Monologue 2004.07-12
【04.07.11】

●帰る日はいつも晴天

 日本列島を覆い尽くした猛暑の週末にぐったりして山へ行き、室内にこもった熱気にやはりここも暑かったんだなと思ったけれど、着いて窓を開け放し空気を入れ換えると心地よくなった。聞いたら東京も比較的過ごしやすかったとか。土曜日は一日霧と雨で暗い森。ところが今日は朝から晴天で夏の雲がわき上がっていた。それでも10時半ころのデッキの上の温度は18℃。PAUも私も帰りたくなかった。帰りは久しぶりに事故渋滞で上野原から小仏トンネルの先まで全然動けなくなった。体調を心配してメールをくださった方もいらしたが先週は忙しくて疲れたけれど、体の方に異状はなし。水分を多く取るようになったせいか少し体重が増えた。

 

【04.07.28】

●生まれて初めて

 先週の金曜日から月曜日まで山で暮らした話は掲示板に書いた。そこでも書いたのだが刈り払い機を買って、庭の草を刈った。生まれて初めて刈り払い機で草を刈った。芝刈り機を押した経験はあるのだが、うちの狭い庭は傾斜があって、かつ、でこぼこしているので芝刈り機では刈れない。ということで刈り払い機にしたのだが、これが結構楽ちんで楽しい。最初のうちは機械に付いてきた水中眼鏡のような保護眼鏡を普通の眼鏡の上にしていたのだが、だんだん汗をかいてきてくもりはじめ目の前が見えなくなってきたので外した。2サイクルの22ccエンジンは店の人に言わせると非力すぎるということだったが、まあ結構使えた。そのうち、本物のすごいのが欲しくなるだろうから、今回はこれくらいので我慢した。

 

 本当はシャツも作業着で帽子も農協のやつにして、びっちり正装してやりたかったが、1249mとはいえさすがに暑く、上はTシャツでズボンだけポケットいっぱいの作業ズボン、長靴は履きたくなかったがFERMATAが履けというので履いた。そのため、あまり美しい姿ではない。

 しかし、書き始めて思うのだが、50歳にもなって「生まれて初めて」のことを経験するというのがいい、と思う。まだまだ、「生まれて」からしたことのないことがたくさん残っている。そう考えると、γ-GTPが去年の倍以上になり、危険区域に突入した事実は重大なことだ。「できれば禁酒をしてください」と今年の診断書に書かれていた。中島らもが死んだという見出しをどこかで見て、自分が書いた本(『今夜すべてのバーで』)に書いていたように肝臓でやられたか、と思ったら、酔っぱらって階段から落ちて外傷性脳出血だったと知る。同じようなものだが、らものレベルをちょっと縮小した程度には飲んでいるから気をつけないと、まだまだやり残した「生まれて初めて」のことができずに死んでいきそうなので、ちょっとは気をつけようと思う。

 

【04.08.03】

●イノセントな笑い声

 本を買ってくると、あるいは届くと、一番に扉に日付を入れる習慣が20代のころから続いている。昨日仕事から戻ると2冊の本がAmazonから届いていたので、いつものように日付を入れようとして、Julyと書き出し、そうかもう8月に入ったんだと気づいた。

 これも少し前に掲示板で書いたのだが、Y乃が大学の近くの楽器屋さんと懇意になり、次々とヴァイオリンを借り出してくる。前回の美男子のモダンヴァイオリンはイタリア男で、いかんせん高くて(上を見ればきりがなく、ヴァイオリン全体の価格からしたらそれほどでもないのかもしれないが)、それは山の家を売るか、車を手放すかしないとすぐにはお金がないね、と言ったせいか、今度は現実的な価格帯の、といっても残り少ない(いつだってそうだが)預金を全部吐き出さないと買えないくらいなのだが、とにかく、数本を弾き比べ、「その中で」一番気に入ったヴァイオリンを借りて帰ってきた。どの時点でオールドとモダンを分けるのか知らないが今度のは19世紀の終わりにフランスで作られたもの。今使っているのとよく似た色で、見た目はあまり変わらない。音は? ちょっと深みがあるかな、という感じで、左耳がかなり遠くなってきているので、音量のバランスをとるために体の向きを少し斜めにして、これまでの数台と同じ曲を弾いてもらう。うーん、一番最初に持ち帰った赤ら顔のぶ男の、体中に感じる迫力はない。

 それからこれはまだ弾けてないからと言ってなかなか弾いてくれないバッハのシャコンヌを所望すると、なんやかやと言い訳をしたあと、すっと気をこめて、弾きだした。こっちは素人ながら昔からいろいんな人のバッハを聴いているから、フレージングの変なところ、楽譜どおりに弾くとつまらないところの表情など、途中で何度も止めて弾き方を変えてもらう。いつもだとこの辺で、私の「レッスン」に嫌気がさしてやめてしまうのだが、今回だけは最後まで私の指示に従って、あるいは、彼女の方からも意見を出し、弾き終えた。聴きながら、何故か声を出して笑ってしまう。いやちょっと違うな。正確に書くと、聴いているうちに笑みがこぼれだし、笑い声が出てしまう。あやされた赤ん坊が息が詰まるくらい声を出して笑う時期があるが、それと同じ笑い声。ずっと昔、まだ彼女たちがバッハのメヌエットなんかを弾いているころから、いつかは聴けるだろうかと思っていたシャコンヌを生で、聴くよろこび。つまりは手放しでうれしかったのだ。バッハの脳の中にあった音の伽藍が目の前にそびえ立つ感じ。ミミズコンポストの蓋を開いてミミズたちに話しかけている時に発するしあわせな笑い声と同じ。ミミズコンポストのなかに一つの宇宙が存在するように、バッハの曲には宇宙がある。その宇宙=羊水の中に浮かんだ胎児が笑う。

 

【04.08.07】

●アコースティックな夜

 図書館で掲示板に書き込みをして、買い物をして帰山すると、まもなく豪雨になった。かなり軒の深い家なので普通の雨なら吹き込まないが、さすがに間断なく降る強い雨に窓からしぶきが入り始める。雨音と雷鳴が鳴り続ける中、山荘はヴァイオリンの音で満ちあふれた。

 静かなフクロウの鳴く夜に聴くディヴェルティメント(モーツァルト)もいいけれど、こういう激しい自然の音と競演するチャルダッシュ(モンティ)はもっといい。家具らしい家具のない、がらんどうの吹き抜けだから音響もよく、2,3割方彼女らの腕前をあげて聴かせてくれる。最近は室内楽の出張演奏というのがハイソな家庭で流行っているようだが、間違えても音を多少外しても少女たちの演奏を生で聴き、よく冷えた純米酒などを飲むのがまたいい。
 天候には今ひとつ恵まれなかった週末だったが、『ゴドーを待ちながら』を読みながら、彼女らの演奏を聴き続けた3日間は実に充実していた。

●アコースティックな、といえば…

 書き忘れたけれど、楽しかったと言えば、木曜日に着いた晩、深夜に、私のギターと2本のヴァイオリンで「北の国から」や「TSUNAMI」を弾いて楽しんだ。簡単なスコアを見て、すぐにアンサンブルにして弾けるのは彼女たちが専門家の卵だからで、こういう楽しみもあった。

 

【04.08.13】

●ヴァイオリンのこと

 Y乃が懇意にしてもらっているヴァイオリン工房からこの数ヶ月で借り出してきたヴァイオリンは何台になるだろう? 非常に高価なものを身分は明らかとはいえ、何本も貸し続けてきてくれたヴァイオリン屋さんに、それが商売とはいえ、感謝している。そろそろ本人も決めたいと感じてきているようで、昨日、価格のことも当然気にしつつ、自分の中ではこれが一番と感じたヴァイオリンをまた借り出してきた。夕べ、これまでと同じ曲をまた試奏して聴かせてくれたが、悪くない。見た目も。1914年フランスのリヨンで作られたもので、作者は Emile Boulangeot。前回のMonologueに写っているのは1926年のパリの制作者のものでまた違う(これはきれいなレッドヴァイオリンで、音も隣で弾いているお友達のものに引けをとらないものだった)。明日渋滞覚悟で出かける山でずっと弾くつもりで借りてきている。イタリアの楽器で気に入ったものがあったのは少し前に書いたが、これには手が届かず、かといってその後何本か弾いたイタリアの楽器はどれも気に入らず、今回のフランスの楽器は、これまでのフランスのものとはひと味違う音色なのだそうだ。これくらいたくさんの音を2週間おきぐらい聞いてくると私にはもうわからない。借り出す本人は、これまでの分をもう一度お店で全部弾き直してから次のを選んできているので少しずつでもその違いがわかるらしい。

