから実質3日間しか連休にならなかった。

 それでも山に行きたくて、前回調子の悪くなった冷蔵庫の冷凍室を自分で分解して修理してしまったのでそれがちゃんと動いているか、桜は咲いたか、若葉は芽吹きだしたか、見たいものがたくさんあった。それにこのひと月仕事の内容が変わってもう精も根も尽き果てた感じだったから、少しでも仕事のことなんか忘れてしまいたかった。

 結論から言うといつもと変わらない休息時間だったけれどそれでも一日滞在が延びただけで気持ちは楽だった。真ん中に私自身の誕生日が入り、A乃とY乃は出身校のホームカミングデーだとか何だとか来なかったが、FERMATAの実家に行きっぱなしのことが多かったM乃がついてきて、翌日にはぴょが駆けつけてくれて、誕生日を祝ってくれた。

 大した仕事ではなかったが鳥のエサ台をその辺にころがっていた木っ端や木の葉で作って、家のどこからでも見えるデッキの前のリョウブの木の枝と枝の間に設置した。気のせいか、いやたぶん気のせいではなく、小鳥たちが興味深げにデッキ付近に近寄ってきた。予め用意してあった鳥のエサを固めたボールを中に置いたがついばむものまでは出なかったが近づいてはいた。ふだんは梢の高い方でさえずっていた鳥たちが家の周りで鳴くようになって様々な声が響く。姿を見ても声を聞いても何の鳥かわからないというのが実にさびしく、これも今後の勉強課題になった。

 

【04.05.10】

●子どもたちが作ったケーキ・その2

 昨日は仕事だったので「母の日」だったことをすっかり忘れていた。今しがた家へ帰ると、テーブルの上に私のデジカメがあるので、またPAUかトラ(最近はタネ子と呼ばれている)の写真でも撮ったのだろうと再生してみると、

 文字がいっぱい入っているのはお皿で、その中央部にあるのが、A乃とY乃が作ったにちがいないケーキだ。デコペンの使い方が私のバースデーケーキのときよりうまくなっている。詳しい事情は誰もまだ帰ってきていないのでわからないが、このほうが私のよりはうまそうだ。冷蔵庫の中を探してみたがないから、女3人で食べたのだろう。

 ※このケーキを作ったのは私です。Aちゃんは手伝いませんでした。
  
だからうまくできたのかも… それから、食べたのはMamと私とふたりです。
  来年のパパの誕生日にはもっと上手に作るね。(from Y乃)

 よろしくお願いします(from パパ)。

 

【04.05.12】

●陳昌鉉さんのヴァイオリン

 9.11があった年のMonologueでも書いたことがあるが朝日新聞の天声人語は私のMonologueを読んでネタを仕入れているのではないかと思うことがある。5月10日付の天声人語ではミミズの声の話から始まる陳さんのヴァイオリンの話。これについては今年のはじめごろに書いた。まあ、そんなことはどうでもいいのだが陳さんには一度お会いしたいと思っている。Y乃が師事する先生は陳さんのヴァイオリンを全く評価していないので買ってやるわけにもいかず、Y乃の同級生の全てがY乃の使うヴァイオリンより桁が一つ違うヴァイオリンを使っているのでいつかは本人もいいヴァイオリンが欲しいと思っているにちがいない(本当はいますぐにでも、ということだろうが)。私自身にヴァイオリンの善し悪しを判断する耳はないけれどそれでもY乃の1年先輩の女の子が使っているヴァイオリンとY乃が一緒に音を出すとY乃の音はその子のヴァイオリンにかき消される。腕の差を差し引いても10倍近い値段の差があると当然音が違う。