 「この楽器はこれからもっと鳴るようにできるし、私ももっとうまくなる」とY乃。最初からよく鳴る楽器がよいわけではないから、Y乃にそれだけ自信があるのならそれもよかろうと思っている。新しい借金をする手配も彼女に内緒で続けてきた。明日からの短い夏休みは「最後のヴァイオリン」(になるかどうか)の試奏(試聴)会になりそうだ。 

 

【04.08.18】

●ALT1249 の位置

 天気予報の地形図ではない。ぴょが私の50回目の誕生日プレゼントに作ってくれた地形図の模型(ジオラマ)。小さな赤い点がALT1249の「ののの山荘」。目の位置を1249mの位置にして周囲を見渡すと、近隣の山々がわかる。夜になると見える夜景も韮崎から甲府にかけてだということもよくわかる。そして方位を合わせると実際に木立の向こうに富士山が朝夕見え、甲斐駒や北岳の頭が覗くのがこの地形図上でよくわかる。山好き、地図好きにはたまらない。

 ちなみに天候がすぐれなかったのと準備不足のため、赤岳(模型の上端に近い部分でALT1249の真上よりわずかに左側のピークが赤岳)登山はできなかった。そのかわり、ぴょとA乃は家から歩いて天女山(1529m)を往復してきた。

 

【04.08.24】

●量販酒店の希少酒価格

 日本酒は普段は買う店を決めていて、プレミアムをつけない正当派の酒屋でしか買わないのだが、ときどき仕事が夜遅くになって帰りがけにどうしても買いたいときは量販酒店(ディスカウント酒店)で味を知っているもともと安い純米酒か純米吟醸かを買って帰ることがある。そういう店が2軒あって、そのうちの1軒で「亀の翁(かめのお)」(純米大吟)を、もう1軒で「十四代本丸」(本醸造)を売っている。「亀の翁」はうちにもまだ数年前に買って(当然定価で)冷蔵庫に保存し続けているものが1本あるが、四合瓶で12000円(定価の4倍近い値段)していた。「十四代本丸」は1升で17000円弱(定価の8倍以上)していた。なかなかそのへんの酒屋にはない酒だがあるところにはあり、ちゃんと定価で売っている。そもそもそこらの量販店に入荷するようなお酒ではないので、横流ししているやつがいるのだ。いずれも蔵本はそういう売られ方を望んではいないだろうが、そういう売られ方をしていることを知ってはいるだろう。

 とにかく、誰が買うんだろうと思うような値段で、たしかにどちらものどから手が出そうなほど飲みたいお酒だがそこまでして買う気はない。かつての「越の寒梅」のような売られ方をするようなお酒ではないはずなのだが裏には裏があるのだろう。「亀の翁」は生酒も含めて10本以上が開架式の冷蔵庫に並んでいた。市場原理もここまでくると狂っていると言わざるをえない。

 ちなみに今夜飲んだ「醸し人九平次 くだんの山田」(純米吟醸)は1升3000円弱。十四代を意識したような作りが普通の「九平次」と違うがうまかった。普段よく買う「明鏡止水」(これはほとんどの種類を買うが)は1升2500円くらい。たいていは生酒や生原酒を買うが、これも好きなお酒。どうしても量販店やマーケットで買うときは「澤ノ井」の特別純米か純吟、「一ノ蔵」の本醸でがまんする。

 山へ行くとご当地の「谷桜」。でも八ヶ岳の伏流水は軟水でお酒には向いていないようであまりうまくはない。

 いずれにせよ、せっせとγ-GTPを増やし続けている。

 

【04.08.28】

●屋外ミミズコンポスト‘The Worm Cafe’一周年

 今週は行けなかったが、この間に‘The Worm Cafe’は1周年を迎え、2年目の稼働に入った。状況がすこぶるいいので、特に報告することもなくほったらかしになっていたが、実際の取り扱いについても出た生ゴミを投下して、たまに中の土(ミミズの糞)をかき混ぜ、新聞紙を細く切ったものをすき間埋めに入れる程度でほったらかし状態になっている。

 もうすでに何度も書いたのだが、ミミズという生き物が嫌いな人も少なくないだろうし、ゴミ捨て場(生ゴミ)と聞いただけで、ゴミ収集車がポタポタと汚水を垂らしていくときのあの腐敗臭を思いだしてしまう人も多いだろう。でも、本当に違うんだから。ミミズがどうしてもダメならあえて見ようとしたり、私のように掌にのせて話しかけたりする必要もないし、通気と排水をきちんとしてやれば絶対にゴミ箱のような臭いはしない。ゴミ箱から炭化水素のゴミ袋、そしてゴミ収集車というところまでは知っている人も多いだろうが、その後、当の腐敗臭をたっぷりさせたゴミたちはどこへ行ってどうなるのか、それを想像した方がミミズを想像するよりずっと気持ちがわるくなるはず。そんなもの想像しないからいい、ゴミ集積所に捨てたらおしまいだからそれでいい、と思っている人がたくさんいるのだが、それじゃ目をつぶればとりあえず汚い世界はなくなると信じる子どもみたいだと思う。だから自分の住んでいる地区にゴミ焼却場ができる、なんて聞くと、地元有志の先導で反対運動を始める。自分で出すゴミの少量化を図る気持ちは、自分でゴミを処理してはじめてわかる。昔のようにお皿やお鍋をもってお豆腐を買いに行ったりすることもなく、野菜や肉を古新聞で作った袋に入れてくれるお店もない。本当はそのへんにまで意識が向いてくると世界は変わってくると思う。『ミミズのカーロ』という本を読んでみるといいと思う。 

 

【04.08.30】

●「亀の翁」の蔵が壊れた

 台風16号の影響で九州地方に大きな被害が出ており、今後の進路に当たる地方の被害も心配だが、夏休みで新潟に出かけていた職場の後輩が、先日の新潟県を襲った集中豪雨で「亀の翁」の蔵元久須美酒造が大きな被害を受けたと知らせてくれた。今年はもう(新酒を)造れないだろうとのこと。蔵人さんたち他、人的な被害が出ていなければいいのだが。

 蔵が一年棒に振るというのは大変なことだろう。これで一儲けなどと考える輩が出てきそうな気がする… となると、いよいよ冷蔵庫に眠り続ける1本が貴重に思えてきた。

 その貴重な1本は来年25年目の結婚記念日に開けようと思っていたのだが、今年喜寿を迎えた私の父にプレゼントしようかと思いはじめていたところだった。ネーミングからして、結婚記念日より喜寿の祝いに向いている。父は私と違って(?)ただの飲んべえだから、金粉入りの月桂冠とかそういうので十分喜ぶはずなのだが、そういうのをあげても私自身がうれしくないから、やっぱり「亀の翁」は父にあげよう。

 

【04.09.08】

●「亀の翁」の蔵(続報)

 今日久しぶりに窪田屋へ行った。目新しいお酒はあまりなかったが近所だとここでしか買えないお酒が幾種類もあって、最近よく行く新座市の「升庄」とは違ったお酒が選べる。ちょうどどこかの蔵元の人か、お酒を買いにきた客ではない来客中のようで、のんびり話ができなかったが、久須美酒造の被害について尋ねると、壊れたのは倉庫で、蔵自体は大丈夫だったとのこと。出荷も再開できるとファックスがあったという(といってもここで久須美酒造のお酒は見たことがないが)。

 とにかく無事でよかった。掲示板には書いたけれど、先日喜寿のお祝いで開けた「亀の翁」は何とも言い難いうまさだった。今後も容易には入手できないだろうが、次に飲める日を楽しみにいろいろ飲み継いでいこう。今日買ったのはこれも久しぶりの「獺祭」の純米吟醸。山口への出張が週末にあるので(私が行くのではなく、人を行かせるのだが)迷うことなく選んだ。

 

【04.09.12】

●木登り

 子どものころを思い出して木に登った。が、何せ幹が太くてそう容易には登り切れなかった。もうこれが限界で、この状態でチェーンソーを持つことはできなかった。それでも家の方に張りだしていた10mくらいの枯れ枝は落とした。あと駐車場側に伸びている枯れ枝が気になるのだがこれはちょっとクレーンにでも乗って作業しないとできそうにない。こういう作業のときは長靴より地下足袋のほうがよさそう。

 実は写真の状態から木に立てかけた脚立に下りるのに難儀した。木には苔がむして滑るし、幹を抱きかかえた腕の力は萎えてくるし、登るときには届いた足が下りるときには脚立になかなか届かない。

 でもとっても気持ちよかった。職場でし甲斐のない仕事をしてるより、ずっと充実した時間だった。20℃前後の気温なのに体中から汗が出た。ハスクバーナのチェーンソーの切れ味もよく、来春には使えそうな薪が二束分くらいできた。

 

 

【04.09.23】

●ぴょっち誕生会

 1週間遅れで今夜ぴょっちの誕生会をやった。プレゼントはぴょっちの注文がなかなかうるさいのでもう少しあとになりそうだが、楽しい誕生会ができた。ちなみに去年は山でやった。今年はいつものごとくいつもの店で… という感じ。ぴょっち、○○歳おめでとう!

 A乃と私は家から、FERMATAは母親の入院中の病院から、Y乃は家庭教師(なんとY乃が家庭教師をしている!)先から、そして30分ほど遅れて文化祭の片づけを途中で抜けさせてもらったM乃が自転車でやってきた。

 私が走り出してから、我が家は「Teamののの」と称しているが、それは娘らがみな「の」のつく名前だから(山の家は「ののの山荘」と表札が立っている)。その後私の最初の北海道マラソンのときに、Teamののので札幌に遠征したときにぴょっちに出会った。聞いてみると彼女も「の」(我が家流に記せばS乃になる)だった。翌年札幌から東京に転勤になり、家もそう遠くないことから、4女として「Teamのののの」になった。以来、あれこれとお世話になっている。最近はうちの「ののの」たちの足並みが揃わず、なかなか全員揃うことができなくなってきているのが残念なことだ。

●三連休

 土日と敬老の日(今年は20日)の三連休の前夜、山に行く。この日は朝から車で横浜、静岡と出張で420Km以上車で走り(そのうち1/5くらいは私も運転した)、帰宅後山に向けて150Kmくらい車をとばしたから、山に着いたときはもうぐったりで何も食べず、アルコールもとらず、そのままベッドへ倒れ込む。この連休制度は国民になるべく連続する休みを与えようという主旨なのだが、秋分の日(今日)とくっつきすぎていてうまくない。今週は火、水、金に仕事が集中し、その余波は前の週末と来週の前半にしわ寄せされるという結果をもたらす。なんでもアメリカ流を真似しなくてもいいのに。そして連休の初日は前日の疲れがどっと出て一日ベッドのなかで居眠りをして過ごしてしまう。あとで聞くといっしょに出張に行った若い同僚の2人、ひとりは車のエアコンのせいで風邪をひき寝込み、もうひとり今年入った20代前半の若者も土曜日は疲れて何もする気がおきなかったという。日曜と月曜はそれぞれ土曜日ののんびりを取りもどすように働いた。床のワックス掛け、窓磨き、草刈り。それはそれで気持ちのいい労働だった。

 ところが世の中みんなこの三連休に集中して行楽に出ているから帰宅が大変だった。月曜日朝のうちに帰ってきてしまえば何ということもなく、去年のこの時期の連休はたいていそうしていたのだが、今回は判断を誤った。午後になってJHの情報を携帯電話で何度も聞いたが小仏TNをボトルネックにしたいつもの渋滞はどんどん長くなり、その他の場所でも渋滞をはじめる。結局夕飯を食べて、夜8時を過ぎてほんの少しずつ渋滞区間距離が減りだしてからゆっくりと山を下りた。それでも25kmだったのが20kmになり17Kmになりといった感じで、流れていた国道20号を走り、相模湖まで来たところで、渋滞距離が7kmになったので中央道にのった。結局、帰宅は12時を少し回っていた。覚悟のうえとはいえ、遊ぶのも楽じゃない。

●PAUの老化

 最近、PAUの老化の進行が著しくなってきている。口にこそ出さなかったけれど、この「熱い」夏を越せるかな、と思っていた。とにかく一日寝たきりのことが多く、出かけておいで、とこっちがいうと、何回かに一回、ひとりで林のなかを散策にでるがすぐに戻ってくる。そして下りるときに危なかしかったデッキの階段が容易に上れず、一段上っては後ろ足をぶるぶるさせながら次の一段を上るのを躊躇している。時間をかけてやっとのことで上ってくるととりあえず、デッキに腹這ってハアハアしている。

 そのPAUが今回は連休最後の月曜日、散歩にも出ず、大好きなエサも食べず、水も飲まず、濁った目をときおり開けてぼうっとしている。私が草刈りに外へ出たとき、何とか外へ連れ出すが、刈り払い機のエンジンの音にも動ぜず、何にも興味を示さず、家の中にいたときと同じように草の斜面に横たわったまま、普通に声をかけても反応せず、ちょっと甲高い声を出して呼ぶと大儀そうに頭を上げ私を見上げるがすぐにまた寝ころぶ。試しに好物のチキンジャーキーと果物のクッキーを持ってきて口元に持っていってやるとそれだけは口に入れるが以前のようにシャクシャク噛んでゴクリと飲み込むというのではなく、やっと咀嚼して飲み下すという感じだった。見ると血の混じったナメクジのようなゼリー状のよだれを垂らしている。無理矢理口を開いてなかを見ると舌の奥の方が腫れていてそこから出血している様子。犬はエサも水も舌でしゃくいあげて食べたり飲んだりするから、舌が出せずに食事も吸水もとっていなかったのだとわかった。

 手でドッグフードを口に入れてやり、ボトルに入れた水を顔を持ちあげて強制的に口に流し込む。そんなことを夕方までしているとようやく少しずつ動きが出てきて、帰宅時間が遅くなるので簡単な夕食を始めた私たちのテーブルの下、彼のいつもの定位置に音を立てて腹這った。

 連休が明けて医者に連れて行こうと思っていたが、一番近い獣医さんのところへ行くのも車に乗せないと彼にとっては歩ける距離ではなくなっているので、私が仕事を終えないと行けず、上にも書いたように連休のあおりで仕事は山積みで遅くまで帰れない日が続き、そうこうしているうちに舌の状態は大分もとへもどったのか、自分で飲食できるところまで恢復はしている。2002年の夏、山小屋ができたころはデッキの手摺りを跳び越えて森の中を走り回っていたPAUが急激に老化し、それは目に見えるほどではないがわれわれ人間にも起こっていることであり、生きるということの意味を考えさせる出来事だった。

 

【04.09.26】

●速報! テレビが壊れた

 午後9時前、当家の父がニューズ番組を見ようとテレビのスィッチを入れたところ、画面が映らなかった。二女Y乃は午後の間はずっと見れたと言っている。調査にあたった当局(父)の発表によると、配線等に異常はなく92年製のブラウン管の寿命ではないかということ。父は「これで東京でもテレビから解放される」と喜んでいるものの、妻子はかなり動揺しており、今後の対応に当局は苦慮しそう。正式発表はA乃、M乃が不在のため週明け以降になる模様だが、情報筋によれば当局にテレビは買う意志はないと思われ、家庭内紛争が勃発するのは時間の問題で、その後紛争が長引くおそれがあると危惧されている。

 

【04.09.29】

●中秋の名月

 昨日は秋田への出張だったのに秋田駅周辺(それもかなり離れたところまで含めて)のビジネスホテル、シティホテル、旅館の類はすべて満室だった。旅行代理店に頼んでみたが、「学会があるようでどちらも満席です」という答えだった。仕方なく、夕方「こまち」に乗って盛岡まで戻った。駅前のビジネスホテルにチェックインして、一杯やろうと町に出る。秋田は良い天気だったが、盛岡は曇り。北上川に架かる開運橋を渡っているときにふと空を見上げるとうっすらとした雲の下にまん丸の月が見えた。雲一つない夜空に輝く名月も悪くはないが、淡い雲のベールがかかった中秋の名月も味わいがあった。何という酒かはわからなかったが大吟醸と称する地酒を飲んだ。さっぱりとしてうまかった。

 帰り道、再び空を見上げたが、雲が明るい部分が月だなとわかる程度に見えなくなっていた。「啄木であいの道」に下りて、膝くらいまで伸びた草の中をかき分けて流れの早い北上川の水に触れてみた。草の香りがした。