 陳さんのヴァイオリンについて最近Y乃は何も言わなくなった。もっといろいろなヴァイオリンを見聞きしているからだろう。高価なヴァイオリンの話を聞きだして思うのは陳さんのヴァイオリンの安さだ。今年の始めころは何て高いヴァイオリンだろうと思ったが上を見るときりがない。しかし600万のヴァイオリンが必ずしもそれだけの音を出してくれているかというとそうでもないとY乃は友だちのヴァイオリンを評していう。楽器だけではなく人も同じなのだが出会いというものがあって、いつか将来の伴侶となるべき人や楽器があらわれる。あせって手を出すと一生の不作になる。だから陳さんのヴァイオリンでも古いイタリアの楽器でも何でもいいがあわてずに出会いを待つことだ。

●藪から蛇

 藪の中から蛇が飛び出しそうな気配になってきた。アメリカのイラク戦争の不当性をずっと考えつづけてきた中で起こった刑務所での虐待、それに対するイラク側の報復。藪(ブッシュ)の行動はまさにマッチポンプ。自分であちこちに火を放ち、それの消火活動を正当化しようと世界に訴える。さすがに世界中の国民は馬鹿じゃなく、その非合法性をずいぶん前から見抜いていた。にもかかわらず、日本政府の薄笑いの(と大江に指摘されてから、あのニタニタは消えたが本質は変わっていない)キツネ目、ライオン頭の馬鹿はアメリカにおんぶでだっこを決め込み、ビクともせずに報道陣を(ということはそれを見させられる国民を)おちょくりとおした。こんなことは911のときからすでにわかっていたことでアメリカに異を唱えるカードを持つ唯一とも言える日本がそのカードを捨てた。同じ穴の狢とはいえ福田より安倍の方が始末に悪い男だ。これも朝鮮外交などの筋道などを冷静に見つめればわかっていたこと。

 民間アメリカ人が殺され、ブッシュはオールマイティのカードを握ったつもりになるかもしれない。そのとき、藪の中から蛇(核)が飛び出す。それを押さえるカードを再度日本は引いた。たぶん、ポーカーフェイスで場に捨てるのだろう。こうしてアメリカは深いぬかるみにはまり、日本もいっしょに泥だらけになるのだ。もうそろそろアメリカ、日本両国民が目を覚まさないと馬鹿二人に思うようにやられるだけだ。

●私的天皇制廃止論

 大学時代から、いやもしかしたらアカの思想に染まりだしたころからずっと天皇制は廃止すべきだと思い続けていた。最初は天皇制と国民主権が同居することなどありえないと現行憲法の矛盾を感じていたからだが、いつのころからか現行天皇制は民主主義の中に取り込める可能性はあるかも知れないが、それは別の理由から廃止すべきだと思うようになった。それは天皇を含めた皇室の人々が民主制の「民」に含まれておらず、彼らに憲法が認める人権が認められていないと考えたからだ。天皇は(ということは皇籍に含まれる親族すべては)国民ではありえず(もし天皇が国民なら主権者となり、天皇主権が並立してしまうからだ)、わけのわからない「象徴」という人種として憲法は定めている。ところが彼らは裕仁が宣言する前から、われわれと同じいち「人間」であった。人間が生来与えられている基本権が彼らにない。彼らは人間であって人間でない。そういう矛盾を内包した国家の制度が続いているのだ。

 政府にとっては利用価値の高い存在である。今の天皇も美智子さんも皇太子も皇太子の奥さんもみんな政府に軟禁されている拉致被害者と同じだ。衣食住に苦労しないで年に何度か手を振ってそれで一生を終えるなんて動物園のサル同然だ。そういう人間がいるということ自体が間違っているのだ。だから、天皇制を廃止し、彼らに自由を与えればいい。雅子さんを思いやる皇太子(名前も知らないからかけない)の人間性はもし本物だとしたら、国民の多くが失いつつあるものだと思う。小泉や同類野党の連中の悪党ぶりをみるにつけ、この人たちは本当にいい人たちかも知れないと思う。