●続・続報! テレビが壊れた

 テレビにビンタを喰らわせる荒療治も効かなくなったようで、たまに映ってもすぐに横線がたくさん出て消えるようになった。ちょっと前なら分解して中を調べたりするところなのだが、冷蔵庫を壊してから臆病になった。これでTVに時間を奪われずに済むという理由もあってのことだが…

 

【04.10.04】

●静養

 本当に何もしない2日間だった。FERMATAは運動会の準備で疲れており、かつ、合間の休日は母親の病院や実家の父親の面倒を見に行かなければならず、休む間もなく動いていたから、運動会が終わって、さあ山へ行けると思った途端、気が緩んだのだろう。風邪気味で深い咳をしていた。私のほうも代休を返上して出張に行ったりして休みがなかったから疲れ切っていた。

 幸いというか、山は雨。外に出て野良仕事もできないから、買い物にも出ずに、ごろごろしていた。冷蔵庫の中身はほとんど底をつき、あるものをかき集めて、私が作った。着いた晩を除いて、日曜の朝夕と今朝の一食で計三食。初日の朝は野菜室に残っていた大根と大根の葉でみそ汁を作り、長ネギを青い部分も全部入れて冷凍庫の中のご飯をぶち込んでおじやにした。それと塩鮭と卵焼き。早めの夕食はにんにくと鷹の爪をみじん切りにして、ベーコンと一緒にオリーブオイルで炒め、細目のスパゲッティをゆでて、ペペロンチーノ。地下のワイン貯蔵庫(壊れた冷蔵庫)からカリフォルニアワインを出してきて開けた。バケットでもあればガーリックバターを塗ってストーブで焼いて食べると美味しいのだけれどなかった。今朝はあまり食欲がなかったがクスリを飲むために何かお腹に入れようと、1本残っていた長ネギを10cmくらいに切り分けて千切りにし、鷹の爪を1本みじん切りにしてごま油で炒め、即席の味噌ラーメンにすりゴマを多めに入れて、炒めたネギを入れたネギラーメン。

 1時半過ぎに山から下りて、中央道を八王子ICまで約1時間。その先集中工事のための渋滞が調布まで続いているので八王子で下り、立川の昭和祈念公園の脇を通って慣れた下道で家路を急いだ。貧しい食事を続けたせいで、帰りのマーケットではあれこれ食べたくなってたくさん買い込んできた。FERMATAも医者に間に合った。

●マタイ受難曲とサイモン&ガーファンクル

 ほとんど本も読まずにぬくぬくとしていたのだが、久しぶりにカール・リヒターの「マタイ受難曲」を聞いた。いつも23番のコラールのところで、サイモン&ガーファンクルの“American Tune”を思い出す。たぶんポールはバッハを下敷きにして“American Tune”の出だしを書いたに違いない。だってまったく同じだから。そう思って、コラールの部分の詩と、“American Tune”の詞を読み比べてみた。ぜんぜん違うけれど両方とも違和感なく心にしみてくる。

 That's all I'm trying to get some rest. ぼくが手に入れようとしているのは安らぎなんだ。

 どうでもいいことだけれど、ビリー・ジョエルが34歳年下の女性と結婚した。私より5歳年上のビリーの頭から毛が全部消えてしまっていた… 武道館に最後に来たときはちゃんとあったのに… まるでカザルスみたいな入道頭になっている。5年後、私もあんな風になっちゃうんだろうか?

 

【04.10.12】

●万年筆

 はじめて万年筆を持ったのは小学校6年生のときで、NHKと岩崎書店が行った全国読書感想文コンクールで一席になったときの副賞だった。いくつかある賞品の中から自分で選ぶことができ、迷わずに「パーカー45」を選んだ。中学に入ったときに叔父さんからお祝いに買ってもらったのも万年筆で、発売されたばかりのパイロットの「ノック式万年筆」。これも自分で頼んだ。生意気な子どもだった。その後、浪人中にどうしても欲しくてたまらずに、当時まだ結婚前だったFERMATAにお金を出してもらって(!)、「パーカー75スターリングシルバー」を買った。大学に入ってからも万年筆への思いは止まず、「モンブラン146」をバイトして買った。大学院に入ってからは「ペリカン」の緑縞の万年筆をこれも学部の試験監督をしたバイトのお金を全部つぎ込んで買った。他にも大学から当時の国鉄の駅までいく途中にあった小さな万年筆屋さんのおやじさんと話をしていて、衝動買いをしたその店のオリジナル万年筆もあった。結婚後、私たち夫婦共通の高校時代の友だちがドイツに行くというので、「モンブラン149」を買ってきてもらった。そしてそれが自分で買った最後の万年筆になった。

 ワードプロセッサがようやく普通に買えるような時代が来て、自分でも驚くほどあっさりと筆記具を捨てた。ワープロの時代を経てマッキントッシュのカラークラシックからPCに変わり、今に至るまで万年筆は全然使わなくなった。考えてみると今や万年筆を使う場面がなくなっている。仕事で手書きが必要なときはボールペンだし、アナログ回帰をし始めてからは、日記はシャープペンを使っている(どちらも今年になってペリカンの緑縞に替えた)。先日、久しぶりに出してきたモンブランをクリーニングして、グリーンがかったモンブラン特有のブルーブラックのインクを入れて書いてみたが、どうもしっくりこない。太字ということもあるのだが、この30年弱の間に私の字はいよいよ米粒大の小ささになり、筆圧もどんどん高まり、うまく使いこなせないのだ。仮に使いこなせたとしても使い途がない。細字は書き味がよくないという先入観があり、今でいえば水性ボールペンの方が余程なめらかに書けそうな気がするのだ。

 ところがやっぱり万年筆、それもペリカンの腰の柔らかい万年筆が最近欲しくなって、いろいろなサイトを渡り歩いていた。そこで見つけたのがフルハルターという万年筆屋さんだった。万年筆好きの人ならたいていは知っているその店のご主人森山さんが調整した万年筆はまさに「ヌルヌル」と書けるという評判なのだった。すべて定価販売だが書き手の、つまり買い主の書き方、嗜好などをすべて知った上でその人のための万年筆に調整してくれるのだ。かつて、私のモンブランを見て「俺のつくった奴の方がずっといい」と言ったおやじさんといい、森山さんといい本当の職人さんなのだ。だからサイトは開いているが通信販売のお店ではない。実際に一度はそのお店を尋ねないとならない。

 実は昨日お店へ行くつもりでいた。ところが朝からひどい頭痛で起きられず、行けなかった。そのことを含め、メールしたら、「2本のモンブランを連れていらっしゃい」というお返事が来た。私が欲しがる万年筆を買う前にそのモンブランを調整したらどうかというご提案だった。当時も高かったが今だと2本合わせて十数万になる万年筆を寝かせておくのは万年筆屋さんとして許せないのだろう。ヌルヌルと書ける細字に仕上がったら何に使おうか、と今からわくわくしている。FERMATAはニコニコして万年筆掃除をする私を見、のののたちは「また始まった」と呆れている。たぶん、ヌルヌルした書き味を楽しむためだけに書くべきことを探し出すことになるだろう。もうひとつ、ペン画を描いてもいいかななどとも思っている。山での楽しみがまた一つ増えそうな気がしている。

 

【04.10.14】

●ペン画

 昨日街へ出かけ、デパートのモンブラン・ブティックでインクを買ってきた。好きなブルーブラックは退色しないことを目的に顔料が入っているのでペンを傷めるということをフルハルターのホームページで知った。12日のMonologueの写真は左からモンブラン149、146で、真ん中が吸引部分が壊れたペリカン。右の二本は最近買ったボールペンとシャープペン。実はこれまでたくさん買い込んだのに残っているのは左の3本だけで、しかも生きているのはモンブランだけ。たぶん、壊したり無くしたりしてしまったのだろう。人にあげたものもある。ペリカンは最初キングスブルーという明るめの青インクを入れていたが、途中で黒に変え、今回引っ張り出すまではブルーブラックを入れていた。それも入れっぱなしで放置していたために5日間のバイト代が消えてしまった。つけペンとしては使えるけれどそんな悠長な真似もしていられない。ブルーブラックがそういう怖いインクだとは知らなかった。つまり万年筆が好きでいい物を買うのに、基本的なことを知らずにきてしまっていたということ。

 だから昨日は生き残った2本のモンブランのために好きなブルーブラックではなく、全く使ったことがない、色のインクを2本買った。ボルドーというワインのような黒みがかった赤。目が痛くなるようなエメラルドグリーン。これがまたどちらも非実用的で楽しい。でも書くことがない。本当に試し書きのためにデタラメの思いつきを書いてインクの濡れた状態から乾いていく過程の発色を眺めて楽しんでいた。その揚げ句、枕元に置いてあった携帯電話の絵を描いた。これが最近も掲示板に書いたPreminiとストラップ。とにかくマッチ箱よりちょっと大きくクレジットカードより小さい携帯電話なのだけれどそう見えるでしょうか? もっといろんなものを描いていけばもう少しうまくなるだろうと思っているけれど… 色はご覧のとおりの「ボルドー」。万年筆は146の方。素人の遊びとしてはなかなか楽しくてはまりそうな感じがする。

 

【04.10.17】

●「村民」最後の日

 今月いっぱいで村がなくなる。赤岳の頂上から高原の鉄道を越えて広がる山梨県最北西に位置する「大泉村」が11月1日から近隣の市町村と合併するのだ。週末村民として暮らしてきた2年余り、いろんなことが起きた。それらをひとつひとつ数え上げると、よくないことが多かったように思う。そのしめくくりがこの合併だ。10数年前にこの村に愛着を感じ、いつかは家を建てようと思ってそれを実現したのに、次に行くときは「市民」になっている。どういう住居表示になるのかまだ正式なアナウンスは受けていない。大したことはない村の温泉に入りにいった。村民料金で入れるのは来年の3月までで、その後は住民票のない市民は「市民以外の人」に区分され、市民の倍以上の料金になる。当然、4月以降それら施設を使う気はない。最低の村民税を取られ、安くない固定資産税を払っているから村民として扱われて当然と思っていたが、市になった途端、「市民以外の人」になる。たぶん市民税は取られるのだろう。近隣で一番安かった水道料も平均化されて高くなるのだろう。これまでも、村にお金は落としても住民としてこれといったメリットのない生活だったが、これからはよそ者扱いになるのだ。
 市の名前もわけがわからない名前で愛着はまったくわかない。合併する地域の中では一番裕福だった村は今、村であるうちにお金を使おうと必死だ。美術館を作り、道路を作り、下水道の工事を進めている。観光地でもあるのに夏の避暑の期間ですら道路工事をしつづけて、あちこち掘り返していた。何のための合併かわからない。

 何とかして村の名前の残る記念品を作っておきたかったが、仕事上今の生活の地から住民票を移すことができないので記憶に残すしか手だてはない。自然発生的にできた地域が自治体として機能してきたのに、これからは行ったこともない、遠くの町や市が同じ市になる。何だかとってもわりきれない気持ちだ。

 

【04.10.25】

●M乃の誕生日

 今朝、出がけにFERMATAから「帰りにケーキを買ってきてあげて」と言われていたのをすっかり忘れていた。実をいえばそのことに気づくまで、娘の誕生日であることも忘れていた。ちっとも進まない報告書のデータを作りながら、はっと気づいたときにはもう行きつけの洋菓子店は閉まっている時間だった。職場近くに美味しいケーキの店はないかと同僚に聞いたがほとんど閉まっているだろうとの返事。仕方なく駅前のパン屋(といってもそれなりにおしゃれな店だったが)で、ひとつだけ残っていたバースデイ用のケーキを買った。

 うちへ帰るとM乃の注文で、FERMATAが「『世界一美味しい』ころっけ」を作っていた。ケーキには17本ロウソクがついていた。なんとかそれらしい雰囲気になった。

●Y乃の定期演奏会

 昨日、大学祭のプログラムの一つとして行われたY乃が始めて加わる大学のオーケストラの定期演奏会があった。ど田舎の山の上にあるホールは紅葉に包まれて美しかった。これまでジュニアオーケストラの演奏や素人の集まりのオーケストラしか聴いていなかったので、まあそんなものだろうとたかをくくっていたが、結構聴かせてくれた。やはり指揮者がいいのだろう。

 最後に演奏したドヴォルザークは弦も管もメリハリが利いていてなかなかよかった。ただ、座った席が悪くて、Y乃は指揮者のかげになって見えなかった。見てもしかたないのだけれど。とにかくそのせいか、演奏を聴くのに集中できた。帰りはもうすっかり暗くなっていたが、この山の上から毎晩ヴァイオリンを背負って帰ってきているのかとちょっと心配になった。

 

【04.11.01】

●「森山さんの万年筆」

 今日またフルハルターへ行った。10日ほど前にうかがったとき、私が当初買おうと思っていた万年筆ではない別の、さらに(×3)高価な万年筆を出してもらい迷いはじめたら、主の森山さんから「今日はやめて、時間をおいた方がいいよ」といわれた。頭を冷やして考えておいで、という意味だと思ってその日は帰った。ところが、頭は冷えるどころか、どんどん加熱して沸騰しはじめてしまった。もう、耐えられなくなった。ところがその間に、さらに(×5)高価な万年筆が気になりだしてもいた。

 今日はどなたもお客さんがいなかった。「頭を冷やすどころじゃないです」と私がいうと森山さんは笑いながら「そりゃ買うしかないね。冷めてきたら買うべきじゃなかったんだから」といわれた。試し書きをしながら、「さらに」を5倍する万年筆を見せてもらった。ものすごい大きな箱に入った小さな万年筆だった。それはまさに美術工芸品ともいうべきものだった。形も細工もすべてが美しかった。しかし、私の手には馴染まなかった。ここ二晩くらいずっと写真を見つづけていた万年筆の実物を手にとってみて、これはいくら美しくても欲しい万年筆じゃない、と思った。だから、結論は3倍の「さらに」に心は決まった。

 ところがそのとき、店の外でちょっとした事件が起きた。私は店を飛びだした。結論からいうと何ごとも起こらなかったからあえて書かない。お店に戻ると、私のあとに来て調整をしてもらっていた女性二人と森山さんが心配そうに私をみた。「大丈夫でした」という私の一言で小さなお店の中にいつもの穏やかな空気が戻り、三人が拍手をしてくれた。「今日はやめといたら? 気持ちが落ちつかなくなっちゃったでしょう」と森山さん。でも私は逆に腹が決まった。何だか意味深な書き方だけれども、事件といっても大したことではなかったから。

 決めた万年筆は最初に買おうとしていたものよりも重く、重心が中央におかれた実に安定感のある万年筆だ。有名な会社の、ちゃんとした名前のついた万年筆だけれど、わたしはこの万年筆を「森山さんの万年筆」と呼ぶことにした。「フルハルターの万年筆」と呼んでもいいのだが、それだと同語反復になる(フルハルターとはfullhalter、正確には u の上にウムラウトの¨がつく、万年筆のドイツ語)から、やっぱり「森山さんの万年筆」と呼ぶ。

 たくさんのオーダーを抱えた森山さんは店を休む日以外は私のように長居するお客さんとの接待があるから仕事がなかなか進まない様子。1ヶ月か2ヶ月くらいかかるけれど…とおっしゃった。すでにその万年筆に入れるつもりのインクも買ってある。封を切っていないそのインク瓶と一緒にじっと待っていよう。

 

【04.11.07】

●晩秋の北杜市

 誰も北杜市なんて知らないと思うが、おらが村が吸収合併された市の名前。え? 仙台? なんて思うかもしれないが元・北巨摩群の市町村がそういう名前になった。村民税は払っていたが選挙権はないから私の意志はどこにも反映されていない。中央道の韮崎をこえたあたりに北杜市という小さな看板を見たほかどこにも北杜市の名前は見なかった。インターを下りて山の家に向かう途中で、長坂、高根から大泉村にかわる境界があるが、「ちゃんと」大泉村の標識が出ていた。さらに山に向かって上っていくとかつての役場に向かう道と交差するが、そこの標識も「←大泉村役場」とあった。なんだかほっとした。どうせそのうち変わるだろうがそれまでには私のほうの気持ちもどうでもよくなるだろう。