●私的死刑廃止論

 こうなったら、休日の最後を飾って思いの丈を全部書いてしまおう。死刑廃止論と死刑必要論がはるか昔から続いている。人道主義的な観点や誤判の危険性を前者は唱え、犯罪抑止の必要性を後者は唱え、組んずほぐれつ議論に終止符は永遠に打てずに、すべては時の法務大臣の判子ひとつにかかっているのが現状だ。

 でもどうして犯罪者と被害者にしか目がいかないのか、以前からずっと不思議だった。反対論の中に「国家が殺人を犯していいか」という論点はあったが、それは正義不正義という抽象論の域を出ていない。しかし、丸山健二の(当時の最年少受賞だった)芥川賞受賞作『夏の流れ』を読むがいい。当時、やはり芥川賞受賞候補だったやくざな都知事とは大違いの真摯な目が向けられている先は犯罪者でも被害者でもなく、死刑執行人たる刑務官へのものだ。国家は人殺しなんてしない、できない。国家的に人を殺すのは兵隊であり、現在では刑務官なのだ。その人の人権を考えたことが死刑存廃論者たちにないのが私にはずっと不満だった。

 もし、死刑存続論をとるのなら、死刑執行ボタンは被害者の遺族に押させてあげるべきだ。それならば死刑を認めること私は賛成する。

 

【04.05.15】

●アンドレ・コント=スポンヴィルに救われて

 掲示板に書いたからといって晴れようのないうっぷんを書いてから寝てしまい、昼過ぎに起きた。体の疲れはいよいよ増した感じで頭の中もどんよりとしていた。日記帳や手帳に書きつけてある最近の自分の日々を振り返る。ストレスという言葉が氾濫している。ストレスを昇華させるためにやたらと物欲にはしり、この数週間で次から次と物を買っている。拒食症の少女のようにとめどなく物を食べてはすぐに吐いている自分の姿が見えてくる。情けないことだと思いつつ、他に手っ取り早い解消の方法がないと思い込んでいた。

 なにげなく枕元から手が伸びる場所にあった小さな本をとり、適当に頁を開くとそこに赤鉛筆と普通の鉛筆の線がひかれており、何度か読みかえした跡が残っていた。線をひいた部分を中心にもう一度読み直しだした。心の中にたまっていた粘着質のゼリーのようにベタベタとした不定形のかたまりがとたんに溶解しはじめた。降り積もった油性の埃が溶剤に溶かされて流れていくようにこれまでの心の重荷がとけだした。「眼なざしの単純さ」をとりもどすこと、満たされない「希望」に翻弄されるのをやめること、「絶望」の上にたって現実を見つめ直すこと、存在するのは現実だけで「理解すべきものなどなにもない」こと… 

 いっぺんひいた線の上をまた別の鉛筆で線をひく。苦痛の日々から立ち直るための「喪の作業」に入っていく。しばらくは平静な心が恢復してきそうな予感がする。

 

【04.05.18】

●ものをつくる

 この1、2年 NHK のプロジェクトXは再放送を再放送と断らずに何度も放映するから、今夜の金剛力士像の修復も前に見たような気がするけれど、眠いのを我慢しながら見てしまった。東大寺の南大門は小学校の修学旅行以来何度も通っているからそのたびにあの2体の仏像と目を合わせている。お墓とか仏像とか、外国に行けば彫刻とかモニュメントとか、とにかく人がつくりあげた形あるものが大好きな私もこの運慶・快慶の作品ほど心を奪われたものはない。お墓の場合は形とか素材とか作った石工のことは考えないが、仏像などは作った人の作ったときのことを想像してしまう。そういえば芥川だったか運慶・快慶を小説に書いていたような気がするけれどよく覚えていない。

 唐招提寺の空海像のような肖像は、墓地巡りをするときと同じようにその人自体に対する思い入れでみつめるのだが、ロダンやミケランジェロや、そしてこの運慶・快慶の場合は「ものをつくる」それ自体が、自分にはできないことを可能にする人へのあこがれとなってわきあがってくる。モーツァルトは最初の音符を書いたときに最後の音符まですべて浮かんでいた、とこれもどこかで読みかじったことがあるけれど、「ものをつくる」という、それも途中で推敲が難しい、一度彫りだしはじめたら途中で変更できない巨大なものをつくる作業の、マクロとミクロを同時に計算し尽くした作者の頭の構造がうらやましい。修復に挑戦する人も同じすじみちに立って制作過程を見通せていないとならないのだろうな、と思った。

 毎晩うるさかったバレーの試合が終わってようやく静かな心持ちでいい番組がみれた。しかしどうしてああ騒ぐんだろうか。みんなテレビ局の演出にのせられて馬鹿みたい。静かに応援したって勝つときは勝つし、負けるときは負ける。

 

【04.05.26】

●A乃初運転

 8ヶ月以上の長きにわたって教習所通いをつづけたA乃が免許をとったのは約2週間前。その後何回か運転するかと誘ったが「まだいい」と言って乗ろうとしなかった。今日は私が日曜日の代休でお休み、A乃は入院中の祖母の付き添い。そこで、家から中野まで十数Kmの距離だったが初運転をした。センターラインのある道なのに対向車が来るとすぐにブレーキを踏む。2車線の道の左側を走っていたのでこのままだと関越に乗ってしまうから右側車線に移っておいたほうがいいというとウィンカーも出さず、後ろも確認せず、すっと車線を変わる。かなり車間が開いている前の車が信号停止のためにブレーキを踏み出すとまだその車まで20m近くあるのに同時にA乃もブレーキを踏み出す。渋滞はしていなかったが1時間かかった。

 怖くはなかったがわきの下に汗はかいていた。どうして免許なんか欲しがったんだだろう、この子は。A乃をご存知の方はうなずいていただけると思うけれどのののたちの中で一番運転なんか向いてない人なのに。

 

【04.05.30】

●自然の勢い

 3週間ぶりの山は驚くほど緑があふれ、鳥が鳴き、蝶が舞うGWの時とは別世界になっていた。ほとんど掲示板に書いてしまったのだが、山の家に向かう途中に棒状の尻尾の先だけが黒い茶色い猫くらいのが小さな獣が林道をのんびりと歩いていた。雲がはりだして真っ暗な庭に降り立つと草いきれがし、闇の中にも庭にこの1年間折をみては蒔き続けた芝生がぼうぼうとはえ、空を見上げると松や栗の木にたくさんの葉が生い茂りだしているのがわかる。遠くの山でフクロウが鳴き、近くの草むらに生き物の動く音のような、息のようなざわっざわっという音がした。気温は12℃。車から降りたとたんにぶるっときた。

 翌朝目が覚めるとカッコウが鳴き、野鳥の声がする。ガラス窓の外にタテハ類のイチモンジ蝶やヒカゲ蝶が当たってくる。ヒカゲ蝶はジャノメの一種で枯れた木の葉色の時にはっきりと黒い目が3つずつ左右にあり、目の周りに青いラインをうっすらとひいた控えめ美人。イチモンジは黒に白で羽の形に縁取りをした好男子。天気予報は見事に外れ、土日ともに快晴で明け、木漏れ日の気持ちいい二日間だった。村から市への合併を11月に控えているせいか、合併する七市町村の中で一番裕福なこの村は今下水道工事の真っ最中。駅前にパノラマ温泉を作り、資産が他の市町にもっていかれるのを見越しての工事があちこちで進んでいる。しばらく見なかった品のよい間隔でそれぞれの別荘が建っていた大手別荘地は隣の茶碗の音が聞こえるくらいの間隔で新しい家屋の建築が進んでいた。