 それはともかく地震や大雨による災害の続いた日々を挟んでの山行き、ちょっと心配していたが幸いにも山の家は無事だった。しかし、この3週間の間にすっかり秋は進んでしまって、庭もデッキも栗の枯れ葉が山のように落ちていた。林をはさんだ高いところに2軒のお宅があるが夏の間は全く見えなかったのに、今は屋根の当たりが光って見える。前回点描画を見ているようだと思った白樺の梢もすっかり葉を落とし、針のような枝が交錯している。山を少し下ると真っ赤な紅葉が見られるが私の家の当たりはもうそれも終わっていてすっかり冬枯れといった感じ。アボガドの葉っぱだけが青々としており、脇にもう一本若木が芽を出し始めていた。今のところ、今年は暖かいのだろう。こういう年に限って冬大雪に見舞われるからそれが心配。

 風邪気味の頭痛に悩まされ、何回鎮痛剤を飲んでも痛みは止まらない(実は今も)。いつもと変わらないといえば変わらないのだが、何にもしないで寝てばかりいた。

●画家の目

 万年筆の「遠隔書法」のトレーニングに励んでいる。軸の上の方を持って、筆圧をかけず、ペン先の重みで文字を書く。前に掲示板に書いたがなかなかコントロールが効かずに金釘流の字になってしまう。それを新しい万年筆が仕上がるまで何とか習慣化しようと練習しているのだ。思いの他、練習効果はあって、結構様になってきている。

 そこでFERMATAが朝の散歩で拾ってきた赤く紅葉した落ち葉の絵を万年筆で描いてみた。しかしどうしても落ち葉のようには見えない。物の形を画家はどのようなメカニズムで手から紙へ写しとっているのだろう。絵を描くのをあきらめてしばらくそのことを考えていた。画家にできて私にできないのはなぜか。技術がない。それは当然。しかし、技術を磨くと書けるようになるのか。

 画家が見ているのは形と同時にその物自体がもつ内実すべてなのではないか。私は形は描けるけれどそこに在る物の機能を含めての全存在を捉えることができない。そう思ってみると、前に描いた携帯電話などは形それ自体が描けたらそれらしく見える。なぞが解けた気がする。つまり人が作った物は下手でもなんとかそれらしく描ける。そこに在るのは物の形式にすぎないから。だから車だとか家だとかどんな複雑な曲線や線が入り交じっていても見たままを絵に移し替えることは可能だ。しかし、自然の造った物には形式より先に機能がある。女性の裸体は滑らかな曲線をそれらしく描いても絵にならない。温もりや柔らかさという属性が先にあって、それを示す形がある。落ち葉にはたくさんの葉脈があり、虫の食った跡が穴になっており、乾燥して折れ曲がっている。それらがどんなに複雑であってもその形を線で示すことはできる。けれども落ち葉の葉脈がたどった生涯が読み取れない私にはあの微妙な線を描くことはできやしない。本物の画家は自然の創造の神秘に迫ったときにはじめてキャンバスの上にそれ自体を造形しているのだ。モネの筆をいったりきたりさせただけのような雑な線が「日の出」の波間に揺らぐ太陽の光を今でも揺らがせ続けているのだ。そう思った瞬間、絵を描くのをやめた。この歳で画家の目を鍛えるより、「遠隔書法」の達人になるほうがずっと簡単そうだから。

 

【04.11.14】

●冬のはじまり

 私が寝ている間にFERMATAがPAUの散歩に出かけて撮った富士。帰宅して新聞を見ると、13日の明け方、八ヶ岳に低緯度オーロラが見えたという記事が出ていた。この写真はその1時間くらいあとの日の出直前の富士。私は前夜遅くまで飲んでいて起きられず、前夜の空一面の星空しか知らない。13日は一日晴れて、美しい初冬の一日だった。といっても私は眠り病にかかったみたいにベッドの中で、妙に明瞭な夢を見つづけていた。

 ふだんはあまり考えない、経済のことを自分の生きた時代の変化の中で考え、政治や文化(と呼べるものはない、というのが私の結論なのだが)などについて考えつづけていた。アメリカの選挙も不本意に終わり、新潟の地震はいつ終わるともなく続き、明るい見通しはまるでなく、人間もどんどん愚かになり、最悪の結末を見ることなく死ねたらいいなと思って、この星を想っている。

 ここ何回か続けて渋滞に巻き込まれる帰宅が続いていたから、珍しく帰る日が曇っていたので午前中早々に山を下った。あっけないほど道は空いていて、帰宅後、PAUを風呂に入れたり、ディズニーのLDを見たり(途中で何回かテレビは叩たかないとならなかったが)してのんびり過ごした。明日からまた仕事だから今日は早く寝てしまおう。…というと山にいても東京にいても寝てばかりいるみたいだが、そのとおり寝てばかりいる。

 

【04.11.23】

●眠りと夢

 大昔、高校生だったころ宮城音彌(だったと思う)の『眠りと夢』という岩波新書を読んだことがある。内容はすっかり忘れたが、そのころから今でいうところの睡眠障害に悩んでいたのは覚えている。ユングを読んだのもちょうどこのころのことだった。睡眠誘導剤を医者に処方してもらったり、「奥田脳神経薬」というのを買ってのんでいたのもこのころから。

 眠れないのではなかったのは今と同じで、寝れば眠れるのだが熟睡できず、寝れば寝るほど疲れるのだった。寝ている間中(と自分では感じているのだが本当は睡眠時間の後半だけだろう)、夢を見ている。かなり生々しく明瞭な夢で、かつ、実際にはありえないような出来事に遭遇している認識はあり、「また夢をみているな」と寝ている自分が何度か思っている。夢というほどものでなくても、中途半端に覚醒していて、寝ている最中に「ああ寝始めてから3時間くらいたったな」とか、起きてから「7,8時間寝ていたな」と睡眠時間を実体として感じるのだ。だから寝ていても「眠り」という7,8時間の労働を終えたような疲れがどっと押し寄せてくる。

 しかし、17,8歳のころからずっとそうだから、もうあきらめている。辛いから、何らかの方法で楽になれるものならなりたいが、薬を飲んでもそう簡単にはいかない。楽になるために死にたいという人もいるようだが、私は死を「楽」とか「苦」とかいう価値とは無関係な「無」(自分自身の全存在の消滅)だと考えているから、死んでも無駄なのだ。生きている間に「楽」でないと無意味なのだ。霊魂なんて全く信じていないから、生きていることじたいに苦しくても何でも意味があると思っている。

 生きているのが辛い、ほどの状況というのは確かにあり、それは文字通り死ぬほど辛いことなのだが、その辛さこそが生きている証なのだ。自分の意に反して死が突然おとずれることの理不尽さは十分わかっているが、死の意味は死んだことがないからわからない。わかりようのない死の意味を考えること自体をあきらめているのと、眠りの満ち足りなさの克服をあきらめているのとどこか似ている気がする。

 

【04.11.30】

●ピンク色の富士とフルトヴェングラー

 関連のないタイトルだし、日付は一日早いし、身勝手な「ひとりごと」。左の画像も前回と同じく、私が寝ている間にFERMATAがPAUと散歩をしながら撮った明け方の富士。腕とカメラがよければいい写真になったろう。オリジナルはピンぼけだが、アップすると富士の北西部が深くえぐれているのがわかる。〈第9〉の季節がやってきたなあと感じさせる写真だ。

 と、むりやりフルトヴェングラーにひっぱっていく。まだ11月30日まで1時間弱あるが1954年(私が生まれた年だ!)11月30日に、ヴィルヘルム・フルトヴェングラーはドイツの保養地バーデン・バーデンで死んだ。68歳だった。つまり、11月30日はフルトヴェングラーの没後50年目の日なのだ。残念ながらフルトヴェングラーのCDはすべて山に置いてあるので東京で聞くことができないが、フルトヴェングラーのベートーヴェンはほとんど耳に残っている。クラシックなんかみんな同じに聞こえるという不思議な人もいるのだが、フルトヴェングラーのベートーヴェンを他の誰かと聴き比べてみるといい。全然違うから… 小沢もサイモン・ラトルも聴けなくなるから。その中の圧巻はやはり、バイロイトの〈第9〉だと思う。なんだか書いているうちに聴きたくてたまらなくなってきた。私が歩きだすかださないかというときに彼は亡くなったのだなあ、と感慨に耽る。

 富士といい、フルトヴェングラーといい、山でないと味わえない。そういう状況の苦しさと労働の日々を耐える苦しさと、どちらが本当に苦しいのだろう。コインの裏表の関係だから両方とも辛いのだけれど… なのに山に行くと寝てばかりいる。

 