 幸いにもまだ我が家は山の上の一軒家のままだが、いつお隣さんが建つかわからない状況で、狭苦しい都会から逃げ出してまたご近所づきあいが始まるかも知れないと思えば気が重くなる。自然の動植物の勢いと人間が競争をしている感じがしなくもないが、自然には既得権があり自分たちの住処を荒らされたくはないだろう。ここに住みだして2年弱、これほど野生の動物や鳥たちに囲まれていると意識したことはなかった。もしかしたら私たちのほうが自然に受け入れられ出した証かもしれない。

 風雨で落ちてはいないかと心配した野鳥用のエサ台はしっかりと木の間にとどまっていたが、中に入れておいたネットをかぶったエサのボールはネットごとなくなっていた。鳥ではなく、リスか何かが持っていってしまったのかもしれない。がそれもまたいい。それよりも前回の写真と比べて緑がはるかに濃くなり、すっかり木陰に隠れてしまった。今回は野鳥のエサと一緒に水もトレイに入れておいてきた。

 

 

【04.06.02】

●夏休みの計画

 といっても自分のではない。私の職場は一斉にみんなで夏休みをとってしまってお休み、というわけにいかないので、みんなが開いているところを選んでとっていく。そのため3ヶ月分の勤務表を作らないとならない。早い人は7月の初めには取りたいと考えているので飛行機の予約などしないと間に合わなくなる。だから、少しでも早く勤務表が出るのを待っている。基本的には機械的に割り当てていくのだが、作りながらああこの人はよく休みに当たっていて気の毒だななどと思ってしまう。そうなると振り替えの休日を仕事に支障がないようにしながらなるべく続けてあげたくなる。これも基本的には一定の法則でみんな平等にしていくわけだから難しくはないのだが、困るのは私自身の勤務のローテーションが他の人と違うので、自分に有利にみえそうな場所で、仕事がとまる。私の勤務について他の人が作ってくれれば気が楽なのだがこれも自分で作るから、勢い振り替え休が固まったところは避けて飛び飛びに自分の休みを振っている。

 こうやって作っている勤務表も夏休みや年次休暇や勤務交替などが続々と入ってきてがたがたになる。今度はがたがたになった勤務表をやりくりして毎日の配置を組まなければならなくなる。突然飛び込んでくる出張がある。誰かをつけると当然そこに穴があく。どうやってしのごうかと考える。そんなことをしていると寝ていてもそういう夢ばかりを見てしまう。数が多いからうまく調整したつもりで、でかいミスをしている夢を見て冷や汗をかいて目が覚める。そして神経を使って仕事をしてもほとんど誰からも感謝されることはない。感謝されたくてしている仕事ではないのだけれど、同じ立場にある人間が同じ立場にある他人様の時間を管理するというのは実に体に悪い仕事だなと心の中でぼやいている…

 

【04.06.03】

●PAUの誕生日祝い

 PAUの誕生日は6月9日。今年で12歳。先日山から戻ってフィラリアの薬をもらいに獣医さんのところへ行き、人間に換算すると幾つくらいか調べてきたら、平均的な犬で12歳は人間の72歳くらい。でもPAUのような大型犬はもう少し歳をとっているとのこと75位でしょうかと聞くとそんなところですかね、との答えだった。足腰が弱って車からの乗り降りや散歩時間が極端に短くなった他は元気で食欲も生まれてから一度もなくなったことはない。

 そのPAUの誕生日にあげようと、山へ行ったときにケーキの形をした犬用クッキーを買ってきた。うちで赤いリボンをかけ、洋服ダンスの上に袋に入れて隠しておいた。タンスの上、と聞いたとき、そういうところじゃやばいぞとそのとき思ったのだが、言わずにいた私も悪かったのだが、予想どおりというか、昨日、タネ子がタンスの上からそのクッキーを袋ごと落とし、一足先に誕生パーティーを開き、PAUと一緒に全部食べてしまったようだ。

 蝋燭を7本たてて、写真を撮って、などと誕生パーティーのことを考えていた私は怒りつける元気もなく、あああ、という感じだった。

 当然のことながら夕べは2匹とも夕食ぬき!だった。


【04.06.14】

▼君が代・日の丸問題

 こういうのはもう書くまい、書いたって始まらないと思っていたがやはり書かざるをえない。思想信条の自由をうたう憲法の精神が…、などといってももう始まらない時代なのだ。憲法9条は反古にされ、教育の世界に監視の目が向けられ、教師はもとより子やその親まで強制の対象になってきている。それも公然と、国家権力の下に。軍隊をなし崩し的に戦地へ送り、国家精神をここぞとばかりに国民に植え付けようとしている権力者の前に、無批判な国民が増え、反論を述べることも、静かに反対の意志を示すことに対してすら、強制力をもって尊べ敬えと脅しをかけてくる。これがこの国の現状なのだ。アメリカと一緒なら負けることはないだろうとタカをくくっていると痛い目に必ずあう。もはや戦争は勝ち負けでケリのつく時代じゃなくなっているということを私たちは本気で想像してみなくてはいけない。「非国民」という言葉が権力側から出てくるのはもうそう遠い先のことではないだろう。私は一番に「非国民」になってやる。

▼村長夫婦ら逮捕

 おらが村の村長が収賄容疑で逮捕された。ちょうど去年の5月ごろ、役場に陳情に行った際、応接室から出てきた村長をちらっと見たことがある。ただの田舎のおっさんだった。私の話に応じてくれたのは現在村長なき村を仕切ることになった助役さんだったがこちらは品のよい紳士だった。いずれにしても首長以下議員たちはこの10月末には近隣市町村合併のため失職するわけだから、数ヶ月早まっただけか。そういえば今、村の道路はあちこちが掘り返され、下水道工事が進んでいる。新しい道も出来た。駅前には評判のよくないパノラマの湯ができた。行ったことはないし、今後も多分行くことはないと思うのでどうでもよいのだが、休日には駐車場がいっぱいになるくらい(狭いからだが)賑わっている。この間は村役場近くの健康センター(ここも一応温泉)に行ってきたがこれも村民料金で入れるから行くようなもので、村外者料金を払ってまで行くほどのところではない。図書館以外に利用するに値する施設はない。しかし、白装束の集団といい、不動産会社の倒産といい、村長の逮捕といい、村の消滅といい、わずか2年でいろんなことがあった村ではある。

 

【04.06.22】

●認識の歪みと三叉神経痛

 先週末は台風前の穏やかな山の空気の中で何もせずに過ごした。同僚から借りた認知療法関連の本をノートにメモりながら3冊ほど読んだら大分心が軽くなった。感情はすべて自分の認知(ものごとの受け止め方)や考えから作られる、というテーゼを学んだ。仕事が嫌だ、向いていないと自分が考えた瞬間に歪んだ認知が作られ、その歪んだ認知に引きずられたまま暮らしていくとどんどん暗い方向へ自分が突き進んでいく。あらゆるものに怒りを感じ、あるいは絶望感にとらわれ、次々と起こる現実をありのままに見つめることが出来なくなっていく。肩こりをほぐすように自分の認識の歪みを直視してもみほぐしていく作業を続ければ抑うつの状態から少しずつ解放されることもわかった。周波数の合っていないラジオのダイヤルを少しずつ回して一番よく聞こえる周波数にチューニングするように心の歪みを正常な位置にチューニングしていくこと。そのためのトレーニングが必要だということ。そんなことをノート一冊にまとめ終えたところでの山行きだった。山では不思議と心が穏やかになるのは蒸し暑くて騒々しい東京から離れ、乾燥した20℃の清涼さのせいだけではないはずで、うっとうしい日々のルーティンから解放されるからだろう。山で認知療法はいらないなと思った。