【04.12.03】

●アナログ回帰とMoleskineのノート

 かつて業界人と呼ばれるクリエイティブな仕事をしている人々、どんな人たちかよくわからないがすくなくとも私はそういう人ではないけれど、彼らの間から広まっていった Filofax を代表とするシステム手帳の時代に、新し物好きな私は Filofax を使っていた。その少し前までは梅棹忠夫の「京大式カード」を使っていた。子どものころからメモ魔の私のその前の必須アイテムは「能率手帳」だった。ノートがあると筆記具が必要で、さまざまな筆記具に凝った。中高時代から鉛筆はあのころ国産で一番高かった「ハイユニ」の柔らかい芯を使っていた。当時、丸善に並びだしたステッドラーの消しゴムやシャープペンを手に入れたのは高校の授業を終えたあとに毎晩通っていた予備校の時代だった。もっと前をたどるとオリベッティのタイプライターを英語を習いだした中一のときに買った。

 世の中がデジタル化しはじめ、ワードプロセッサの普及品が出始めた黎明期、富士通オアシス・ライト(液晶ディスプレイに表示できるのはたった8文字で、親指シフトのキーボードだった)を発売前に予約して発売日の前夜に銀座の黒澤に受け取りに行った。そして数台のワードプロセッサを渡り歩いて、Macintosh に乗り換えた。その後、一時、東芝 Libretto で Windows に魂を売った時期もあったが、再びMacに戻った。そのころ、ザウルスが出たのだがこれには食指が動かなかった。すこし後になってPC互換機ともMacともデータの共有できる Palm にのめりこんだ。そしてシステム手帳が部屋の隅で埃をかぶり、筆記具は100円のボールペンで事足りるようになっていった。ところが Pocket PC が出て再び PDA の世界にもビル・ゲイツの陰がちらつきだし、Palmはあっけなく消え去った(というのは正確ではない。いまだにクリエが孤高を守っているから)。

 使っていた Palm Vx が動かなくなり、Palm社もどこへ行ったかわからなくなり、アナログ回帰をすこしずつ始めた。山暮らしを考え始めた時期と重なるこの時期、インターネットはどんどん高速化し、PCも大容量化、高速化しはじめ、面白くなくなりだした。今こうして家でも職場でもパソコンがないと暮らせない状況は続いているが、新製品へのこだわりは全くなくなった。Palmでしていたことの大半は、システム手帳と小型の辞書を持ち歩くことで事足らすようになった。緊急のメールは携帯電話でできる。最低限の情報も携帯電話でとることができる(ほとんどしたことがないけれど)。それはまた、筆記具その他のステーショナリーへの回帰でもある。少年時代のようにペンを片手に細かい字を書きつける。手帳のダイアリーは今年もあとわずかになり、2005年版のリフィルはもう買ってある。昔のように茶筒状に膨らませて喜ぶようなシステム手帳の使い方はしない。必要なものを必要な分だけもつ。考えてみれば持ってないと困るような情報なんてない。でも老化し始めている脳が発信したい「老いの戯言」はたくさんある。

 システム手帳はスケジュラー専用で、書きとめておきたい「老いの戯言」専用のノートが必要。これも悩みに悩み、コンビニエンスストアや100円均一で簡単に入手できる安手のノートをこの1ヶ月いろいろ試した。どれも悪くはないし、大した内容を書くわけではないからそれで十分なのだが、最後の頁を書き終えるとゴミになる。ノートのせいではなく、自分の書いたものの中身のせいなのだが。気易く書き散らすから、ゴミも必要なこともみな一緒になっている。実に情けないことなのだが、安物を使っていると自分の書くこともいい加減になっているような気がしてしまう。悩んだ結果、結局200年の歴史をもつ古いノート、Moleskine を選んだ。何の変哲もない、古色蒼然たるこのノートはただのメモをとったり、思いつきを書いたりするには高価すぎるノートだが気に入ってしまうとどうしようもなくなる。《モグラの皮》という名前のこのMoleskineのノートがボロボロになるとき、たぶんゴミ箱行きにならないだろう。

 妥協せず本気で探し、本物の職人であるフルハルターの森山さんに万年筆の研ぎ出しを依頼したのがひと月前。まだ、出来上がってこない。別に急いではいないのだがやっぱり頼んだものが仕上がってくるのが待ち遠しい。この待ちの時間を利用して、万年筆の持ち方や筆圧を変えるトレーニングをし、同時にインクの研究もした。いろんなインクを試した。自分でブレンドしたりもした。でもどれも気に入らず、結局、Private Reserveという入手しにくいインクを買った。新しい私に合わせて研磨されてくるはずのペリカンに入れることにした。来年の一年は小さなシステム手帳とMoleskineのノート数冊、そして「年内にはなんとかするよう努力するよ」という森山さんの万年筆が私の友だちになってくれるはず。

 

【04.12.17】

●時間の長さ

 先週の金曜日、職場の配置に余裕があったので腰痛と所用のために休暇をとって休んだ。3連休だったけれどあまり休んだ気はせず、月曜から仕事を始め、ようやく金曜日にたどりついたという感じ。毎日午前か午後か外に出ていて、自分の仕事が出来なかった。本当は月初めに終わらせておかなければならない仕事を今日ようやく終えて、くたくたになって帰宅した。月曜日から週末のことを考え、週の半ばからは翌週のことを考えて仕事をしているから、時間の感覚がなくなっている。今日は、何曜日だった?と同僚にきいて、おいおいこのおやぢ呆けだしたか、と何度も思われているにちがいない。

 昨日、午後から出張で外に出たが、帰りに車の中で寝てしまい、風邪をひいたみたい。昨日の夜から鼻の奥がずっとぐずぐずいっていて、寒かったせいもあるが30分おきにトイレに行った。長いなあと思っていた一週間があっという間に過ぎ、今になってみると、今年の残りの時間を数えて、ああもういくらもない、とため息をついている。何をしていても面白くない毎日で、子どもたちの笑い声さえもうっとうしく感じ、症状の重さを感じている。

 今週良かったこと。頼んであった「森山さんの万年筆」が出来てきたこと。初めて瓶のインクを付けて書いたときは滑らかさに感動したが、使い出してみるとこれまでのすり減ったモンブラン146の方がずっと滑らかだった。森山さんが産んでくれた雛を上手に育てて成長させるのは私の仕事だろう。それがほしかったわけではない24金の象嵌は人目に恥ずかしく、入れ墨をちらつかせているヤクザみたいでちょっといや。でも、万年筆そのものとしてはやはりよいと思う。

 前回書いたMoleskineのノートとLOUIS VUITTONのリフィルだけが書きやすい紙でそれ以外これまで使ったどのノートもだめ。Moleskine2005年版のデイリーダイアリのLARGEサイズはどこも完売状態で、来年はPocket版で我慢しようと思っていたら、夕べ、あるサイトでLARGEを見つけ、すぐに注文した。その後もう一度同じページを見に行ってみると、完売の表示。私がGetしたLARGEサイズのダイアリが最後の一点だったのかもしれない。365日分の遺言帳を入手した感じでちょっと楽しい。

 ちなみに今週は先週に引き続き山行きはなし。来週もY乃がエキストラで出演するオケのコンサート(ソロをやる)、来年のクラス分けがかかったバッハの無伴奏を弾く発表会と続くので山へは行けない。次は年末年始の休み期間中に家族でいく。腹立たしいことが多かった一年が終わり、新しい年へ、今年も年賀状は一枚も書かない。くれた人にも申し訳ないけれどお返事しない。人生の暮れ方を一人でぽつぽつ歩いていく…

 

【04.12.18】

●熟成

 昨日もちょっと書いたのだが「森山さんの万年筆」と使い古したモンブラン146との違いの話。起きてから「森山さんの万年筆」に入れたインクを抜いて、あまり好きではない当の万年筆会社純正のインクを入れてみた。反対に146にPrivate Reserveのインクを入れてみた。ああ、なんて146は書きやすいのだろう。「森山さんの万年筆」はまさにひよっこのようで、146のヌラヌラとした書き味に遠く及ばない。Moleskineのノートに「森山さんの万年筆」で書くと裏写りしたインクも146で書くと裏写りしない。たぶんきれいに研ぎ上げられているとはいえ、「森山さんの万年筆」のペン先が紙を傷めてしまうために、裏写りしてしまうのだろう。