 ところが、昨日一日仕事に出て、台風の荒れ狂う風の音を聞きながらあわただしい時間をやっとのことで終えて帰宅するころから、右目のあたりから額にかけて違和感を感じだした。帰宅して子どもらと談笑していても右の眼窩の上端部あたりから右側の額にかけて痛みが走った。眼鏡をかえてみたけれど同じで、寝るころには棍棒で殴られたような痛みがあって、鎮痛剤を飲んだ。今朝はさらに痛みが激しくなっていて下を向くと深い傷跡がうずくような痛みも加わりどうにもならなくなった。仕事は山ほどあるのだけれど仕事どころではないといった感じで休みの連絡を入れた。

 頭の表面から中央部へかけてぐらんぐらんするほど痛かったがとにかく歩いていけるいつものホームドクターのところへいった。すぐに三叉神経痛でしょうと言われた。メカニズム的な原因は三叉神経が血管か何かによって圧迫されて痛んでいるのだがそれがどうしてそうなるのかは不明とのこと。おそらくはストレスか、疲労によるものとのことだった。ただ、まだ湿疹が出ていないからわからないがヘルペスの可能性もあるという。皇太子の奥さんのと同じか。いずれにしても薬を飲めば痛みがなくなるはずといわれて投薬をうけ、さっきまで自宅で寝ていた。3時間ほどして目が覚めると激痛はなくなっていた。まだ強く目をつぶると右目が痛い。

 座骨神経痛にしてもこの三叉神経痛にしても、神経痛なんて年寄りがかかる病気だと思っていたが、そうか、自分も年寄りなんだな、とつくづく思う。ここ数日余程のことがないと愚痴るのをやめていたがそのせいで仕事自体やそれにまつわる人間関係のうっとうしさはなくなってきていた。かわりにすべきことを自分のできる範囲内でちゃんとやろうと仕事への姿勢をかえたばかりだった。しかし、今回の痛みの恐ろしさは尋常じゃなかったからこの方針変更にもどこかに無理があったんだろうか。自分がよくわからない。

 

【04.06.27】

●快気祝いには早いけれど

 皆さんにご心配をお掛けした三叉神経痛の痛みも昨日の昼頃から遠のき、今日はろれつのまわりにくい口調と雲の上を歩いているようなおぼつかない足取りながら無事一日を越えることができました。まあならないにこしたことはないけれど、これは非常に痛いですよ、という医者に「ほんとにあなたはこの痛みを経験したことがあるのか!」と言いたいほどだった。死んだらお釈迦様のところで安楽に暮らせるように、などという坊さんに「お前、死んだことあんのか!」と言いたくなるのと同じで大人げないけれど、それほど痛かったのですよ。とにかく、ラリってるな、感じるほど今回いただいた抗てんかん剤は私を本当の自分の外へ連れだしてくれた感じだが、痛みが引いて眉間を叩いても押しても痛くないこと自体がありがたい。あとは早く自分の実体と中身がいっしょになってくれるといいと思う。

 山で、本を読んでいる最中に居眠りをし、ノートをとりながら居眠りをし、日記を書いている途中で居眠りをし、居眠りをしながら居間で鳴らしているベートーヴェンを聴くのもほとんどベッドの中という寝たきり老人生活が染みつきだしたため、ベッドサイドに手頃でかつ派手でないスタンドライトが欲しかった。ふと昔のソニークラブのカタログを見ていて見つけたのが、1970年代に作られたAnders Pehrsonデザインのフロアスタンド、スウェーデンらしい簡素な、一時代前の歯医者の治療台の脇にあったような(最近の歯医者を知らないけれどずいぶんとおしゃれになったそうな)ライト。今ではヤマギワが復刻生産しているということで早速注文して山に送ってもらった。何も70年代の代物だからといって電球周りのプラスティック部分の溝にバリがついたまま生産しなくても!と思うが(いまなら角を落としてきれいに作るだろうし、こんなふうにバリが残ったままなら検品段階で落とされるだろう)、とにかく意匠という意匠を凝らしていない機能のみの製品がよだれを垂らしながら本を読んでいるのか居眠りをしているのかわからない老人にはよく似合う、と思っている。

 

 

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