 どんなに卓越した技術をもった職人さんが研いでも、熟成した万年筆の書き味にはかなわないのだ。他のだれも私の146をうまく使いこなせずガリガリとした書きにくい万年筆なのに、私が握ると魔法がかかったように滑らかな太々とした線を薄い紙の上に描き出してくれる。森山さんが、私の書き方に合わせて研ぎ上げてくださった万年筆は、たぶん、今なら他の人が使ってもそれなりに滑らかに書けるだろう。結局は時間をかけて、たくさん文字を書き続けて、そうして自分の万年筆になっていくのだ。昨日も書いたが、外見はともかくも、万年筆としては非常に気に入っているし、美しいペン先のニブポイントの形はまさに「森山さんの万年筆」ならではだが、まだ、雛のペリカンなのだ。この雛を上手に育て上げて行かなくては… ちなみに、私が買ったこの万年筆に何羽のペリカンがいるか、数を数えた人がいる。その人によれば「6羽」。確かに6羽までは簡単に見つけることができるのだが、正解は「10羽」いる。ペン先とキャップヘッドにペリカン社のトレードマークが入っているのだが、この人はこの部分のペリカンを1羽ずつと数えているのだが、実はここに雛たちがいるのだ。

 時代によって雛の数は違い、古くは親鳥1羽、雛4羽、最近の新製品は親鳥と雛が1羽ずつになっているが、私の持っているペリカンは1本が1957年以降のもの、他はすべて1984年以降の雛が2羽のもの。今回買ったのも雛が2羽。これがキャップヘッドの天ビスと、ペン先にあるので、雛4羽足して、10羽になる。でも私がこれから育てていこうと思っている「森山さんの万年筆」は万年筆自体が「雛」だから、今のところ「11羽」。いつか、私の手に完璧に馴染んだとき、雛は親鳥になって、正真正銘「10羽」のペリカン付き万年筆になるのだろう。

●WILDSWANS のペンケース

 もう明けても暮れても万年筆関連の話ばかり。自分でもちょっと呆れている…
 こうして新しい万年筆を手に入れてみると、古い万年筆も出してきて使い出したりし、結構身の回りに現役として使える万年筆が増えてきた。すると今度は入れ物が必要になってきた。コレクター用のとんでもなくたくさん入るペンケースなども出ているのだがこれは論外。今回の万年筆を入れるつもりで買っておいたペリカン社のハードケースには今モンブランが2本、納まっている。もうひとつ、これまでやはりペリカンのボールペンとシャープペンを入れていた2本差しの革ケースには壊れたものと思って使っていなかった古いペリカンM400という万年筆とシャープペンが入っている(新しい万年筆を買うことにしてから、ペリカンのボールペンは古い1本差しの革ケースに入れてFERMATAにあげた)。ということで「森山さんの万年筆」が入る場所がなくなった。

 そこで、非常に高価なこの万年筆にふさわしい、堅牢で美しく、かつ、経年変化して熟成度を増していく一生物のケースが欲しくなった。当然のように選んだのが、WILDSWANS と 森山さん(FULLHALTER)のコラボレーションによって作られたペンケース。あんまり高いからたぶん買う人もそれほどいないのだろう、すべて受注生産。このWILDSWANSの革製品はコバの美しさにある。実物を見るとわかるが、塗料を塗ってコバを平に見せたり、薄い革を巻いてきれいに見せているのではなく、磨き上げてあるだけ。とにかく分厚いベルギー製の革を丹念に縫い上げた製品だ。
 この“WILDSWANS FOR FULLHALTER”と刻印されたペンケースが「森山さんの万年筆」の新しい家になる。注文してからまだ1週間しか経っていないからまだまだ出来上がってくるのに時間がかかりそう。年内にできあがれば、今年よく働いた自分のための X'mas プレゼントになるだろう。

 

【04.12.21】

●南瓜と柚湯

 今日は冬至だそうで帰宅すると、かぼちゃの煮付けと、ゆず風呂が待っていた。かぼちゃは甘くてご飯のおかずにもならないし、お酒のおつまみにもならないから、あまり好きではないのだが、食べた。お風呂は、今日の午後から体が部分的に火照って完璧に風邪の兆候をしめしているので入りたくなかったが、入った。

 もう、何度目になるかわからないくらいなのだが、冬至、春分、夏至、秋分の話を地球と太陽を拳で作って子どもら(といっても一人は当の昔の成人、もう一人は来年成人なのだが)に説明する。ああ、こんなことわからなくても生きていけるのだなあ、と子らを見て思う。まあ、お利口さんになるようには育てなかったから仕方ないのだが、冬至になったらかぼちゃを煮て、ゆず湯に入るんだ、と体が記憶してくれればいいと思う。

 狭い家だから階下の風呂場からゆずの香りが私の部屋へ立ち上ってくる。

●雛

 掲示板で私の最近飼った「雛」をとてつもなく高い万年筆と確信されたtakakoさんへ。

 これが私の今、育てている「雛」です。胴軸の部分に3羽のペリカンがあまり精密ではなく(悪くいうと稚拙な)彫金されています。キャップについたクリップがペリカンです(ここまでで4羽)。キャップヘッドとペン先にトレードマークの親鳥が1羽ずつ(これで6羽)。あとトレードマークの親鳥の下に線で描かれているだけですが、雛が2羽ずつ。これで10羽のペリカンがいることになります。

 インクの残量が見える窓はキャップを外すとグリーンの透明樹脂でペン先の下についています。重さが38gもあるので非常に重いです。モンブランの146は23gなので使ってみるとこちらはずいぶん重いです。胴軸が銀と金で出来ているからです。ペンの上の方を持って筆圧をかけずに万年筆の重みだけで書くことを目標にしています。同じサイズでずっと軽い、普通のペリカンM800と違うのは重さとバランスとご覧のとおりの派手な装飾だけです。800の緑縞を買うつもりでお店にいって、握ってみたらもう800を買う気はなくなりました。金属製の同軸部分は冷たくてざらざらとしていて、火照った気持ちをすうっと穏やかにします。樹脂とちがって、使い出すと私の体温と同化してざらざらのまま、暖かくなります。昔、浪人中に買ったパーカー75のスターリングシルバーもそうでした。革製品とか金属とか、自然がそのままの形に近い形で与えてくれた素材は生きた暖かみを体温に合わせて返してくれます。 革のソファーが気持ちよいのは体温と同化し、一緒に呼吸してくれるからだと思います。ウレタンのマットは暖かいかもしれないけれど体温や汗を吸収してくれず、跳ね返してくるから嫌いです。
 私がこの万年筆を選んだ理由は何度もそれとなく書いてきていますが、素材の持つ感触と全体の重さのバランス、重さそのものです。外観はまだ慣れません。見た目で好きになる万年筆もありますが、今回は全く逆で、惚れてしまえばあばたもえくぼ、になるかどうか、今、一生懸命惚れ込もうとしているところです。

 

【04.12.24】

●X'mas eve

 今日ははじめから早く帰ることができるとは思っていなかったが、それにしても遅すぎた。昨夜は半分徹夜仕事だったから、今日は昼間仕事中に寝てしまった。机に突っ伏していて耳元で鳴った電話で目が覚めた。

 クリスチャンじゃないから、なにもクリスマスだからといって何の感慨もないのだけれど、家族そろって山で過ごせたらよかったのにと思う(左の写真は12月の初めに山小屋に小さなツリーを出して飾ったところ)。

 快調に走っている私の愛車 YASTUGATAKE EXPRESS のスモールランプのバルブが切れたので、ディーラーへ持っていって交換してもらう。消耗品は3年間無料で交換してくれるパスポートを持っているのでただ。明日は近くの自動車整備工場へ車とウィンタータイヤを持っていって付け替えてもらおう。自分でも出来るのだけれど、今はぎっくり腰の直後だからやめておく。

 夕方からY乃の所属している民間のオケのコンサート。鼻は出るけれど咳は出ないので、うるさくすることはないだろう。月曜日もまた、仕事は山積みだが、Y乃が発表会で、ヴァイオリンのトリをとるので間に合うように会場へ向かう予定。28日の晩から年末年始を山で暮らす予定だったが、29日も仕事になってしまったので、それを終えてから夜中に家族で出かける。

 今年の更新はもうこれがお終いかな。仕事の内容がガラッと変わって辛い一年だった。でも、好きなことをして、欲しいものはたいてい手に入れ、そういう点ではいつもどおり。ちょっと早いけれど、みなさん、良いお年を…!

 ※掲示板は携帯でも書けるので、山の年末年始はお伝えします。

 

 

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